Ice Time 作:アイスめぇん
いつから、こうなったのだろうか。真希はふと、考える。
公共交通機関が軒並み死んだ東京から、車で京都を目指す道すがら、窓の外に映るのは山道を通っているからか、木々ばかりだ。
天与呪縛として、フィジカルギフテッドではあったが、そのポテンシャルは決して抜きんでたようなものではない。妹である真依は呪霊が見えていたが、自分は見えず気配で探る事なども出来はしない。
呪具の眼鏡が無ければ見えない。だが、過去を思い返していた彼女が思い出したのはその手に残る感触。
ふと、自分の左隣の席に座る雨里へと横目に視線を送る。
彼は窓枠に左腕で頬杖をついて、ウトウトと舟を漕いでいた。
渋谷事変から数日経っているとはいえ、あの場で最も死力を尽くして動いていたのだ。肉体的な疲労が抜けても精神的な疲労はその限りではないらしい。
真希が見るのは、車の揺れに合わせて揺れる右袖だ。
徐にその先端を摘まめば、その中にはやはり何もない。何度確認したってそれは変わらない。
当人は氷で義手を作ると言っていたが、それは戦闘や右腕が必要な時に限っての話。基本はそのまま放置であり、既に利き手として左手の訓練を始めている始末だ。
この後輩は、どんな状況でも、意地で前へと進んでいく。
そんな相手からの今回の提案。真希は服の上からポケットに捻じ込んでいた、天元より渡された呪具へと触れてみる。
雨里自身は、強くなれる確証など無い、と言っていたが着眼点としては悪くなかった。呪術師として染まり切っていないからこその発想でもあったが、何より真希としても真依を失う様な選択をしたいなどとは思わない。
左手をさらに伸ばして、本格的に寝入っている雨里の髪に触れる。
ダメージはあるが手入れをしていない割には指通りは悪くない。
しばらく弄っていれば、運転している新田明とバックミラー越しに目があった。
「真希さんは眠らないんスか?」
「私は、別に……寧ろ、明さんの方がキツイだろ。補助監督も渋谷でだいぶ削られたって話だし」
「まあ確かに、ごたごたしてるのは事実っすけど……だからって、自分達よりも年下の子が命懸けてるのを黙ってみてられる訳無いっすから」
新田の言葉に嘘はない。彼女としても、弟と同年代の子たちが戦う姿に何も思わないような性格ではないし、寧ろ熱くなるタイプでもある。
現状、上層部は権力集中に腐心している節がある。
五条悟が封印されたのだから当たり前の行動……ではあるが、だからといって状況の理解が出来ていなさすぎる。
羂索が平安の時代の呪術的弱肉強食世界に戻そうとしているのならば、か弱い老人たちにいったいどれほどの事が出来るだろうか。
話を戻し、真希が新田を気に掛けるのは、何も補助監督がごたごたしているからだけではない。
東京から京都への移動だ。それも、交通の要であった東京駅など含めて、東京は壊滅状態であり、交通機関は崩壊。その崩壊を立て直す筈の政治家も軒並み吹っ飛んでおり、政治的な空白状態。
そんな状態で数時間のドライブだ。きつくない筈がない。
だが、新田はそんな真希からの心配を否定する。
「働かせてほしいっス。渋谷じゃ、足引っ張っちゃいましたし私ら補助監督は基本的に戦えないっすから」
「……京都に着いたら、離れろよ?駅周辺なら未だしも、御三家や総監部の近くには寄るな。あそこは、女は真面な扱いしてもらえねぇから」
「前から思ってたっすけど……何で呪術師ってそうなんすかね」
「さあな。前時代的だからだろ。とにかく、明さん。気を付けてくれよ?」
「了解っす」
会話が途切れ、真希は再び窓の外を見る。
新田に言われて思い出したのだ。なぜ自分が禪院家の当主になりたかったのかを。
自分を馬鹿にする者たちを見返したかったから。それもあるだろう。あの家では、呪力、術式の有無のみならず性差であっても人権が無くなってしまうのだから。
言ってしまえば、負けん気。根性。反骨精神。
だが、それだけではない。それだけではなかったのだ。
