みんな、知ってるか。
電車は、混む。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
日葵を扉側にして、所謂壁ドンの体勢で静止し、電車の揺れで体勢が崩れ、密着すること数分。俺は、『限界』の意味を知った。
下を向けば、俺の胸にそっと手を置いて俯く日葵がいる。しかも今日の格好が格好だから、その、何と言いますか。えへへ。もう、わかるくせにっ!
つまり、おっぱいがばんややいーんだった!!!!!!!
「……」
「……」
下半身を動かせるだけの余裕があるのが唯一の救いか。こっちまで密着してたら軽蔑されるどころの騒ぎじゃなかった。ただの騒ぎになっていた。だって見てみろよ。俺がイケメンだからいいものの、こんなの美少女を追い詰めてるようにしか見えないぜ? それで下半身押し付けるってもう性犯罪者以外の何者でもないだろ。もちろん俺は違うけど、危うくモロチンするところだった。
俺は死んだ方がいいと思う。
「……その、ありがと」
日葵が俯きながら、ぽそっと呟く。
「守ってくれて、ありがと」
思わず、「可愛すぎ警報発令!!!!! 世の男どもはまだ生きていたいのなら今すぐ鼓膜を潰せ!!!!!!!!」と叫んでしまいそうになった。ちなみに俺は鼓膜を潰す寸前で「日葵が可愛すぎて死んだ方が幸せでは???」と思いとどまった。俺は賢いのである。
そんな賢い俺を、危うくよだれをまき散らし欲の限りを尽くす猿に変えてしまうほどの威力を日葵は持っていた。密着状態で耳まで真っ赤にしてぽそっと「守ってくれて、ありがと」だと? 愛しすぎバズーカかよ。抱きしめたいんですがいいですか?
日葵の可愛さに脳がやられ、思考が回らなくなった俺を日葵がそっと見上げてくる。そして、俺の腰をそっと擦った。
「大丈夫? 辛くない?」
「ん、お、おぉん」
我ながら気持ち悪い声が出たなと思いながら、なんでもないように笑ってみせる。正直辛いことには辛いが、駅に着くまでなら全然耐えられる。むしろ耐えなきゃ耐えられない。これは男の意地だ、プライドだ。もう一つの脳に屈することなんてあっちゃいけない。それが好きな子相手なら猶更だ。俺は紳士、俺は紳士。既成事実を作った母親の血が混じって入るが紳士なんだ。
そんな紳士である俺の腰を、日葵がそっと抑えて一言。
「いいよ。我慢しないで」
脳内に隕石が落ち、大地が砕け、俺のハイパー思考回路は焦土と化した。日葵の目が潤んでいる。潤んだ目で俺を見てるしその下におっぱいがある。待て、見るな!! 見ちゃダメだ!! 耐えろ、耐えるんだ氷室恭弥!! ここで耐えなきゃ男じゃねぇ!! クソ日葵め、俺をおさるさんにする気か!? 何を思って「我慢しないで」って言いやがったんだ!? いや、日葵のことだからきっと俺の俺のことなんて考えず、ただ俺が辛そうだったから言ったに違いない。ちょっと鈍いところあるから。あれ、何の話だっけ? そうだ、俺の下半身の話だ!! からあげはおいしい。
「いや、大丈夫だ」
危ない。一瞬関係ないことを考えることで事なきを得た。あのままだと腰すら密着させてしまうところだった。よくやったぞ俺。よく耐えたぞ俺!! ハン。俺は所かまわず腰振るような猿じゃねぇんだ!! 女の子は大事にしなきゃいけないんだよ? そんなこともわかんないの?
「でも、つらそうだよ? ね? 私の方にきて?」
誰ですかこの子をこんな風に育てたのは??? 俺の日葵がとんでもなくえっちになってるんだけど。なんだ? 人が多すぎて酸素が薄れて頭が回ってないのか? これ光莉が俺のポジションにいたらもう日葵がとんでもないことになってたぞ。あいつが我慢できるはずないんだから。俺だって我慢できるはずないのにめちゃくちゃ我慢してるんだから。じゃああいつも我慢できるか。
いや、違う。そうだ。日葵の言葉は聞こえなかったことにしよう。なにか別のことを考えるんだ。萎える事を考えろ!! 身近な男のことを……クソ、出てくるな千里!! お前性的すぎるんだよ!!!
「恭弥」
日葵が俺の名前を呼ぶ。柔らかい手で俺の腰を撫でる。バカかこいつ。アホかこいつ! 労わってるつもりか!? 労わってるつもりなんだろうな!! でもお前俺を殺しに来てんだよ!! 俺の理性を!!
