トウカイテイオー、菊花賞欠場。
先日のマックイーンの降着処分からおよそ2週間。
ぎりぎりまでリハビリをしていたトウカイテイオーだったが、快復には至らないと判断し、出走をとりやめ。
皇帝シンボリルドルフ以来の無敗の三冠ウマ娘という夢は泡と消えた。
トウカイテイオーを応援していたファンは悔しいであろうし、トウカイテイオー本人はもっと悔しいだろう。
そしてもう一つ。
菊花賞でトウカイテイオーを倒すと意気込んでいたウマ娘たちも、人知れず悔しさを抱えていた。
11月13日。
悪夢の天皇賞秋からおよそ2週間ほどが経ち。
マックイーンの降着処分で持ち切りだった話題は、トウカイテイオーの菊花賞欠場という事件に上書きされていた。
今日はその、菊花賞が行われる日。
本来であればトウカイテイオーが無敗の三冠ウマ娘になれるかもしれなかった場所で。
そのトウカイテイオーが不在とはいえ、会場には多くのファンが詰めかけていた。
「トウカイテイオーがいればなあ~!完全に一強だったのにな!」
「いや見たかったよ無敗の三冠ウマ娘!」
「今トウカイテイオーに勝てるウマ娘なんかいないだろ!」
会場に来たファンの中には、やはりトウカイテイオーを求める声が多い。
トウカイテイオーの実力と知名度からしても、それは仕方ないことなのではあるが。
(……)
そんな中を、目深にフードを被ったプレクラスニーが歩いていく。
なるべくなら今はファンの声は聞きたくない。
(ネイチャも、こんな気持ちだったのかな……)
自分の近くで、自分の親友が軽視される。
その悲しみは、とても測り知れない。
きっとナイスネイチャは、もっと多くの負の感情を受けるクラスニーの姿を、目の前で見てしまったのだろう。
パドックが見える外側のエリアを抜け、観戦席の最前列へと向かう。
そこにさえ行ってしまえば、余計な声は聞かなくて済むと思ったから。
(ネイチャ……大丈夫かな)
時刻は昼過ぎ。
帝王不在の菊花賞は、間もなく始まろうとしていた。
同時刻。
今回の菊花賞の主役になるはずだったトウカイテイオーは、スピカのトレーナーと共にレース場を訪れていた。
自分が走るはずだった場所。
自分が無敗の三冠ウマ娘になるはずだった場所。
様々な想いが、テイオーの胸を渦巻く。
「……連れてきてくれて、ありがとね」
「……ああ」
スピカのトレーナーも、秋の天皇賞以降まともに休めていない。
とはいえ、テイオーをおろそかにするわけにもいかず、結局ギリギリまでテイオー復活の道を諦めなかったトレーナー。
その身体は度重なる心労と激務で悲鳴を上げていた。
それでも、この菊花賞にテイオーを連れてくることだけは決めていた。
自分が走れないことは悔しいだろうが、きっとこのレースを見ることは、テイオーの成長になると思ったから。
とはいえ、いつもの明るい雰囲気とは裏腹に、もの悲しそうにレース場を眺めているテイオーを見ると、トレーナーも胸が苦しくなる。
「テイオー!なんか食うか?……奢ってやるよ」
そんな雰囲気を払拭するかのように、少し大きめの声でトレーナーがテイオーに声をかける。
テイオーは少し驚いたように耳を動かして……そしてトレーナーのやさしさに気付いたのかゆっくりと目を閉じた。
「じゃあ……にんじん焼きと、にんじんジュースと、チョコバナナ」
「おいおい、ちょっとは遠慮しろよ」
「……おねがい」
苦笑いでテイオーの方を見るが、レース場の方に向けた視線を動かさないその様子を見て、トレーナーは諦めたように歩き出す。
「……待ってろ」
テイオーをその場に残して、トレーナーが売店のある施設内へと戻っていった。
もう少しでレースが始まるかという時に……テイオーは少し横に見知った顔がいたことに気付いた。
(あれは……)
誰か分かった途端、テイオーはトレーナーに待っていろと言われたことも忘れて走り出す。
少し距離があったが、人の波をかきわけて、テイオーはその人物の元へたどり着くことができた。
白い肌に銀の髪の毛が特徴の、ウマ娘。
「……プレクラスニー」
「……!……テイオーさん」
メジロマックイーンとの天皇賞で、彼女は悲劇に見舞われた。
