「ま、待って待って! 心の準備させて! 深呼吸させて!」
「押してもろてええですよー」
「かしこまりました!」
きゃああああぁぁぁぁぁぁ……!! と、筒の奥に日葵の声が吸い込まれるようにして、日葵と岸を乗せたボートが出発した。
日葵がボートに乗ってから数分、日葵は「待って待って!」と騒いでいた。これが他のやつなら鬱陶しいことこの上ないが、日葵ならとてつもなく可愛く思える。うん、怖がる日葵可愛い。残念なのは俺が日葵と乗っていないことだ。
「はぁ。まさか乳だけ女と乗ることになるとはな」
「はぁ。まさか塵ほどの価値もない最底辺のゴミと一緒に乗ることになるなんてね」
「やんのかコラ」
「あ? 生身で筒に向かって投げ飛ばすわよ?」
「いいのか? そんなことしたら投げ飛ばすときに俺におっぱい触れちまうぞ?」
「どうせ死ぬんだしいいんじゃない?」
「人の死をよしとするんじゃねぇよ」
大体相手が死んでも触られるのは嫌だろ。まったく、自分の体は大切にしてほしいもんだ。性欲まみれの男子高校生としては大事にしてほしくないが、朝日は友だちだから仕方ない。もし触らせてくれるとしても、日葵に見られたら終わりだしな。クソ、俺に気がねぇくせに見せつけるような水着着てんじゃねぇよ。
「まぁそんな乳触ってもなんとも思わねぇけどな」
「さっきからちらちら見てるのわかってるのよ? ふふん。所詮男って猿ね」
「おい千里。俺たちは猿だから触っても許されるらしい」
「じゃあ失礼しますウキ」
「死ぬ前にいい思いしたいっていう意味なら別にいいわよ」
「……」
「これ以上千里を誘惑するのはやめてくれ。このままじゃ死を選びかねない」
朝日の胸をガン見しながら悩み始めた千里を、朝日から庇うように立つ。性欲だけはいっちょまえに男な千里には刺激的すぎる。俺もおっぱい触って親友が死ぬなんてことは避けたい。「あの人、おっぱい触って死んだ人の親友らしいよ」って言われ続けるのは嫌だ。
「ごめん、つい。織部くんって可愛い顔して性欲丸出しだからなお可愛いのよね」
「は? わかる」
「僕は一人で行くからね。君たちとなんて一緒にいられるか!」
「お前がこれを一人で乗るむなしさに耐えられるなら別にいいぞ」
「犯されるよりマシだよ」
どうしよう。もしかしたら千里と部屋に戻った時、めちゃくちゃ警戒されて目も合わせてくれないかもしれない。冗談なのに。可愛いものが好きな朝日は多分冗談でもなんでもないけど、異性に対しては一歩下がるから冗談みたいなもんなのに。いくら千里が可愛いからって、流石に手を出すようなマネはしない。俺がそういう趣味なら一瞬で手を出してゴールインしてるところだが、生憎そういう趣味でもないし。
「それじゃ次のグループ乗ってくださーい! あ、男の人は後ろにお願いします」
ぐちゃぐちゃ喋っていると、俺たちの番が来た。ボートには縦に三人並んで乗り込むようになっており、俺は職員さんに言われた通り一番後ろに乗り込む。
「おい。僕も男の人だぞ」
「客観的に見ろ。この三人の中に俺しか男の人はいない」
「そうよ。男だって言い張るのはいいけど、周りから見た自分の印象を考えなさい」
「プールっていいよね。泣いても潜ればバレないんだから」
千里が泣いてしまった。俺が千里の頭を、朝日が背中を撫でて慰めながら全員で乗り込む。自然と千里を守るように真ん中に座らせて、先頭が朝日になった。もし途中敵がいても朝日が蹴散らしてくれるから安心だ。
「じゃあ準備はいいですかー?」
「大丈夫か千里?」
「織部くん、怖かったら言うのよ?」
「優しくするな! 大体君たちのせいで僕がこうなってるんだぞこのチクショウどもめ!」
「よさそうですね。いってらっしゃい!」
どこがよさそうなんだ? と疑問に思ったときには俺たちを乗せたボートが筒の中へ突入した。
思ったよりも勢いが強く、引っ張られるような感覚とともにボートによってあげられる水しぶきを体中に浴びる。「うおおおおお!!」と叫ぶ朝日と、「ひゃあああああ!!」と可愛らしく叫ぶ千里。逆だろお前ら。俺冷静になって叫ぶ声も出ねぇじゃねぇか。
滑り落ちていく勢いそのままに、地面と水平にぐるんと大きく一回転。また下って、一瞬上に上がったかと思えば落下と同じくらいの急角度で一気に滑り落ちる。
「おおおおおおおおおお、っぱいが揺れてる!!!!!」
「やっと男らしい叫びかと思ったら男らしすぎだろ!」
「あんた何を楽しんでんのよ! って、あら、振り向いたら水に濡れた美少女とぼろ雑巾がいたわ」
「あれ、先頭に牛がいるじゃねぇか。これは荷馬車だったのか?」
「殺すわ」
「なんで朝日さん動けるんだよ! 身を乗り出したら危ないからちゃんと捕まってて!」
朝日が片手を離して俺を殺そうとしてくる。どんな体幹してんだよこいつ。化け物だろ。人間じゃねぇ。俺しがみついてるだけで精いっぱいなのに。まさか俺を殺すっていう執念で無理やり動いてるのか? カッコいいじゃねぇか。
