「すんまへん! すんまへん!竹下さんほんまもう少し待ってください!」
ただただひたすら平身低頭に徹していたその男は中肉中背。だがそのTシャツから薄っすらと筋肉が浮き上がっている。
筋肉をつけてから余計な脂肪を絞った。そんな鍛え方で出来上がった体をしていた。
相対するサングラスをつけた恰幅のいい中年男性。竹下と呼ばれる男は謝罪に徹するその男をジロリと見やる。
「キー坊よお……あんた俺らみたいな職業ナメてるでしょ?」
竹下が面倒くさそうにサングラスを外す。
「いやそんな滅相もありませんわ。竹下さんの所で借りられなかったらとっくのとうに道場畳んでましたさかいに。感謝以外の何もありませんわ」
キー坊と呼ばれるその男は地面に伏せていた顔を竹下に向けてニヘラと精一杯の愛想笑いを浮かべる。
「だよなあ。借りたお金でうまいこと門下生集めて倍にして返すとか大口叩いてたっけなあ。なあキー坊?」
「あーーーっ…言うてましたねえ。へへ」
「じゃあこの糞くだらねえポスターはなんなんだよえーーーっ!?」
竹下がキー坊の顔にポスターを叩きつける。
ポスターには水着(それもブーメランパンツだ)で決めポーズを取っているキー坊の横にキャッチコピーが添えられている。
『古来より伝わる暗殺術で君もシェイプアップ!』
ポスターを顔から剥がしたキー坊は笑顔を竹下に向ける
「いやいやいや竹下さん。うちの灘真神影流は独自の呼吸法とトレーニングで美容と健康にもいいんですよ。ですので女性の『愛されボディになりたいっ!』て需要を見込んでですね」
「集まるわけねえだろうが!!バカかてめえは!」
「で、ですよねえ。へへ」
己の見込みの甘さに雷を落とされるキー坊はただただ笑うしかなかった。
「ふー……」
竹下は大きくため息をつく。
「今回は帰るけどなあ。言っとくけどもう時間ねえからなキー坊。俺ら相手にトぶなんて考えないほうがいいぜ?その前に俺らが海か山に連れてってやるからよお。そんじゃあな」
「へ、へえ。必ず金は用意しますんで!」
そういうと竹下は片手に掴んでいたサングラスを掛け直しキー坊に背中を向けて去っていった。
「はあ~……やっと終わったわ」
キー坊は思わずしゃがみ込み先程の竹下よりも大きなため息をついた。
このとても良心的とは言えない金利で借りた借金に苦しむキー坊という男
名は宮沢 熹一(みやざわ きいち)
古来より伝わる活殺術 灘神影流(なだしんかげりゅう)の15代目当主として育てられ
様々な格闘家と拳と心を通わせた過去を持つ。
鋼鉄のプロレスラー 機械として育てられた戦闘マシーン 物言えぬコンプリートファイター
様々な出会いと別れを繰り返しキー坊は灘神影流の正統継承者として成長していった。
そして因縁の流派である幽玄真影流(ゆうげんしんえいりゅう)開祖である日下部 覚吾(くさかべ かくご)との戦いを経てキー坊は二つの流派を統合。
灘・真・神影流の初代当主として新たな一歩を踏み出すことになったのだ。
だがキー坊の人生が順調だったのはそこまでだった。
裏の世界でも表の世界でも知られたあの宮沢喜一が流派を新たに門下生を募るとあって当時は多くの格闘家が灘・真・神影流の門を叩いた。
門下生の誰もがあの活殺術を取得し、強くなれると信じていた。
しかし門下生の期待は無残にも打ち砕かれた。
「ちゃうねん!そうじゃないねん!こう……なんつうか。腰をグイーってやってな!?そんでこうすんねん!」
「せ、先生!わかりませんよそんな説明じゃ!」
「今日のトレーニングは丸太キャッチや!流れてくる丸太をキャッチするまで帰れへんぞー!」
「そ、そんなの抱えきれるわけが! うわああああ!!」
「今日はこのダムの斜面を駆け下りる訓練をするで。死線を超えるんや!」
「今までお世話になりました!! 今日でやめさせていただきます!」
キー坊には絶望的なまでに人に物を教える才能がなかったのだ。
抽象的な技の指導にスパルタじみた謎の特訓法。
門下生はそんなキー坊に見切りをつけてすぐにやめていったのだ。
過去に一人のとあるロートルレスラーを強くした経験からキー坊は自分の指導力に絶対の自信を持っていた。
だがその指導もただそのロートルレスラーに大きな才能と恵まれたフィジカル。
そして死ぬ気でもやり遂げるという意思があったからこそだったのだ。
そしてキー坊にはもう一つ当主として持ち合わせてなければいけない才覚が不足していた。
経営力だ。
闇金から借りた500万円で撃った広告戦略があのポスターである。
キー坊は最強の格闘家ではあるが最良の指導者でも経営者でもなかったのである。
「はあ……しゃあない。今日も梅さんからなんか仕事もらうしかないなあ」
トボトボと外出の支度準備を整えるキー坊
梅さんとは町内会の会長である錦田 梅(にしきだ うめ)のことである。
キー坊は門下生がいなくなってからは彼女から雑用の仕事を請け負い
ほぼ半分その日暮らし生活を過ごしているのであった。
「今のワイの姿。おとん達には見せられへんなあ……」
力なくキー坊が開いた道場の扉は、彼の今の実情を思わせる情けないきしみ音を立てた。