今はめだたないようにフードを目深に被ってレース場を眺めている。
「ネイチャの、応援?」
「そう……ですね」
暗い空気が二人の間に沈黙を作る。
片や降着処分によっていわれのない被害を受け、片や期待されていた無敗の三冠ウマ娘を怪我という形で逃す。
立場は違えど、お互いが苦しい状況にいることは確かだ。
「今回は、残念でしたね……足、治らなかったのですね」
「うん……走れるは走れるんだけどね。全力ってわけにはいかなくって」
走りたい気持ちはやまやまだった。
最後まであきらめていなかったし、多少無理でも出走する気だった。
しかし、テイオーにはトレーナーとの約束があったのだ。
ぎりぎりまで粘って、その時医者からOKをもらえなかったら……菊花賞出走を諦めるという約束。
大変な時期なのに最後まで自分のことを考えてくれたトレーナーのためにも、自分勝手なことはできない。
それがテイオーの結論だった。
「プレクラスニーも、その……大変……だったよね」
「そう……ですね」
テイオーがリハビリに明け暮れる中、悲劇は起きた。
テイオーはそのレースを生で観ていたわけではなかったが、あの時トレセン学園中が異様な空気になったことは今でも覚えている。
あの雰囲気は、スズカが怪我をした時とよく似ていた。
誰が悪いわけではない、不運による悲劇。
「……マックイーン、泣いてた」
「……」
「大好きな親友でありライバルの夢を、汚してしまったって。普段あんな感情を表に出さないマックイーンがあれだけ泣いてるの、初めて見たよ」
「……私のところにも、来てくれました。もう一度、私と走って欲しいって……そう言ってくれました」
「そっか……なんて答えたの?」
「それは……」
プレクラスニーがわずかに言い淀む。
その瞬間。
ファンファーレが鳴り響いた。
「あ……」
クラスニーがわずかに声をこぼす。
レース場を見れば、真剣な表情で意識を集中させる、ナイスネイチャの姿があった。
ネイチャがあの日、絶望に暮れていた自分にかけてくれた言葉を思い出す。
『菊花賞、必ず見に来て。私、頑張るから!』
(ネイチャ……頑張って……!)
クラスニーが、顔の前で両手を握りしめる。
自分の果たせなかった、途中で壊れてしまった夢を、ナイスネイチャに託す。
それが今のクラスニーの想いだった。
その隣でテイオーが、クラスニーと同じようにゆっくりとレース場へ目を向ける。
(あぁ……)
自分が出るはずだったレース。
自分が夢をかなえるはずだったレース。
そのレースが今、目の前で。
『今!ゲートが開きました!一斉にスタート!きれいなスタートになりました!』
(はじまっちゃった……)
一つの夢が終わってしまったことを、テイオーは今自覚する。
胸に湧き上がってくる気持ちは、なんと形容すれば良いのかわからない。
自然と、無意識に。
口が開いていた。
「ぼくだったら、ここで中団につく」
「テイオー……さん?」
小声で呟かれたその言葉の意味を、クラスニーは一瞬理解ができなかった。
「そこで様子を見る……横にはダービーで競ったあの子がいる。ネイチャは後ろにいる……きっと僕を追ってくる」
紡がれる言葉は、テイオーが描く『もしもの世界』。
レースに出たかったという抑えきれない想いが、無意識に彼女から溢れていた。
「ここまでは我慢。この次のコーナーで仕掛ける」
18人が固まって、最終コーナーへと差し掛かった。
未だに横に広い集団は、最後まで誰が勝ってもおかしくない、そんな展開。
「ここからぎゅーんって追い上げる……!先頭に、立つ……!誰も僕に……追い付けない……!」
「……テイオーさん……」
溢れた言葉が、徐々に震え出す。
テイオーの瞳には、次から次へと涙が溢れていた。
クラスニーはそんなテイオーを見てふと、気付く。
あの悪夢の天皇賞秋。
あの時、悔しかったのは、きっとマックイーンも同じ。
彼女が流した涙は、きっと今この隣にいるテイオーと同じ。
テイオーはこの悲しみを乗り越えて、前に進もうとしているのだ。
マックイーンも、もう一度クラスニーと走りたい、そう言ってくれた。
マックイーンも、前に進もうとしている。
じゃあ、私は?
