日本一幼女に厳しいゲームから妹を救いたい 作::-)
半ば現実離れしたその光景を私は呆然と眺めていた。
「うーん、やっぱりこれ重いなぁ。まぁいいや」
呟きながら、こともは手に持っていた大きな鉄パイプから手を離した。赤い液体を滴らせながら重力に従って地面に落ちた凶器が、甲高い音を鳴らしながら私のすぐ真横を転がる。
そのままこともは力無く私に覆い被さっている男の両肩を掴むと、「よいしょ」という気の抜けるような掛け声と共に男も先程の鉄パイプのように転がす。成人男性の重みからようやく解放された私の目に飛び込んでくるのは、クリっとした二つの可愛らしい瞳。
「本当に……こともなの?」
「えへへ、ちゃんと本物のわたしだよ。もしかして偽物にでも会った?」
目の前で私を見下ろしているこの少女の存在がどこか浮世離れしていて、思わず問いかけてしまう。
家族が全員どこかに連れ去られて、正体不明のお化けの住処となっている廃工場を真夜中に脱出しなければいけないこの状況。
にも関わらず、こともはいつもと変わらずどこか掴みどころのない態度で私の目の前に現れた。
邪な感情など一切感じさせない朗らかな笑み。どこか達観したような、それでいて仄かに子供らしさも感じさせる言葉遣い。どれも私が知っている普段通りの妹の姿。
精神的にかなり追い詰められた私とは対照的に、こともはこの状況をまるで気にしている様子が無かった。
「それよりお姉ちゃん、怪我してるでしょ! 早く手当てしないといけないよ!」
「え? うっ……!」
こともに言われるがままに左腕に向けた私の視線に映るのは、赤く染まった制服の袖。続くように鈍い痛みが左腕に走り、思わず顔を顰めてしまう。
そういえば、あの男に左腕を切られていた。
左目の痛みに比べれば全然平気だけど、どうもこともにそんな言い訳は通用しないらしい。
「もう! 少しは自分の事も気にしてよ。あ、ちょっと沁みるかもしれないけど我慢してね?」
「あっ、ちょっと待ってことも私は大丈夫だから──ぃッ!?」
抵抗しても無駄だと言わんばかりにこともは私の左腕を押さえつけ、手にはポシェットから取り出したであろう水筒が。ヒンヤリと冷たい水が傷口に染み渡り、思わず声にもならない悲鳴を上げてしまう。
相変わらずあんなに小さくて可愛らしい体から発せられる腕力とは思えない。
そもそも小学生の妹にすら負けるほど貧弱な私もどうかと思うけど。
「はい、よくできました。頑張ったねお姉ちゃん」
「うぅ……せめて心の準備ぐらいさせてくれても良かったのに……」
傷は予想以上に浅かったのか、すでに血は止まっていたみたいだ。
こともが優しく頭を撫でてくれているおかげで痛みも引いていくけど、これじゃあどっちが姉なのか分からない。
──私の方が年上なのに……お姉ちゃんなのに……。
私の中で姉としての尊厳がどんどん失われている気がして、余計目に涙が滲んでしまう。
「……ありがと、ことも」
「どういたしまして!」
それでも膝から顔を上げ、弱々しくも感謝を告げる。こともは一瞬キョトンとした表情を浮かべるも、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
久しぶりに感じられる姉妹らしいやり取り。
どこか重苦しかった気持ちも幾分か晴れる。
「こともッ……!」
「わぷっ」
だから私は遠慮なく妹の背中に手を回すと、力一杯その小柄な体を抱きしめた。こともも突然の事に小さく声を上げるも、「しょうがないなぁ」と呟きながらされるがままになってくれる。
子供らしく暖かい体温。
家族の温もりが全身を包み込み、目の前の妹が紛れもない本物だと教えてくれる。
「本当にこともだよね? 本当にそこにいるのよね?」
「……そうだよお姉ちゃん。わたしはちゃんとここにいるよ」
「ことももよまわりさんに連れてこられたの?」
