日本一幼女に厳しいゲームから妹を救いたい 作::-)
──まただ。また始まった。
激痛が走る左目を抑えながら、再び彼女は叩き起こされた。
最近は一度治れば少なくとも数時間は解放されるというのに、枕元に置いた時計を見ればまだ深夜を回ったばかり。最初の痛みから一時間程度しか経っていない。
終わらぬ苦痛に辟易しながらも、彼女は未だに沈黙を守っている頭の中の声を小馬鹿にするように呟いた。
「今夜はしつこいね……いくら言っても無駄なのに……」
しかし彼女の軽口とは裏腹に左目の痛みは増すばかり。
まるで眼球の内側から
それでも彼女は布団で眠る娘の顔を見ればその痛みも不思議と耐えれる気がした。
「ぐっ……ハァ……ともこ……」
気になるのは別室で一人で寝ているはずのもう一人の娘。
自分が初めてお腹を痛めて産んだ我が子であるともこには彼女自身も特別な思い入れがある。
妹想いの優しい長女。たまに妹に過保護すぎる所もあるが、むしろそれほど妹を大切にしてくれているんだと誇らしかった。
そんな娘が母親にとっての一番の心の支えだった。
絶え間ない苦痛で精神が擦り減らされていた彼女は、もう一人の愛娘の寝顔を一目見ようとフラフラと立ち上がる。
やっとの思いで寝室から出ると、壁に手をつきながらもなんとかともこの部屋の前までたどり着く。
一目でいい。
愛娘の幸せな表情さえ見れればどんな苦痛さえ耐えてみせる。
中で寝ているであろう少女を起こさないように、ゆっくりと扉を開けた。
「なっ……」
彼女は痛みも忘れて目を見開かせた。
いない。
ここに寝ているはずの少女がいない。
「どうして……一体どこに……」
『お前の娘はもうこっちに来てくれたよ』
そんな彼女の疑問に答える、あの忌々しい甘美な声。
「お前……! 私の娘をどこに──」
『自分が一番よく分かってるんじゃないのか?』
「どういう──」
『お前が拒むから、代わりに娘の方に来て貰った』
まるで責めるような口調でそう告げる声に、彼女は言葉を失った。
『お前が大人しく来てくれたら、娘は助かったかもしれないのに』
『なのにお前は自分の命が惜しくなって娘を犠牲にした最低な母親だ』
自分を糾弾する声を、娘を失った母親は呆然と聞くしかなかった。
非難する声は次第に穏やかな口調へと変化していく。
『でも大丈夫。今からでも遅くない』
『今からでもこっちに来てくれたら家族全員で幸せになれる。娘とも再会できる』
『だからおいで』
『こっちへおいで』
『おいで』
あまりにも蠱惑的で、しかしあまりにも心地良いその声に。
「……はい」
一人の哀れな母親は頷いてしまった。最愛の長女は頭の声とは裏腹に夜の町へと繰り出しているということなど知る由もなく。
その瞳には既に理性の痕跡は残っていなかった。
⭐︎
「えっほっえっほっ」
まだ闇が深い夜の町を家に向かって走る。
もう今夜の目的は達成した。後はお父さんとお母さんにバレないように家に帰ればいいだけだ。
相変わらず不気味なほど静かな夜の町では、私の決して大きくない足音でも町全体響いているように聞こえた。普段は外で掃除している駄菓子屋のおばさんも、お店の前でタバコを吸いながらこちらを眺める八百屋のおじさんも、みんな自分たちの家に帰っている。まるで今この世界にいるのが私一人みたいで、少し寂しい。
でも、夜はもうお化けたちの時間。私たち人間がそこに行ってはいけないのだからしょうがない。
「こともはこれを毎晩やってたの……?」
正直に言うと、もうくたくただった。
お化けから沢山逃げて、あの電車と女の人に怖い思いをさせられて、それでもなんとか目的地までたどり着いて、そのまま自分の足で家まで帰るなんて。
私がただ体力が無いだけなのか、こともが凄いだけなのか。
でもお姉ちゃんが妹に負ける訳にはいかない。
「まぁ、今の私の方が小さいけど」
背中に重く伸し掛かるポシェットを見ながら、思わず苦笑する。
