望月との日常   作:トマリ

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この前、pixivの方で投稿していたこのシリーズを無事に完結させることができました。もっと色んな人の感想を知りたいと思って、ハーメルンにも投稿していましたが、コチラもあと一話ほどで終わりたいと思います。
もし、ここまで読んでくださっている方がいるのなら、あともう少しだけ付き合っていただければ幸いです。


月が満ちるまで【後編】

 タチバナから望月のことを教えてもらってから、数日が過ぎた。

 あれ以来、提督は前ほど望月と会おうと思えなくなってしまった。思ったよりも複雑な彼女の事情を知ると、あまり好奇心だけで足を踏み入れていいような領域ではない気がしたのだ。

 それに、自分は別に彼女の上官というわけでもない。ただ単に晩飯時を同じくしていただけの、なんの関係もない研修生なのだ。自分が、望月が態度のせいで起こした問題に関わる義理はないし、また彼女も提督の命令を聞く義務などない。

 悲しいことに、言ってしまえばそうなのだ。

 

 そうして何も出来ないまま時間は過ぎていき、あっという間に二週間の研修も最終日を残すだけとなった。

 不思議なもので、提督にはこの間の記憶が曖昧だった。ピーズが一枚欠けただけでパズルの全体図がわからなくなるように、それまでの提督の生活から何かが抜け落ちたせいなのだろうか。それと、とある艦娘の姿が以前に増して頭から離れなくなった。

 

 

 

 最終日前日の夜。執務机に座るタチバナは、腕を組んで提督に言う。

 

「二週間、お疲れ。俺が教えられることは、あらかた教えたはずだぞ」

 

「いやホント、ありがとうございました……」

 

 ヘトヘトになった顔で礼をする提督。

 研修のために買った手元のメモ帳はどのページも真っ黒に染まっている。次はこれを暗記しないとな、と提督は苦い顔をした。

 

「明日はまぁ……昼にお前が帰る予定だから、それまでは自由時間とするか。それまでに、ここの艦娘(ヤツら)にあいさつでもしてやれ」

 

「そうですね……そうします」

 

 提督の本音としては昼まで寝ていたかったのだが、さすがにそれを言うのは憚られた。それに、なぜだか提督はこの鎮守府にいる艦娘たちにやたらと好かれていたのだ。

 彼女らには色々と世話になったし、確かに提督個人としてもお礼がしたい。

 

「終わった? じゃあ、研修生さんとご飯食べに行ってもいいっぽい!?」

 

「うわっ!?」

 

 そんなことを思っていると、終わりの時間を待ち構えていたのか、突然夕立が後ろから提督に抱きついてきた。背中に柔らかいナニカが当たり、DTの提督の息が止まる。

 

「……勝手にしろ。あまりはしゃぎすぎるなよ」

 

 まったく、という顔のタチバナからOKをもらうと、夕立は「やったー!」とルンルン気分で提督を引っ張っていく。

 

「じゃあな。また明日」

 

「あっはいっ!また明日!」

 

 執務室の扉を閉める前に聞こえたタチバナの声に、提督は必死で返事した。

 

「ふっふふ~ん♪」

 

「あっ、ちょっと夕立!待ってって!」

 

 だがそんなことはお構いなしに、鼻歌を歌いながら提督を引っ張る夕立。足取りに二歩分ほど差があるので、提督は今にもこけそうだ。

 先程『なぜだか艦娘たちにやたらと好かれて~』と言ったが、夕立はその提督を好いている艦娘の筆頭である。なんだかんだで、毎日晩飯を誘いに来ていたらしいし。

 どうやらこの二週間で、提督は夕立にずいぶん気に入られたようだ。曰く、『提督さん(タチバナ)よりも抜けててアホっぽいから話してて面白いっぽい』だそうだ。……これって貶されてるだけじゃないだろうか、と提督は思ったがそれ以上考えないことにする。

 

 

 

 定食を受け取ると、無意識に食堂の出口へと目が向いた。正確にはその先の廊下、港へと続く道。

 望月の習慣が変わっていなければ、あの港に彼女はいるはずだ。

 日中の彼女はどこにいるのか想像もつかない。会いに行くとしたら、これがラストチャンスだ。

 ……本当に、このままでいいのか?彼女は自分の処罰のことを知っているのだろうか? 解体のことは? 彼女はこれでいいのか?

