時間は少し遡って。
「遅いなー」
フブキは、後輩が歩いて行った方へと視線を向けた。
着いていけば良かったかなと少し後悔しながら、後輩の姿が無い事を確認すると、フブキはスマホへ視線を戻す。
移動とゲームに時間をかけすぎた。時刻は午後1時を既に回り、2時になろうかという頃合い。
合流してご飯を食べてと動いたら、あっという間に帰る時間になってもおかしくない。
――どうしてこんな事に。
大体自業自得なのだが、フブキは心中で頭を抱える。このまま家に帰ったら、ミオに笑われるに違いない。それは嫌だ。何か負けた気がする。
「よし、帰ってきたら、ちゃんと誘おう」
ここ一番、頑張り処。むん、と意気込むフブキ。ただ、タイミングが悪かった。
「お? 何、誘われちゃう感じ?」
フブキの独り言を、聞いていた者が一人。
海水浴客なのだろう。海パンを穿き、いかにも遊んでいるような風貌の男が、フブキへ近づく。
やってしまった、とフブキ。考え事をしていて、周りに目が行っていなかった。
にやにやと笑いながら近づいてくる男を睨みながら、フブキは返す。
「違います。人と一緒に来ているの」
「えー? でも、一人みたいだけど」
「買い物に行ってくれているの。いいから、あっちに行って下さい」
「誘わなきゃって言っていたじゃない。それって、一緒に来ている奴はどうでもいいって事でしょ? ならいいじゃない、俺と遊ぼうぜ?」
その言葉にフブキは歯噛みした。何も知らない癖にと、そう思いながら、しかし冷静に。
「違います。一緒に来ているのは彼氏。その彼氏を、ちゃんと海に誘おうって考えていたの」
強がり混じりにフブキが言い返す。こう言えば、諦めるだろうとも。
しかしその言葉に、男は怪訝な顔をした。
「はぁ? 何で今海に来ているのに、海に誘うんだよ」
「……」
全くである。
此処まで来ていて、海に誘うも何もと、言葉だけを見れば、フブキ自身もそう思う。我ながら荒唐無稽な事を言った事を自覚した。
とはいえ、何故こんな決意をしていたのか、見ず知らずの人間に晒すのは流石に恥ずかしい。
結果、口籠ったフブキを前に、調子づいたらしい男が、フブキの腕を掴んだ。強く握られ、痛みが走る。
その直後。
「彼女に何か?」
「あ⁉ なん――」
そんな言葉と共に、男の腕は掴まれた。
フブキが見ると、怒りに顔を染めた後輩の姿。掴まれた男も何か言おうとしていたが、その表情を見止めると、言葉に詰まっていた。その間に、フブキの腕から男の手は離れ、そのまま捻り上げられる。
「フブキ先輩、大丈夫ですか?」
「う、うん。ありがと」
フブキの言葉に安堵の表情を浮かべた少年は、次の瞬間には男を睨みつける。
「で? もう一度聞きますけど、彼女に何か用ですか?」
――おー。
その後輩の様子に、本当に自分を大切に想っている事が分かり、フブキの気分が晴れる。
一方の男は、それどころでは無かった。返答を間違えたら何かされるのではないかと思わせる鬼気迫る顔。変な事を言えば最後、血祭に上げられるのではと、そんな想像が頭を離れない。フブキへ声をかけてきた時の雰囲気は既に無く、何とか体裁は保てているが、言葉が出ない様子だ。
しかし、間の悪い事に、そんな男の様子に、頭に血が上っているらしい少年が気付く事は無く。
「……おい。だから俺のフブキ先輩に何か用かって聞いているんだよ」
更なる威圧をしていた。
一方のフブキ。正直後輩の様子が気持ち良く、気分が晴れると、流石に男が可哀想になってきていた。
それに、男の顔色の悪さは、明らかに恐怖以外の要因からも発生している。
「よいしょっ」
フブキは手を伸ばし、後輩の目元を覆った。
「ぴくり」と肩が跳ねたが、フブキにやられた事に気がついたのか、特に振り払うような素振りは見せない。
「落ち着いて。深呼吸しようねー」
「……」
言われるがまま、深呼吸をする少年。緊張が緩んだのか、男の腕をねじり上げる力もぬけたようで、男の腕が滑り落ちる。
支えが無くなり、腰を抜かした男。こちらも緊張が抜けたのか、息を荒げていた。
「ねぇ」
「ひぃ」
声をかけたフブキに対し、悲鳴のような引き攣った声を上げる男。
特に気にした様子無く、言葉を続ける。
「こういう事だからごめんね。後、早くしないと、解き放っちゃうよ」
すっかり猛獣扱いである。ただ、その効果は覿面で、男は一目散に逃げて行った。
逃げて行った背を見送り、見えなくなった頃。フブキは後輩の目隠しを外し、顔を覗く。
落ち着いたのだろう。いつもの天然さ混じりの無表情。部室でよく見る表情だった。
「落ち着いたみたいだね」
