大空スバル
百鬼あやめ
重苦しい空気が、教室を包む。凡そ、転校生が来たクラスとは思えない。
先程から廊下では、1限が始まるまでの短い時間に、同級生達が一目すいちゃんを見ようと教室に訪れ、そして教室の空気に負け退散するという光景が繰り広げられている。
他の学年が来るようになったら、あの光景はどうなるのだろうと、不謹慎ながらも少しわくわくした。
……以上、現実逃避終わり。覚悟を決めて、隣の席を見る。
腕を組み、席に座るすいちゃん。転校したての、クラスメイト歴では圧倒的若輩の筈なのに、なぜか大御所のような雰囲気を醸しているのは流石だ。
「……あの、すいち」
言葉を遮るように、ぎろりと睨まれる。ちびっ子が見たら漏らしそうな迫力だった。
保育園の時に構ってくれたあの男の子達元気かなぁと、また現実逃避したくなるのを、ぐっっと堪える。
すいちゃん呼びは怒られそうなので、改めて。
「星街さん、いいかな?」
「様でしょ?」
「呼んだことないが⁉」
多分。再会してからは兎も角、保育園時代はちと自信が無い。
「それで、なに?」
「……」
ここでツッコミを入れると、また話がずれそうだったので、再び耐える。
正直聞きたいことは先程の発言の真意なのだが、話してくれなさそうなので、急場の話に。
「教科書とか大丈夫?」
「アンタに心配される事じゃないんだけど」
「あ、はい」
良く分からんが本当に怒っているらしい。
俺から視線をそらし、そのまま俺とは反対側の席のクラスメイトへと、すいちゃんの視線が向く。
「ひぃ」とか細い悲鳴が聞こえてきた。対アイドルの反応とは思えない。
「教科書見せて」
「あ、あの……えと……」
「聞こえなかった?」
「……」
カツアゲかな?
「星街さん。教科書なら、俺の貸すよ」
「は?」
「俺は隣のクラスから借りてくるからさ」
振り返るすいちゃんが反応するより早く、授業の教科書をすいちゃんの机に置く。
そのまますいちゃんと同じく彼女から視線をそらし、逃げだし、隣のクラスへ。
幸い隣も授業開始前。戸を開ける。
「スバルー」
「ん? はよー」
「おはよー」
自分のクラスとは打って変わり、隣のクラスにアイドルがいるという事実への落ち着かない健全な様子に癒されながら、スバルへ近づく。
「すまん。教科書貸してくれない」
「いいっスよ。何の教科書?」
「現文、数Ⅱ、物理、世界史、英語」
「ほぼ全部じゃねぇか! 逆に何の教科の教科書持ってきたの⁉」
「いや。4限は体育」
「……弁当しか持ってこなかったの?」
そうかもしれない。
「3組は1限現文だっけ? ──はいこれ。2限で使うから、終わったら返してね」
「すまん、恩に着る」
教科書を受け取る。パラパラと中身を検分して、特に何も挟まっていない事を確認。
自分のクラスへ戻ろうと思ったとき、そういえば、とスバル。
「すいちゃん、転校してきたんでしょ? どんな感じ?」
「……氷河期」
「転校生来たんだよね⁉」
記憶違いで無ければ。
困惑するスバルへ、「じゃあ、戻るわ」と告げ、俺は4組を後にし、自分のクラスへ戻る。
入る前に、こっそりと中を確認する。
すいちゃんもクラスも、変わらずの様子。俺が居なければ、というちょっと心に来る事態は避けられた事に、少しだけ安堵しながら、教室へ入る。
何人かの視線がこっちに。どうにかしてくれと言わんばかりの視線に、笑顔で首を横に振る。
「……」
席に戻ると、すいちゃんが横目でこちらを見てきた。用があるのかと、視線を向ければ逸らされ、戻すと再び向けられる。
何がしたいのだろう。表には出さずに悩みながら、俺は筆記用具とノートを取り出し、授業の準備を終える。
少しして、現文担当の先生が入ってきた。
いつもよりしっかりとスーツを着て、顔つきもやや鋭い。分かりやすく格好をつけている様だ。
そんな先生は、ずんずんと歩みを進め、教卓の前へ。出席簿などを教卓へ置いて、周囲を見渡し、はてと首を傾げた。
