さくらみこ
にのまえいなにす
一歩ずつ、踏みしめるように階段を昇る。
息苦しい。空気が重く感じる。
これは、頂上が近いからか。それとも、一時間待たせたさくらみこ氏がお怒りだからだろうか。
……多分後者。
「さくらさん」
「なに」
明らかにお怒りの声が、頭上から降ってくる。そりゃ、一時間も待たせればそうなるかと、そんな感想。
一応、交換した連絡先には、遅れますと一報は入れたのだが、それにしたって待たせ過ぎた。
そして、何故か思っていた以上にさくらさんの意識が高い。ただついて来ただけかと思ったが、合流したさくらさんからは、何が何でも、今日中に解決すると言わんばかりの気配を感じる。
何がそこまで彼女を駆り立てるのだろうか。階段の下で合流してから、口を開こうとしないさくらさんからは、察する事も出来ない。
「すみません、待たせてしまって」
階段を昇り始めてから、何度目かの謝罪。俺の言葉に、さくらさんは「ん」と短く言うだけで、肯定も否定もしない。ただ、下から窺い知る事の出来るさくらさんの表情はえらく真剣で、真っ直ぐ上を見据えている。
視線を、彼女の傍に浮くピンク色の猫のような生物に移した。視線に気づいたのか、その猫もどきは俺の方へ視線を向け、良く分からないとばかりに首を傾げる。どうやら心当たりは無いらしい……いや、何だろうね、この子。
新種の生物か、あるいはきんつばのように精霊の類なのだろうか。聞いてみたいが、それが許されそうな雰囲気でもない。
とりあえず一旦、興味を頭の片隅へと追いやって、さくらさんに習い、視線を上へ。
今の所、周囲の光景に違和感は無い。さくら神社と同じく、神社の敷地無いだからか、夜とだというのに幽霊の類も見えていない分、何なら平和。
問題は……階段を昇り切った先。
正直、少し気は重い。九割大丈夫だとは思うが、残りの一割が余りにも未知。
いまいち気乗りせぬまま、いよいよ階段の終わりが見えてきた。
途端、さくらさんが階段を駆け上がる。慌てて、そのあとに続いた。
一足早く、さくらさんが頂上へ。あまり間を置かず、俺も頂上へ着き、境内を見やる。
その光景に、俺は思わず、さくらさんへ声を掛けた。
「……さくらさん」
返事が無い。どうしたのかとそちらを見れば、目を見開き、絶句しているさくらさんが居る。
「さくらさん」
「っ!」
強めに声を掛けなおす。途端、びくりとさくらさんの肩が跳ねた。
視線が俺の方を向く。驚愕、恐怖、絶望──浮かぶ感情はそんな所か。
「大丈夫ですか?」
「ぁ……う、うん。大丈夫。びっくりしただけ。何も無いから」
「……」
何も無いというその言葉は、嘘のように聞こえない。
きっと、さくらさんの眼に映る光景は、俺がときのそらさんと一緒に見たそれと、同じ物だろう。
……正直、少し羨ましい。そんなことを思いながら、視線を正面へ戻す。
以前来た時には見えなかったのか。それとも新たに作られたのか。
そこには一定の速度で回る、巨大な霧の球があった。壁でもあるかのように作られた綺麗な球体は、凡そ自然生成されたようには見えず、人為的な物を感じる。
そして霧中より一本、にょろりと触手が伸びていた。あろうことかその触手は、ぴょこぴょこと上下に。まるで手招きするように動いている。
(……まあ、とりあえず無駄足って事は無いか?)