これじゃあまるで本物のうさぎを私がおんぶしてるみたいだ。
「それにしてもなんだかおかしいような……」
今までずっと頭の中で引っかかっていた事をあえて口に出してみる。
目の前の町に、なんとなくだが違和感を覚えている。
まるで魚の骨が喉の奥に引っかかった時のような、少し嫌な違和感。
でも目の前の夜の町はいつもと変わらず不気味で、静かで、私一人しかいない。
いや、待って──
「お化けがいない……」
あの恐怖の踏み切りを何事もなく走り抜けたところで、私はその違和感の正体に気づいた。
お化けが一人もいない。
ついさっきまでそこら中にいた黒い影も、道の隅っこを歩き回ってた目が見えないお化けも、行手を阻むように立ち塞がっていた大きな蜘蛛のお化けも──みんないなくなっている。
私がいくら来ないでって言っても聞かなかったお化けたちが急に消えてしまう事なんて、以前の記憶を含めてもなかった。それに、時間は分からないけどまだまだ夜は続くはず。喜ぶべきなのに、それ以上に不気味さを感じてしまう。
いても不気味でいなくなっても不気味。どうやら私も一夜にしてこの町に毒されてしまったらしい。
「でも、それなら早く帰れる!」
お化けがいないなら隠れたりしなくてもいい。
万が一のために懐中電灯だけはまだ周囲を警戒させながら、私は広い一本道を走る。
ここを抜ければもうお家はすぐそこだ。
やっと帰れる。そんな想いが、私を油断させてしまった。
ズ ズズ
何か布を引きずるような音が聞こえる。
思わず足を止めて後ろを確認するも、そこには何もいない。
ズズズ ズ
違う。この音は後ろからじゃない。
「ッ……!」
咄嗟に懐中電灯を前に向けると、目の前に
ミミズみたいな黒色の体に、そこから何本も生えた腕のような触手。それらは背に三つの袋を背負い、顔に当たる部分には顔の代わりに横に黒い線が入れられた無機質な白い仮面。
「よまわりさん……」
夜出歩く子を攫う。
夜寝ない悪い子をその袋の中に入れて攫ってしまう。
この町のお化けたちも恐れる夜のおまわりさんが私の目の前に立っていた。
一気に身体が硬直する。
かつて私は二度もよまわりさんに攫われた事がある。
一度目はお母さんが拐われた時。あの時は訳も分からず恐怖で泣き叫んで、結局運良くよまわりさんから逃げ出すことができた。
二度目はこともが左目を失ったあの夜に。妹を怪異から遠ざけるためにあえて私はよまわりさんに捕まった。結果的にむしろ妹を怪異と引き合わせることになってしまったけれど。
そしてどちらの時も、私はあの背後にある大きな袋の中に詰め込まれてよまわりさんの縄張りである廃工場に連れていかれた。
今は連れていかれるわけにはいかない。
私にはまだやらないといけないことが残ってる。
「よまわりさん、こんな時間にお外に出かけてごめんなさい。でも、私はもうお家に帰ろうとしてたの。だから許してください」
素直にそう告げるも、よまわりさんは答えない。まるで私を覗き込むようにその体をくねらせて私をじっと見つめている。
他のお化けと違ってよまわりさんのあの白い仮面からは何も感情が読み取れない。怒ってるのか、喜んでるのか、寂しいのか、まったく分からない。
でも今回はなんだか、私を攫おうとしていない気がした。
いつもなら有無を言わせずあの袋に詰め込もうとするのに今回はこちらを見つめるだけでそんな気配はしない。
まるで、何かを伝えようとしてるような──。
「え?」
しかし、よまわりさんは何も言わず、そのままゆっくりと私の前から消えてしまった。
「なんでよまわりさんが……」
分からない。
でも、分からないからこそよまわりさんはその存在を保っている。
だからよまわりさんのことを考えるのはなんだか無駄な気がした。
「早く帰らないと」
何か胸騒ぎがする。
まるで、早く帰らないととんでもない事が起こるような。
そんな気持ちが、走る私の足取りを自然と速めた。
⭐︎
