Ice Time 作:アイスめぇん
それは勝敗という勝負の世界における摂理を度外視したものだった。
「ッ!」(体格と速さが合ってない……!)
振り下ろされた魔虚羅の右腕。その剣を真剣白刃取りで受け止める雨里だが、たった一発受けただけでその破壊力に膝が震える。
歯を万力の様に食いしばり、目を見開く。
「ッ、ォオオオオオアアアアッッッ!!!」
気合の咆哮と共に、右手で刃の腹を押しながら左手を引く事によって剣を体の左側へと逸らして落とす。この間に、彼自身は右側へと転がり逃れる事を忘れない。
二度転がって勢いよく立ち上がる雨里。そのまま若干アスファルトの上で足を滑らせながら、魔虚羅へと駆け寄りその拳を振るう。
(一発受けて、分かった。こいつに攻撃させちゃいけない!連打を許した時点で、オレの負けだ……!)
拳による連打を片手であしらわれ、返しの右踏みつけを跳躍して躱し、対空状態からのお返しの回し蹴りをその異形の顔面に振るうが、こちらも左前腕に防がれる。
であるならば、と雨里は残った足で蹴りをガードしてきた左腕蹴って後退。着地と同時にその両手を地面へと叩きつけた。
「――――蒼ノ手」
溜めは、無し。魔虚羅を挟むようにして群青色の氷河の手が二つ現れる。
「拍手ッ!」
そして、挟み込む。
並みの呪霊ならば一発で祓える。特級であろうとも、直撃すれば致命傷は免れない。
狙い通りというべきか、暴走したトラックのような速度で挟みこまれた魔虚羅は大きくその全身から血を噴き出すとその場に膝をついていた。
通用している。そう判断し、雨里は追撃の為に前へと駆けだした。
だが、
「――――」
ガゴン、と鈍い音を立てて魔虚羅の背後に浮かぶ法陣が回り、同時にその巨体も立ち上がる。
傷が癒えていた。それこそ、さっきまで膝をついて血塗れであったというのに、今では見る影もないほどに完治している。
何が起きたのか。その思考をする前に、雨里は直感的に上半身を倒していた。
某映画のような体勢となる雨里だが、間髪入れずに先程まで彼の頭があった位置を何かが凄まじいスピードで通り抜け、そして背後にあったビルに斜めの巨大な亀裂を刻んだ。
目だけで確認すれば、魔虚羅が右腕を振り切った姿があった。
呪力を乗せた、斬撃。そこに魔虚羅自身の膂力が上乗せされる事によってその破壊力は鉄筋コンクリートの壁であろうとも豆腐の様に切ってしまう。
この斬撃を回避できたのは、目の良さと只管の運。そして、死線に次ぐ死線を短時間で越え続けた事による一時的な勘の冴え。
しかし、雨里は止まらない。
滑る勢いをそのまま利用して魔虚羅の懐へと潜り込む。
放つのは、左のアッパーカット。体格上、顎は狙えない為、狙うのは腹部だ。
果たして、
「――――は?」
雨里の思考は、空白に染められる。
拳を伝って彼に届けられた、まるで鋼の塊でも殴りつけたかのような硬い手応え。いや、肉としての質感はあるのだ。だが、その先にある感触が鋼板であるだけで。
一瞬の隙だった。しかし、致命的な隙だった。
振るわれる大きな左腕。まるで埃でも払うかのように、しかし握られた左の裏拳が止まった雨里へと叩き込まれる。
「ガッ――――!?」
声も出ないとは正にこの事。彼の体は、宛ら玩具の様に回転しながら近くのビル。その中程の高さに突っ込んでいく。
本来ならばビルの数棟をぶち抜く破壊力を有しているのだが、今回は左腕だったためにこの程度。それでも、常人どころか並大抵の術師ならばこの時点で壁にぶつけたトマトのような染みへと変えられていただろう。
「――――蒼ノ
ビルを突き破り現れるのは無数の氷河によって作り上げられた手の大群。
一つ一つが蒼ノ手と同等の大きさであり、その速度も同じく。
大量の手が出現した事により倒壊するビル。そこより一筋の
(もう、隠し玉なんて考えてる場合じゃない……!それに、
術式反転によって肉体を炎へと変化させた雨里は、今この瞬間に全てを賭ける。
(あの式神は、圧倒的に強い。けれど、それだけじゃない。さっき蒼ノ手で潰した傷が一瞬で再生した。そして、今も手は簡単に切り払われてる。おまけに傷一つ付かない。気にするべきはあの背中!)
