白銀ノエル
「もう酷いよね──だって──私のさ──誕生日──」
「食べ終わってからでいいですよ」
がつがつと、丼物でも食べているのかという勢いで、ノエルさんはパフェを食べていた。
只のパフェではない。俺とスバルが一緒に頼み、インチキして食べ切った巨大パフェである。
胸焼しそうってこういう事なんだなと思いながら、俺はカフェオレをすすり、舌先に感じたミルクの甘さに、俺は眉をひそめた。
いや、カフェオレなのだから甘くて当然だし、頼んだのは俺なのだけど。スバルが旨そうにしていたから、試してみようかと思ったのだが、失敗だった。
まさか、ノエルさんに注文を頼んで、お手洗いに立っている隙に、巨大パフェを頼まれ、挙句1人で食べ始めるとは、流石に思わなかったのだ。
──この人、さっき滅茶苦茶牛丼食べて無かったっけ。
衰えぬ食事速度を前に、うーんと、俺は少し前の事を思い返した。
***
起きて、窓の外を見たら、天気が良かった。それだけで、出かける用事は無かったが、外に出かけたくなった。
用事無いかなと思いながら一先ず午前中は家の事。その後昼食の準備をしたら冷蔵庫の中身が心許なくなって、これ幸いと、出掛けることに決めた。補充のための買い物がてら、ぼんやり散歩して、本屋に寄って新しい小説でも買って、その後は適当な喫茶店で珈琲でも飲もうかな小説でも読もうかなと、そんな事を思い、街へ出た。
暫く歩き、いつもの駅前。大体揃うから、つい此処に来てしまう。
駅前広場の一角では、わためが何時ものように歌っている。こちらに気が付き、嬉しそうにした彼女に手を振ってからは、少し離れた場所で、この後の計画を練る。
さて、どこに行こうか。その辺をぶらぶらするか、やや遠いがホールの方に行って森林浴でもしようか。わための歌を聴いていると、いっそ、わためが歌を終えるまで、此処にいてもいい気はしてきた。
思いつかなければそれでもいいかなと、ぼんやり空を仰いでいると、ざわざわと喧騒。
またわためが怒られたのかと思ったが、声の方が逆だ。何だろうとそちらに視線をやると、人だかり。
何かの撮影でもしているのか。それにしては、撮影車両のような物は見当たらない。普段なら遠巻きに見て終わるのだが、折角だし見てみようかと、俺は立ち上がり、その人だかりに近づいた。
人だかりは、どうも牛丼チェーンを囲んでいるらしい。何度か跳ねて中を見ると、覚えのある銀髪が見え、少々強引に人垣を割って、扉の前へ。
ガラスの向こう。警察に話を聞かれているのは、ノエルさん。必死に弁明している様子だが、こちらも見覚えのある、警察官の様子がおかしい。顔をしかめ、困った様子。
覚えのある展開に、俺は開閉ボタンを押して扉の中へ入った。視線がこっちに向く。
「あー! お願い、助けてー!」
わーんと、こちらに手を伸ばすノエルさん。
その態度に、知り合いだと思われたのだろう。警察官が、こっちに来る。
俺の事を覚えているらしく、またこいつかと言わんばかりの顔をされた。
「……知り合い?」
「……ええ、まあ。あの、何か?」
「この人が牛丼ドカ食いしたのに、お金払わないって店から通報があってね。話も出来ないし、どうしようかって、言っていた所」
「……」
ちらりと、ノエルさんに視線を移す。
「お財布忘れちゃっただけなの! でも言葉が通じないから出るに出られなくて!」
「……あー、お財布忘れたみたいで。とりあえず立て替えるので、それで勘弁して貰えませんか?」
「──だ、そうですけど。どうしますか?」
「払ってくれるならいいよ」
「すみません」
頭を下げる。はいこれと、店員さんから差し出される伝票。何故か、合計金額の所に5桁の数字。牛丼チェーンの、お1人様の料金とは思えない。