結局あの後もお化けは出てこないまま、私は家の玄関までたどり着いた。
空は未だに真っ暗で、お日様が出るまでまだまだ時間がかかりそうだ。まだ寝ているであろうお父さんとお母さんを起こさないようにゆっくりとドアを開ける。
「わっ……」
キキィという音と共に開くドアに思わず声を上げる。
恐る恐る階段の方を見るも、誰かが起きてくる気配はない。どうやら二階にいる両親には聞こえてないみたいだ。
こういう時はどんなに小さな音でも驚いちゃうなぁ……。
「あ、そっか。これももういらないか」
家に入る前にスカートのポケットに入れっぱなしだった石ころも捨てる。あんなものを持って帰ったらお母さんに怒られちゃうもんね。
ついでに懐中電灯も玄関の定位置に戻しておく。これで私が出かけたことは誰にもバレないはず。
「ただいまぁ……」
誰も答えないと分かっていながらも、なんとなく言ってみる。
お母さんにいつも挨拶は大切だって言われてるからこういう挨拶はきちんとしておきたい。
でも私の予想とは裏腹に──。
「おかえりなさい、ともこ」
「ひゃっ!?」
誰かがいた。
靴を脱いで階段を上がろうとしたところで、私は固まってしまう。
錆びたロボットみたいにゆっくり視線を居間の方へ向けると、人影が見えた。
居間の電気は消えてて誰か分からないけれど、この声は──
「お母さん……?」
寝ているはずのお母さんだ。
一体こんな時間にどうして……もしかして出かけた事がバレた? でもそれならもっと鬼のように怒っているはずだ。それこそ、町のお化けがいつも見てるアニメのキャラクターに見えるぐらい。
「こっちへおいで」
なのにこのお母さんは凄く落ち着いてるというか……リラックスしてるみたいだった。
恐る恐る階段を降りて、居間の方へと向かう。
ちょうど台所の入り口辺りにお母さんは立っていた。
寝巻き姿のままボーッと部屋の片隅を見つめていて、言うなら放心状態のように。もしかして寝ぼけてるのかな……。
「どうしたの、お母さん?」
「ともこ、もっとこっちにおいで」
いや、明らかに様子がおかしい。
それに私はこんな状態の人を見たことがある。
それはこともを逃すためによまわりさんに捕まった時に工場で見た……あの殺人犯の男。
「お母さんッ!」
私はすぐさまポシェットの中から
まさかお母さんを守るために貰った物をすぐに使うことになるなんて。
「うわっ、そんな物持ってこないでよ。小さいくせに持ち主を護る目障りなお守りがさぁ。もしかしてあの夜の王様気取りに何か教えられたか?」
お母さん──いや、
そう、私が今日夜廻したのはあのムカデの神様からこのお守りを貰うためだった。
あの神社ならきっとお母さんを助けてくれる。そう信じて、私はお守りを掲げながら山の神を睨みつける。
「その目障りなお守りをこっちによこせ。母親の言うことが聞けないの?」
「違う! あなたは私のお母さんなんかじゃない! 早くお母さんから離れて!」
山の神は私を嘲笑うかのように肩を竦めて首を振る。
良いようにお母さんの体を使われて、私の中で沸々と怒りが込み上げてくる。
「離れる? どういうこと? お母さんは全然普通よ? あぁ、普通よ……コレが普通……うふふ。さぁ、ともこ。そのお守りをこっちにちょうだい。大好きなお母さんとお出かけしましょ?」
「ふざけないで! お母さんはそんなこと言わない!」
「あーもう鬱陶しいなぁ。やっぱりそのお守りか? そのお守りが護ってくれてるのか? まぁいいや、とりあえずそのお守りを渡して。頭の中の声が言ってるの。娘と一緒に来なさいって。そしたらみんなが幸せになれるって。私はあなたに幸せになって欲しいの、ともこ」
喋ってるのはお母さんなのに、中身はお母さんじゃない。
あの時の男のように、おそらく頭の中の声がお母さんの精神を掻き乱している。
つまり、お母さんはもうすでに山の神から狙われていたはず。
でもそんな素振りなんて見せなかったのになんで……私が見逃した……?