「うん。お父さんとお母さんとポロを探しに行ったらすぐ見つかっちゃって。まだ夕方にもなってないのによまわりさんが出てきてビックリしたなぁ」
まただ。
こともも同様に、夜になっていないのにも関わらずよまわりさんに誘拐されている。
本来であれば夜になるまで──暗闇が訪れるまでお化けは姿を現さず、生者に危害を加える事もできない。それはよまわりさんとて例外ではないはず。
しかしよまわりさんはあろう事か数少ないこだわりとも言える「夜に出歩く子供を攫う」という『ルール』を破ってまで、私たち姉妹をこの廃工場に連れてきた。
正体不明のよまわりさんであっても、この行動はおかしいと言わざるを得ない。
「それで気がついたらこんな時間になってたの」
「なら、どうして私がここにいるって分かったの? こんなに広い工場なのに」
「それは……えへへ、
「なんとなく……」
末恐ろしい妹の勘の鋭さ。
けれど、妹に何度も行動を読まれた経験がある私にとって、こんな馬鹿げた理由でも妙に納得できてしまう。
「それでもありがとう、こともだけでも無事でいてくれて……私のせいでこともまでいなくなったと思って──」
「お姉ちゃんのせいじゃないよ! わたしはお姉ちゃんを助けたくて自分の意思で外に出たんだから。きっとお姉ちゃんだって同じ事をしてたと思う」
「でも……」
「でもじゃない! 自分の事を悪く考えるのはお姉ちゃんの悪い癖だよ?」
「うっ、痛い所を突いてくるわね……別に私のネガティブ思考は──」
頬を膨らませながら腰に手を当ててプンスカ怒っていることもに反論しようと私も頬を膨らませたその時。
「ぐッ……うぅ……」
足元から発せられるうめき声。
咄嗟にこともを庇うように抱き寄せるも、その声の持ち主──地面に倒れていた男は何度か身じろぐと、再び力無く地面に横たわった。
よく見れば胸も微かに上下しており、少なくとも息絶えた訳ではない。
「生きてたんだ……良かった……」
男の無事を確認し、思わず大きく胸を撫で下ろした。
いくら正当防衛とはいえまだ十歳にすらなっていない妹に人殺しの業を背負わすなどあまりにも残酷すぎる。
そして、その辛さはかつてお母さんを見殺しにした私が一番よく知っている。
「とりあえずこの男の人が逃げないようにロープか何かで縛って──ことも?」
辺りを見回す私を他所に、こともはフラフラと私の腕の中から抜け出す。
「ん、よいしょ……っと」
まるで荷物が沢山入ったランドセルを持ち上げるように、こともは何かを掲げた。
月明かりに照らされて妖しく光るその物体。長い年月により赤茶色に錆びついたそれは、おそらく私でも持てなさそうなほど太く大きい鉄パイプ。
そしてこともは、その手に持った鉄パイプを男の頭目掛けて振り下ろす──
「何してるのことも!?」
寸前で私は慌てて妹に飛びつき、振り下ろされた鉄パイプは辛うじて男の頭を外してガン!と鈍い音を響かせる。
あまりにも自然な動きで思わず反応が遅れてしまったけれど、今もしかして妹はとんでもない事をしようとした?
「お姉ちゃん、どうしてその人を助けるの?」
心底意味が分からないと言わんばかりに小首を傾げることも。先程浮かべていた笑みはいつの間にか能面のような無表情に覆われ、消えている。
その光景に、自分の背筋が震え上がるのを感じる。
今の鉄パイプが当たっていたら、男は確実に死んでいた。今度こそ頭蓋骨を砕いて脳髄を潰す、情けも容赦もないまさに
それをこともは何の躊躇もなく実行していた。
「ことも、私はもう大丈夫。だからそんなに簡単に人を傷つけようとするなんてダメ」
「でもこの人、お姉ちゃんを傷つけたんだよ? 悪い人ならちゃんと
「たとえどんなに悪い人でも、人を傷つけていい理由にはならないの。もし今こともがやろうとしている事をやってしまえば、こともはこの人と同じになっちゃうよ? 私はこともがこの人と同じになるのは嫌だと思うなぁ」
「……はい」