 足が港へ向けて動きかける。

 だがそんな時。

 

「おーい研修生ー!早くこっちに来いってー!今夜は飲むぞー!!」

 

「えっ?」

 

 考え込んでいるところに、夕立のとはまた違う力で横から引っ張られた。

 見ると、いつの間にいたのか、隣には商船改装空母である隼鷹がいた。酒瓶片手に、顔は真っ赤っかと完全にデキアガッテいる。

 

「いや隼鷹さん、今はちょっと……って酒臭っ!!?」

 

「つれねーこというなよってぇ~。タチバナの奴、全然飲んでくんねーんだもん。艦娘とばっか飲むのも飽きてくるし、たまには提督とも飲みてぇーんだよなぁ~」

 

 グッ、と軍服の後襟を掴まれ、そのまま悪さしたドラ猫のように引きずられる。この酔っぱらい、酔っぱらいの癖にやたら力が強いっ……!

 

「あの、ちょっと!?しかも僕、お酒はあんまりイケる方では━━━」

 

「おーい那智ー、千歳ー!提督捕獲できたぞー!」

 

『とったどー!』と言いそうな勢いで食堂のバーカウンターへと引っ張られていく。

 だめだ、提督がいくら叫んだって聞いちゃいねぇ。酔っぱらいは無敵だ。

 

「ちょっと、何してるっぽい?提督さんは今夜、夕立たちと食べるっぽいよ!?」

 

「え」

 

 仕方なく諦めて身を任せようとした時、今度は逆方向から夕立に両腕を捕まれた。背中からは隼鷹、前からは夕立とサンドイッチ状態になる。

 

「え~いいじゃんいいじゃん~。こっからは、オトナの時間なんだぜ~?」

 

 グッ、と襟首を掴み直す隼鷹。首が圧迫される。

 

「むう~!先に提督さんと約束してたのは夕立っぽい!」

 

 両腕をがっちりホールドする夕立。

 

『むむむ……!!』

 

 ナニやらバチバチと火花を散らし会う両者。もしも提督が本調子ならば『私のために争わないで~!』とか言えるのだが、あいにく今はそれどころでなかった。

 ……ご存知とは思うが、艦娘のパワーは普通ではない。一般的な大人ならば余裕で超えられる力を持っている。そして片や酔っぱらい、片や加減を知らない子供。その二人に綱引きをされると━━━

 

「ちょっ、待って待って!!千切れる千切れる!!僕がさけるチーズになっちゃうから二人ともやめてーっ!!」

 

 まぁこうなる。

 必死に懇願すると、夕立の方が「あっ、ごめんなさい研修生さん!」と慌てて両腕を離してくれた。これのお陰で提督の前面は自由の身となったが、背面には相変わらず酔っぱらい隼鷹が張り付いている。

 

「お~?これはアタシの勝ちってことでいいのか~?」

 

「いやあの、本当にやめてくださいって……」

 

 なんとか二人の落とし所を探そうと頭を回転させる提督。早くしないと、頬を膨らませてご立腹の夕立にまた両腕を引っ張られてしまう。

 だがその時だ。

 提督の視界に、ある意味で見知った後ろ姿が映った。

 

 黒い制服。

 子供のように小さな体。

 背中まで届く茶髪。

 

 紛れもない、望月の姿だった。

 どうやらまだ港へは行っていなかったらしい。

 おぼんを持った彼女は、あの日の再現のように淀みない動きで食堂の入り口へと歩いていく。

 そんな彼女の姿を見た瞬間、提督の頭に電撃のようなものが走った。演習での姿や食堂での後ろ姿。それらが走馬灯のように浮かんでは消えていく。

 なぜこうなったのかは提督にもわからない。

 

 ただ、彼女をこのまま行かせてはいけない。

 

 とにかくそれだけが脳内に響いた。

 その思いに押されるまま、提督は隼鷹の腕を振り払って望月の後を追う。

 

「お~なんだ~?」

 

「あれっ、提督さん? どこに行くっぽ~い!?」

 

 養成所でCQCを多少かじっていたのをこれほど良かったと思ったことはない。柔軟な動きに対応できず、酔っぱらい隼鷹の手は簡単に振り払えた。

 夕立の声に答える間も惜しく、提督は入り口へと向かう。彼が食堂を出たのは、望月が食堂を出た五秒後だった。

 

 

 

 夜の港は相変わらずの暗闇である。雲が厚いせいか、今夜は前以上に暗い気がした。

 数少ない外灯を頼りにやってくる港は、やはり足元も覚束ない。足を滑らせて海に落ちでもしたらシャレにならないだろう。彼の提督人生が始まらずして終わることになる。

 

「と、とと……」

 

