Ice Time 作:アイスめぇん
孤軍奮闘四面楚歌。正しく、そんな状況。
「君らに割ける、時間はないんだよ!」
言って、雨里は力強く床を踏みしめる。途端に、踏んだ足を起点に氷の円錐が無数に現れ、その鋭い先端が彼を取り囲む呪霊を貫いていく。
周囲を気にすることのない全体攻撃。これもまた、彼の術式の強みの一つと言えるだろう。
だが、この状況では焼け石に水としか言えない。
「多い……!」
まるで、空間そのものから生えてきているのではないかと錯覚するほどに、呪霊の数が凄まじい。
厄介なのが、4級や3級に交じって、2級、準1級相当の呪霊が居る点か。ぶっちゃけ、雨里の術式でなかったならば何度死んでいるかもわからない。
ただ、それ以上に彼を苦しめるのもまた彼自身の術式であった。
五条悟が己の術式によって脳が煮溶ける可能性があるように、雨里京平の術式もまた彼自身の肉体を冷まし続けてしまう。
既に吐く息は白く、顔色も青白い。体にはコート越しではあるが霜が降り始めており、ポケットにねじ込んでいる両手は赤くしもやけしている。
それでも、雨里は生存を
ほんの少しだけ変わったのかもしれない。それは、他人に理由を求めてしまうという、直ぐにでも破綻するであろう気持ち。
だがしかし、今の雨里は気付かない。理由はどうあれ、戻らねばならないのだから。
「―――――雨里ッ!」
響いた声。振り向けば、入り口と思しき光を背に伏黒が立っていた。
「伏黒君!釘崎さんは!?」
「そっちは問題ない!こっちだ、早く!」
言葉は、そこまで。自分の体を床から弧を描く軌道で生やした氷柱で押し飛ばした雨里は、伏黒の隣に降り立つとそのまま入り口を分厚い氷河の壁で封じ込めた。
冷たい息を荒れさせて肩で息をする雨里が振り向く。
「虎杖君は?」
「………虎杖は足止めだ」
「ッ!直ぐにでも―――――」
「少年院を出たところで、合図すればアイツは宿儺と変わる手筈になってる。今戻っても、殺されるだけだ。行くぞ」
釘崎を背負って前を行く伏黒。彼の判断は非情にも思えるかもしれないが、現実に則した意見でもあった。
何故なら、現状伏黒も、雨里も、釘崎も、特級を相手に生き残る事など難しいと言わざるを得ないのだから。その点、不完全と言えども、両面宿儺は特級存在。ぶつけるには、現状とれる選択肢でも最上だろう。
後を追う雨里もそんなことは、分かっている。分かっているが、それでも一人置いていくというのは、心に亀裂を走らせる。
程なくして光が見えてくる。
「伊地知さん!」
「皆さん!ご無事ですか!」
気を揉んでいた伊地知は、傷こそあれどもちゃんと戻ってきた三人に一瞬だけ気が緩む。だが、直ぐにあることに気付いた。
「伏黒君、虎杖君は………」
「………虎杖は、残りました。俺たちが、少年院から出たところで合図を出す手筈になってます」
それ以上の説明を、伏黒は切ると玉犬に遠吠えを支持する。
これで、中では特級同士がぶつかることになるだろう。
「「………」」
負傷した釘崎を伊地知へと任せた雨里と伏黒は、再び少年院の敷地へと足を踏み入れていた。
「………勝算は?」
「ない。ただ、虎杖は受肉したときに宿儺との主導権争いに勝ってた。その後に、五条先生も指を飲ませて確認している」
「………」
希望的観測だ。だが、雨里は口を開かなかった。
勝つ負ける関係なく、彼だって同期が、友人ともいえるような相手が死ぬことなど望んでいないし、考えたくもないのだから。
世界は得てして、優しくない。呪術師の世界など、地獄が広がっている。
「―――――小僧ならば、戻らんぞ」
絶望が、そこに立っていた。
*
「ごほっ!げほっ!………ッ、くそっ!」
数本の木をへし折って吹き飛ばされた雨里は、壁に叩きつけられるも意地で立ち上がると前へと駆ける。
突然に始まった、宿儺との戦闘。指一本ですらも対応できないというのに、今の宿儺は指三本分の力を有し、おまけにダメ押しすらもある。
ダメ押し、それは心臓を抉り出された虎杖を反転術式で心臓の再構築をさせるというもの。
「鵺!」
「凍結呪法・氷嘴!」
紫電を纏った怪鳥と、その怪鳥を援護するように放たれる複数のツララたち。
それだけではない、伏黒も雨里も接近戦を仕掛けていた。
「くくっ、遠距離からだけかと思えば、術師本人が向かってくるか」
伏黒の左拳、雨里の右拳を受け止める宿儺には余裕しかない。
