成人の日、俺はセンパイに呼び出された。「大人にしてあげるよ」なんて嘯かれて。

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私煙

「成人っぽいこと、しようか」

 

「いきなり何言い出すんだアンタは」

 

 上目遣いでよくわからんことをのたまい始めたセンパイの頭を疑いながら、グラスに口をつけた。相変わらずこの人の作るスクリュードライバーは濃い、これでよくバーテンダーが務まるなと首を傾げる。

 

「いやだって、成人式なくなっちゃったんでしょ? 勿体ないじゃん?」

 

「まあ、それはそうなんすけど」

 

 急に部屋に呼び出されたと思ったら、そんな気遣いがあったのか。なくなった経緯を考えれば、軽率な行いだと非難を受けるかもしれないけれど。俺は、素直に嬉しかった。

 

「よし、じゃあ早速しよっか」

 

「だから何を?」

 

「大人にしかできないこと、だよ」

 

 耳元でのウィスパーボイスはやけに甘く響く。上目遣いのセンパイは、ピンクのリップを妖しく歪めて髪をかきあげた。ごくりとオレンジ風味の唾を飲む。

 

「それはつまり、そういった行為ですか?」

 

「そう、そういった行為。もう箱も買ってある」

 

「は、箱を」

 

「そ。だから遠慮せず吸ってくれていいんだよ?」

 

「す、吸うんすか? 吸われるのが好きなんですか?」

 

「まー、あたしも吸うしね」

 

 妄想たくましくしていると、先輩はビニール袋から箱を取り出した。群青で長方形のそれは、見覚えはないけど知っているものだった。

 

「…………タバコ?」

 

「そそ。成人と言ったら、やっぱりこれでしょ?」

 

 酒、煙草の二本柱は外せないよねーなんてイタズラっぽく笑って、センパイは箱を弄ぶ。どうやら見透かされていたらしい、酔いのせいか頬が火照った。

 

「ってかセンパイ、タバコ吸ってたんすか?」

 

「あたし結構な愛煙家なんだけど、知らなかった?」

 

「うっす」

 

 意外というほどではないけど、そんな素振りを見た覚えがなかったのでビックリした。いつも香水の匂いが濃いのは、案外ヤニの香りを隠すためだったのかもしれない。

 

「煙草には明るくないんですけど、それは……」

 

「んー? メビウス・プレミアムメンソール・オプション・パープル・5」

 

 念仏みたいな答えが返ってきた。何も分からないけど、メビウスって名前には流石に聞き覚えがある。それの一種らしい。

 

「酒でいえば氷結みたいなもんだから軽いよ」

 

「いや、初飲酒で氷結は重い人いるでしょ」

 

「同じ同じ、5以下は空気」

 

「ヤニカスめ……」

 

『氷結はジュース』のイントネーションだった。

 

「センパイ知ってるでしょ、俺が煙草嫌いなの」

 

「知ってるよ、だから喫煙者なの隠してたんだし」

 

 でも吸うんでしょ? 見透かしたような瞳でそういった。俺は、小さく頷く。嫌悪と憧憬は、相反しない。

 

「結構吸いやすい奴だから安心してね」

 

「飲みやすい吸いやすいは一種の詐欺の手口だと思っているので、しっかり覚悟しときます」

 

「それでよろしい。ほれ」

 

 何故かセンパイは誇らしげに箱を投げた。片手でキャッチして、パッケージをまじまじと眺める。まあ、綺麗なもんである。開くとメントールみたいな香りがした。一本分の隙間に指を突っ込んだ。思っていたよりも太く見えたのは、俺が大人になりきれなかったからか。

 

「よし、持ったね?」

 

「うっす」

 

「それじゃあ初喫煙……の前に外行こっか」

 

 部屋ん中ヤニ臭くしたくないからね、センパイはピアスを揺らして笑った。

 寒気に震えながら踵を直すと、「ほら、早く早く」と肩を叩かれる。やけにぬくい感じがした。

 

「ほれ、ちゃんと被りなっ」

 

 黒いヘルメットを投げられた。珍しく飲んでないと思ったらそういうことか。「ジャケット取りに行っていいっすか」と聞いてみる。ぶおんとエンジンを吹かされた。

 

 

「さむ……!」

 

「あとであっためてあげるから耐えなさい」

 

「マジで信じてますからね、その言葉」

 

 センパイについて階段を上る。何が面白いのか彼女はくすくす笑って、ペースを早めた。

 

「そういうとこ子どもっぽいっすよ!」

 

「いいよー、ずっと子どもで!」

 

「酒もタバコも嗜めませんよ!?」

 

「その時だけ大人だ!」

 

「なんじゃそりゃ!」

 

 とかなんとか叫んでいるうちに、階段は終わった。芝を踏み締めて、徐々に薄くなる電灯の方へと進んでいく。丘からは、当然のように夜景が見えた。田舎町のなんてたかが知れてるけれど、まあ、悪くない。

 

「よし、じゃあ煙草を出しなさーい!」

 

「思ったんすけど、ここまで来るなら別に部屋で箱開ける必要なくなかったっすか?」

 

「や、それはなんというか……ノリ?」

 

「あんたの行動は十割ノリだな!」

 