 思ってるそばから足を滑らせかけ、提督は体勢を立て直そうし、そこで料理の乗ったおぼんを食堂へ置いてきていたことに気づいた。

 しまった、と思ったがもはや取りに戻る気は起こらない。ただ、『晩飯を食べに来た』を言い訳に使うのは無理だろうな、と提督は苦笑いした。

 

 しばらく歩いていると、見つけた。一週間前と同じように、岸壁から足を投げ出して座っている望月の姿を。

 雲が濃く月が遮られており、また彼女の制服も黒色のせいで、遠目には茶髪だけが宙に浮いているように見えなくもない。また、おぼんが置かれているが、それには一切手がつけられていないように見える。

 

 (いた。……いや、当然か。習慣なんてモノはそうそう変わるもんじゃないし)

 

 数日前にケンカ別れした友人を最寄りのスーパーで偶然発見したような心境で、提督は立ち止まる。前までなら、そこからすんなりとあいさつへ行けていた。

 だが今は違う。しばらく会わなかった間に経験値までリセットされてしまったのか、そこで足がすくんでしまった。

 まだ少し、躊躇いが出てしまう。

 

 (……いやいや、何やってんだよ僕)

 

 首を振る。

 ここでヘタれたら何しにここへ来たのかわからない。男は度胸、当たって砕け散れ。

 

「やぁ、望月」

 

 一度深呼吸してから声をかける。

 言葉は、思っていたよりも自然に口から出てくれた。

 

「ん……?」

 

 暗がりで彼女が振り向く。一週間前まで見慣れていた、昼寝を邪魔された猫のような顔だった。

 

「久しぶり……でもないかな? 僕のこと覚えてる?」

 

「……前から来てた、研修生だっけ?」

 

「そうそう」

 

 覚えてもらえていたことに僅かにホッとする。彼女の性格からして、三日も会わなくなった人物は即座に忘却するような思考回路をしていてもおかしくないのだ。

 

「よっ、と」

 

 以前と同じように、また椅子一個分の距離をあけて望月の隣に座る。

 瞬間、何とも言えない安心感のようなものに包み込まれた気がした。自然と体の力が抜けていくような、そんな感覚だ。提督は首をかしげる。自分でも知らない間に、彼女の隣は彼の定位置になっていたのだろうか?

 ……いや、違う。

 

 研修中に彼女と共に過ごし始めてからずっと思っていたのだが、今提督は確信を持つことができた。

 

 彼女の隣は自分にとって()()()()()()()なのだ。

 

 

「……アタシになんか用なの?」

 

 前へ向き直りながら言う望月。その瞳に映る夜の海は、えらく空虚に思えた。

 

「別に、特別用があるってわけじゃないんだけど」

 

「じゃあ、何で今さら来たのさ? 一時来なくなってたのに」

 

 その言葉にどんな感情が宿っていたのかは、残念ながら提督にはわからなかった。

 

 だが、仮にわかったとしても関係はない。

 

 先程確信を持ったと同時に、彼には把握できたのだ。

 なぜ食堂で彼女を追わなければと思い、こうして彼女に話しかけたのか。

 

「最後に、望月に聞きたいことがあってさ」

 

 望月が自分の方を向いていなくても、提督は真っ直ぐに彼女を見据える。

 

「……アタシのことなんて知っても、面白くないだろうよ」

 

「まぁまぁ。どうせ僕は明日でいなくなるんだからさ」

 

 不機嫌な顔をするので提督はなんとか宥める。

『聞きたいこと』とは言ったが、提督にとっては『答え合わせ』のような感覚だった。静かに、その言葉を紡ぐ。

 

 

「望月は、なんで戦おうとしないの?」

 

 

 ザザ、と波の音がした。

 

「なんでって……。タチバナから聞いたんじゃないの? めんどくさいからだよ。アタシにとって戦闘なんて」

 

「本当に?」

 

 提督は言った。

 望月が提督の方を向く。月が隠れた空の下で、二人の視線が絡み合った。

 この研修で初めて、提督は真の意味で望月の目を見れた気がした。

 

「……何が言いたいの?」

 

「そんな怖い顔しないでよ。僕はただ、確かめたいだけなんだ。明日でここを去るんだから、変なしこりを残したくないだけ」

 

 その目が前より鋭くなった気がする。

 提督はタチバナと話したあの日から、『望月』について調べていた。直接彼女に会うのは憚られたので、この鎮守府の艦娘マニュアル本から、一般的な『望月』の性格や思考傾向を頭に叩き込んでいたのだ。

