18番テーブルの相席者   作:巻波 彩灯

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第3話:夢を見る不器用さ、現実を見る器用さ

 それからしばらくの間、ワンツーマンでレッスンするようになり、千聖の演奏技術も目を見張る程に上達していった。もっとも瑞希からしたら、まだまだと言ったところだが。

 

「ねぇ、あなたって新人バンドが出られそうなライブとか知っている?」

 

 練習を始めて一週間以上が経ったある日のこと――スタジオのロビーにて、千聖が対面に座っている瑞希に何気なく訊ねる。余裕はありつつも、いつにも増して目尻を吊り上げて真剣な眼差しで射貫く。

 

「んだよ、藪から棒に」瑞希は缶コーヒーを飲み干して、紅紫の双眸(そうぼう)とぶつかる。眉根は寄せた不機嫌そうな相好(そうごう)は変わらず、覿面(てきめん)の鋭利な眼光にたじろぐことなく睨み返す。

 

「そろそろ活動を再開できないか事務所へ相談する為の材料が欲しいの」

「そういうことか」

 

 接触してきた理由が見えてきた――なるほど、自分のところでベースを練習していれば、根回しがしやすくなると考えていた訳か。内心で納得しつつも、やはり子役時代から今まで生き抜いてきただけはあると妙な感心を覚える。「仕事先でも聞いてみるかな」ともあれ、バンドとして真っ当に活動してくれることには変わりないのなら協力するだけと即座に承諾した。

 

「意外ね。もう少し気難しいかと思っていたけど」あまりにも簡単に了承したことが想定外だったのか、千聖は驚嘆の表情を僅かに浮かべて見つめる。水筒を持った手は話を聞いた瞬間から動いていない。

 

 彼女の態度に、眉をまた(ひそ)めて瑞希は口を開く。「別に断る理由はないからね」やや不機嫌そうな語調を保ったまま続ける。「それにこっちも意外だし」驚いているのは、あんただけじゃない。「あっさりと見限って抜けるかと思っていたけど」

 

「バンドとして活動するから、あなたにこうして頼んでいるんでしょ?」

 

 一瞬だけ相好(そうごう)を硬くしつつも、即座に穏やかで悠々とした笑みを湛えて返答する千聖。語気も穏和だが、節々にはそれ以上踏み入れるなと聞いている者の言葉を抑圧するかのよう。

 嘆息を吐き、「その通りだね」と瑞希は淡々とした口調で返して首肯する。流石にそうそう踏み込ませてもらえないかと思う反面、やはり脱退しようと考えていたのではないかと何となく感じ取っていた。けれど、言及する気はないから、今は何も言わないが。

 

 

 

 

 ロビーでの談笑を終えると、二人はスタジオに入室して、いつもの練習へ。だが、開始して早々に瑞希がストップをかける。

 

 何故止めるのだろうかと疑問に思う千聖だが、彼女の意を介せず瑞希は近寄っていく。「あんたのベース、見せて」かがんでベースを注視。その目は千聖が今まで見た中で、一番鋭利かつ力強い光を放っていた。「あー、やっぱり弦がねじれている」思った通りだと言わんばかりに、瑞希は芯の入った語調で言い放つ。

 

「え?」自分の担当している楽器とはいえ、まだまだ疎い千聖には何を言っているのか分からなかった。特に音が変わっていた印象はなかったような……弦がねじれているとはどういう事だろうかと。

 

「弦がねじれているから、音が良くなかったんだよ」

 

 状況がいまいち理解できていない千聖を置いてけぼりにするように、瑞希は淡々と話を進める。「直すからテーブル借りてくる」体勢を戻すと、足早にドアの方へ。「後で、ベースも貸してもらうからな」去る前に肩越しに一言投げると、そのまま部屋を出ていった。

 

「え、ええ。よろしくね」

 

 その小さな背へ千聖は戸惑いながら返事する。とにかく自分のベースの調子がよろしくないというだけ分かったが、やはり音や調子の違いは分からない。と、同時に彼女もまたプロなのだなと感嘆の声を(うち)に立てた。

 

 

 

 

 テーブルを借りて戻ってきた瑞希にベースを預けて、千聖は次に出演する作品の台本を読み始める。手伝える事がなければ、自分に有意義な時間を過ごすまで。……と考えていたのだが、奇妙な好奇心が湧いて中々台本へ集中できず、視線を灰色の背中へと移す。

