鋳造の採石者   作:放出系能力者

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案山子男のドラジッド
1話「底の底」


 

 フラム=ビジー。男性、14歳。職業、迷宮鉱夫。その生活はドン底だった。

 

「おら起きろクソガキども! 地底に突き落とすぞ!」

 

 朝4時起床、ろくな明りもない暗がりの中、必要最低限度の粗食を与えられる。ただ、鉱夫という力仕事をさせられているだけあって、質はともかく量だけはそれなりにあった。

 

「おい、フラム。飯よこせ」

 

 フラムの場合はその量の確保すらままならない。同じ鉱夫奴隷の仲間うちにもヒエラルキーが存在し、親分の要求に逆らうことはできないのだ。奴隷生活における唯一の楽しみすら満足に味わえない。

 

「どうぞどうぞ! 俺のでよければいくらでも持っていってください!」

 

「おう、いつも悪ぃな」

 

 だが、フラムはむしろ進んで親分にゴマを擦っていた。腰巾着としての地位を築き、自分も甘い汁を吸うためだ。彼は自分の行為を恥じてはいなかった。媚を売れることもまた一つの才能だ。

 

 つまらない自尊心にこだわって、いけ好かない態度を取ることは誰にでもできる。フラムはそんな連中よりも、自分の方がよほど誇り高い人間だと思っている。欲望を理性で抑え込み、頭を下げることができるからだ。

 

 一理あるかもしれないが、客観的に見ればただのクズだった。

 

 早々に朝食の時間は終わり、便所を済ませれば後は夜まで働きづめだ。魔導式トロッコに乗せられた鉱夫たちは次々に迷宮の最下層へ降ろされ、その日の採掘作業が終わるまで寝床に帰ってくることはできない。

 

 その場所は『大精霊の釜』と呼ばれる最古の迷宮だった。地表部から確認された穴の外周は一日中歩いても踏破できず、すり鉢状に窪んだ穴の底はこの世で最も地獄に近い場所と言われている。

 

 古くから伝承の中にその名が登場し、庶民の間では恐ろしい場所のように思われているが、噂されるほどの危険はない。迷宮としての活動はとうの昔に終わっている。新興の迷宮に比べれば、中に人が住めるほど安全な場所だった。

 

 要するに、ただの採掘場である。最深部からは、ここでしか採れないレアメタルが産出されている。ただしその劣悪な環境のため、労働力として使い潰しのきく奴隷鉱夫が大量に集められていた。

 

 フラム=ビジーもその一人だ。彼は奴隷としては珍しく名字を持っていたが、他人の前で口にしたことはない。貴族にしか名乗ることの許されない名である。

 

 数代前までは貴族をやっていたらしい。お前には青い血が流れていると父親が誇らしげに語っていた。その父親に借金のかたとして売られ、ここに落とされたわけだが。

 

 フラムのように人身売買された者、犯罪者またはその家族など奴隷に堕ちる理由はいくつかあるが、いずれにしても死ぬまで自由はない。彼らはまるで出荷される家畜のような気分でトロッコに乗っていた。

 

 最下層に到着した鉱夫たちは各班に分かれて持ち場につく。現場の監督は班長に任せられているが、それも全て奴隷だ。班ごとにノルマ分の採掘ができなければ罰が下る。

 

 それも時間いっぱい働いてようやくひねり出せるノルマである。班員は互いに監視し合い、サボることは許されない。

 

「何やってんだフラム! もっと手を動かせ!」

 

「はいぃ!」

 

 もっとも指示を出すという名目で班長は楽をしている。その分のしわ寄せは当然、班員に回ってくる。この班ではフラムが一番若いので一番こき使われていた。親分に怒鳴られながら、すきっ腹を抱えて掘削ドリルを壁に突き立てる。

 

 世間ではここを最も地獄に近い場所と呼ぶ。確かにその通りだった。粉塵が舞い、落盤の危険にさらされる。しかし、迷宮鉱夫の死因の首位は、それら一般の鉱山にもあり得るリスクではなかった。

 

 それは『迷宮病』と呼ばれている。迷宮に深く潜り過ぎた採石者は頭が狂って死ぬという。原因はよくわかっていないが、迷宮内の魔力変質が起きた場所に長期にわたり滞在し続けると脳に何らかの影響があると考えられている。

