結局、夕方まで浜辺で空を眺めていた。思えば忙殺の日々を送っていたものだ。
無人島へ来る事がなかったなら、こうして空を何時間も眺める様な日を送る事はあっただろうか。
夕日はとても美しく、力強く、切ない。
「…もう日が沈むね」
「うん。拠点に帰らなきゃ」
「もうちょっとだけ、日没を眺めていたいな」
私も同感だった。今日は夕食抜きだ。何も準備してなかった。
お腹は空いてるけど、心は満たされている。今は何もいらない。
こいしが何も言わず私にもたれ掛かる。
私もこいしに寄って身を寄せ合う。
日が地平線の向こうに消える頃、私から言葉を発した。
「…そろそろ、帰ろうか」
「そうだね」
手をつないで一緒に家への道を歩いた。
果てしない暗闇の中、私達は船を探しに飛んでいた。
「本当にこっちなのかなぁ…」
「霊夢が弱気でどうするのよ。頼りなのはあんたなんだからね」
紫の無茶ぶりは半端ない。確かに異変が起きると、何となく飛んでると異変の原因までたどり着いたりするが…。本当に幽霊船を見つける事ができるんだろうか。
今日という日を逃すと来週まで待たねばならなくなる。
…というか今日中には絶対に見つけるという紫の意気込みが肌にヒリヒリと感じて失敗しようものならどうなるやらわかったものではない。
「うう…、無限に広がる海を飛ぶ。この射命丸、まさに感涙の極み」
射命丸の興奮のしようは凄まじかった。
「何であの鴉天狗を?」
「例の幽霊船、古明地姉妹のメールを見るに幻想郷の真上から6時間前後…あるいはもっと短い時間ででおよそ6000㎞近くを移動してるのよ。私が偶然見かけた時は霧がかって見失ってしまったけど、あれが瞬間移動じゃなくて高速移動だったなら私達じゃ追えないわ」
なるほど、それでか…。
私は飛行を止めて一息ついた。
「霊夢、本当にこの辺なの?」
「直感だけどね。紫は幽霊船を目撃してるんでしょ?気だとか妖力だとか感知できない?」
「…かすかには感じるけど、ここからかなり離れてるわ。方角もずれてる」
「そっちに行った方がいいんじゃないの?」
「霊夢がそう思うなら」
「…いや、私の直感はここでいいと言ってる」
「考えている事とフィーリングが異なると、どっちを選ぶべきか迷いますよねぇ」
そんな会話をしていると、射命丸がふとあらぬ方向を向いた。遅れて私達がその方角を見ると、幽霊船がこちらに向かってきていた。まさか本当にこっちで合ってるとは。
しかし、想像していたよりもずっと遅い。追いつくぐらい訳なさそうだ。
そう思っていると霧がかかって来た。
「急いで!」
皆で船に向かって飛ぶ。
さすが幻想郷で一番早いと自負しているだけあって射命丸はぐんぐんと距離を離してさっさと船に降り立つ。私達も遅れて甲板の上に降りた。慣性の法則だか何だったかもあり、前進している船に着地すると少しよろめいた。
霧が濃くなっていく。次第に目の前の物も見えなくなって行った。
紫が私と射命丸の手をつなぐ。
「この後、この船は海に沈むわ。離れ離れにならないようにね」
言い終わるや否や、急に全員そろって水の中に沈んだ。いきなりの事で早速手を離してしまう。紫と私はすぐに上昇した。あああ、服がびっしょり。水に塗れた紫の長髪がベターッと服に引っ付いている。
「あはは、紫の髪の毛面白い事になってる」
「人を指差して笑わない!」
あんた人じゃないし。
射命丸が海から上がって来ない。見回すと、近くで手で水面を叩きながら溺れている。
「は、羽が濡れて飛べない!たすけ!」
「あんた羽で飛んでないでしょうが」
はっとした顔をすると彼女はスゥーッと空に上がって来る。
顔が赤い。
「ち、違いますからね!普段は羽で飛んでるんです!ただ、そうじゃなくても飛べるだけで…。今さっき溺れてたのはその…、とにかく今のは誰にも口外しないでくださいね!絶対ですよ!本当は泳げるんですからね!さっきのは…」
そういえば、前に一度そんな話をしていたのを聞いた事がある気がする。羽が生えてからより早く飛べるようになったとか…。どこに生えてるんだろう。それにしても必死に自己弁護してるこいつはとても珍しく、可愛い。
船が沈む事は知ってたが、霧に隠れた直後だとは思わなかった。心の準備もなく突然足のつかない水中に突き落とされれば誰でもそうなるだろう。私も紫も咄嗟に飛べたとはいえ。