「せっかくお母さんを助けるって決めたのに……結局私はお母さんを……」
「ん? なにボソボソ言ってるの? いいからお守りをちょうだい」
言うが否や、山の神はこちらに向かって手を伸ばした。
咄嗟に後ろに下がってその手から逃げるも、ジリジリと距離を詰められる。
「あなたとこうして鬼ごっこで遊ぶのも久しぶりね。一緒に来てくれたらこれからもいっぱい遊べるわよ?」
とにかく、今のお母さんの言うことは聞いちゃいけない。
踵を返して私は一目散に階段を駆け上がった。
外はダメだ。お母さんがこんな状態になってるということは、外にはあの山の神の手先である小さな手が待っているはずだ。
あの手も町のお化けと同じように光に弱い。つまり朝まで待てれば、一旦はお母さんも元通りになってくれるかもしれない。
「予想でしかないけどねッ……!」
お父さんやこともの部屋もダメだ。大人のお父さんならまだしも、赤ちゃんであることもに何かあってはいけない。
だから私は迷わず自分の部屋に飛び込んだ。
背後からはお母さんが私を呼ぶ声とゆっくりと階段を登ってくる音が響いている。
でも、隠れるとは言ってもどこに……。
「ともこー、怒ってないでお母さんとお話ししましょう?」
声が近い。もう時間はない。
私が咄嗟に背中のポシェットを投げ捨ててベッドの下に潜り込むのと、お母さんが部屋の扉を開けるのはほぼ同時だった。
息を殺して足元だけ見えているお母さんの様子を伺う。
「あら、どこに行ったのかしら……」
体が震えている。
捕まってしまったらきっと、私はあの山に連れて行かれてしまう。トンネルの奥にあるあの神社でお母さんと一緒にあの化け物に……考えるだけで背筋が凍る。
姿も声もお母さんなのに、その中にはおぞましい神様が巣食っている。今もゆっくりとドアを閉める姿なんて理性を感じさせるぐらいなのに、実際は精神を蝕まれている。
私がちゃんと気づいていればこんなことにはならなかったのに。
ガチャ
そんな想いも虚しく、お母さんが部屋の鍵を閉める音だけが鳴り響く。
「かくれんぼもよく遊んだわねー。ともこ、隠れるのが上手だったからお母さんいつも困ってたわー」
違う。
その思い出はお前のものじゃない。
勝手に私たちの思い出を穢すな。
悔しさに視界が涙で滲む。それでも、私はひたすら自分の口を押さえて声を出さないようにする。なのに心臓の鼓動だけはどんどん速くなっていて、お母さんに聞こえそうな気がした。
「うーん、本当に困ったわねー」
お母さんの足元は行ったり来たりと部屋をうろうろしている。引き出しを開けたり押し入れの中を見てみたり、明らかに私を探している様子だった。
大丈夫、ここなら背が高いお母さんの死角になってる。だから見つからない。そう自分に言い聞かせないと頭がおかしくなりそうなぐらいの恐怖心が襲いかかってくる。
「本当に困ったわね……ともこ、出てきてくれる? もうお母さん降参するから」
答えない。答えてはいけない。
「お願い、出てきてちょうだい」
口を開くな。
あいつの言葉に耳を傾けるな。
あいつはお母さんじゃない。
「頼むから出てきて」
ダメだ。
体を動かすな。あいつにバレたら全てが無駄になる。
「もう痛いのは嫌なの……お願いだから出てきてちょうだい……」
「……え?」
痛い?
痛いって、まさか。
「左目がね……もう耐えられないぐらい痛いの……でも、ともことこともがいてくれたから我慢できたのに……あなたまでいなくなって……」
お母さんのすすり泣く声が部屋に木霊する。
左目の激痛──山の神が生贄に選んだ人間に施す呪い。それがもうお母さんに降りかかっていた。しかもその言葉が本当なら、もう随分も前から。
でもお母さんは私と妹のためにそれを耐えてくれていた──私が今夜出かけるまでは。
つまり、私が夜廻りに行ったから……お母さんはこんなことになった?
──私のせい?
「お母……さん……?」
私の意思とは関係なく、私の口からその言葉が溢れてしまう。
「みーつけた」
しかし山の神にはその言葉だけで十分だった。
「きゃっ!?」
私が奥へ逃げるよりも早く山の神は凄まじい力で腕を掴むと、私はベッドの下から引きずり出されてしまった。
咄嗟にそのままの勢いでドアノブに手をかけるも、鍵が閉められたドアは当然のように開かない。
「こら、逃げようとしないの」
そんな私を山の神はドアから引き離し、部屋の奥へと連れて行かれる。
「離してッ! 離してよッ!」
「いいからお守りを渡して。じゃないと離したくても離せないよ」
しかし、私の左手にはしっかりとお守りが握られている。
これがある限り山の神は私を連れて行くことができない。そして山の神はなぜか、お母さん一人だけじゃなくて私も一緒に連れて行くことに固執している。
つまり、私がこのお守りを持っていれば、お母さんも連れて行かれない。
「あーもう。聞き分けが悪い子にはお仕置きするよ」
