「ねぇ、恭弥。あの子」
「ん?」
散歩をして、さぁ帰ろうと帰路についていた時。その子はいた。
不安そうな表情で周りをきょろきょろ見て、泣くのを我慢している男の子。歳は五歳くらいだろうか。どう見ても迷子だが、迷子だと認めなさそうな気の強さを感じる。
「どうしよっか」
「子どもは俺の素晴らしい頭脳についてこれないからあまり好きじゃねぇ」
「頭のいい人は相手に合わせて話ができるものだよ」
「見せてやろうじゃねぇか」
俺に喧嘩を売り、くすくす笑う千里を置いて男の子の前に立つ。俺が前に立つと男の子はビクッと震えてから、下から俺を睨みつけてきた。
「俺は迷子じゃない!」
「俺も迷子じゃねぇ!」
「何張り合ってるの。全然ダメじゃん」
後ろから襟を引っ張られて、千里が前に出る。やけに女らしくしゃがんで男の子と目線を合わせると、安心させるためかにっこり微笑んだ。なんだこいつ。女神か?
「えっと、一人でここにきたの?」
「う……えっと、お母さんと」
「そっか。じゃあお母さんが迷子になっちゃったんだね」
「そ、そうだ! お母さんが迷子になっちゃったんだ! 仕方ないお母さんめ」
「ふふ、そうだね。じゃあ僕たちと一緒にお母さんを探してあげよっか」
男の子は顔を真っ赤にしてこくりと頷いた。まぁ勘違いされるよな。千里はどう見ても女の子だし、どっからどう見ても聖母ムーブしてるし、五歳の男の子でも性を感じさせてしまうようなフェロモンをむき出しにしてるし、勘違いしない要素がない。こいつは人生経験が足りない相手の性癖を歪めることに対して右に出るものはいないからな。
クソ、俺が不甲斐ないせいでまた一人の少年の性癖を歪めてしまうことになるのか……? いや、まだ千里が男だとはバレていない。このまま女だということにすれば性癖が歪むのは避けられる。
「姉ちゃん、女なのに僕っていうのか? 変だぞ」
「失礼な。僕は男だよ」
終わった。俺のせいで少年の性癖が歪められてしまった。少年も「え、嘘だろ……?」って家に帰ったら家族が全滅してた時と同等の驚き方をしている。まだ現実を受け止め切れていないんだろう。
「いや、こいつは女の子だ。見ろ。どこをどう見て男だって思える?」
「そ、そうだ! 姉ちゃんは嘘つきだ!」
あまりにも現実を受け止め切れないからなのか、少年が俺の方によってきて、俺の後ろに隠れながら千里に抗議の目を向ける。変なところで絆が出来上がってしまった。
少年に嘘つきだと言われた千里は可愛らしくむっとして、それを見た少年がどきっとして、更にそれを見た千里が妖しく微笑んだ。
「じゃあ、見せてあげよっか? 僕が男だっていう証拠」
「見せてみろよ! 俺は信じないぞ!」
「おい待て千里。お前が下品な方法で男を証明しようってんなら俺は黙っちゃいられない」
「流石にそんなことしないよ。そうだなぁ」
千里は俺に近寄ってきて、そっと耳打ちした。
「僕が男だってこの子に認めさせないと、僕たちが付き合ったって夏野さんたちに言いふらす」
「君。こいつはれっきとした男だ。俺はこいつの親友なんだけど、間違いない」
「う、嘘だ!! 嘘だって言ってくれよ!! 姉ちゃんが男だったら、俺もう女の子に対して夢も希望も持てねぇよ!!」
推定五歳にしては賢い言い回しをするなこいつ。こんな将来有望そうな子の性癖を歪めてしまって本当にいいのか? と千里にアイコンタクトを送ると、君の性癖も歪めてあげようか? と返されてしまった。それだけは勘弁願いたいので、少年に千里が男だということを認めさせなければならない。そうしないと俺の未来が終わる。
「よし、なら少年。こいつのおちんちんを触ってみろ。ちゃんとあるから」
「ないもんは触れねぇ!!」
「いや、ある!!」
「いや、ない!!」
「いや、ある!!!!!!」
「いや、ない!!!!!!」
「おい千里、お前からも何か言ってやれ!!」
「死ね」
地面に引き倒され、そのまま上に乗られて首を絞められた。ちが、違うんだ。俺はただ、お前が男だと認めてもらおうとしただけで……。
苦しみながら少年に手を伸ばすと、少年が意を決したように俺を助けに入ってくれる。
「わかった! 姉ちゃんやめてくれよ! 俺が姉ちゃんのおちんちんを触るから!」
「そこじゃないよ!! 僕が男だって素直に認めてくれたらいいんだよ! なんで僕のおちんちんを触る触らないの話になってるんだよ!!」
「姉ちゃんが女の子みたいだからいけないんだろ!! 兄ちゃんを離せよ!!」
「僕も兄ちゃんって呼べよ!!」
「それは無理だ!!」
「じゃあ恭弥には死んでもらうしかない」
「わー!! わかった!! わかったから!!」