忘れていた訳ではない。ただ、大切なものが増えすぎて見えにくくなっていただけ。
彼女の原点は最初から、その手の中にあったのだから。
*
京都某所。そこは家、などという範疇に収まる事の無い巨大さと荘厳さ、そして薄気味悪さが同居する場所だった。
「……でっか」
呆然と階段上っていくを雨里の感想はその一言に集約される。
彼を先導するのは真希とそれから道中で合流した真依の二人。
「高専も似たようなもんだろ」
「いや、これは……城じゃないですか。高専はまだ、寺社仏閣ですけどこれは……」
「それよりも、コレ。本当に使う気?」
真依が見せるのは、件の呪具橋渡し。
彼女への説明は、既に電話越しで真希と雨里が済ませている。済ませているが、ハイそうですか、と納得できるほど真依は単純な性格をしてはいなかった。
「彼の説明……というよりも、推測は分かるわ。でも、それって机上の空論じゃない。天元様と特級術師も明言しなかったんでしょ?ソレを――――」
「だからって、何もしない訳にはいかねぇだろ。ここから先、今の私じゃやっていけねぇ。お前も分かってるだろ」
「…………だったら、辞めればいいじゃない。呪術師なんて」
俯くように目を逸らす真依と、真っすぐにそんな妹を見る真希。
雨里は言葉を挟むことなく背景に徹していたが、何となく二人の間に横たわる問題というものが見えた気がした。ついでに、自分の推測も強ち外れていないのでは、とも。
彼は、目の前の姉妹を太極図と称した。
太極図というのは、単なる白黒のマークではない。
陰陽を表しており、陰は女性を、陽は男性をそれぞれ表すともされている。
詳細は省くが、雨里の目からは、真希は陽を示し、真依は陰を示すのだろうと思える。どちらも女性だが、真希は男性的で、真依は女性的であるから余計に。
雨里の考察が進む中でも、真依の不満は溢れ出る。
「私は……呪術師なんかに、なりたくなかった……!でも、アンタは――――」
「…………」
無言で、真希はその手を伸ばし、真依の手をとった。
女性らしい細さの残る手。それでも鍛錬を積んで硬さの残る掌には、何度も銃を握った末に出来たであろう擦れがあった。
そして、思い出す。なぜ自分は、禪院家当主になりたかったのか。
「……落ちぶれてちゃ、私らは何れ死んでた」
俯くようにして、真希は真依の手を撫でながら呟く。
禪院家は、いや呪術師の大家というのは才能が無ければ、そして男でなければ地獄しか存在しない。
もしも、真希が出奔しなければ、そして続くように真依もまた呪術高専へと放り込まれていなかったならば、胎として飼い殺しにされていたかもしれない。
「どれだけ否定しても、私らの生まれは呪術師だ。それも、本家の血筋。どこにも逃げられたもんじゃねぇ」
「だったら――――」
「それでも、可能性があったのが術師になって禪院家の当主になる事だ。私が当主になれば、真依。お前だって、どん底に……いや、それ以下に落ちる事も無い」
一人であったのなら、真希は諦めがついたのかもしれない。一人であったのなら、真依はどこまでも落ちて行ったのかもしれない。
けれど、彼女らは二人だった。
真希は諦める事無く突き進み、真依は引き摺られるようにしてその後に続いた。
真依の目が赤く、そして潤んでくる。
「……私は、強くなんてなりたくない……傷つくのだって…………呪霊も怖い…………」
「それでも、私はお前と二人で生きていきたい」
そこで初めて、姉妹の視線が交わった。
「真依は頭が良いから、考えすぎんだよ」
「……でも、双子の――――」
「そういうのも、抜きだ。第一、んなもん周りが言ってるだけだろ?なら、都合の良い方を解釈する方がマシだ」
「マシって……」
豪放磊落というべきか、大雑把というべきか色々と雑な真希のその言葉に、真依の涙も引っ込むというもの。
それでもやっぱり、不安の種というものは尽きない。
「…………もしも、失敗したらどうする気?」
「あん?そりゃ――――」