雨里の強みの一つ。つまり、理屈ではなくその本質を
彼が理解したのは、背中の法陣が動くと魔虚羅が復活するという事。それから、復活の際にはその前に受けたダメージは回復し、加えて耐性を得る事。
だから、雨里の打撃は通用しなかった。その前に、打撃の最上位のような押し潰しを敢行して見事に膝をつかせたのだから。
目指すのは、短期決戦。自分の持ちうる最大火力をもって完全に破壊する事。
何より、
燃え盛る彗星となって、雨里は空を駆ける。
術式反転『焔人』。その機動力は、順転の際に扱う氷のスロープとは比べ物にならない。
先行させた蒼ノ千手を目晦ましに、接近。魔虚羅の目の前へと滑り込む。
当然ながら、それを見逃す魔虚羅ではないのだが、雨里の方が僅かに速い。
「――――
下から上に左腕が振るわれ、紅蓮の業火が魔虚羅の巨体を一飲みに包み込む。
魔虚羅だけではない。その体を中心にして、スクランブル交差点の七割が飲み込まれるほどの広範囲大火力である。
だが、この程度で終わるのならば何の苦労も無い。故に、彼は既に次の手を講じていた。
発想の大本は、赤血操術。血液を圧縮する百斂を参考にした。
もっとも、その危険性と破壊力は血液を圧縮するのとは比べ物にならないのだが。
胸の前で炎を灯し、ソレを両手で包み込むようにして圧縮していく。
最初は揺らめいていた炎だが、全方向から圧縮の圧力を受ける事によってその形は球状に纏まり、尚且つオレンジから光り輝く白のような色合いへと変化していった。
同時に炎が弱まり、黒焦げとなった魔虚羅の姿がうっすらと見えてきた。
ここで、雨里の推測のもう一つが当たる。
即ち、魔虚羅は再生の際に動か無くなるという事。そりゃあ、再生が必要になるほどのダメージなのだから動けなくとも不思議ではないのだが、とにかく魔虚羅は背の法陣が動くまでは動かない。
この隙を逃さない手はない。雨里は、圧縮した炎を解放する。
「――――
圧縮した炎に指向性を持たせる。すると、熱線の様に変化するのだ。今回の場合、圧縮した炎を左手の指先へと移動させて手刀を振ると同時に解放。その一刀は、万物を焼き切るのではと思えるほどの破壊力を一瞬だが発揮した。
両手足が切りつけられその傷跡が焼き付く魔虚羅。四つ足をつく形でその場に膝をついた。
瞬間、雨里は前に出る。
「術式順転『人氷』――――万結」
蒼い氷河へと変貌する体。その両手で触れた瞬間に、魔虚羅の体は
時間との勝負。そして、ここまで手札を切った雨里にもう次のチャンスは訪れない。逃せば、立ち上がる事は愚か、この世界からサヨナラバイバイとなる事だろう。
故に、禁に触れる。
「術式順転『人氷』……術式反転『焔人』……ぐっ…………!」
領域展開とも、極ノ番とも違う全く別の術式の形。
そして、自身の師である五条に止められていた禁忌でもあり、ぶっつけ本番。上手くいく保証は愚か、彼自身の安全すらも確約されていない博打。
それでも雨里には、これに賭けるしかなかった。もう、手が無いのだ。
冷気を放つ右手と、陽炎を纏った左手。
それらを胸の前で組み合わせ、そして指を相手に見せつけるようにして突き出した。
「――――虚式『
一羽の燕が宙を舞う。
五条の扱う虚式『茈』が架空の質量を相手に押し出してぶつけるものならば、雨里の虚式は零エネルギーとも言うべき代物を相手にぶつける。
マイナスの終わりであり、プラスの始まりである、ゼロ。雨里のそれは、直撃した対象に対して最初から何も存在していなかったかのように、消し飛ばす。
五条のような森を割るような広範囲にわたる破壊力は今の所、無い。しかし、事この状況ではそんな事は関係が無かった。
至近距離、もといゼロ距離。そして相手は、回復が間に合っておらず凍結によって動けない。
術である半透明の燕が一度羽搏き、その嘴が吸い込まれるように魔虚羅の凍てついた顔面へと突き刺さった。
効果は劇的。打撃に対する耐性を得たために鋼の塊のような高度であった筈の魔虚羅の体が、まるで空気を入れ過ぎた風船のように大きく弾けたのだから。
それだけではない。その背にあった法陣の一部も、術式の余波によって抉り飛ばされ黒い影となって溶けて行く。
そして、
「うおぇ……げぇ……!」
雨里は、吐いた。
限界だった。いや、そもそも限界を超えて動き過ぎていた。
陀艮戦で、そもそも彼の分を超えかけて、そして漏瑚戦で既に限界だったはずなのだ。
それでも、彼が戦えたのは様々な要因が重なった末の偶然。