一応、罠の可能性はあるけれど、態々罠にかける理由に見当がつかなかった。
「さくらさん」
「何?」
「俺が見えなくなったら、先に帰ってもいいですからね」
「……にぇ?」
一息ついてから、触手に向かい、歩き出す。
近づく俺に反応するように、触手が動いた。少しずつ、俺に向かって伸びてくる。
一歩踏み出すごとに、徐々に縮む距離。心音が煩いのは、柄にもなく緊張しているからか。
そういえば、人型じゃないのって初めてかもしれない。
「……」
やがて、伸びてきた触手は、しっかりと俺の手首を掴んだ。
腕が締まり、吸盤が吸い付く感覚。少し痛い。跡が残ったら目立ちそうだなと現実逃避する。
「じゃあ、さくらさん。行ってきます」
「え、え? どういう事?」
戸惑うさくらさんを置いて、触手に手を引かれた俺は、霧の中へと入り、そのまま手の引かれるまま霧中を進む。
濃い霧だ。驚く程、何も見えない。今まで、色々な場所に引っ越して、濃霧が有名な場所で過ごしたこともあったが、それでももう少し、視界は開けていた。
……景色だけなら、火災現場がこんな状態だった気がする。ただあそこは、先が見えないだけじゃない。
息が苦しく、酷く熱く、兎に角怖くて。
『わん!』
「わっ」
いきなり横合いから鳴き声。顔をそちらに傾ければ、柔らかい感触が頬に返ってくる。
タロが其処にいた。表情は見えないが、頬を舐める感触は、何処か不安そうな印象を受ける。
「大丈夫だよ。ありがと、タロ」
『くーん』
触手に繋がれていない手でタロの頭を撫でてやる。
それにしても、妙な感じだった。思考を巡らせるのではなく、沈んでいく感覚。一体なんだというのか。
僅かにずきりと、痛んだ頭を振って誤魔化し、軽く息を吐き。
そんな事をしている間に、視界が開けた。
しゅるりと、手を引いていた触手は離れ、主の元へと戻っていく。
追いかけるように、それを追い、歩く。石畳、砂利、社務所、手水舎、社。昨日、ブログ記事の写真で見た場所ばかり。今回は、運を味方に出来たらしい。
「会ってくれてありがとう、イナ」
あの日と違い、背後に触手を従えながらも、あの日と同じように、社の前に立つイナへ、声をかける。
「話したそうだったから」
そう返すイナの言葉の抑揚は、以前会った時と変わらず、淡々としている。
表情も合わせ、感情は読めない。ブログ記事に載っていた彼女は、ころころと笑いそうな少女だったのだが。
……まあいい。重要な所は、そこじゃない。
「聞きたい事があるんだ」
そう言うと、イナは静かに、首を縦に振った。
「答えられることなら」
イナの様子からは、言葉の本気具合が分からない。絶対に譲らないと言っているようにも見えるし、何なら冗談のようにも聞こえてしまう。
正直、全部答えてほしいものだが。少し悩み、とりあえず話を進めることにした。必要なら駄々をこねてみればいい。
「改めて確認したい。イナ、俺の探すものはなんだ?」
「頁。この本の、一端」
そういうイナが、小脇に抱えていた大判の、相変わらず胡乱な文句の書かれた帯のついた本を翳して見せた。あの時は見せて貰えなかった本の中身が、俺の前にさらされる。
藁半紙のような色の紙面に、見たことも無い文字が綴られている。見開かれた頁の中央。紙の束ねられたその部分に、頁の切れ端のような乱雑な切れ目が覗けた。
「この、破れた部分を、探して欲しい」
その言葉は、あの時と変わらない。探し物は、違わず頁。
……それなら。
「その頁は、今も紙切れのままか?」
「……」
イナが、言葉を詰まらせる。肯定せず、否定もせず。
やがて、「分からない」と、そう返してきた。
「分からない?」
「そもそもこの本は、出自が分からない。数百年前に、祖先が助けた鬼から授かったって言われている」
「鬼?」
頭の中に、生徒会長の姿が思い浮かぶ。
「自分達より一回り大きな体躯に異なる髪の色や瞳の色をしていて、頭に黒い角を生やしていたって伝わっている」
「……黒い角」
それは、俺の少ない別世界経験からして、鬼というより悪魔か羊の獣人よりなのだが。
もし前者であれば、存外魔界関係の物品の可能性が高そうである。考えとしては、るしあやちょこ先と話した事が、正解に近いと考えていいだろうか。……もしそうなら、何も解決していないけど、安心感が凄い。
これで実は第四の別世界とか言われたら、脳みそパンクしそうだ。
「この本は、祖先の願いを叶えたらしい。それが、どんな願いなのかは、伝わっていないけれど。
