百合ヶ丘女学院の食堂は本日も盛況であった。
高い天井から吊り下げられた絢爛豪華なシャンデリアが暖かに輝く。壁や床、テーブルを構成する木の香りは上品であり、そこに居る者を心穏やかにさせる。
そんな空間の中に昼食をとるべく集まった年若い少女たち、リリィ。あちこちのテーブルから歓談の声が漏れ聞こえてくる。
ところが、穏やかな食堂の一角に、周囲から明らかに浮いた空気が形成されていた。
一人分の席を空けて長テーブルに着く二人のリリィが食事の最中。ただし、お互いに一言も言葉を発することなく、目も合わせず、ただただ黙々と箸を動かすばかり。それだけなら特段おかしな光景でもないのだが、問題なのは、その二人のリリィが神琳と雨嘉であるという事実であった。
これは明らかな異常事態である。一柳隊の中でもひと際高い湿度を放つ彼女らが、まるで赤の他人みたいな態度を取っているのだから。
二人の周囲から湧き立つ近寄り難いオーラ。実際、周りに人の姿は無い。ただ一人、神琳と雨嘉の間の席で縮こまる鶴紗を除いて。
(どうしてこうなった……)
あまりの気まずさに、好物だろうが苦手な物だろうが、口に入れても味を感じなくなってしまった。
そんな極限状態の下、鶴紗は頭の中でぐるぐると考えを巡らせる。
こうなったそもそもの原因、始まりは昼食前の仲間たちとの会話だった。
「鶴紗よ、一体あ奴らに何があったというのじゃ? こんなこと前代未聞じゃぞ。太陽が西から昇って東へ沈むようじゃわい」
ミリアムが憂う。
「鶴紗さん、早くあの辛気臭い空気をどうにかしてくださいまし。せっかくのランチの時間が台無しですわ」
楓が口を尖らせる。
「鶴紗さん! お二人に仲直りして貰えないでしょうか? このままじゃあ絶対良くないです。神琳さんと雨嘉さんが、あんな風になるなんて……」
梨璃が顔を曇らせる。
お昼時、食堂へ向かう途上で鶴紗はレギオンの同学年たちから引き留められていた。何でも「今朝から神琳と雨嘉がギスギスしている」のだとか。
「ていうか、何で皆して私に言うの……」
至極もっともな鶴紗の疑問。自慢じゃないが、色恋沙汰の機微など門外漢もいいところである。
だがしかし、この場に彼女の味方は居ないようで。
「何でって、あの二人の間に入っていけるのは鶴紗さんぐらいでしょうに」
「好きで入ってるわけじゃない」
「これも一柳隊のためですわ」
楓相手では埒が明かない。そう判断した鶴紗は楓の隣に居る二水へと話を振る。
「二水がどうにかすればいいじゃないか。この手の話、大好きでしょ?」
「う~ん、確かにスクープにはなりそうですが……。破局ネタは私の美学に反するんですよねえ」
「何だ、それは……」
道理で、あのゴシップ記者が大人しくしているわけだ。得心がいった。随分と都合の良いジャーナリズムである。
しかし得心がいっても鶴紗にとっては何の救いにもならず、いよいよ追い詰められてしまった。
「鶴紗」
「鶴紗さん」
「鶴紗さん!」
皆に押され、様子を見に行ったのは良いものの、これは本当に重症だった。神琳にしろ雨嘉にしろ、やって来た鶴紗に取りあえずの挨拶こそ済ませるが、それだけだった。やはり黙々と己自身のことに勤しんでいる。
こういう時、どうすれば良いのか分からない。そもそも鶴紗は人付き合いがお世辞にも上手いとは言えなかった。
やはり引き受けるんじゃなかった。鶴紗は早くもそう思い始める。
けれども鶴紗とて、神琳や雨嘉のこんな姿を見たくないのは一緒なのだ。
世話が焼けるな、と内心溜め息を吐きつつ、一人の時を見計らってそれぞれから事情を問い質すことにした。
まずは雨嘉。
午後の講義と講義の合間、ラウンジにて一人で休憩している所を狙う。
鶴紗に問われて、初めは目を左右に泳がせ逡巡していたが、やがて意を決したのかぽつぽつと語り始めた。
「神琳がね、言ってくれなかった」
「何を?」
「毎日『愛してる』って言ってくれる約束だったのに、昨日は言ってくれなかった……」
「は? お前らそんなことやってたの?」
鶴紗は割とガチでドン引きした。
次に神琳。
既に頭の痛い鶴紗だが、一応は聞かねばなるまい。
放課後、他のメンバーが集まる前のレギオン控室で相対する。
「いいえ、それは違います。わたくしは確かに約束を守りました。ただ、昨晩わたくしが所用から部屋に戻った時、雨嘉さんはベッドに座って船を漕いでいらしたのです。そんな雨嘉さんを横にしてから、確かに言いました」
