この日、
場所は本校舎のカフェテラス。同じ校舎内にある食堂が昔ながらの豪奢な造りであるのに対し、こちらはモダンで機能美溢れるデザインである。普通に食事するのは勿論のこと、軽く何かつまみたい時にも人気のスポットだった。
窓際から離れたテーブルの一角にて、壱と正対して座るのは桃色髪のリリィ。リリィとしての実績でもそれ以外でも、何かと話題に上る有名人兼問題児だ。
「いっちゃ~ん。珍しく一人でお昼だなんて。私を待っててくれたのね」
「いっちゃん言うな。
テーブルの上で頬杖を突きながらねっとりとした視線を向けてくる
樟美たちと同席することもできたのだが、今日は二人きりにした方が良さそうだった。何となく雰囲気で分かるのだ。レギオンでも寮の部屋でも一緒なのだから。
「それでこんな美人が壁の花なんかやってるの。じゃあご一緒してもよろしいかしら?」
「あんた聞く前からご一緒してるじゃない」
そんな身も蓋もない言い草の壱の前に、煮柳のバスケットに収められたサンドイッチが見える。樟美が作ったものをおすそ分けしてもらったのだ。
サンドイッチと言っても、一般的な女学生が好みそうな可愛らしいものではない。サイズもそうだが中身も凄い。分厚いカツに大量のキャベツ、薄切りにされてなおも存在感を放つ真っ赤なトマト。それらをパンごと一緒くたにして口の奥へと放り込む。あくまで優雅に、品を損なわないように。
亜羅椰もまたボリュームで言えば似たようなもので。大皿に山と盛られたナポリタンにボウル一杯の色鮮やかなサラダ。リンゴにミカンにイチゴ等々、フルーツに至っては一々識別するのが馬鹿らしくなるほどだった。
彼女らに限らずリリィの食事は皆似たようなもの。激しい訓練や実戦で、体がカロリーを求めるからだ。
「亜羅椰、あんたこそ一人でブラブラしてたけど。女の子引っ掛けに行かなくていいわけ?」
「今まさにその最中なのよねえ」
「望みが無いのに、無駄な努力ご苦労様」
亜羅椰を問題児たらしめている交際関係の広さと深さ。今、彼女は専ら壱とそのルームメイトの樟美にご執心である。
確かに、亜羅椰は魅力的な女性である。壱もそれは認めていた。顔立ちは整っており、すらりと長い手足に長身。リリィとしての戦闘能力が高く学業成績も優秀。性格だって癖はあるが、決して悪くはない。ああ見えて意外と面倒見が良かったりもする。
だがそれでも――
「ないわー」
「人の顔見ながら酷くない?」
目の前のニヤケ面と自分が付き合ってるところは想像できなかった。
そもそも、タイプが正反対の壱と樟美の両方にアプローチしていることから分かる通り、節操無しなのだ。中等部時代など、学院に目を付けられるほどお盛んだった。
「本当、刺されないのが不思議でしょうがない」
「それは勿論、人徳というものですわ」
「は? 冗談はそのアヒル口だけにしなさいよ」
「あぁん、いっちゃん辛辣ぅ」
そこでふと、壱は中等部時代の亜羅椰に関する噂を思い出す。
自分から決して捨てたりしない。付き合ってる子に求められたら拒まない。多い時には一晩で五人を相手にした。
眉唾物の話だが、実際に本人を間近にすると、あり得そうだと思えてしまう。そんな得体の知れなさもまた、魅力の一つなのだろう。
「まあ何でも良いけど、火遊びし過ぎて生徒会に絞られても知らないから」
「あ~、それなら大丈夫。最近まーた忙しくなってるみたいよ」
「……そう言えば、朝から
疑問の色を浮かべる壱へ、何故か得意げな顔をして亜羅椰が答える。
「性懲りもなく、例の件でまた物言いを付けてきたの」
「例の件?」
「ほら、防大附属の」
「ああ、あれか……」
壱は得心がいき、げんなりとして目を細めた。
防衛大学附属幼年学校。マギを扱う能力、スキラー数値の高い男性を集めた日本唯一の機関である。
以前、その幼年学校に子を通わせる数組の保護者から、百合ヶ丘女学院は抗議を受けたことがあった。「男という理由だけで編入できないのは違法である」と。
完全な私立校ならともかく、百合ヶ丘をはじめとしたガーデンは公金を投入されているため、事情が少しばかり複雑だった。
「でも、あれは前回突っぱねたんでしょ? もし本当に訴えられたとして、『区別に合理性がない』なんて判断されるとは思えないけど」
「そうよねえ。校舎内の施設の問題もあるし、何より精神衛生的に問題よねえ。お互いに」
「大体、ヒュージとの戦時なのに、そんなこと言ってる場合かっての」
「戦時だから、でしょう」
