鋳造の採石者   作:放出系能力者

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灰舞う街と雌狼
12話「きのこの迷宮」


 

 心機一転、機関車に乗ってたどり着いた先はネラニカという街だった。これまでの旅の移動に比べれば短く、ここはまだドゥマトン国内である。

 

 この一帯はドゥマトンを代表する迷宮集積地帯である。山脈の麓に沿って、高い魔石精錬技術により発展した工業都市が並んでいる。ネラニカもその一つだ。

 

 少年たちは駅を降りた。そこは一面、灰色だった。銀世界ならぬ灰世界。その正体は、堆積した火山灰である。この街では日常的に見られる光景だった。

 

 ホトグレスの後に続く。どこに行くのか尋ねても返事はなかった。何やらずっと機嫌が悪そうにしていたが、眉間に掘り込んだかのように刻み付けられたしわを見る限り、どうやらこれが彼女の自然体らしい。

 

「こりゃすげぇや! 先生が歩くだけで人ごみが綺麗に割れて道ができる! さすが権者の威厳は違うなぁ!」

 

 2メートル近い筋肉もりもりの女が不機嫌そうに道を歩いていれば、誰か知らずとも進路を妨げようとはしないだろう。

 

 少年がホトグレスの気分を和まそうとよいしょするが、逆効果であることに気づいていない。媚びに一家言あるとはいえ、それが目上の人物に対して適当な対応の仕方かと言うと、必ずしもそうではない。

 

「黙ってついて来な」

 

 もし少年が安い下心から発した言動であったならば、ぶん殴られていただろう。狼とまで例えられるホトグレスの耳は心の機微まで聴き分ける。呆れつつも注意するにとどめた。

 

「すごいね、街中灰だらけだね。掃除しないのかな?」

 

「切りがないくらい降るんじゃないか? ほら」

 

 よく見れば、ちらほらと空から白い塵が降ってくる。街の人々は皆、レインコートのような服を着てマスクをつけていた。住みづらくはないのだろうかと疑問に思う。

 

 土地柄、一年中空は灰色に染まり、草木は塗装されたように灰をかぶって枯れ果てる。耕作には向かない。だからこそ、この地の人々は生きるために知恵を絞り技術を高めて機械産業を興したと言われている。

 

 周辺には迷宮が多く散在しているため採石業も盛んである。採石者が集まってくる街でもあった。現在、ホトグレスが向かっている場所もそれに関係している。物々しい外壁で囲われた大きな施設が見えてくる。

 

 入口には門番までおり、貴族の屋敷か何かと思いきや『チップベル工房』と書かれた看板が提げられていた。体についた灰を払い落として中に入る。店という雰囲気ではなく他に客もいない。工房の名の通り職人の制作現場のようだ。販売はしていないようだった。

 

「おお、ホトグレス。帰ったのか。そのちびっ子たちは何だ?」

 

 オイルで黒ずんだ作業着姿の男が一行を出迎えた。外見はくたびれた壮年の男だが、この工房の責任者でベルネオールという。ホトグレスは採能春杯の経緯をかいつまんで話した。

 

 ノルバーの死に対し、ベルネオールは意外と淡白な反応だった。彼がホトグレスとどういう関係にあるのか、工房の奥へと案内される傍ら聞くことができた。

 

「ホトグレスには昔、色々と世話になってな。ここは鍛晶蔵の工房なんだ。その関係上、手に入りにくい魔石を都合してもらっていた」

 

 通りで厳重な管理体制が敷かれているわけだ。作業場では多くの職人が働いていた。鍛晶蔵だけでなく一般の武器や日用品の制作もしているようだ。

 

 鍛晶蔵の製造は国家規模で推進される事業であり、ほとんどの国が軍事産業として研究開発に取り組んでいる。その中でも珍しくドゥマトンは官民一体の増産政策を掲げ、ここチップベル工房も民間から登用された職人が多く在籍している。

 

 合理主義的なお国柄と言えるだろう。ベルネオールも貴族の出らしいが、それほど位も高いわけではなく、純粋な実力で工房長の地位に就いた叩き上げである。少年たちに横柄な態度を取ることはなかった。

 

 ホトグレスはノルバーと共に、ここ最近はチップベル工房に滞在していたそうだ。ある鍛晶蔵の調整のためである。これが特別製で、簡単に不具合を直せるようなものではなかった。

 

「祭りが終わるころには仕上がってると言っていたが、まだ直らないのかい?」

 

「いやぁ、それが……」

 

