一伊那尓栖
紫咲シオン
大神ミオ
白上フブキ
体を拘束していた何かが外れた。
一瞬の浮遊感の後、着地する。たたらを踏んだが、転ぶことは無く、何とか耐えた。
「……どこここ?」
周辺を見渡すが、眼鏡を落としてしまったから、良く見えない。
ぼやけた視界で判別する限り、ここは神社だろうか。
俺が来た側には社のような建物、逆側には鳥居のような物。周辺は木々で覆われ、地面には砂利と思しき物が敷かれ、その真ん中を石畳の道が通っている。
そして、社の前に誰かいる。目を細め凝視するまでもなく、一目でわかる、奇妙な少女。
写真で見るような、人物をくっきりとさせ、背景をぼかす構図。それが現実で発生していた。背景がボケているのは視力のせいとして。人の姿がきちんと見えるのはどういう事だろう。
まず目を引くのは、先端が黄色に染まった黒髪と、頭に生えている二つの角のようなもの。あれのせいで、メンダコに関わる何かしか見えない。
その割に、骨盤のあたりに羽のような衣装がある。纏っている髪と同じような配色の服と違い、白い羽。メンダコって羽生えてただろうか。
近づくのは憚られ、俺は着地した境内の中ほどに立ったまま、声を張り上げる。
「自分を、此処に連れてきたのは君でいいのか?」
「うん」
俺と違い声を張り上げた様子はないのに、それでもしっかりと少女の声が聞こえた。
あっさりと認めた少女は、それから、ぺこりと頭を下げてくる。
「初めまして、一伊那尓栖です」
「あ、どうも。ご丁寧に」
頭を下げ返しつつ、名乗った後。
「えっと、それで……一さん?」
「イナでいいよ」
「そう? じゃあ、イナ。君が俺を此処に連れ込んだ、って事でいいんだよな?」
「そう言った」
確かに、そう言われた。聞き間違いなどは無かったらしい。
「何で、態々そんな事を?」
「お願いがあるの」
「お願い?」
聞き返すと、イナはこくりと首を縦に振る。
そして、その手に持った本を、俺に掲げてみせた。
帯にて曰く、『このネクロノミコンがやばい大賞! 1st』らしい。パチモン臭が凄い。
「偽物つかまされたの?」
「違う」
尋ねてみたが、首を横に振られた。流石に違うようだ。
騙されていなくて安心したような、残念なような。名状しがたい感情が胸の中に浮かぶ。
だって大賞の名前になっているネクロノミコン。サブカル文化は嗜む程度の自分でも聞いたことがあるこれは、魔導書と呼ばれる類の物で。自分の覚えている限り、余りいい物では無かったはずだ。
「それが、どうかしたのか?」
正直、それには関わりたくないなぁと思いながら、イナに聞く。
「探してほしいの」
「探し物?」
「そう。ページを探して欲しい」
「ページ?」
聞き返す俺に、イナが告げる。
「目を閉じて」
「……」
やや抵抗を覚えながらも、言われた通りに目を閉じた。
暗闇の中で待っていると、右手に感触を得る。
その感触が、自分を此処に連れ込んだそれと同じ物であることに気が付いた。
右手が軽く引かれる。自分を此処に連れ込んだ時の強引さを思い出し、思わず抵抗する。
すると、その時とは打って変わり、手を引く動きが止まった。
「ごめんなさい。大丈夫?」
「……ああ。すまん」
イナの声に答える。
少しして、恐る恐るといった様子で、再び手が引かれる。
今度は抵抗することなく大人しく、されるがままになった。
引かれた手が持ち上げられる。持ち上げられたその手が、何かに触れた。
僅かにざらざらとした質感。少し悩み、恐らく紙だろうかと、当たりを付ける。
この状況で触らされそうな紙といえば、あのネクロノミコン位しか思いつかない。
触っても大丈夫なのだろうかと思って居る間も、右手は引かれた。
紙の表面をなぞるように動かされ、最終的にページとページの間の、僅かに窪んだ場所へと手が置かれる。
一体何がと思いながら指を動かし、その感触に気が付いた。
ページとページの間という、本来なら何も無い筈のその場所に、何かが挟まっている。
厚さは紙と同じくらい。断面は規則性が無く、凸凹している。取れるかと思いつまんで持ち上げたが、びくともしない。
先程のイナの言葉と合わせれば、凡そ察しがついた。
