百合ヶ丘女学院工廠科に昼夜の別はない。常に誰かしらの工房から灯りが漏れ出ている。本来望ましいことではないのだが、工房泊が常態化しつつあったのだ。
そういうわけで、工廠科の傍には憩いのスペース足り得るラウンジが必須だった。作業終わりのアーセナル――
横幅の広々としたソファに長机。柔らかな緑の観葉植物。喉を潤し腹を満たす各種自販機。
ところがそんな空間に、若干一名癒されていない者が居た。
「あっーーー!」
小さな目と口を大きく見開き、薄紫のツインテールを上下に振り乱し、少女がピョンピョンと飛び跳ねる。精一杯伸ばされた右手が掴もうとするのはタブレット端末。そこにはとある写真が映し出されていた。
「
「や~よ~。消されちゃうじゃな~い」
タブレットを渡すまいと頭上に掲げている持ち主の方が背が高い。なのでいつまで経っても奪い取られない。
やがて諦めたのか疲れたのか、ミリアム・ヒルデガルド・
二人は同じ工廠科にして同じアーセナル、同じリリィ。そして何より、ただの先輩後輩とは一線を画する特別な関係にあった。
「ぐぬぬ……。二水の写真は全てチェックしたのじゃが。よもや百由様お手製のドローンで撮っておったとは」
ミリアムが恨めしそうに見つめる先には、彼女と百由が寄り添って映る写真。
手には花束。頭上には花冠。はにかんで頬を染めるミリアムは、誰がどう見ても幸せの絶頂にあると分かるだろう。
シュッツエンゲルとシルト。百合ヶ丘を象徴する擬似姉妹制度に結ばれた比翼の仲。その契約の儀を捉えた写真が今、この場の注目を一身に集めていた。
「いいなあ……」
レギオン一柳隊のメンバー数名がチャームのメンテナンスのため工廠科を訪ね、たまたま百由と出くわしたのがこの集まりの正体だった。
「私も、本当はこっちを一面に載せたかったんです。でもミリアムさんに検閲されて……。あとでデータ送ってください!」
「させんわ!」
ミリアムに突っ込みを入れられた
「あら~、素敵。ミーさんのこんな顔は貴重なので、良い資料になるわね」
「やっぱり何度見てもこれ、結婚式だよね」
口々に感想を言う
「んふふっ、可愛いでしょう? グロッピかわいーでしょー? ま、私のものなんですけどね」
「恥の上塗りはやめい!」
興味津々の一年生たちに気を良くしたのだろう。百由は眼鏡の中の瞳を光らせ、濃紺のロングヘアを震わせる。羞恥に戦慄くグロッピことミリアムにお構いなしに。
やがて、ひとしきり自慢して満足したのか、落ち着いた調子に戻った百由がソファに腰を下ろす。
「結婚式、結婚式かぁ。ま、確かに、昔は擬似結婚式のつもりでやってた節もあるのよねえ。ブーケとか花冠はその時の名残」
「昔、とは?」
「勿論、女性同士で結婚できなかった頃ね」
神琳の問いに、百由は人差し指をピンと上向きに立てて答える。空いた方の手でテーブル上のクッキーを掴みながら。
「んぐんぐっ。ふぉふぇでぇ、んぐっ……。この国で同性結婚できるようになったのは、結構最近の話なわけ」
「百由様、行儀悪いから食べながら喋らんでくれ」
自身のシルトに窘められて、発声と咀嚼を交互に行なうことにする。
「最初の切っ掛けは、リリィ同士の擬似結婚式をテレビか何かで見かけた政府のお偉いさんが、『士気高揚に使える!』って思って働きかけたことなのよ」
「
「まーねー」
郭神琳。この台北市出身のお嬢様はしばしば歯に衣着せぬ物言いをする。たとえ上級生や大人が相手であっても。
しかし百由は相変わらず自分のペース。井戸端会議でもするかのように軽薄な態度で続ける。
「で、ここで問題だったのが、そのお偉いさんとやらがよりによって保守派の重鎮だったこと。当時はSNS上で、裏切り者だのなんだの大荒れだったみたいよ。益とみなせば掌くるっと返せるなんて、為政者としての資質よね~。あっはっはっ」
何がそんなにおかしいのか、手の平をヒラヒラさせて笑っている。皮肉なのか本当に褒めているのか、傍から見るとそれも判別し難い。