 

 ここは既に死んだ迷宮とはいえ、最下層には大気中に魔力が濃縮されている。たびたび迷宮病を発症する鉱夫が現れた。そうなるともう治す手立てはないので、仕事ができなくなるほど狂った者から順に処分されていく。

 

 鉱夫たちが毎日時間をかけて詰所まで上り下りしているのも、この迷宮病の発症リスクを少しでも下げるためだ。それでも日々、体内に蓄積された魔力が完全にリセットされることはない。少しずつ、じわじわと精神を蝕まれていく。

 

 それが迷宮鉱夫の末路だ。音もなく、影もなく忍び寄る恐怖を見ないふりして働くしかない。

 

「なめてんのかフラム! もっと腰入れろ、腰!」

 

「はいぃ!」

 

 使い古した魔石駆動掘削機は耳が痛くなるような騒音をまき散らすが、その威勢に反して全く壁に食い込まない。ドリルは交換したばかりだったので、壁が異常に硬いのだろう。場所の移動を提案したかったが、下っ端のフラムからは切り出しづらかった。

 

 そのとき班長はかすかな異変に気づく。曲がりなりにも現場を取り仕切っているだけのことはあり、我が身に降りかかる危機に関しては抜かりなく察知していた。

 

「逃げろ!」

 

 その大声を聞いた班員たちは、採掘道具を投げ出して一斉に走り出す。だが、騒音の中心にいたフラムだけはその声を聞き取ることができなかった。

 

 直後、頭上の岩盤が崩落した。フラムを除く班の全員が、間一髪のところでこの危機を脱していた。フラムだけは瓦礫の中に埋もれてしまった。

 

「大丈夫か!?」

 

「う……は、はい! 無事です!」

 

 どうやら下敷きにはならずに済んだ。しかし坑道は厚い岩盤で分断され、フラムはその奥に閉じ込められてしまった。

 

「……損失1か」

 

「それよりも採掘機がおしゃかになったことをなんて上に報告すれば……」

 

 なにやら不穏な気配を感じ取ったフラムは必死に助けの声をあげる。壁が厚くて声が届かないのだろうと思った。だが、それならばなぜ班長達の会話が聞こえてくるのだろう。

 

 それでもフラムは班長達を信じていた。こういう時のために普段からおべっかを使ってきたのだ。ここで見捨てられてしまっては何のために媚びへつらって来たのかわからない。

 

 まだ声が届く距離なのだ。十分、助けられる。少なくともフラムはそう信じていた。

 

「とにかくここは離れた方がいい。まだ落盤するかもしれん」

 

「そうですね」

 

 やがてその会話すら聞こえなくなった。

 

「くそったれが! 死ね! ここから出たら殺してやる!」

 

 小声で暴言を吐き、明かりもない真っ暗な空間を手探りで這いまわる。どこかに通れる隙間がないか必死で探す。それが駄目ならドリルで道を作る手も考えた。

 

 だが、まっすぐ壁を掘れば見事脱出口が開けるなんて簡単な話ではない。魔石駆動式の掘削機だろうと限度がある。何メートルも掘れるものではない。

 

 さらに落盤が発生した不安定な坑道だ。通路を塞ぐ岩は掘っても上から降りてくる。最悪、それに潰されて死ぬ。班長達の判断は諦めの早さこそあれ、妥当だった。

 

「え、死ぬの……?」

 

 フラムはこれまで死にたいと思わなかった日はなかった。死んで楽になりたいと思いながら生きてきた。それでもいざその時になってみれば、まるで現実味を感じない。何か自分がふわふわとした、得体の知れないものに包まれているかのようだった。

 

 自分は高貴な人間であり、今の姿は仮初でしかない。いつか自由になって周囲を見返してみせると心の中で意気込んでいた。

 

 そうすることしか現実の辛さに抗う手段がなかったのだ。そんなちっぽけな抵抗も、死を前にしては意味をなさない。在りもしない気配に取り囲まれ、頭を抱えて体を丸めることしかできなかった。

 

 がちゃん、と音がする。それだけでフラムは過剰に怖がった。それは壁に突き刺さっていた掘削機が下に落ちた音だった。その穴の奥にかすかな光が見えた気がした。

 

