“権者の弟子”と“最強の息女”の決戦は史上稀にみる盛況の中、幕を開けようとしていた。円形闘技場は立ち見客でごった返している。
秋門から現れたジギタリス隊は、三人しかいなかった。準決勝の試合では何の損耗もしていなかったので意図的に数を減らしていることになる。
ピア隊が三人しかいないことはわかっているので、それに合わせたのだ。対等な条件での試合を望んでいる。それは騎士道精神と言うよりも、見栄の問題だった。
本来であればこの決勝戦、ジギタリスは観客の大声援を受けて気分よく入場するつもりだったのだ。それがノルバーの件でケチがつき始め、さらにピアの素性が明かされることで大したことのない扱いを受けている。
その上、隊員を四人も引き連れて来れば臆病者のそしりを受けかねなかった。腹立たしいことこの上ない。だが、それと同時に好機だとも思っている。
最強の娘を倒すことができれば彼の武名も世に轟くはずだ。ノルバーもピアも、そして師であるウルキスすらも、ジギタリスにとっては踏み台に過ぎなかった。
いずれは我こそが最強の名を手にして見せるとジギタリスが意気込んでいると、対戦相手が入場してきた。それを見た観客席が、わっと騒ぐ。ピア隊はこれまで通りの三人組だが、そのうちの一人が異常な装備をしていた。
ピアではない。後ろに控えていたもう一人の少女が途轍もない大きさの石剣を引きずっていた。その長さ、5メートルは下らない。人間が扱える代物ではなかった。
事実それは、飾り剣として闘技場の壁に立てかけられていたものである。アルマがそれを使ってもいいかと尋ね、決勝戦の見世物になれば幸いと上が許可したものだった。
客の目を引くためだけのパフォーマンスだとジギタリスは憤る。それを引きずって来られるだけの磨法は使えるのだろうが、実戦で役に立つ武器ではない。
しかも、ピア隊にはドラジッドとかいうジギタリスが聞いたこともない採石権者の弟子までいるという。そのせいでピアに“権者の弟子すら従える”という謳い文句までついてしまい、相対的にジギタリスの評価も下がっていた。
どれも小賢しい印象操作である。そもそもの話、隊員たちのことなんてどうでもよかった。ノルバーの時と同じく隊長同士の一騎討ちを計画していたのである。一対一の決闘により完膚なきまでにピアを倒し、疑惑の余地もない己の強さを誇示するつもりだった。
「おい、後ろの道化どもを下がらせろ。準決勝の時のようにサシで闘え。まさか最強の息女が嫌とは言うまいな?」
「断る。私たちは三人で勝つ」
にべもない淡々とした拒絶に、青筋が浮き立つような怒りを覚える。だが、ジギタリスの提案をピアが断ったからと言って規定上の問題はない。隊戦形式の本来のルールで戦うだけだ。ジギタリスは部下に指示を出した。
「お前たちで雑魚を片付けておけ。ピア=オラトリウムは俺が仕留める」
「お任せください」
試合前の各員戦闘配置は、わかりやすい構図となった。中央に隊長二人、そこから離れた左右で残りの隊員が睨み合う形となる。
証木は完全に放置されていた。別に壊されようとたかが三点にしかならない置物だ。それを敵が狙ってくるようなら逆にその隙を利用してやればいい。互いの隊がそう考えていた。
「春陣隊長ピア=オラトリウム。我が剣を神に奉じる」
ジギタリスは名乗りもせず、剣に火を灯した。それを掲げて見せることで戦いの火蓋は切って落とされる。試合開始の合図とともに、三者三様の戦いが始まった。
まず目を引いたのは、身の丈の二倍以上はあろうかという石の大剣を振り回すアルマである。引きずることが精いっぱいかと思いきや、あろうことか振り回し始めた。
「怒りのお姉ちゃんあたーっく!」
どれだけ磨法で筋力を強化しようと、その重量を小さな少女の体で支え切れるはずがない。だが、巨人のために誂えたかのような石剣は空を切り裂き薙ぎ払われた。相手の隊員は肝を冷やす。
まともに食らえば一撃で倒される。しかし、最初はあまりの非現実的光景に驚かされたが隊員の男はすぐに落ち着いた。アルマの動きをよく観察すれば恐れるに足らないとわかった。
人間離れした怪力の持ち主のようだが、動きが素人だ。やみくもに武器を振り回すだけで技がない。身体能力にものを言わせて暴れているだけだ。その戦い方は寄生炉と同じである。