神琳が毅然とした様子で言い放った。
彼女とそこそこ付き合いのある鶴紗は、何となく「拗ねているんだな」と感じ取る。鶴紗以外の人間でも気付きそうなものだが、聞き手が鶴紗だからこそ神琳はあんな態度を取ったのかもしれない。
ともかく事情は把握した。
事情は把握したが、馬鹿馬鹿しくてすぐには掛ける言葉が見つからなかった。
「もう放っておいていいんじゃないか?」
そんな風に思いもした。
だが結局、引き受けた以上は一応解決を目指そうと思い直す。たとえ原因が馬鹿馬鹿しくても、二人のあの空気は耐え難かった。
鶴紗は慣れないながらも神琳と雨嘉の説得を試みる。
「ねえ、神琳。雨嘉も悪気があったわけじゃないだろうし……」
「ええ、そうですね。お疲れだったんでしょう。勿論それは構いません。ですがわたくしの雨嘉さんへの愛を御本人に疑われたのは、甚だ心外です」
面倒臭い。
「ねえ、雨嘉。そりゃあ確かに神琳は時々ぶっ飛んだことするし、セクハラ魔人2号だけど。でもそんなに悪い奴でもないと思うし……」
「うん、わかってるよ鶴紗。神琳にも都合があるんだって。でも約束は約束だから」
面倒臭い。
鶴紗もこの二人とはそれなりに付き合いがあると、密かに自負していた。本人たちの前では決して口には出さないが、絆のようなものも感じている。
しかしそれでも解決策を見出せない。これ以上気の利いた言葉が思い浮かばない。鶴紗に痴情のもつれをどうこうしようなどと、やはり人選ミスだったのだ。
悩んだ末、鶴紗は言い出しっぺたちの所へ相談に戻るのだった。
「――――ってわけなんだけど」
「何なんですの、もう……。放置でよろしいのでは?」
「珍しく楓と意見が合った」
「詰まるところ、わたくしたちは惚気に巻き込まれて振り回されただけではありませんか」
「振り回されたのは主に私だけどな」
事情を知るなり楓は憤り、その後は興味を失ったような態度を取る。鶴紗もこれには同感だ。自分が楓だったなら、同じ反応をするところであった。
一方で、残りの面子は未だ関心があるらしい。鶴紗はそんな彼女らに助言を求める。
「やっぱりこういうのは、お相手がいる梨璃やミリアムの方が分かるんじゃない?」
「えっ、私? 私は駄目だよ。だって私とお姉様だよ? 喧嘩なんてよく分からないし」
「わしのところも参考にはならんと思うぞ。喧嘩以前に、こっちが世話しとるぐらいじゃからの。手の掛かるシュッツエンゲルじゃわい」
梨璃にしろミリアムにしろ、首を横に振って否定する。恐らくは無自覚なのだろうが、そこに惚気が含まれていることを鶴紗は見逃さない。
結局、鶴紗から見れば、カップルというのはどこもかしこも似たようなものなのだ。似ている割に有用な助言はできないのだから、世話がない。
「二水、何かないのか、何か」
「そうですねえ……。放置、ではありませんが、ちょっと間を置くのは良いかもしれませんね。お互い頭が冷えるでしょうし、あわよくばあっさり解決してたりして」
「それは流石に都合が良すぎる」
否定的な反応を見せたものの、鶴紗は二水の案を採用することにした。何だかんだ言って、この中では二水が一番当てになりそうだからだ。ほとんど趣味の校内新聞とは言え、伊達に記者をやっているわけではない。
「ふふっ」
鶴紗が黙って考え事をしていると、それを見た二水が小さな笑い声を漏らした。
「ん?」
「いえ、鶴紗さんも最初は嫌がってた割に『付き合いがいいなー』と思いまして」
「今でも嫌なんだが」
仕方なく。そう、仕方なくやっているのだ。一柳隊の空気を改善するために。
しかし、意味深に顔を緩ませている二水には何を言っても通じそうになかったので、鶴紗もそれ以上は訂正しなかった。
翌日。
新館、一年生寮。郭神琳&王雨嘉の部屋。今更だが、二人は同室のルームメイトである。
「…………えっ」
部屋の中で立ち尽くして間抜けな声を発する鶴紗。
一晩経って、鶴紗は神琳と雨嘉の様子を見に来ていた。二水の言った通り、頭を冷やしていたら御の字。すぐさま解決とはいかずとも、昨日よりは話が前に進むだろう。
そんな淡い期待を抱いていたが、鶴紗の知らぬ間に事態は斜め上へと推移していた。
「ごめんなさい、雨嘉さん。意地を張らず、素直に起こしてから言うべきでした」
「私の方こそごめん……! 神琳を待ちきれずに寝ちゃった私が悪いのに。八つ当たりみたいなことして……」
二人して下段のベッドに並んで腰掛け、互いに見つめ合っている。距離は幾ばくも無く、ライトブラウンの髪と黒髪が今にも触れそうだった。
