風都という都市にある薄暗い部屋。その中に一人の少年がいた。
その少年は制服を乱暴に脱ぎ捨てると、すぐさまテレビのスイッチを入れる。
『……ルが倒壊した模様です!! 近隣住民の方は危険ですので、絶対に近づかないようにしてください!!』
とアナウンサーが必死に叫んでいる。その画面にはテロップで《ビル倒壊 基礎が高温に耐えられず溶けたことが原因か》と出ている。
普通であれば、高層ビルの基礎が溶けるなど、到底信じられないことだ。が、その少年は眉一つ動かさずにそのテレビのスイッチを切ると、脱ぎ捨てた制服の懐からUSBメモリのような何かを取り出し、強く握り締めて呟く。
「この街は腐っているな」
その目は虚ろで光はなく、どこを見つめているのかさえわからない。部屋に差し込む太陽の光を彼の持つUSBメモリが反射させ、一つの写真を薄らと照らす。そのメモリには大きくHと印字されていた。
翌日、昨日起きた事件など忘れたかのようにいつも通りの日常がやってきている。普通ならもっと大騒ぎになっているはずなんだろうけど、僕らみたいな子供しかそれを話題に出していないのを見るに、やっぱりこの街はおかしいんだなということを実感する。
教師からの注意喚起も
「お前ら気をつけろよー」
くらいで終わっているし、相当汚染されているんだろうな。なんでこんな街に生まれてしまったんだろう、と後悔の念すら抱いてしまう。生まれた場所が違えば、僕はもっと幸せに生きていられたんだろうか。もっと普通に高校生として生活できていたんだろうか。
と、ボーッとしながらそんなことを考えていたせいか先生に肩を揺さぶられて
「おーい黒神。ボーッとしてるけど大丈夫なのか? 体調が悪いんだったら保健室に連れていくけど……」
「っ……あ、すいません、大丈夫です。ちょっと考え事をしてて……」
「そうか、ならよかった。進路のことだし、十分に悩むんだな少年!! ガッハッハッハ!!」
そう言われて髪の毛を掻き回される。そうだ、今はそんなことを考えている暇なんてなかったんだ。
僕は今、高校生になったら誰でもぶち当たるであろう最初の壁、進路希望という壁にもれなく激突してしまっている。別に、大学に行ってまで学びたいことがあるわけではないけど、行った方が生涯で稼げる年収は多くなるって聞いてるしなぁ、という二つの感情に振り回されてこの課題を出されてから2週間が経つのも関わらず、未だに一文字も書き出していないという絶望的な状況に陥ってしまっている。
正直、僕が普通の人生を歩めるとは全く思ってない。今でも語り継がれるあの事件に巻き込まれて、人生を歪められてしまったのだから。その事件は当時の僕の大切な物の全てを奪い去って、今もなお人生を歪め続けている。
普通であれば知るはずのない感触も、聞く必要のなかった欲望に満ちた醜い声も全部、僕の頭を離れない。そしてそれらは僕の心の奥底に仕舞ったはずの憎しみを増幅させて、いつそれに飲まれてしまうかわからない。
なら僕はどうすればいいんだろうか……。全くわからない。これから先もずっとその憎悪の感情を押し隠して生き続けなければいけないんだろうか。
「あぁ〜! どうすればいいのかわかんないや……」
頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。
いっそ今の時点でもう精一杯なのに未来のことなんて考えられるか! って言ってしまうか悩んだけど、そんなことをした暁には問題行動と見做されて生徒指導行きになってしまうかもしれないから止めておこう。一応僕はいい子ぶってるんだから。せっかくそれなりにいい成績は取ってるのに、そんなことで評価を下げられたらたまったもんじゃない。
「なあ恵理也。純粋に疑問なんだけどさ、進路で何をそんなに悩むことがあるんだよ?」
隣からそう話しかけてくるのは東風谷蒼。僕の友達で、幼馴染ってわけじゃないけどそれなりに仲良くさせてもらってる。女の子みたいな名前ってことをすごい気にしてて、アオイって呼ぶといっつも怒って
「アオイじゃなくてソウって呼んでくれ、頼むから」