そんな百由を尻目に、二水とミリアムは声を潜めて話し合う。
「百由様って、時々お歳が分からなくなりません?」
「言うな二水。わしも気にせんことにしたのじゃ。決してババァとか言ってはいかんぞ」
修羅場を潜り抜けて精神的に成熟したリリィは珍しくない。だが百由の場合、それともまた少し違った感じである。
「でも、ちょっと意外。日本ってこういうの進んでると思ってた」
この中で最も日本居住歴の短い雨嘉が呟くように言った。
「まあ、色んなしがらみを外圧の力で片付けてきた国だから。黒船しかり、敗戦しかり、今はヒュージ。ヒュージ様々ってね」
「頼むから滅多なこと言わんでくれ、百由様」
ミリアムが声のトーンを落として諫めてくると、流石に少しは反省したのか、百由は肩をすくめつつも口を閉じる。
その後、ラウンジの話題は再び
「ちなみに台湾でも同性結婚できますよ、雨嘉さん」
「うん、そうだね」
「台湾でも同性結婚できますよ」
「何で二回言うの!?」
思い思いにお喋りしたり、テーブルのお菓子に手を伸ばしたり、あるいはジュースに口を付けたり。
憩いの空間に相応しい様相。だがそこで、梨璃の口数が少ないことを二水が訝しむ。
「あの、梨璃さん? どうかしたんですか?」
「私、してない……」
「へっ?」
「シュッツエンゲルの契約式、してないよ」
一瞬、フッと喧騒が途絶え、またすぐにざわつく。
梨璃とそのお姉様と言えば、一柳隊の誇るおしどりシュッツエンゲルである。なので誰もが失念していたのだ。当初の成り立ちを。
「そ、そう言われてみれば。お二人の時は書類だけの略式でしたね」
「普通は仲を深めてから結ぶものだけど、夢結と梨璃さんの場合は逆になっちゃったからね~」
あの頃を思い返すのは二水と百由。シュッツエンゲルになるまでに一悶着。なってからも一悶着。一連の経緯を全て知る者は意外に少ない。
「私もお姉様と式を挙げたいです!」
「よーし、よく言ったわ。それでこそリリィよ。じゃあ挙げちゃいましょうか」
「へっ? えっ? 百由様?」
クエスチョンマークを浮かべる梨璃の目の前にて、取り出された携帯端末が高速で操作され、「はい、おしまい」の一言でしまわれる。
「そろそろ
梨璃はそう言われたことで、メールが送られたのだとようやく気付くのだった。
「はぁ……。緊急事態だと言うから何かと思えば」
溜め息と共にラウンジへ現れたその姿に皆の視線が集まる。
チャームを抜き身で抱えているのは、工廠科での要件か、それとも百由のメールが原因か。
「夢結ったら、そんな顔してもしっかり来てくれるんだからー」
「チャームの整備に来たのよ。本来ならね」
眉間に皺を寄せる
「百由の奴が突然なのはいつものことだし。ま、面白い話かヤバい話のどっちかだろうな」
夢結と一緒にやって来たもう一人の旧知、
そうこうしている間にも、百由がチラチラと目線を送ってくる。その意に感謝しつつ、梨璃はソファから弾かれるように立ち上がって夢結の前へ出た。
「お姉様! 私と結婚してください!」
「!?」
「あっ、間違えました……。私と式を挙げてください!」
「りっ、梨璃?」
言い直してもなお盛大にすれ違っているのだが、周りの誰もが指摘せずに様子を窺っている。唯一人、突っ込みを入れようとしたミリアムはと言うと、後ろから百由に口を塞がれ押さえ込まれてしまった。
「落ち着いて、梨璃。自分の言ってることをよく考えて」
「よく考えました。式、挙げたいです」
「でも、ほら、色々とあるでしょう。家のこととかご家族のこととか。梨璃も帰らないといけないでしょうし」
「? 家には弟が居るから大丈夫ですよ?」
「いえ、そういう問題ではなく……」
夢結が言葉を考えあぐねていると、旧友から援護射撃が飛ぶ。
「梨璃が大丈夫って言うんだから大丈夫じゃないか? それに、一柳夢結より白井梨璃の方が語呂が良いゾ」