「……何かの間違い?」
「間違えじゃないよ」
「……」
視線をノエルさんに向ければ、逸らされる。間違いないらしい。
牛丼チェーンでこれだけ豪遊して、いつまでも居座っていれば、そりゃ不審がられそうだなと、そんな事を思いながら、財布を取り出す。
入れてきて良かったと思いながら、お札を取り出す。
「これで」
「……確かに。次は気を付けるように言ってね」
「はい」
レシートと釣銭をもらい、財布に入れる。
「それでは。自分はこれで」
「ご苦労様でした」
「ご苦労様です」
警察が帰っていくと、店の前の人だかりも徐々に消え、数名は店内に入ってきた。
「……もう大丈夫?」
「大丈夫です」
答えると、ホッっと、安心したように胸を撫で下ろすノエルさん。
席から立ち上がったのを見て、俺はノエルさんと共に、歩き出す。
人だかりはすっかり消えていた。まだちらちらとこちらに視線を向ける者は居たが、その程度だ。
「本当にありがとう。お金はちゃんと返すからね」
「お願いします」
「うん……あれ?」
ここで、ノエルさんが不思議そうに首を傾げる。
「何で君の言葉が分かるの?」
「……?」
何故その事に疑問を抱くのだろうと思ったが。そういえば、言葉が通じなくて警察を呼ばれていたことを思い出す。
「ノエルさん、翻訳魔法はどうしたんですか?」
「あー……ちょっとね。今、掛かってなくて」
「掛かってない?」
まあ、それなら確かに、周りの言葉が分からなくて当然と言った所だが。
……それならなぜ。
「俺の言葉が分かるんですか?」
「いや、私が知りたいんだけど」
俺に掛かっている翻訳魔法はシオンが掛けてくれた物だから、それが影響しているのだろうか。
うーんと、首を傾げる俺に、「まあいいや」と言ったノエルさんは、俺の腕を掴む。
「ちょっと付き合って」
「へ?」
一体どこにと思う俺を他所に、ノエルさんはぐんぐんと歩き始める。
余りの力に、逆らえない。大人しく引きずられ──冒頭に至る。
***
──足りはする。いざとなれば卸そう。
テーブルの下で、財布の中身を確認する。
先程牛丼屋で払ったお金は、財布に入れていた額の約半分。今、ノエルさんがドカ食いしていた巨大パフェも、パフェとしてはお高い金額だが、その他注文も合わせ、財布の中身で事足りた。
安心しながら、俺は財布をポケットに戻しながら、ノエルさんの方へ視線を向けた。
パフェをすっかり食べ切り、コーヒーを飲んでいるノエルさん。食事中から此処まで、ちょっと怒った様子はそのままだ。
というか。
「ノエルさん、誕生日だったんですね」
「そうなの! なのに、フレアもきんつばも、私の事置いて出かけちゃうし、書き置きが無いから、どこに行ったのかも分からないし!」
「成程……」
誕生日を祝われた事が無い俺には未知の感覚だ。1つ歳を重ねるだけの認識なのだけど。
まあ、フブキ先輩とかるしあとか、祝ったら喜ばれたから、祝われたら嬉しいんだろうなという事は何となく分かる。
「でも、誤解じゃないんですか? フレアさん、そういう所はそつなくこなしそうなイメージありますけど」
「いや。あれは絶対忘れているよ。間違いないね」
「……はぁ」
オタク知識だと、こういう時は、間違いないと言っている側が間違えている印象があるので、とりあえずさらに聞く。
「因みにお誕生日の日にちは?」
「11月24日!」
確かに今日だ。
「去年はどうしたんですか?」
「ちゃんと祝ってもらった!」
「……なら、忘れているってことは無いんじゃ?」
「……元の世界での話し合いとかで、ちょっとごたごたしてるから」
「なら、仕方ないのでは」
「私はちゃんとフレアの誕生日を覚えていたし、祝ったもん」
「……」