──願いを叶えられた祖先は、結果的にこの本を恐れ、処分しようとして、失敗している。だから、こうして社を建て、厳重に保管し、一族代々で見張ってきた」
「そんな大事な物の、何で欠損しているんだ?」
「……欠損の理由は不明。経年劣化なのか人為的なのか。言い方は悪いけど、気づいたら無くなっていた、と言うしかない」
「ふむ」
「欠損に気づいた私は、その頁が他の人に渡らないように、本を使って、こうして社を外界と途絶させた」
周囲の霧の事だろう。ここに神社があったことを誰も覚えていないのも、霧の影響だろうか。
「本を使って大丈夫なものなのか?」
「そう言われているし、そうするしかなかった。こんな事が出来るこの本の、頁一枚でも何が出来るか分からない」
「その触手も?」
「うん。探すのに、手が多い方がいいし。慣れると便利」
「あ、そう」
強か、なのだろうか。
「……あと、一応聞くんだけど、その帯何?」
「……秘密」
僅かにイナが顔を背けた。気のせいか、ほんのりと頬が赤い気がする。なんでだろう。
少し間を置き、咳払いをしたイナが、俺の方へ向き直る。あの咳払いはフブキ部長も良くやる、誤魔化すときのそれだった。
「こうして外界と途絶して、中を探したんだけど、どこにもなかった。……ここに頁が無いなら、誰かが持って行ったって考えるのが自然。その持って行った誰かが何かを願って、結果的に頁が別の見た目をしている、という可能性は、ゼロじゃない。確かに、この本が別の形に変わった、という伝承は聞いた事が無い。でもそれは、それをする必要が無く、願う人が居なかっただけ。元に戻す事が出来るかも分からない以上、おいそれと願う事も出来ないから」
「みたいだな」
厄介だ。見れば分かるだろうか。
んー、と考える俺に、「ごめんなさい」とイナ。
「またこの本に何かあるかもしれない事を考えると、霧の維持は必要。その為に、私はここから出られない。だから、誰かに探して貰うしかなかった。それが貴方だったのは、半分偶然。貴方を引きずり込んだあの場所は、もしかしたら頁を捕獲出来るかもしれないと思って、仕掛けておいた罠。それが貴方に反応したから、貴方の近くに頁があると、考えた。でも、貴方の様子を見て、自覚をしていないように見えたから、偶然拾ってしまっただけで、特に願い事などはしておらず、紙のままである可能性が高いから、不要な情報は伝えずにああ言った。ここまでの話を伝えて、貴方が願い事をしてしまう可能性もあったし」
信じて貰えていたのか、いなかったのか。反応に困る事を言われる。
「……探すのを辞めて貰ってもいい」
「ん?」
「頁は、私が何とか探すから」
「出来るのか?」
「……」
イナが口を噤む。まあ、それが出来るのなら、最初から自分でやるだろう。
信用出来るのか分からない俺に頼んだ時点で、手詰まり気味だった事は、想像に易い。
「イナが良ければ、引き続き手伝わせてくれ。頼まれ事を投げ出したくないし、人手はあった方がいいだろ?」
「……うん。ありがとう。もし、見つけたら直接この神社に持ってくるか、あの罠の場所に置いてくれたら、反応出来ると思う。あそこの他に──」
幾つか場所を言われ、脳内マップにメモしていく。
その後、イナにそれを伝え、間違えていない事を確認した。
「了解した」
「改めて、お願い。頁を探して、持ってきて」
「ああ」
「……無理はしなくていいから。自分優先でね」
「分かった。気を付ける」
頷き返すと、イナがにこりと笑う。
「本の件については、私から話せるのはこれくらい。何か、聞きたい事は在る?」
「いや、俺も大体聞けた」
引っ掛かりはあるが。思い出せない。
心中で首を傾げる俺に、イナが言う。
「最後に。みこちゃんに伝言をお願いしてもいい?」
「ん? ……ああ、さくらさんか。いいよ。何?」
「ごめんねって。また一緒に遊ぼうねって、伝えて」
「……ああ」
頷き返すと、イナも嬉しそうに頷いた。
「帰りは、後ろに真っ直ぐ進んだら、元の場所だよ」
「分かった」
振り返る。導くように、光源が一つ。
そちらに向かい、歩き出そうとして。
「何?」
さっきのイナの言葉の中にあった、一つだけ引っかかった事がある事を思い出し、振り返った。
「貴方を頼んだのは半分偶然って言っていたけど、もう半分は?」
「……あー」
尋ねると、イナは「うーん」と、腕を組みながら唸り声をあげる。
そこから少し。イナの眼が俺を捕らえると、クスリと笑い、一本立てた人差し指を、自分の口元へ持ってきた。
「内緒」
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