Ice Time 作:アイスめぇん
雨里の参戦は、しかしこの戦局を打破するには足りえないものであった。
何故なら、相手には呪霊操術がある。術師に数は勝っても一瞬で押し潰されるような物量が相手にはあった。その上、偽夏油並びに裏梅の実力は特級相当。質でも劣る。
「はっ……はっ…………」
「随分と辛そうじゃないか。その体で、後どれだけ動けるのかな?」
偽夏油は、嘲う。
死に体の術師が一人やって来たところで、逆転はあり得ない。彼の計画は止められない。
それでも一息に殺そうとしないのは、水面で藻掻く蟻を嘲うような嗜虐心があるからだろうか。それとも、もっと別の理由があるのか。
不意に、ふらりと雨里の体が揺れた。それがこの場の火蓋を再点火、切る事へと繋がる。
迫るのは極寒の冷気。対応するのは、紅蓮の業火。
「……チッ」
術式の相性ゆえに押される裏梅は舌打ちを一つ零し、目の前の光景に目を細める。
自然と、雨里が裏梅を抑える形となり、残りの面々は偽夏油へと向かう事になる。
虎杖、パンダ、日下部、加茂、西宮、脹相。武器を喪失した三輪と、術式的に後方担当である庵は別にしても、これだけの面々が居るのだ。特級相当の相手であろうとも対応できる……筈もない。
特級とは、特別であるから、1級術師とは比べ物にならない実力を有しているからこそ、特級と呼称されるのだ。
走る者たちには唐突な浮遊感が襲い、飛ぶ西宮には黒い液体によるムカデの群れ。
「呪霊操術の利点は、数の多さ。一、二体の2級以下じゃ足止めにもならないかもしれないが……そこに数の暴力を合わせるとどうなると思う?」
偽夏油の言葉に、一同の血の気が引く。
2級どころか、準1級、1級相当の呪霊であろうとも祓える可能性が十分にある面子ではあるが、だからと言って2級以下の呪霊に揃いも揃って噛み付かれて無事で済むわけではない。
咄嗟に離れようとすれども、その瞬間には足元には浮遊感。何度も喰らえば対応できそうなものだが、如何せん相手は意識の間隙を縫うのがかなり上手い。
相手からの全体攻撃。対応できるとすれば同じく範囲攻撃が得意な雨里なのだが、こちらもまた激戦。
――――氷凝呪法 直瀑
「――――蒼ノ天蓋」
氷の散弾と、蒼い氷河の天蓋が真っ向からぶつかり合っていた。
炎での迎撃を雨里が止めたのは、視界を潰してしまうデメリットがあったから。具体的には、裏梅の攻撃を迎撃すれば氷が一気に蒸発して水蒸気となり、視界を真っ白にしてしまう。
だからこそ、氷同士による相殺劇が続き、辺りの空気は急激に冷やされていった。
「ッ、フッ……フッ……」
「……」
消耗の度合いで言えば圧倒的に雨里なのだが、しかし裏梅もまた余裕がある訳ではない。
押し切れない、というよりも相手が徐々にだが対応力を増している。加えて、呪力の出力がおかしい。
「死に体が……」
「その死に体一人、真面に殺せないのは貴方だ」
言葉もそこそこに、再びぶつかり合う氷の群れ。が、数分と持たずに両者の攻撃は唐突に崩れ、砕けていた。
「こ、れは……!」
「ハァ……!ハァ……!ッ…………」
裏梅の膝を折ったのは、先の脹相からの一撃を受けてその体に、毒を含んだ血液が混じってしまったから。雨里が崩れ落ちたのは、偏に限界突破のツケ。寧ろ、地獄の淵から蘇った直後に術式全開で稼働させている時点で頭がおかしい。
そこにやって来る、偽夏油。
「戻るよ、裏梅」
「ッ…………」
「君も、また会おうじゃないか、雨里京平」
「逃がすとでも……!」
去ろうとする偽夏油に向けて、雨里は両手を組んでその指を見せつけるように差し向ける。
「虚式か。だが、未完成のそれじゃあ、私には届かないよ」
ジャイアントキリングすらも可能な雨里の虚式ではあるが、しかし完成には程遠い。
破壊力は目を見張れども、その攻撃対象は一発に付き、一つ。呪霊操術を相手にするには、相性は最悪だった。
そして、呪霊は放たれた。同時に新たなる地獄もやって来る事になる。
*
東京二十三区の壊滅。五条悟の呪術界からの永久追放。夜蛾正道の死刑。虎杖悠仁の執行猶予撤回。
最悪が、起きてしまった東京は、最早世界有数の主要都市としての機能を完全に失ってしまった。
「……何がしたいんだろうね、上は」
「さあな……ただ、五条先生が上の目の上のたん瘤だったのは確かだ」
荒れ果てた東京を行くのは、伏黒と雨里の二人組。
修羅場を超えたからか、今も道すがらに襲い掛かってくる呪霊を凍結させて粉砕し、鋭い爪や牙が切り裂き穿っていく。
「虎杖との合流は必須だ。今は乙骨先輩が傍にいる」
「とにかく、戦力を集めないとね。全体的に傷が深いのは厄介だけど」
「……俺からすれば、お前も十分重傷だけどな」
そう言って伏黒が見るのは、雨里の右腕。
高専の制服に、コート、マフラーのいつものスタイルへと戻った雨里だが、その右袖は中身が無く風に揺れている。
だが、当人は気にした素振りも無い。
