18番テーブルの相席者   作:巻波 彩灯

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第1話:意地の悪いベーシスト、計算高い女優

 人生で一番耳にしたベースの音が、今はただ耳障り。別に相性や出し方などを間違えたのではない……むしろ噛み合っているから尚のこと腹が立つ。

 

 周りはスーツを着た大人だらけの関係者席で、灰色のブレザーとチェックのプリーツスカートという制服姿でいる少女――萩中(はぎなか)瑞希(みずき)はステージ上で演奏のフリをしているガールズバンドを睨みつけながら曲を聴いていた。(うち)では自分が弾いた低音が当てフリの為に使われていることへの腹立たしいさや平気で自分達の音だと主張するかのように振る舞う少女達に対する苛立ちが混ざり合い、より一層眉間に皺が寄っていく。

 

 もちろん、事前に当てフリ用の音源として録ることは聞いていたし、引き受けたからには彼女達を誹る言葉を持ち合わせていないことは理解しているつもり。けれど、そう簡単に感情というものは割り切ってはくれないのも事実。

 

 誰かの音楽を支える為に弾いた低音が、甘い汁を吸う為に使われるのは憤懣やるかたない。スタジオミュージシャンの宿命として受け入れるしかないが、納得がいかないし、呑み切れないところがある。それがバンドマンとして、音楽に携わる人間としてやることかと。

 

 今にも口走りそうな憤激を喉元で抑え、瑞希は芥子(からし)色の双眸(そうぼう)を鋭く細めながら黄色のベースを抱えた少女に目を向ける。相手も仕事と割り切っているだろうが、他人の音で舞台に立っている心境はどうなのか訊きたい。知ったところで、胸中に抱えている怒りが静まるとは思えないが。

 

 つと視線の先をベーシストの手元へ……本当に弦を弾いて演奏しているように見えるのは、流石女優人生をステージ上の誰よりも歩んできたものがあると感嘆する。何せ子役時代から名を馳せていた――白鷺(しらさぎ)千聖(ちさと)という女優なのだから。

 

 黄檗(きはだ)色の長い髪をハーフアップで上品にまとめ、幼げな紅紫の瞳を優雅に細めて悠然と微笑む姿は、年不相応と言っても過言ではない。しかし、板についているのか、不自然さを感じさせない……それが逆に不気味とも思えた。

 

 沈思黙考を続けていると、突然耳障りだった音楽が止んだ。いや、消えたと言うべきか。どちらにせよ、他の観客に嘘がバレてしまったことには変わりない。

 関係者席が慌ただしくなる――隣で座っているマネージャーも状況を確認する為に立ち上がり、すぐさまライブスタッフ達の中に混ざっていく。静止した間、観客席からは困惑や疑念の声が次々と上がっては不穏な雰囲気が会場全体を包む。

 

 その中でただ一人、瑞希だけは静かに席についたままステージを眺めていた。内心は、少しばかりの同情と自分の音を不正に利用した人間達への罰が当たった事に対する歓びが湧き立つ。言葉を呑み込んで何も言えない今、できることとしたら音楽を支える為ではなく蜜を楽に吸う為に使った者達への小さな天罰を願うことだけから。

 

 結果、かなり大きい罰が降ってきたのは驚いたには驚いたのだが。形はどうであれ、願いが通じたのなら万々歳……正直に思えば、この一言に尽きる。

 そしてステージの上から去りゆく彼女達の背中を厳しい相好(そうごう)で見つめ、誰にも聞こえないように口の中で呟く――ざまぁみろと。

 

 

 

 

 

 自分の音源が当てフリ用に使われたあの日――Pastel*Palletのお披露目ライブから数日後、瑞希は学校を終えると行きつけの喫茶店へと足早に向かっていた。その時とは違い、ブラウスの上にはブレザーではなく灰色のパーカーを羽織って、ネクタイもラフに締めている。ただ変わらず眉間に皺は寄っており、吊り上がった目尻も相まって不機嫌なように見えてしまう。

 

 本人は至って平静であり、特に機嫌を損ねるような出来事に遭遇した訳でもない。強いて言えば、自分が弾いた音が誰かの甘い夢に使われた事に対する怒りが僅かに残っている程度。だが、そこまで引き摺っておらず、今は来た仕事をこなすだけと気持ち自体は切り替わっている。

 

 彼女の(うち)にあるのは、そろそろ新しいベースを買おうかと音楽人として付きまとう悩み。今持っているものと同じタイプで上位互換にすべきか、それとも違うタイプすべきか。スタジオミュージシャンになってからまだ一年は経っていないが、現在所持しているプレシジョンベースだけでは少し不十分だなと思い始め、やはりジャズベースを持つべきだろうと(うち)にいる自分が強く囁く。

 