亜羅椰の意味有りげな一言に首を傾げる壱だが、ややあってその真意を察する。
ここ百合ヶ丘が激戦区だったのも、今は昔。由比ヶ浜ネストが撃破されてから危険度は大きく下がった。一方で、幼年学校と防衛大学校を出て防衛軍のアンチ・ヒュージ・ウエポン部隊に組み込まれたら、どこに派遣されるか分かったものではない。
「戦いたくないなら、初めから軍に関わらなければいいのに」
「防大附属はガーデン以上に優遇されるから。主に金銭的に。今更逃げ出せないんで、せめて少しでもマシな所にって寸法かしら」
「虫が良すぎる。そんな上手い話あるわけないわ」
そうでなくとも、スキラー数値の高い男性は希少なのだ。それをむざむざ防大が手放すとは考え難い。ただでさえガーデンに戦力が偏っているのが問題視されているのだ。
百合ヶ丘への
「ちなみに今回の主張は、『心は女の子だから編入させろ』だとか」
「はあ!? 何よそれは。形振り構っていられないってわけ……。にしても、さっきからやけに詳しいわね、亜羅椰」
「フフッ。さっき言った通り、人徳ですわ」
「女の子情報か」
こいつの
そんな壱だが、ふと、すまし顔の亜羅椰を揶揄ってやろうと内心でほくそ笑む。
「でも心が女の子で可愛ければ、あんた大歓迎じゃないの?」
ところが亜羅椰はわざとらしく首をゆっくり横に振った。
「いっちゃんいっちゃん。色が似てるからって、チョコレートの代わりに泥水掛けたパフェ食べられる?」
「無理だわ」
「でしょう? それと同じことなの」
「悪かったわよ」
想像したくもなかったので壱は早々に引き下がろうとした。
しかしどういう訳か、相手の方が妙なところに食いついてくる。
「ところでいっちゃんは、もし私が殿方だったらお付き合いしてくれたのかしら?」
「ない」
「そう。つまり、見てくれや小手先の変化だけでは、事の本質は変えられないということね」
「話しながらすり寄ってくるな」
気が付けば、対面の席に座っていたはずの亜羅椰がすぐ右隣に居た。肩にしな垂れかかってきたため、嫌みにならない程度の香水が壱の鼻をくすぐる。長いまつ毛の切れ長の瞳に覗き込まれているのが横目に分かる。近くで見る度に改めて思うが、顔が良い。
壱はだんだんと腹が立ってきた。
「今晩、一人なの。部屋に来ない? 本質を変えられるかもよ」
「脈絡ないわね。私は変わらなくて結構よ」
「じゃあ攻守交替しましょう。いっちゃんに作り変えられるとか、熱いわぁ」
嚙み合わない漫才もどきを繰り広げる内に、周りの耳目が集まっていた。小声で何事か囁かれたり、生暖かい視線を送られたり。ただでさえ有名なレギオンの、色んな意味で有名なリリィが居るので無理はない。
居心地悪さを覚えた壱は食事を終えると足早にカフェテラスの席を後にする。絡みつく亜羅椰を無理矢理にほどいて。
時間は流れてその日の深夜、新館の一年生寮にて。ほとんどの者が寝静まっているであろう時分に、壱は左腕の違和感によって目を覚ました。
ここは自室で、当たり前だが鍵が掛かっている。だとするなら違和感の正体は一つしかない。
「いっちゃん」
「んんっ。樟美、お手洗い?」
「うん……」
「もう、だからミルク飲み過ぎって言ったのに」
ルームメイトの
壱は小さな欠伸をすると、「仕方ないな」とぼやきつつもベッドに暫しの別れを告げる。そうして自分よりずっと小柄な少女の手を引いて、薄ぼんやりとした月明りを頼りにお化粧室へと向かった。
壱の言葉も態度も、昼間の亜羅椰へのそれとは違い、棘が取れたみたいに丸い。もっともそうでなければ、わざわざお手洗いに付き合ったりしないだろうが。
いくら小柄とはいえ、樟美も高等部。本来なら付き添いなどあり得ないのだが、彼女には事情があった。そして壱にはその事情に負い目があったので、樟美にだけはこんな風に甘いのである。
やがて用を終え、二人の部屋に帰ってきた。とは言え一度覚醒した以上、すぐのすぐには寝付けそうにない。
「まあ、明日は二限からだし……」
そう自分で納得し、壱は緩慢な動作でベッドに身を沈めた。訓練に実戦にハードスケジュールのリリィは、単位の取得に色々と融通が利くのだ。
横向きの体勢でまどろみ始めた壱に、またも違和感が訪れる。背中に伝わる体温。振り向かなくても分かる。樟美が潜り込んできたのだ。
時折あることなので、いつも通り気に留めない。そのはずだったのだが、壱の脳裏に昼間の不敵な笑みが浮かんできた。
(今の私は亜羅椰みたいなものじゃないか?)