「梅、貴方まで何言い出すの……」
「ちなみに台湾では結婚しても原則別姓ですよ、雨嘉さん」
「う、うん、そうだね」
「結婚しても別姓ですよ」
「だから何で二回言うの……」
周りが慌ただしくなってきても、夢結の態度ははっきりとしないまま。すると、決意を帯びていたはずの梨璃の顔が段々と陰ってくる。
「お姉様、私と式を挙げるの、お嫌ですか?」
「嫌とは言ってないでしょう!」
「夢結ってば悪い女ねえ。可愛いシルトを泣かせちゃって」
「百由は黙ってて!」
「まあまあ、夢結も落ち着いてよぉ。梨璃さんが挙げたい式ってのは――」
ここでネタばらし。
夢結の顔が引きつる。
周りの者たちは知ってて黙っていたのだから、恨みがましく睨まれてもおかしくない。しかし確認しなかった夢結も夢結なので、怒るに怒れないのだろう。
「契約式、シュッツエンゲル契約式ね。結婚式ではなく」
「結婚とかは、まだよく分かりません……」
「そうよね。変な早合点して、悪かったわ」
「でっ、でも!」
梨璃は一度落とした視線を再び上げて、夢結の視線にぶつける。今、伝えておかなければならないと思ったから。
「私、お姉様とずっと一緒にいたいです。
真っ直ぐな想いに、夢結は息を飲み込み言葉も飲み込む。いつもなら咳払いして切り替えるところだが、それもない。ただ、拒絶や否定の意がないのは外野から見ても明らかで。
「これはもう求婚なのでは?」
「梨璃、大胆……」
そんな神琳と雨嘉の声が耳に入り、夢結はようやく口を開く。
「結婚云々は置いておくとして。契約式を挙げるというのは、良いでしょう」
「本当ですか!?」
「ただし、事前に知らせる人間呼ぶ人間は一柳隊ぐらいで、最小限にね。今更派手な式にするのもおかしいでしょうし」
「はい!」
承諾してもらえて、梨璃の顔が花のような満面の笑みへと変わる。
俗なことを好まない夢結ではあるが、訓練や任務以外ではシルトに優しく甘い。お願いされたら小言を言いつつも、結局は叶えてあげる光景は珍しいものではなかった。
故に周りは左程心配してなかったようだが、梨璃本人からしたら嬉しいことに変わりない。
「これは、素晴らしいです! アルトラ級討伐の立役者とも呼ぶべきお二人の遅れた式。話題性抜群です! 是非とも後世にまで残るけっこ……契約式にしましょう! 微力ながら私もお手伝いさせて頂きます!」
「二水さん、人の話を聞いてたかしら?」
学院の本校舎裏に広がる雑木林には一本の細い小道が通っている。舗装も何もされてない、土を踏み固められた道。そこから歩くこと数分、林の中にぽっかりと開けた空き地がシュッツエンゲル契約式の式場に選ばれた空間だった。
「派手な式にする場合は校庭や校舎の玄関前で挙げるんですけど。身内でひっそりとやりたい方にとってはこちらが定番なんですよ。他に屋上とか旧館の横なんかも候補ですけど、人払いが大変なので」
そう早口で説明する二水はアウトドア用の折り畳み椅子に腰掛け、先程からタブレット端末を盛んに操作している。屋外撮影に向けた準備の一つらしい。
実の所、二水は数日前からこの場所でこの日のためのお膳立てを整えていた。雑草を引っこ抜き、小石をどかし、トンボで土を均して。
果たしてそこまでする必要があったのかどうか、梨璃には疑問である。疑問ではあるのだが、それよりも感謝と気恥ずかしさの方が先に立つ。
「もう、二水ちゃんったら……。ここまでしてくれる必要なかったのに」
「本当にね。だけど、梨璃もさっきから顔が緩んでるわよ?」
「えへへっ。やっぱり皆に祝ってもらうのが嬉しくて」
空地の端っこ。同じく二水の用意した折り畳み椅子の上、式の主役二人が隣り合って座っている。
「こうして形に残るように楽しい思い出を増やしていって、後から振り返ったら、辛い時でも頑張れると思うんです」
「戦う理由、生きる理由になるというわけね。それも良いでしょう」