「最初から落ち着いていますし」
「嘘だー。それであんな表情していたの?」
「あれは……死霊術流の威圧術ですから」
「私の知っている死霊術と大分違――いや、そんな事無いか?」
かつて一度見たヤンデレごっこは、あんな感じだった気がする。
心中で首を傾げながら、フブキはポケットからハンカチを取り出すと、滝のように流れる少年の汗を拭う。
「でも、こんな汗だくになる位、急いで帰ってきてくれたのは、本当だよね。ありがと」
「いーえ」
***
場所を移し、海の家にて。
フブキ先輩の対面に腰を下ろし、俺は頭を抱えていた。
向かいに座るフブキ先輩は焼きそばを啜っている。香ばしいソースの香りに、鼻腔をくすぐられた。
「冷めちゃうよ?」
「……食べます」
割り箸を手に取り、焼きそばへ口をつける。
麺は水分が飛び過ぎてパサパサだし、野菜は焦げていたりするけど、こういう所で食べる焼きそばとかって妙に美味しい。
不思議だなと思いながら、食べ進めていると。
「俺のフブキ先輩」
噴き出さなかった事を、我ながら褒めてほしい。
口元を押さえ、何とか飲み込みながら、俺は声の主であるフブキ先輩へジト目を向ける。
頬杖を突き、にやにやと意地悪く笑うフブキ先輩と目が合う。
「あんな情熱的な事を言われるとは思わなかったなー」
「ふ、フブキ先輩は俺の先輩なんですから。何も間違えていないでしょう」
「それに彼女って」
「それは女性を示す二人称名詞であり、他意は無いです」
「うんうん」
「……」
俺のフブキ先輩に関しては完全に誤爆なのだが、彼女については本当にそれ以上の意味は無かった筈なのに、フブキ先輩を見ているとそんな他意が在った様に思えてきてしまい、恥ずかしい。
ぐぬぬとフブキ先輩を睨むと、フブキ先輩のにやにやという笑いは収まり、代わりに微笑みが浮かんだ。
「ごめんごめん。急いで帰って来てくれたのが嬉しかったからさ。改めてありがとう、助けてくれて」
「……いえ、むしろ、すみませんでした。離れてしまって」
「そんな事を気にしないで。私がいいよって言ったんだし、何なら飲み物も買って来てって頼んだんだから。私がゲームばかりで暇させちゃっていたし」
「いや、そんな事は」
「嘘が下手だなー」
くすくすと笑うフブキ先輩へ、図星を突かれた俺は言葉を返せず、唸りながら口を閉ざす。
「だから御相子って事で。ね? そうだ。それより、昨日のアニメの話しよ。ちゃんと見た?」
フブキ先輩の言葉を理解するのに数秒の間が開く。
「……あはは!」
「ちょっ! 何で笑うのさ!」
そして、フブキ先輩らしい話題の逸らし方に、思わず笑ってしまった。
そんな俺に、今度はフブキ先輩が怒って見せた。ただ、ツボにはまってしまい、腹を抱える。
「もう、何なの!」とお怒りの声が届く中、暫く笑った俺は、目じりの涙をぬぐいながら、「ごめんなさい」と、まだ若干笑いに震える声で謝る。
「はい、観ましたよ。というか、同時視聴していたじゃないですか」
俺の言葉に、若干何か言いたげな様子を浮かべながらも、フブキ先輩は言葉を返してくる。
「……あの時は、ミオがもう寝ちゃっていたからチャットだったし、君も眠そうだったから、あまり話せなかったでしょ?」
「そうでしたね」
フブキ先輩程昼夜逆転していないし、昨日は草むしりをしていたから疲れていたのだ。
「本当はもっと沢山話したかったのにさー」
「神回でしたもんね」
「うん!」
怒っていたはずだが、アニメの話となり気分を改めたらしい。笑顔で語るフブキ先輩に乗り、俺も昨晩見たアニメの話をする。
やがてその話もひと段落つきそうな頃合いに、俺は映像つながりで、先日おススメされたアイドルのライブ配信のアーカイブを見た事をフブキ先輩へ伝えると、そのアイドルの話へと、話題は移る。
潮騒が響き、潮が香る海の家にもかかわらず、いつもの部室のようになってきた。
……いや、ゲームして、アニメやアイドルの話をしている辺り、実は部活の合宿をしに来たのかもしれない。
ちらりと、傍らに置いたビニール袋へ視線を向ける。
――まあいいか。先輩、楽しそうだし。
「どうかした?」
「いえ。それより、ゲームの成果はどうだったんですか?」
「あ、そう! 見てこれ!」
隣に移動してきたフブキ先輩に、画面を見せられる。同じモンスターばかり並んでいるようにしか見えないが、フブキ先輩の目はキラキラしていた。
「この子は色違いでね。この子は珍しい技を覚えていて、この子はステータスがいいんだ。この子は、今回のイベントとは関係ないけど、新しく捕まえた子でね」
「へー」
