Ice Time   作:アイスめぇん

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 風の音を聞きながら、雨里は空の下を滑っていく。吐き出す息は白く、指先は震え気を抜けば歯の根が合わなくなる。

 西宮は、無理をしないようにと言った。だが、既に雨里の体には無理が積み重なっていた。

 呪術は万能ではない。使い続ければ呪力を消費するし、呪力が削れ続ければ疲労と負荷も嵩んでくる。

 ただ、それだけではないのだ。無下限術式の長時間行使が、脳を煮溶かせるように。呪霊操術が、ゲロ不味い呪霊を食らわねばならないように。凍結呪法が術者の肉体を凍てつかせるように。

 冷えは、体の末端から徐々に徐々に蝕んでいく。ある程度の耐性があるだとか、そんな事は関係なく。

 

「………すーっ………ふっ」

 

 氷上を滑りながら、小さく息を吸い込み、そして短く吐き出す。

 雨里は己の体の限界から目を逸らした。自分()()()の事よりも、補助監督や戦闘中であろう術師の救援が先決だと考えたから。

 帳を抜け、数多ある寺社仏閣が見えてくる。

 その一つの傍に、雨里は飛び降りていた。彼が離れると、氷のスロープも古い部分から空気中に粒子となって消えて、若干のダイヤモンドダストを見せながら跡形もなく消えた。

 

「この近くの筈………いったいどこに……」

 

 彼自身の感覚でしかないのだが、氷人形が破壊されたのがこの周辺だった。

 周りを見渡せば、鋭利な刃物によって切り裂かれたのか中身が空の寺社仏閣の残骸がチラホラと確認できる。

 破壊跡を撫で、微かな残穢を負いながら雨里は右手に冷気を纏わせていた。

 黒閃の経験により、呪力の核心により近づいている今の彼はこの先に待つであろう相手の危険性とでも言うべきか、そんな気配を全身で感じ取っていた。

 それこそ、先程まで相手にしていた特級呪霊。それと同格か、誤差程度で劣るそんなレベルの相手。

 果たして、最後の氷人形が破壊される。同時に、寺社仏閣の一つを破壊しながら何かが雨里の下へと飛んできた。

 その飛んでくる何かを視認した瞬間、咄嗟に雨里は受け止めていた。

 

「大丈夫ですか」

「ッ、あ………じゅれ、い………」

 

 口元に手を当てれば細い息。気絶した補助監督を抱えたまま、穴の開いた方を睨めば何かがやって来るのか足音が彼の耳に届く。

 

「うーん、侵入がバレた訳じゃなさそうだけど。面倒だなぁ」

 

 現れるのは、長髪の若い男。ただそれだけならば普通の人間と大差ない見た目だ。

 その体には顔も含めて、いくつもの大きすぎる継ぎ目の縫合跡があった。何より、その気配は人間でも呪術師でもない。

 

「あれ?まだ生き残りが居たんだ。まあ、あの氷?が邪魔してきてちょっと逃がしちゃったんだけどさ」

「………お前、あの木の呪霊の仲間なのか」

「木?………ああ、花御と闘ったんだ。よく生きてたね、結構強かった筈だよ」

「何が目的だ。ただの高専襲撃じゃないんだろ?あの、木の呪霊だけなら襲撃だけで片付いただろうけど、お前が居るなら別だ。何が目的だ」

 

 補助監督を抱えたまま、雨里は睨む。

 ただの襲撃だと、彼含めた呪術師側の考えがこのタイミングで誘導されていたものだと発覚したためだ。

 いや、呪術師側を削る事も目的の一つと言って良いかもしれない。だが、()()()()()()。少なくとも、この場において雨里はそう判断を下していた。

 

「目的、ね。それに関しちゃ、()()()()()()()。術師があんまり殺せなかったけど、そっちは次いでだったからさ」

「………」

「それじゃ、俺は行く―――――」

 