何だろう、カップルの痴話喧嘩に巻き込まれている感覚がしてきた。
とりあえず落ち着かせて、フレアさんと話し合わせる方向にしようと思い、口を開こうとして。
『もしもし』
「⁉」
ビクッっと、肩が跳ねた。
「どうしたの?」
「……あ、いえ。虫がいて吃驚しました」
「どこ⁉」
きょろきょろするノエルさんへ、「……どこか行きました」と返す俺の脳内に、
『驚かせてゴメンね』
声が響く。落ち着いてみれば、渦中のフレアさんであった。
『今、念話で話しかけているの。君も喋ってくれたら伝わるから、ちょっとノエルの前から移動してくれる?』
「……ノエルさん。ちょっとお手洗いに行ってきますね」
「うん、分かった。……何か頼んでもいい?」
「立て替えておきますけど、さっきのは勘弁してください」
「流石に無理だよー」
本当だろうかと思いながら、俺は席を立ち、トイレへと入った。
「もしもし」と言えば、『聞こえているよ』とフレアさんの声が返ってくる。
『なんかゴメンね。話は一応聞いたよ』
どうやって聞いたんだろう。きんつばの魔法だろうか。
俺の声も聞こえているみたいだし、そんな感じの魔法があるのかもしれない。
「フレアさん、ノエルさんの誕生日、忘れていたんですか?」
『いや。忘れていたわけじゃないんだけど……すれ違いが』
「すれ違い?」
『いや。実は、正確には今日はノエルの誕生日じゃないの』
「はい?」
どういう意味か。
『私達の世界とこっちの世界の暦って少しずれているから、ノエルの誕生日って、こっちの暦で言うと本当はもう何日か先なんだよ』
「あー」
時差みたいなものか。
『こっちに来て数年経つけど、いつもこの時期は向こうに戻っていたから、こっちでノエルの誕生日を祝うのは初めてなんだ。それで私は、向こうの暦に合わせて祝えばいいかなと思っていて、今日の事を気にしてなかったんだよね』
「成程」
『家に帰ったらノエちゃんいないし、探しに出たら君とお茶しているし、ノエちゃんは怒っているしって感じです。本当にごめんなさい』
確かにすれ違っていたらしい。
それなら謝って終わるかと思ったが、ノエルさんが素直に話を聞いてくれるか。
「……フレアさん。物は相談なんですけど──」
***
「すいません。戻りました」
「おかえり。大丈夫?」
「はい」
ちょっと長くなってしまい、席に戻るとノエルさんに心配された。
返事をしながら確認すると、パフェの容器が一つ増えていた。言った通り、巨大パフェにはしなかったようだが、それでも結構な量がある。
さっき見たメニュー表の金額を思い出しながら、席につくと、俺はノエルさんに切り出した。
「ノエルさん。折角だからこの後、付き合って貰えませんか?」
「付き合う?」
「お誕生日なんですよね? 折角ですから、何かプレゼントさせて下さい」
「え? 悪いよ。ただでさえ迷惑かけているのに」
申し訳なさそうにするノエルさんに、問う。
「家に帰って、フレアさんと顔合わせるの、気まずいのでは?」
「うぐ」
「それに、外で暇を潰そうにも、俺が居ないと碌に動けないのでは?」
「うぐぐ」
効果があるようなので、畳みかける。
「立て替えている分はきちんといただくので、そこは気にしないで下さい。私の気が晴れるまで付き合え位、言って貰って大丈夫ですよ。誕生日なんですから」
「……じゃあ、お願いします」
「はい」
少し難しい顔をしながらも、そう言ってきたノエルさんへ、俺は頷き返し。お会計を済ませ、俺達は外へ出た。
正直、あまり遊ぶ施設には詳しくなく、ノエルさんに普段どんな事をしているのか聞いてみる。
「ドラゴン探しと調査位。正直報告送れば他は休みみたいな感じではあるけど、お金はあんまり無いから、あんまり遊んだりはしないかな」
「なら気になる事とか」
