Ice Time   作:アイスめぇん

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 未だに嗅ぎ慣れないニオイ。鼻孔を擽ったそれに、雨里はゆっくりと瞼を開けた。

 冬用のシーツに、羽毛布団、毛布まで重ねて湯たんぽを足元に仕込んだベッドの中で丸くなっていた彼は冷える体に鞭を打って、どうにかこうにか起き上がる。

 彼が目を覚ましたのは、割り当てられた寮の一室。空き部屋が多いという事で一番日当たりのいい暖かい部屋を割り振ってもらったのだが、如何せん起きたのは朝の六時。日差しに関してはまだまだ期待できる時間ではない。

 

「へっぷし…………寒いなぁ」

 

 カチカチと歯の根が合わない冷えに鼻を啜って、雨里は足元の電気ストーブへと電源を入れる。

 正直な所動きたくないというのが本音ではある。だが、動かなければ自分自身の後々に支障を来す為に動かなければならない。

 芯まで冷える体を無理矢理動かして、ストーブが本調子を発揮するまでに一気に着替えていく。ここで役に立つのが、長年の経験というもので雨里は下着の類をベッドに仕込むようにしていた。

 布団の温度で温められたヒート○ックを二枚重ね。冷える前に貼るカイロを背中に張り、トレーナーを着て制服の上着を羽織る。ズボンも厚手の生地に変えられており、裾が絞れるように改造を施している。靴下は厚手の五本指ソックス。

 ストーブの前で背を向けて座り込んだ雨里。因みに、背を向けているのは背中を温めると全身が温まると何かの本で読んだからだ。

 程々に体が温まった所で、雨里は立ち上がる。そして、手を伸ばしたのは丈の長いピーコート。

 制服の上からこれを羽織り、前を止めるよりも先に厚手のロングマフラーを手慣れた様子で巻きそしてストーブの電源を落として部屋の入り口へと向かう。

 因みにこの間で、三十分近くかかるのは毎朝の日課だったりする。

 部屋を出た廊下は、五月とはいえ朝早く。少し肌寒く感じてしまう。体の冷え続ける雨里にしてみれば、更に辛いと言わざるを得ないのが実情だ。

 コートのポケットに両手を突っ込み、マフラーに顔を埋めて向かうのはグラウンド。

 

「―――――来たか」

「おはようございます。今日は、夜蛾学長が?」

「ああ。悟は、出張だ」

 

 待ち構えていたのは、夜蛾だった。

 これから雨里が行うのは、呪力操作の訓練。ただし彼の場合、この訓練には最低でも準1級以上の監督者が居なければ行う事を許可されてはいなかった。

 その理由は単純で、暴走を起こした場合に2級以下の術師では止めることが出来ない可能性が高いからだ。

 

「まずはどの程度のレベルなのか見させてもらう」

「五条先生からの説明は無かったんですか?」

「一応は、あった。だが、俺は自分の眼で判断を下す。まずはコイツを使おうか」

 

 そう言って、手渡されたのはグローブを付けた猿のぬいぐるみ。

 

「呪力操作の呪骸ですよね」

「ああ。だが、その呪骸はより精度を求める物だ。一般的な呪術師でも、準2級程度ならば五分と持たずに暴れ始めるだろう」

 

 夜蛾の説明を聞いて、自然と雨里の喉が鳴った。というのも、この手の呪骸の訓練はここ呪術高専に入校してから何度か行ってはいた為だ。

 そして、この呪骸のパンチは結構痛い。一発貰えば、悶絶する程度には。

 今回の呪骸は、プロでも持て余すような存在であるらしい。雨里は、若干の怖気を覚えながらも呪骸に手を伸ばした。

 一方の夜蛾もまた、注意深く目の前の生徒を観察していた。

 学長となり、教鞭を執る事すらないものの彼もまた教育者。過去の一件がしこりとなって残っていようとも、それでもやはり教え導く側の立場だった。

 彼から見て、雨里京平という少年は有り体に言って不憫と言う外ない。ついでに、非術師の家に生まれた典型的な呪術師の境遇であるとも思っている。

 元々、冷遇されやすい呪術師としての素質だけでなく、天与呪縛まで有しているのだから。

 それは一種の、憐みなのかもしれない。

 

「ッ!あ、っぶない!」

 

 夜蛾の内心など知る由もない雨里は、僅かに揺らいだ呪力操作の結果暴れ始めた呪骸の攻撃を紙一重で躱していた。

 彼は目がいい。少なくとも、両手で呪骸を抱えている状態からそのパンチを見切って躱す程度ならば可能だ。

 時間にして、凡そ五分三十七秒。少なくとも、現段階の雨里の呪力操作のレベルは準2級の術師を上回っているという事になる。

 増し続ける呪力を抑え込み続けるのもまた、その成長に一役買っていた。

 実力の把握になったのか、夜蛾は雨里へと襲い掛かっている呪骸を止める。

 

「及第点といった所か」

「き、基準が高くないですかね………?」

「君の呪力増加率を加味すればの話だ。通常の術師ならば、入学間もなくこの水準なら逸材も逸材。だが、君は普通じゃない。凍結呪法そのものは持ち合わせている術師や呪霊、呪詛師が存在している。しかし君の場合は、それに加えての天与呪縛だ。自然、己の制御できる力量以上の出力が常に可能。ただ、そんな事を繰り返していれば早晩その体は壊れてしまう。何故だかわかるか?」