 弾かれたようにそこへ駆け寄る。目を凝らしてようやく確認できるくらいの弱い光だが、確かにあった。無我夢中で掘削機を手に取り、穴を押し広げていく。遅々として進まない作業に没頭する。

 

 この先がどこかの空間につながっているのかもしれない。そんな奇跡があり得るかと疑う気持ちは微塵もなかった。ただ生きたいという一心だ。

 

 そしてついに成し遂げる。壁から金属板が剥がれ落ちた。硬い岩盤だと思っていたが、箱のような人工物らしきものが埋もれていたのだ。光源は箱の中から転がり出てきた。フラムは拾い上げる。

 

「なにこれ」

 

 ぼんやりと青い光を放つ硬質な立方体だった。サイコロ状の結晶である。フラムにはそれが魔石の一種であることくらいしかわからなかった。

 

 魔石とは生きた迷宮から生み出される、魔力を宿した石である。これは人々の生活を支える重要な資源だった。

 

 フラムたちが採掘している鉱石は有用な金属ではあるが、魔力を含んではいない。死んだ迷宮から新たな魔石が発見されることはあり得ない。魔石について詳しい知識を持たないフラムでも、自分が手にしている謎の結晶体が珍しいものであることは何となく理解できた。

 

「だからどうした」

 

 宝の持ち腐れと言うほかなかった。今の状況が何か変わったわけではない。

 

 仮にその魔石がすごく価値のあるもので、奇跡的にここから脱出することができたとしても、監督者に没収されて終わりだ。奴隷に財産の所持は認められず、どんな宝を見つけ出そうと自由を買えるわけではない。

 

 借金奴隷とは債務者ではない。もはや人権すら剥奪された物である。何一つ事態が好転することはない。絶望しかなかった。進む先には闇しかない。手元を明るく照らす魔石の光も慰めにはならなかった。

 

「……なんか、さっきよりまぶしくなってないか?」

 

 徐々にだが、光が強くなっている気がしていた。魔石にも色々種類があり、中には取り扱いに注意が必要な危険物もあると言う。まさか爆発でもするのではないかと冷や冷やした矢先、ひと際強く結晶が光を放った。

 

 一瞬のことである。閃光が弾け、フラムの視界を白く染めた。そして、彼の手の中にあった四角い結晶体は跡形もなく消え去ってしまった。わけがわからず、へなへなとその場に座り込む。

 

「……? ???」

 

 彼は混乱の極みにあった。我が身に起きた現象を捉えきれずにいた。そのまま5分か、10分か、しばらく黙考する。

 

 閃光が生じたそのとき、フラムは自身の身体に何か大きな存在が入り込んできたかのように感じた。それはあまりに巨大で、もともとあったフラムという人間と呼ぶべき存在は飲み込まれて掻き消された。

 

 フラム=ビジーという人間は死んだ。なぜだか、彼にはそのような確信があった。

 

 ただ、その途轍もなく大きな存在は明確な意思を持っていなかった。無色透明な、力の塊のような存在だった。それはフラムの肉体に入り込み、彼の脳内にまで染みわたり、そこに記憶されていた情報を取り込んだ。

 

 その結果、彼の知識と人間性をそのままトレースした別の何かが生まれていた。

 

「いや、それどういうことだよ……」

 

 彼に導き出しうる答えは肉体が有する知識の範囲でしか思考することができなかった。自分自身が何者であるわからないが、以前のフラムと比べれば明確に変化した点が一つだけある。

 

 彼は手をかざせば、そこに炎が出現した。理屈はわからない。ごく自然に、息を吐くようにその力を使うことができた。

 

「すげぇ! 魔法だ!」

 

 力を使いたいと念じると、両手が青白い火に包まれる。確かにそれは人知を超えた異様な力だったが、初めは興奮していたフラムも次第に冷静になった。

 

 言ってしまえば、手が燃えただけだ。それ以上のことは何も起こせなかった。

 

 熱さは感じず、火傷もしない。それは結構なことだが、この炎に何か意味があるのだろうかと疑問に思い始める。さっきの体に感じた異変と言い、この魔法の力と言い、死の恐怖に堪えられなくなった自分がそう思い込んでいるだけの幻覚ではないのかと。

 