寄生炉とは人間を遥かに上回る破壊の権化。そして、採石者とはそれを狩る者たちである。臆する必要はない。隊員の男はアルマの動きに合わせて自ら間合いの中へと飛び込んだ。
男は槍と大盾を装備していた。特に盾の大きさは顕著である。身をかがめればその後ろに体を隠せるほどだった。通常、このような大盾は隊列を組んだ兵士が陣を固めるために用いることが多い。
その立派な盾で石の巨剣を受け止める。その光景は観客たちから見れば無謀だった。剣のスケールが違いすぎる。巨人の剣を人間の盾では、とても受け止めきれない。
「ふんぬあぁっ!」
「もあああっ!?」
しかし結果的には受け切った。そればかりか剣を跳ね返した。そのからくりは盾にあった。これもまた『新鍛晶蔵』。二重構造になった盾の表側が、剣とかち合う瞬間に勢いよく外側へと飛び出したのである。
ピストン構造により、瞬間的に盾の前面が押し出される構造になっている。その出力は巨剣を跳ね返すほどだった。この威力により防御だけでなく、攻撃にも転用した強力なシールドバッシュ戦法が可能となる。
剣を弾かれたアルマがたたらを踏む。男は追撃しなかった。一撃目は様子見のため防御に専念した。しかし、それによりアルマの剣撃を見切る。盾にて対処可能と知れた。次は剣を弾くと同時に槍を使ってカウンターを取れると読む。
「すごい盾だね……これなら大丈夫かな?」
アルマが剣を構える。武器を使い慣れているとは思えない構え方だ。それは事実である。戦闘に関しては素人ゆえに、力の加減からして不得意だった。
食器やドアノブなどを無意識に握りつぶしてしまうことはしょっちゅうだ。本来であれば長く苦しい鍛錬の果てに習得する磨法の極致、それすら凌駕する人の理の外にある力を、ただの少女の肉体で再現してしまっている。
だから手加減というものが苦手だった。人間が相手では力を込めすぎることができない。先ほどの攻撃も手を抜いていた。
簡単に盾で弾かれてしまったということは手を抜きすぎてしまったのかもしれないと、今度は少しばかり速く剣を振ってみた。
(――はや――!?)
盾を構えていた隊員は、迫り来る石の壁を前に死の気配を感じた。走馬灯が駆け巡る。一撃目と威力が違う。このままでは死ぬ。反射的に盾の機能を使うことが間に合った。辛うじて最悪の結果だけは回避することができた。
盾はその衝撃によりひしゃげた。爆ぜるように隊員が後方へと吹き飛んでいく。これはやり過ぎたかもしれないと顔を青くしたアルマは無事を確認しに走った。
それを見た隊員は、とどめを刺しに来たのだと勘違いして悲鳴を上げた。即座に降伏のサインを出す。ともあれ、隊員の一人を撃破することに成功した。
一方、少年の方はと言うと。もう一人の敵隊員から苛烈な攻撃を受けていた。『銃砲型』と呼ばれるタイプの新鍛晶蔵だ。カシムートが使っていた、光弾を発射する装置に似ている。
「くっ、なっ、なんだその身のこなしは!?」
少年は全ての弾を回避していた。カシムートの砲撃は一発の威力が高く連射がきかないタイプだったが、この敵の魔法銃は威力を押さえた小弾を一度に何発も撃てる。距離を取られればこれほど厄介な武器はない。
しかし、当たらない。一発として掠めることもできずにいた。少年は、この会場に入る前に準備を整えていた。魔石を溶かして魔力を外から取り入れていた。
この力は別に封印していたわけではなかった。これまでの試合ではピア一人の戦力で十二分に事足りたので使う機会がなく、また切り札として決勝戦まで隠して温存しておこうと思ったのだ。
品質の悪い低級の魔石から魔力を取り出しても、金剛王戦で発揮したような力は得られなかった。それはそれでちょうどいい強化率を引き出せるので使い道はある。ピアにも協力してもらい、低級魔石を使った強化訓練を繰り返していた。
そして今日、決勝戦に持ち込んだ魔石は奮発して買っただけの品質があった。いつも以上に力がみなぎっている。その分、後でくる副作用も大きいだろうが、最後の決戦なので出し惜しみは無しだ。
全身の筋力がはちきれんばかりに躍動し、知覚領域が数倍にも膨れ上がったかのように感じる。これが世間一般から見てどれだけの強さを得られたのか今までは不明だったが、ガロアパルの大会で多くの比較対象を観察できた。
