Ice Time 作:アイスめぇん
ここで、時計の針を少し戻そう。場面は、釘崎が真人に相対し、そして後ろに引かれて戦線を離脱したところ。
彼女を結果的に救ったのは、メカ丸とそれから美々子と菜々子の双子であった。
縄によって引かれた先。そこは、粉砕された路地の一角であり少し離れれば焦土となったスクランブル交差点周辺につくような場所。
そこに、雨里が居た。だが、その姿は酷いなんてものではない。
仰向け、大の字に倒れた彼の格好はズタボロになったシャツと制服のズボン。格好もそうだが、服の下は更に酷い。
左腕は酷い火傷によってボロボロ。腕としての形を保っているだけで、機能はほぼ死んでいるようなもの。左腕だけではない。顔や首元、シャツのボタンが外れた胸元などにも火傷が刻まれていた。
そして、右腕。これに至っては、肩口から千切れ止血は施されているが、宛がわれた布は今も赤く染まり続けている。
「ッ、雨里!?どういう事よ、コレ!」
『見たままダ。両面宿儺含めた特級と戦って右腕一本失うだけで済んだのは、運がイイ』
「運が良いって、アンタねえ――――」
『だが、今のこいつは心停止を起こしている。数分経たずに死ぬ事になるゾ』
噛み付く釘崎を、メカ丸の補足が黙らせる。
絶句する彼女だが、寧ろ現在進行形で死に切れていない雨里がこの場合異常であるのだ。
『今回は、雨里の術式が役に立った。肉体そのものを氷へと変換する順転の結果、体は極低温で安定し術式が途切れている今も常人とは比べ物にならないほどに冷え切っていル。だが、外気温に晒され続ければ、十一月直前の夜であろうとも氷は融ける。時間が無いんだ』
「……どうするってのよ」
『これから、美々子と菜々子の呪力をオレを媒体にして電流に変換する。その変換した電気を釘崎、オマエが雨里の心臓へと打ち込め』
「分かった」
釘崎、即決。
やり方も、双子が何者なのかも、あらゆる全てをすっ飛ばして彼女は了承の意を返したのだ。
何も考えていない訳ではない。二人への不信感もあれば、メカ丸の言葉をそっくりそのまま飲み込んでいる訳でもない。
ただ目の前で、同期は死の淵にある。その事実だけを認識し、どうすれば助けられるのか、彼女なりに頭の中で考えた結果の即決。
予想外のとんとん拍子、しかしメカ丸も美々子、菜々子も突っ込みはしない。彼らにも、雨里には生きて貰わなければならない理由があるからだ。
『タイミングはこちらで指示する。逃すなヨ?生憎と、オレもそろそろ消える。この一度しかチャンスは無いと思え』
「ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ。さっさと始めましょ。そっち二人も、ミスるんじゃないわよ」
「分かってるっての……いくよ、美々子」
「ん」
倒れる雨里を囲むようにして、左腕側に美々子、右腕側に菜々子、頭側に釘崎。そして、美々子と菜々子がそれぞれの手で支えるようにメカ丸の端末を雨里の胸の中心部、その上で持つ形。
込められる、呪力。二種類の呪力は、双子の類似性をもって端末の中で緩やかに混ざり合い、高密度に圧縮されていく。
そして、
『――――今ダッ!!』
「オラァッ!!」
メカ丸の声と同時に、釘崎が端末を拳槌でぶっ叩いた。
呪力を乗せられた一発を撃鉄として、一筋の電光が走り雨里の胸の中心を貫く。
大きく跳ねる満身創痍の体。
筋肉を動かすのは、電気信号。そして、心臓は筋肉の塊だ。
電光が消え、同時に大きな脈動が一つ。
「――――カッ……!はぁ…………」
喉の奥に詰まっていたかのような空気の塊を吐き出して、弱弱しくも雨里の心臓は再び一定のリズムを刻み始めた。滞っていた血流が加速し始め、笛のような音を立てながら喉が空気を吸う。