 魔法の炎が使えたからと言ってここから脱出できるわけではない。むしろ空気が薄くなるのではないかという心配が増えた。腹立ちまぎれに近くの岩を殴りつける。

 

 すると拳に思わぬ感触が走った。まるで泥沼に手を突っ込んだかのように、岩壁に手がめり込んだのだ。体勢を崩して転んでしまった。

 

 慌てて調べてみると、殴った部分の岩が溶けていた。まるでロウソクのようだが、煙も臭いもしなかった。溶けた液体に触れてみるが、これも別に熱くはない。

 

「これなら行けるんじゃないか……!?」

 

 フラムは壁を掘った。炎を宿した素手で泥をかき分けるように硬い岩盤を掘り進む。落盤の危険を考えて頑丈そうな岩壁を慎重に掘っていく。

 

 溶けた岩は時間の経過とともに固まって、コールタールのように彼の体にまとわりついた。その汚れも気にせず無心で作業を続けた。

 

 そして瓦礫に埋もれた通路を迂回し、脱出を果たす。もう助からないと諦めていた絶体絶命の状態からの生還は、存外にあっけないものだった。

 

 とにかく助かったという安堵感にどっぷりと浸った少年は、両手の炎を消してふらふらと出口へ向かう。体力的にそこまで疲れてはいなかったが、精神的に弱っていた。

 

「フラム!? 生きてやがったのか!」

 

 班長からは、まるで死人が歩いて帰って来たのを見たかのような反応をされたがフラムは生返事をするだけだった。見殺しにされかけた恨みもあったが、今はそれよりとにかく放心状態だった。

 

 それからいつも通りに仕事をこなして、上層の詰所に帰った。班の採掘量がノルマに満たず、採掘道具も壊してしまったため、罰として夕飯は抜きにされた。折檻が追加されなかっただけマシだった。

 

 皮脂が染みつき、虱が湧いた寝床で横になる。全く眠気は起きなかった。腹と背中がくっつきそうなほどの空腹、そして今日の出来事が彼の脳を覚醒させていた。

 

 今の彼には力がある。魔力式掘削機でさえ歯が立たない迷宮の岩盤を泥のように掻き捨てる力だ。密かに試してみたが、別に岩だけではなく他の物も難なく溶かせた。おそらく人間だろうと同じ結果を得られるだろう。

 

 彼は魔法使いになったのだ。いや、それ以上の奇妙な存在に変わり果ててしまった。ただ言えることは、これまでと同じように使い潰されるだけの生活を続けたくはないということだ。

 

 逃げ出したい。これまでも幾度となく考えてきたが、どうせ無理だと諦めていた。脱走を試みた奴隷はこれまでにも数え切れないほどいたが、その全てが捕まって連れ戻されるか殺されるかのどちらかだった。

 

 それでも脱走を試みる者は後を絶たない。多かれ少なかれ、ここで働く人間は心を蝕まれ、正気を失っていく。たとえ自失状態にまで至らずとも、正常な判断力を失えば勝算のない脱走に全てを賭けようとする者は腐るほどいた。

 

 ゆえに管理者は厳重な脱走対策を講じている。奴隷全員が結託したとしても逃げ出すことは不可能である。

 

 その前提が、彼の中で崩れ去ろうとしていた。寝床から起き上がる。それは何か考えての行動と言うより、自由への欲求を抑えきれなくなったがための自然な反応と言えた。その心理状態は他の脱走者と何ら変わりない。

 

「おい、なにしてんだ。早く寝ろ」

 

 班長が注意した。就寝時間以降の行動は一切禁止されている。班長は、まさか迷宮病にかかって気がふれたのではなかろうかと懸念していた。フラムがドアに近づこうとしたことで確信する。

 

「てめぇ、面倒かけさせるんじゃ……」

 

「黙ってろ! 燃やすぞ!」

 

 フラムの手に青い炎が灯る。それを振るえば何の抵抗もなくドアが切り裂かれた。それを見た班長はあんぐりと口を開けて押し黙った。

 

 一般に広まる魔法使いのイメージとは御伽噺の登場人物のようなものだった。迷宮の深部にまで潜る採石者の中には魔法を使う者もいると聞くが定かではない。

 

 何もかも未知の存在である。恐怖に震え、声も出せない。その反応を見たフラムは気づく。敵に力を直接叩き込むまでもないのだ。見せつけるだけでも十分に威圧することができる。