少年は敵に向かって走る。銃使いは距離のアドバンテージを殺されてはまずいと一層攻撃の手を強めるが、少年はまるで着弾点がわかっているかのように回避していた。
採石者の強さは『磨法』と『魔法』だ。この二つの相乗効果により強大な寄生炉を倒す力を得る。しかし、今の少年が発揮する磨法があれば、並みの採石者が相手ではそれだけで対抗が可能と言えた。
ついに敵の至近距離にまで近づく。敵は慌てて銃を捨て腰の剣に手を伸ばしたが、遅かった。強烈な踏み込みからの急加速により接近した少年は、硬いグローブで保護された拳を突き入れた。
「ぐふっ!」
しかし、一撃では倒れない。敵も磨法により全身の耐久力を向上させている。加えて、瞬時に体をひねり受ける攻撃威力を低減させていた。銃使いだからと言って白兵戦に不慣れということはない。
そこへ少年は畳みかけるようにラッシュを打ち込んでいく。とにかく攻撃の手を休めない。敵の隊員は何とか堪え忍んでいるが、ここからの挽回は不可能だろう。いずれ決着がつくものと思われた。
「ぐうううぅ! 雑魚相手に何を手間取っている……! 俺に恥をかかせる気か!」
「よそ見してる暇あるの?」
そして隊長戦。ピアとジギタリスは試合開始の直後から、数え切れないほどの剣撃を交えていた。
打ち合わせるたびに響いてくる衝撃が剣の柄を握る手の中で暴れる。ピアの弾鋼剣は衝突威力を急増させる。先ほどまで激痛を感じていたジギタリスの手には、もう感覚がなかった。
それでも手放すわけにはいかない。この二刀一対の双剣術こそが彼の誇りだった。ノルバーにしてやられた時のように二度も無様な姿をさらすことは許されない。
ジギタリスは全身を柔軟に保ち、あらゆる攻撃を受け流し、反撃の好機へとつなぐ『柔磨法』を得意としていた。そこに合わさる彼の剣術。武門の貴族に継承される華美にして流麗な双剣術によって、数々の難敵を葬ってきた。
本物の実力があるからこそわかる。ピアの剣はその武骨さに似合わず『柔磨法』の理を宿していた。ジギタリスと同じく“受けの構え”“後の先”を狙っている。牽制の一撃でさえ必殺の威力を持っているにも関わらずだ。
ジギタリスの脳裏に嫌な記憶がよぎる。それは師匠に剣の手ほどきを受け始めた頃のことだった。自分の強さを見せつけるため双剣の神髄を披露した。それを見たウルキスは、次は片方の剣だけを扱ってみろと言ってきた。
何もわかっていないとジギタリスは嘆息した。二つの剣を使いこなしてこそ完璧な調和をなす剣術だ。舞のように優雅に敵を翻弄し、呼吸を乱し切り刻む。その妙技を作り上げるためには二刀一対が不可欠なのだ。
『一本の剣で戦えない奴が、剣二本も使って何ができるんだ?』
阿呆のようなツラをして尋ねてきたウルキスの言葉を思い出す。どれだけ怒り狂おうとその言葉を今のジギタリスに覆すことはできないのだ。なぜなら、彼は自分とはかけ離れた次元に立つ師の強さを知っている。
上には上がいる。生きていれば誰もが直面するその当たり前の事実がジギタリスにとっては看過できなかった。貴族の家という狭い塀の中では最強だった彼の剣術も、ひとたび世界の広さを知れば陳腐に成り下がってしまう。
ピアは片手で剣を振るっていた。おそらく、それは彼女に最も適した戦い方ではない。それなりに洗練はされているが、片腕の骨が折れているから仕方なくそうしているだけの剣術だ。
その場しのぎの剣でジギタリスと互角に渡り合っている。もしこれが両手を使える状況だったならばどうなっていたか。その結末を思考するだけで、彼の全身に堪えがたい痒みが生じた。
「我が剣があああああ!! お前ごときにいいいい!!」
激昂するジギタリスとは対照的にピアは冷めきっていた。剣の使い手としては発展途上である。にもかかわらず彼女が攻めきれない理由は、一重に凶悪な武器の特性にある。
準決勝の一戦でこの剣の炎を食らったノルバーは戦闘不能に陥っていた。その攻撃の正体はわからないが、とにかく危険であることはうかがえる。ただの火と思わない方がいい。ピアは剣から飛び散る火の粉にも注意を払って戦っていた。
