──ついにこの日が来た。俺が男になる日、五月三日。いつもなら集合場所へ千里と一緒に行くところを、緊張しすぎて気を遣わせては悪いので、先に行ってもらった。今千里は駅前のファミレスで一人待っている。
そう。今日は偶然を装って俺と千里、日葵と朝日の二組が合流し、一緒に遊ぶ日。はっきり言うと千里と朝日が、俺と日葵が会話できるように協力してくれる日だ。
姿見の前で変な格好じゃないか確かめる。
青のジャケットに白のシャツ、黒のパンツとシンプルなスタイル。薫曰く、「兄貴は元がいいんだからシンプルな方が似合うよ」とのことで、一番身近な異性の言うことを信じることにしてシンプルにまとめた。
しかし、こうして見ると俺カッコいいな? 目はキリっとしてて鼻筋通ってて、しかも小顔。質の硬い短めの髪が、オトナでアブナイ雰囲気を醸し出している。もはやこの世最高峰の美と言っていいだろう。
「よし」
自分に気合いを入れて部屋を出て、階段を下りる。下りた先には薫がいて、俺を頭の先からつま先まで見ると、右手でオッケーサインを作った。
「ん。ほんとに元はいいね。今日はデート?」
「んー」
靴を履いて、ドアに手をかける。そして少し振り向いて、イケメンすぎる笑顔を薫に向けた。
「俺が男になる日、かな」
「あと何回聞くんだろーね、そのセリフ」
いってらっしゃい、という愛しの妹の見送りを背に、俺は勇気の一歩を踏み出した。
「一名様ですか?」
「いえ、待ち合わせしてるんで」
猫を被った完璧スマイルを披露して、窓際の方にいるという千里の姿を探す。あんな女顔はすぐに見つかるので、待ち合わせの時は便利だ。
いつものように、千里はすぐに見つかった。軽く手をあげて声をかけようとしたところで、千里も俺に気づいて手をあげる。
そして、もう一つ、お互いに気づいた。
千里の服装。青いジャケットに白のシャツ、黒いパンツ。俺のピシッとしたやつとは違って少し緩いが、これは、その、あれだ。
「──マジかよ」
「恭弥。僕は今日ほど君と仲がよかったことを後悔した日はない」
ペアルック。しかも上半身だけなんていうちゃちなもんじゃない。上下完璧に色を揃えた、誰がどう見ても『そう』としか見えないペアルックだ。俺本当にこの格好で千里と同じテーブルに座んなきゃいけないの? もう既に何人かが俺たちのこと見て「ペアルックだー」って言ってるの聞こえてるよ?
流石に現実逃避をしてここから逃げ出すわけにもいかないので、千里の正面に座った。そのまま二人して窓の外を眺め、同時にため息を吐く。
「終わったな」
「うん。せめて中にきてるものの色が違ったら脱げばよかったんだけど、全部一緒はチェックメイトだ。ごめんね恭弥。僕がこんな服着てきたばっかりに」
「いや、千里のせいじゃねぇよ。ここは俺と千里の友情を確かめ合えたってことで、前向きに捉えよう。それに、まだ手はあるはずだ。なんとか近くに服売ってるとこないか探して、それで──」
「あらあんたたち偶然ね。ゴールデンウィークでも二人で遊ぶなんて、随分仲、が……」
聞こえてきた朝日の声に天を仰いでから振り向いた。
そこには黒を基調とし、白いラインが入ったパンツにオレンジのナイロンパーカーの今すぐに喧嘩を売ってきそうな服装をした朝日。
そして、白のワンピースに暗いオレンジのカーディガンを羽織った天使がそこにいた。隣に立つ朝日がもはや土にしか見えないくらいの光を放ち、あまりの眩しさに一瞬脳が揺れ、幻なんじゃないかと一度きつく目を瞑ってから開く。
やはり天使がいた。
その天使は、俺と千里を交互に見て、悲しそうに、気まずそうに目を逸らすと、朝日の服の端を掴んで「邪魔しちゃ悪いから……」と可愛すぎて死にそうになるくらいバチボコに刺激的な声を絞り出す。
そんな天使日葵に朝日は一瞬だらしなく表情を緩ませるが、日葵に見られないうちにキリっと表情を引き締めて、千里の隣に座った。
「せっかくだし、一緒に食べましょ。日葵も、
──そうか、お前が神だったのか。少々強引な気はするが、こうなると日葵は座らざるを得ない。それも、俺の隣に。俺の隣に!
日葵はしばらく悩んだ後、俺の顔も見ずにそっと隣に座る。俺の顔も見たくないのだろうか。俺の顔を? 顔はいいのに? むしろ容姿しか自信がなくて困ってすらいるのに?
いや、でもいい。朝日が強引に座ってくれたおかげで、俺と千里のペアルックがうやむやになった。最初ペアルックだとわかったときは地の底に沈むほどの絶望を覚えたが、今となっては笑い話。
「光莉、やっぱ悪いよ。二人とも、ペアルックで出かけるくらい仲いいんだから」
何が笑い話だクソが。笑ってみろよ。今の俺のこの絶望的状況を笑ってみせろよ! 最悪だ! 好きな女の子に男同士のカップルだって勘違いされた挙句、更にペアルックで出かけるほどのステージに上がってると思われてる! 俺はこの先どうやって生きていけばいいんだ!