 

 少年は部屋を出て駆け出した。詰所のさらに上層、地上への出口を目指しひた走る。見張りの警備人はいたが、魔法の炎をちらつかせれば手出ししてくる者はいなかった。

 

 厳重に施錠された隔離壁を紙のように引き裂いて突き進む。そのうちけたたましい鐘の音が詰所から鳴り響き始めた。脱走者の発生を知らせる警鐘である。その音はフラムが階段を登るよりも先に上層へと届き、さらに上の階へと経由されて伝わっていく。

 

 昇降機は作動していないので、壁沿いに建設された階段を駆け上っていくしかなかった。心肺が弾けそうなほどの動悸と息切れに襲われるが、足は止めなかった。

 

「ほんとに登ってきやがったぞ!」

 

 すり鉢状に開けたこの迷宮は中にいても空が見える。地上は近い。だが、そこに最後の関門が立ちふさがる。

 

「どんな手を使ったか知らねぇが、ちんけな脱走劇もそこまでだ。“コイツ”のことはお前もよく知ってるだろう?」

 

 階段の先、開けた踊り場に数人の武装した兵が集まっていた。その先頭に立つ人物は、この採掘場の監督官を務める男だ。手に持った水晶玉のような魔道具をフラムへと突きつける。

 

 それは『奴隷支配器』だった。特殊な魔石から調合した染料を用いて奴隷に入れ墨を施し、その魔力を記録した魔道具である。この入れ墨から体内に入った鉱毒は、通常時は何の害もないが、奴隷支配器を使うことで毒物反応を引き起こすことができる。

 

 それは壮絶な痛みとなって奴隷に襲い掛かる。まず奴隷となった人間が最初に課せられる仕事が、奴隷支配器の理解だった。身をもってその痛みを植え付けられ、反抗の意思が折れるまで拷問されるのだ。

 

 痛みの段階は調節でき、殺すことまで可能だった。この魔道具があるからこそ、奴隷は主人に逆らえない。

 

 フラムも当然、それを知らなかったわけではない。だから策は立てていた。それは今この場で思いついた策ではなく、彼が奴隷に落とされたその時から考えていた計画だった。

 

「お前をここで生かすも殺すも俺の意思一つだ。そこのところをよく考えて行動するようにな、『フラム』」

 

 この奴隷支配器を作動させるためには二つの手順がいる。まず、対象となる奴隷の『魔力』と『名前』を記録しなければ使えない。名前はその個人を特定する上で最も重要な呪術的記号である。

 

 その二つともフラムは記録されてしまっているが、名前に関しては抜け道があった。嘘の名前を使っても魔道具が作動しないためすぐにバレるが、フラムの場合は名字だけを明かしていなかった。

 

 貴族の家名は儀式により神官から賜る洗礼名である。血筋にない者が使うことはできない。まさか今の自分が貴族の出だとは思われまいと、真実の全てを話すことはしなかった。

 

 『フラム』という名だけでも一応、奴隷支配器は作動するが不完全だ。最大の効果を発揮しても殺すまでには至らない。痛みはあるため我慢するしかないが、死なないとわかっていれば堪えられる。

 

「ってなことを考えてるツラだな。『フラム=ビジー』」

 

 だが、今度こそフラムは目を見開き硬直した。なぜその名を監督官が知っているというのか。

 

「奴隷が真名を隠そうとするなんてよくあることだ。大事な家畜の管理を任せられた俺たちがよぉ、そこのところをきっちり調べていないとでも思ったか?」

 

 既にフラムの本名は調べられていた。彼の父親は脅すまでもなく息子の名をぺらぺら喋ってくれたと、監督官は面白おかしく語った。

 

 万事休す。ここまで来て何もできず、また地の底に逆戻りするしかないというのか。しかしそれならまだいい。最悪、更生の余地なしと判断されればこの場で処分されることも考えられた。

 

 誠心誠意、謝るしかない。土下座でも何でもして許しを乞えば命だけは見逃してもらえるかもしれない。これまでもずっとやって来た生き方だ。ここで反抗的な態度を見せたところで良いことは一つもない。

 

 そうしてまた、明日も今日と同じ一日を辿るのか。

 

 フラムは目の前に立ちふさがる男たちを真っすぐに見据える。

 