「気になる事かー」
歩きながら、うーん、とあちこちきょろきょろと見渡す。
こちらに来て数年経っているし、やった事が無い事は、あまり無いのではないだろうかと思いながら、ノエルさんの返事を待っていると。
「あそことか」
ノエルさんが指さす。視線を向ければ、そこはレジャー施設であった。階によって、スポーツが出来たり、カラオケが出来たりする、総合施設である。
俺も詳しくないが、一応すこん部でカラオケに行く時は大体あそこだから、出来る事くらいは知っている。
「いいですね。じゃあ、あそこにしましょうか」
ノエルさんと共に入り、受付を済ませると、フロア案内を眺める。
屋上にはフットサルのコート。5階にはテニスのコートやバッティングコーナーなどのスペースを使う運動コーナー。
4階にローラーブレードやセグウェイ、卓球など小スペースの運動コーナー。3階はボーリングやダーツ、ビリヤードが続き、2階にカラオケや漫画などの読める休憩スペースと続いていた。
改めてこうして見ると、色々出来るなと感心する。とりあえずフリータイムで受付したので、全フロアで遊べるが。
「どうしますか?」
「うーん……とりあえず、上から色々やってみたいかな」
「え? 大丈夫ですか?」
「何が?」
「いえ。靴はレンタルありますけど、スカートだから」
いつもの癖で、カラオケだけのつもりだった。
運動系だと、見えてしまうのではと思ったのだが、「大丈夫」とノエルさん。
「この下にちゃんとスパッツ穿いているから」
「あ、そうなんですね」
それならと、受付で靴を借り、ロッカーへ荷物を預け、俺とノエルさんは5階へ向かう。
一通り見て回る。そんな中で、カップルだろうか。テニスをやっている男女が目に入った。キャッキャとラリーをしていた2人は、やがて女性の方が疲れたーと言ったのをきっかけに、コートを後にし、テニスコートが開いた。
丁度いいので、そのままテニスコートに入る。
「えっと、これでボールを打てばいいの?」
ラケットを手に取りながら尋ねてくるノエルさんに、「そうです」と返す。
ノエルさんは、ボールを手に取り具合を確かめると、よーしと意気込んだ。
その間に俺は対面のコートへ移動し、そちら側にあったラケットを手に取る。一応、ホロ学入学時にテニス部にも入り、少しは教わったから、まあ軽いラリー位なら出来るかと思いながらノエルさんの方を向く。
「打っていいですよ」
「分かったー」
そう言ったノエルさんが、ボールを真上に投げた。ラケットは引かれ、重心が下がる。
あれ、と疑問に思う俺を他所に、ボールが空中で止まり、落ちるか否やという頃合い。
ノエルさんの身体が跳ねた。ラケットが振られ、ボールを捉える。
「えーい!」
可愛らしい声と共に、堂に入った姿勢でサーブが放たれた。
俺の眼でもって、ぎりぎり軌道を捉える速度。数歩移動。部活中にこなしていた素振りの仕方を思い出しながら、右足を引いて、フォアハンドでラケットを振る。
ヘッドにボールが当たる。直後、ラケットを弾き飛ばされそうになり、思わず魔力で体を強化してしまい、ボールを返した。
真っ直ぐ返ったボールが、ノエルさんのコートで跳ねる。その先に、フォアハンドにラケットを振るノエルさん。
ボールとヘッドがぶつかり、難なくノエルさんはラケットを振り切る。
クロスのボール。走り追い付き、バックハンド。またもラケットが弾かれそうになり、強化。振る。
同じくクロス。ノエルさんのいる方へ、ボールが返り、ノエルさんは危なげなく、それを俺のコートへと返してきた。
幸い俺の傍。直ぐに追いつき、ボールを返す。想像通り、素のパワーではどうにも出来なさそうだったので、体は強化したままだ。
──思っていたのと違う!