 詳しく調べてみたところ、この工房では修理不可能な状態だったようだ。外装は無事だが、魔法の動力源となる核が経年劣化により使い物にならなくなっていた。

 

 核の損耗は、どんなに大切に武器を扱おうと必ずついて回る問題だった。鍛晶蔵は内蔵する魔石中の魔力によって魔法を発動するわけだが、使用したエネルギーは元には戻らない。少しずつ減っていく。

 

 完全に魔力を使い切ってしまった場合、修理するためには核部の交換が必要となる。大型寄生炉から採取される魔石しか代用できず、名工機級の武器ではさらに品質の高い魔石しか使えない。

 

 鍛晶蔵は核部に宿る魔力の性質に応じて外装が作られることがほとんどだ。魔力を失った外装に新たな核部をはめ込む修理は、心臓を他人のものと入れ替えるようなもの。一流の職人であっても失敗することの方が多い博打である。

 

「……まあ、壊れた瞬間に薄々気がついてはいたんだけどね」

 

 手になじんだ相棒の不調は、使い手であるホトグレス自身が一番に気づいていたのかもしれない。彼女は武器の修復を望んでいるようだ。そのために必要な材料である上級の大型寄生炉を狩らなければならない。これについては目星をつけている場所が近くにあるらしい。

 

「というわけで、あたしの弟子となったお前たちの最終目標だ。迷宮『菌根坑道』深層にいる大型寄生炉変異個体『玻璃咬槌(はりはづち)』の討伐を手伝ってもらう」

 

「は、はぁ!? おいおい、こんな子供たちに何ができるってんだ。俺の爺さんの時代から名の知られた大物だぞ」

 

 詳細のわからない少年たちに代わってベルネオールが驚いている。それだけの長期に渡って討伐されたことのない強力な個体のようだ。

 

「いいかい、弟子だからってお前らに物を教える義務はない。あたしの元で何を学ぶかは、お前たち次第だ。あたしの言うことに従えないというのなら一向に構わないよ。さっさと荷物をまとめて出て行くことだね」

 

 ホトグレスは一人前の採石者となるまで少年たちの面倒を見ると言った。だが、彼女は何の得にもならない慈善事業をするつもりはない。相応の対価を求めるつもりだった。

 

 その上で一人前にするという言葉に嘘はない。それは資格を取らせて終わりなどという生易しい話ではなかった。実践に勝る経験はない。生き死にを賭けた採石者の極意を叩き込む予定だった。

 

 

 * * *

 

 

 迷宮の探索は明日からと決まる。今日の内に準備を整えておけと言い残してホトグレスはいなくなった。しばらくはこの街に滞在することになる。探索の準備もだが、泊まる場所の確保もしておかなければならない。

 

 この街の物価は高い。首都ガロアパルよりも高い。その理由は食料品の多くを他の村や街から運び込んでいるからだ。食料の価格が高騰している影響か、それにつられて街の市場全体の物価が上がっている。

 

 宿屋の料金もかなり割高だった。一泊や二泊ならともかく、いつまでかかるかわからない修行が始まるというのに、とてもではないが手持ちの資金が足りるとは思えなかった。

 

 そこでチップベル工房の空き部屋を一室貸してもらうことになった。かつては従業員が住み込みで働いていた際に使っていた大部屋が空いているらしい。以前、ホトグレスたちがこの街に滞在していた際にノルバーが使っていたらしく、きちんと片付いていた。

 

「あのキザ野郎は……俺の娘に粉をかけてやがったから気に食わなかったが、君たちならこの部屋を好きに使ってもらって構わない。あ、工房には関係者以外立ち入り禁止だがな」

 

 ベルネオールは快く少年たちに部屋を提供してくれた。名前も長いので今後はベルと呼んでいいと言われる。気さくな人柄だが、ノルバーとはあまり仲が良くなかったようだ。

 

 部屋は広く、二段ベッドが壁際にいくつか設置されている。埃臭いことを除けば十分に快適だった。ただ、広いとはいえ女子二人と男子一人が共同で使うことになる。アルマとピアは気にしていないようで、逆に少年の方が気を使って間取りの調整などを行った。

 

 一つだけほのかに香水の匂いが残ったベッドがあった。シーツの中からモノクロの写真が出てくる。バラの花を口に咥えてポーズを決めたノルバーだった。『貴公子より愛をこめて』の文字が添えられている。しんみりした気持ちよりも乾いた笑いがこぼれた。

 

