アサルトしないリリィ   作:坂ノ下

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好きこそ物の哀れなれ (???×ヘルヴォル)

 頭に響く、目覚まし時計の電子音。

 重たい目蓋を開けて最初に飛び込んできたのは、妙に高い天井と、消し忘れた電気の灯り。

 視線を移して次に飛び込んできたのは、コタツの上に居並ぶ缶、缶、缶。全てビールの缶である。その横の小皿には自作したつまみ――――大根と人参の漬物をクリームチーズで和えたものが横たわっていた。

 

 どうやら昨夜は知らない内に寝入ったらしい。

 

 ぼさぼさの黒髪を軽く掻いてから、二十代と思しき歳の女性がゆっくりと上体を起こす。寝惚け眼のままで。

 不意に、思い出したかのように、その意識が覚醒する。

 

「仕事っ! …………は、いいんだった」

 

 しかし覚醒したのは一瞬のこと。すぐさまその必要がないと気付く。

 再びまどろみに逆戻りするかと思いきや、そうは問屋が卸さない。睡魔に代わり、重たく鈍い痛みの感覚が彼女に襲い掛かってくる。

 

「あたま、痛い……」

 

 二日酔い。

 有り体に言って、因果応報であった。

 

 この女性、リリィオタク(以下リリオタ)である。それも、リリィをアイドル的な視線で見るタイプのオタクである。()()が取り上げられた雑誌を買い漁り、推しの参加する市民との交流イベントに遠征する。極めてアクティブかつアグレッシブなオタクだった。

 そんなリリオタが平日の朝っぱらから二日酔いに呻いているのには、当然ながら訳がある。

 

「私の推しが映ってないじゃないのよ!」

 

 そう言って雑誌の出版社に押し掛けて、威力業務妨害容疑で逮捕された。幸いなことに不起訴処分となったが、警察ではこってりと絞られてしまった。

 そしてこれまた幸いなことに、会社もクビにならずに済んでいる。彼女は私生活こそアレだが、仕事はできるのだ。とは言え流石に懲戒処分は免れず、今こうして停職の身に甘んじているところである。

 

 間が悪いこともあるもので、昨晩、鬱屈していた最中のリリオタに一本の電話が掛かってきた。それは実家に居る母親からの便りだった。

 

「あんたね、いつまでもアイドルだか何だかの追っ掛けやってないで、いい男か女でも見つけて早いとこ身を固めなさいよ。もう三十になるんだから」

「ま、まだ二十代だし……」

「四捨五入したら三十でしょーが!」

 

 その一連のやり取りこそが、目の前に空っぽの缶が生み出された原因である。

 

「はぁ……何やってんだか」

 

 無論、リリオタも一応は大人。冷静に考えると、母の言い分に理があるのは分かる。分かるからこそ自棄酒に逃げたのだ。

 

「もう潮時なのかしら。でもっ」

 

 一人で部屋に籠っていると、思考が良くない方にばかり行ってしまう。

 これではいけない。外に出て新鮮な空気を取り込まなければ。

 そう思い立ったリリオタ。しかし意思に反して彼女の体は動かない。

 

「あたま、いたい……」

 

 朝の内はとても外に出れそうにはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京地区六本木にて。

 あれから自宅でぐだぐだした結果、リリオタが家を出発した頃にはお昼が大分過ぎていた。

 いざ外に出てきたのは良いものの、特に目的や行き先を決めているわけではない。友人には合わせる顔が無いし、モールでショッピングという気分でもない。当然ながら、生き甲斐であるリリィの追っ掛けについても、その気力が湧いてこなかった。

 これでは本当に空気を吸いに来ただけで終わるだろう。

 

 並木道。都会の中の豊かな自然。春には美しい桜を咲かせるその場所も、今はただただ物寂しい。

 時折吹き荒ぶ木枯らしに、身も心も冷えていく。

 やっぱりもう帰ろうかと、そう思い始めた矢先。カーブを描いた坂道に差し掛かった時。リリオタはその少女に出会った。

 

「あっ、たい焼きのお姉さん」

 

 突然の幼い声に、俯きがちだった顔を上げる。

 坂道を上がってやって来たのは、礼服のようにキッチリとした白のジャケットに、青のスカート。そしてそれに身を包む小さな少女。薄く透き通ったウェーブ髪を乱雑に伸ばした姿が印象的だ。

 