一瞬だけそんな風に考えて、直後に自分自身で否定する。
確かに樟美のことは可愛いと思っているし好いてはいるが、それは恋愛感情によるものではない。樟美もきっと、いや、間違いなく同じだろう。二人は親友という呼び方が一番しっくりくる。
なのにどうしてあの
(昼にあんなおかしなこと言ってきたからだ。明日会ったら覚えとけ)
亜羅椰がおかしなことを言うのは今に始まったわけではないのだが、それはすっかりと失念し、壱は憤慨の中で眠りに就いた。
「よりによって、何であんたと被るかなあ……」
翌日、全ての講義を終えて自分たちのレギオン控室に向かっていた壱は、途上で立ち止まり盛大に愚痴を零した。控室の扉に至る手前で、チャームのケースを背負った亜羅椰に遭遇したからだ。
「あら、ヒュージの撃滅はリリィの使命。私がここに居ても何もおかしくありませんことよ」
「よく言うわ。ただ暴れたいだけでしょ」
まるで立ちはだかるかの如く、壱の真ん前で胸を張る亜羅椰。
待機任務というものがある。学院内に臨戦態勢で待機し、ヒュージ出現の報によって討伐に赴く任務だ。
通常はレギオン単位で当番が回ってくるが、個人単位で志願して参加することもできる。由比ヶ浜ネスト撃破後はヒュージの襲撃が減ったので、これに頻繁に志願するか外征任務に出ない限り、実戦の機会は少なくなった。
現在、壱や亜羅椰たちのレギオンに外征任務はない。そうなると、腕を磨きたかったり、撃破スコアを伸ばしたかったり、あるいは血の気の多いリリィが取る手段は自ずと決まってくる。
「これも運命。どうせなら私の部屋で待機しない? 今日、一人なの」
「あんたいつも一人ね。しょっちゅう部屋に連れ込むから、
「まさか。あの子は泊りで工房よ。工房と言っても、
本来ならば工房――アーセナル個々人に与えられる作業場で寝起きするのは禁止されているのだが、守られないケースが多かった。
「辰姫も物分かりが良いから。こういう時、お互いに気を遣い合えるから助かるわ」
「うん? お互い?」
「フフフフフッ」
「……ま、あんたみたいな節操無しじゃないだろうから構わないけどさ」
てっきり工房に籠ってチャームを弄るのかと思ったが、それだけではないらしい。
もっとも、壱はあの二人なら自分の心配するような事態にはならないだろうと考えていた。目の前の女と違って。
「部屋が駄目なら裏庭に行きましょう。時間はたっぷりあるから、組手のお稽古でもしながらね」
「手つきがいかがわしいから組手はしないけど、裏庭に行くのは良いわよ」
待機任務と言っても、いつでも飛び出せる状態にあるならそれで十分。各々のレギオン控室に常駐する必要もない。
ずっと中に居ても息が詰まるだけなので、壱は亜羅椰が付いて来るのを確認せぬまま180度向き直って校舎の外へと歩き出した。
「それなら一つ、賭けをしない? 今日の待機任務で私といっちゃん、どちらが多く撃破スコアを稼げるか」
そう言ってすぐに追い付き左に並ぶ亜羅椰を、壱は品定めするように横目で見やる。
亜羅椰の背負う茶色のチャームケース。操る得物は第二世代汎用攻撃型チャーム、アステリオン。非常に整備性が高く性能も安定しているため、広く普及しているチャームだ。
高い射撃性能を誇るアステリオンはシューティングモードが売りなのだが、亜羅椰は近接戦闘用のアックスモードを好んで用いる数少ないリリィであった。その上更に、出力向上など大幅なカスタムを加えている。しかしそれでもまだ、彼女はチャームの性能に満足していないとか。
