望月との日常   作:トマリ

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彼女との日常

 

 

ピピピピピピピピピ

 

 マルゴーサンマル。

 執務室の隣の部屋である提督の私室にて、一台の目覚まし時計が鳴り始めた。埃臭く狭い部屋に、その音は反響してよく響く。

 

「ん……ううん……」

 

 音に反応してか、それまで一切動くことなく眠り続けていた少女が、唸るような声を上げる。布団の中だけでモゾモゾと動く様はイモムシのようだった。

 

「……うるさい」

 

 心地よい安眠を騒音で妨害した目覚まし時計に、瞼を開けずに文句を言う。目覚まし時計としては、そうするのが使命なわけなので意図して騒音を出しているのだが。

 この耳障りな音を断つには、布団からやや離れた位置にある目覚まし時計の元まで自力で行かなければならない。

 だが、それは嫌だ。布団の外は冬の寒さ。まだ暖かい毛布にくるまれていたいし、世界一落ち着くスペースから出たくない。

 しかし少女の思いも虚しく、大きな音によって眠っていた意識は否が応でも覚醒していってしまう。

 

 ……なんとなくここで止めに行ったら負けなような気がする。

 

 少女はいつの間にか変な意地を張ってしまっていた。

 布団から出ずに安眠を取り戻すには、無理やりにでも意識を睡魔に沈め直すしかない。少女は、それまで顎の下に敷いていた枕を頭の上へ敷く。そのまま枕の両端を押さえ、目覚まし音、ひいては外界の音すべてをシャットアウトしようとしたが───

 

 

ピピピピピピピピピピピピピピピピピピ

 

 

 目覚まし時計()は予想以上に強かった。僅かな隙間から入ってきた騒音によって鼓膜が震わされる。というか、そもそも何としても寝直そうと気張っている時点で、無意識に体には力が入り『睡眠』とは程遠い状態になっていく。

 やがて枕を被ったまま、少女の体は小刻みに震え始め、

 

 

「だーーーーっ!!うっせぇぇぇぇぇーっ!!!」

 

 

 少女───望月の我慢のダムはついに決壊した。

 

 

 

「ちーーっス……」

 

 マルロクサンマル。

 顔を洗い終えたあと、望月は執務室へと入る。執務室には誰もおらず、電気もついていない。書類や道具が所狭しと置かれているはずなのに、今日の執務室はやけに広く思えた。

 

「あれ」

 

 望月は一瞬、ここが本当に執務室なのかと疑った。

 おかしい。本来ならこの部屋には、自分の他にもう一人男性がいるはずだ。いつもナヨナヨしていてどこか頼り無さげな、でも望月の知る中では誰よりも頼りになる男性が。

 冷たい空気を服越しに感じながら歩くと、備え付けの見慣れたテーブルの上に、見慣れないものが置かれているのが見えた。

 

「……あ、そうだった」

 

 それを見て、望月はすべてを思い出した。

 テーブルの上に乗っかっていたのは、近くのコンビニで売っているような普通の唐揚げ弁当。そしてその上に、割り箸を重石(おもし)代わりにした一枚の紙がある。

 紙には提督の字で、こんなことが書かれていた。

 

『たぶん僕が帰ってこれるのは夜だと思います。時間がなかったので朝の分しか用意できなかったけど、金は僕の机の引き出しに入れておいたので、昼と夜はそれを使って適当に何か買ってください』

 

 忘れていた。彼女の夫は、昨日から仕事中だ。

 確か、提督の『上』にあたる高官方への報告会という名目だったと思う。かなりの遠方らしく、泊まり込みになり、翌日───つまり今日だ───まで仕事も入っており、鎮守府にいないのだった。恐らく今頃は、向こうでいびりともストレス発散ともつかない『指導』を受けていることだろう。「南無」と望月は姿の見えない提督に手を合わせた。

 ということは、今回の朝食は一人で摂ることになるのか。

 

「…………」

 