言うが否や鋭い痛みが頬に走り、私は思わず尻餅をつく。
お母さんに叩かれたのだと気付いたのは、腕を振り抜いた体勢で固まったお母さんを見た時だった。
「え……」
しかし、動揺してるのは私だけじゃなかった。
「やだ……私なんで……」
目を見開かせ、まるで信じられないものを見たように交互に私と自分の手を見つめる山の神──いや。
「お母さん?」
「と、ともこ? わ、私なんでともこを……一緒に幸せになるために……でも自分の子供に手をあげるなんて……」
「お母さん!」
お母さんだ。
さっきまで理性が感じられなかった瞳から、明らかな動揺が見られた。
お母さんが山の神に抗おうとしている。それに呼応するかのように、手の中のお守りも段々と暖かくなる。
これもお守りの力なのだろうか。
お願いします、ムカデの神様。
どうかお母さんを助けてください。
「あぁ……アァァァ!」
しかし、それだけでは足りなかった。
髪を振り乱し頭を抱えたお母さんはもうお守りなんて関係なしに私の首を掴むと、私は硬い床に押し倒された。
私の手からお守りが零れ落ちる。
「かはっ……」
呼吸が止まる。息ができない。
お母さんが馬乗りになりながら、両手で私の首を絞めていた。微かに見えたお母さんの理性も、既に消えている。
「一緒に行くの……一緒に行くのよ……じゃないと……アハハ……頭の声が……」
お母さんが何か言っている。
でも首を絞められている苦しさで、それを聞き取る事ができない。私の首を掴んでいるお母さんの手を引き剥がそうにも、大人の力に子供が敵うはずもなく、結局はお母さんの両手に自分の手を添えるだけの無駄な抵抗になってしまう。
苦しさで徐々に視界が暗くなる。
でも、私はこれでいい気がした。
殺されるなら山の神よりもお母さんに殺されたかった。それならお母さんを見捨てた事が許される気がしたけど、これも多分私の願望でしかない。
「ごめん……なさい……お母……さん……」
気が付けばそんな言葉を口にしながら、私の意識が暗転する──。
「おい、一体なんの騒ぎで──お前、何してるんだ!?」
──寸前で、誰かが私からお母さんを引き剥がす。
「ッハ! ケホッ、ケホッ!」
突然首が解放され、私は貪るように空気を吸う。暗転しかけた意識もゆっくりとクリアになり、目の前でお母さんを抱えるお父さんの姿が見えた。
そしてあれが山の神の最後の抵抗だったのか、お母さんは糸が切れたように意識を失っている。
「ハァ……ハァ……お父さん……」
「ともこ、一体何があったんだ……なんでお母さんがこんなことを……」
ベッドの下から引き摺り出された時に咄嗟に鍵を開けておいたけど、私の意識が落ちる寸前でお父さんが来てくれたみたいだ。
一階ならまだしも、すぐ隣の部屋でここまで騒げば眠りの深いお父さんでもきっと起きてくれると信じてた。鍵を開けてなければ、今頃私は絞め落とされてお母さんと二人仲良くあの神社に向かって登山していたに違いない。
「ケホッ……ありがとう、お父さん。後でゆっくり話すから」
とりあえずお父さんに感謝しながらも今は状況を説明している暇は無い。お守りをお母さんに渡さなければ、またいつ精神を乗っ取られるか分からない。
でもこれでもう、お守りを渡せばお母さんも大丈夫──
「──それに、こともはどこだ!? うちの部屋にもいないからここと思ったけど……」
「……は?」
その言葉を聞いた私は、自分の耳を疑った。
「ともこ、後ではダメだ。何があったのか今すぐ教えてくれ」
そう問いかけるお父さんの声を背に、気が付けば私は部屋を飛び出していた。
そうだ。なぜそこまで考えなかった。
お母さんをあんな状態にしてまで私を狙ったのに、なぜ
お守りも何もないこともが、まだ赤ちゃんのこともが、狙われたらひとたまりもないのに!
「こともッ!」
こともが寝ているはずの両親の部屋に飛び込むも、そこには誰もいない。しかし、微かだけどドロドロとした禍々しい山の空気を感じる。
こともの姿はどこにもなかった。
「そんな……」
思わずその場で崩れ落ちてしまう。
結局私は守れなかった。
お母さんのことばかり考えて、ことものことは頭の片隅にもなかった。
そしてその結果、大切な妹を易々とあの化け物に連れて行かれてしまった。
「許さない」
たった一言。
それが何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
頭の中で繰り返される。
連れて行くなら私を連れて行け。
でも、妹だけは絶対に許さない。
誰よりも大切な、私のたった一人の妹。
「こともに手を出したな」
自分の身に何が起きても、こともを助ける。
じゃないと、私が生きている意味は何もない。
懐中電灯を片手に、私は家を飛び出した。
目指すべき場所はたった一つ。
あの山の上にある、忌々しい神社だ。
ブチギレお姉ちゃんは妹を助けることができるのか
次回でチュートリアル編が終わりです