 それから得られたことと、タチバナの話やあの日の望月の表情、それらを総合すると、提督は何とも言えない違和感を覚えた。

『戦いに参加しない』『演習の出撃さえも渋る』、またあの夜の彼女の態度からは、『めんどくさがり』というのはなんとなく当てはまらないような気がしたのだ。

 もちろん確証はない。

 だが、もしその予感が本当だとしたら……。

 

 提督はとある結論にたどり着いていた。

 

 

「望月はさ、本当は戦うことが嫌いなんじゃないの?」

 

 

 その問いには、しばらく静寂が答えとなっていた。

 ただ、彼女が微かに息を呑んだような気配がした。

 

「……なんでそう思うの?」

 

 たっぷり二十秒ほど経ってから、ようやく望月は答える。

 

「なんとなくだよ。僕なりに『推理』ってヤツをしてみただけ。それに……」

 

「……それに?」

 

 不意に、提督の瞳が黒い海を映した。

 

「僕も、そうだから」

 

「え?」

 

「僕も争いとか戦争とか、好きじゃないんだ」

 

 いや、大体それが好きな人間なんていないか、と提督は頭を掻く。

 

「なんていうかこう……誰かと争うっていうのが根本的に無理な人種というか……。提督になったのも、偉い人に突然『君には素質がある』とか言われて推薦されたからだし……。本当は戦争の片棒担ぐなんてゴメンだし、戦うことの恐怖もあるよ」

 

 ザザ、と波が打つ。

 望月はもう、海へと視線を向けなかった。ただ黙って、提督の言葉に耳を傾けている。

 

「だけどそれを言おうと思っても、僕の回りはイシカワとかタチバナさんとか夕立とか……誇りを持ってたり血気盛んな方々だから、あんまり言えるような人たちでもなくて……。居心地が悪いとまでは言わないけど、なんとなく疎外感のようなものは感じるよ」

 

 誰にも打ち明けないつもりだった言葉が、スラスラと出てくる。

 なぜだろうか? それは恐らく、次に提督が発する台詞が、そのままその答えでもあるのだろう。

 

「でも、望月からはそんなものを感じないんだよ」

 

「…………」

 

「感覚自体は初めて会った時から感じてたんだと思う。だけど、それに確信が持てたのはついさっき。

 ……望月の隣なら、なんていうか……肩の力を入れなくて済むって感じで。無理しなくていいかな、て思えるんだよ」

 

「…………」

 

 望月はただ黙っている。

 

「それはきっと、望月も僕と『同じ』だからなんじゃないかな、て、思ったんだ……」

 

 そこで提督の言葉は止まった。提督はそれから、真っ直ぐに望月の目を見据える。

 しばらく無言の時間が続いた。

言いたいことを全て言い終えたらしい提督は、次は望月の番だよ、と言いたげに黙っている。どうやら提督としては本当に確かめたいだけのようで、退くつもりはなさそうだ。

 

 対する望月は、こちらはまた違う意味で黙り込んでいる。

 今話した提督の推理は、全て彼の妄想だ。彼女が答える義理は元々ない。そもそもこの推理が丸ハズレである可能性もあるのだ。提督と同じように、誰にも打ち明けるつもりはないのかもしれない。

 

 

 

 だが、

 

「……そうだね」

 

 観念したように、望月は口を開いた。

 苦笑いのような表情。

 

「くだらないよ、戦争なんか」

 

 海の底へと沈んでいくような声音だった。

 この望月の返答は、事実上先の提督の問いへの肯定と受け取って良いのだろう。

 提督は訊く。

 

「じゃあ、やっぱり……」

 

「うん。嫌いだよ、戦争なんか」

 

 望月がコチラを向く。その顔には吹っ切れたような、開き直りのような表情が貼り付いていた。

 

「……戦争なんてさ、アタシにとってはどうでもいいんだよ。アタシはただ、こんな風に毎日海を眺めてのんびり過ごせたらそれでいい」

 

「……だったら、そうやって過ごせばいいんじゃないの?」

 

「無理無理。ここはみんなエリート気質だもん。みんな国を守ることを生き甲斐にしてるから。戦わない艦娘はすぐ異端扱いされる」

 

「…………」

 

「……タチバナが日頃なんて言ってるか知ってる?『力を持つものは、それを役立てる義務がある』、とか」

 

 

 望月は三角座りのような体勢をとると、立てた膝に顔を埋めた。

 

 

「知らないよそんなの。アタシだってこんな力、望んで持ったわけじゃないんだから」

 

