特に事件が起こるわけでもないので退屈な話かもしれません。
マルゴーサンマル。
目覚まし時計に叩き起こされて、提督の朝は始まる。
ここは執務室の隣にある部屋。いわば、提督の私室だ。私室といっても、仕事柄でほとんど執務室に張り付いている提督にとって、私室なんてものはほとんど使わない部屋である。なので、部屋は二人分の布団が敷けるスペースだけを空けて、そこ以外には段ボールばかりが積まれてる物置と化している始末だ。
その狭い部屋で、提督はゆっくりと上半身を起こす。上半身を起こしてから、大きなあくびを一発。そうして数十秒ぼーっとしていると、少しずつ意識が覚醒していった。
「う……うん……」
そんな提督の行動に釣られてか、提督の隣で眠る望月がモゾモゾと動く。トレードマークの眼鏡は外されており、服装もいつもの制服ではなく、水色のシンプルなデザインのパジャマだ。
ケッコンしている都合上、望月と共に夜を迎え、布団を並べて寝ることは珍しいことでもなんでもない。
ケッコンしたての頃は、やれ部屋が埃臭いだの備え付けのベッドじゃないと嫌だの色々と不満を言われてたが、今ではそんな文句はどこへやら。ずっと前からこの部屋で生活していたように、望月は眠りについている。安心しきっているのか口が半開きになっており、そこから少し涎が垂れているほどだ。
その様に提督は小さく笑いつつ、彼女を起こさぬように涎をティッシュで丁寧に拭き取った。そしてぐっすり眠る望月の顔を脳裏に焼き付ける。
望月の寝顔を見た者は多数あれど、ここまで心を許しきった、だらしない顔を見れるのは夫である自分だけだ。そう思うと優越感というか、提督の背中になにやらゾクゾクとしたものが込み上げてくる。
とは言え、望月の寝顔を見ていると平気で一時間ほど時間が過ぎてしまうので、ここらで切り上げておこう。提督はゆっくりと布団から抜け出した。
食堂へ着くと、トースターに食パンを放り込み、自販機でコーヒーを買っておく。そしてその足で、鎮守府の門にある郵便受けへ新聞を取りに行き、また食堂へ帰ってくる。その頃には、だいたい食パンはトースターの中で良い色になっている。後は取った新聞紙をテーブルに広げ、トーストを皿に乗せ、コーヒーを置いたら完成だ。
これが提督流の(自称)優雅な朝の食卓である。こうやって新聞紙を見ながらトーストを齧るのがなかなかに乙なものなのだ。
さして面白くもない四コマ漫画を見てから、紙面にざっと目を通す。やれ芸能人の誰々と誰々が離婚しただの、政治家が汚職をしただの、相変わらず代わり映えのしないニュースが取り扱われている。これ書いた記者は、今が戦争中だということをはたして理解しているのだろうか。
(ま、戦争の真っ只中にいるウチの記者も、似たようなゴシップ記事書いてるんですけどね……)
脳裏にとあるピンク髪の重巡艦が浮かび、提督は思わず苦笑いした。
さらに新聞紙を読み進めていくと、一枚の大きな写真が目に入った。恐らくそのページのトピックに関するものだろう。
その写真は、とある鎮守府を写したものであり、見出しには『◯◯鎮守府、◯◯海域奪還!!』と書かれている。
「あの海域、奪還されたんだ」
トーストをコーヒーで流し込み、提督は目を見張る。◯◯海域といえば、要奪還海域の中でもかなり優先順位が高かった海域のはずだ。攻略しようにも、戦艦や空母のflagshipが多数おり攻めあぐねている、という状況だったのだが━━━。
改めて写真を見てみると、その鎮守府の前には誇らしげな顔の長門や武蔵がおり、その後ろには見覚えのない提督の姿が写っていた。
自分の先輩にあんな顔の者がいた覚えはない。ということは、自分よりも後に着任した者だろう。
「ひぇ~……。俺より提督歴短いのに、すげぇ戦果上げちゃって……」
ロクに戦果を上げられていない自分との才能の差をまざまざと見せつけられたようで、笑うしかなくなる。