さっきのカップルではないが、もうちょっとこう、和気藹々とした物を想像していたのだが。
ノエルさんの球威は尋常でなく、息つく暇もない。しかも、やはり初心者なのかスライスやロブが無く、フラットストロークの全力スイングのみ。そのせいでスピンがかかることは殆ど無く、素直に跳ねるから、此処に来るだろうと思った場所にちゃんと来る為、魔力で強化していれば一応返せてしまう。
勿論、態と失敗する、態と場外へ飛ばすといったことをすれば、このラリーも終幕を迎えるのだが。
ホストとして、楽しそうにテニスをするノエルさんを裏切るわけにはいかない。
「おっしゃ、こーい!」
意気込むと同時、ノエルさんがラケットを振る。ボールとヘッドが当たり、返ってきた。それを返す。
遊び無しのラリーが続く。必要な魔力の量を把握し、テニスの才能あったんだなと、そんなどうでもいいことを考える余裕すら出てきた矢先。
ノエルさんが、やっちゃったという顔をしたのが見えた。何事かと思いながらも追い付き、ラケットを振り、ボールを捉える。圧された。球威が上がっている。片手持ちを両手に変える。まだ重い、が。
「らぁ!」
何とか振る。ボールがノエルさんのコートへ。
ノエルさんの顔に驚きが現れ、そして笑う。にこにことした笑顔ではない、悪戯をする時のような笑い。
やらかしたと悟る。対面のコートでノエルさんがラケットを構える。片手ではなく、両手持ち。
「てーい!」
野球もかくやとばかりの全力スイング。
俺と違い、一切の抵抗が無かったのだろう。ブンと、ラケットは振られた。
ボールが向きを変え、俺の方へと飛んでくる。ネット上を抜け、俺のコートに落ちることなく、真っ直ぐ。
──……いや無理!
打ち返す選択肢は無く、流石に屈んで避ける。ボールはそのまま頭上を抜けていった。
「うおっ⁉」
背後から声。屈んだ状態で振り返ると、周囲とテニスコートを区切るネットに、ボールが突き刺さっていた。
声の主は、どうやら俺達を観察していた男性の物だったらしい。男性は尻もちをついていた。ボールは男性が立っていたら顔のあったであろう位置にあるから、多分、そういう事。
「すいません、大丈夫ですか⁉」
「あ、ああ。こっちもじろじろ見ていて済まない」
ネットからボールを外しつつ、男性に問う。あははとから笑いを浮かべた男性は、そのまま逃げるように何処かへ去っていった。
何だろうかと思いつつも、何事も無かったようで、安心する。ボールをバウンドさせながら、コートへ戻った。
「大丈夫そうでしたけど、もう少し抑えてください」
「分かったー」
ぶんぶんとラケットを振るノエルさん。これで大丈夫だろうと思いつつ、サーブを放った。
***
暫くして。
肩で息をする俺と、少し息を乱れた程度のノエルさんが、テニスコートを後にした。
そのまま自販機に向かい、スポーツドリンクを買って、呷る。
「大丈夫?」
「…………余裕っすよ。ただ、ちょっと運動系から離れませんか」
「そうだね」
俺の限界ぶりが分かったのか、自販機の前のベンチから動かない俺の隣に座ったノエルさん。
「私も貰っていい?」
「あ、すみません。新しいの買ってきます」
「それでいいよ」
「そうですか?」
それならと、三分の二程飲み干したスポーツドリンクのペットボトルをノエルさんに渡す。
ノエルさんが、そのまま残ったドリンクを全て飲み干した。ふぅと、息を吐きながら、ノエルさんが濡れた唇を拭いながら、立ち上がった。空のボトルをゴミ箱へ捨てながら、その近くのフロア案内を見始める。
「このセグウェイって何?」
「えっと……良く分からないです」
セグウェイって何だろう。
「じゃあ、それにしましょうか」
体力も幾ばくか回復したので、俺は立ち上がり、ノエルさんと一緒に階段を下る。
フロアの隅にセグウェイ用のコートはあったが、行っている者はいない。