「ちわーす! 入っていいー?」

 

 遺影を机の上に飾っていると、部屋の外から声が聞こえる。ベルの娘のマルティナという妙齢の女性だった。工房で働いているのか父親と同じような作業服姿である。ちなみにノルバーとは別に男女の仲ではなく、ただの友達だったとのこと。

 

 マルティナはピアのために新しい包帯と塗り薬を持って来てくれた。部屋を貸すだけで後のことは自分たちでどうにかする予定だったのだが、気を使わせてしまったようだ。傷口は清潔にしていた方がいいので、ありがたく使わせてもらった。

 

 ピアの予後は安定している。怪我から熱が生じることもなかった。また、骨折はほぼ完治した。常人なら治すのに最短でも三カ月はかかるだろう怪我だった。それでもホトグレスは鍛え方が足りないと一喝していたが。

 

 マルティナはてきぱきと包帯を取り換えて患部に軟膏を塗っていく。工房では火仕事もあるので火傷患者の処置は手慣れたものらしい。痛ましい顔の傷を見ても平然としていた。

 

「顔はね、採石者やってると怪我する人が多いんだ」

 

 採石者にとって目や鼻、耳といった感覚器が集まっている頭部を防具などで遮ることは嫌われる。少しでも感覚をクリアにしておきたい。だから変質魔力がそこかしこにある迷宮内においてもマスクやゴーグルを着用しない者は多い。

 

 守りの薄い顔面の負傷はよくあることだ。五体満足なら御の字。それが嫌なら採石者なんて最初からやらなければいい。そんな世界である。

 

「当事者でもない私がこんなことを言うのは無神経だろうけど、君たちは失うことが当たり前の世界に生きている。早く慣れないと、この仕事はきついよ?」

 

 マルティナの目から見ても、少年たちは精神面でまだ脆さが残っている。心のどこかで過去の過ちを引きずる気持ちがある。

 

 見目や肉体を欠損する者なんてありふれている。自分の体だけならまだしも、仲間を失ってしまうこともある。嘆き悲しみながら時間をかけて心を癒す者より、薄情な方がよほど採石者に向いていると言えるだろう。平然が一番だ。

 

 そんな割り切った感情の整理の付け方は、なかなか常人には難しいものがある。これもいずれは身につけていかなければらない感覚だ。だからベテランの採石者ほど精神がねじ曲がった変人が多いのだろうか。

 

 マルティナは幼いころから工房の仕事に興味を持ち、採石者と触れ合う機会も多かった。ノルバーのことも然り、知人との突然の別れを幾度も経験している。彼女は世話焼きなところがある姐御肌であるせいか、少年たちに色々と教えてくれた。

 

「なんか私のお姉ちゃんポジションがおびやかされてる気がするよ……!」

 

 アルマの危機感はさておき、明日から探索することになる『菌根坑道』のことについても教えてもらい、準備にも役立った。ホトグレスからは何も聞き出せなかったので助かった。

 

 

 * * *

 

 

 降灰山脈の地下に存在する菌根坑道は、もともと一個の迷宮として成り立つものではない。小さな迷宮が密集することで形成されている。別名『きのこ迷宮』と呼ばれている。

 

 その名の通り、迷宮に足を踏み入れた少年たちはおびただしい数のきのこに出迎えられた。一部のきのこは薬の材料にもされるが、ほとんど食用には適さない。猛毒をもつものが大半である。

 

 少年たちは全員がガスマスクを着用していた。この迷宮では変質魔力に加えてきのこの毒胞子にも注意しなければならない。中層以降の探索はマスクが必須となる。さすがに鍛え方だけでどうにかできる環境ではない。

 

 採石者にとっては鼻が眼の代わりと言われるほど重要となる器官であるため、マスクによる変質魔力の感知阻害は大きな危険となる。変質魔力は服の表面に付着しただけで毒素の浸透効果を発揮するため、吸い込まなくても影響を受ける。菌根坑道の迷宮病発症率はトップクラスと言われていた。

 

「臭いでわからない危険は肌感覚で察知しな」

 

 嗅覚に優れたホトグレスであればガスマスクをつけていても変質魔力の察知くらいはできるが、常人にその水準の技を求めるのは無理な話だ。

 

 迷宮内であれば大なり小なり変質魔力が漂っている。要は、それが許容量を越えないように空気中の濃度が高い場所を避けて行動すればいい。鼻で嗅ぎ分けられない者は計測器を四六時中チェックする必要がある。普通の採石者はそのチェック役を探索隊に必ず一人は組み込んでいる。

