Ice Time   作:アイスめぇん

2 / 44


 道での邂逅を経て、雨里に案内される形で伏黒が辿り着いたのは年季を感じさせるアパートの角部屋だった。

 曰く付きだったから安かったんだ、と雨里は事も無げに語るが憑りついていたのは幽霊ではなく、呪霊であった。

 もしも、この部屋に住んだのが雨里でなかったならば被害の拡大につながっていたかもしれない。最悪、アパート一棟丸ごと呪霊の餌場になっていたかもしれなかった。

 何はともあれ、招かれた室内は住民である彼の申告通り、狭い。

 1Kの間取りだ。扉を開ければ台所スペースが確認でき、トイレと洗面台、風呂場が分れているだけマシといった感じ。

 部屋の内装にしたってミニマリストという訳では無いだろうに、置いてあるものは最低限。変わっていると言えば、この時期までベッドの側に小さいながらも炬燵が置かれ、更にその隣には電気ストーブが置かれている点か。

 普通ならば、直している品々だろうが雨里は迷うことなくストーブと炬燵の電源を入れていた。

 

「暑くなるかもしれないけど、御免ね。これ位してないと、寒くてさ」

「…………いや、構わねぇよ」

 

 伏黒としても、彼の行動を咎める気は無い。というのも、この部屋に辿り着くまでの道中で彼の手を握らせてもらったのだ。

 まるで、冬場の冷水のような冷たさだった。しかもそれが指先だけでなく、体を全体的に冷やしてくるのだから恐ろしい。

 

「お茶で良いかな?」

「いや、そこまでは…………」

「せっかくのお客様だからね。少しはもてなしの一つさせてよ」

 

 そこまで言われれば、固辞する事の方が逆に失礼。少なくとも、伏黒はそう考え至り大人しくベッドとは反対側の炬燵の辺に腰を下ろした。

 夜が近づいているとはいえ、流石に五月に炬燵の中へと足を突っ込む気にはなれず少々座りにくそうに、彼は正座する。

 程なくして、ガラスのコップに麦茶を、片や湯呑に湯気の立つお茶を注いで雨里は部屋の中へとやって来た。

 

「…………」

「どうかした?」

「……いや、俺の方にも熱い飲み物が来るもんだと思ってな」

「ああ………確かに、オレは熱いものの方が好きだけどだからといって、辛い物を食べながら熱いものを飲む、何てことはしないよ。飲み過ぎると、冷え過ぎちゃうけど」

 

 そう言って、湯呑を両手で持って指先を温めている雨里は少し困ったように笑った。

 凡そ、十五年だ。それだけの時間、彼は己の体質とこうして付き合ってきた。それだけの時間があれば、ある程度は割り切れるようにもなるし、自分で自分の限界点も分かるというもの。

 

「それでえっと………伏黒君」

「何だ?」

「その、呼んだ先生?っていつ来るのかな」

「一応、住所はメールで送った。ただ、忙しい人だ。どれだけかかるかは、俺も分からない」

「そっか……」

「…………聞かないのか?」

「何が?」

「呪霊について、とかな。普通は、気になるもんだろ?」

「そう、だね…………うん、普通は気にするのかもしれない」

 

 湯呑を置いた雨里は、少し目を細めて炬燵の中へと両手を突っ込む。

 

「でもね。もう、十年以上経ってるんだ。今更聞いても、ね?」

 

 疲れたような笑みだった。事実、彼は精神的に疲れているのだろう。

 幼い頃から呪霊が見えた。幼い頃から夏場であってもまるで真冬のような寒さを味わい続けた。幼い頃から異能が使えた。

 幼少期からの理不尽に対して、人は幾つかの反応を示す。

 一つは、怒り。長年の不条理に対する感情。一つは、無視。ストレスによる自己へのダメージを緩和するための無意識な逃避。一つは、諦観。諦める事で全てを受け入れ飲み下す。

 雨里の選択したのは、三つ目だった。

 彼は、既に諦めた。その上で、全てを受け入れることにしたのだ。

 両親からの理解、周囲からの理解、それら全て一切合切を諦める事で雨里京平という少年は、自分の人生に折り合いをつけていた。

 暗くなった部屋の空気。

 

「ははっ、あー、ごめん。別に、伏黒君を責めるわけじゃないよ。オレ自身、納得した上で呑みこんだんだから。どうあれ、体質や力との折り合いをつけるにはこうするしかなかったからさ」

「…………」

 

 改めて、目の前の雨里を見た伏黒は、自分が他と比べても恵まれているのだと思えた。

 彼も彼で壮絶な人生を歩んできた。だが、側には姉が居たし苦手であっても同族も居た。一人ではなかった。

 だが、雨里は違う。この年になるまで同じく力を扱える人間とは出会ったことが無く、近所の人間は愚か家族からすらも疎まれている。

 そこまで周りから悪意を向けられれば、人格が歪み切ってもおかしくはない。そして、己の力を誰かを傷付ける事に使う可能性も十分にあっただろう。

 それでも、そんな被害が出ていないのは偏に彼自身の善性によるものと言う外ない。

 

