「院長室っつーから、何かとんでもないもんでもいると思ってたけど」
「三階きてからなんも出てけえへんなぁ」
手術室を出て、院長室。こういうところの『長』ってつく部屋って何か出てくるのがお決まりだと思っていたが、俺の予想を裏切って何も出てこない。どころか、不気味なくらい今までと雰囲気が違い、まるで院長室だけ普通の病院のような、まったく廃れていない綺麗なままの部屋だった。床に血もまき散らされておらず、明かりもちゃんとついている。
「ん、机の上になんかあるな」
「氷室、見なさい」
「はいはい。怖いなら目ぇ閉じとけよ」
「べ、別に怖くなんかないんだからねっ!」
「古のツンデレやん」
似合うっちゃ似合うけど、狙いすぎ感強いからやめた方がいい。朝日は自然体が一番いいんだ。やっぱりよくない。こいつクズだし頭おかしいし。
机の上にあった日記帳のようなものを手に取り、中を見てみる。そこにはプリントしたかのような綺麗な字で、日付とともに様々な文章が書かれていた。見た目通り日記のようである。
「なになに? 『私は、何のために医者をしていたのだろうか。最愛の娘を亡くし、妻を亡くし。一番守りたい者を守れず、何が医者か。この悲しみを他の人に味わってほしくない。私は、ある研究を開始した』」
「あ、うん。そういうこと……」
「これで察せないやつはバカね。もういいわよ氷室。怖い言葉が出る前に読むのをやめなさい」
「『私の研究には、人体実験が不可欠。しかし、私一人の手では人を集めることはできない。そこで、テーマパークを経営している友人に、よくあるホラーハウスのようなものを装って、人体実験の素材を頂けないかと提案した。人道を外れていることはわかっているが、友人も多くの人を笑顔にしたいという願いを持っている。そして、そのためであれば多少の犠牲も厭わないと言ってくれた』」
「春乃……」
「よしよし。怖くないで」
岸の手を握ってぷるぷる震える日葵を、岸はそっと抱きしめる。俺の背中でぶるぶる震えて「うぇえええ……」って泣いてるクソも引き取ってくれ。もうデケェ赤ちゃんじゃねぇかこいつ。ミルク出そうな乳してるくせに本人が赤ちゃんってどういうことだコラ。今のは最低なセクハラ。
「『一度に40名。何も知らずにここへ連れてこられた彼ら彼女らには、それぞれ最後の憩いとして病室を用意した。もっとも、そこにたどり着けるかどうかは別の話だが……』」
「それ、私らの病室が用意されてるってこと?」
「そこに何かあるかもな。動けるか? 二人とも」
「無理」
「私は、大丈夫」
「おい。日葵が大丈夫って言ってんだからお前も大丈夫だろ」
「いーやーだー! 怖いもんは怖いもん! 私は行かないわよ!」
「まぁ俺が背負ってるから強制連行なんですけどね」
「うえーん! 日葵助けてー!」
「恭弥。光莉が落ち着くまで待ってあげてもいいんじゃない?」
日葵は私が守るとか普段から言ってるくせに、自分が追い詰められたらこれだ。情けない。俺も日葵は絶対守ると誓ってるが、自分が追い詰められても日葵に助けを求めることはない。絶対に千里に助けを求める。あいつなら俺のために死んでもいいだろうからな。
まぁ、仕方ない。日葵がそういうなら少し休んでから行こう。正直なところ、脱出の糸口が見つかったからすぐに病室へ向かいたいが、急いでも仕方ない。それにこんな精神的にぐちゃぐちゃな朝日を連れて行ったら、化け物を見るたびに叫んでしまって俺たちはすぐに見つかってしまう。
あれ、そうなったら朝日を捨てたらよくね?