これを達人が使えば悪魔のような恐ろしさだろう。ジギタリス程度の使い手でも攻めあぐねる。地力からしても、これまでに試合をしてきた採石者と比べれば段違いの強さであることは間違いない。
負ける気はしないが少しばかり、焦りがあった。他の二人は順調に敵を倒せているようだ。自分だけが手をこまねいている。気づかぬうちに、柔磨術士らしからぬ前のめりの戦い方になりつつあった。
「いい加減くたばれ!!」
「お、ご……」
そこでようやく少年が決着をつけた。パンチの乱打を受けた敵がようやく意識を手放す。これで二点が入った。勝利のみを狙うのであれば、後はピアが戦っているうちに敵の証木を破壊して計五点を先取すれば終わる。
だが、事前に話し合っていた。ピアはジギタリスとの純粋な決闘を望んでいる。もともとこの大会に参加した理由が武者修行のためなのだ。これまでのような歯ごたえのない試合は彼女の望むところではない。
そして、試合を別にしてもピアはノルバーが不必要に殺されたことを良しとはしていなかった。彼が腹を刺された時など、観客席から乱入しようと立ち上がったくらいだ。結局、その場は何もできなかったが、こうして直に剣を交える試合においてノルバーの無念を晴らそうとしているのである。
その気持ちは少年とアルマにも理解できた。隊長であるピアの意を汲むことに異論はない。ピアならば勝てると信じている。ただ、もしもの事態に備えてアルマが証木にアームロックをかけた状態で待機していた。へし折れば即座に試合を終了させることができる。
全ての観客が、闘技場の中心へと視線を注いでいた。固唾を飲んで見守っていた。ピアの剣が敵をじりじりと追い詰めていく。ジギタリスは歯を食いしばって鉛のような腕を振るい続けた。おそらく、勝ちに対する執念で言えばピアを上回っていた。
「……けほっ」
その執念が実を結ぶ。ピアが咳を漏らした。剣から燃え出る火に細心の注意を払っていた彼女だったが、目に見えないほど極小の煙の粒子にまでは気が回らなかった。それは少しずつピアの肺に蓄積し、ついに痛みを生じる量に至った。
ようやく毒だと気づく。前に出すぎてはまずいと身を引いた。そこへジギタリスの剣が噛みつく。息を吹き返したかのように躍り出る。
「うおおおおおお!! 死ねっ! 死ねえええ!!」
もはやジギタリスもなりふり構ってはいられなかった。自分もまた肉体の限界だ。これ以上、まともにピアの剣を受け続ければ手が壊れる。流れるような双剣の連撃がピアを押し戻していく。
この接戦に会場が沸いた。どちらに転ぶかわからない。賭けた金の額がそのまま彼らの興奮に直結する。脳が溶けそうなほどの興奮に。
ピアの肺の中で痛みを感じる閾値を上回った毒素は、急速に効果を発揮し始めた。焼けるような痛みが広がる。極限の全身運動が必要となる戦闘において不可欠な呼吸を封じられる。
吸うことよりも吐くことが意識される。不必要なガスを肺の中からうまく出せなければ、新しい空気が入ってこない。呼気の乱れは運動能力に大きく関わる。
咳をする、それをしないように我慢する。そんな状態で全力は出せない。そこに追い打ちをかけるようにジギタリスは最後の気力を振り絞ってきた。
狂気的なまでの執念、妄念がこの土壇場で彼の底力を引き出した。自分でも信じられないほどの力で巻き返していく。
「俺が最強だあああ!!」
そこでアルマが証木を折った。
彼女にはもう戦いを見届けることができなかった。このままではピアが倒されるかもしれない。それならばまだしも、もっとひどいことが起きてしまうかもしれない。そう思うと、居ても立ってもいられなかった。
試合が終わる。ピア隊の勝利だ。規定上はそうなる。だが、観客席からは大気を揺るがす怒号があがった。
こんな中途半端なところで終わっていいはずがない。ある者は試合を続けろと、ある者は決着はついたと論戦を繰り広げ、暴動に発展しそうな勢いだった。
「ひ、ひひひ卑怯だぞ! こんな終わり方があるか! 俺が勝つところだった! なぜだあああああ!!」
何も卑怯なことはない。ルール上は何の問題もない。もう試合は終わったのだ。ジギタリスはそんな正論が通じる精神状態に見えなかった。
少年は胸騒ぎを覚える。ジギタリスがここで簡単に諦めるだろうか。今ならばまだ勝負に納得がいかない観客もいる。今ならばまだ。