 

「……ねぇ、あなたはどうしてベースを弾き始めたの?」

 

 つと湧き立った疑問が思わず口に出てしまった。そんなことを聞いても何の得にならないのに、何故訊ねただろうか……自分でも理解できない。ただ少しだけ自分とは違う人種と話してみたくなった気持ちは胸中に小さく芽生えている。

 

「あ? 何でそれを?」案の定、瑞希は不機嫌そうな声音で返答。けれど、作業中の為か、振り返ることはない。手際よく弦が外れされる音が耳朶を打つ。

 

「ちょっと気になって」

 

 紅紫の瞳を瑞希の背中から剥がして、僅かに硬い口調で千聖は言葉を継ぐ。「私と違って自主的に弾いているから」誰に決められた訳じゃなく、自分の意志でベースを手に取った人は何を思って触れたのだろうかと。

 

「……昔、従兄に連れられてさ、ライブ見に行ったんだよ」

 

 少しだけ間が空いた後、ベースケースからクロスを取り出してボディを拭き始めながら瑞希は思い出を語る。「そん時にめちゃくちゃ格好良くベースを弾くを人がいて」いつになく声音は明るく楽しげなものになっており、笑い声も穏やか。

 

「その人に憧れて始めたってことかしら?」

 

 憧憬も多分に含まれた言葉を聞き、千聖の目には心なしか瑞希が輝いて見えた。心のどこかで彼女が夢見る人間だとは思わなかったからか。それとも羨んでいるのか……いや、後者は絶対にあり得ないと否定して、彼女の話に耳を傾けていく。

 

「まっ、別に大したものじゃなくて、至って普通な理由だよ」

 

 作業をする手を止めないまま瑞希は落ち着いた口調で返答。背を向けているから表情は分からないが、不機嫌そうにしている訳ではないのは確かだろう。

 

「今もその憧れの人を追って……?」質問を投げかける口が止まらない。どうしてそこまで彼女の事を知りたがるのだろうか、自分への疑問も重なっていく。

 

「そうだけど、そうじゃない」

 

 否定の意を伝えつつ、スクールバッグから新しい弦を取り出す。「もっとアタシの音が届く場所で演奏したいんだ」弦を持ったまま手を止め、瑞希は真っ直くで力強く、熱意が込められた言葉を紡ぐ。「それがアタシの夢」

 

「一緒じゃなくていいのかしら?」

 

 憧れているのではあれば、誰しもが一緒に演奏したいと思うのは至極当然な気がするのだが……千聖は不思議そうな表情で灰色の背中をじっと見つめる。「それであなたの夢に辿り着けるの?」今まで見たきた人はまた違う何かが目の前に表れたような感覚に襲われつつ。

 

「何となくだけど、一緒に演奏するのは正解じゃない気がする」

 

 瑞希は頭を(もた)げて天井を眺めながら、今まで以上に静かに一つ一つ言葉を発していく。「そりゃ一緒に演奏する機会があれば、一緒に演奏したいけどさ」憧憬が入り混じりながらも芯が通った語調で、告げた。「多分そこはアタシが望んだ場所じゃないんだよ」

 

「あなたが求めている場所って、どこなのよ?」

 

 即座に千聖は問いかける。あまりにもぼんやりとした答えに、そんな不確かなものを見てどうするのだと苛立ちが芽生え、語気も鋭くなっていた。現実性のないものは、すぐに潰えるというのに。

 

「分からない」

 

 鋭利な語勢に動じることなく、瑞希は芯の通った口調を保ったまま返す。「それはこの先歩いてみないと見えてこないかな」漠然としたものだけども、そこを歩むという確固たる意志が言葉の節々に表れていた。

 

「具体性のないものは、一生見えてこないわよ」

 

 普段の大人びた笑みは消え失せ、年相応に相好(そうごう)を硬くして紅紫の瞳を鋭く細める千聖。脳裏には散々見てきた現実がよぎり、夢というものは具体性が帯びていなければ簡単に砕けるところを何度も再生される。そんなものはまやかしでしかないと吐き捨てたい気持ちが込み上げるが、今はまだ相手の話を聞こうと飲み込んでなるべく落ち着いた顔つきで覿面(てきめん)の背中を見つめた。

 

「夢ってのは、そういうもんでしょ」

 

