かつて英雄だった君たちへ   作:白夏緑自

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これにて一章は完結です


3話

 エルゼール士官学校は三年前に新設されたばかりだ。

 

 卒業生もおらず、今いる三年生が一期生。ソフィアが三期生になる。

 

 入学の方法は一般と推薦。

 

 一般は学資の高額さから貴族か富豪の子弟がほとんど。

 対し、推薦にはソフィアのような貴族出身者だけでなく、一般市民からも多い。

 割合では三対七。圧倒的に推薦組の方が多い。学生の比率がこのようになっているのには、学校設立の理由と目的に関係する。

 

 エルゼール士官学校設立の理由は二つだ。

 

 ソフィア出身のアム・マイン帝国。その隣国、カラリ公国。この二国は山や谷で囲まれた陸の孤島に位置している。ここ十年、その山や谷の向こうに存在する諸国からの侵攻が激しくなりつつあり、対抗するために軍事力の強化が必要になっていることが一つ目の理由。

 

 二つ目の理由は、各地でコード発現者が現れ始めていること。

 目的も、理由と対応するために二つだ。

 

 一つ目は、若者を有能な軍人へ育てるため。

 

 二つ目は一部の人間に芽生えたコードという才能を集積し、軍事への有能性を確かめるため。

 

 つまるところ、エルゼール士官学校は、帝国と公国の二国が外敵に備えるために設立され、軍事力強化の重要なファクターとしてコード所持者──ホルダーを集めている。

 

 運営は衝突を避けるため、二国が国教として定めているアニア教が行っている。

 

 費用は二国の国庫。一般生徒からの学資。軍や政治とのコネクションを求める貴族、富豪からの出資で賄えられ、それらはいったんアニア教へのお布施という形で献金されている。

 

 このような説明は、しかし入学式では行われなかった。

 

 当然と言えば当然。

 

 わざわざ表立って思惑を暴露してしまえば、小さな火花が生じ、それがいつしか大火へと成長してしまうだろう。

 

 刺激のない祝辞や言葉が並び立てられる退屈な式典だ。

 

 各学科の主任教師が壇上に登って、当たり障りない言葉を学生たちに手向ける。

 

 だがしかし、どうも様子がおかしい。

 

 順番が降るにつれ、明らかにスピーチを延ばしている。

 

 教師の視線も、眼下に座っている生徒たちだけではなく、式場の出入り口や、教師陣の席に這わせている。

 

 ──なにか、探していますの?

 

 と、教師たちの座る席に目を向ければ、空白の席が二つある。

 

 一つは、壇上で無味無臭をさらに薄味な言葉にするのに苦労している教師のものだ。

 

 もう一つの椅子は、一度も姿を見せていない教師のものだろう。

 

 式次には各学科主任の挨拶。ということで、五人の教師が壇上に登る予定であり、今は四人目。あと一人、用兵科主任のスピーチでやっと退屈な時間が終わる。腰を上げられる希望が目の前に迫っているだけあって、より長く感じるものだ。

 

 そろそろネタも尽きてきたのか、機動科主任教師の話も二巡目の気配を見せ始めたころ、ドア付近が騒がしくなりはじめた。

 

「プリンツさん、 あぁ、ネクタイも曲がって」

 

「それよりも早く会場に入った方が」

 

「誰が寝坊したせいだと思っているのですか!」

 

 などと男女のやり取りがモロで聞こえてくる。

 

 生徒は苦笑。教師の一部は苦虫を嚙み潰したような顔だ。

 

 ドアが開く。

 

 厳かだった会場内に外の喧騒が入り込む。

 鳥の鳴き声、風の音。

 

 

 二人の男女。

 

 式典に遅れてくる教師とはどんな顔をしているのか。きっとだらしがなく、気が抜けていて、緊張感の欠片もない男なのだろう。

 

 しかもそれは、自分が所属する用兵科の主任だ。

 

 ソフィアは一目見て、侮蔑してやろうとそそくさと教師席へ小走りしていく男女を見た。

 

 彼女の予想は当たっていた。

 

 式典用の軍服を着ているというには着られていて、髪もギリギリ寝癖と呼べない範囲で癖毛。凛々しさを布団に置いてきたような目。

 

 嫌わずとも、軍人として尊敬を抱くには程遠い風貌。ある意味で、ソフィアが望んでいた見た目の男だった。

 

 だが、彼女はその男から目を離せなかった。

 

 席に座り、その横に座っていた別の教師から何か小言を言われている姿。

 

 待っていましたと言わんばかりに話を打ち切り、壇上から降りる教師と入れ替わっていく姿。

 

 壇上に立ち、口を開く姿も。

 

 ソフィアの目と、心を掴んで離さなかった。

「用兵科学科主任のプリンツ・ヴィラールだ。入学おめでとう」

 

 プリンツと、そう名乗った教師の顔から目が離せない。 

 

 入学おめでとう。その続きを聞き逃すまいと、聴覚が研ぎ澄まされていく。

 

 何の変哲もない、普通の男だ。それなのに、不思議なほど気になって仕方がない。

 

 さっきまで終わりを待っている時間が長かった。今は、終わらないことを待ってい

る時間の方が長い。

 

 早く、続きをと、運命的に出会った物語を読み進めていくときみたいに。彼の言葉を待っている自分がいる。

 

 だが、

 

「以上」

 

 それだけ告げて、プリンツは壇上を降りていく。

 

 これだけ? と、生徒たちの間で戸惑いが広がる。早く終われと願っていたが、まさかこのようにして打ち切られると、飲み込めないのが常識というものだ。

 

 ソフィアも戸惑っていた。

 

 ──え、え、こんなのもアリですの?

 

 遅刻している教師に向けていた侮蔑はどこかへ消え失せ、今やそれ以外の感情が広がり始めている。

 

 鼓動は正常。だけど、柑橘の香が胸の中に広がる。

 

 軍人らしからぬ柔らかい風貌。式典に遅れてくるだらしなさ。祝辞はたった二言。

 

 あり得ない。起こってはダメな事態。人として見下してもいいと、そう思えるだけのことをやってのけているし、実際ソフィアはそのつもりだった。

 

 なのに今は、それすらもプリンツなる教師の長所だと捉えている。

 

 数十秒前の自分と矛盾だらけだ。

 

 おかしい。明らかにおかしい。自分と違う自分が、思考と感情をかき乱している。

 

 ナタリヤの言葉を思い出す。

 

 そんな人の方が気兼ねなくてよかったりする。

 

 あれは、どんな流れでかけられた言葉だっただろう。

 

 ──嫌いな人の方が……。

 

 嫌いな人の方が、気兼ねなく付き合える。

 

「まさか、そんなこと」

 

 肯定したい理性と。否定を押しかける何かがせめぎ合い、両者の決着がつかぬまま、式は終わりを迎える。

 

 そしてこれが、ソフィアがエルゼール士官学校で過ごす約一年間の始まりであった。

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