「ページが破れてるのか。それを探せと?」
「うん」
右手に巻き付いていた何かが外れる。
「目を開けていいよ」
イナの言葉を聞き、目を開ける。
イナの立ち位置も、最初と変わっていない。恐らく触らされたのであろう本も、やはりイナの手元にある。
近づかれた気配もなかったのだが、一体彼女はどうやって俺の手を取って、本に触らせたのだろう。
浮かんだ疑問を、首振り消して、「それで」と別の言葉を口にする。
「何で俺なんだ? 面識あるわけでも……無いよな?」
「無いよ」
「良かった」
安心……で、いいのだろうか。
「それで、なんでだ?」
「……」
俺の言葉にイナが黙り、悩む様子を見せる。
「気づいていないかもしれないけど、貴方の傍にページはある」
「……え?」
「だから見つけて、取ってきて、渡して欲しい」
***
「――って感じでして」
帰宅後、シオンに小言を貰ってから、俺は着替えなどを済ませ、ミオ先輩へと電話した。
電話の向こうにはミオ先輩とフブキ部長。こっちにはアドバイザーとして、シオンに居て貰い、一先ず行方不明になっていた間の事を伝えたのだ。
電話の向こうから、『成程ね』とフブキ部長の声。
『ネクロノミコンかー。正直ちょっとワクワクするよね。クトゥルフ神話じゃお約束みたいなところあるし』
「大賞の帯が付いた、パチモン臭がすごい物でしたけど」
『ネクロノミコン自体、写本とか翻訳本みたいな不完全本は沢山あるから、やろうと思えば大賞ができそうだけどね』
「物騒すぎやしませんか」
しかもその中で大賞を取ったというのなら、あの本、かなり危ない物なのでは。
『それに破れたページを態々探させるっていうのも、ますます怪しいし。大丈夫? 巻き付いたの触手だったりしない?』
「アイデアロール失敗してるんで分からないです」
『SANチェックを回避して偉い』
だから発狂せずに済んだのかもしれない。
『はいはい。話はそれくらいにね』
ちょっとテンション高めのフブキ部長を遮るように、ミオ先輩の声。
『ていうか、君も抵抗なく受け取りすぎじゃない?』
「まあ、今更ですし」
俺自身が魔力とやらを手に入れたり、周りには魔法使いだなんだと色々な人達がいるから、今更魔導書が実在しましたと言われても驚きは少ない。
それが分かっているらしく、『確かに』とミオ先輩。
『それで、手掛かりとかも無いの?』
「はい。詳しい事は何も無いです。後で部屋は改めるつもりですけど、正直望み薄ですね」
『そっか』
うーんと、電話口にミオ先輩の悩む声がする。
『でも、もし君の傍にそのページがあるなら、ミオなら気づきそうだけどね』
「ん? 何でですか? フブキ部長」
『だって、なんか凄い匂いがするって言ってたし』
そう言ったフブキ部長は、『ね、ミオ?』とミオ先輩へ同意を求める。
そんなフブキ部長へ、ミオ先輩は『確かに』と答えた。
『そのページから、あれと同じ匂いがするなら、分かると思う』
「あれ?」
『多分、君を拉致した何かと同じ匂い』
「そんなにですか? 正直、話しているときは気にならなかったですけど」
『正直二度と嗅ぎたくないかな』
そこまでなのかと思いながら、俺はシオンに視線を向けた。
一応座っているが、素知らぬ様子のシオンは、俺に視線を向けられ、湯飲みを肘掛においた。
「言っておくけど、ネクロノミコンって言われても知らないから」
「知らない? 一応魔導書ってやつなんだけど」
「少なくともネクロノミコンって名前は魔界では聞いたことないわね」
そう言うと、シオンは湯飲みの中身を飲み干した。
テーブルに置かれた湯飲みへ、俺は急須から新たに緑茶を注ぎ入れる中、『そうなの?』とフブキ部長が食い付く。
『ページを開こうとすると噛みついてきたり、飛んでっちゃう本とか無いの?』
「そんな読みづらい本、あるわけないでしょ」
『そんなぁ』
浪漫的な物が裏切られたのか、電話の向こうでフブキ部長が項垂れたのが分かる。『よしよし』と、ミオ先輩がフブキ部長を慰める声が聞こえた。
それを聞きながら、ねえとシオンが俺に声をかける。
「その、ネクロノミコンっていうのは、そういう噛みついてくる本な訳?」