 いつになく楽観的で明るい瑞希の声が響く。「夢を見なくなったら、生きていないのも同然じゃん」真っ直ぐで力強く、けれど温かみのある声音。ハッキリしていなくとも追いかけたいという正直な気持ちが伝わってくる。

 

 その言葉を聞いた千聖は苛立ちを通り越して呆れてしまい、嘆息を吐いて皮肉混じりに告げた。「あなたって、意外とロマンチストなのね」

 

「現実だけを見て生きていくのには、不器用なものでね」

 

 力強さは変わらないものの、瑞希の声音が硬くなる。「あんたみたいに器用に生きることはできないんだよ」ぶっきらぼうな語勢ではあるものの、千聖にぶつけるというよりかは自分自分自身に向けて責め立ているかのようにも聞こえた。

 

「……私は、器用にならざるを得なかっただけよ」千聖は今までよりも憂いを帯びた口調で返す。視線を足元に落として、紅紫の瞳が揺れていく。成功を得た代償に取りこぼしてきた数々の過去が、恨めしそうにこちらを見ているような気がした。

 

 しばしの沈黙を経た後、瑞希が口を開く。「ベース、直したから」ようやく芥子(からし)色が紅紫色とぶつかり、ベースを片手に軽い口調で継いだ。「追加報酬もよろしく」

 

「ありがとう」

 

 礼を言って、瑞希からベースを受け取り、先程の愁眉を寄せた表情が嘘のように悠然とした笑みを浮かべる。「給料を上乗せするかは、検討させてもらうわ」穏和な微笑みとは裏腹に、語気は鋭利で相手を牽制していく。

 

 これを機に、相手に主導権を握らせたくないという気持ちが強く働いたから。たかがこれぐらいでと思うかもしれないが、小さな綻びはやがて大きな失脚にも繋がる。借りを作る事は相手にそれだけの弱みを握られているということ――ただでさえ借りは多いのに、これ以上増やしてしまっては利用されて蹴落とされるのではないかという子役時代からの警戒心が強く働く。

 一方の瑞希は「手厳しいな」と鼻白む事もなければ、軽薄に笑い飛ばす事もなく、ただ肩を竦めるばかりだった。

 

 

 

 

 それからまた数日後――千聖はいつも瑞希と一緒に練習しているスタジオでベースの弦を弾いていた。スマートフォンから流している音源は、Pastel*Pallet(パステルパレット)のデビュー曲。ピックで激しめに低音を奏で、リズムキープだけではなくベースが主役だと主張とするかのように暴れていく。

 

 正直、今でもベースを弾く楽しさというのは分からない。仕事だから弾くしかなかっただけで――それも割り振られた役割を演じることを強いられた。自分の力で役を勝ち取ることを許されないまま。

 

 けど、もし彼女のように笑えていたのなら、少しは楽しめるのだろうかとがよぎる。あまり好感が持てない相手の真似するのは癪だが、つまらないまま演奏しても音が活きてこないし、何よりもこのままだと息が詰まってしまいそう。だから、少しだけ口角を上げて音に身を任せてみる――心なしか弦を弾く手の動きが良くなり、先程より低音がしっかりと響きながらも活き活きとしているように思えた。

「遅刻して、すまなかった……?」ドアが開いて入ってきた瑞希と顔を合わせた瞬間、二人揃って固まる。紅紫の双眸(そうぼう)に映るのは、鳩が豆鉄砲を食ったように目をしばたたかせる彼女の姿。

 

「あんたもそんなか」

「あら? 遅かったじゃない」

 

 千聖は急いで平静を取り繕い、相手の言葉を遮りつつ、いつもの大人びた微笑みを貼りつけて冷たい声色で継ぐ。「待ちくたびれたわよ?」

「悪かったよ」

 

 即座に瑞希は謝罪し、ばつ悪そうな表情で後頭部を乱雑に掻きながら付け足す。「連絡も入れ忘れたことも」珍しく視線を逸らして、申し訳なさそうに眉尻を下げ、声音もどこか覇気がない。

 

「別にいいわよ」

 

 そんな顔をすることもあるのかと内心驚きながら千聖は落ち着いた口調で「それよりも練習を始めましょう」と話を切り替える。絶対先程のことについて触れさせたくないから。

 

「ちょい待ち」

 

 瑞希は左手で制止し、「頼まれたもの、見つけてきた」スクールバッグから一枚の紙を取り出して、千聖に見せる。そこにはバンドのイベントに関する情報が載ってあり、参加日時や募集要項などが詳しく記載されていた。「これが今のところ新人バンドを中心としたイベントかな」フライヤーを片手に告げる彼女の相好(そうごう)は穏やかで、語勢も鋭さはない。