「なに、安心しろ。お前を買うためにも元手がかかってるんだ。そう簡単に捨てたりしないさ。死にたくなるほどの苦痛は味わってもらうがな! 『フラム=ビジーに命じる!』」

 

 奴隷支配器が淡く発光する。魔道具が作動した。壮絶な痛みがフラムを襲う、はずだった。

 

 立っていることすらままならない苦痛に全身を冒されているはずの少年は、何事もなくその場に佇んでいる。

 

「な、なんだ? 故障か!?」

 

 監督官が何度も奴隷支配器を作動させるが意味はなかった。少年はゆっくりと足を前へ踏み出す。

 

 彼はフラム=ビジーではない。

 

 彼自身にも確証はなかったが、奴隷支配器の不発という客観的事実により判明した。迷宮の底、坑道の奥でフラムは死んだ。ここにいる少年の形をした何者かはフラムではない。

 

 少年の両手が発火する。感情を表すように燃え盛る。悪魔のようなその姿を見た警備兵たちは恐れ慄いた。すぐさま抜剣して構えるも、柄を握る手は震えている。

 

「『鍛晶蔵(リガレ)』だと!? どこでそんなもの拾った!?」

 

 監督官だけは声を張り上げて士気を保とうとしていた。後ずさりしていた兵たちを怒鳴りつける。

 

「あんなものは、た、ただの手品だ! はったりだ! 怯むんじゃない! さっさと殺せ!」

 

 少年としても恐怖がないわけではなかった。両手以外の部分で敵の剣を受ければ傷を負う。大勢の兵士を相手にすることは危険もあった。殺さなければ殺される戦いだ。

 

 だが、敵はその事実を知らない。少年の魔法の力の詳細を知っているわけではない。現に兵士たちは未知の恐怖を前にして委縮している。ここで及び腰になってはならないと気合を入れた。

 

「オオオオオオオ!!」

 

 雄叫びをあげると共に走り出す。猛獣に怯えるように兵士は後退した。監督官だけが最前に取り残される。必死に水晶玉をかざして来るが、そんなものを恐れる必要はなかった。

 

「止まれ! 奴隷の分際で歯向かうなど……!」

 

 一撃を与えることに欠片の躊躇もない。これまでに男が働いてきた所業が合法であったとしても、裁かれるべき悪が少年の方であったとしても、手を止める理由にはならなかった。

 

 燃え盛る炎の掌が監督官の横腹をえぐり取った。何の抵抗もなく差し込まれた手が溶かした飛沫を宙に弾く。栄養を無駄に溜め込んだ腹の中から命の源がこぼれ落ちていく。屠殺される家畜のような断末魔があがった。

 

 それを見た警備兵たちは我先にと一目散に逃げだした。少年と死にかけた男だけが残される。

 

「うぅ……リヌエス……ガフェト……」

 

 大量の血に濡れた男は呪文のようなうめき声をあげていた。少年はそれが人の名前であることに気づく。死に際につぶやくとは、男にとってよほど大切な者たちなのだろう。

 

 奴隷に対しては非道な男でも、家に帰れば家族思いの優しい男なのかもしれない。きっと残された家族たちは男の死を悲しむのだろう。

 

 もしこの場にフラムがいれば、猛烈な怒りがこみ上げたかもしれない。他者に人を人とも思わぬ苦行を強いて置きながら、自分はのうのうと幸せな家庭を築いている。その格差を憎悪したはずだ。殺さずにはいられなかった。

 

 だから、“そのように行動してみた”。

 

 男の息の根を止めた少年は、死体から金目の物を奪った。そして再び階段を登っていく。月明かりが彼の足元を照らしていた。天上へと続く道のりを歩んでいく。

 

 果たしてその先に待ち受ける光景は、少年にとって自由と言えるのだろうか。この巨大な深い穴倉を出た先に、そんなものがあるのだろうか。仮にあったとして、それを少年は理解することができるのだろうか。

 

 彼は鉱夫たちのある会話を思い出していた。迷宮病にかかり、気が狂った者たちは大切な記憶を次々に失くしていく。だが、そうして廃人になった重病者でも、最期までたった一つだけ忘れないものがあるらしい。

 

 自分の名前だ。自らが自らであるという証明。少年はそれを持っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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