 呪霊が言い切る前に、その体を地面から突き上がってくる先端の鋭い氷山が刺し貫いていた。

 ノーモーションからの致命技。相手が呪詛師であったならば、この時点で勝負がついていただろう。

 もっとも、今回の相手は呪霊であるし。何より相手に、ダメージはない。

 

「ひっどいなぁ。ほら、見てよ、服が穴だらけ」

(肉体強度は、そこまでない。けど、何だろうねこの違和感)

「体に穴が開いてるのにダメージが無くて不思議?まあ、そうだよね………ねえ、アンタはさ、魂と肉体、どっちが先にあると思う?」

「は?」

「ほら、あるでしょ卵が先か、鶏が先か、みたいな質問。肉体に魂が宿るのかな?それとも、魂に肉付けされているのかな?」

「………前者、じゃないのか。肉体は魂の入れ物だろ」

「ブッブー、答えは後者。魂はいつだって肉体の先にある。だからさ―――――」

 

 言いながら、氷の剣山より抜けた呪霊はその体に空いた風穴を簡単に塞いで見せる。

 

「こんな風に、魂の形さえ保てば俺にとってはどんな攻撃も意味がない」

「………」

「俺の術式は、魂に触れてその形を変化させる」

 

 こんな風に、と呪霊は距離を詰めてその手を、雨里、ではなく気絶した補助監督へと伸ばし、

 

「―――――魂が無ければ、関係ないんだろう?」

 

 その手は、分厚い氷の壁に阻まれていた。

 雨里にしてみれば、現状人一人抱えたまま接近戦をしようと思えるほど無謀ではない。であるならば、距離を取る様にして動き回るのがベスト。倒せずとも足止めできればいいのだから。

 だが、その目論見は、上手く機能することはない。

 

「あの氷人形も、アンタか。結構面倒だったし、そのレベルの術師を駒に加えるのもいいかもね」

 

 言うなり、呪霊のその右腕の形状が変わっていく。

 人体、というよりも生物的な形状ではない。無機物、チェーンソーの刃をそのまま大きくし束にしたような鉤爪の刃。

 直感的に、雨里は大きく後方へと下がりつつ足の裏を氷の柱に押させて、大きな跳躍を見せていた。直後に、彼の居た地点が氷ごと切り刻まれている。

 屋根の上に降り立ち、雨里は冷静に観察を続けていた。いや、観察しなければ、まず間違いなく殺されることになるだろう。

 とりあえず、抱えていた補助監督を屋根の上に下ろし、自分自身はそもそも屋根から降りて地面へ。そして、補助監督を寝かせた寺社仏閣を氷の巨大な壁で戦闘地域より区分するようにして区切った。

 

「やる気になったかな?」

「やる気も何も、術師の仕事は呪霊を祓う事。なら、やる事は一つじゃないかな」

「それもそっか。でもまあ、俺も時間はそんなにかけられないし、何なら見逃しても―――――」

「凍結呪法・氷龍」

 

 呪霊の言葉を遮る様に、氷の龍が食らいつく。

 地面を抉る様にして噛みついたまま押してくる龍。だが、呪霊はそのまま押し切られるよりも先に、その左腕を刃と変えて振り上げていた。

 斬撃。氷とは思えない強度の氷ではあるが、一時的に破壊し抜け出すことはそう難しくない。

 何より、今の雨里には隠せない疲労がある。無茶の積み重ねで今すぐにでも崩れ落ちそうな状態であるのだから、本調子とは言えない。

 しかしまあ、

 

「凍結呪法・氷龍“大連門”」

 

 それを表に出すほど、彼も馬鹿ではない。

 地面より顔をのぞかせるのは八体の龍。巨体をうねらせ、呪霊に迫る。

 

「確かに派手だ。でも、どれだけ攻撃しても魂に響かなきゃ意味はないよ?」

 

 迫りくる龍の巨体を駆けながら呪霊は嘲笑う。現状で、彼を叩いてダメージを与えられるのは一人。その一人にしたって、やりようによっては完封できると呪霊本人は思っていたり。