ここが激戦区から外れた場所に位置する鎮守府だから~、というのは言い訳にならない。実際自分の提督としての技量が低いのは事実なのだ。そろそろ何かしらの戦果を上げなければ、上層部に大目玉を食らうことになってしまい、最悪提督としての任を解かれることになってしまう。自分が路頭に迷うのは構わないが、残された望月たちがどうなるのかわからない。
いらない艦娘を主力艦娘の盾にしたり、本人の許可を取らずに解体するなど、ただでさえ鎮守府には黒い噂が飛び交っているのだ。眉唾ものだと信じたいが、もしも望月たちがそうなったらと考えると発狂しそうになる。だからクビになるのだけはなんとしても避けたかった。
提督は軍服のポケットに手を突っ込むと、そこからミニサイズの海域地図を取り出した。
「えーと……奪還された海域はここだから……」
地図に赤ペンでバツ印を書き込み、線やら数字やらを書いていく。しばらくブツブツと呟きながら提督は作業をしていた。
その作業が終わった時には、時計の針はすでにマルロクマルマルを過ぎていた。
「やっば。もう総員起こしの時間だ」
あたふたと提督は皿や新聞紙を片付けて食堂を出ていく。この時間になれば、早起きの艦娘ならばもう食堂へとやってくる。彼女らに気を使わせるわけにはいかない。
それに総員起こしがかかってるのなら、まず真っ先に最愛の秘書艦を起こさなければならない。
キィ……、とまるで空き巣犯のように静かに私室へと入る提督。敷いている布団へと近づくと、望月はさっき提督が出ていった時と同じ体勢のまま眠っていた。さっき拭ってやったのに、口からはまた涎が垂れている。
(この幸せそうなを顔の望月を起こすのは、いつも気が引けるけど……)
いくら提督が望月のことを愛していてケッコンしているといっても、彼女だけを特別扱いするわけにはいかない。
「もっちー。もっちー!起きなって!」
まず一言目は名前を呼ぶだけ。それでも起きないから二言目。ちょっと強めに名前を呼ぶ。
それでも望月はピクリとも動かない。仕方ないので三言目で体を強く揺すると、ようやく望月の体が動いた。
「……ぉあ?」
パチ、と彼女の目が薄く開く。その目はまだ焦点が合っていない。
「もっちー、もう朝だよ。今から朝ごはん作るから、早く起きな」
ペチペチと頬を叩く提督。それを鬱陶しく感じたのか、望月は毛布を頭から被った。
こりゃ長期戦になるかもな、と提督は息を吐いた。低血圧の望月は、朝はなかなか目が覚めない。
仕方なく、多少嫌われるのも覚悟して提督は毛布を剥ぎ取ろうとしたのだが、
「んー……」
望月に袖を掴まれ、提督は毛布の中へと引きずり込まれた。
「うわっ!? ちょ、もっちー!?」
不意を突かれたというのもあり、為す術なく提督も毛布の中へと入ることになった。
「しれ……いかん……」
抱き枕とでも勘違いされたのか、そのまま望月に抱きつかれる。提督の息が詰まり、心臓が高鳴った。目の前に望月の顔がある。
まだ寝ぼけているのか、目はトロンとしており、今にも閉じられてしまいそうだ。布団の中はずっと望月がいたというのもあり、外よりも遥かに暖かい。正直少しでも気を抜けば提督も一緒に寝てしまいそうである。
いや、むしろそれもいいかもしれない。望月と同じ布団で寝ることなど久しぶりだし。
「うーん……」
ほら、望月もこんなにくっついてくるし。まるで母猫に甘える子猫のようだ。愛しの妻からこんなにもくっつかれて悪い気がする夫などこの世にいない。普通ならば起こすのはやめにして、このまま寝かせてやろうかとするだろう。
……が。
提督はコホン、と咳払いして、呼吸を整えてから言った。
「もっちー。アンタ本当は起きてるでしょ」
その瞬間、ビク、と望月の体が震えた。
「…………」
しばらくそのまま動かないでいたが、やがて誤魔化しきれないと判断したのだろう。望月はゆっくりと目を開けた。提督としっかり目線が合う。
「……ちっ。なんでわかったのさ……」
「これまで四回も同じ手で寝かされたらもうわかるわ」
諦めたように望月の腕が提督から離れていく。
あの甘えっぷりが演技とは……望月、恐ろしい娘!