 ……それは、とても珍しいことのように思えた。

 なぜだろう。自分は、一人でも問題なく過ごせる気質(タチ)で、どっちかといえばそういうキャラなのに。

 椅子に掛け、弁当の蓋を外す。外した瞬間、空気に唐揚げの匂いが混ざった。

 レンチンはしない。基本的に望月は熱いのなんて苦手だし、なによりレンジは食堂の方にしかなく、今からそこまで行くのは面倒くさいし面倒くさい。

 

「いただきます」

 

 というわけで、そのまま食べ始めることにする。

 割り箸を珍しく綺麗に割り、望月は白ご飯の方から掴み取ってモソモソと食べていく。

 

「…………」

 

 何も喋らず、栄養摂取のためでしかない食事は、ひどく早く進んだ。機械になったように無言で口と手だけを動かす。

 一人きりでの食事で、「美味い」とか言うことはないし言う必要もない。唐揚げの味を舌が認識せず、気づいた頃には弁当は空になっていた。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 手を合わせる。

 食べてる最中の記憶がないが、感覚では腹は膨れているので自分はちゃんと食べていたのだろう。

 ……不思議だ。自分のことなのに、ひどく曖昧だった。夢の中で夢を見ているように、今の自分の行動に現実味を持てない。

 

 ……食事というのは、こんなにも空虚だったっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 箱をゴミ箱に捨てると、望月はゴクゴクと水を飲む。飲み終わると、秘書艦席───ではなく提督用の椅子へと座った。

 提督がいないのであれば、今日一日は望月が提督代理をするということになる。艦娘が代理で提督をするなんて、他の鎮守府ではもっとややこしい手続きがあってもおかしくないが、二週間通しても数えるほどしか深海棲艦が来ないこの鎮守府ならば、別に気にしなくていいだろう。

 それに、望月は(やる気はともかく)実力的にも提督からの寵愛的にも申し分ないため、ここの艦娘内で基本的に『鎮守府のNo2』として認識されている。特に問題はない。

 

「はぁ……」

 

 やりたくねーなぁ、と呟きながら腕を机に乗せて頭を下げる望月。目下には文字がびっしりと書き込まれた書類がある。

『提督』が今日に本来こなす分の書類は、彼が報告会の方への荷物として一緒に持っていっている。向こうでついでに終わらせるらしい。

 となると、望月が『提督』としてこなさなければならない仕事は存在しないのだが、彼女には『秘書艦』としての仕事がある。ここの所サボり続けていたせいで、かなり溜まっているのだ。

 

「めんどくせぇ……」

 

 ボールペンを手にはしたものの、どうにもやる気が出ず(まぁそれはいつものことだが)机の表面に頬を引っ付ける。季節は二月に入り冬としての全盛期は過ぎたものの、まだ空気の温度は低く、机も冷たい。しばらくその体勢で、壁に掛けてある時計の秒針を目で追う。

 

「はぁ……」

 

 ため息をこぼす。

 朝食に続き、奇妙な感覚だった。落ち着かない、が言葉としては一番近いだろうか。

『辛い』ほどではない。でもなんだか、『ダルい』で済ませられるような感じでもない。

 眠いわけでもない。むしろ珍しく目が冴えに冴えて眠れる状態じゃない。

 なんだろうこう……夏休み終了が十日後に迫っているような気分というか、嫌いな授業を五時間目に控えた昼休みの時間のようというか……わかりにくいのは望月も承知だが、とにかくそんな風にしか表現できない感覚なのだ。

 

 (前までは、こんなことなかったってのに……)

 

 ふと机に意識を戻してみると、机からは提督の匂いがした。特徴があるわけではないが、一緒にいる内に自然と覚えてしまった、彼の匂い。

 望月は別に匂いフェチの気があるわけではない。だが今の望月にとってソレは、まるでお香のように安心感を得られるというか、心の隙間を埋めてくれるモノのように思えた。

 顔の半分を机に付けたまま、望月はその形の無いモノを掴もうとするように掌を上げた。

 