「……望月」

 

「そりゃ戦いたくなんかないよ。アタシは別に、タチバナみたいに心は強くない。なんで自分から死ににいかなきゃならないのさ?」

 

「…………」

 

「でも、そうしなきゃいけないんだよ。

 だって、アタシは兵器なんだから。国を守るために生まれた、戦うためだけの兵器」

 

 兵器。

 タチバナは言っていた。彼女等は国を守るための武器だと。

 提督養成所でも教えられた。彼女等は所詮「燃料」や「鋼材」で構成された、いくらでも替えの利く存在だと。

 そして提督も研修の三日目に思った。ヒトの形をしていながら、あれだけの破壊力を生み出せる彼女等を、兵器だと。

 

 (……なんだよ、それ)

 

 お湯が沸騰するように、自分の中の感情が泡立ち始める。研修三日目のときの自分をぶん殴りたくなってくる。

 だが、提督が脳内でそれをする前に、望月の言葉が続いた。

 

「だからといって兵器になりきれ、てのも無理な話だね。

 アタシは夕立ほど無邪気にはなれないし、赤城さんたちのように誇りがあるわけでもないし、電のように沈んだ敵も助けたい、と言えるような信念もない。人間にも兵器にもなれない。そんなどっちつかずの存在が私だよ。」

 

 だから、解体されてもしょうがないんだ、と望月は笑った。

 なぜ笑ったのか。

 なぜ笑えるのか、提督にはわからなかった。

 

「望月は、解体のこと知ってたの?」

 

 タチバナが伝えたのかと思ったが、望月は小さく首を振る。

 

「知らない。けど、そんな風には思ってた。戦いたくないというような不良品の兵器なんて、処分されて当然でしょ」

 

 ドクン、と心臓が跳ねる。空気が胸元でつっかえてしまったような感覚がした。明らかにヒトと同じ姿をしているのに、自分を人間扱いしない少女。

 激しい感情が沸いてくる。そうしたくなくても、兵器としての在り方しかできない彼女への悲しみと。もう一つは、それを無意識に受け入れていた自分に対しての怒りだ。

 今から口に出す言葉が、本当に正しいものかはわからない。間違っている可能性もある。

 しかし、言わずにはいられなかった。

 

「違う」

 

 言葉は勝手に出ていた。

 よく聞こえなかったのか、望月が首をかしげる。

 

「違う。僕は、望月たちを兵器とは思わない」

 

 だからもう一度言った。今度はハッキリと聞こえる声で。

 

「何言ってんの?」

 

 呆れたように望月は言う。

 

「無機物から生まれたアタシたちなんて、兵器以外のなにものでも━━━」

 

「でも、兵器は悩んだりなんかしない」

 

 強く、提督は答えた。

 

「兵器は、人間になついたりなんかしない」

 

 夕立のことを思い浮かべながら。

 

「僕の心を……これほどまでに揺さぶったりはしない!」

 

 強い決意を持って、提督は言う。

 目の前にいる彼女が人間でなくてなんなのだ。

 悩んで苦しんで、痛みを感じている彼女の、どこが。

 

「艦娘を兵器扱いするのが『優秀な提督』の条件だとするのなら、僕は一生落ちこぼれでいい」

 

 そこまで、提督は表情を変えないまま言い切った。

 しばらく、場を静寂が包み込む。あれだけ荒れていた波も、いつの間にか静かになっている。提督は、時間が止まったような錯覚さえ覚えた。

 

 だが、やがて。

 

 

「……なにさ、それ」

 

 

 笑い声がした。

 それが望月のものだと気づいたのは少し後のことだ。

 笑い声と言っても、それに嘲笑や冷笑といった意味は込められていない。呆れているような、降参したような笑い声だった。

 

「お節介というか物好きというか……バカだね」

 

「バカで結構」

 

 そのリアクションに安心して、提督も言葉を紡ぐ。

 話している間に、月は厚い雲から抜け出していたらしい。青白い光に照らされる望月の顔は、どこか憑き物が落ちたようで。

 提督と彼女の間にあった距離は、いつの間にか無くなっており、彼の肩には、微かに望月の温度が触れていた。

 彼女が自分の体を少し、提督へと預けているのだ。

 

「僕さ、今決めたよ」

 

「……なにを?」

 

 その温かさを刻み込みながら呟く。

 自分が進むべき道を、彼はようやく見出だせたような気がしていた。

 