事実、余裕なのだろう。彼にしてみれば、目の前の二人など瞬きの間に殺戮可能なのだから。
今も、飛び上がりながら回転し二人をそれぞれぶん投げて、否投げ捨てている。
地面に叩きつけられる雨里と、宙を舞う伏黒。状況的にも直ぐに立て直しを図れたのは後者の方だった。
空を飛ぶ鵺に己を回収させ、更に別の式神を己の影を媒体に召喚する。
空中にあった宿儺の体。そこを地面から強襲したのは、白い鱗に文様の刻まれた大蛇。その体を咥えて一気に空へと昇っていく。
「良い術式だ。手ぬるいが、なっ!」
玉犬と同様に破壊される、大蛇。だが、先程のジャンプよりもさらに高所に、その体は放り出されることになる。
追撃が、迫っていた。具体的には、地面から氷柱を一気に伸ばし、その上に乗って拳を構える雨里である。
ただ拳を振り抜くつもりではない。いつぞやの任務で創り出した氷のパイルバンカー機能付きの氷の手甲を既に装備済み。
「シッ!」
振り抜かれるは、右拳。着弾と同時に、機構が作動し直撃時以上の衝撃が宿儺を襲う。
だが、
「―――――手ぬるいなぁ?もっと、呪いを込めて打ち込んで来い」
止められた手甲による一撃。その氷は、握る動作で破壊されてしまう。
「このようにな」
「ッ!ぐっ………!?」
目線以上に右腕を持ち上げられた雨里の胴体へと、宿儺の右張り手が叩きつけられる。
咄嗟に左腕でガードするも、ガードした手甲は砕かれ、その骨にも亀裂が走る。更にそこから、二度、三度とガードを躱され叩き込まれる張り手。
ぐったりと俯く雨里。その口の端からは、一筋の血が流れる。
「何だ、もう終わり―――――」
だからこそ、宿儺も油断した。いや、元よりこの場の戦闘など彼にしてみれば手遊びでしかないのだから、油断も何もないか。
顔を見てやろうと落下しながら引き上げた右腕。自然と、両者の顔は近づき、
「なめ、るなッ……!」
呪力の込められた頭突きが、その鼻っ面へと叩き込まれる。
「貴様………!」
「ざまぁ、みろ………」
思わず放してしまった左手により、雨里の体は重力に引かれて落ちていく。そして、横から攫う大きな影が一つ。
「生きてるか、雨里」
「げほっ!………どうにか……」
鵺によって落ちてきていた雨里の回収を済ませた伏黒は、前を睨みながら問う。
地面に降り立つと同時に蹲ってしまった同級生は、もはや戦えるかも怪しい状態。自分の方も呪力をかなり消耗している。
一方で、降りてきた宿儺はというと、不意打ちの頭突きで曲がったのか鼻を弄りながらも、その体に蓄積したダメージは毛ほどもないだろう。
(ここまでだな………)
そう内心で零すと、伏黒は傍らの鵺へと指示を飛ばす。
大きな翼が翻り、その足が掴むのは蹲ってどうにか立ち上がろうと藻掻いていた雨里の背中だ。
「頼んだぞ」
主の言葉に一声鳴いた怪鳥は、その翼を動かして空へと昇る。そしてこの間、伏黒は宿儺を牽制し続けていた。
「自ら戦力を削るか。それで?貴様は、俺に何を見せてくれる?」
「………」
嘲笑うように問うてくる宿儺だが、伏黒は沈黙をもってこれに返す。
彼は、己の力量を正確に把握している
構えられる両腕、高まる呪力。
文字通りの捨て身。そしてこれは、周りに誰かが居た場合には躊躇わなければならない手段でもあった。
嗤う鬼神。覚悟を決めた式神使いが相対し―――――
*
風の吹く音が、鼓膜を打つ。
暗い視界を訝しんで、目を開けてみればそこに広がるのは―――――
「吹雪………?」
瞼の闇と相反するような、数メートル先すらもはっきりとは見通せない白い壁。
銀世界の中、雨里京平はただ一人雪に埋もれるようにしてそこに大の字で転がっていた。
記憶を思い出そうにも、頭はぼんやりとしていて働かない。体も、まるで末端から中央に至る全てが鉛で構成されているのではないかと思えるほどに重く、指先一つ動かない。
この間にも吹雪は収まるでも激しく成るでもなく吹き荒れ続けており、彼の体は白の中へと埋まっていく。
なぜ自分がここにいるのか。その答えは、彼の内側から生じることはない。
ただ不意に、吹雪が途切れる瞬間が訪れる。
雪に半分埋もれて霞んでいく視界の中、彼はとあるものを自身の頭の先に見た気がした。
氷の礎の上に聳える、二階建ての青白い氷河によって形成された巨大な建造物。
その大きな影は、再び吹き始めた吹雪と霞んで暗くなっていく視界によってはっきりと確認することはできなかった。
吹雪は止まらない。