「ペアルックなのはどうせ偶然よ。こいつら、付き合ってるって勘違いされるくらい仲いいんだから」
朝日。俺日葵がいなかったらお前のこと好きになってたよ。
すごくない? 俺たちのペアルックにフォローを入れつつ、「こいつらは付き合ってない」って勘違いを否定しにいく言葉。それを今の一瞬で生み出したっていうのか? さてはこいつフォローの達人だな? 俺の親友は俺の正面で頭を抱えてるってのに。この役立たずが。
朝日の言葉に対する反応を見たいが、日葵をまともに見れるはずがない俺は頭を抱える千里を見つめるばかりである。こいつほんと髪さらさらだな。ほとんどケアしてないっていうのにこの艶、このさらさら感。この前薫が「千里ちゃんずるい」って嫉妬してたのも頷ける。
「ほら、その、すごい熱い視線送ってるし」
あーあ。あーあ。やっちゃったよ。日葵を見れないことが裏目に出たよ。千里に熱い視線送ってるって勘違いされちゃったよ。千里も顔上げて俺をびっくりした目で見ちゃってるよ。
違うからな? 俺は日葵を見れないだけで、お前に熱い視線送ってたわけじゃないからな? 仕方なくだ。窓の外眺めるなんて失礼にもほどがあるから、仕方なくお前を見るしかなかったんだ。
「……もうさっきから謝ってるじゃないか。偶然ペアルックになってごめんって。そんなに怒らないでよ」
役立たずなんて言ってほんとごめん。そうだ、千里もフォローの達人なんだ。千里と朝日がいれば俺は今日日葵と話すことができる。輝かしい未来への一歩を踏み出すことができる。
ここで俺が返事することで、『偶然ペアルックになった』という事実が完成する。まずはそこの勘違いを解消するところからだ。
「ほんとだよ。ほとんど同じ格好したやつがいて、それが千里なんてマジでびっくりしたわ。まぁ悪い気はしねぇ、ん、だけど」
「おい」
「おい」
やっちまったぁ!! ほんとに悪い気はしないから悪い気はしないって言っちまった!! 千里と朝日から「おい」って思わず言われちゃうほどやらかしちゃった! これじゃ『偶然ペアルックになった』んじゃなくて、『偶然ペアルックになったけど、俺たち通じあってるね。えへへ』じゃねぇか!
俺はバカだ。クソ野郎だ。これだけフォローされておいて、自分の手ですべてを台無しにする男。あれ、すべてを台無しにする男ってカッコよくね? カッコよくねぇよ。なんだそのクズ野郎。今すぐ死ね。クズ野郎は俺だ。じゃあ今すぐ死のう。
「光莉、やっぱり私たち邪魔だよ。違う席いこ?」
「あ、ちょっと」
日葵が立ち上がる。朝日が心配そうな目で俺を見た。朝日は優しいな。失敗した俺を心配してくれるなんて、本当にいいやつだ。きっといい相手見つかるよ。俺は日葵一筋だけど。
「……」
そして、千里は黙って俺を見ていた。いつもは穏やかな目を細めて、何も言わず、引き留めようとする様子もなく、ただ見ていた。
やっぱり、こいつは俺のことをよくわかってる。偶然ペアルックになるのも当然だ。ここで、今ここで、無理やりにでも俺が日葵を止めなきゃこいつは俺が日葵と話す機会を失うってことをわかってるんだ。実際、俺は今日一日日葵と話せる気がしなかった。あまりにも可愛くて、綺麗で、輝いて見えたから。
親友の無言の後押しに答えなきゃ、親友でも男でも、氷室恭弥でもない。
「日、葵」
絞り出した声は、ひどく情けない声だった。いつものように人を煽ったり、バカにしたり、ふざけたりしている時のような軽い調子の声ではなく、震えて、人に届けるようなものじゃない搾りカスのような声。
日葵の背中に向けて放った声に、日葵が肩を震わせて立ち止まった。
「あー、その、なんだ。……久しぶりに、一緒に飯食わねぇか」
頬を掻きながら、不器用に言葉を紡ぐ。色気の欠片もない、女性への誘い文句としては0点の言葉の羅列。
でも、これが今の俺の限界だった。真っすぐ日葵を見ることができず、横目で見ることしかできないへたれの俺の、最大限。
そんな俺の最大限は、日葵に届いた。
「……うん、わかった」
日葵が振り返った瞬間に目を逸らすと、日葵がまた隣に座る。心なしか、さっき隣に座った時よりも距離が近い気がして、顔が熱くなった。俺はこんなに純情だったのかと自分でも驚きながら、恐る恐る横目で日葵を見た。
「お」
「あ」
お互い横目で、目が合った。慌てて目を逸らし、熱くなった顔を手で扇いで冷ます。
今日葵俺のこと見てたよな? すごくない? 日葵が俺のこと見てたぞ。父さん、母さん、薫。日葵が俺のことを見てくれた。俺、やったよ。しかも会話できたよ。あれを会話って言えるかどうかは微妙だけど。でも俺やったよ!
心の中で自分の奮闘に自分自身で心を打たれ噛みしめていると、目線を逸らした先にいた千里が、『がんばったね』と口パクで俺に伝えて、穏やかに微笑んだ。
お前さては、メインヒロインだろ。可愛さと尊さの化身かよ。
しかし俺には日葵がいる。千里のヒーローは他の誰かに任せることにしよう。
『ありがとな』と口パクで伝えて微笑みで返すと、千里は歯を見せて笑った。
朝日がドン引きした目で俺たちを見ていた。