「とりあえず借りてみましょうか」
「うん」
4階の受付で、セグウェイとサポーターを借り、コートへ向かう。セグウェイは、タイヤのついた機械の板だった。重心移動で、動くらしい。
コート脇のベンチで、サポーターを付け、コートに入り、セグウェイに足を掛ける。
「君はやったことある?」
「いえ。初めてですね」
どんなものなんだろうと思いながら、セグウェイに両足を載せた。
直後、セグウェイがぐるぐると動いた。バランスを取ろうにも、それ以上に回転するせいで、バランスが取れず、そのままこける。
「大丈夫?」
「……こんな感じです」
「気を付けるね」
言いながら、ノエルさんが立ち上がった。
同じようにくるくると回って、俺と違いセグウェイを降りる。
「ちょっと難しいかも」
言いながら、ノエルさんは壁の手すりのある所までセグウェイを持っていき、そこに乗る。暫く動くが、勝手がつかめたのか、セグウェイが大人しくなった。
手すりを放し、暫くして、ノエルさんが滑り出した。最初は両手を広げてバランスを取っていたが、直ぐに安定し、すいすいと危なげなく滑っている。
「おー」
「君も滑りなよ。楽しいよ?」
「……」
そう言われ、再度乗ってみる。くるくるずでん。
「どうしたら」
「ちょっと待って」
スイーッっと、ノエルさんが俺の前に来た。
「はい」
両手を差し出される。一瞬意味が分からなかったが、理解し、俺はその手を取りながら、セグウェイに乗った。
くるくると回りだす。そんな俺を、セグウェイに乗ったままのノエルさんが旨く支えて見せる。
「重心意識して。難しいなら、前のめりになるイメージでいいよ」
言われた通り、前のめりになる。すると、回転は止まったものの、前方へ進み始めた。
そのままノエルさんにぶつかりそうになる。しかし、それより早く、ノエルさんが後ろに下がり始めた。
「上手上手」
「……」
ちょっと残念とか思ってない。
暫くそのまま、ノエルさんに手を引かれながら、セグウェイを練習する。
慣れてくると案外簡単で、返却時間になるころには、方向転換やバック走も出来るようにはなった。
この技術が果たして今後活かされることは在るのだろうかと思いながら、時間いっぱいセグウェイを乗りこなし、返却。
そのころには、テニスの疲れはすっかり取れていた。
「次は何やります?」
「それじゃあ──」
ノエルさんに言われるまま、卓球やボウリング等、色々なスポーツをこなし。
一通り終えて、外に出た時には、既に日も暮れかけていた。
「もうすぐ夜だね」
「そうですね」
未だに連絡は来ない。終わったら、呼ぶと言っていたのだが。
ちらりとノエルさんを見ると、ググッっと背伸びをしていた。その顔は満足そうで、気も晴れた様子。
帰ると言いかねない表情だ。これはまずい。
「じゃあ、次は何します?」
「うーん……いい時間だし、帰るよ」
「……」
ですよね、と言いそうになり、飲み込む。
「でも、まだノエルさんのプレゼント、買ってないですし」
「いいよ。充分楽しかったし。気も晴れたからさ」
「いやでも」
「ありがとうね」
「……」
もう、準備中と関係なしに連れ帰ろうかと思っていると、スマホが鳴った。
「あ、ちょっとごめんなさい」
スマホを取り出す。着信画面に、シオンの文字。
「もしもし? シオン、どうした?」
『私』
届いたのは、シオンではなくフレアさんの声だった。
『お待たせ、準備出来たよ』
「了解。直ぐ帰るよ」
一応、シオンやわためからを装い、敬語ではなくため口で返し。
そのまま、電話を切って、ノエルさんを見る。
「ノエルさん、良かったら家でご飯食べません?」
「いや、悪いし。フレアも準備していると思うから」
「そのフレアさん、今、俺の家にいるみたいです。わためと駅前で会って、お呼ばれしたって」
「え? そんな事」