「勿論、それだけでもないんですけど……」
「ミリアムさんや他の人たちが、羨ましかった?」
「あはは、ちょっとですよ? ちょっと。それに形が無いものでも、お姉様のあっ、愛だけでも、私は十分幸せなんですからね!」
「もう、何言ってるのこの子は」
肩を寄せて喋っていると、やがて二水の近くに居た百由がパンパンと両の手を叩く。一柳隊のメンバーではないが、これまでも彼女らの世話をしたりされたりしてきたので呼ばれていたのだ。
気付けば二水の準備は終わっていた。
「他の子たちは良い具合に外してくれたみたいねえ。何人かは道具なりレアスキルなりで覗いてるかもだけど、まあそれは有名税ってことで。じゃあ夢結に梨璃さん、用意してくれる?」
百由に促されるように、二人は空地の中央部を歩いていく。
ここには豪華な式場も、連なる花輪も、万来の観客もない。ただ一柳隊の仲間たちが居た。
位置へと着いた夢結には神琳が、梨璃には雨嘉が、純白の花冠をそれぞれの頭の上に載せてあげる。そして最後に百由が、二人の手に彩り鮮やかなブーケを持たせた。
「似合ってるわ、梨璃。梨璃の心みたいに真っ白な花が」
「お姉様。お姉様の優しい黒髪の上で白い花が光ってるみたい。すっごく綺麗です!」
すぐ傍で視線が重なる。梨璃はともかく、夢結から普段なら皆の前では言わないような台詞が出るのも、この場所とシチュエーションのせいなのだろうか。
「後生ですからっ、後生ですから
「
「早く始めてくれ」
飛び出して闖入者になりかけている仲間を、二人がかりで羽交い絞めにする先輩後輩。
その横で百由が平然と司会進行する。
「えー、ではまず最初に、頂いたお祝いメッセージの紹介を。まずは百合ヶ丘女学院を代表して高松理事長代行から――」
「代行ー! 何やっとるんじゃー!」
ミリアムの叫びが晴天の空に轟いた。と、辺りの林から幾羽かの小鳥が驚いて羽ばたいていく。
それでも式はつつがなく進んでいった。参加人数は少ないし、初めから格式張ったものにするつもりはなかったので、当然と言えば当然だ。式辞も含めて、あくまでも形をなぞった程度に過ぎない。
ただ形だけでないのは、シュッツエンゲルの間に流れる空気。その空気に当てられる者も出てきたようで。
「んぐっ……けっ、結婚式と言ったら、キスじゃあないでしょうかっ」
「フーミンさんも取り繕うのを止めてきましたね。それより大丈夫ですか? 鼻血が赤黒くなってますよ」
「まっ、まだっ。まだです!
「あ、これは大丈夫ね」
タブレット端末のカメラを構えて大地に蹲る二水と、それを脇から眺める神琳の図がひたすらにシュール。
けれども式は無事に終わりを迎えつつある。本当に何でもない、傍から見ると遊びのような式。だがここに集まった者たちにとっては代え難い時間。
「今日はありがとうございました、お姉様。最後にもう一つ、やってみたいことがあるんです」
「そうね……多分、もしかしたら、私たちは同じことを考えているのかも」
梨璃と夢結はまた見つめ合い、フフッと小さな笑みを湛える。
そしてどちらからともなく、ゆっくりと口を開いた。
「私たち二人は」
「シュッツエンゲルの契約を交わします」
それは守護天使の誓いの言葉。シュッツエンゲルとシルトを繋ぐ証である。
「これからは」
「幸せな時も、困難な時も」
「健やかなる時も、病める時も」
「お互いを尊重し、慈しみ」
「支えあうことを誓います」
全て言い終わると、梨璃は胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。これがあれば今までの辛さも、これからの苦しみも、きっと越えていける。目の前の大好きな人も同じ気持ちだと、梨璃は信じて疑わなかった。
「梨璃」
「お姉様」
互いに呼び合い、また笑う。
仲間であり、姉妹であり、伴侶であり、分かち難き半身だった。