「――――オレが二人を連れて逃げますから、大丈夫ですよ」
ここで漸く、雨里が声を上げる。ついでに、この後輩にも泣きそうだった所を見られたことに気付いた真依の耳が赤く染まるが、そこを突っ込むのは野暮というもの。
天下の禪院家を前にしてこの物言いに、真希の表情は楽し気に変わる。
「頼りにしてんぞ、京平。ジジイに顔合わせたら速攻で呪具もってとんずらするからな」
「出来ますかね?あの人、本当に早いんですけど」
「私らを逃がしてくれるんだろ?」
「それは、勿論。命懸けで」
不謹慎な事を言う後輩の脇腹を肘でついて、真希は再び階段を上り始める。
その背を見上げる真依に、雨里が声を掛けた。
「真依先輩」
「…………何よ」
「術師は解釈次第。だったら、真希先輩みたいに都合のいい解釈をするのもまた正しいんじゃありませんか?」
「……よくもまあ、あそこまで都合の良い事言えるわね」
「双子の解釈ですか?それとも、天与呪縛ですかね?」
「どっちも、よ。そこまでして、私たちを戦わせたいの?」
「いえ?別に、そんな事は思ってませんよ。戦う事から離れる事も、オレはありだと思ってますから」
並んで階段をのぼりながら、雨里はそんな事をあっさりと言う。
「強制なんてしませんよ。だって、真依先輩は真依先輩。真希先輩は真希先輩じゃないですか」
「……双子でも?」
「呪術的に見ても、生物的には二人ですからね。そもそも、双子じゃ差し引きが成立しないと言いますけど、それは少し考えすぎです」
「……どういう事?」
「誰だって、傷つく事は恐ろしいでしょうし、呪霊を怖がるのだって無理ないんですから。だって、彼らはこっちを簡単に殺せるだけの力を持ってる。そんな相手を恐れるな、と言う方が無理な話じゃないですか」
「でも、真希も貴方も戦えてるじゃない」
「戦えることと、怖がらない事はイコールで結べませんよ」
それは、呪術師としては思いつかない思考かもしれない。彼らは、イカレて何ぼであるから。
だがしかし、真依にとってはその言葉はストンと入ってきた。
「……アンタも、怖いの?」
「少なくとも、渋谷では何度か死にかけましたし……というか、完全に一回心停止まで行きましたからね。そりゃ、怖いですよ……でも、そこで立ち止まってたら何もできませんから」
「………強いじゃない」
「
「私に……?」
「陳腐な物言いですけど、強さなんてものは千差万別じゃないですか。肉体的な物、精神的な物、呪術的な物。それに、強さ関係なく真希先輩にとって貴方は大切な存在ですよ。それだけじゃない。少なくとも、貴方の周りに居た人たちにとってはかけがえのない存在に違いないんですし」
事も無げに雨里は、そう言い切った。しかし、これまた真依にとっては目から鱗。
実家は別にしても、彼女の周囲は恵まれている方だろう。
同期も、先輩も、後輩も、担任も彼女の事を少なからず大切にしている。それが、行動に出るのかは別として。
自分の周りに思い至ったのか、再び顔が赤くなる真依。その恥ずかしさをはぐらかすように、彼女は話題を変えにかかった。
「…………んんっ、そういえば何で急に私まで先輩呼びなのかしら?アンタの先輩になった覚えはないわよ?」
「ええっと、禪院家の知り合いが二人に増えたから、と言うのと高専に通う上級生は基本的に先輩呼びだから、ですかね」
「…………東堂も先輩なの?」
「はい」
「……アレを?」
「いや、まあ……術師としては強いですし」
「目ぇ逸らしてるじゃない……ふっ、アンタも十分にイカレてるわ」
「そりゃあ、死地に自分から突っ込むような馬鹿ですからねぇ」
肩を竦める雨里に、真依はため息を一つ。ただ、その口角は僅かにだが上がっていた。
そして、三人は巨大な門の前へと辿り着く。雰囲気の禍々しさは言わずもがな、一歩下がりたくなるような威圧感もある辺り、流石は腐っても御三家といった所か。
「京平、そっち頼むぞ」
「自力で開けるんですね、コレ。了解です」
押し開かれる大門。魔窟への一歩である。