「会長……!悔しいよ……!」
「……!」
彼女はいつも強くて、明るくて、無敵で。
そんな印象を勝手にもっていた。
しかし、それは違う。
彼女も一人のウマ娘なのだ。
涙をこぼすテイオーとクラスニーの前に、先頭集団がやってくる。
大きく響く地面を踏み鳴らす音。
と、同時に、もう一つの声が、強い想いが、聞こえてきた。
それは今菊花賞を走るウマ娘たちの、“叫び”だった。
『言わせない言わせない言わせない言わせない!!!!テイオーが出ていればなんて、絶ッッ対に言わせないッ!!!』
『テイオーに負けるもんか!!』
『私達の方が上だ!!!』
『上なんだあああああああッ!!!』
迸る想いが、気持ちが、テイオーの胸を打つ。
そして次の瞬間、クラスニーにも確かに聞こえたのだ。
ナイスネイチャの“叫び”が。
『カノープスの……!クラスニーの勝利がラッキーだなんて………絶ッッッ対に、言わせないッ!!!!!!』
友の声が、胸に響いた。
「ネイチャ……!」
とめどなく溢れる、涙。
今ナイスネイチャは、想いを乗せて走っている。
『カノープスの夢』を乗せて走っている。
「「行け……」」
どちらからだっただろうか。
ほぼ同時だったかもしれない。
二人は自然に、声が出ていたのだ。
「いけえ!!!!!走れええええええええ!!!!」
「いけええ!!!!ネイチャあああああああああああっ!!!!!」
勝負はラストスパート。
最後の直線を18人のウマ娘が駆け抜けていく。
ゴールは、すぐそこだった。
『リオナタール!!!勝ったのはリオナタール!!!今1着でゴーーーーール!!!!大混戦となった菊花賞を制しました!!!!』
ナイスネイチャは、4着だった。
「ネイチャ!!!!!」
気付けばクラスニーは飛び出していた。
戦いを終えた親友の元へ、駆け出していく。
そんな様子を見て、テイオーは笑みをこぼした。
「頑張ってね、クラスニー。私も……頑張るからさ」
大きく息を吸って、改めてテイオーは、レースを終えたウマ娘たちを見る。
「ズルいよ皆……かっこよくなっちゃってさ」
自分が出られなかった菊花賞。
それでも間違いなく、観客の盛り上がりは凄まじいものだった。
テイオーが出ていれば……なんて話をする人間は、この会場に来ていた者ならほとんどいないだろう。
芝の上に、仰向けで寝転がる。
荒い息を整えながら、涙を浮かべてナイスネイチャは悔しがった。
「クソおおおお!!!」
届かなかった。
絶対に一着になると意気込んで挑んだ菊花賞も、トップをとることはできなかった。
親友のプレクラスニーのためにも、カノープスのためにも。
天皇賞のクラスニーがただのラッキーだなんて言わせないために、同じカノープスの自分が勝たなければいけなかったのに。
G1初勝利を、チームに持ち帰らなければいけなかったのに。
「ネイチャ!!!!」
涙で歪んだ視界に映ったのは、よく知る親友の顔。
「……クラスニー……来て、くれたんだね」
「すごいよネイチャ……本当に、かっこよかった……!」
「ははは……ダサいなー、私……一着、とらなきゃ、いけなかったんだけどな……」
「ダサくなんかない……!ネイチャの走りは、私に……私に勇気をくれたっ……!」
天皇賞秋のあの日から止まっていた時間。
なんのために走ればいいのか、クラスニーはわからなくなっていた。
しかし今日、ナイスネイチャの走りを見て、クラスニーは覚悟を決める。
「私……走るよ……!諦めたくないッ!憧れの舞台で踊る夢を……諦めたく……ない!」
「ははは……よかった……いつものクラスニーじゃん」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、二人が笑い合う。
そうだ、もう一度ここから始めよう。