「これから僕が着任する鎮守府ってさ、そこはこんな激戦区からは外れた辺境で、深海艦もめったにこないらしい。

 だから俺はそこをさ、そんな風に、望月みたいな艦娘が『悩むことができる』ところにしたいんだ。無理に戦わなくても、足を止めて思う存分悩めるような、そんな場所に」

 

「…………」

 

 しばらく目を丸くしていた望月だが、やがて理解できたように頷いた。

 

「いいんじゃない? そんな鎮守府ができたら、きっと嬉しがるヤツもいると思うよ」

 

「うん、そうだったらいいなと思う」

 

 

 そこで提督は一度深呼吸してから、ゆっくりと告げた。

 

 

「だからさ、よかったら望月も来ない?」

 

 

 

 

 

 あの後、何がどうなってどのように別れたのか、提督はよく覚えていない。ただ、彼が目覚めたときにはもう朝で、彼の体は自室の布団の上にあった。

 時刻は七時三十分。起きるにはちょうど良い頃だろう。提督は珍しくすんなりと体を起こした。

 ふと肩に触れてみると、そこにはまだ微かに、人肌のような温かさが残っている。その温度から、昨夜の出来事が夢でなかったことを確信すると、提督はすぐに着替えて自室を出た。

 向かうのはタチバナの待つ執務室だ。

 

 

 

「おはようさん。昨日はよく眠れたか?」

 

 扉を開けると、タチバナはいつものように机に座っていた。本日の予定確認をしていたのか、彼の隣にはスケジュール帳らしきものを持っている大淀の姿もある。

 

「どうも」

 

 タチバナの言葉と大淀の会釈にそれぞれ返しつつ、提督はゆっくりとタチバナの執務机へ向けて歩いていく。

 

「タチバナさん」

 

 そして机から大股二歩ぐらいの位置で立ち止まった。

 

「ちょっと、お話があるんですが」

 

「どうした?」

 

 真面目な顔で話す提督に何かを察したか、タチバナは大淀に向けていた体を彼の方へと向け直した。その顔は、艦娘の指揮を取るときのような真剣なものだ。

 

 その表情に、提督の心臓が一気に波打つ。今になって緊張してきた。

 元々、タチバナは彼の大先輩である。その上、落ちこぼれの自分とは違い、彼は最前線の戦場に身を置いている提督だ。

 そんな人物に、今自分は頼み事をしようとしている。可能なのかどうかもわからないし、自分が何か見返りを用意できるわけでもない。誠に勝手極まりない頼み事だ。

 

 ……だが、ここで日和(ひよ)る訳にはいかない。

 望月を助けるには、これしかないと提督は踏んだのだ。

 

 

「その……えっと、ふつつかものの提督ですが、望月を僕にくださいませんか!?」

 

 

 しまった。間違えた。

 緊張のあまり、なんか嫁にもらうみたいな言い方になってしまった。いらぬ誤解を与えてしまったかもしれない。現に大淀は顔を赤らめながら口許に手を当てて「まぁ」なんて言っている。

 提督の顔も同じくらい赤くなった。

 

「すいません待ってください失敗しました。もう一回チャンスを━━━」

 

「別にいいぞ」

 

「……へ?」

 

 慌てて言い直そうとしたとき、それを遮るように声がした。バカみたいな声を出しつつタチバナを見ると、彼はやれやれと言いたげな顔をしている。

 

「要するに、ウチの望月をお前のとこの艦娘にしたいってことだろ? 別にいいぞ」

 

「え……いいんですか? ていうか、()()なんですか?それって……」

 

「なんで言い出しっぺのお前が不安げなんだよ……。ちっと待ってろ」

 

 そう言うとタチバナはさっさと執務室を出ていった。

 それから大淀と微妙な空気の中で三十分ぐらい過ごした後、

 

「手続き完了したぞ。本日付けで、望月はお前の艦娘になった。所謂『初期艦』として、ソッチに配属されるらしい」

 

「ま、マジですか!?」

 

 あまりにもあっさりと帰ってくるので、頼んだ提督の方が面食らう。そもそも提督としては、この『艦娘の譲渡・交換』にあたる行為が可能なのかどうか自体が不安だったのだ(教本にも書いてなかったし)。

 そんな前代未聞のことをアッサリ可能にするほど、タチバナには大きな権力があるのだろうか。いや、それにしても早すぎる気がする。

 まるで前もって準備していたかのようだ。

 

「いったい……どんな手を使ったんですか?」

 