『これで、良いはずだ。雨里は反転術式が使える。意識が戻れば、傷もある程度は治せるだろう』
「……で?何がどうして、こうなってる訳?あの継ぎ接ぎ呪霊は、雨里が死んだとか言ってたんだけど?」
『悪いが、俺は時間切れだ。詳しい事はそっちの二人に聞いてくれ』
「アンタは?」
『言っただろう
「はあ!?」
『ではな、釘崎野薔薇。雨里にもよろしく伝えておいてくれ』
一方的に、それだけ言うと本当に端末は沈黙してしまった。
双子からひったくる様に奪い取った釘崎が揺するが、うんともすんとも言わない。
メカ丸の込めていた呪力は、既に途切れた。そもそも、術者当人が死亡した上でここまで自由性を残した術式が稼働している事がそもそも奇跡であったのだから。
だが、奇跡は長くは続かない。彼の残していた保険は既に使い切られている。
動く気配の無い端末。釘崎は、じっとそれを眺めると、無言で腰のポーチへとそれを直した。
そして、二人へと目を向ける。
「……で?アンタらは?」
「……」
「まあ、何となくは分かるわよ。アンタらはこっち側の人間で、それで呪詛師かなんかなんでしょ。一般人な筈ないものね」
そう言いながらも、釘崎は警戒を見せない。
呪詛師と呪術師は敵対関係にある。が、だからと言って見敵必殺という訳ではない。場合によっては互いの利を考えて引き下がる事もある。
何より、釘崎の勘に二人が引っ掛からなかったのだ。
沈黙。その間を破ったのは、意外にも美々子であった。
「……その人に、助けてもらったの」
「ちょっと、美々子……」
「大好きな人を、
「――――殺されそうになった、って訳ね?……何本、飲ませたのよ」
「私たちが一本……その後に、火山頭の呪霊が来て、何本か飲ませてたわ」
「……はぁ」
二人の話に、釘崎は頭痛を覚える気分だ。
少年院の時、宿儺が復活時に宿していたのは三本の指。受肉の際の一本、その後五条が実験に渡した一本。そして、少年院の呪霊の体に埋まっていた一本。
この少年院の時ですらも、伏黒と雨里の二人が掛かりですら圧倒された。
それから、八十八橋での一本、今回の双子の一本、そして漏瑚からの十本。
十五本、つまり少年院の時より五倍は最低でも強いという事になる。もちろん、指の数イコール強さではないかもしれないが、最初から宿儺が本気で殺しに来たならば漏瑚も雨里も一切抗う事など出来ずに殺されていただろう。
(ホンット、馬鹿じゃないのかしら……)
魘されるようにして顔を顰める雨里の額を、釘崎は軽く叩く。
逃げ出したとしても、仕方が無かったはずだ。宿儺など、学生が相手に出来るような存在ではないのだから。いや、1級術師でも持て余すかもしれない。
それでも戦い、そして右腕を失った。
そして彼は、目を覚ます。
「…………ッ、く、ぎさきさん…………?ぐっ……!」
「やっと起きたわね。早速で悪いんだけど、外にアンタを連れて行くわ」
「外…?……伏黒君と、虎杖君は……」
「伏黒は分からないわ。でも、虎杖はあの継ぎ接ぎの呪霊が居たからそっちじゃないかしら」
「そっか……」
そこまで会話したところで、雨里は再び目を閉じる。
また気絶したのかと釘崎が再度起こそうと手を伸ばすが、その前に彼の体に呪力が走った。
時間にして、数秒。気付けば、体のいたるところについていた擦り傷などがほぼ治り、左腕の酷い火傷もケロイドのような状態へと変わり、右肩の出血も止まる。
そして、彼は起き上がった。
「ふぅ……右腕は、ダメか」
「アンタそれ、反転術式?」
「そうだよ。家入先生みたいに誰かに施したりは出来ないけど、体の傷はある程度治せるかな。動く分には、もう支障ないよ」
言いながら立ち上がる彼は、血の少なさに少しふらつけども倒れることは無い。
「ちょっと、まだ戦うつもり?」
「少なくとも、まだ戦ってる人が居るからね。なら、やるべき事をやらないと」