不自然に、ノエルさんの言葉が途切れる。
「もしもし、フレア?」
そのまま虚空としゃべり始める。多分、念話だろう。大人しく待つ。
「──大丈夫なの? ──うん、分かった。大丈夫、一緒にいるから。 ──分かった、後でね、フレア」
ノエルさんの眼が、俺の方を向いた。
「じゃあ、ご相伴に預かります」
「はい。こっちですよ」
一緒に歩きだす。
施設を出た時は、すっきりした顔をしていたのだが、また怒りがぶり返したのか、ちょっとぷりぷりしていた。
「もう、何で勝手に決めるかな。わためちゃんがいいって言ったって、君が家主なのにね」
「まあ、俺は基本的に来るもの拒まずなので」
「それでもだよ。大体、私の誕生日忘れて、わためちゃんと一緒なんて」
怒りの比重はそこが大きそうだった。
「そうですね」
「そもそもさー」
帰路を、悶々としているものを全て吐き出してやると言わんばかりのノエルさんの言葉を、程々に同意しながら進み。30分程で、家の前へ着いた。
鍵を開け、「ただいまー」と少し大きめの声を出して合図を送ってから、ノエルさんを招き入れた。
「どうぞ」
「ありがとね」
靴を脱いだノエルさん。フレアさんの靴を見つけ、僅かにムッっとするのが見える。
その気が晴れる事を願いながら、俺は玄関脇の階段へ足を掛ける。
「廊下の奥がリビングなんで、先に行っていて下さい。俺、部屋に荷物置いてきます」
「あ、うん。分かった」
ノエルさんが素直にリビングへ向かって歩き出す。俺は2階へ上がらず、こっそりノエルさんの様子を伺う。
リビングまでは直ぐに着いた。ノエルさんが、ドアノブに手をかけ、扉を開ける。
直後、派手なクラッカーの音が響いた。
『お誕生日おめでとー!』
そんな言葉が、リビングから届いて来たのは、それから間もなくの事であった。
***
「サプライズって事にしませんか?」
『サプライズ?』
喫茶店での念話で、俺はフレアさんにそんな提案をした。
「誕生日を覚えていて、こっそり準備していたって事にしちゃうんです」
『成程……でも、それだとノエちゃん騙すみたいじゃない?』
「そうは言っても、このままだと、本来の誕生日の日にノエルさんを祝っても、微妙な感じになりませんか?」
『それは……まあ、確かに』
ノエルさんが今日を誕生日だと思っている以上、祝われると思っていた日に祝われず、別の日に祝われるとなると、忘れていたくせにという想いがどうしても残り、ノエルさんも素直に喜べないだろうと思ったのだ。
「一旦、今日祝ってあげましょう。その後どうするのかは、フレアさんにお任せします」
『……うん、そうするよ。手伝って貰える?』
「勿論」
***
「──とまあ、こんな感じでした」
「もー!」
『本日の主役』と書かれたタスキを下げたノエルさんに、話せる範囲のネタばらしをすると、やっぱりぷんすかと怒る。
ただその怒りは嬉しさの滲んだ、照れ隠し的な怒りだった。
「ごめんね、ノエちゃん」
「……いいけど、今度からはちゃんと書き置きしてから出かけてよね」
「それは、本当にごめん。ちょっとのつもりだった」
「お料理、持ってきたよー」
短時間で飾りつけしたとは思えぬくらい、しっかりと飾り付けされたリビングに、わためやシオンが料理を運んでくる。シオンと目が合えば、ジト目を向けられたので、苦笑しながらアイコンタクトで謝罪する。しっかり手伝ってくれたらしいので、後でお礼をしなければならない。
「ケーキもあるからね! シオンちゃんに聞いたの。こっちだと、誕生日と言えばケーキだって」
「ナイス、シオン。ろうそく立てます?」
「あ、ケーキ屋さんでも聞かれて一応貰って来たけど。なんでろうそく?」
「こっちだと、歳の数だけろうそくを立てて、吹き消す儀式があるんです」
「……ろうそく立てるの大変じゃない?」