……いや、でもさ。ここまでされたらもういいよね? 日葵も悪いみたいなところあるし。ここまで煽られてさ、何もしないっていうのもさ、男が廃るっていうか。
そこまで考えて、俺は頭をドアに思い切りぶつけ、頭を冷やした。
「恭弥!?」
「気にすんな」
アホか俺は、バカか俺は。日葵は変なことなんて一切考えず、俺を労わって言ってくれたんだ。だっていうのに邪な考えでただ性欲を満たそうなんざ不誠実すぎる。
「日葵、ありがとな。俺は大丈夫だから」
「ほんとに辛くなったら言ってね?」
「おう」
その数分後、駅に到着して反対側のドアが開き、苦しい体勢からやっと解放された。俺は耐えた、耐えたぞ!!
「よし、行こうぜ日葵」
「うん。……ねぇ、恭弥」
「?」
首を傾げて日葵を見ると、日葵はまたも顔を真っ赤にして、俺の耳にそっと顔を近づけた。
「私、そういうの含めて『いいよ』って言ったんだよ?」
そんなに純粋じゃないもん。そう言って、恥ずかしかったのかぴゃーっと効果音が付きそうなくらい素早く先に行ってしまった。
「……」
脳がかき混ぜられるって、こういう感覚なんだな。俺は死んだ。
みんな、知ってる?
電車は、混むんだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あの」
「なによ」
「いえ、すみません」
「なにが」
「えっと」
僕の体におっぱいがばんややいーんってなってる状態について、です。
咄嗟に庇えたのは、我ながら男らしかったと思う。なだれ込んでいる人混みから朝日さんを庇ったまではいいけど、その向きが問題だった。僕と朝日さんは正面で向き合ったまま人混みに押されて、結果僕が朝日さんをドアに押し付ける形になってしまった。朝日さんの胸は僕に押し付けられている。
やばい。ものすごくラッキーなはずなんだけど、朝日さんからくる制裁による命の危機への恐怖心の方がギリギリ勝ってる。今は混んでるから殺されないけど、ドアが開いた瞬間殺されるんじゃないか? 「いい夢見たかよ?」って一言言われて首を逆に回されるんじゃないか? クソ、なんでスマホがいじれないんだ。薫ちゃんに別れの言葉を言いたいのに!
死への恐怖に怯えている僕に、朝日さんは少し身じろぎして、僕のおでこに手を伸ばしてぺちんと叩いた。
「いいわよ、別に。あんたから触ってきたんなら別だけど、ただの事故じゃない。そんなので怒るほど人間出来てないわけじゃないわよ」
「ほ、ほんとに?」
「ほんとに。それより、ありがとね、守ってくれて。男らしいとこあんじゃない」
「告白してくれたところごめんだけど、僕には薫ちゃんがいるんだ」
「ちなみに『男らしい』っていうのは告白じゃないわよ」
「何だって?」
てっきり僕が男らしく見えるくらい男を意識したってことかと思って、つまり告白なんじゃないかと思ったけどどうやら違ったらしい。もしかして僕は今弄ばれたのか? ひどい人……。
とにかくむぎゅむぎゅは許しを得たから、少し気が楽になった。だからと言って積極的に堪能するのは申し訳ないから、できるだけ意識を他に向けることにする。
そういえば、恭弥たちは大丈夫かな。これだけの混雑だし、潰されてないといいんだけど……。
「朝日さん」
「なに?」
「恭弥と夏野さんも、似たような状況にいる可能性ってあると思う?」
「100」
「だよね」
恭弥は絶対に夏野さんを守る。恭弥はそういう人だ。例え相手が夏野さんじゃなかったとしても、クラスメイトだったとしてもちゃんと守る。だから、恭弥と夏野さんが同じ状況になってる確率は100%。そして、そんな状況になって恭弥が耐えられるのかどうか。僕ならきつい。だって、今の朝日さんの位置に薫ちゃんがいるってことでしょ? 無理無理無理無理無理。思春期だぞ? 男子高校生だぞ? 好きなこと密着して我慢なんてできるはずがない。僧侶かよ。
「あの二人が、密着……日葵も随分なお花畑だものね。何か起きても不思議じゃないわ」
「何気にひどいこと言うね」
「どこが? 好きなこと一緒にいる女の子なら、お花畑でちょうどいいくらいでしょ」
この人、知れば知るほど惚れる要素がわんさか出てくるんだよなぁ……。ほんとに恭弥と似てる。ギャップっていうのかな? 普段クズなクセにこういうところ男前で優しくて、普段クズなクセに乙女。あれ? もしかして朝日さんって僕が思ってるよりも可愛いのか?
まぁ薫ちゃんの方が可愛いけど。ふっ。
「羨ましすぎてムカついてきたわね。八つ当たりしていい?」
「どっちが羨ましいの?」
「どっちも。今はね」
というか気にしないようにしてるけど、もっと気ぃ遣いなさい。と言いながら叩かれてしまったので、はぁいと返事しておいた。