この場合、反転術式の習得が悪い方向へと働いていた。すなわち、戦線離脱のタイミングが無いのだ。
少なくとも今回の場合は、彼が気絶している間に運んでしまう方が正しかった。出血は酷かったが止血は施していた為運べたはずなのだから。
だが、時間は巻き戻らない。彼は立ち上がり、そして戦う意思も折れてはいない。
「片腕で、どうするつもりよ」
「オレは、釘崎さんや伏黒君みたいに両手から必ずしも術式を発動するわけじゃないからね。それに、義手なら造った事があるから」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
「今は、問答してる場合じゃないんだよ、釘崎さん。五条先生をどうにか取り返す。そして、取り返せなかったとしたら一人でも多く、術師を助けて戦力を確保しなくちゃならない」
「だからって……!」
釘崎はもう、彼に戦ってほしくは無かった。
誰かがやらなければならない事は、分かる。分かるが、だからといって送り出す事を許容できるかと問われれば否だ。
今は、こうして生きている。だが、ついさっきまで雨里の心臓は完全に止まっていたのだ。それこそ、体が冷え切っていなければ直ぐにでも腐敗が始まってしまいそうなほどに。
今回はこうして生き残れた。しかし次はどうだろうか。その次は。一度考えだせば止まらない。
「そっちの二人も、ありがとう。お陰で助かったよ」
「……アンタ、死ぬ気?」
「さて、そんなつもりは――――」
「敵には、夏油様の体を奪った奴も居る。アンタが勝てるような相手じゃないじゃん」
菜々子の指摘は、実際その通り。
相手は、未だに消耗は愚か手の内もほとんど見せていない。一方で、雨里は相当に疲弊しており、先程なけなしの呪力も反転術式にぶっ込んでしまった。
しかし、
「――――勝てる、勝てないの話じゃないんだよ」
静かに、雨里はそう返す。
「このまま、五条先生を相手方に渡したままになると、まず間違いなく地獄が来る。虎杖君の秘匿死刑の無期限延長は確実に取り消し。それだけじゃない、あの人が居たからこそ大人しくしていた呪詛師や呪霊も動き出す。五条先生が居たからこそ成立していたバランスが崩れるんだ、それは確定だろうね」
自他共に認める最強が居なくなる。力無き者は淘汰されるような弱肉強食の地獄が始まる事は、余程の馬鹿でもない限り気付かない方がおかしいというもの。
「きっと、色んな人が死ぬ。そんな未来が待ってるのに、止まってはいられないかな」
「……それで、猿を助けるって言うの」
「猿?」
「
問う、菜々子の言葉の端々には怒気が滲み、傍らの美々子も鋭い目を雨里へと向けてくる。
彼女らにとって非術師にいい思い出などまるでない。憎悪していると言っても良い。
それは過去の経験と、育ての親から与えられた教育によるものなのだが、兎にも角にも彼女らにとっての非術師は地雷そのものであった。
もっとも、雨里としてはそんな事を言ったつもりはない。
「呪霊や呪詛師が活発になれば、駆り出されるのは呪術師だからね。オレは、知り合いを死地に向かわせたくないだけだよ」
あっさりと言ってのける雨里。彼は決して、博愛主義者の善人ではなかった。
呪霊との戦闘も、呪詛師との戦闘も凄惨だ。加えて、指示を出すばかりの上層部は術師を使い捨てる事を厭わない。自分達の保身の為ならば、階級違いの任務に送り込むことも平気でやる。
非術師が居なくなれば、次に割を食うのは呪術師となるだろう。いや、そもそもそんな括りは無くなってしまうか。
雨里は言葉では止まらない。であるのならば、物理的に止めるしかないが、それをしようにも彼の実力はこの場で止められるほど温くはない。
結局、釘崎は彼を止めきる事は出来なかった。
そして、場面は元の時間へ。