この男は確かに殺人犯でいわゆる『悪い人』だ。やった事は到底許される事ではないし、罰を受けなければいけない。
でも、その罰を下すのは私たちじゃない。
この人は然るべき人たちの手によって然るべき処罰を受けるべきであって、そういった事について何も知らない私たちが罰を下す理由も権限もない。
私怨でこの男に罰を下せば、それこそこの男と同じになってしまう。
こともも私の言葉に納得してくれたのか、渋々といった様子で凶器から手を離した。
「こともは私の事を守ろうとしてくれたのよね?」
「……うん」
「ありがとう、ことも。その気持ちだけで十分嬉しい。でも、後はお巡りさんに任せよ?」
その言葉と共に、凍えるほどの無表情を浮かべていたこともにようやく笑顔が戻る。
でもその笑顔にどこか影が見えたのは、果たして私の気のせいなのだろうか。
⭐︎
「誰もいないね。まだよまわりさんと山の神が戦ってるのかな? テレビみたいで凄かったなぁ」
倉庫の中で見つけたロープで男をぐるぐる巻きの芋虫にした後、恐る恐るといった風に扉から外を覗く私とは対照的に、こともは遠慮なく扉を開いて外へと出た。我が妹ながら図太すぎる。
「テレビでよく見てるもんね、ことも。もうちょっと可愛いのも見ればいいと思うけどなぁ」
「えー。お姉ちゃんだって一緒に魅入ってたのに」
「わ、私は違うよ! えっと……そう! 俳優さんがかっこいいから見てるだけよ!」
「でもお姉ちゃんはそういうのに全然興味ないでしょ。『あいどる』の雑誌より料理の雑誌を見る方が好きって自分で言ってたよね?」
「この子はこういう時だけ記憶力が良いんだから……!」
まさか中学生にもなってこともが見てた番組に胸がときめいたなんて口が裂けても言えない。
元の時代だとことものお世話でそういうものに触れた事なんて無かったから……子供と一緒に見てるうちに一緒にハマってしまう全国のお父さんお母さんの気持ちが分かった気がする。
「私だってそういうのに興味はあるわよ! 私もいつかは良い人と結婚して家を出て家庭を築くんだから」
「えっ……?」
「ことも、お願いだからそんなビックリした表情をしないで。いくらお姉ちゃんでも傷つくよ?」
私だって将来はお父さんみたいな優しい人と結ばれて、こともみたいなしっかりした娘を育てて、お母さんみたいな強い母親になりたい。
将来の夢がお嫁さん、なんて言うつもりはないけど、それでもかつては得られなかった暖かい家庭に憧れはある。
こともはそんな私の言葉に目を丸くしていた。失礼な。
「お姉ちゃんが取られちゃう……」
「あ、そういう事ね」
しかし、どうやらその理由は予想よりも可愛らしいものらしい。
でも逆の立場で考えてみると、私もこともが恋人なんて連れてきた日にはこうなるのだろうか。恋人にかかりっきりで「もうお姉ちゃんなんて知らない」なんて言われたら……だめだ、考えただけで吐き気がする。
「姉離れできない妹に妹離れできない姉、か……私たちってやっぱり似てるのね……」
「お姉ちゃん? 何か言った?」
「ううん。こともは可愛いなぁって思っただけ!」
「もう! えへへ……」
私の呟きは聞こえなかったのか、こともが不思議そうに首を傾げた。なんだか小っ恥ずかしくなってとりあえず頭を撫でてあげると、恥ずかしそうに顔を赤らめながらもされるがままになってくれる。
まるで家にいる時のように穏やかな時間。
これから山の神からお母さんたちを助けに行くとは思えないほど、いつも通りのお喋りに興じる。
どうやらこともと再会できた事で私自身にも少し余裕ができたらしい。こともと一緒ならきっとお母さんたちを助ける事ができる、そんな気がして。
でも。
「じゃあお姉ちゃん。おうちに帰ろ?」
ことものこの言葉で、私の考えが如何に甘かったのかを思い知らされた。
「……え?」
一瞬意味を理解する事が出来なかった。
帰る? 家に? 今から?