「ほら、起きた起きた。今から朝ごはん作るから、顔洗ってきなさい」
「あ~い」
ようやく望月は布団から抜け出した。そしてその瞬間に提督は素早く敷き布団を片付ける。そうそうに寝床を無くすのが、望月の二度寝を防ぐコツである。
朝から望月流ハニートラップ(?)をくぐり抜けた提督は、せっせと朝ごはんを用意し、彼女に振る舞う。
メニューは白ご飯とハムエッグというシンプルなものだ。白ご飯の方は、猫舌気味な望月に合わせて少し冷ましてある。ハムスターのようにチマチマと食べる望月に目を細めつつも、提督はこの時間の内に彼女と予定の確認をしておく。
「へ? 出撃?」
「そ」
白ご飯をフーフーする動作を止める望月。
「深海棲艦もめったに来ないウチが? なんでさ」
「これを見て」
提督は先ほど食堂で使っていたミニ地図を望月に見せる。彼女がそれに目を通し始めたのを確認してから、提督は◯◯海域が奪還されたことを話した。
「へぇ~、またすごい戦果上げちゃって……」
適当に言いながら、望月はミニ地図に向けていた目を提督に向け直した。『読み終わったけど、これがなんなの?』というサインだろう。
「新聞記事によると、その海域から逃亡していく深海棲艦が確認されてるらしい。ソイツらの逃亡ルートを考えてみると……だいたいこの辺りにいるハズなんだよね。まぁ、俺の勝手な想像だけど」
書き込んだ線をなぞると、その瞬間、望月は不機嫌な顔になった。
提督の言ってる内容が理解出来なかったからではない。理解できたからこその不機嫌な顔だ。
「それをアタシたちに叩け、ての? なんでエリート様が取り逃した尻拭いを、アタシたちがしなきゃいけないのさ?」
「仕方ないでしょ。近頃ウチはロクに戦果上げれてないんだから……」
とは言っても、この鎮守府の提督に『上』から小言が来ることは実は少ない。それは実力を認められてるからとかそんなのではなく、単に気にもされていないからだ。
そもそも提督がこんな激戦区から外れた辺境の鎮守府に配属されたのも、前線でやっていくには提督の能力が足りなかったからだ。
言ってしまえば、別に国の役に立てるわけでもなく、(何も知らない人からすれば)兵器と同じような力を持った危険極まりない艦娘と良好な関係を築かなければならない。それが『この鎮守府の提督』である。そんな嫌な役回りを、この提督はあてがわれたわけだ。まぁ、そのスタイルはたまたま提督(と望月)に合っていたものだったのが幸いだが……。
閑話休題。
いくら『上』から期待されていないのだとしても、ある程度の戦果アピールはしておかないと不味いだろう。それに、
「新しい海域を攻略するのがエリートの役目なら、取り戻した海域をしっかり守護するのが僕らの役目さ」
「……そんなもんかねぇ」
「そんなもんだよ」
その返事を肯定と受け取り、提督は話を続ける。
「メンバーは……えっと、今日暇な娘は……。よし、筑摩さんに五十鈴、祥鳳さんに白露で、旗艦はもっちーね」
「……やっぱりアタシも出るのね」
「しょうがないでしょ。ここにいる娘はほとんど実践経験ないんだし。一番強いのはもっちーだし」
「わかってますよっと」
その言葉と同時に、望月は朝食を食べ終わった。軽くのびをしながら立ち上がる。
「それじゃ、提督のためにアタシが一肌脱ぐとしますよ」
「ん。じゃあお願いするね」
そう言って提督も立ち上がる。
だがその時。
ピト、と提督の胸に小さな掌が添えられた。
一瞬なにがなんだかわからなかったが、確認するまでもなく、それは望月の手だった。
さっきまでの面倒くさそうな顔とは違う。彼女はどこか神妙な面持ちをしている。
そのままの体勢で数秒ほどが過ぎたが、やがて望月は口を開いた。
「……あんまり、無理すんなよ」
「え?」
「後輩に追い抜かされたとか、そんなの気にしなくていいからな」
ドキ、とする。心の内を見透かされたような気がした。
確かに新聞記事のことは話したが、提督自身の気持ちを話した覚えはない。劣等感とかそういった感情は、表に出さなかったハズだ。それとも、そう思っていたのは自分だけで、実際は表情に出ていたのだろうか。
とにかく、その言葉は薬のように提督の胸に入っていく。
「アタシは『上』からの評価はどうあれ、司令官の采配を信頼してる。そのためなら危険な任務だってできる。どこまでも、ついていくからさ」
「……うん、ありがとう」
じんわりと。
固まっていた心が温かくなり、氷解していくような感覚がした。目線を上げると、望月が小さく笑う。
彼女がいるから。彼女のお陰で、自分は『提督』としていられるのだ。
提督がお世話している、という印象が強い望月だが、彼女は彼女でこうして提督を支えてくれている。提督は心の中で改めて感謝をした。
「……んじゃ、アタシはこれから着替えてくるよ。そうと決まれば早く出撃しなきゃだし。皆にも伝えなきゃだし」
言いたいことだけ言い終えると、望月はすぐに背を向けて扉へと歩きだした。まるで今にも『な~んて。今のは冗談だけどね』とでも言い出しそうな雰囲気だ。
まぁ冗談でないことは、提督が一番わかってるけど。
「あっ、望月!」
その背中に声をかけると、望月はゆっくりと振り向いた。
「……いくら疲弊してるとはいえ、残存してる深海棲艦は、元は最前線にいたヤツらだ。気をつけてね」
「わかってるよ。マルハチマルマルになったら、皆連れて出撃してくる。昼までには終わるだろうから、昼飯用意しといてよ」
言って笑って、望月は扉に手をかける。
そのまま開けて出ていくと思ったのだが、なぜかそこで動きを止めた。
提督が不思議に思っていると、望月はまたゆっくりと提督の方を見る。そして、
「……ま、心配すんなって。ちゃんと暁の水平線に、勝利を刻んでくるから」