「艦隊帰投したっぴょーん!!」

 

「ちょっと卯月姉さん、ノックぐらいしてください……」

 

 

 そしてその瞬間に執務室の扉が開いて、望月は心臓が口から出るかと思った。

 素早く頭を上げて腕を元の位置に戻し、さも今まで普通に執務をしていたかのように取り繕う。

 扉へ目を向けると、そこにいたのは緋色の髪のイタズラっ娘である卯月と、黒髪の真面目っ娘である三日月だった。

 

「お、おはよう三日月……何か用?」

 

「? 用という程ではありませんけど……遠征の報告書を纏めたので、確認してくださいね」

 

「ああ遠征……遠征ね」

 

 そういえば早朝から、三日月たち第二艦隊が遠征へと行っていたような気がする。意識が覚めるまでの話は、右から左へ聞き流す傾向があるのですっかり忘れていた。

 報告書を三日月から受け取り、判子を押す。

 

「ありがとうございました。代理提督」

 

 三日月にしては珍しくイタズラっぽい笑みを浮かべると、彼女は背を向けそのまま扉へと向かう。

 なんとか誤魔化したか。

 望月がそう思ったのも束の間、それまでやけに静かだった卯月が、ニュッと体を伸ばしてくる。

 

「望月、何か隠してるっぴょん?」

 

 鋭く細められた目が射抜くように見つめてきて、望月は息が詰まりかけた。

『何かあった?』ではなく『何か隠してる?』ときたか。日頃から他の艦娘にイタズラをしているだけあって、何かを隠している人間の態度というのはよくわかるのかもしれない。

 

「いや……別になんでもないよ」

 

 とりあえず望月は、自分の中で最大限の『興味ないね』風の顔を作り執務に戻ろうとする。が、手元の書類を確認してみると、急いでいたためか上下反対になっていた。慌てて直したが、その場面を卯月にバッチリ見られてしまう。

 

「ふふ〜ん?」

 

 綺麗な猫口を作って笑う卯月。『ニマニマ』という効果音がこれ以上なく似合いそうな顔だった。

 望月は思わず舌打ちしそうになる。

 私的絶対に弱味を見せてはいけない艦娘ランキング一位の卯月にあの現場を見られてしまうとは、なんたる不覚だ。自分もかなりヤキが回ったということだろうか。いや、何のヤキかは知らんけど。

 だが、ちょうど良いオモチャを見つけた卯月が言葉を発する前に、

 

「さ、長居してても悪いですし早く戻りましょうか。私達はこれから足柄さんにお手伝いを頼まれていますし」

 

「ぴょん?」

 

 三日月が横から卯月の方肩を掴んだ。

 その瞬間、それまで喜色満面だった卯月の顔に冷や汗が浮かび始める。

 

「あー……そう言えばうーちゃん、急用があったのを思い出したっp」

 

「はい。ですからその『急用』は足柄さんのお手伝いのことですよね?早く行きましょう」

 

 有無を言わさぬ三日月のプレッシャーに、部外者のはずの望月も卯月と同じ表情をしてしまう。

 

「先日、足柄さんから『とある艦娘に「ウィーリーを探せ」を貸したら次の日にウィーリー全てに丸が付けられて返ってきた』という相談事を受けましたので。一緒に解決しに行きましょうか」

 

「うっわ。卯月姉さん、それ普通に犯罪だよ」

 

「い、いや〜なんのことだかうーちゃんちょっと……」

 

 まだ卯月はボソボソと言っていたが、三日月によってズリズリと引きずられていく。

 二人が部屋を出る直前、三日月が首だけで望月の方を振り向いた。目を合わせたまま、小さくウインクする。

 それだけで望月にはわかった。彼女も卯月とは違う形で何かしらを察し、望月を一人にしようとしてくれているのだろう。三日月はそういう艦娘だった。

 

 (……ありがとな、三日月)