って言ってくるし、何か親御さんと対立した時は限ってこんな名前付けやがって!! って叫んでたりする。まあ、かなり口が悪いし性格も腹黒い感じがするけど結構いいやつだ。たまに奢ってくれるしね。餌付けされてる感が否めないけど、貯金と仕送りだけで生活してる僕に取ってはかなりありがたい。一人暮らしをしてる僕からしたら1円でもくれるだけでもう聖人と同等の扱いをしてもいいと思ってる。
「いやだってさぁ……。将来なんてなるようにしかならないじゃーん。それに今のことだけでも十分精一杯なのに将来なんて考えられないって」
「なんかやりたいこととかなりたい職業とかないの? ほら、幼稚園のころとか小学生のころの夢とかさ」
「ない。強いて言うとするなら平穏に暮らしたいよね、うん」
まあ無理だろうけど、心の中で呟く。そもそもこの街に暮らしている時点で常に危険と隣合わせだと思った方がいいから、そうしたいんだったらこの街から遠く離れた場所に引っ越すしかない。
「相変わらず夢のねえ人間だなお前……。そんなんで人生楽しいのか?」
そんな言葉を若干哀れみを含めた目を僕に向けながら言う蒼。かなり酷い言い草だな、って思ったけど確かに楽しくはないかもしれない。こうして友達と喋ってるのは楽しいんだけどね……。
「うーん……あんまり楽しくないかも」
「うわ……」
「なんでそんなに引くのさ」
笑いながらそう言葉を返す。こんなくだらない会話をして過ごせたらどれだけ幸せなことか……。ただ残念ながら、現実はそんなに甘くない。とにかくこの課題を嘘ついてでも終わらせないと。
「片っ端から知ってる職業上げて! ありかなしか判断するからさ!」
「はぁ!? え、えぇっと……公務員?」
「忙しそうだからなし!! 次!!」
忙しそうなのもあるけど、僕は他の理由で公務員にはなれないと思う。
「忙しくない仕事なんかあるわけが……。あー、文系行くんだし小説家とかどうだ?」
「売れないと金にならないじゃん。やだよ」
これは即行断った。僕はとりあえず文系を志望してるけど、それは国語が得意だからじゃなくてただ単に数学が嫌いだからってだけだ。文章を自分で考えるのはすごい苦手だからそれだけは絶対に無理だと思う。
蒼は出した案が全て断られていることに若干イラつきを感じたのか、眉をピクピクさせながら僕に言う。
「わがまま言ってんじゃねーぞお前……。本当に夢がねぇのかよ」
「うん、ないね」
そう即答すると、蒼は机をバン! と叩いて立ち上がった。みんなからの視線が集まってめちゃくちゃ痛い。
「それで進路決めるとか無理じゃねーか!!」
「それな!!」
蒼の言葉を聞いて思わず立ち上がって叫ぶ。よくぞわかってくれた! という気持ちを込めて彼を抱擁する。ちなみに今は授業中だから、もちろんこんなことをしたら怒られるわけで。
「うるさいぞ東風谷と黒神!! 男二人が抱き合っても目の保養にならんわ!!」
「「ごめんなさい!!」」
「お前らあとで職員室な」
「「わっかりましたぁ!!」」
こういう時は変に反抗せずに潔く謝るのが吉だと思う。反抗すると余計に話がこじれることが多いからね。
この後、二人揃って職員室でこってり怒られました。
そして下校中。蒼が一着の服を手に取り子供のようにはしゃぎながら言う。
「おー!! この服カッコよくね!?」
「僕にはそのかっこいいカッコ悪いの基準がわかんないからなんとも言えないかな」
「こういうのは直感だよ直感。その人がかっこいいと思えばかっこいいのよ」
僕らは今、学校から割と近いウィンドスケールという服屋さんに着ている。もちろん買うのは僕じゃなくて蒼だ。僕は服に関して全くと言っていいほどに知識がない上に興味もないのに加えて、そんなものにお金をかけていられるほどお金に余裕はない。将来少しでも楽して暮らせるように貯金しておきたいのもあるし、そもそも僕の手元にあるお金が少ないのもある。
服のセンスに関しては着られればなんでもいいじゃん、と考えてるせいか持ってる服はシンプルな物が多い。お洒落な服は極々たまに従兄弟から送られてくる服数着分しか持ってない。それも僕には小さかったりブカブカだったりするから、送られてくるたびに古服屋さんに売っている。だから僕のタンスの中を見た友人たちは揃って中身が寂しいだのおっさん臭いだの言ってくれる。かなり酷い評価だ。
おかげでクラスメイトからは服のセンスが絶望的なやつ、と思われているらしい。確かに事実だし否定はしないけどなんか嫌だな。僕ももう少しお洒落に気を使った方がいいのかな。