殺さなくてもいいはずのノルバーに彼は剣を突き刺した。それも腹にだ。壮絶な苦しみを与えることをわかっていながら、あえて即死するような急所を狙わず腹を刺した。そんなねじ曲がった根性の持ち主があっさりと引き下がるか。
ピアは呼吸困難に近い状態に陥っていた。ノルバーと同じ症状だ。戦える状態ではない。少年は走った。悪い予感は現実のものになろうとしている。ジギタリスが剣を振り上げた。降参の動作ではない。
「ピア――!!」
強化された今の少年の身体能力ならば間に合う。注意を引きつける意味でも叫んだ。
「邪魔をするなあああ!!」
ジギタリスの剣が強い光を発した。少年へ向けて振り払う。まだ剣の間合いには達していないが空振りに終わることはなかった。炎の波が広がる。
広範囲に炎を放出する技だ。準決勝の試合において一度見ており、最も警戒していた技だった。しかし、この試合においては一度も使う様子を見せなかったので油断していた。飛びかかろうとしていた少年に炎の波状攻撃が襲い掛かる。
逃げ場もない範囲に広がる攻撃を前に少年は硬直した。その体が不意に動く。横から突き飛ばされ、炎の外へと転がり出る。
少年は助けられた。ピアが駆けつけていた。ろくに息をすることもままならない状態で、仲間のために動いた。身を挺して少年の代わりに炎をかぶった。
炎はすぐに消えてなくなった。しかし、毒の効果は攻撃を受けた者の体に残っている。ピアは倒れた。その光景を見た少年の中で、何かが切れた。
走る。その先にジギタリスを見据えている。双剣から炎が消えていた。炎を放出する大技を使うと、しばらく剣が通常の状態に戻ってしまう。そのため迂闊に使えなかったのだ。
だが、火が消えたからと言って戦えなくなくなるわけではない。ピアが相手であれば大きな不利を強いられただろうが、それはもう無力化した。雑魚の隊員相手に能力を使うまでもない。血に飢えた獣のような目をぎょろりと少年へ向ける。
少年の動きは確かに機敏だが、丸腰の相手に後れをとるジギタリスではない。不躾にも伸ばしてきた敵の手を切り捨てようと剣を振るう。
その時、両者の視線が交錯した。まるで鏡に映したかのように獰猛な目だった。
ジギタリスの剣に手ごたえはなかった。青い炎が舞い踊る。異常を悟り、咄嗟に退いた。その手にあった双剣の片方が破壊されていた。
「は……? 俺の剣……」
溶けている。刀身は一瞬にして鋳つぶされ、液化した成れの果てが飛散していた。飛沫がジギタリスの顔にかかる。そこから焼けるような痛みが走った。
「ぎっ、ぎいいいいいいい!?」
皮膚を剥がされるような痛みに呻く。しかし、彼も戦士の端くれ。敵前にして戦闘態勢を解くようなことはしなかった。混乱しながらも残されたもう一本の剣を構えるが、柄を握る手は震えていた。
敵対する少年は両手のグローブに青い炎を灯していた。名工機を何のためらいもなく破壊したその能力、知らなかったとはいえ許されるものではない。もう二度と生まれることはないだろう輝ける人類の至宝を無に帰したのだ。
「剣を渡せ。そうすれば命だけは助けてやる」
そればかりかもう片方の剣まで要求してきた。魔法的に生み出された呪いの効果であれば、その元となる鍛晶蔵を破壊することで解除できる。ピアを苦しめている原因を取り除ける。少年は双剣を完全に破壊するつもりだった。
「お、お前は自分が何をしているかわかっているのか!?」
「何をしているのかだと?」
強さにのみ固執し、周りを何も省みず、己のためだけに力を使う。そんな男に言われる筋合いはない言葉だ。少年は踏み込みの姿勢を取る。
ジギタリスにもう双剣術は使えない。片割れを失ったことで鍛晶蔵の能力も使用できなくなっている。それでもここで敵の言いなりになる気はなかった。
「権者の弟子を騙る痴れ者がぁっ!」
ジギタリスはこの少年が権者の弟子であるという前評判を思い出した。ピア=オラトリウムのおまけ程度にしか考えていなかった。その脇役が盤面をひっくり返そうとしている。
あり得ないことだ。名工機を使ってなお敵わなかったという事実はジギタリスの中にない。自分が掴むはずだった栄光が卑劣な策略によって奪われようとしているという認識しかない。