 

 だが、ホトグレスは少年たちから変質魔力の計測器を取り上げていた。これも修行の一環だ。事前に魔力を察知することは無理でも、接触した感覚から毒素の多寡を読み取り回避する訓練である。

 

 こうした訓練は変質魔力の察知のみならず、敵との交戦においても活用できる。強化した感覚の単体では大した効果はないが、それらの情報を合わせて分析することで直感的な回避能力が向上する。

 

 宙に漂う羽が風に揺られて翻るように、考えるよりも速く体を動かせるようになる。初見殺しが基本となる採石者同士の戦いにおいては必要な技術だ。

 

 これを達人たちは『再認識』と呼ぶ。人々が当たり前に感じている世界を徹底的に見直す力。どれだけ感覚器を強化しようと、この能力を疎かにしては戦力として活かすことができない。

 

 急に言われたからといってできる技ではないので、少しずつ体を慣らしながら覚えていくしかない。少年は神経を集中させて大気中の魔力を感じ取ろうとする。

 

 身体強化についてはまだ自力で発動することができない少年だったが、比較的習得が容易な感覚器の強化については魔石の力を取り込まずとも使えるようになっていた。強制的な磨法による強化を何度も経験したおかげで覚えが早い。

 

 ピアは一歩も二歩も先を進んでいるのか、初歩的な肌感覚ならば身についている。それに対してアルマは感覚が鈍く、ホトグレスの話を聞いてもさっぱりわからない様子だった。

 

「ある程度の強さを持つ寄生炉や採石者の対策には必須の技能となる肌感覚の強化が修行の第一段階だ。感知力が身につくまでいつまでも待ったりはしない。死ぬ気で覚えることだね」

 

「そう言われても……変質魔力なんて全然感じ取れませんよ。というかこの迷宮、本当に生きてるんですか?」

 

 坑道内は真っ暗で、魔石灯を持ち込まなければ先が見えないほどだった。普通の生きた迷宮であれば壁全体が光るので視界は十分に確保できる。

 

「この辺りはほぼ死んでるよ。変質魔力も微量しかない。だからこそ訓練にはうってつけというわけさ」

 

 一行は、暗く狭く複雑に入り組んだ道を進んでいく。細い通路が何本にも分岐して入り混じっている。何も考えずに奥地へ踏み込めば確実に迷う。実際に多くの採石者が遭難して行方知れずになっていた。

 

 これが中層以降になると、迷うだけでなく変質魔力の中毒症状にも注意しなければならない。長時間の探索をすれば方向感覚の喪失は避けられない。通路が狭いため淀んだ魔力が一か所に充満しやすく、逃げ場が少ないことも大きな要因だった。

 

 知らず知らずのうちに体表に付着した変質魔力が、緩やかに幻覚を見せ、感覚を狂わせていく。慣れなければ初期の段階で幻覚症状を自覚することが難しい。迷宮が『迷宮』と呼ばれる所以だった。

 

「バダルサナ迷宮とはえらい違いだ! なんだこの嫌がらせみたいな複雑さは!?」

 

「ここは他の大迷宮とは成り立ちが違うからね。そもそも、迷宮と呼ばれる地下空間はどのようにして形成される?」

 

「それは、発生した『迷宮鉱脈』が芯部から空洞化していくからです」

 

 少年の答えにホトグレスは頷いた。新しく生まれた迷宮は、植物の種にように発芽すると考えられている。これが地中で生長し、根を伸ばすことで迷宮鉱脈が形成される。発生期と呼ばれる最初期の段階だ。

 

 発生期の迷宮は鉱脈を急激に生長させるが、ある時を境にぴたりと止まる。後は何年経ってもそれ以上大きくなることはない。迷宮の規模は発生期に決定すると言える。

 

 そこから徐々に鉱脈の芯部が朽ちて、内部に管状の空間ができる。鉱脈そのものは管の外側を包み込むようにして生きている。この状態が活動期だ。採石者たちが探索可能な洞窟はこうして作り出される。

 

 そして衰退期に差し掛かるとさらに空洞化が進行し、迷宮鉱脈は脆弱になっていく。鉱脈が完全に朽ち切った状態が停止期である。これが迷宮の一生だ。

 

 しかし菌根坑道の場合は、群体が一つの迷宮を形作る特別な成り立ちをしている。今もまだ、この迷宮は生長し続けているのである。

 

「一説によれば、きのこが迷宮の発生を助けているそうだ」

 

