かつて英雄だった君たちへ   作:白夏緑自

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【プロローグ】
1話


 神歴二六〇八年。

 

 ソフィア・ヴァン・ペトロブナは目覚ましにと決めていた鐘の音よりも前に目を開く。見慣れぬ天井。扇情的に照らされる模様は最新の流行を取り入れられている。

 

寝ぼけた眼で記憶を頼りに窓を開けると、澄んだ風が部屋の中へと入りこむ。

 

「ん~、」

 

 上半身だけを起こし、花の香が混ざる風を感じながら身体を伸ばす。

 

 気持ちの良い朝だ。

 

 実家で使っていた部屋は三階。今ある部屋は一階。景色も空気も、実家と比べ物にならないがそれでも不満を感じないのは窓枠の向こう側に草原と花畑が広がっているからか。

 

 実家にも花壇があるが、あれは人の手によって手入れされたものだ。対し、広がる景色は恐らく天然。

 

 ということは、虫除けなどの手も加えていないだろう。夏には窓を開けることも考えものだとも思う。

 

 ベッドに腰かけたまま、部屋を見渡す。

 

 部屋を与えられたのは昨日の夕方。

 

 昨日は朝から馬車に乗って、実家から半日ほどかけてエルゼール士官学校へとやってきた。

 

 座っているだけとは言え、揺れる狭い室内で過ごすのは腰に来る。

 

 ──初めてお爺様の言うことがわかりましたわ……。

 

 骨と神経がズレた、まさに違和感とも呼べる痛みは初体験だ。父も時々、ボヤいていたので年を取れば次第にそうなるのかと、未来に絶望しつつ、年寄じみた苦悩は抱きたくないから健康には気を遣おうと思ってもいたが、意外に早くその未来はきた。

 

 一晩寝たことで痛みは引いているが、腰を伸ばし、ふと横に振ってみればボキっと心地の良い音が鳴った。

 

「ま、まあ、これでリセットですわ」

 

 腰に良い運動などを調べようと、そう決めた。

 

 七の刻を告げる鐘が鳴る。本来ならこれで目を覚ますはずだった。

 

 予定よりも半刻ほど早起きしつつも、その恩恵を受けることはできなかったことに口惜しさを覚える。結局、洗面と着替えの開始時間は予定通りだ。

 

 寝巻のままだが、顔を洗うために廊下へ出ようとする。入寮のために新調したものだ。寄れていないし、みすぼらしくもない。デザイン的にも申し分なしだ。それに、ここは女子寮。男性の目があるわけでもなし、今後ここで生活していく以上、寝巻を見られることに馴れておくべきだろう。

 

 ドアを開ける。

 

「あら」

 

「お」

 

 隣のドアも同時に開いた。

 

「ああ、どうも。今日からよろしくお願いしますわ」

 

「こちらこそ、よろしく」

 

 そういって、隣の部屋から出てきた青い髪の男はソフィアに背を見せ、廊下を歩いて行った。

 

 男だった。

 

 ここは女子寮だ。それも、今年度入学者が集められている館になる。

 

 寮母から聞いた規則では、基本異性の出入りは禁止だったはず。

 

「例外だったのでしょうか……」

 

 例外。初日の夜から? いや、初日なのはソフィアにとってであって、以前から入寮している生徒もいるとのことだ。入学式の一カ月前からやって来ているとは考えにくいが、数週間の時間を持って親密な関係になっている者たちがいるのかもしれない。

 

 親密。

 

 ──親密になった殿方が部屋にやってくる……。

 

 そして、一晩を過ごして出ていく。

 

「──っ!」

 

 昨晩、自分が寝ている部屋の、壁一枚を隔てたところでそういったことが行われていたのか。呑気に旅の疲れを取っている間に。あわあわ、と顔に熱が昇ってくる。物語の中で得てきた限られた知識でも、それがどういった行為なのか光景が浮かび上がる。

 

「詮索はやめましょう……」

 

 婚前のそんな行為はしたないですわ……、と隣人よりも自分自身に言い聞かせながら、洗面台へと向かう。

 

 洗面台は磨かれて光沢のある石造り。単純に美しいの一言に尽きるが、ソフィアは

 

観賞する間もなく蛇口をひねり冷水を顔に浴びせる。

 

 何度も何度も。

 

 熱っぽかった顔は冷水によって引き締められ、目元に強気な鋭さが戻る。

 

「よし」

 

 諸々を終えて、部屋に戻るとソフィアはそのままクローゼットを開ける。

 

 実家の三分の一ほどしかない。他の貴族令嬢に比べれば身に纏うものに執着はない方だ。それでも、まさか持ってきた衣装の半分も入らないとは思ってもいなかった。出し切れず、厳選した衣装たちがケースに入ったまま部屋の隅に積みあがっている。

 

「暇を見つけて返送ですわね……」

 

 その前に、さらに厳選を重ねないとと悩みの種を増やしつつ、ソフィアにとっては必要最低限のクローゼットからセットアップで纏められた衣装を取り出す。

 

 白を基調として赤の刺繍が入った祝賀会用の制服だ。 

 

 普段着用を義務付けられている制服とは別に、こういったものも用意されている。今日は入学式ということで祝うべき日である、ということだ。

 

 祝ってもらう側になるソフィアとしては「でしたら、こんな次に着るのがいつになるかわからない服よりも、スカートの一つでも多い方がいいですわ」と言いたいところでもあった。

 

 不満を抱いたところで規則が変わるわけではない。着なくてはいけないものはいけないのだ。

 

 袖を通し、脚を引き締めるパンツを隠すように長めのスカートを腰から巻き付ける。

 

 身に纏うのは二回目。

 

 それも、一回目は採寸のときだ。完成してからは初めてになる。

 

 まだまだ、服が体に馴染んでいない。肩は張るし、胸元は少し窮屈。腰と太もものあたりも少し苦しく思うが──

 

「採寸、採寸がちょっとキツめでしたわ」

 

 断じて一、二カ月前から太ったわけではない。

 

 ──さ、朝食をいただきましょう。

 

 太ったわけではないので減量の必要もなし。むしろ、式の途中で腹の虫が鳴る方が恥ずかしい。だったら、ここは大人しく一食取ったほうが吉。今後の学校生活のためだ。

 

 制服に身を包んだソフィアはドアを開け、廊下へ出る。

 

「あ、」

 

「あら」

 

 同時に、隣の部屋からも人が出てくる。

 

 先ほど、青い髪の男が出てきた部屋からだ。

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