ある朝。インターホンの音にせかされ、俺が扉を開けると。
いつもと違い、柄物の白シャツに黒のスカートを合わせ、足元をサンダルで彩る、大き目の鞄を持ったフブキ先輩が、其処には立っていた。
「おはよ!」
「おはようございます。……とりあえず、鞄を持ちましょうか?」
「そう? ありがと!」
朝から元気なフブキ先輩への挨拶を返しながら、一先ず重そうな鞄を受け取る。
見掛け倒しということはなく、思っていたより重くは無いが、ズシリと来た。何が入っているのだろう。
──何か約束あったっけ?
わざわざこんな大荷物を持って訪ねて来たのだから、何か約束をしたと思うが、しかし、昨晩連絡を取っていた時も、特にそういった話は出なかった。
それともどこかに行く用事があり、その過程で寄ったのか。でも、それなら荷物を預けるとは思えないし、そうする理由に心当たりはない。
何か忘れているだろかと、思い出そうとする俺に、フブキ先輩が口を開く。
「海行こ!」
「……」
思わず、フブキ先輩と自分の額に手を置いた。
狐の平熱は分からないが、人間の感覚で言えば、特別熱いという感じはない。
「熱は無さそうですね」
「私の事を何だと思っているの?」
「ドルオタ。アニオタ。ゲーオタ」
「……」
ぐぬぬと悔しそうな表情を浮かべるフブキ先輩。そんな表情をされても事実だから、仕方がない。
フブキ先輩も、返す言葉が思いつかなかったようで、諦めた様子でポケットを漁り。
取り出したのは、スマートフォン。
「ゲーオタの方の用事なんだけど」
そう言って、スマホの画面を俺へと向ける。映っていたのはGPS連動のゲームアプリであった。
ゲーム起動中に移動すると、モンスターが出てきて、それを捕まえて遊ぶというシンプルな物だ。
「フブキ先輩、これやっていたんですね」
外に出て歩き回らないといけないから、インドア派のフブキ先輩とは相性が悪く、未プレイだと思っていた。
「そんながっつりやっている訳じゃないけど。それでね? 電車で少し行った所にある海水浴場で、モンスターが大量発生しているから、折角だし一緒にいけないかなって思って誘いに来たんだ」
「成程」
イベントの為に海まで行く、というのは個人的にはガッツリ寄りな気もしたが。
まあ、フブキ先輩だしなと思う俺へ、「それに」とフブキ先輩。
「この時期の海に一人で行くのもね」
「……成程」
夏の海なんて、どんな人が多いのか、何となくの想像はつく。
それに、フブキ先輩が一人で居たら、声を掛けてくる人だって居るだろうし。
「分かりました。何か準備はありますか?」
「大丈夫。熱中症対策位でいいよ」
「分かりました。30分で準備するので、上がって待っていてください」
「はーい」
……はて。そういえば、この辺りに海なんてあっただろうか?