 実際、プレシジョンベースだと音作りに苦労する場面が多かった。いや、実力不足というところもあるが、それでも難しいところがあったのは確か。なら、ジャズベースを購入するかと心が傾きかけた頃、喫茶店のドアを開けて入店する。

 

 顔見知りのウェイトレスが出迎え、「いつもの所なら空いていますよ」と促されるまま席につく。テーブルに割り振られた番号は十八番、窓際の二人席で日がよく当たる場所――それが彼女の特等席だ。

 店内に流れるジャズを背後に、ブラックコーヒーを注文してから窓を眺める。人の行き交いは平日の夕方らしく少ない……もっとも帰宅ラッシュの時間とぶつかっていないというだけだが。

 視線を落とし、腕を組み再び黙考。予算はいくらぐらいにするか、どんなジャズベースを買うか、他に必要な機材はないだろうかと思考を巡らす。次の仕事に間に合わないにしろ、早めに揃えておきたいなと。

 

「萩中さん、この方が相席したいと仰っていますが」

 

 先程のウェイトレスに話しかけられ、現実に戻って顔を合わせる。隣には黄檗(きはだ)色の長い髪をお嬢様結びでまとめ、童顔な顔立ちながら紅紫の双眸(そうぼう)を悠然と細めて柔らかく笑う少女の姿が――子役の頃から活躍している女優、白鷺千聖がいた。

 

「大丈夫かしら?」

 

 朗らかに訊ねる彼女は一見して人当たりが良さそうな印象を与える。けれど、瑞希はその裏にあるものを感じ取り、警戒心を露わに。

 

 だが、断る理由がなかった上に今の心境を訊いてみたいという好奇心が勝り、「……別にいいけど」と相席を認めた。これから話していけば多少なりとも分かるだろう……相手がそう簡単に手の内を明かすとも思えないけども。

 

 彼女の心情を知ってか知らずか、千聖は「ありがとう」と礼を柔らかく告げ、向かい合わせに着席。ブラウンが映えるセーラー服を着用している事から、彼女もまた学校帰りだったと察せられる。

 学校に通っているんだなと妙な感嘆を覚えながら、瑞希は改めて白鷺千聖という少女を観察していく。常に外ハネが目立つ自身の短い髪とは対照的に、綺麗に整えられたロングヘアーと丁寧に結ばれたハーフアップが上品な佇まいを引き立たせている。そしてウェイトレスを見つめる紅紫の瞳は変わらず悠々と細められ、口元には年不相応な大人びた微笑を湛えていた。

 

「……で、何の用?」

 

 ウェイトレスが去った後、眉を(ひそ)め、瑞希は威嚇ともとれる低く強い語調で簡潔に訊ねる。まさか音源先の一人に直接会いに来るなんて……だが、純粋に謝罪という訳ではなさそうなのは直感が告げていた。向こうはこちらよりも芸能界というものに長く浸かっているのだから、腹に一物や二物抱えてもおかしくはない。

 

「初対面に対する態度としては褒められたものじゃないわね」

 

 眼光鋭い眼差しと威圧的な声音に動じることなく千聖は()ました顔で言葉を返す。変わらず年不相応な大人びた笑みが貼り付いており、崩す気配はない。流石、演技派というべきかと皮肉通り越して感心するばかり。

 

「あんたに褒められても嬉しくもないし、褒められる気はさらさらないね」

 

 とはいえ、心許す気など毛頭にない故に厳しい相好(そうごう)を保ったまま冷淡な語勢で告げた。その傍らにウェイトレスが注文していたブラックコーヒーを運び、眼前に置かれる。同時に千聖が頼んだ飲み物も届く――彼女のは紅茶だ。

 

「もしかして、私があなたの音で演奏していたからかしら?」

 

 カップを優雅に持ち上げ、一口啜ると千聖は悠然とした笑顔を浮かべたまま質問を投げかける。紅紫の双眸(そうぼう)はまるで品定めをするかのように、芥子(からし)色の瞳を射貫く。

 

「演奏していたんじゃなくて、演奏のフリをしていたんでしょ」

 

 何を考えているのか、まだ掴めてはいないもののここで引いたらいけないと感じて、瑞希は負けじと睨み返すように眼光を鋭くさせていく。本当に何故自分と接触したのか見えない今、下手に踏み込ませないように。

 

「その通りね。これに関しては言い逃れるつもりはないわ」

 

 カップを静かに置いて、千聖は棘のある言葉を楚々(そそ)とした表情のまま認めた。鉄仮面でも身に付けているのかと思わせるぐらい、相好(そうごう)が険しくなることはなく柔和なまま。語調も穏やかな調子を保っている。

 

「どうだか……利用しようと考えてるんじゃないの?」

 

 彼女の反応に肩を竦めて、瑞希は猜疑(さいぎ)の目を向ける。「例えばもっとベーシストらしく演技できるようにアタシにレッスンを頼みに来たとか」口の端を吊り上げて意地悪く笑い、さらに追及していく。長く芸能界を生き抜いてきた人間特有の嘘くささが鼻について簡単には信用できない。