「別に? 特別な手もやましい手も一切使ってないぞ。前例がないってだけで、ルール的にはなんの問題もない」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「同じ軍の者同士で武器の受け渡しをすることは、別に違法でもなんでもないからな」

 

「━━━」

 

 不意に飛び出したその言葉に、提督は思わず固まってしまう。

 武器。

 昨夜、提督が否定したばかりの言葉だ。だが、そのおかげでこの懇願は上手く通ったことになる。

 奇しくも自分には受け入れられなかった価値観に、提督は救われたわけだ。

 

「あー……そんな顔するなって。俺の言い方が悪かった」

 

 そうして提督がすっかりおとなしくなってしまうと、タチバナは困ったように頭を掻く。

 

「実際の話、『派遣』とか『研修』て名目で艦娘が他の鎮守府に行くのは、意外とよくあることなんだ。その延長線として考えれば、別に問題はないだろう」

 

 冗談が上手く通じなかった男子中学生のような顔だった。

 

「着任する場所が変われば力を発揮できるようになる艦娘もいるしな。今回のケースでは、ウチとしては役に立ってなかった望月を引き取ってもらえる。ソッチとしては初期艦代わりに経験豊富でレベルの高い艦娘を手に入れられる。

 どっちも損をしてないWin-Winの関係だろ?だから━━━」

 

「す、すいません!もう大丈夫ですから!!」

 

 タチバナからの予想以上のフォローの嵐に、提督は慌てて遮った。想像以上に気にさせてしまったようで反省する。

 確かにイヤな顔はしたかもしれないが、別に提督はタチバナを困らせたいわけではなかったのだ。

 

「……まぁ、まだまだ『青い』んだな。お前の場合は」

 

「青い……? 若さ故の、てヤツですか?」

 

「そんなところだ」

 

「……やっぱり、『提督』としては失格でしょうか?」

 

 提督のその問いには、若干の不安の感情が混じっていた。それに対して、タチバナは

 

 

「いいんじゃないか?」

 

 

 とあっけらかんと答えた。

 

「『艦娘が人間かどうか』なんてのは結局、今も答えが出てない議題だ。正解なんてないし、そのあたりの解釈は個人に委ねられている。所詮俺のもお前のも、『一つの考え方』にすぎないんだよ」

 

「一つの、考え方……」

 

 その言葉を忘れないように、脳内へと刻み込む。

 

「では、僕はこの考え方を貫こうと思います」

 

「お前がそうしたいなら、そうしとけばいい。元々正解がないモノだしな」

 

 それに、とタチバナはそこで言葉を切ると、不意に目を細めた。

 

「少なくとも一名は、そんなお前の考え方に救われたようだからな」

 

「え?」

 

 何やら意味深なタチバナの言葉に、提督の頭にハテナマークが浮かぶ。そのハテナマークに、今度はタチバナが「気づいてなかったのか?」とハテナマークを作った。

 

「何にですか?」

 

 ハテナマークの応酬をしていると、それまで事の成り行きを見守っていた大淀が、「あれですよ」と提督の背後を指す。

 提督は訳もわからず振り返ろうとしたが、それよりも早く。

 

「げっ。気づいてたのかよ……!」という声が扉の外から聞こえた。

 

 振り向く速度が一気に早くなる。

 それまで見えていなかった背後を見ると、ついさっきのタチバナがしっかり閉めていたはずの扉は、少しだけ開いていた。そしてそれと同時に、パタパタパタ……と何かが走り去っていくような足音。

 さすがにこれがなにを暗示しているのかわからないほど、提督は鈍感ではなかった。

 

「な?」

 

 ニヤニヤ、という効果音が世界一似合いそうな笑みを浮かべるタチバナ。

 だが、それに関しては後回しだ。

 提督はいつぞやのように「すいません、ちょっと」と行ってすぐさま扉へと向かう。理由はもちろん、今逃げているであろう小さい影を追いかけるためだ。

 だが、扉を開ける前に、

 

「おい、研修生」

 

 そんな声が後ろからかかった。

 振り返ると、タチバナがさっきの提督と同じぐらい真剣な顔をしていた。

 そして真っ直ぐに提督を見据え、こう言った。

 

 

「ちゃんと、大事にしてやれよ。望月を」

 

 

 タチバナがどういう心境でその言葉を言ったのかは、提督にはわからない。

 だがその言葉は、不思議と提督の心に自然に染み込んでいった。

 

「……わかりました。絶対、大事にします」

 

 一度だけ深呼吸をし、提督はゆっくりとそう答えた。

 それは恐らく、自分にも言っていたのかもしれない。

 タチバナが満足げに頷いたのを確認してから、提督は扉を開けて廊下へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……かん。……司令官ってば!」