 

 ウインクを返し感謝の意を伝えると、三日月は小さく頷いてから部屋を出ていった。

 ……しばらくしてから『ぴょおおおおおおおおおん!!?』という兎の断末魔のようなものがした気がするが、望月は聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

 未だかつて、夕方までの時間をこれほどまでに長く感じたことはなかった。執務も終わり、することもなく眠ることも出来ず佇んでいると、時間とは途端に遅く流れるものだ。

 結局、執務室の窓にオレンジ色が差し込み始めたのは、上を向いて数えていた天井のシミの数が700を超えたあたりだった。

 視線を下ろし、扉あたりをぼんやりと見つめる。

 

「……晩飯食いに行くか」

 

 尻と一体化していたかと錯覚するほど長く座っていた椅子から望月は立ち上がる。

 時計に示された時刻はヒトハチマルマル。晩ご飯には少し早い。しかし、本当にすることがなく、眠くもならないのだ。何か食べて腹が膨れれば、その内嫌でも眠くなるかもしれない。

 

 

 

 間宮食堂に到着すると、間宮さんはいつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれた。

 

「あら、望月ちゃん。もうお腹空いたんですか?」

 

 正確には腹が空いたわけではないのだが、素直に頷いておくことにする。ここで首を横に振れば、きっと朝から体に感じている違和感のことを説明しなければならなくなるだろう。

 それは困る。なんせ当の望月にすらわからないのだから。

 

「はいどうぞ。今夜はカツカレーですよ!」

 

「……ん」

 

 今の状態でこんなガッツリしたメニューか、と望月は思った。彼女の小さな胃では少しキツイかもしれない。ポテチならいくらでも食べれるのだが。

 そんなことを考えていると、間宮さんが不意に言った。

 

「なんだか、今の望月ちゃんってすごく新鮮ですね」

 

「え?」

 

「だってここの望月ちゃんと司令官って、いつもどっちかがどっちかにベッタリなんですから。一人きりの望月ちゃんって、すごく珍しいですよ」

 

「あー……そうかも」

 

 苦笑いする。

 確かに言われてみればそうかもしれない。望月はあまり他の睦月型(姉達)と食べるような柄でもないし。

 

 (まさか、ソレが朝から感じてた違和感の正体?)

 

 その言葉が引っかかる。

 望月の中で、絡まっていたピースが上手くハマったような気がした。

 

 (いつも一緒だった司令官がいなくて、調子が狂っている?)

 

 そんな簡単なことで、自分の感覚というのはおかしくなってしまうのか?

 信じられないようだった。あのグータラで、何事にも真摯に向き合わなかった自分が?

 

 (だとしたら……)

 

「望月ちゃん? どうしました?」

 

 急に黙り込んだ望月に、間宮さんが心配げな声を上げる。その声に、望月は「なんでもない」と首を振った。

 

「それじゃあ、アタシは執務室の方で食べるから、おぼんは後で返しに来るよ」

 

 それだけ言って、望月は間宮食堂を後にした。

 いつも通りの足取りで。むしろ何かを認めて肩の荷を下ろしたように、軽くなって。

 

 

 

 廊下に他の艦娘の姿はなかった。

 もともとこの季節に、寒い室外に出る艦娘は少ないが、今日は一段と少ないようだった。

 足の動きに合わせて、おぼんに乗ったスプーンがカラカラと音をたてる。こうやって一人でおぼんに乗った晩飯を運んでいると、昔を思い出す。

 ここの提督に拾われる前の、タチバナの元にいた頃を。

 

 あの頃はいつも一人だった。こんな風に晩飯持って一人で外に出て、港で食べていたものだ。

 もともと一人を苦に感じない気質(タチ)だったのもあり、慣れればどうということはなかった。 

 そう考えると、ある意味今の状況はタチバナの元にいたときと変わらない。現に今日会話をしたのは、先程の卯月と三日月、それも業務上の話だけだ。

 