「……なんだ。もう少し浮足立っていたりしないのか?」
『……』
空気読めよォ! と思ったのは、多分俺だけじゃない筈。
やや察しの悪い所のある先生が不思議そうに再度教室内を見渡し、やがてすいちゃんを見つけた。
一瞬表情が明るくなったのは、見間違いでは無いだろう。彼もまた星詠みで、推しを前に格好つけたかったのだ。タイミングは最悪だったけど。
すぐに先生はすいちゃんの表情に気が付き、放つ雰囲気に当てられ、同じく静かに視線を逸らすに至る。
「あ、あー。じゃあ今日は一昨日の続きからでー」
教科書を開き、そそくさ黒板の方へ振り返ると、チョークを手に取り、書き始めた。
唐突に始まった授業に、クラスメイト達がやや慌て気味に、教科書やらノートやらを開き始める。
俺もそれらにならい、教科書とノートを開きながら視線をすいちゃんの方へ投げれば、教科書のページを前後していた。
「……百頁からだよ」
声を掛ければ、すいちゃんの視線が一瞬俺の方を向き、離れる。
教科書を捲っていた手が止まり、机へ置かれる。
ちらりと視線がこちらを見て、何か言いたげにむにゃむにゃと口元を動かした後、何事かを口パクで伝えてくる。
生憎読唇術は体得していないので、何と言ったかは分からなかったが、まあ流石に酷い言葉では無いだろうと信じ、意識を黒板へ戻す。
授業自体はいつもの形式。先生の緊張こそあれ、其処はプロ。滞りなく済ませて見せ、1限が終わる。
特に質問も無かったので、俺はノートをそのまま机に仕舞い、次の授業の教科書を取り出した。
「はい、星街さん。次の数Ⅱの教科書、置いておくね」
さくさく動く。教科書をすいちゃんへと押し付け、俺は現文の教科書を手に離席。スバルの下へ。
授業は丁度良く終わり、担当だったらしい教師と入れ替わりにクラスへ入り、片づけをしているスバルへ近づく。
「スバル、教科書ありがと」
教科書を差し出すと、顔を上げたスバルが「ん」と頷きつつ、教科書を受け取る。
「次は数Ⅱを貸せばいい?」
「すみません。お願いします」
「はいこれ」
「どうも」
受け取り、確認。特に何も、挟まってはいない。
「なんだー、お前様。教科書忘れたのか?」
にやにやとちょっと意地の悪い笑みを浮かべながら、百鬼が横合いより声をかけてくる。
「俺にだって、こういう日くらいある」
「いや、丸一日分の教科書忘れる日とか、普通無いって」
「……」
挟まるスバルの言葉。全くその通りなので、強く出られない。
それを聞き、百鬼も首を傾げる。
「今日、何を持ってきたんだ? 鞄、しっかり膨らんでいたよね?」
百鬼とは今朝会っているから、俺の鞄の状態も覚えているらしい。
「……夢と希望かな」
「それは胸にでも詰めとけ」
仰る通りだった。
「まあ、大方曜日間違えたか、すいちゃんに貸していて持っていないから、とかなんだろうけど」
「すいちゃんに貸すなら、一緒に見ればいいのに」
「席が遠いとかじゃない?」
「おお。成程」
「……」
惜しい。
「さて、じゃあ俺も戻るな」
「了解。数Ⅱは1限だったから急いで返さなくてもいいよ」
「次の物理の教科書も借りに来るから、その時返す」
ひらり片手を振り、教室に戻ろうと振り返り。
「うわ」
廊下の様子にドン引きした。
ぎゅうぎゅうとすし詰め状態である。廊下に面している窓がみしみし行っていて、不安が凄い。
「なにあれ?」
「すいちゃん見に来ているんじゃない?」
「まじかよ」
あれだと教室に戻れないのだが。
「んー……」
窓の方へ視線をやる。確か、窓枠下に縁があった筈。
「いけるか」
「いけないから」
スパコンと、子気味のいい音が俺の頭から響いた。
「アホな事を考えないの」
「か、考えてねーし」
もみくちゃにされたくないだけだし。
「とはいえ、このまま戻るとなぁ」
視線を手に持つ教科書に向け、それからスバルへ向ける。
「やっぱ返すよ。隣の席の人にでも見せて貰う」