 

「えっ、はえっ!? な、なにっ!?」

 

 突然、頭上から声がかかった。

 ボンヤリとしていた提督の意識が一瞬で覚醒する。

 

「なにっ、何事っ!? 敵襲!? が、ガスの栓はちゃんと閉めてっ!!」

 

「うわっ、どうどうどう。落ち着けって、司令官」

 

 周囲を見回す提督。

 彼が立って━━━いや、座り込んでいるのは、タチバナの執務室━━━いやそれも違う。ここは見慣れた、彼の鎮守府の執務室だ。

 そこに、彼はあぐらをかいたままボーッとしている。視線を下げると、手元にはたくさんの写真が貼り付けられたアルバムがあった。

 

「司令官、生きてるかー? もう朝だぞー?」

 

 ヒラヒラ、と彼の眼前で手を振る望月。なんだかとても懐かしく感じる雰囲気だ。さっきと比べて、表情や台詞が随分と柔らかくなったような気がする。

 ……というか、

 

「あ……寝てたのか。僕」

 

「そうみたいだね。てか、書類の山すごっ」

 

「ふわ~……いま、何時?」

 

「マルゴーマルマル。『提督』にとっては、もう朝だね」

 

 伸びをすると、肩と腕の骨が小気味良い音を立てる。変な体勢で寝ていたせいか、足は感覚がなかった。

 

「望月……じゃない、もっちーは、なんでこんな早くから戻ってきたの?パジャマパーティーに行ってたんじゃなかったっけ?」

 

 だがそれを気にした様子はなく、提督は望月へ訊く。もしかしたらまだ寝ぼけているのかもしれない。

 望月は「大丈夫か……?」と言いたげな視線を送ったあと、こちらも首の骨をパキパキと鳴らす。

 

「姉さんたちから……質問責めに遭って、疲れたから、また面倒なことになる前に早いとこ抜け出したんだよ」

 

 妙に歯切れが悪い。見てみれば、心なしか望月の顔はいつもより覇気が無いように思える(いつも無いようなものだが)。なにかあったのだろうか?

 

「そうなんだ……。実は僕もさ、すっごく懐かしいこと思い出しててさ」

 

「まぁ、こんなアルバム持ち出してる時点でマジ懐かしいけどさぁ……」

 

 はずかしー……、とか言いながら望月は苦笑いしてる。

 それに同じ苦笑いを返しつつ、提督は先程まで見ていた記憶()のことを話した。

 

「あー……そういえば、そんなこともあったねー……」

 

「でしょ? やっぱり、もっちーも覚えてるんだ?」

 

「そりゃあね……」

 

 昨日の夜に話したばっかだからね、と望月は呟いたが提督には聞こえていないようだった。

 

「あの頃から考えると、やっぱり色々変わったんだなぁ、って」

 

「あの頃、か」

 

 思い出しているのか、彼女は少し遠い目をした。

 

「そういえば、タチバナとは今どうなってるの?」

 

「タチバナさんとは、今でも時々連絡し合ってるよ。相談に乗ってもらったりしてる」

 

「そっか……」

 

 それだけを言う。

 ……そういえば、今の望月はタチバナに対してどのような感情を抱いているのだろう。ふと提督は気になったが、聞くのはやめておいた。その辺は、彼女にとっては繊細な部分だと思ったからだ。

 

「……結局あの人って、艦娘への接し方が下手と言うか……不器用だっただけなんじゃないかな、て、今では思うよ」

 

「え?」

 

「タチバナさんのこと」

 

 だから、代わりに提督の気持ちを言うことにした。

 

「不器用、かぁ……」

 

「今度さ、久しぶりにタチバナさんに会いに行ってみる?」

 

「えっ」

 

 望月は蛇に後ろ足から噛みつかれたカエルのような顔をした。

 

「どうしたのさ? 今日の司令官、藪から棒にもほどがあるよ」

 

「いや自分でもそう思うけどさ。こういうのって、思い出した日とか思い立った日が吉日って言うじゃん? ほらこう、里帰り的な感じで」

 

 今が朝ということも、提督が書類を終わらせていないことも忘れて、二人はあれやこれやと話し合う。

 

 こうした光景も、また三年後あたりには写真としてアルバムに載り、また二人で懐かしむ日が来るのかもしれない。

 来ればいいな、と提督は思った。彼女と二人で、そんな日を迎えたい、と。

 


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