あまりにも唐突な言葉に、脳が混乱している。
「もちろんお母さんたちを助けたらみんなで一緒に帰る──」
「ダメ、今すぐ帰るの」
私の言葉を遮るように、こともが断言する。
その表情には先程までの笑みが消え、殺人犯の男を殴ろうとした時の能面のような無表情が貼り付けられていた。
「でも、まだお母さんたちは連れて行かれたままなのよ? 早く助けないと──」
「それでもダメ。もう夜廻りなんてやめよ? 早く帰らないと危ないよ」
「……ことも、怖いのは分かる。私だって怖いよ。でも、お母さんたちを助けられるのは私たちしかいないの。だから──」
「わたしが怖いのは、お姉ちゃんがこれ以上傷つく事なの。もしまたさっきの男の人みたいな人が来たりしたら、今度こそお姉ちゃんは死んじゃうかもしれないんだよ? だからわたしと一緒に帰ろ?」
手を差し伸べることもに、私はゆっくりと首を振る。
「こともはお母さんもお父さんもどうなってもいいの? 二人ともきっとまだ生きてて、私たちが助けてくれるのを待ってるかもしれないんだよ? 家族を助けられるなら、私はなんだってする」
「そんな事関係ないよ。わたしはお姉ちゃんがいなくなっちゃうのが一番心配なの。だからもう──」
無意識に体が動いた。
一瞬自分でも何が起きたのかが分からない。ただ気がつけば私は手を振り抜いたまま固まっていて、目の前で赤くなった頬を押さえていることもの姿があった。
そこで私は生まれて初めてこともを叩いたのだと理解した。
「二度とそんなこと言わないで! 私たちのお父さんとお母さんなんだよ? 関係ないわけないでしょ!」
「
しかしそんなわたし以上に、目の前の妹は声を荒げていた。
目尻に涙を浮かべ、真っ直ぐ私の目を見据えて。
「だって知らないんだもん、お父さんもお母さんも! 結局どこまで行っても、わたしにとってはただの
「こ、ことも……?」
こともの叫びが困惑する私に叩きつけられる。
「待ってことも。一体どういう──」
「わたしも同じだよ、お姉ちゃん。わたしも知ってるんだよ?
殴られたような衝撃が頭を駆け巡る。
つまり、こともも私と同じだった? 私と同じように気がついたら過去にいて、私と同じように過去の記憶を持ってて……。
「でもここはわたしが知ってる世界じゃなかった。お母さんがいて、お父さんも毎日家に帰ってきて、ポロも一緒に暮らしてて、
「ことも……」
「なんでお姉ちゃんばっかり傷つかないといけないの!? なんでお姉ちゃんばっかりが酷い目に遭わないといけないの!? お姉ちゃんはもう十分頑張ったよ! これ以上お姉ちゃんが苦しむのを見る事なんて、わたしはもうできないッ!」
それは、幼い少女がずっと胸の内に抱き続けていた想いだった。
私が家族を助けようと四苦八苦していた裏で、ずっと私を見つめてくれていた、たった一人の妹の願い。
「
大粒の涙を流しながら必死に訴える妹に、私は言葉が見つからない。
「……でも、私はお母さんとお父さんを助けたい。みんなで幸せに暮らしたいから……」
それでもどうにかして言葉を絞り出す。
ここで黙ってしまえば、それこそ取り返しがつかなくなると思ったから。
「わたしはお姉ちゃんまでいなくなる方がもっとイヤ! 今も昔も、わたしにはお姉ちゃんしかいないんだよ……?」
「…………」
もう一度、目の前でこともが手を差し伸べる。
「もう頑張らなくていい」。私が心の奥底で求めていた言葉を、妹が与えてくれようとしている。
この手を取れば、きっと私は楽になれる。
かつての私たちのように、姉妹二人っきりで助け合いながら生きていく事だってできるはず。
「……ありがとう、ことも。でもごめんね、やっぱり私にはお母さんもお父さんも見捨てる事なんてできないよ……」
それでも、私はその手を取る事ができなかった。
「分からないよ、わたしには……なんでお姉ちゃんがそこまでお父さんとお母さんを助けようとする理由が……」
「だって、お父さんもお母さんの事が大好きなんだもん……こともと同じ、大切な家族だから」
これはきっと、私のせいだ。
私がこともにお父さんの事もお母さんの事も話さなかったから。
お母さんについて話すのを恐れたから。
──夜があの子を強くした。
いつかの私は、こともについてそう語った。でもそれは間違いだった。
夜はあの子を強くなんかしていない。
あの子はどこまで行っても、あの寂しがり屋な妹のままだった。ただ夜の中でそれを隠すのを覚えてしまっただけだった。
「分からないよ……お姉ちゃんが言ってる事なんて全然分からないッ!」
顔を歪め、こともは私に背を向けて走り去る。
幼い少女の嗚咽を残響を夜に響かせながら。
「ことも……」
暗い夜に強く輝く月明かりに照らされたまま、私はただ呆然と立ち尽くす事しかできなかった。
ブチギレことも先輩。
彼女にとって今の両親は友達のお父さんお母さんみたいな感覚です。だから姉の事が理解できないんですね。