***
数時間後。
「海だー!!」
「……ですね」
「どうしたー? テンション低いよー?」
「……」
どうしたも何も。周りに人が居るし、滅茶苦茶暑いし、熱量についていけない。
電車を乗り換えここまで1時間強。あまり遠出しない身としては既に大冒険で、暑さも込みで少し疲れた。
何故この人はこんなに溌剌としているのだろうと思いながら、俺は周囲を見渡した。
当たり前だが、砂浜と海が広がっている。穴場というわけではないらしく、海水浴場にはそれなりの人が居て、それ目当ての海の家もちらほら。
視線を海の方から陸の方へ移す。車道では海水浴客らしき車が、少しばかりの渋滞を作っていた。
海沿いの歩道には、海を見ずにスマホへ視線を落としている人達が何人か。
時折、画面下から上に向けてスライドさせる動作をしている辺り、フブキ先輩と同じ目的なのだろう。こんな暑い中で、すさまじい根性だなと感心してしまう。
「君はやらないの?」
声を掛けられ、視線をフブキ先輩へ戻す。スマホを手に、やる気満々といった様子のフブキ先輩。
やるのは構わないのだが、俺はこのゲームをダウンロードしていなかった。
今からゲームをダウンロードして、設定やチュートリアルを済ませて、と考えるとちょっとやる気は出ない。
「はい。フブキ先輩を見守っています」
「……それはそれで恥ずかしいんだけど」
むにゃむにゃと何事か訴えるフブキ先輩。
そんなフブキ先輩へ、えいやとキャップをかぶせる。隠れるかと思った三角耳はキャップを貫通した。
一旦帽子を持ち上げるが、特に帽子に穴は開いていない。
不思議に思いながらもう一度被せる。やはり貫通した。どういう原理なのだろう。
首を傾げる俺に、フブキ先輩は、不思議そうな顔をした。
「どうしたの?」
「いえ別に」
「このキャップは?」
「熱中症対策です」
「あ、そっか」
理解したらしいフブキ先輩が、キャップの位置を調整する。どこに調整しても、耳は貫通したままだから、そういうものなのかと納得しつつ、傍らで、俺もキャップを被る。
フブキ先輩へ被せた物と同型のキャップ。色だけ異なり、フブキ先輩は黒で、俺が白である。
キャップを被った俺を、フブキ先輩が見上げる。ジッっと、何か観察する目。
「なんか」
「はい?」
「……んーん。何でも無い」
俺のキャップを見上げたフブキ先輩が、言葉を飲み込んだ。何か変だろうか。
キャップを外し確認するが、特におかしな所は無い。
首を傾げていると、フブキ先輩が俺の手からキャップを取り上げた。そのまま後ろに回ると、腰の辺りにキャップをつけられる。
「どうしたんですか?」
「いや、深い意味は無いよ」
「そうですか?」
訳が分からずにいると、満足したらしいフブキ先輩は、ひょいと跳んで、キャップを俺の頭へと乗せた。
戻されたキャップを整える。いい感じに収まったことを確認し、フブキ先輩へ視線を向けた。
「それじゃあ、行きます?」
「どこに? 目的地はここだよ?」
「え? でも、そのゲームって歩く必要ありますよね?」
「──ああ、大丈夫」
見せられた画面は、確かに見覚えのあるゲーム画面だったが、先程までと違い、花弁のようなエフェクトが舞っている。
「この状態だと、動かなくても時間経過でモンスターが沸くんだよ」
そうフブキ先輩が言う傍から、確かにモンスターが沸いていた。
「移動するゲームで移動しなくていいんですね」
「そうなの。さて、バシバシ捕まえるね」
「頑張って下さい」
***
それから暫く、時折雑談を交えながらフブキ先輩はモンスターを捕まえ、そんなフブキ先輩を俺は見守っていた。
ゲーム自体はやり慣れているようで、基本動かすのは右手位。くるくるとモンスターを捕まえる為のアイテムを回し、タイミング良く投擲。投げられたアイテムはカーブしながらモンスターへと飛んでいき、ヒット、捕獲の流れ。捕獲前に判定があるようで、アイテムが細動するのだが、その瞬間は流石に緊張するようで、フブキ先輩の耳がぴくぴくと動いている。
──かわいい。
摘まんでみたい衝動に駆られるが、何とか抑える。
正直少し暇ではあったが、一喜一憂しながらゲームする姿には飽きが来ない。
耳が動くのも表情が変わるのも。普段と違い、青空の下、大海原の傍というロケーションの効果なのか、一際輝いて見える。