 その一方で、雨里自身も何も意味も無く大技を放っているわけではない。

 確かに、雨里には魂を凍り付かせるような技も力もない。魂と言われても、首を傾げてしまうだろう。

 だがそれでも、目の雨の呪霊の言葉が全てが全て正しいと思えなかった。

 というのも、呪霊が己にしろ、相手にしろ、魂の形を変えるとするならば術式を使用せねばならない。そして、術式の使用に必要になるのが呪力だ。これは、呪霊であろうとも変わらない。

 肉体の損傷が無くとも、形を変えれば大なり小なり呪力を消費し、その被害が大きければ大きいほどにその消耗も増していく。少なくとも、雨里はそう仮定付けていた。

 無論、周りに気付かせることも大事だ。それは大前提。

 粉砕され粉塵を上げる地面と、その空前舞い上がりそうな土煙を突き破って距離を詰めようとしてくる呪霊を見ながら、更に術式を―――――

 

「―――――ばぁ」

「ッ!?(何で、後ろに!?)」

 

 何が起きたのか分からないまま、しかし本能的にガードとその上に氷を纏わせる防御を展開する雨里。

 そんな彼を、呪霊は一切気にする様子もなく二回りは大きくなった右前腕を振るい、人の頭を容易く包み込めそうな拳でガードごと叩いてくる。

 まるで、トレーラーでも突っ込んできたかのような衝撃。不意打ちであったことも相まって、彼の体は踏ん張ることが出来ず、大きく殴り飛ばされてしまった。

 鈍い音がした。同時に、左腕から響く痛みの信号。

 どうにか空中で姿勢制御ができた雨里は、地面に二本の線を引きながら止まる。だが、この時点で左腕が使えなくなったのは明白。だらりと垂れ下がり、指先に力を入れるだけでも痛みが走る。

 

「派手な術式だけど、自分で死角増やしてたら世話ないよね。ま、俺も似たような経験あるから分かるんだけどさ」

「………」

「それじゃあ、続き………ともいかないか」

 

 呪霊はそう言って少し離れた場所へと視線を向ける。

 そこは、ちょうど帳が張られていた場所だ。それが今、解除されたのか晴れていく。

 

「じゃあね、呪術師。次はキッチリ殺してあげるから、お楽しみに」

「ッ、待て!」

 

 氷を走らせる雨里。だが、間一髪間に合わず呪霊は木の根のようなものに包まれて逃げ去ってしまう。

 逃がした。同時に、戦闘が終わったという事に他ならない。

 戦いが終われば気も抜ける。膝が震えて、気付いた時にはその体は大の字に地面に転がってしまっていた。

 後処理が残っている、と思い直せどもそれでも溜まった疲労と、左腕の骨折、更に術式による凍傷一歩手前の低体温症のトリプルパンチ。もはや限界だった。

 

「もっと、鍛えない……と…………」

 

 それだけが口からこぼれ、意識が飛ぶ。

 少し離れた場所では氷の壁が砕け散っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 交流会の襲撃を乗り越えた呪術高専。

 生徒たちは、それぞれの学校で別れ治療の必要な者もまた分かれ、バラバラとなっていたが、一方で教師陣営は一ヶ所に集まっていた。

 

「―――――続いて、人的被害の報告です。えー、死者は準1級術師一名、補助監督一名、忌庫番二名。そのほか、2級術師二名、補助監督三名が重症ですが家入さんの治療を受けて安定しているという事です。聞き取りをした限りですと、襲撃してきた呪霊は継ぎ接ぎのある人型。七海さんが遭遇した個体と同じ特級かと」

「思ったよりも被害出てないね。2級にそんな強いのって居たっけ」

「いえ、その……氷の人形が加勢してきた、と」

「氷……(京平の術式かな。やっぱり、学長に指導を頼んだのは正解だったかな)」

「この件って、他の術師や学生と共有した方が良いですかね?」

「………いや」

「特級呪物の流出に関する噂の確信を、呪詛師連中に持たれるわけにはいかない。上で止めておく方が良いだろう。捉えた呪詛師は何か吐いたか?」

「いえ、そちらも要領を得ないものばかりでして」

 