 ポケットから取り出した煙草は冷たい。センパイの手は早くて、もう美味そうに煙草を吹かしていた。

 

「ライター、借りていいっすか」

 

「つけてあげるよ、動かず咥えといて」

 

「ん」

 

 キス待ちに近い顔になってるんだろうなー、恥ずかしいなーなんて思いながら先輩を見る。ニヤリと性根の腐った悪魔みたいに笑ったかと思えば、こちらに詰め寄って、火の点いた煙草を、冷えた先端に付ける。思考と体が固まっているうちに、煙が二股に分かれた。何も考えずに呼吸したせいで、肺に異物が大量混入して噎せた。

 

「あらら、大丈夫?」

 

「あんたのせいでしょうが!!」

 

「火をつけてあげただけでしょうが」

 

 センパイは、分かりきったようにニヤニヤ笑う。シガーキスと言うのだったか、そんなオシャレでドキドキすることされたら、呼吸も心も乱れるに決まっている。

 

「んで青年、初煙草の味はどうだい」

 

「……よくわかんなかったんでもっかい吸います」

 

「はいはい」

 

 軽く息をした途端に噎せ返るような、鼻につく独特の匂い。変に香ばしいのがむしろ気持ち悪いし、それをこれから体に取り入れるのだと思うと怖いが、興味が勝った。フィルターに口をつけて、静かに吸う。三秒くらいそうして、ゆっくりと吐く。灰の中を汚い空気が循環している感覚がある。ブルーベリーはよくわからなかったけど、メンソールみたいな微妙に爽やかな“誤魔化し,,は感じた。

 

「どう、美味しい?」

 

「や、不味いっすよ」

 

 そう言った割に、今度はすんなり煙を取り込んだ。これが依存の第一歩なのだろうか、なんて思った。自分の口から煙が出てるのが妙に面白くて、誤魔化すように笑う。胸が少しだけ苦しいのはニコチンだかタールだかのせいなのか、それとも小さな罪悪感か。肺が汚れる実感も、妙に冴えてくる思考回路も、目の前のヒトの見透かすような瞳に絡め取られてしまう。

 

「サマになってるよ?」

 

「そりゃどうも、葉巻の似合う男に憧れてたもんで」

 

 先端をぽんぽん叩いて灰を落とす。ライダースーツで紫煙を燻らす、赤メッシュのカッコイイ女に言われたくない。

 

「あっ」

 

 彼女が指揮者のように手を振り上げると、燃え尽きた煙草が夜景の中に吸い込まれていく。火は消えていたはずなのに、煙の軌跡が見えた。

 

「ポイ捨て、ダメ、絶対」

 

「手が滑っちゃったのよ」

 

 舌のピアスを覗かせて、センパイは夜景を見た。ほう、と白い息を漏らして滔々と語る。

 

「ワイン樽に泥水を一滴垂らしたらさ、それはもうワインじゃなくて泥水になるって言うじゃん」

 

「言いますね」

 

「でも夜景に一本煙草を投げても、夜景は夜景のままなんだよねえ」

 

「そうっすね」

 

「じゃあ身体に一本煙を入れようが、身体のままだからよくない?」

 

「ヤニカスの暴論じゃん」

 

 とんでもないことを言い出したものである。どこまでいけば綺麗な身体じゃなくなるか、テセウスの船よろしく試してみてほしい。

 

「酒も煙草もそうなんすけど、多分綺麗じゃないんですよ。愛とか勇気とか献身とか慈愛とか、世の中の理想的なものと比較して。だから煙たがられる、みんな綺麗好きだから」

 

「普通の人って意外と潔癖だからね、どうでもいいところで」

 

「処女信仰にも近いっすよね」

 

「まあ、肺が黒くなろうが肝臓が硬くなろうが、穢れなき清らかな乙女だし、あたしも捨てたもんじゃないな」

 

「センパイはいつだって綺麗っすよ」

 

 いつだって、キラキラ輝いている。なんで日陰の俺に構ってくれるのか、わからないぐらいには。

 

「お、なに? いっちょまえに口説いてくれてんの?」

 

「生娘が、調子に乗らないでくださいよ」

 

「うっせ、童貞」

 

 笑い方はぎこちなくないだろうか。動揺は漏れていないだろうか。取り繕うように「もう一本、いいですか」と聞く。

 

「初めてで三本は吸いすぎだよ」

 

「センパイは何本吸ったんですか?」

 

「五本だったっけな、飲んだあとだったから回りが速くてキツかった覚えがあるわ」

 

「うへえ、ヘビースモーカーの片鱗」

 

「だからここは、あたしの顔を立てると思ってやめときなさい」

 

「へいへい」

 

 そう言いつつ自分はもう一本吸い出すのだから、流石という他ない。一息おいて、カモをひっかける時の詐欺師みたいに口元を弛めた。

 

「おすそわけ、してあげよっか」

 

 デジャブだった。先刻と同じように重なった。違うのは、今回は隔てる棒がないってことだけ。永遠に近い一瞬の後、どちらからともなく離れる。凍えるような一陣の風が吹いた。

 

「ちなみに、これも初めて、って言ったらどうする?」

 

「──嘘つけ、って」

 

 煙の嫌な匂いと、微かな果実の味。それだけが、いつまでも口の中に残っていた。

 


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