──なんか変なテンションになっているな。
それともこれも、歩み始めたオタク道の成果なのだろうか。良く分からないが、変なテンションのままだと何か口走りかねないし、一度頭を冷やした方がいいかもしれない。炎天下で水分補給も無しに立ちっぱなしだし。
「フブキ先輩。飲み物を買いに行ってきてもいいですか?」
「うん、いいよー。ついでに私の分もお願いしてもいいかな?」
「勿論です。スポドリとかでいいですか?」
「大丈夫だよ」
スマホから顔を上げたフブキ先輩が、笑顔を向けてきた。
その笑顔にほんわかしながら笑い返し、俺はその場を離れる。
歩きながら、自販機を探す。ざっと見渡した限りでは、自販機を確認出来ない。不便さを感じながら、散策がてらに歩く。
海の方から、わいわいとカップルや友人、家族連れの声が聞こえてくる。俺は何と無しにそちらを見た。
来た時と変わらず、砂浜にも海にも多くの人。引っ越しの際、海辺の町に移動することは何度かあったが、こうして海沿いを歩くのは大体オフシーズンの人が居ない時だから、賑やかな海というのはそれだけで新鮮な気持ちになる。
あの輪の中に入りたい、という気持ちは人が多過ぎて起きないが、こうも暑いと、海に入って涼みたいという気持ちと、フブキ先輩と少し位は海で遊びたいという気持ちは芽生えてきた。
──戻ったら誘ってみるか。
水着にならずとも、波打ち際で少し水に触れる程度なら問題無いだろう。
そうと決めれば、序でにタオルか何かを買って戻ろうと思い、自販機ではなくコンビニを探すつもりで、俺は周囲を見渡した。すると、気持ちを新たにして視界が開けたのか、道を渡った先にコンビニを見つけた。
俺は海岸沿いの道を急ぎ、横断歩道を渡り、更に進んで、コンビニへと入る。
駐車場で察していたが、店内には少なくない人が居る。海水浴客だろうか、海パンにシャツを羽織っているだけの人も居た。混み合う店内を合間縫って進み、スポドリとタオルを手に取る。軽く値段を確認するが、観光地価格らしく少し高い。とはいえ、フブキ先輩を待たせている以上、コンビニの梯子は出来ない。俺は、そそくさと目当ての物を買い、袋に詰めて貰い、外へ出た。
レジも混んでいたせいで、時間がかかってしまった。元来た道を、急ぎ戻る。横断歩道に差し掛かり、赤信号の為、少し待機。
横断歩道の対岸に、男が二人。さっき、フブキ先輩と同じくゲームに講じていたと思しき二人であった。
移動してきたらしい。まあ、本来なら歩く必要のあるゲームだし、特に不思議は無い。
待っているうちに、青になった。左右を確認し、小走りに渡り切る。
渡りきった所で、声を聴いた。
「あの子、大丈夫かな?」
「大丈夫だろ……元々一人じゃなかったし」
「いやでも」
何かあったのだろうかと思い、足を止め、声の方へ視線を向ける。
視線に気づかぬまま、男達は話を続けていた。
「でも困っているみたいだったし」
「此処まで来てから言うなよ」
「それはそうなんだけどさ」
「──あの」
二人の話が移動してくる前らしく、俺は思わず話しかけた。男達の視線が俺へ向く。
「今の話なんですけど」
その内の一人が俺に見覚えがあったのだろう。「あっ」っと声を上げた。
「そうだ、アンタ!」
「はい?」
「アンタと一緒に居た女の子! さっき絡まれ「場所は?」へ?」
「何処で絡まれていた?」
「何処って、アンタ達がゲームしていたのと同じ場所「どうも」」
男の言葉を最後まで聞く事無く、俺は地面を蹴った。
一歩目でグンと速度が上がる。速度に乗ったまま、歩を進める。
時折すれ違う人を、ギリギリ、もしくはかすりながら躱し、道を急ぐ。
数分と経たず、その姿が見えてきた。
別れた時と同じ場所に、フブキ先輩。そして、先輩を囲むように、男が1人。
更に進むと、フブキ先輩の顔が見える。怒り顔。耳が立って、何かを叫んでいる様子。
しかし、男に何事かを言い返され、それに怯み。その隙にとばかりに、男に手首を掴まれた。
その瞬間、フブキ先輩の表情が、微かに歪む。
「おい」
フブキ先輩の手首を掴む男の手首を掴んだ。
思い切り握りしめると、男の手はフブキ先輩から離れ、その隙に捻り上げる。
「彼女に何か?」
次週、多分後編(もしかしたら中後編に分けるかも)