 あの頃に戻ったと思えば、何も感じることはないはず。昔取った杵柄、というわけではないが、一人での過ごし方、しのぎ方は心得ているつもりだった。

 

 つもりだったのに────。

 

「……あれ」

 

 ただひたすらに床だけを見つめて歩いてると、いつの間にか執務室に着いていた。

 そこで望月は、初めて顔を上げて止まった。

 帰り道、おぼんを持ってこようとすると両手が塞がることは分かりきっていたので、執務室の扉は事前に少し開いておいた。

 それが今はキッチリと閉められている。

 おかしい。うっかりミスではない。確かに自分は扉を開けていたはずだ。

 ということは通りすがりの艦娘が締めてしまったのだろうか? だとしたら面倒だが……。

 しかしその時、望月の脳裏にとある直感が浮かんだ。

 

 スプーンを落としそうな勢いで望月は扉に飛びつくと、足で何回か扉を叩く。一見すると無駄な行動だが、望月の予測が正しければこれで通じるはずだ。

 数秒ほど経った後、不思議なことに執務室のドアノブが独りでに回った。

 望月が回したのではない。となれば、部屋の向こうから回されたのだ。

 

 キィ、とゆっくり扉が開くより早く、待ちきれずに望月は足で無理やり押し開けた。

 果たして、露わになった執務室の中には、見知った人影が立っていた。

 

 

「あっ……しまったな。驚かせるつもりだったんだけど、失敗しちゃった」

 

「……司令官?」

 

 

 そこにいたのは、確かに提督だった。見慣れた白い軍服に、同じく白い軍帽を被り、まるでサプライズの準備中に本人が来てしまったような、困った笑みをしている。

 

「……帰ってくるのは、深夜って言ってなかった?」

 

 数秒ほど固まったあと、望月の中で他のどの感情よりも勝ったのは、まず戸惑いの感情だった。

 提督は「うん。僕もそのつもりだったんだけど」と前置きする。

 

「思ったよりも仕事が早く終わったんだ。だからさっさと切り上げて帰ってきた」

 

「そっか」

 

 提督が説明してる間に、望月はゆっくりと晩飯の乗ったおぼんを机に置いた。二人の距離は、歩幅に換算すれば三歩分ほど。

 顔を少し上げれば、すぐ近くに彼の顔がある。

 

「まぁ、早く終わったんならよかったじゃん」

 

「そうだね……あー、あとまぁそれと、早く帰ってきた理由はもう一つあって」

 

「ん?」

 

 提督は何故かそこでポリポリと頬を掻き、しばらく言い淀む様子を見せた。だが、やがてはにかむように笑いかける。

 

 

「もっちーに早く会いたかったから、かな」

 

「────」

 

 

 その言葉でもう限界だった。

 一瞬だった。

 望月らしからぬ俊敏さで、彼女は提督へと体当りするように胸へと飛び込んだ。

 

「どぉっ!??」

 

 突然の強襲に、提督は対応できなかった。とりあえず望月の背中に手を回して彼女は無事に抱きとめたものの、次の時には提督の足も宙を泳ぐ。

 そのまま夕日が差す執務室にて、二人の影が一つに重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、あーん」

 

「あーん」

 

 

 モグモグモグ

 

 

「はい、あーん」

 

「ん」

 

 

 モグモグモグ

 

 

「はい次、カツ乗っけてるからね?」

 

「りょ。あーん」

 

 

 モグモグモグ

 

 

「ねぇ望月」

 

「なにさ、司令官」

 

「そろそろやめない? この体勢とこの食事方法」

 

「やだ」

 

 それから数十分後。

 望月は提督に晩飯を食べさせてもらっていた。

 いや、より正確に言うなら、『提督に膝枕されながら、カツカレーをあーんしてもらっている』という状態だ。快適なのか不便なんだかよくわからない。

 

「もっちー……これ食べさせづらいんだけど」

 

「うん。アタシも食べにくい」

 