「貴方っ、あの時のおチビちゃん!?」

 

 リリオタが驚きに目を見開く。

 一方で、少女の方はムスッと頬を膨らませてご機嫌斜め。丈の合ってない服の袖と、左右で長さの違うニーソックスも相まって、見た目通りの子供らしさを纏っている。

 

「らんは、高校生」

 

 ある意味、因縁とも言うべき再会である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そっか、そうよね。貴方もリリィなんだから、『おチビちゃん』なんて失礼よね」

「らんの名前は佐々木藍(ささきらん)だよ」

 

 二人は並木道から、近場にある公園のベンチへと場所を移していた。そこは元々史跡だった所を公園として活用したものであり、街のど真ん中とは思えない風情を醸し出している。

 綺麗に整えられた草木や、滑らかな表面の庭石。それらに囲まれた小さな池。庭園と呼ばれるだけのことはある。

 

「でも、こんな所に一人でどうしたの? 藍ちゃんもレギオンに入っているんでしょう?」

 

 自身のことは棚に上げてリリオタが問い掛けた。

 

「今日は朝からずっと実験の日なんだけど、すぐに終わったから。でも一葉(かずは)たち、学校の中に居ないし」

「成る程、それで時間を潰してたのね」

 

 実験、というのはチャームやレアスキルの実験か何かだろうか。だとしたら、見かけに寄らず凄いリリィなのかもしれない。そんなことを頭の片隅で思い浮かべる。

 

「それじゃあ、何かやってみたいことは無いの? 行ってみたい所とか」

「うーん……。たい焼きはもう食べてきたし。遊園地は行ってみたいけど、皆で行かなきゃ詰まんないし」

 

 右手を、正確には右手をすっぽり包んだ制服の袖を顎に当てて、藍は真剣に考え込む。

 

「……無い!」

 

 はっきりとそう言い切った。一人で居て楽しいことなど、高が知れているというわけだろう。

 

 しかし、この藍というリリィ、改めてみると容姿だけでなく仕草や性格も子供そのもの。エレンスゲ女学園高等部の制服を着ているので、本人の言葉通り高校生には違いないはずだが。

 

(こんな子を、捕まえて人質にしちゃったのよね、私……)

 

 本気で傷付けるつもりは毛頭なかった。そもそもあの時リリオタが手にしていた凶器は、ただのたい焼きだった。

 それでも、形だけでも、リリオタがリリィに危害を加えかけたのは事実。

 幾ら興奮状態だったとは言え、とんでもないことをしてしまった。冷静になって考えてみると、隣で足をブラつかせながら友達を想う少女を見ていると、酷い過ちを犯したのだと思い知る。

 元々気が弱っていたのも重なって、リリオタは思わず呻き声を出す。

 

「うぅっ」

「おねーさん?」

 

 心配そうに下から覗き込んでくる無垢な表情が、余計に汚い大人の心を突き刺す。

 仕舞いには涙さえ浮かんできた。

 

「おねーさん、おねーさん、どうしたの? お腹空いたの?」

「うぅぅぅぅっ!」

「元気出しておねーさん。……あっ、そうだ。らんのアメ玉をあげよう。(よう)に貰ったアメ玉、美味しいんだよ?」

 

 おろおろとしたり、何とかして慰めようとしたり。そんな藍の努力の甲斐もあり、リリオタはどうにか落ち着いてきた。

 情けない。あまりに情けない。しかし一度覆った水は元には戻らないので、リリオタはせめて精一杯大人ぶろうと決めた。

 

「藍ちゃん、もし良かったら貴方と貴方のレギオンのお友達のこと、教えてくれるかしら。勿論、話せる範囲だけで構わないから」

「一葉たちのこと? いいよ!」

 

 気を取り直したリリオタからの問い掛けに、藍もまた陰っていた表情を一転させる。

 

「一葉はねえ、学校で一番のリリィなんだ! 強いし頭も良いし。一葉の言う通りに戦ってたらたくさんのヒュージをやっつけられるんだよ。一葉のお陰でらんたちはもっと強くなれた。あと、朝起きれない時はらんを起こしてくれる」

 

千香瑠(ちかる)はね、千香瑠はね、お菓子がすっごく上手いんだよ! ご飯も美味しくて、前に皆で一緒に食べたんだ。それと、らんの知らないこといっぱい教えてくれる。教え方が上手で分かりやすい!」