「くっ、ここは水に濡れてドチャクソエロくなった織部くんに免じて許してあげるわ」
「助かった! ありがとう千里! お前が性的でよかった!」
「普段かけてるメガネがないのも一万性的ポイント!」
「夏野さんに言いつけてやる」
「俺たち親友じゃないか」
「永遠とも言える固い絆で結ばれてることを忘れたの?」
「うるさい! 女みたいな僕にかかれば、男同士の友情も女同士の友情も崩壊させることができるんだぞ!」
マズい。千里が本気を出したら友情を崩壊させることなんて容易い。女の子みたいな千里は女の取り合いで男同士の友情を演出し、内に秘めた男らしさと優しさで女の子に近づいて女同士の友情を崩壊させる友情破壊モンスターになる。それはダメだ。そうなったら俺か朝日が責任を取って千里と結婚するしかなくなる。そして俺は日葵と結婚するから、千里と朝日が結婚することになる。
「友人代表スピーチは俺でいいか?」
「なんの!? それよりもうすぐ出口だから、口開けてると水いっぱい飲んじゃうよ!」
「この先に日葵のいるプールの水があるってことだから、口を開けておけってことね」
「とんでもねぇ変態がいる」
きっと先頭ではおおまぬけに大口を開けた朝日がいることだろう。お前顔はいいんだからあんまり間抜けな表情すんなよ。ギャップがあって可愛いだろうが。
「はっ、ここは『怖かったぁ!!』って泣いておけば日葵に慰めてもらえるんじゃない!?」
「とんでもねぇ天才がいる」
「君たちもうほんとにいい加減にしろよ!」
「「うえーん! 怖いよー!」」
「下手くそどもが! 溺れ死ね!」
千里の信じられない暴言とともに、俺たちは筒の中から外へ飛び出した。勢いのままに水の上を滑り、バランスをとることが難しくなった俺たちはボートと一緒にひっくり返る。
ふふ、このまま泣き顔晒しながら水の上に出たら日葵が慰めてくれるに違いない。よしよしして「怖かったねー」って言ってくれるに違いない。そのまま結婚しよう。
期待とともに水面へ出る。勢いよく出すぎて怖がってたなんて嘘だろって思われかねないが、日葵は優しいから気にしないはずだ。さぁ、俺を慰めろ日葵!
「うぅー……」
「おーよしよし。もう大丈夫やからなー」
目の前には、コースロープの向こう側で岸の胸に縋り付いている日葵と、その日葵の頭を撫で、背中をぽんぽん叩いている岸の姿があった。岸は俺たちに気づくとカッコよく俺たちに向かって手をひらひら振ってくる。
「お疲れさん。夏野さんがこんな状態やからどっかあがって待っとこうと思ったんやけど、『みんなをまってる』って聞かんもんやから。怖がってる仲間が欲しかったみたいやけど、おらんみたいやで? 夏野さん」
「うっ、いいもん! 別に怖くなかったし」
「えー? きゃー! って叫んどったのに?」
「あ、あれは岸さんでしょ! 私叫んでないもん!」
「あー、そういえばあれ私やっけ。うん、私やったな」
「その顔ムカつく!」
きゃーきゃー楽し気に騒いでいる日葵と岸。いつの間にか言い合っていた二人は下の名前で呼び合うようになり、綺麗な笑顔で笑い合っていた。
その様を見せつけられているのが俺と、いつの間にか俺の隣にいた朝日。
「……」
「……」
「あんた、ひどい顔してるわよ」
「朝日もな。泣きまねのつもりが、ほんとに泣いちまうなんてお笑いだぜ」
「あんたも泣いてるじゃない」
「そう見えるか?」
「涙は出てないけど、心が泣いてるわ」
色を失った声でぽつぽつと会話していると、俺と朝日の頭に柔らかな小さい手が乗せられた。その手は優しく俺たちを撫でて、冷え切った心に確かな温かさを与えてくれる。
「よしよし。僕がいるじゃないか」
「「千里ママ……」」
「テメェらみたいなクズガキいらねぇんだよ」
慰めてくれるのかと思ったら違った。トドメ刺しにきやがった。千里は俺たちの頭に乗せた手に力を籠めて俺たちの顔面を水面に叩きつけると、可憐に水面を移動して日葵たちのところへ行った。
日葵たちと合流し、きゃいきゃい騒ぐ三人。水面から頭だけ出して、朝日と一緒に三人をゆったり眺める。
「まぁ、激カワだからいいわ」
「なぁ朝日。俺より岸のが断然イケメンじゃね?」
「今更ね。男らしさと可愛らしさ、その他諸々すべてで負けてるわ。日葵は諦めなさい」
「それはお前も岸に負けてることの証明になるぞ」
「おっぱい大きい方が女として勝ってるのよ」
「お前その価値観今すぐ直した方がいいぞ」
そうなると日葵より朝日のが勝ってることになるし。それは絶対にありえない。日葵が神だとしたら、朝日は無。無である。比べるまでもない。
「ここで争っていてもしょうがないわ。氷室、知ってる? ここのエリアに水着で入れる温泉があるらしいわよ」
「異性の親友はお前しかいないと思ってた」
「奇遇ね、私もよ」
朝日と手を取り合い、力強く頷き合う。そんな俺たちを、三人が微妙な目で見ていた。なんだその目はコラ。泣くぞ。