「えぇ……」

 

 体を横にしながら食べている形なので、飯がちゃんと食道を通れているか不安である。とりあえず、望月がいつゴホゴホいっても良いように水は近くに置いている。

 提督はヒヤヒヤしっぱなしだが、望月はそんな心など知らぬように食事(?)を続けている。気のせいか、今の望月はいつもに増して気ままで読めない。

 提督の膝に頭を預け、はみ出した足を投げ出して、ただ運ばれてくる食事を口に含む。まるで『自分で何かをする』ということを拒否しているかのようだった。

 

「はい、もうこれで終わりだよ」

 

「そっか。ごちそうさま」

 

 提督が空っぽになった器を見せると、望月は静かに手を合わせた。……膝枕されたまま。

 膝枕されたまま飯を食べ、そのまま食べきってしまうなど、然るべき人が見れば激怒不可避な行動だろうが、まぁこの場面を見てるのは提督と望月だけなのでいいだろう。

 それよりも望月が無事にカツカレーを食べ終えたことに提督は胸を撫で下ろしたい。

 

「ほら、じっとしてな」

 

「ん」

 

 変な体勢で食べた為か望月の口元はカレーですっかり汚れてしまっている。提督は苦笑いしながら、ウェットティッシュで彼女の口を丁寧に拭いてやった。……絵面だけ見れば、『お母さんといっしょ』とかのワンシーンにも使えそうな光景だった。

 拭き終えてウェットティッシュをゴミ箱に放り投げると、「あんがと」と望月は言った。

 ……そして引き続き彼の膝の上を占領する。

 そろそろ足痺れてきたんだけどな、と提督が額に青い線を掛け始めていると、出し抜けに望月が口を開いた。

 

「ねぇ、司令官」

 

「……うん?」

 

 その声音は望月らしからぬ、どこか憂いのようなモノを帯びていた。

 だから提督も呆れるのをやめて、黙って耳を傾ける。

 

「今日さ、司令官がいなくなってわかったよ」

 

「……何をわかったの?」

 

 泣いている子供に事情を尋ねるように提督は訊く。

 彼女の返答にはしばし間があった。

 だが、やがて言葉が紡がれる

 

 

「アタシさ、弱くなっちゃったよ。それもすごく」

 

 

 言葉は、静かに空気中へ溶けていった。

 

「これまで一人なんて……アタシにとっては当たり前で……むしろ気楽なものであったハズなのにさ。今は一人になると落ち着かないし、過ごし方も全然わからない」

 

「…………」

 

「一部じゃ『ダウナー係艦娘』とまで呼ばれてたのに、ホントおかしいよな。ひっさびさに一人になって過ごしてると、『あ、アタシってこんなに何も持ってなかったんだな』って思っちゃった(・・・・・・)」。

 

 提督を見上げず、ただ前だけを彼女は見ている。懐かしむように目を伏せながら。

 

「所詮、アタシらは無機物で造られた塊。そんな存在が何かを持つなんて無理だと思ってたし、空虚なことが当たり前で、それを疑いもしなくなってた。

 ……だけど今は、それがすごく……嫌になる」

 

「……うん」

 

「思えば、司令官がタチバナの鎮守府から連れ出してくれたあの日から、アタシは少しずつ弱くなっていってた気がする。

 あの日初めて『貰って』、最初はまぁたまにはこんなのも悪くないか、程度だったのに、いつしか貰うのが当たり前になっていってた。そしてそれが……心地よかった」

 

 提督は何も答えなかった。代わりに、無言で彼女の耳元に手を置き、茶髪の髪を優しく梳く。

 それを受け、望月は自嘲するように乾いた笑いをもらした。

 

 

「タチバナの鎮守府にいた頃は、『駆逐艦なのに軽巡艦以上の強さ』が取り柄だったのにさ。もうたぶん、前みたいには戻れない。

 今のアタシなんて、司令官に構ってほしいがために怠けるようになったし、柄にもなく浴衣とか着るようになったし、あと────」

 

