休日で暇だったので、炭須は神浜現代美術館に訪れていた。
現代美術、といってもたまに昔の絵が展示されることがある。
どんなに魔法少女と転生者が悲惨な状況でも、モブたちの世界は平常運転だ。
そもそも、どんな科学技術も芸術文化もモブたちが創り上げてきたのだ。
さて、今回の期間限定展示は十七世紀のオランダの絵が中心だった。
当時、オランダは黄金時代の真っ盛りであった。
何百もの精巧な静物画や、肖像画が描かれた時代であった。
そのことは炭須のいた世界でも、このマギレコでも変わらなかったようだ。
美術館に入ると、さっそくレンブラントの夜警が視界に飛び込んできた。
ああ、可哀想なレンブラント。彼はこの世界では死んだモブに過ぎないのだ。
オランダの絵画といえば静物画と肖像画のイメージしかなかった。
しかし、風俗画という一面もあったということを初めて知った。
風俗画の展示は心を動かす作品が多かった。
そのなかで特に印象的なのは、『農夫の家』と『聖ニコラウスの祝日』。
オランダの風俗画は歴史に名を残さぬ一般市民を描くものが多いらしい。
つまり、モブということだ。まあ、絵の作者もモブに過ぎないのだが。
そう思うと、炭須は不思議な感覚に襲われた。
モブによって描かれたモブの絵。でも、なんて美しい絵であろうか。
そこに刻まれているであろうメッセージを読み解く術などなかった。
「僕もこうやって生きたいな」
振り返ってみたが、そこに星夢はいなかった。
幻聴だったのだ。だが、彼なら絶対にそう言っただろう。
それどころか、この絵を彼は絶対に見ていたに違いない。
彼は平穏や凡庸というものを愛していた。
もし彼が生きていれば、彼は絶対にかこと一緒に行っただろう。
そして、自分はそれを微笑んで見守っていたに違いない。
たった今、気づいたことなのだが、人が見当たらない。
どうやら、この展示に訪れているのは炭須一人のようだ。
「・・・あら、珍しいですね、人が来ているなんて」
「・・・」
その少女を炭須は知っていた。梢麻友。
千里眼を使って、その姿を見たことがあるのだ。
探知されたくないので、あまり使わないのだが。
「どう思いますか、この絵?」
「・・・私はこういうのには詳しくないんだ。
でもまあ、率直に言えば、威厳があるような気がするんだ」
できるだけ饒舌にならない方が良い。転生者だと発覚してしまうかもしれない。
「威厳、ですか」
「うまく言えないんだよ。嘲笑すべきものじゃないというか・・・。
大切に育むべきものというべきか・・・。
ああ駄目だ、私の友人だったら、もっと簡単に言えただろうに。
こうやって生きたいって」
「・・・もしかして、星夢さんのご友人でしたか?
あの子も同じことを言っていたんです」
「・・・あいつはここにも来ていたのか」
「・・・見せたいものがあります」
そう言うと、彼女は炭須の手を握って、とある展示室に案内した。
そこには、明らかに星夢が描いたとしか思えない大きな絵が何枚も飾ってあった。
星夢の絵柄は荘厳さがこもっていて、それでいて優しいのだ。
だが、一枚目の絵の内容自体は炭須も見たことがあった。
木星と、宇宙船と、比率1:4:9の
「・・・あいつがこんな絵を?まさか」
星夢は絵本を描いたいたが、どれもほっこりするような内容であった。
決して、宇宙飛行士が
「でも、あの子は私の前で描いたんです。
信じられないですよね?あの子の童話も読んだことはあるんです。
とてもSFを描くような子には見えなかったんです・・・。
次はこの絵ですね・・・」
二枚目は何を描いているのかわからなかった。
ピアノを弾く黒人青年、光りながら分解されていく大地・・・。
「美術館の誰もこの絵の解釈ができないんです・・・」
だが、炭須は三枚目の絵でようやく全てを理解できた。
ニューヨークを思わせる摩天楼、そのはるか上空に浮かぶ宇宙船・・・。
星夢は確かに凡庸さを愛していた。
だが、そんな彼でさえも荘厳たる何かになることを望んでいたようだ。
いや、荘厳たる何かに合流することであったのだろうか?
どちらにせよ、幼年期の終わりを迎えるという望みは叶わなかったようだ。
なぜなら、彼は愛していた少女に『蒸発』させられたのだから。
「・・・お前は何を伝えたかったんだ?」
わからなかった。炭須には何もわからなかった。
わかるのはただ一つ、自分自身もいずれ『蒸発』させられるであろうこと。
彼が死んだところで、モブたちはこれからも今まで通りに生きていくだろう。
魔法少女が死んだとしても同じことだ。
家に帰った後、炭須は日記を書いた。
せめて何かになれるとするなら、凡庸で威厳のあるモブになりたい。
荘厳な何かになりたいという考えなんて、まっぴらごめんだ。