 

 まさか本当に持ってくると予想していなかったが故に、千聖は目を丸くしながらフライヤーと瑞希の顔を交互に見る。確かに頼んだとは言えども、そう容易に見つけてきて提供してくれるとは思えなかった。

 

 やはり裏に何かあるのだろうかと勘ぐってしまう。こうも借りを簡単に作ってしまっては、いつかはこちらも……芸能界を幼少時代から生きてきたせいで、猜疑(さいぎ)心が強くなる一方。

 

「おいおい、どうした?」流石に彼女の挙動が不審だと感じたのか、瑞希も眉間に皺を寄せては語気も荒くして問いかける。「あんたが頼んできたものだろ?」

 

「いえ、本当に持ってきてくれるとは思わなかったから……」

 

 思わず表情が崩れてしまったことに悔やむも、隠す必要がないと判断して話す。千聖の(うち)では持ってきてくれたことに感謝しつつも、何か企んでいるのではないかと疑念があった。選ぶ相手を間違えたか、そんな後悔さえも僅かに湧き立つ。

 

 それを聞いた瑞希は、苛立ちを含めた嘆息をついた後、さらに双眸(そうぼう)を鋭く細めて強勢な口調で返す。「アタシ、そんなに信用なかったのかよ」

 

「そういう訳ではないけど……」

 

 これ以上踏み込まれていくのを嫌い、視線を逸らしては言葉が詰まる。「あなたに信用はされていないじゃないかと思って」何とか吐き出したが、どこか漠然としており、いつものように芯が通らない。

 

 どうして協力してくれるのだろうか、憎き相手の一人でもあるだろうに……そのことを踏まえて計算していたのに最初から崩されてしまった。どうやって説得しようか、どうやって目的を果たそうかと考えて――けれど、いとも簡単に事が進んでしまって逆に不安しかない。何を考えているのか、裏を読もうにも読めないのが腹立たしい。

 

「流石にアタシの音源垂れ流して演技する訳じゃないんでしょうが」

 

 あまりにも心外だったのか、瑞希は呆れ混じりにため息をつく。「あんたの生音でやるんだから、これぐらいのことはするって」意地の悪い笑みでも不機嫌そうな相好(そうごう)でもなく、ただ真剣な眼差しを向けていた。

 

「どうして、そんなに協力してくれるのかしら?」

 

 不信感が募り、思い切って質問を投げかける。目尻は吊り上げ、眉を(ひそ)めて厳しい表情を露わにしていた。「一応あなたの音を悪用した人間の一人なのに」紅紫の双眸(そうぼう)は冷たく刺々しい光を宿して、芥子(からし)色の瞳を射貫く。

 

「バンドをやる奴を支えたいから」聞こえた答えは至って簡潔だった。瑞希は冷淡な目を向けられても動じることなく、真っ直ぐに見つめ返すだけ。

 

 予想外な返答に千聖は口を(つぐ)んでしまう。たったそれだけの理由で承諾したのかと呆れや困惑が混ざって、本当に計画が崩れたような音が聞こえたような気がした。と、同時に疑念を持っていた自分への忸怩たる思いが込み上げてくる――何もかもが馬鹿らしいと。

 

 動揺が(うち)に広がる中、つと初めて喫茶店で対面した時に聞いた言葉を思い出す。「あなたは“笑いたくない時に笑わない”主義だったわね」ゆっくりと、けれど芯の通った声音でその言葉をなぞって、改めて瑞希と目を合わせる。

 

 自分よりも少し背が低く、あまり整えていない濃藍の短い髪や芥子(からし)色の鋭い瞳が印象的な彼女が、迷いもなく頷く。いつにも増して熱誠(ねっせい)かつ屈託のない眼差しで、一瞬たりとも逸らさずに。

 

 目の前にいる相手の顔を見て、千聖は心の中で薫風が通り抜けたような感覚を覚えつつ「分かった、信じるわ」とようやく認めてフライヤーを受け取って、台の方へと置く為に踵を返す。

 

「……まっ、もうバンド組まない分、これぐらいの手助けはしたいからね」

 

 千聖の背中を見つめながら寂しげに瞳を揺らして瑞希は呟くが、彼女の耳に届くことはなかった。

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