「……雨里」

「うん?なんだい?」

「お前は、呪術師に成る気はあるか?」

「呪術師…………呪霊と戦う人たちの事だね。伏黒君もそうだっけ」

「俺は、まだ高専の生徒だけどな」

「高専、高等専門学校かな。専門職なら、当然の措置だよね」

「お前が呪術師に成るなら、そこに通う事になる。東京と京都の二ヶ所。雨里なら、前者だな」

「東京かぁ、都会だね…………呪術師、か」

 

 自分の力の正しい使い方なのだろう、と雨里は何となく考える。いや、自分の力の使い方に正しいも何も本来は無いのだが。

 やろうと思えば、雨里は両親は愚か街一つを氷漬けにすることが出来ただろう。

 しかし、しなかった。

 伏黒は、これを善性だと考える。だが、当人からすればまた別だ。

 純粋に自分の手を汚したくなかった、その一点に限る。勿論、見ず知らずの他人をその手に掛ける事に抵抗があった事は否定しないが、それでも大元を辿れば、その理由に帰着する。

 

「オレに務まるとは、思えないけどな…………」

 

 自分の卑怯とも言えるような計算高さを自覚するからこそ、雨里の反応は悪かった。

 呪霊を祓う理由といえば、目の前の道を遮られるだとか、襲われるだとか自分に関係したものであったから仕方なくだ。

 それが仕事となり、自分以外の人間の為に呪霊と戦う事になる。果たして、その結果モチベーションが持つだろうか。

 呪術師に成るかは、雨里の決める事。伏黒からは、これ以上何かを言い募る気は無い。

 結局、そこで呪術師に関した話題は打ち切った。後は、趣味の事であったり、学校の事であったり他愛のない話ばかり。

 そうして時間が流れれば、夕飯時。

 

「簡単なもので悪いけど」

「…………ラーメン、か?」

「麺はインスタントだけど、スープとトッピングは自家製だよ」

 

 丼と、片手鍋をそれぞれ伏黒、そして自分の前に雨里は置いた。

 促されるままに、一口含んだ伏黒はその眉を少し上げる。

 

「……旨い」

「それは良かった。オレは、体質柄冷たい食べ物は食べられないからさ。こんな事ばっかり凝っちゃうんだ」

 

 笑いながら、雨里もまた麺を啜った。

 冷え続ける体ゆえに、冷たいもの。或いは体温を下げてしまう食べ物は、あまり食べられない。逆に、なべ物や辛い食べ物、温かい物を基本的に彼は食べている。

 男子高校生の食欲ならば、ラーメンの一杯など直ぐに終わってしまう。程なくして丼と鍋はそれぞれ空になっていた。

 

「悪いな、晩飯まで」

「いや、オレが自発的に出したものだからさ。気にしなくていいよ」

 

 鍋と丼を手際よく洗って戻って来た雨里に伏黒は、頭を下げる。

 やってもらって当然な事など、無い。仮に相手が自分からもてなしてくれたとしても、感謝の気持ちを伝える事は大事なのだ。

 そうして時間は流れ、夜も更けてきた頃唐突にインターホンが鳴る。

 

「待ち人来たれり、かな?」

「お前に、客の予定がないならな」

「無いよ。オレの部屋にこんな時間に訪ねてくる客の予定何て」

 

 言いながら、こたつより立ち上がった雨里は玄関へと向かう。伏黒も続こうとしたが手で制されていた。

 果たして開かれるドア。その先に居たのは、全身黒尽くめに目隠しを付けた不審者だった。

 

「…………」

 

 無言で、雨里は扉を閉める。自分の見たものが、未だに信じられなかったから。

 後ろを振り返って目で問えば、その目は逸らされてしまっていた。

 観念して、彼は再び扉を開ける。

 

「えー…………貴方が伏黒君の担任の先生、ですか?」

「そうだよ。閉められちゃったから、どうしようかと思ってたんだけど。まあ、良い夜だね」

 

 言いながら、不審者は扉の縁へと手を掛けて部屋の中へと入ってくる。

 百七十センチ後半の雨里が見上げるほどの身長差。自然と威圧されるというもの。

 

「…………狭いですけど、どうぞ」

「うーん、僕としてもそうしたい所なんだけど…………」

 

 そこで言葉が切られ、目隠しを付けた顔が雨里へと近づけられる。

 

「驚いたよ。このレベルの呪力の持ち主なのに、今の今まで埋もれていたなんて、さ」

「はい?」

「恵にある程度の話は聞けたんだけど、都合が変わった。僕としても君をこのまま在野に放っておくのは無理かな」

「五条先生!雨里の意見は―――――」

「恵も分かるでしょ。彼の呪力はかなり強いよ。オマケに術式も相当強力。このまま、一般人の生活を続けるのはまず不可能。遅かれ早かれ、こっちに巻き込まれるだろうね。寧ろ、今までは運が良かったとしか言えないよ」

 

 自分を置いて進んで行く話。雨里は首を傾げるしかないが、伏黒が何処か悔やむ様な表情をしているのが気にかかった。

 それでもやはり、当人であるのに彼は蚊帳の外。

 

「とりあえず君、これから高専に転校しよっか。手始めに」

「…………はい?」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。