伊達や酔狂で同学年屈指と言われてきたわけではない。遠藤亜羅椰という女は、底が知れなかった。
「いっちゃーん?」
「……ああ、うん。賭けはいいけど、ヒュージが出なかったらどうする気?」
再び名を呼ばれた壱は考え事を中断し、一番重要な疑問を尋ねる。待機中にヒュージか、あるいはケイブ――ヒュージが利用するワームホールが現れなければ賭けが成立しないのだ。
「無事何事もなければ、私の負けということで」
「それ、あんたが大分不利でしょ。ハンデのつもりなら余計なお世話よ」
「言い出したのはこっちだしねえ。それに、こういう時の私の勘って結構当たるの」
横に並んで歩く亜羅椰が壱との距離を縮め、更に続ける。
「明日はちょうど二人とも非番だし。私が勝ったら一日付き合ってくれるかしら。逆にいっちゃんが勝ったら、一日私を好きにして良いわよ」
「はあ? 私に全くメリットが無いんだけど」
横目で睨み付けられても、亜羅椰はどこ吹く風といった様子。長くしなやかな指を壱のストレートヘアに伸ばすと、ゆっくり手櫛したり、指先で丸く絡め取ったり。
自慢の髪を褒められているようで、壱は悪い気はしなかった。繊細かつ軽やかな指捌きは、時間を忘れさせるかのよう。
しかしだからこそ、壱は腹が立ってきた。
「やっぱり乗ってあげる。あんたのその澄ました顔、剥ぎ取ってやるから」
強豪ガーデンたる百合ヶ丘女学院の中でもトップクラスとして知られており、攻撃の要である外征旗艦レギオンである。幾度となく修羅場を潜り抜けてきた上級生と、有望株の一年生で構成されていた。
今、壱が居るのはそんなアールヴヘイムの面々が研鑽に励む訓練場。目の前に、金の髪を後ろで纏めたリリィが立っている。
「天葉様、立ち合い稽古お願いします」
そう言って壱は大口径の砲と剣呑な刃を備えた武骨なチャーム、ブリューナクを正眼に構えた。
「立ち合いやろうだなんて久しぶりだね、壱。最近連携や射撃訓練ばかりだったから、デュエルが恋しくなったかな」
嫌みを全く感じさせない朗らかな笑みで、アールヴヘイム主将の天葉が答える。
デュエルとは、ヒュージとの
デュエルの重要性を認めるデュエル復古主義という考え方に、壱を含めた幾らかの一年生は賛同していた。「連携以前に命を落としてしまっては元も子もない」という主張が根底にある。神出鬼没なヒュージが相手なら尚更というわけだ。
そしてこのアールヴヘイムには、壱以外にもデュエルを好む者が居た。
「出し抜きたい奴がいるんです。そのためには連携だってデュエルだってこなせないと」
「ふぅーん……」
このところ続いていた腹立たしさを紛らわせるため、元来真面目な壱が選んだのは特訓によってリリィとして優位に立つという答え。至って単純明快だが、他に良い考えが思い浮かばなかったのでやむを得ない。それにやっぱり、腕を磨くのは嫌いじゃなかった。
「ところでその出し抜きたい誰かさん、どこかで見なかった? あの子が訓練に来ないなんて珍しいじゃない。昨日はヒュージが出なかったらしいから、さぞ持て余してると思ったんだけど」
「あいつだって、大人しい日もたまにはありますよ。たまには」
「いっちゃーん、部屋の中にすっこんでろって、どういうこと? 放置プレイ? 放置プレイなの?」