「しゃーねー。三階は何も出てこないし、ちょっとここで休んでから」
『院長先生が三階手術室に現れました』
時が止まったかのように、俺たち全員の動きが止まる。三階、手術室、院長先生。俺たちがいるのは三階で、俺たちがさっきまでいたのが手術室で、今いるのが院長室で。
「……『この日記を読んだ君は、すぐに病室へ向かうといい。そうしなければ日記を読まれて恥ずかしくなった私が、君を迎えに行くだろうから』」
「なんでそれ今読むのよ! 早く逃げるわよ!」
朝日に馬を扱うように叩かれて、院長室を飛び出る。そのまま手術室とは逆方向にある階段へ向かおうとしたが、好奇心が勝ってちらっと手術室の方を見てみた。
手術室前、廊下。生き残っている明かりの下に、それはいた。
真っ白な肌、これは外国の人のような白ではなく、ペンキをそのまま肌に塗りつけたかのような真っ白。目は黒で塗りつぶされており、赤黒く染まった白衣の下には、つぎはぎの体が見える。
そして、その右手には誰かの腕が握られていた。
「岸、日葵。先に行け。俺は後ろを走る」
「え、どないしたん?」
「絶対後ろ見るな」
「ちょっと氷室。どうしたの?」
「朝日。もしもの時は俺と一緒に死んでくれ」
「あんた真剣な顔と声でそういうこというとちょっとドキッとしちゃうからやめなさい」
「光莉?」
「ひぃ」
日葵と岸に前を走らせて、その後ろを朝日を背負った俺が走る。後ろから足音は聞こえないが、あんなとんでもなく不気味なやつ、足音が聞こえてなくたって距離を詰めてきそうだ。
『君たちは、Dゲートからきた子たちだよね? それなら、六階に行くといい。そこに君たちの病室がある』
放送に乗って、不気味な男の声が聞こえてきた。完全に俺たちに向けての言葉。なんだこれ。迎えに行くって言ったり、俺たちの病室を教えたり、何がしたいんだ? もしかして病室に行ったら詰み、みたいなことにならねぇよな?
「ろ、ろろろろろろろろ六階よ! 六階に行きなさい!」
「クッソ、罠じゃねぇよなこれ!」
「わからへん! でも行くしかないやろ!」
「いつ襲ってくるかわからないもんね。急ごう!」
全員で頷いて、一人は号泣して、階段を一つ上ったその時。
後ろから、べちゃべちゃと高速で何かが動く音が聞こえた。そんな音がすれば振り向いてしまうのは当然のことで。
振り向いた俺たちが見たのは、さっきの院長先生らしき化け物が、首を90度傾けて、凶悪に笑いながら俺たちに向かって走ってきている姿だった。
腰が抜けた日葵を岸が即座に支えて背負い、俺はすぐに前を向いて白目になった朝日を背負いながら階段を駆け上がる。
幽霊とかお化けとか怖くないって言ったけど怖ぇよあれ。なんだよあの足音。血の海を走ってるみたいな音。首も90度傾ける必要ないだろ。絶対走りにくいじゃんあれ。なぁ、なぁ!
「岸! 六階までノンストップで駆け上がる! いけるか!?」
「日葵背負ってて無理なんて言われへんやろ!」
「確かに!!!」
普段の俺では考えられないほどの速さで階段を駆け上がる。人間の本気が窮地にこそ発揮されるっていうのは本当だったらしい。後ろからべちゃべちゃ聞こえるから、余計足に力が入る。
「六階! 岸は右で、俺は左を見る!」
「私らの名前がある病室見つけたら報告やな、了解!」
六階に上がると、ほぼ一本道の廊下に出た。誰もいない、一本道の廊下。ここにいたはずの参加者はどうなったんだろうか。もしかしたらその参加者はすでにやられていて、その参加者を殺した化け物がどこかにいるかもしれない。
走る、とにかく走る。べちゃべちゃという足音が近づいてきているのは気のせいだろうか。きっと気のせいじゃない。確実に、あの化け物は距離を詰めてきている。早めに病室を見つけないと、誰かがやられる。
そうして焦る俺の目に、ある病室の表札が飛び込んできた。そこには、俺たちの名前が刻まれている。
「岸、見つけた! こっちだ!」
「ナイス! 飛び込め!」
急いでドアを開けて中に入り、岸と日葵が入ったのを確認して、目の前まで院長が迫ってきていたことに絶句しながらドアを閉める。怖すぎる。朝日より怖い。朝日はめちゃくちゃ可愛い気がしてきた。そりゃそうだろ。あんな化け物と比べたら朝日なんてめちゃくちゃ可愛いに決まってる。
「つ、疲れた。精神的な疲労がすごい」