 それから、幾つかのやり取りがあり決定したことはいくつかあれども、交流戦の中止か否かは、生徒たちに委ねられる事となる。

 一方、件の生徒たちはというと、それぞれがそれぞれに時間を潰していた。

 

「まあ、何はともあれ皆無事で、何よりじゃないかな」

「そうね。それはそうと、虎杖。アンタいつの間にあのゴリラとあんなに仲良くなったのよ」

「いや、仲良くなったつーか………記憶はあるんだけど、あの時の俺は俺じゃなかったというか」

「なに酔ってんの?」

「釘崎は、俺があの最中に酒を飲むような奴だと思ってる訳?」

 

 ピザをベッドの上に置き、見舞いの体を取りながら談笑する三人に伏黒の眉間に皺が寄る。

 

「お前ら、治療は良いのかよ」

「この中じゃ、アンタが一番の重傷でしょ。アンタもよ、雨里」

「オレ?」

「そーそー、左腕折れてるんだろ?」

「まあ………でも、綺麗に折れてたから、そんなに完治に時間はかからないって家入先生にも言われたし大丈―――――」

「でもお前、全身凍傷になりかけてたんだろ。それが無けりゃ、左腕も治してもらえてたはずだ」

「雨里?」

「………ナンノコトデショウカネ。ピザ、オイシー」

「アンタが一番重傷じゃない!?大人しく寝てなさいよ!」

「いや、大丈夫だから、釘崎さん。本当に」

 

 左腕を三角巾で吊った雨里と、そんな彼に詰め寄る釘崎。

 実際のところ、彼の左腕が治っていないのは家入からのちょっとしたお小言の結果であったりする。主に、単騎で特級と戦った事と自分の体にガタが来ていることを理解したうえで術式を行使し続けた件について。

 もちろん、任務が入れば治療をしてもらえる。それまでは大人しくしておけ、というお達しでもあった。

 大丈夫、とチーズを伸ばしながら笑う雨里とそんな彼の頬を押す釘崎。そして、そんな二人のやり取りを見ながら笑う虎杖。

 

「………虎杖」

「んあ?」

「お前、強くなったんだな」

 

 それは、伏黒の率直な感想だった。

 交流会襲撃の特級は、少年院に出現した特級より格上だった。それを相手に、特級との交戦経験がある東堂が共に居ようとも五体満足で生き残り、追い込んだ。

 快挙だ。少なくとも、あの少年院の頃と比べれば雲泥の差がある。

 

「あの時、俺もお前もそれぞれの真実が正しいって言ったな。その通りだと思う、そしてその上で、俺たち二人はどっちも間違った」

「答えのない問題だってあるでしょ。細かいこと気にしてると禿るわよ」

「そうだ、答えなんてない。要は、自分が納得できるかどうかの問題だからな。弱い術師は、我も通せない。強くなるぞ、俺は」

「それは、伏黒君の目標だけじゃないと思うな」

「私抜きで言ってんじゃないわよ」

「それでこそ、虎杖(ブラザー)の友達だな」

 

 居ない筈の声が聞こえ、四人の目が一ヶ所に集まる。

 ゴリラが居た。それも腕を組んで、訳知り顔で頷くゴリラだ。

 逃走する虎杖、追う東堂。窓から始まる逃走劇な辺り、脇目も振らずとはこの事か。

 離れていく二人の声、残った三人は知らないふり。

 

「東堂先輩は、忍者か何かなのかな」

「いや、ゴリラでしょ」

「ゴリラだな」

「………まあ、体格だけの事じゃない、か」

 

 筋骨隆々の見た目と、話が通じない相手(類人猿)というダブルミーニング。

 結局、ピザの残りは三人の腹の中に収まり、虎杖は東堂に捕まった、とだけ報告しておく。

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