画面を操作しながら、次々に色々と見せられる。
それは、やがて最近撮った写真や、ネットで見かけた面白画像にまで発展していった。
そうして、気が付けば。
「すみません」
「はい」
声を掛けられ、顔を上げる。白いシャツに短パン姿の女性。確か、ウェイトレスをしていたはずだ。
流石に長居し過ぎたかと、俺が思っていると。
「閉店なの、ごめんね」
そう告げられる。てっきり、人が増えてきたからとか、そんな理由かと思ったのだが。
周囲を見れば、確かに日は暮れ始め、海水浴客も撤収を始めているように見える。
「……こちらこそすみませんでした」
「楽しそうで割り込めなかっただけだし、気にしないで。じゃあ、焼きそばとドリンクで――」
お詫びも兼ねて少し多めに支払おうとしたが断られたので、言われた通りの額を支払い、フブキ先輩と共に店を出る。
やはり薄暗くなり始めている。俺も驚いたが、俺以上に驚き、震えている人が、隣に一名。
「フブキ先輩、大丈夫ですか?」
「だ、だい、だいじじじじ」
「フブキ先輩、壊れちゃった」
どうしよう、叩けば直るだろうか。でも、フブキ先輩を叩く訳にも……。
「……袋頂戴」
「へ? あ、はい」
中身を取り出して、ビニール袋を渡す。すると、「あれ」とフブキ先輩が声を上げた。
「それ何?」
「あ。えっと、タオルです。少し位、海に入れればなと」
「……」
とはいえ、日も暮れ始め。危険だからという事で、監視員の人が遊泳禁止を放送しているから、それも叶いそうにない。
プルプルと震えだしたフブキ先輩が、がくりと膝をついた。それから、徐に周囲の砂を集めては、袋へ入れ始める。
「何をやっているんですか?」
「砂だけでも持って帰ろうかなって」
「甲子園じゃないんですから」
うつろな目で砂集めをするフブキ先輩の隣へ腰を下ろし、フブキ先輩の手を取る。
「帰りましょう。電車は……もう混んでいるとは思いますけど、時間もかかりますから早めに電車に乗らないと」
「……帰らない。私の海はまだ終わっていないから」
そうは言うが、遊泳禁止だし花火等も無し。
それに砂集めを始めた時点で、もう終わりを悟っているのではと思いながらも、一旦その考えを飲み込む。
「もうしっかり堪能したでしょ?」
「……本当にそう思う?」
「……」
どうだろう。100人に聞いたら99人は違うと言いそうだ。何なら、他の人から今日の俺のような過ごし方をしたと言われれば、俺も99人側に回るとは思う。
そんな事を考えてしまったら、つい言葉に詰まってしまい。そんな俺を前に、フブキ先輩は砂集めを再開した。
「ごめんなさい! 言えます! ばっちり海を堪能しました! だからしっかりして下さい!」
砂集めの手は止まらない。
「そうだ! 今度また来ましょう! ね!」
その言葉に、ぴたりとフブキ先輩は手を止めた。安堵する俺を、フブキ先輩が見つめる。
「本当?」
「はい。また来ましょう。そうだ、今度はミオ先輩とかシオンやわためも連れて皆で――」
ざっざっざっ
「なんで砂集めを再開したんですか⁉」
訳が分からずにいる俺の前で、フブキ先輩の砂集めが続く。
あの袋一杯に砂を集め終えたら満足するだろうかと一瞬思うも、多分そう言う事では無いだろうから、頭を捻る。
思いつく事は1つあるのだが、流石に違う気もする。
とはいえ、他に思いつく事も無し。
「じゃあ、また2人でも来ましょう」
その言葉に、再びフブキ先輩は動きを止めた。
「本当?」
視線は地面に落ちたまま、消え入りそうな声でフブキ先輩が尋ねてくる。
「はい。来ましょう」
掬っていた砂を、フブキ先輩は地面へ落とした。
顔が俺の方へ向く。
「約束ね」
笑顔を向けてくるフブキ先輩。そんな先輩へ笑い返しながら、俺も頷く。
「はい。約束です」
「うん」
フブキ先輩も頷き、そして立ち上がった。袋に入っていた砂を捨て、ビニール袋は流石に捨てられないので、鞄の外ポケットへと押し込む。
「じゃあ、帰ろっか」
「帰りましょうか」
俺も立ち上がり、砂を落として、フブキ先輩に並ぶ。
「そうだ。今日の記念に、このキャップ、貰ってもいい?」
ふと、フブキ先輩が自分の被っているキャップを指差した。いいですよ、と俺は頷く。
「最近被っていないですし。一時期キャップにハマった時期があって、その時に買っただけですから」
「ありがとう」
歩きながら、キャップを弄るフブキ先輩。気に入ったのなら良かったと思いながら、俺はその隣を歩く。
「約束、忘れないでね?」
「いつにします?」
「え? うーん……考えとく」
「はい」
来週本編か裏話かは未定。