「こんな職業なんだ、遅かれ早かれ五体満足で居続けられるとは思ってなかったよ。それに、腕の一本や二本、術式で補えるからね」
「……そういう問題じゃねぇだろ。腕だぞ?擦り傷や、切り傷じゃねぇ。左腕にも大火傷刻んで……お前一人に戦わせちまった」
「気にするな、って言っても気にするよね。それが伏黒君だからさ。それでも、敢えて言うよ。気にしないで、伏黒君。これは、オレが自分で決めた事だから。あの選択に後悔は無いし、もしもあの場で戦ってなかったらもっと酷い事になってたかもしれないんだからさ」
雨里のその言葉も、強ち的外れではない。
完全復活していないとはいえ、宿儺はそれだけの事が出来た。それも、大した労力を有する事なく、だ。
誰かがやらなければいけない事だった。それが偶々、雨里だった。ただそれだけ。
重くなった空気。話題を変えるように、雨里が口を開く。
「それよりも、今後だよ。死滅回游。随分と質が悪い」
「……雨里、お前はこの件をどう見てる?」
「…………言い方は悪いけど、オレは蠱毒に思えて仕方が無いよ。要は、選別だ。極限状態での人間の行動を唆してる」
あの瞬間を、雨里は後悔している。後悔しない為に駆けずり回っていた彼の唯一の後悔。
自惚れている訳ではないが、あの場において特級である九十九由基を除けば、呪霊操術に最も対応できたのは広域攻撃が可能な雨里だっただろう。
だが、彼は肝心なところでガス欠を起こしていた。
悔しくない筈が無い。腕を失ったこと以上に、雨里はその事を気に病んでいた。
「……言葉を返すけどな。それこそ、お前のせいじゃないだろ。少なくとも、お前が居なくちゃ、七海さんも真希さんも危なかった。傷が残っても、生き残れたのはお前の活躍だろ」
「そう、かな……そうだね。そういう事にしとこう。このままだと穴掘って埋まりそうだし」
子供であっても、彼らは呪術師。割り切らねばならない事がある事を同年代は愚か、そんじょそこらの大人よりもよく知っていた。
そうこう歩いているうちに、夜の暗闇の中で火が燃えるのが見える。
そして、探し人も。
「虎杖」
「ッ!伏黒……雨里……!」
「こんばんは、虎杖君。そして、初めまして乙骨先輩。東京校一年、雨里京平と言います。宜しくお願いします」
「あ、うん。初めまして、二年の乙骨憂太です。宜しくね、雨里君」
初対面の二人があいさつを交わす隣で、伏黒と虎杖の間には緊張が走っていた。
「何してんだ、帰るぞ高専に。今は結界が緩んでるからな、お前でも直接顔を見られなけりゃ問題ない。まずは先輩たちと――――」
「止めろ……!」
淡々と帰還を促す伏黒の言葉を遮った虎杖の一声には、どうしようもない苛立ちにも似た切羽詰まった空気があった。
「当たり前のように受け入れんな……!無かったことにするんじゃねぇ……!」
そこにあるのは、恐怖。自分がいったいどうなっており、そして最悪の結果はいついかなる時にも起こりえるという事実が虎杖を蝕んでいた。
同じく、過去に秘匿死刑の対象になっていた乙骨にも覚えのある、自己嫌悪と自己恐怖の板挟み。
明確な違いとするならば、実害を出してしまったのか、否か。
「俺が、雨里の腕を吹き飛ばしたんだ!!それだけじゃねぇ、あの時雨里が止めてくれなかったら大勢の人間を殺してた!!俺は――――」
「――――俺達のせいだ」
今度は、伏黒が遮る。
「オマエ一人で、勝手に諦めるな。少なくとも――――」
「――――オレは、後悔してないよ虎杖君。君にとっては聞きたくない事かもしれないけど、それでもこれだけは分かってほしい。君一人が悪い訳じゃない」
責める気は二人には、一切ない。伏黒も、そして実際の被害者でもある雨里にも、そして高専に居るであろう者たちも。
誰一人として、虎杖を責めることは無い。だが、その優しさが今の彼にとっては胸の内を切り裂かれる刃ともなっていた。
(そうじゃない……そうじゃないんだ……!俺が傍に居るだけで、お前らを苦しめ続ける事になるんだぞ……!)
虎杖の後悔は止まらない。
あの時、と思い返せばその黒く濁ったような感情はとめどなく溢れてくる。
その迷いを、伏黒は読み取っていた。というか、同期として共に死線を超えてきた上に、割とわかりやすい虎杖の表情を見落とすという方が難しい。
一つため息を吐いて、伏黒は彼を見た。
「まずは、俺を助けろ、虎杖」
「……」
「呪詛師、加茂憲倫が仕組んだ術式を与えられた者たちの殺し合い、死滅回游。これに、津美紀も巻き込まれてる。頼む、虎杖。お前の力が必要だ」
迷っているのだから、一つの解を示す。
幸いというべきか、今の虎杖は執行猶予が取り消されているものの、呪詛師としての指名手配ではない。そこは、雨里の死力を尽くした行動が実を結んだと言えるだろう。
例え、雨里の腕を理由に指名手配しようとしても、消し飛ばされた当人が止めに入る。少なくとも、雨里自身はその行動を躊躇うことは無い。
時は、光陰矢の如し。世界は破滅への道を転がり始めていた。