 

「瑤は、お布団! ぎゅっとしたらお布団みたいにポカポカで柔らかくて気持ちいい! それに、駄目になった服やぬいぐるみを直してくれる。自分で可愛い物を作れるの、凄いなあ」

 

恋花(れんか)はらんに意地悪ばっかりするの! いっつも、いっつも! ……でも、皆も一葉も恋花が居ると楽しそう。らん、知ってる。そういうの『こめでぃりりーふ』って言うんだよ」

 

 興奮して早口で捲し立てるように語る藍。時折、小さな体で大きく身振り手振りを交えつつ。

 リリオタは隣に座って相槌を打ちながら聞いていた。その最中、一つ気付いたことがある。

 

(この子、お友達の話ばかりするわねえ)

 

 藍の外見相応の精神年齢を鑑みれば、もっと自分自身の話をしてもおかしくない。子供とはそういうものなのだから。彼女ならば「さいきょー」だの「むてき」だのと胸を張っていても、微笑ましく映るだろう。

 ところが藍の場合、自分よりも仲間の自慢話――若干一名怪しいものもあるが――ばかりを一生懸命繰り広げている。

 

(本当に皆のことが好きなのね……)

 

 藍の口振りから想像できる彼女のレギオンの姿こそ、リリオタが理想とするリリィの在り方だった。固い絆で結ばれ、時に軽口を叩き合い、しかし困難を前に心を通じ合わせ一つになる。そんな舞台の登場人物みたいなリリィが理想であった。彼女だけでなく、多くのリリィオタクにとっての理想でもあるだろう。

 勿論、現実が舞台のようにいかないのは分かっている。それでも理想を追い求め続けるのがオタクという生き物の(さが)なのだ。

 

「ねー、お姉さん、聞いてる?」

「うん……うん……。聞いてるわよ。ちゃんと聞いてる」

 

 訝しむ藍の横で、リリオタは首を縦に振って何度も頷く仕草をする。

 今朝までの、鬱屈し冷え切っていた心が少しずつ溶けていく思いであった。

 やはり自分はリリィが好きなのだと改めて自覚する。その一方で、真に尊ぶべき事柄は、自然体な彼女たちの中に紛れているのだと悟る。

 

「追い掛けているばかりじゃ、見えないものもある」

 

 静かにそう独り言ちた。

 そんなリリオタを、藍は不思議そうに見上げるばかり。涙こそ引っ込んだものの、いきなり達観したような顔になるのだから、奇妙に映っても仕方がない。

 

 庭園の中、池の畔のベンチに腰を下ろしている二人。暫しの間そんな光景が続く。

 宙ぶらりの足を前後に揺らしていた藍だが、ふと、ベンチから飛び降りて地面に立った。リリオタに対して向けていた困惑顔も、晴れやかな表情へパッと変わる。

 

「一葉たちだ!」

「えっ?」

「じゃーねえ、たい焼きのお姉さん!」

 

 別れの挨拶もそこそこに駆け出す藍に、リリオタは目をパチパチと瞬かせるばかり。かろうじて上げた右手を左右に振り始めた頃には、既に藍の背中が遠ざかっていた。

 小さなリリィの向かう先、庭園の出入り口付近。その小道から、藍と同じエレンスゲの制服を着た二人組が歩いて来る。

 ベンチからは未だ遠く、顔までははっきりと見えないはずだが、それでもリリオタには彼女らのことに確信が持てた。理屈や道理などではない。オタク特有のセンサーと呼ぶべきか。

 ともあれ、リリオタの意識は今しがた走り去った藍と、彼方の二人組にも同時に向けられることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「藍ったら、どこに行ったんでしょうか?」

「うーん、食べ物関係は一通り当たったんだけどねー」

 

 エレンスゲ女学園の白衣を纏った二人。

 一人は青みがかった黒髪を短く揃えたリリィ。本来なら凛々しい目鼻立ちが、今は不安からか陰りを見せている。

 もう片方は背が低めで小柄なリリィ。明るい茶髪を後ろで纏め、丸く大きな瞳は愛嬌と明るさを強調している。

 

「野外訓練が終わったから連絡しようと思ったのに、携帯に出ないんだから。きっと充電器に繋げっぱなしなんですよ」

「あはは、あり得る」

「全く! 過充電はバッテリーの寿命を縮めるのに!」

 