「いや、噛みつくかどうかは知らないけど、特殊な本って意味では、間違いないかと」
「ふーん……なら、魔界で言うところの魔法書が近いのかしら」
「魔法薬的な? 本自体が魔法を発動する何かみたいな」
「アンタが想像してるのは魔法紙の方が正しいわね。少量の魔力を流し込んだり、決められた折り方をすると、直ぐに魔法が発動するように魔法陣が刻まれた用紙。秘匿性の高い書類から、ちょっとした便箋まで、使用用途は色々。この紙を束ねたものを魔法書っていう事が無いわけでもないけど。本来の意味は違う」
シオンがタクトのように指を動かすと、ハンガーポールからシオンの三角帽子が飛んできた。
飛んできたそれを手に取り、帽子の中に手を入れれば、そこからハードカバーの本が出てくる。
「おー」
思わず拍手すると、『え、何! どうしたの!』とフブキ部長が再び食い付く。
「シオンが魔法使いぽかったので」
「魔法使いだから」
『ずるい! 私も見たい!』
『はいはい。フブキはちょっと静かにしてようねー』
もがもがとフブキ部長のあがきが聞こえてきたが、暫くして聞こえなくなる。
『ごめんごめん。続けていいよ』
「あ、はい」
敬語で返したシオンが、咳ばらいを1つ挟む。
「本来の意味での魔法書は、魔法使いそのものを指す」
「というと?」
「魔法使いの研鑽の歴史。その内容を書き記した書物。それこそが魔法書。早い話が研究レポートみたいなもん。ただ、この魔法書にもいろいろあってね」
言いながら、シオンが取り出した本を掲げる。
「記入した内容、書き記す紙面やインクによっては、その魔法書自体が魔法の効果を高める増幅装置のようになったり、あるいは魔法書そのものが力を持ち、魔法を行使するケースも確認されてる。実際、私の魔法書は、増幅装置として働いていて、短距離転送くらいなら、魔法書の魔力でも出来るわ」
「そういう割に、持ってるところ見たことないが」
「無いと魔法使えないわけじゃないし、普段は邪魔だから、帽子にしまってるの」
さっき魔法使いそのものとか言わなかっただろうか。
「大事なのは力を持つ魔法書は確かにあるってこと。そのネクロノミコンっていうのが魔法書なのかどうかは知らないけど、同じくらいの力があると仮定するなら、ページ一枚でも、もしかしたら魔法が働いている可能性がある」
「……つまり?」
「アンタみたいな一般人がページを拾って魔法を使ってるかもしれないし、そもそもそのページそのものが、魔法で姿形を変えて全く別物になってる可能性もあるわね」
「……」
『……』
それって、やばいのではないだろうか。電話の向こうから、ミオ先輩が息をのむ音も聞こえた。
心中冷や汗の止まらない俺を余所に、ずずとお茶を啜ったシオンは、俺に向かって湯飲みを差し出した。
「お代わり」
「あ、はい」
差し出された湯飲みに、急須から新たに注ぐ中。
「……安心しなさい」
とシオン。
「アンタの近くにあるっていうなら、関わるなって言っても無理でしょうし、私も気にかけといてあげる。それと、ちょこ先生にも伝えておきなさい。もし魔法書が原因だったら、魔界出身の私達の方が、対処もしやすいでしょ」
「すまん、助かる。ありがとう、シオン。フブキ部長とミオ先輩は……えっと、どうしましょう?」
『流石に今の話を聞いて、関係無いですっていうのはちょっとねぇ。フブキがいいっていうなら、私は構わないよ』
『勿論。私も大丈夫。興味もあるし』
「ありがとうございます」
礼を言いながら、俺の頭の中には、ある可能性がよぎっていた。
ページは俺の近くにあって。もしかしたら姿形を変えているかもしれない。
それは、つまり。
俺の知っている誰かが、そうである可能性もあるのではないだろうか。
文章の構成はどちらがいいですか
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全部詰める(全話までのやり方)
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地文と会話文の間に改行を入れる(今回)