一つは、黒閃。これによって呪力の核心により近づいた事。
一つは、漏瑚戦。実の所、火礫蟲を受けた辺りで、一度彼の体は砕けてしまったのだ。つまり棺桶に体半分突っ込んだような状態になっていた。
そこから核心に迫った呪力コントロールで無理矢理体を組み立て直して復活。宿儺復活の場に立ち会う事になる。
そして、この二番目の理由。少なくとももう一回、彼の体は大きく損傷していた場面があった。
漏瑚との最後の衝突による爆発。ここで再び、彼の体は大きく砕けた。
それでも、二度目だ。一度目よりも更に速く体を修復し、宿儺の下へと向かい、そして魔虚羅との戦闘に陥る。
問題なのは、この死にかけるタイミングが一時間に満たない時間で二度も行われた事。
死という、この世で最も忌むべき存在の一つに短時間で触れた肉体は、飲み込まれない為に出力を増した。
死に際の集中力、火事場の馬鹿力。それが
肉体は、枷を取っ払った。同時に、精神的な面も無理矢理引き上げて、ハイにした。
結果生まれたのは、既に限界を迎えて今すぐにでも倒れそうな筈なのに、ハイになった精神と、脳から出続けるエンドルフィンで無理くり動かされる疑似ゾンビ。
砕ける→修復→ハイになる→砕ける→……この流れをどうにかしなければ、早晩彼は壊れる事になっただろう。
そして今、彼は崩れた。もう、立ち上がれない。
無理な順転と反転の同時行使。これによって両腕が使い物にならなくなった。いや、右手は辛うじて動かせるか。だが、左腕は黒ずんで痙攣するばかりで持ち上げる事すらも出来ない。
無理矢理絞り出していた呪力も、もうほとんど残っていない。
元々天与呪縛によって常人よりも多かった呪力だが、この夜に大きくその量を伸ばしていた。伸ばしていたが特級(相当)相手に四連戦。寧ろ、こうして意識と原形を保っているだけ幸運だろう。
「限界、だな」
「はぁ……はぁ…………ま、だだ……」
「その体で、何ができる。それとも、今のお前を見て、俺が手心を加えるとでも思うのか?」
「……はっ……そんな事、思う訳、ないだろ……」
未だに立ち上がれない状態でありながら、雨里は笑う。
そうじゃないのだ。彼が期待したのは
「オレも、限界だ……けど、宿儺。それは、お前もだろ?」
「ほう……オマエ、最初からそのつもりだったか」
「いや……はぁ…………一撃を入れる事は諦めてない……でも、あらゆる可能性を模索するのは大切な事じゃないか」
両面宿儺には、未だに完全な肉体の主導権が無い。今も、大量の指を一度に取り込んだために入れ替わっているだけでそろそろ虎杖に主導権が戻る。
何より、今回は心臓を修復させるなどの条件も無い。雨里はただ、虎杖へと戻るのを待つだけでよかったのだ。
もっとも、現実はもっと厳しい。宿儺の気が引けなければ、今頃術師のみならず避難した人々にまでその被害が襲い掛かっていただろうから。
ただ、
「――――
時間切れで終われればそれが一番良かったのだが、宿儺がソレを許すはずもない。この僅かな時間であろうとも、彼が一度領域展開でもしてしまえば、それだけで百単位の人間が死滅しかねないのだから。
故に雨里も、最早手段を択ばない。
うずくまったまま立ち上がれない彼の体に氷が這っていく。
氷による外骨格。それは、身を守るためではなく肉体の補助の為のもの。裏を返せば、そこまでしなければ立ち上がれないという事。
使えるのは、右手一本。
「冥土の土産だ。お前に褒美をくれてやろう」
言うなり、宿儺は嗤った。
「■……
「ッ!……炎?」
「何だ、お前たちの側でも伝わっておらんのか?……まあ、良い。生き残れるかはお前次第だ。精々、抗え」
それ以上の会話をする気はないのか、宿儺は左手で呼び出した炎を構え、まるで右手で弓を引くように引き絞った。
対して、雨里は唯一動く右手に残った呪力の全てを込める。
この戦いの、いや人生最後であるという覚悟をもって臨む。
「――――蒼ノ……
下から上へと振り上げられる右手。
起きたのは、巨大な氷河の津波だった。
周囲の地形もろとも、対象を轢殺する大技。が、もう雨里には相手がどうなっているのか確認する事は出来ない。
ブラックアウト。膝が崩れて座り込み、項垂れる。
そこに迫るのは、氷河の津波とぶつかり大きくはじけさせた炎の矢。
そして――――
補足として、露骨に助けていない原作死亡のキャラは助かってません
今回ですと重面ですね。伏黒に手を出しちゃったので、魔虚羅が吹っ飛んだ直後に首ちょんぱされてます