「まあ、そんなしっかりしたものでもないですし、適当に5本とかでいいと思いますよ」
そんな滅茶苦茶大きいケーキでもない。ノエルさんなら1人で食べきれそうなサイズだ。
長めのろうそく5本をケーキに立て、火をつけようとして。
「誕生日の歌とかあるんですか?」
ふとした疑問を抱き尋ねる。俺の言葉に、フレアさんは少し悩み。
「折角だしそれもこっちの世界風にしたいな。ノエちゃんは?」
「私もいいよ」
「じゃあ教えて貰える?」
そんな事を言ってきた。ちらりとわためを見れば、きらきらとした目でこちらを見ている。知らないらしい。
シオンへ視線を戻せば。こちらはにやにやと。このクソガキ、楽しんでやがる。
「……歌います」
恥ずかしさをこらえながら、誕生日の歌を1人歌う。
「……覚えました?」
「大丈夫そう。ありがとうね」
「いーえ。ノエルさんは、歌が終わったら、ろうそくを吹き消してくださいね」
「分かった」
改めて、ろうそくに火をつけ。
「電気消しますねー」
ぱちんと、電気のボタンを押し、消灯。
俺が座ると、「いくよー。さん、はい」と手拍子と共に、わためが言う。
Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday, dear Noel
Happy birthday to you
歌い終わり、ノエルさんが一息に、ろうそくを吹き消した。
***
数日後。
「はいこれ」
「……ありがとうございます」
ノエルさんと改めて会った俺は、先日立て替えたお金を受け取った。
特に中身を確認せず、鞄へしまう。少ない事は無いだろうし、多い分には後で何かで還元するか、わため経由で返せばいい。
「ありがとう。君の案だったんだって? あのパーティー」
「……聞いたんですか?」
「うん。ごめんねって謝られたよ」
言ったらしい。素直な人だと、そんな事を思う。
「余計でしたかね?」
「そんな事ないよ。思い切り体を動かしたけど、少しもやもやしていたし」
「そう言って貰えると、嬉しいです」
あの後、余計な事をしたのではと、俺ももやもやしていたから、正直救われる。
「そういえば、本来の誕生日って何時なんですか?」
「昨日。改めて祝って貰っちゃった」
2つ年取った気分と、ノエルさんが笑う。
「それなら、丁度良かったです」
「何が?」
鞄から、包みを一つ。明日会えるかと、昨日念話でノエルさんに聞かれた後に、準備したものを取り出す。
「1日遅れですが、誕生日おめでとうございます、ノエルさん」
「え? いいの?」
「勿論。気に入って貰えると嬉しいです」
中身は髪留めだった。無難にバレッタと呼ばれるものである。
銀髪に合う色が良く分からず、店員さんに質問しながらも、無難な物にした。
中身を見たノエルさんが、くすりと笑うと、それを取り出し、右耳の上あたりにつける。
「似合う?」
「……良く分かりません」
「よほど変じゃないなら、そこは似合うって言っておけばいいの」
「似合います」
「よろしい」
くすくすと、ノエルさんは笑う。
「ありがとう。大事にするね」
「はい」
ノエルさんの言葉に頷いて返す。
俺の要件は終わったので、ノエルさんのアクションを待つ。
ノエルさんは、唇に指をあて、何か考え始めた。どうしたのだろうと待っていると、目が合う。
暫しの間を開け、唇から手を離したノエルさんが俺を手招き。
何事だろうかと、近づくと、ノエルさんの背が、急に伸びた。
背伸びしたのだと、気付くより早く、頬に柔らかい感触を覚え。
何事かと思うより早く、ノエルさんが俺から離れる。
「じゃあね。また遊ぼうね」
ひらひらと手を振って、ノエルさんが走り去る。
「……」
機械的に、ひらひらと手を振り返しながら、状況を把握しようと頭を回すが。
「……何?」
理解出来なかった。何があったのだろう。
お疲れ様でした