 

 そこで望月は一旦息を詰まらせ、それから意を決したようにまた息をはいた。

 

 

「────独りでいることが、嫌になった」

 

 

 認めざるを得ない、というような表情(かお)だった。今の望月は。

 

 

「ねぇ司令官」

 

 望月がゆっくりと顔を上げる。提督もゆっくり顔を下げた。

 瞬きすら、惜しいと思える時だった。

 

 

「こんなに弱くなって、良いのかねぇ」

 

 

 どこか哀愁さえ漂わせるような呟き。

 しかし、それ対する提督の答えは、先程までと対象的にすぐに発せられた。

 

 

「良いに決まってるでしょ」

 

 

 普段の弱々しさが嘘のような、強い表情だった。

 迷う余地などなかった。

 そもそも、これを言ったのが望月じゃない艦娘だろうが提督の答えは変わらないのである。

 

 だって、提督はそれがダメなことだなんて、ちっとも思わないから。

 

 

「人って、何かを貰ったら弱くなる。与えられたら甘えてしまう。でも、それで良いと思う。それは、人として当然の弱さじゃないから」

 

 

 そこでようやく、望月は提督を見上げるように頭を動かした。

 二人の視線がぶつかり、絡み合う。

 

「だから、それで良いと思う」

 

「そっか」

 

 その言葉を受けて望月は────安心したように笑った。

 提督は髪を梳く手を止め、その手を彼女の顎へと移動させる。まるで固定させるように。

 望月は一瞬だけ表情が固まったが、やがてゆっくりと瞼を閉じた。その警戒心も何もない行動に、思わず苦笑してしまう。

 サインはお互いに理解した。なら、後は実行するたけ。

 顔を下げ、顔を近づけていく。提督の瞳に映る彼女の顔が大きくなっていき、やがてピントが合わなくなり、そして、

 

「んっ……」

 

 距離がゼロになった。

 触れ合った時間自体は一瞬だっただろう。だが、二人にとっては永遠にも思える時間だった。

 ちゅぱ、と微かな水音と共に二人の唇が離れる。瞼を開けると、ピントが合わなくなっていた顔が元通り見えるようになってきた。

 望月の頬が朱に染まっているのがわかる。たぶん提督の頬も同じような感じだろう。

 なんだか久しぶりな気がするキスの味に、提督は微笑した。

 

「……カツカレーの味がした。望月の唇」

 

「……ちょっと、ムード壊すなっての。まぁ、アタシもそういう流れになってから『あ、カツカレーやばいかも』て思ったけどさぁ」

 

 二人で笑い合う。

 表情筋が完全にふやけた、良い意味で間の抜けた顔だった。

 

「絶妙に締まらないなぁ。なんだかいつも」

 

「別にいいんじゃない?」

 

 気づかぬ内に、またどちらともなく顔が近付いていく。

 

「それがアタシ達の良さだと思ってるし、少なくともアタシは好きだよ」

 

「違いないね」

 

 望月の腕が提督の首にかかる。彼女の体重を感じながら、再び瞼を閉じる。

 先程の再現のように、また二人の顔が重なった。

 

「んんっ……ん……」

 

 今度のキスは、一回目よりも少し長かった。膝と唇越しに通じる体温。命があるものからしか感じられない感覚。

 ここで止まれるかな、と提督は一瞬訝しむ。念の為、扉に鍵をかけにいっておいた方がいいだろうか。

 ……でもまぁ、それは後でいい。今は、ただこの温かさに溺れていたい。

 

 

 

 

 寒さを伝え続けてきた空は、やがて晴れて春の到来を告げる。

 きっと、これからも続いていくのだろう。

 

 

 不器用で、めんどくさくて、だけど愛おしい、望月との日常は。

 

 




これにて終了です。
拙いお話でしたが、ここまで付き合っていただきありがとうございました!
機会があれば、またお会いしたいです。
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