「ねぇ、そういえばビルが倒壊云々の騒ぎあったし、犯人が捕まるまでこういうことしない方がよくない? 危ないと思うんだけど」
僕がふとそう言うと、蒼は少し考え込んだものの
「まー大丈夫っしょ。まさか犯人と遭遇するわけないでしょうに」
そう楽天的な考えを口にしてさらに奥へと突き進んで行く。どこからそんな自信が出てくるんだろう……。
「そう言うこと言うと大体遭遇しちゃうんだよ」
そう言いながら彼の後ろ姿を追う僕は、何か嫌な予感をヒシヒシと感じて体を震わせる。そういえば最近放火事件が頻発してるんだとか。でその放火された場所は全部ウィンドスケールのある場所だったらしい。
ウィンドスケールに何か恨みでもあるのかな。結構大きい企業のはずだからどこかで恨みを買ってても何にも不思議ではないんだけどね。でも犯人がウィンドスケールを狙っているのならここも十分危険なはずなんだよね……。
にしてもやけに暑いな……。まだ7月ではあるけどここは室内で、エアコンがガンガンに効いているはずなんだけど……。上着を脱ごうにもこれ以上脱ぐと上がシャツ一枚になっちゃうし、そうなるとこれを耐えるしかないのかな? かなりきついな。なんか少し焦げ臭いしどこかで火事でも起きてるのかなぁ。それならこの暑さも納得できるような気がする。でも消防車のサイレンは聞こえないしな。
……うん? 焦げ臭さ……火事……ここはウィンドスケール……まさか!
ぞわり、と何かが背筋を這うのを感じた。僕はそれを感じた瞬間に後ろを振り向いた。
「っ!! 嘘でしょ!?」
それを見た瞬間思わず叫ぶ。振り向いた僕の目に入ったのは、真っ赤な人型の何か。この街の人たちはそれのことをドーパント、と呼んでる。
ガイアメモリって言うUSBメモリに似たやつを体にぶっ刺してあれこれすることであの怪人になれる。まあ当然そういうのは犯罪だから、警察が結構頑張って取り締まってくれてるんだけど、いかんせん規模が大きいせいで漏れが出でくるわけで。それが今僕の目の前にいる怪人みたいに悪さをするんだ。
都市伝説じゃあ体の色が綺麗に真ん中で別れてる怪人みたいな何かが、ドーパントを片っ端からぶっ飛ばしてるらしい。その何かの正体はわからないけど、噂じゃどこかでひっそりと探偵業を営んでいる人がその中の人なのだとか。本当かどうかは知らないけど。
でも残念ながらその何かは今この場にいない。だからとりあえず逃げるしかないんだけど……。
「何もしないから見逃してくださいで通じる相手じゃなさそうだもんなぁ」
そう言ってもその怪人は何も反応しない。ここにいるやつは全員殺すみたいな雰囲気を纏っているし、何より手に何か力を溜めているのでまぁまず逃してくれそうにないだろう。おまけに足下がぐちゃぐちゃになっている。彼の放つ高熱が原因で床材が溶けてるんだろう。となると、昨日のビル倒壊事故の犯人はこいつだ。
ならどうしよう。この状態で闘うのはちょっとばかし危険だし、あれを使おうにも後ろにいる蒼に見られるのは嫌だしで使いたくない。
使うなら蒼が確実に避難してからかな。とりあえず彼にドーパントが来たことを知らせてさっさと逃げてもらおう。
「蒼!! ドーパント!! 逃げて!!」
「は? 本当にいるのか……マジじゃん!!」
店の奥から顔を出して固まる蒼。まさか自分が巻き込まれるとはって感じなんだろうな。同じ状況なら僕だってそう思う。
そうしている間にもドーパントはどんどん近づいてきて、やがてその手を僕に向けて来た。
それを見た瞬間僕は勢いよくしゃがんだ。視界の上端で頭上を火球が通り過ぎて行くのが見えた。途端に顔から血の気が引ける。もししゃがんでいなかったら今頃僕の顔は消し炭になっていたことだろう。めちゃくちゃ間一髪だったんだな……。
「こんの!!」
一撃お返ししてやろうと、近くにあったマネキンを持ち上げて思いっきりそのドーパント目掛けて振り下ろした。
勢いよく頭にぶつけたはずなんだけど、そのドーパントはまるでダメージを受けた様子がない。さすが怪人と言うべきなんだろうか、強度は一丁前らしい。
別に、初めからこの程度の攻撃で怯むなんて思ってないからそれはどうでもいい。今僕がしなくちゃいけないのは蒼を逃すこと。それをしないことには何も始まらない。
「蒼! 早く逃げて! 僕がなんとか時間稼ぎをしてみるから!!」