「……なぁ、これドアの前で待たれとったら詰みちゃう?」
「言うな」
日葵と朝日の口から魂が抜けていっている。この場にいる全員が気づいてるんだ。この病室に何かなきゃ俺たちは終わりだって。
病室は、シンプルな作りだった。6つの真っ白なベッドがそれぞれ2つずつ向かい合うように並べられており、ベッドごとに仕切るためのカーテンがある。ただ、そのうちの1つのベッドはぐちゃぐちゃになっており、あくまで『俺たち』の部屋だってことだろう。
「とりあえず、何かないか探そう。あのドア突き破ってきても不思議じゃねぇ」
「そやな。っていうても、間違いなくあれやろうけど……」
岸の言葉に小さく頷く。
病室の中央。そこに、小さなテーブルがあった。その上には『D』というタグがつけられた鍵が一つ置かれていた。
Dゲートの鍵。俺たちがずっと欲しがっていたそれが、目の前にあった。
「他に何かねぇのか……?」
「あかん。鍵以外はなーんにもあらへん。あと日葵と光莉がノックダウン」
「言ってやるな。俺でも怖かったんだ」
岸はよく耐えてると思う。よく見たら顔色が悪いし、絶対に怖くないわけじゃない。ただ、その背中に日葵がいるから怖がってられないんだ。強くてイケメンすぎるだろ。花丸あげちゃう。
なんてふざけてる場合じゃない。ドアの前に院長がいて、対抗手段はゼロ。……ん? いや、そうでもない。
「どうする? 氷室くん。自分が囮になるって言うたらぶっ殺すで」
「ちょっと言いかけてたじゃねぇか。いや、んなこと言わねぇよ。しばらく休んでおこう。大丈夫だ。俺たちは絶対助かる」
「現実逃避ちゃうよな?」
「違う」
ドアを隔てたこの状況。思えば、文芸部部室に突入して、朝日に勘違いされたあの時もそうだった。
あの時も、俺はドアの向こうにいる千里を信じていた。
『──恭弥、お待たせ! 出てきていいよ!』
ドアの向こうから聞こえてきた親友の声に笑って、鍵を手に取りドアを開ける。
そこには、額にお札を貼り付けられて動きを止めている院長、膝に手をついて過呼吸気味になっている井原。
そして、走ったからなのか、頬を紅潮させて笑う千里がいた。
「化け物に貼ったら3分間動きを止めるお札、通路に貼ったら3分間化け物がそこを通れなくなるお札。これを見つけた僕を褒めてくれてもいいんだよ?」
「愛してるぜ、千里」
「いや、まじ、織部はや、すぎ」
「あれ、井原くんやん。うちのメス助けてくれたん?」
「その話はあと! その手に持ってるの鍵だよね?」
「おう。あとはこいつで外に出るだけだ」
「流石親友」
「お前もな」
笑いあってから、走り出した千里の後ろについていく。井原が「え、もう行くの!?」と言っているのは無視。
ふっ、やっぱり俺の親友は最高だぜ。カッコよく助けにきた場面でも相変わらずメスだったが、最高だ。どうあがいてもメスだけど。あとで薫に『千里がメスだったぞ』って送っておこう。
階段を駆け下りて、すぐに一階にたどり着く。こんな状況になっても起きない朝日には苦笑するしかない。日葵も「んぃ? あれ、織部くん?」ってぽやぽやしながら起きたってのに。結婚してくれ。
一階に下り、走り続ける。自然と道を覚えている俺が千里の前に出たのは、以心伝心の適材適所ってやつだろう。俺と千里は通じ合っている。
少しして、Dゲートが見えてきた。
「千里! 俺このゴミ背負ってるから鍵うまく開けらんねぇ! 頼む!」
「了解!」
握っていた鍵を投げ渡し、千里がDゲートの鍵を開ける。井原がバカのくせにお札を全通路に貼っているのを見て見直しながら、一刻も早く出たかった俺たちは井原を置いて外に出た。
瞬間、空気が変わった。思ったよりも精神的にきていたんだろう。体が軽くなり、力が抜けていく。後ろでドサッという音が聞こえたのは、俺が朝日を落としたからだろう。バン! という音はドアが閉まったからだろう。あれ? そういえば井原はどこだろう?
後ろを見る。お尻をさすっている朝日、俺と同じくドアを見ている千里、ほっと胸を撫でおろしている日葵、何かを察して笑っている岸。
そこに井原の姿はなかった。
「……井原は死んだ」
「井原くーん!!!!???」
「惜しい人を亡くしてもうた……」
「ちょっと氷室! 私のお尻と井原、どっちが大事なの!?」
「あ、そうだ。光莉、ちょっと話があるんだけど」
日葵に連れていかれた朝日も死んだ。ウケる。