彼こそが主役。そして、有象無象の他人どもは全て脇役なのだ。ジギタリスは妄信していた。
「貴様のような無名の脇役、この俺が成敗してくれる!」
少年が駆ける。それに合わせてジギタリスは剣を構えた。青い炎が武器を溶かすというのであれば、それ以外の場所を狙えばいい。
リーチでは剣に圧倒的な分がある。先ほどは初見殺しの武器破壊を剣で受けてしまったが、二度目はない。種が割れてしまえば対処は可能。
少年の動きからは武術を修めている者に見られる巧みさが感じられない。身体能力に任せた素人拳法だ。殴りかかってくる少年の動きを容易に見切り、カウンターを突き入れた。
だが殺せるという確信が、あと一歩のところで消えた。直感的に凶兆を感じ取る。次の瞬間、ジギタリスの剣は少年の爪撃によってバラされた。それだけにとどまらず、ジギタリスの探索服に爪痕を残す。
紙一重のところで避け切った。回避が遅れていれば溶かされていた。一級品質の探索服が泥のように掻き捨てられる。人間の肉や骨がどれだけその攻撃に耐えられるというのだろう。
ジギタリスの剣術は通用しなかった。その理由は単純極まりない。少年がさらなる強化によって身体能力を引き上げたからだ。最初の攻撃で双剣の一本を溶かした際、そこに内包されていた魔力を取り出して吸収していた。
もはやジギタリスに反応できる域を越えていた。剣を失い、ゆっくりと後ずさる。その顔には、はっきりと恐怖が浮かんでいた。
少年の攻撃には何の躊躇もなかった。ジギタリスが寸でのところで回避行動を取っていなければ、はらわたをぶちまけていただろう。その事実に今更、足がすくみ出す。
「ま、待て。おかしい、こんなはずがない……これは夢か?」
ジギタリスは周囲を見回した。観客たちは一同に声を揃えて叫んでいる。殺せ、殺せと騒ぎ立てる。誰もが死による決着を望んでいた。
ジギタリスに賭けていた観客も、もう勝ち目がないことを察したのだ。勝者であるがゆえに見逃されていた彼の横暴も、観客のひんしゅくを買っていた。応援する者はいない。せめて最後に死にざまを晒して楽しませろと嗜虐に酔う者しかいないのだ。
それでも師匠だけは助けてくれると信じていた。ジギタリスの強さを見込み、弟子に取り、名工機まで与えてくれたウルキスならば必ず助けてくれる。
しかし、待てども師は姿を現さない。どこにも彼の味方はいない。
「神に血を捧げる覚悟は決まったか? まあ、お前の薄汚い血なんて誰も欲しくないだろうけど」
「しっ、試合はもう終わったんだ! お前たちが勝ったんだからそれでいいだろう! 剣を持たない剣士を殺すのか!」
返答は拳で返した。名工機から取り出した魔力により肉体の限界を超えた少年の殴打がジギタリスの顔面に突き出される。迫り来る青い炎に視界を覆いつくされたとき、彼は失神して意識を落とした。
殴り抜く。ジギタリスの体は、その衝撃で数メートルは飛んだ。だが、頭は無事に首とつながっている。少年の炎は溶かしたいものだけを選ぶことができる。燃えているからと言って触れるもの全てを溶かしてしまうわけではない。
ジギタリスを殺さなかった。アルマが悲しむかもしれないと思ったからだ。何も好き好んで殺しに手を染める気はなかった。それではジギタリスと何も変わらない。
ひとまず決勝戦が決着を迎える。最後の幕引きに多少の不満の声もあったが、概ね好評な歓声があがった。それを無視して少年はピアの元へと向かう。
「大丈夫か、お嬢!」
先にアルマが駆けつけ、ピアの容体を見ていた。毒が体内から消えても、傷ついた細胞が元通りに治るわけではない。肺の中に炎症が残っていた。
しかし咳込んではいるが、呼吸はだいぶ落ち着いているようだった。もう自分で立ち上がることができている。少年は胸をなでおろした。
「……お嬢?」
だが、何かいつもと様子が違うように感じる。ピアの顔は紅潮していた。そんな恥ずかしそうな表情を見せることもあるのかと少年が意外に思っていると、徐々にピアの顔に変化が現れる。
滑らかな肌の上に、ぷつぷつと、水ぶくれができ始めた。肌の色は赤から次第に黒く染まっていく。破裂した水泡から血が流れだす。
毒が取り除かれたからと言って、一度停止した細胞の機能は回復しない。ピアの顔は表皮のさらに奥にある、真皮にまで毒の影響が達していた。