「お前みたいなヒョロヒョロにできるわけないだろ! さっさと逃げるぞ!」
「一緒に逃げるよりどっちかが確実に脱出できる方を選ぼうよ!! 君には帰りを待っていてくれる親御さんがいるんだろう!?」
なんてことを勢いに任せて言ってしまった。蒼はまるでお前にはいないみたいな言い草じゃないか! って叫んでるけど、実際僕の両親はすでに他界してしまっている。それも幼少期にだ。だから僕には親からの愛とかそういうのがわからない……っと。話が逸れちゃった。
「いいから早く! 僕は死なないから大丈夫!」
「だぁぁ!! わかったよ逃げたらいいんだろこんちくしょう! 絶対に死ぬなよ!」
催促すると意外とすんなりと折れてくれた。僕が頑固なのを知ってるからだろうな。僕はそれにサムズアップで返し、またマネキンを振るう。相変わらず効いている気配はしないけど、時間稼ぎにはなるはずだ。蒼が逃げたのを確認したら一気に攻守交代するわけだし。
「お前も邪魔をするのか……?」
「邪魔するも何もあなたのやってることは犯罪でしょうに。邪魔されないとでも思ってるんですか?」
ドーパントの中の人は男らしい。これは多分ウィンドスケールに恨みを持ってるから犯行に及んだと見て間違いないだろう。僕らはそれに巻き込まれた、と。大体そういう話か。
「邪魔をするのなら殺す。この力を使ってな。もう逃げていったお前の友達も一緒にあの世に送ってあげよう」
「蒼は絶対に殺させないし僕も死なないですよ」
そう言って周りを見て蒼の姿がないことを確認すると、懐から赤い何かを取り出す。僕はそれを相手に見せながら宣言する。
「今からここは立ち入り禁止区域です。立ち去った方がいい」
そして手に持っているそれを腰に当てると、どこからかベルトが出てきて僕の腰に巻きつく。それを見たドーパントはわずかにたじろいで
「お前が噂のドーパントではない何かか?」
と聞いてくる。僕はそれに顔を左右に振りながら
「違いますよ。僕はその人のことを知りませんのでその中の人の正体を聞かれてもわかりませんよ。それに準ずる者ではありますが、ね」
と返し、黒色のUSBメモリを取り出す。そのUSBメモリには大きくHと印字されている。確かに僕はヒョロガキだよ。でも、これを使うことで超人的な力を手に入れることができるんだ。しかも副作用もなく、中毒性もない。あんなドーパントとは違う。
「最後の忠告です。ここから立ち去ってください。立ち去らないのならば、僕はあなたと戦わなくちゃならない」
「断る。俺の邪魔をするのなら誰だろうが容赦はしない」
僕の忠告を蹴ったドーパントに本当にいいんですね? と聞くと、それに答える代わりのつもりか、火球をいくつか飛ばしてきた。それは天井を破壊してスプリンクラーに水を供給している水道管をも破壊し、そこから水が吹き出した。吹き出した水のせいでビショビショになった制服が背中に張り付く。とても気持ち悪い感覚がする。
僕はそれを宣戦布告と捉えて、手に持つUSBメモリのスイッチを押した。
《ハザード》
その電子音声を聞いた僕はニヤリと口元を歪ませてドーパントに
「さあさあ」
そう言ってUSBメモリ……いや、ハザードメモリを腰に巻きついたベルトのスロットに差し込む。響く待機音。
僕はその音を聞いてさらに口元を歪ませて、言葉を続ける。
「楽しい楽しい殺戮ショーの始まりだ」
そう言い切って、息を整えてから少し構える。こんなことをしている間に攻撃してこないのは、まだドーパントに中の人に良心が残っているからだろうか。僕なら躊躇なく攻撃するけどね。そこまで優しい人間じゃないし。
心の準備良し、目撃者がドーパントだけなのも確認済み、体の調子も良好。
よし、じゃあやりますか!!
「変身!!」
そう叫んで、
《ハザード!!》
再び響く電子音声。それに続いて警告音のような音が響き渡る。俺の身がどこからともなく現れた黒い装甲で覆われていく。
俺の体が完全に装甲に覆われたことを確認して、手のひらを握ったり開いたりしてコンディションを確認する。
そうそう。この感覚だよ。俺が求めていたのはこの心を刺激してくれる感覚だ。
「お前は……一体何者なんだ」
目の前のドーパントが恐れるようにそう呟く。俺はそれにこう返した。
「シェリフ……それが俺の名だ」
と。