「えっと………家電がショートするみたいなもの、ですかね?」

「概ねは、それで良いだろう。良いか、力に飲まれるな。常に、その力を己の手の内側で操作できるようになれ」

「己の手の内………」

 

 言われ、雨里はイメージする。

 自分の内側にあるのは、大海。そこから、手を使って掬い上げるようなそんなイメージ。

 無意識の内に、右手を上、左手を下に互い違いで掴み合う両手が体の前に持ち上げられる。

 グッと力が籠められ、急激に下がっていった温度によって冷やされた空気が白い靄となって周囲に漂っていく。

 口から吐き出す息も白くなり体も冷えていくのだが、集中している雨里は止まらない。

 やがて力が緩み、両手が開かれればその手のひらには一輪の花が咲いていた。

 

「それは、椿か」

「え?………あ、花の名前ですか」

「意識して作った訳では無いんだな?」

「ええ、まあ…………その、呪力の扱い方?みたいなものを試してみようと思いまして」

 

 たはは、と頭を掻く雨里だが、夜蛾はサングラスの下でその目を細めていた。

 彼の手の中に生み出された透明な氷の椿の花は実に精巧で、たった一輪であろうとも高級ホテルで装飾品として取引されそうなほどに美しい。

 何より、氷の純度も目を見張る。というのも、氷というのは不純物や空気を含めば含む程にその色は白みを増していく。逆に、不純物が少なければ少ないほどに氷は透明になる。因みに、圧縮によって空気を押し出された氷河の氷が青く見えるのは、氷の特性として赤い光を吸収しやすく、結果日光が青く見える為に氷もまた青く見える。

 

「………ならば、京平。次はこの呪骸を作ってみろ」

「呪骸を?」

「ああ。ただし、側だけを真似る彫刻ではなく()()()()()成立させてみろ」

「じゅ、呪骸として………」

 

 ゴクリ、と雨里は喉を鳴らして目の前に置かれた先程まで抱えていた呪骸を見下ろした。

 氷でその見た目を象る程度ならば簡単にできるだろう。手遊びとして、氷を作っていた彼にしてみれば、容易い。

 だがそこに、呪骸としての特性。即ち、無機物に呪力を宿らせ動くようにインプットする。

 例としてはパソコンか。今まで雨里は、パソコンのハードのみを作ってきた。だが今回は、ハードとソフトの両方を自分で一から作り上げ、組み上げねばならないのだ。

 難易度の跳ね上がった課題。しかし、雨里は一度息を吐き出すと集中し始めた。

 夜蛾と出会ってそれ程経っている訳では無いが、それでも彼は生徒が最初からできないような課題を与えるような人間ではないと少なくとも雨里はそう思っている。

 まず、小山のような氷を創り出し。そこから徐々に徐々に削りを加えて呪骸としての側を作り上げる。

 

「………ふぅ……次は………あの、夜蛾学長」

「なんだ」

「呪骸を動かす呪力ってどうするんです?」

「呪力は、そのままお前の力だ。掌握しろ」

「掌握………」

 

 要領を得ない夜蛾の説明とも言えない言葉ではあるが、呪力というのは個人によって千差万別。そして、その操作の仕方もまた個人によって違う。エキスパートともなれば、無意識の内に、呼吸をする様に動かすことも出来るだろう。

 ここで重要になるのが、感覚だ。これは言葉で説明できる領域ではない。

 その言葉の裏を読み取ったのか、力を抜いた雨里は無意識の内に右手の指を一本だけ立てていた。

 呪力がその指先に集まり、そして氷像の頭頂部へと触れた。

 まるで、透明な水のたまった金魚鉢へと一滴のインクが落とし込まれたように呪力は象の中へと行き渡り、そして変化は訪れる。

 見せかけの関節が震え、その小柄な体が立ち上がらんと動き―――――

 

「………あ」

 

 砕け散った。それはもう、木っ端微塵という言葉がそのままその場に現れたかのように粉々だ。

 呆然と砕け散って氷屑となってしまった元氷像を、呆然と見下ろす雨里。呪骸に関してはエキスパートである夜蛾は直ぐにその答えを見出していた。

 

「器の強度不足だな。京平、君の氷は確かに見事なものだが、その後がついてきていない」

「後?」

「精製した氷は、時間経過と共に君の呪力が抜けてただの氷になってしまうという事だ。今までは、凍結と同時に呪霊の撃破によって氷を昇華する事でその点がカバーされていた。明確な、君の弱点だ」

「オレの弱点………」

 

 考えた事も無かった点の指摘に、雨里は己の両手を見下ろす。

 夜蛾に言われた点を思い返せば確かに、そんな点が多々あった。

 基本的に、氷で包み込めば呪霊は死ぬ。一緒に砕けて塵へと消えていくのだから、長々と氷を出して戦うような場面など無かったし、必要性も皆無。

 だからこその、弱点。そしてその点が、呪骸を作る場合に置いて足を引っ張っていた。

 

「どうすれば良いんですかね」

「意識を変えろ。見た目が氷であろうとも、呪力で作ればその壁は鋼にも勝る硬度を発揮できる。一度作って終わり、ではない。この認識を改めるだけでも、君の力は飛躍的に伸びる筈だ」

「意識を変える、か………」

「イメージに関しては、残念ながら俺からいう事は何もない。術式へのイメージは、術者当人だけのものだからだ。君だけの術式を見出してみろ」

「………わかりました」

 

 コクリと頷き、更なる研鑽を目指す雨里。

 呪術高専から未だ一週間もたたない朝の一幕。

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