 黒髪のリリィが表情を引き締め憤って見せる。

 一方で小柄なリリィはいかにも今時の女子といった仕草で笑う。

 

「ま、たまには良いんじゃない? こういう切っ掛けでもないと、街中を見て回るってなかなか無いっしょ? あ、巡回は別だからね」

「確かに、そうですが……」

「それに何かちょっとデートっぽいし」

「デートだったら、ちゃんとした計画を立てて臨みます! まず待ち合わせは噴水の前か時計台の下が定番でしょうか。それからショッピングや昼食の場所を事前に選定して。最後の締めはオーソドックスに展望台か、それとも遠出して海まで行くか。勿論、恋花様の要望も反映させて――――」

「いやいやいや、そこまでされたら恐縮するから」

 

 どこか気の抜けるやり取り。

 そんな中、恋花と呼ばれた小柄なリリィがもう一人の左腕へ抱き付くように腕を回す。

 

「あたしと一葉で、デートへの認識が違うような気がするんだけど。もっと気軽に、気の向くままで良いんだってば。こんな風にね~」

「承知してますとも。それで、同じポケットに二人で手を入れるためにわざと手袋を片方だけ忘れたり、夜景を見に薄着で外に出て抱き合う口実にするんですよね?」

「重いよ!」

 

 端から見れば痴話喧嘩同然の光景。

 その中へ藍が割って入っていく。

 

「一葉! 恋花!」

「藍! やっと見つけた……。あれだけ出掛ける時は携帯忘れないようにって言ったでしょ!」

「まあまあ、お説教は後にして。それよりも、瑤と千香瑠も呼んでこのままどっか遊びに行こうよ」

 

 二人の間に小さな藍が入って騒がしくすると、それはまるで一つの家族。

 

「らん、遊園地行きたい! 遊園地行こうよ!」

「あー、遊園地は今からじゃ無理かなー。その代わり、この恋花お姉さんがチビッ子にちょっとだけ大人の遊びを教えてあげよう」

「んーーーっ! 子供じゃないっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リリィ三人の会話は、ベンチから大分離れた場所で行なわれていた。常人にはその内容を知る由もない。

 ところがこのリリオタ、常人とは少し違った。オタク特有の地獄耳が、リリィたちの発した言葉を捉えていたのだ。

 リリオタに電撃が駆け巡る。

 

「一葉ちゃんは叶星(かなほ)ちゃんと付き合っていたのでは……? いや、それは物語の中のお話……。だとしたら、あれこそが、本当の姿……」

 

 オタク特有の深読みとオタク特有の誇大妄想が化学反応を巻き起こし、頭の中に膨れ上がる。

 これがただのオタクならまだしも、幸か不幸か彼女は非常にアグレッシブなオタクであった。気が付いた時には、既に彼女の足は動き出していた。

 そうしてある程度距離が縮まったところで、リリィたちもリリオタに気付く。一葉は「あっ」と驚いたようで。恋花は「げっ」と若干引き攣ったよう。リリオタはそんな二人にお構いなしで、藍に対して口を開く。

 

「その子たちが、藍ちゃんのお姉さんとお義姉さんなのね?」

「たい焼きのお姉さん、なに言ってるの!?」

「その子たちが、お母さんとお母さんなのね?」

「だからなに言ってるの!?」

 

 藍を、そしてその後ろの一葉と恋花を視線に捉えたリリオタの顔は、何か輝かしいものを目にしたような、決意を固めたような、およそ常人では理解できない表情をしていた。

 

「らんは高校生! 一葉と恋花と同じ高校生だよ!」

「ふふふ、一葉ちゃんと恋花ちゃん。ふふふふふ……」

 

 リリオタ、完全復活。

 過去が過去だけに、その様子を見て危機感を抱いたのか、一葉が前に出て口を挟む。

 

「あの、一応申し上げておきますが、エレンスゲ女学園は事前に申請すれば見学ぐらいできると思うので。間違っても不法侵入紛いのことはやらないでくださいね?」

「ふふふふふっ! 堅物優等生×お調子者ギャル、これこそ王道よ!」

「フリじゃないですからね! 止めてくださいよ、本当に!」

 

 人間は、そう簡単には変わらない。

 

 結局これ以降、警察沙汰には至らないものの、エレンスゲのガーデン職員は熱心なファンへの対応に頭を悩ませることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「らんは、高校生!」

 

 

 

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