「そう? 別にいいけど」
「大丈夫。ありがと」
教科書をスバルへ返し、廊下へ向かう。
廊下は混沌に包まれていた。
これで鑑賞方向とか定まっていれば、ここまでの状態にならないのかもしれないが、生憎学校はその類ではない。
右からも左からも来るし、帰ろうとして進もうとしたり引き返そうとする。
結果起こる押し合い圧し合い。下手したら事故でも起こりそうな勢いだ。
──授業合間の小休憩でこれかぁ。
時間的余裕のある昼や放課後はどうなってしまうのか。
何か対策でも考えた方がいいのではないか。
ちらりと百鬼の方を見れば、考えは同じらしく、既に生徒会長の顔つきだった。
これなら任せても大丈夫かと、そんな事を思いながら、俺は一念発起し廊下へ出た。
「ぐえ」
圧が凄い。
やっぱり窓から戻ろうかなと振り返ると、スバルと目が合い、顎で廊下を差される。
諦め振り返り、深呼吸して、息を止めて再トライ。
腕を伸ばし強引に滑り込ませ、出来た隙間に体をねじ込む。
「通してください! クラスに返して!」
頑張って声を張り上げる。
普段なら徒歩1分もかからないのに、無駄に長く感じる。
上から舌打ちとか、肘鉄を受けながら、強引に先に進む。
「──せい!」
教室の扉に着く。対策の為か、閉じられている扉。
最後に一息。気合を入れて、扉を開け、その中に身を滑り込ませて、急ぎ閉じる。
「あー、疲れた」
制服の汚れを払い、廊下からへつながる窓を見ると、人人人。
動物園のパンダってこんな気持ちなのかなぁとぼんやりそんな事を思いながら、自分の席へ戻ろうとして。
「──あ! お前、今朝すいちゃんと一緒に登校していた奴だろ!」
廊下から、そんな声が聞こえてきた。
思わず足を止めてしまう。
声の主以外にも、目撃者が居たのだろう、廊下のざわめきが増す。
──丁度いいか。
ヘイトを集めるなら此処だろう。
廊下に近づき窓を開ける。
「だったら? 幼馴染と一緒に通学して、何が悪いんだよ」
「え? あれ、でも。すいちゃんとは無関係なんだよね?」
「……」
戸惑った、クラスメイトの声が、やたら通った気がした。
叫びそうになった暴言を何とか飲み込む。
そして、俺の前に居た生徒が暫し呆然とし──好きかって言い始めた。
「勘違いオタクじゃん」
「妄想と現実の区別ついてないのかよ」
「朝も、もしかして嫌がるすいちゃんに付きまとっていたとか?」
「やば、ストーカーかよ」
「ねえ、こんなのと同じクラスとか、すいちゃんやばくない?」
「……」
視線がすいちゃんではなく俺に集まる。久しさすら感じる、多数からの本気の敵意。スバルの時とは比では無かった。
ヘイトを集める、という作戦は少なくともうまく行ったが、なんか思っていた形じゃない。
何か言わないとと思うも、思わぬ状況に頭も口も回らない。
一方視線は動く。緊張ではなく警戒。窓越しに、真っ先に手を伸ばせるであろう男子生徒の挙動を伺う。
その事実に気づき、落ち着くように自分に声をかけながら、男の手が届かないように少し距離を取る。
じりじりとした時間の中、響く2限のチャイム。
合わせるように、「お前ら! 教室に戻れ! 授業始まるぞ!」と数Ⅱ担当の先生の声が響く。
「先生! すいちゃんの事を助けて!」
「先生! あいつ、やべぇよ!」
「何の話⁉」
直後、数Ⅱの先生に生徒達が群がり、口々に危険を訴え始める。
頑張れ先生と頭の中でエールを送りながら、俺はすいちゃんに近づこうと振り返り、直後襟首を掴まれた。
「ぐえっ」
「行かせるか、このストーカー!」
「はぁ⁉ 流石に怒るぞ!」
窓越しの手がどんどん伸びて、俺を押さえつけんとする。
やり返そうにも、そんな事をすれば窓が割れて怪我人が出そうだ。
「分かった! そっち行くから! ──いい加減にしろー!」
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