「何も、就寝前に言わなくても良かったのです。朝起きた時でも、昼食時でも。朝昼晩と毎回言うのもありですね」
「ううん、それはもういいよ。私、本当は神琳の気持ちを疑ったことなんてなかった。ただ、その、声に出して言って貰えたら、優越感に浸れるというか……。とにかく私の我儘だから、もういいの」
「ふふっ。日本では、こういうことは敢えて口に出さないのが風情なのだそうです。ですが生憎わたくしたちは日本人ではないので、言葉にして伝え合いましょう」
「うん……」
「雨嘉さん、愛しています。他の誰よりも」
「私も、神琳のことが好き」
黒のスカートから覗く雨嘉の膝の上で、二人の手が重ねられる。お互いの吐息が鼻先に掛かるぐらいに接近していた。物理的な距離以上に、彼女らを隔てる物は何も無い。
じりじりと上昇していた部屋の温度と湿度が、より一層上がる。勿論本当に高いわけではないのだが、この場に居合わせた人間は皆が「熱い」と感じるだろう。実際、鶴紗がそうだった。
「私は一体、何を見せられているんだ」
ちゃんと部屋の外で、ドアの前でノックして、神琳の返事を待ってから中に入った。そのはずだ。けれども鶴紗は自分で自身が持てなくなってしまった。目の前で繰り広げられる光景に。
自分は空気となり、他人から認識されなくなったのか。サブスキル『ステルス』に目覚めたのか。そんな益体も無いことさえ夢想する。
「雨嘉さん」
「あっ。しぇん、りん……」
不意に、甘く鈴を転がすような声と共に、神琳が雨嘉を優しく押した。雨嘉の上体はゆっくりとベッドの上に仰向けとなり、その雨嘉を神琳が見下ろす格好となる。
左右で色違いの瞳に見つめられ、雨嘉の体はまるで時が止まったかのようにピタリと静止するのであった。
「雨嘉さん、幸い誰も居ませんし」
「居るっ! ここに居るぞ!」
「まあ鶴紗さんはファミリーみたいなものですし」
「ふざっ、ふざけ……! やめろバカっ!」
揶揄われていただけだった。当たり前である。
それから鶴紗は二人を引き剥がし、床の上に正座させた。
仁王立ちする鶴紗の前で、神琳は背筋を伸ばして事も無げに。雨嘉は気持ち背を丸めて申し訳なさそうに。
「取り合えずお前ら、私に言うべきことがあるだろう」
「ご迷惑おかけしました」
「ごめん」
その謝罪は仲違いしていたことに対してか、先程の寸劇に対してか。どちらにせよ迷惑千万な話である。
「全く、雨嘉までこんな茶番に付き合って」
「つい、流れで……」
確かに、あまり自分から主張することの少ない雨嘉は周りの雰囲気に流されやすいところがある。が、これはあまりにもあんまりだ。
「喧嘩、やめたんならいいけど。心配掛けたんだからあとで皆に……いや、梅様と夢結様に一言入れとけよ」
鶴紗は厄介事を自分に押し付けてきた同学年たち――主に楓とミリアム――の顔を思い浮かべ、途中で訂正した。先輩たちはあの場には居なかったが、喧嘩の話は把握済みだろう。梨璃たちが話しているはずである。
「それにしても、やっぱり放置で正解じゃないか。大体、小さな子供じゃないんだから。喧嘩の一つや二つで――――」
「あら、鶴紗さん。随分と心配して下さったのですね」
「私じゃなくて他の皆がだな」
「ふふふ、大丈夫ですよ。鶴紗さんという
「
蛙の面に水。神琳が相変わらず神琳なので、付き合いきれない鶴紗は部屋をあとにする。
結局、二人は無事に元の鞘へと納まった。経緯はどうあれ、鶴紗の肩の荷も下りるというものだ。
今までの苦労は何だったのかという不満も、あるにはある。だがそれ以上に安堵したのもまた事実。癪に障るので、神琳の前では絶対に言ってやらないが。
しかしながら、開放感に浸れるのも束の間。事態は鶴紗の思わぬ方向へと進んでいく。
この時の鶴紗には知る由も無い。彼女が神琳と雨嘉の問題を解決したことになり、彼女の手に掛かればどんなカップルも立ち所によりを戻せると、そう噂されるなどと。そして噂のお陰で新たな波乱に巻き込まれるなどと。
「鶴紗さん鶴紗さん、聞いてください! お姉様がっ、お姉様ったら!」
「百由様め~~~っ! 百由様なんて初等部の娘に手を出して、お縄になればよいのじゃ! なあ鶴紗よ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 知らん知らん知らん! もう知らん!」
カップルの仲裁はこりごりだ。そう心に誓う鶴紗であった。