あたりを見渡す。暗くて分かりづらかったが、島が見つかった。おそらくアレだろう。必ず同じ場所に沈むという話が本当ならだが。
私達は島に向かって飛んだ。話を最後まで聞いてもらえず不満そうな顔で射命丸もついて来る。
浜辺に到着した。川に浮かべるには大き過ぎる船が打ちあがっていた。
「この島に古明地姉妹がいるのね」
「それじゃ、連絡して探しましょうか」
「さすがに遅いし明日にしよう?眠いし寒いし」
妖怪の2人ならこんな環境下でも難なく探索できるのだろうが…。
濡れた服をどうにかしたいという事と、これだけ好き放題木々が生え散らかして煩雑してる森の中を私なしに2人と合流するのは骨が折れそうだと言う事で一度幻想郷に戻る事になった。
位置を特定しただけで、ちゃんと明日はここに戻って来れるというのだから紫の能力はやはり凄い。位置の正確性さえ気にしなければ行った事がない場所にも行けるのだろうか。
紫は明日迎えに行くという内容のメールを2人に送る話をすると、私達をそれぞれの家に帰してくれた。
私は携帯を閉じた。驚く事に、紫は明日には私達を連れて帰れるという話だった。
その旨をこいしにも伝える。彼女は特別に嬉しくもなんともなさげに生返事をする。
今日が終われば、いつもの明日が戻って来る。また忙殺の日々が戻って来る。
それは少し惜しくもあったけど、やっぱり嬉しかった。
家で待ってるペット達の事をぼんやり思い出している。もうすぐ帰るからね。
明日に向けて意識が落ちていく頃、すすり泣く声が聞こえた。
「こいし?泣いてるの?」
「私、帰りたくない…」
「ど、どうしたのいきなり…」
「あそこへ帰ったら、お姉ちゃんはもう私の事を見てくれなくなる。仕事やペットの事ばかりになる。今みたいに、お姉ちゃんを独り占めできなくなる」
「もう、馬鹿ね」
抱きしてあやそうとすると、こいしは私を両手で突き放した。
私は尻もちついて目を白黒させる。拒絶された?
「初めから感じる事をやめてしまえば、傷つく事なんてなくなるのに。ずっとそう思ってた。なのに、傷つくだけなのに、いつの間にかまた誰かを愛してる。好きを抑えられない」
「こいし…?」
こいしは目から大粒の涙をこぼした。サードアイの瞼が下りようとしている。
「頭が変になりそう。お姉ちゃんが好き、大好き…愛してる。だから、さようなら」
「駄目!」
私は涙をこぼすこいしに口づけをする。サードアイも、こいしの眼も皿のように見開かれた。
…キスなんて初めてだから、この後どうしていいか分からない。
唇を離すと、お互いに見つめ合う。
「えっと、それで…それで…」
頭が真っ白になる。この後どうすればいいんだっけ。
そう思ってるとこいしは私に口づけをする。
「…お姉ちゃんって残酷だね」
こいしのサードアイは開いたままだ。少し安心する。
「お姉ちゃんには分かるよね。私が抱く感情が」
……向き合わないようにはしてた。でも、分かってた。それがいつ頃だったかは覚えてないけれど、こいしが私に対してそういう感情を抱いているという事実を。
でも、第三の眼が開いているこいしには分かってしまう。私がこいしに対して抱いている感情が恋愛ではなく、家族愛である事が。私には彼女の向ける好意に応える事ができない。
こいしは心を閉ざして、自身を傷つける事実から身を守りたい。
私が今のままであって欲しいと思う気持ちは、エゴの他ならない。
彼女の言う通りだ。私は残酷なのだ。
私は彼女の好意を利用したのだ。
感情が理性の縁を超えると、溢れた分だけ目尻から零れてしまう。
「ごめん…あなたの言う通りよ。向こうに帰れば、今の様にあなたに構っていられない。意識もこいしから遠のいてしまう。そして…あなたを恋愛対象として愛せない」
こいしも泣いているけれど、先ほどとは違って落ち着いている様子だ。
「だからね…、今だけは…。お姉ちゃんの全てをあげる」
両手を広げてこいしを受け入れる。
どちらからともなく、また唇を重ねる。何度も何度も、溶け合う様に。求め合うように。この瞬間だけは何もかも本当なんだと確かめ合う様に。
火照った体に風が涼しく、脳を浸す甘美な蜜は四肢を伝い、星が夜空に浮かんでは飛び散った。
人生で最も暑い夜、白い波が意識を遠い海の向こうへ連れ去って行く。
揺蕩う心は、まるで揺り籠のようにいつまでも私達を揺らしていた。