少年が泣きながら千里に掴みかかると、千里はため息を吐いてから俺の上から離れた。すかさず少年が俺に寄りかかって「大丈夫か兄ちゃん!! ごめん! 俺が、俺のせいで!!」と号泣しているのを、優しく撫でて宥めてやる。
「ありがとな、助かった。お前がいなきゃ、俺は今頃天国に行ってたらふくおいしいものを食べながら綺麗な女の人たちを侍らせて、好きな時に寝れる夢のような生活を送るところだった」
「うぅ、ぐすっ、多分そっちのが幸せだと思う……」
「バカ言うな。あっちには千里がいねぇからな。そんなとこ幸せだとは呼べねぇよ」
「付き合ってるんだ!! やっぱり姉ちゃんは姉ちゃんじゃん!!」
「待て!! 男同士でも付き合ってるっていうのはあるだろう!!」
「僕たちはそもそも付き合ってないんだよ!!」
千里の魔の手から守るために少年を抱きかかえ、油断なく千里を睨みつける。しばらく膠着状態にもつれ込んだ後、千里の「っていうか、そもそも僕ら何してたんだっけ……?」という言葉で全員が我に返った。
「そうだ。確か少年の親が迷子になったとかなんとかで。ところで名前何? 俺は氷室恭弥。気軽にビッグボスとでも呼んでくれ」
「ビッグボスが気軽だと思ってるなら君は義務教育を受け直した方がいい。僕は織部千里。よろしくね」
「兄ちゃんに姉ちゃんだな。俺は岸部学人!」
「恭弥。どうやら学人くんはまだわかっていないみたいだ」
「学人!! 今すぐ千里を姉ちゃんと呼んでやれ!!」
「わかった!」
「兄ちゃんと呼べっつってんだろ!!」
千里が激昂するも、学人は一向に姉ちゃんとしか呼ばない。まだ頭が千里が男だと認めていないんだろう。そうだ。学人は賢い。千里が女だと思い続ければ、性癖が歪むことはないからな。天才か? 俺の生まれ変わりかもしれない。ということは俺はもう死んでいる……?
自害するタイプの世紀末ヒーローみたいなことを言ってしまった。
「まぁまぁ千里。子どもの言うことだ。広い心で許してやろうじゃねぇか」
「……そう言われるとそうか。うん、まぁいいよ。姉ちゃんで」
「兄ちゃん。ここで子ども扱いするなって言ったらどうなる?」
「きっとこの話は終わらない」
「地獄じゃん。俺は賢い選択をすることにするよ」
「賢いやつだな。学人はきっと大ものになれる」
「へへへ……」
学人を撫でて男同士の友情をはぐくんでいる俺たちに、千里の冷たい目が浴びせられる。なんだ、お前また性癖を歪めさせようとしてんのか? 俺もうっかりゾクゾクしちまったじゃねぇか。寸でのところで学人の目を塞ぐことに成功したから学人の未来はギリギリ守れたけど。
とりあえず、いつまでも地面に寝転がっているのは不衛生極まりないので立ち上がり、辺りを見渡してみた。俺たちに向けられる奇異の視線はあるが、学人を探しているような人は見つからない。
「あれだけ騒げば向こうから見つけてくれると思ったんだけどな」
「ん、確かにそうだね。学人くん、どこでお母さんが迷子になったかって覚えてる?」
「ここから二駅離れたところ。いきなりいなくなったから、歩いてここまで探しに来たんだ」
「行動力アルティメットかよ」
二駅分? それ結構な距離だぞ。大体4キロくらいはあったはず。大人が歩いて大体一時間くらいはかかるから、学人なら一時間半、もしかしたらそれ以上かかるかもしれない。その距離を一人で歩いてって、何してんだこいつ?
「も、元々目的地はここだったんだ! 俺はバカじゃないぞ!!」
「はぐれたところで待ってたら探しに来てくれたんじゃね?」
「……」
「恭弥。子ども相手に正論をぶつけるのはやめよう。大人げない」
その手があったか、と驚いた後、座り込んで俯いてしまった。千里が責めるような視線を俺に向けてくる。ごめん。ごめんって。つい出ちゃったんだって。ほら、だって学人めちゃくちゃ賢そうだったから。子どもっぽいのに子どもっぽくなかったから平気かなって。はい。俺が悪いですよね……。
「ま、まぁアレだ。目的地がここっていうなら、旅行とかできたのか?」
「そう……」
「じゃあ俺たちと旅館に行こう。受付の人に言えば、もしかしたら学人のお母さんが連絡してきてるかもしれねぇし」
「そうか!! 兄ちゃん賢ェ!!」
「千里。子どもは可愛いな」
「数分前、君が子どもは好きじゃないって言ってたこと忘れてないよ」
「学人は好きだ」
「はいはい」
ほら、行くよ。と言って千里が学人の手を取った。学人が感情をぐちゃぐちゃにして俺を見てきた。そうだよな。柔らかいもんな。男とは思えないよな。
俺は学人を助けるために千里から引きはがし、肩車をしてやった。おい、微笑むな千里。うっかり夫婦と間違われたらどうすんだ。