 

「半分は正解ね」流麗な眉を片方上げて、千聖は落ち着いた語勢で言葉を継ぐ。「けれど、半分は不正解」

「ふーん、やけに素直じゃん」

 

 一瞬だけ驚嘆の表情に変わるものの、瑞希はすぐさま意地の悪い笑みに戻して続ける。「アタシに申し訳なく思っているの?」少し何かを隠し通すのかと思いきや、案外あっさりと正誤を出すものだから調子抜け。

 

「それは、ないわね。残念だけど」

「ちぇ、可愛げのない奴」期待はしていなかったが、即答されるとは予想外と内心苦笑い。考えてみれば、生き残る為に同情している暇はない人間だと結論を出し、瑞希は正直を口にする。「いや、元からか」

 

 彼女の言葉に動揺することなく、千聖はもう一度紅茶を一口飲むと、「今の私にはベースを弾くしか方法がないの」紅紫の瞳に冷たい光を宿して眼前の相手を射貫く。有無を言わせないというよりかは計略が張り巡らされたかのよう。

 

「それでアタシにコーチングの頼みを? 他にもいるのに?」

 

 氷のような眼光にたじろがず、瑞希もまた対抗するように芥子(からし)色の双眸(そうぼう)を鋭く細めて()めつける。事務所には自分以上のキャリアと実力を持つプロベーシストがたくさんいるし、彼女の人脈を使えば簡単だろうにと思いも抱えて。本当にこの女は何を考えているんだと、猜疑(さいぎ)心が強くなる一方。

 

「あら? あなたもプロでしょ?」

 

 あっさりと言い返されて、ぐうの音も出ない。「……んで、事務所には通した?」瑞希が現状できることは睨みつけながら、確認を取ることだけ。

 

「私個人の頼みよ」

 

 悠々とした微笑みを崩さないまま千聖は、さらに瞳の光の温度を下げて冷気そのものを突きつけるかの如く話を続ける。「お金ならちゃんと払うわ」敬意を含めつつも「それなら文句ないでしょ?」それ以上は何も言わせないという言葉の圧で念押し。

 

「なら、金はいらない。代わりに……」瑞希は左手を横に振ってはコーヒーカップを指差して、変わらず意地の悪い笑顔で告げる。「ここのコーヒー、一杯奢れ」芥子(からし)色の双眸(そうぼう)は心なしか鋭さの中に温かみのある輝きを灯していく。「大女優様ならこれぐらいの出費は軽いもんでしょ?」

 

「意外ね。あっさりと引き受けてくれるなんて」

 

 初めて千聖の柔らかい相好(そうごう)が崩れて、少しばかりの驚嘆が露わになる。「しかも、レッスン料も安いし」プロというにはそれなりの金額を積まないと無理だと思っていたのだろう。真意を探ろうと紅紫の瞳は、可能な限りで覿面(てきめん)の相手全体を映していた。

 

「経緯がどうであれ、やるなら支えてやるってだけ」

 

 憎き相手とも言えるが、これを機にバンドへ真摯に向き合ってくれるなら万々歳。それなら喜んで努めようと、瑞希は不敵な笑みを浮かべて、「それとここのコーヒーは値段以上の価値があるんだよ」左手でカップを持ち上げていく。

 

「そう、あなたは何を企んでいるのかしら?」

「さて、どうだろうね」彼女に猜疑(さいぎ)の目を向けられても、瑞希は何事もなかったかのようにカップの中身を啜る。口当たりはまろやかで、苦味はあるものの鋭利さがなく優しく包み込むかのよう。甘味を食べるとしたら少し厳しいなと感じつつ。

 

 目的が達成されたからか、それとも今はそこまでの興味がないのか、千聖は追及する気が失せたようにため息をつく。そして再び年不相応な笑みを湛えて、次の話柄を切り出した。「……笑っていないと損するわよ?」

 

「笑いたくない時に笑わない主義なんでね」先程までの笑みは消え、瑞希の眉間に皺が寄っていく。険しい相好(そうごう)のままコーヒーを一口飲んだ後、怪訝(けげん)そうな口調で言い放つ。「だから、今は笑わない」

 

「我儘な人ね」

 

 千聖の柔らかい声音と冷たさが織り交ざった言葉が耳朶を打ち、瑞希はさらに顔を(しか)める。「自分に正直って言え」返した言の葉は子供っぽくも真っ直ぐな響きを含んでいた。




 今回は前々から誰ともコラボせず、自分のオリキャラだけで話を紡いでいきたいと思って筆を執りました。
 完成するまで、凄く時間がかかってしまいましたが、ようやくこの場に出すことができました。……去年に出す予定だったはずなのに、何故か年を越していました()

 あまり長い話ではないですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
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