 植物の中には、根に菌を住まわせることで共生するものが多くある。草を掘り起こすと細い白根がびっしり生えているが、その表面にさらに極細の菌糸が無数に生えそろっており、そこから地中の養分や水を吸収して植物に渡しているのだ。

 

 菌根坑道の地下では、寿命十数年程度の短命で小規模な迷宮が多発する。本来ならば迷宮になる力のない種が菌の力を借りて芽吹くのである。これにより継ぎ足されるようにして迷宮の内部構造が複雑化している。

 

 その深層は新たに生まれた小迷宮と交錯するため剥き出しの鉱脈同士がぶつかり、発狂必至の高濃度魔力地帯となっていた。きのこ迷宮などと可愛らしい名前で呼ばれるが、世界屈指の探索難度を誇る過酷な迷宮だった。

 

 通路を進んでいくうちに奥から大勢の人の気配を感じる。たどり着いた先は迷宮中層のベースキャンプだった。所属を問わず、多くの採石者が集まっている。

 

 基本的に迷宮内で採石隊同士が鉢合わせて良いことはないのだが、この中継拠点は特別だった。なにせ菌根坑道では浅層域からろくな魔石が採掘できない。

 

 通常の迷宮であれば浅層からも低品質ながら魔石が収集できるのだが、菌根坑道において古い上層は大半が停止期を迎えている。そのため実力があろうとなかろうと、中層域が探索のスタート地点となる。この迷宮が上級者向けとされる理由の一つだ。

 

「それじゃ今日の授業はここまでだよ。初日だから軽く慣らす程度にしてやろう」

 

「え? じゃあ、この後は?」

 

「自由にしていい。中層から先を見に行くもよし。帰って休むもよし。では、解散」

 

 そう言い残すと、ホトグレスは風のように去った。本当に目の前から消えたかと思うほどの速さで走り去る。少年たちはあっけに取られた。しばらくして、置き去りにされたことに気づく。

 

「ここから俺たちだけで帰るのか!?」

 

 一応、少年は自主的にマッピングしていた。経路記録は探索の基本である。通って来た道に目印なども残していた。

 

 しかし予想以上に視界が悪く、分岐した道も多く、ホトグレスの進行速度が速かったため正確に記録できていたか不安が残る。代わり映えしない坑道内、一本でも道を間違えばさまよい歩く事態になりかねない。

 

「そう言えばこれだけベースキャンプに人がいるのに、これまで通って来た道には人が歩いて来た形跡がなかった」

 

「みんな違う道を通って来たってこと?」

 

「おそらく……と言うより、ホトグレスがわざと誰も使わないような道を選んでたんじゃないか?」

 

 最初から迷わせる計画だったのだ。意地が悪いが、これも修行のうちと納得するしかない。三人でこれまで通った経路を確認していく。

 

「地図があるならそれを見て帰ればいい」

 

「その地図が本当に正しいかわからないんだって」

 

「下郎を信じる」

 

「簡単に信じるんじゃねぇ!」

 

 少年はドラジッドに教え込まれた実地訓練に基づいて記録をつけてはいたが、バダルサナ迷宮と菌根坑道は環境が大きく異なる。

 

 『このくらい何とかなる』『前も大丈夫だったから今度もうまくいく』。こんな考え方が一番危険だと教わった。浅層域だからと言って甘く考えてはならない。幸いにもここに人はたくさんいる。念のために道を聞くことにした。

 

「小便くせぇガキがなんでこんなところをうろついてんだ?」

 

 そして、冷ややかな反応を返される。ガスマスクで顔を覆った採石者たちの表情はわかりにくいが、総じて友好な雰囲気とは言い難かった。

 

 彼らは命がけで仕事をしに来ている。道に迷うような間抜けはいない。いるとすれば死んで当然。見知らぬ子供に手を貸す義理も人情も持ち合わせていなかった。

 

「地上への道が知りたい? ああ、いいとも。教えてやるぜ」

 

 気前よくそう言ってくれる者もいたが、無料ではない。法外な価格の金銭か、上質な魔石等を要求される。迷宮の探索をするのに金を持って来てはいない少年たちに支払うことはできない。

 

 地べたに敷物を拡げて商品を売っている者がいた。何の用途に使うのか、しなびたきのこが並んでいる。中には浅層の地図を売っていると言う者もいたが、やはり買える金額ではない。

 

 無一文と知られてからは、いつの間にやら近づくだけで殺気立たれるようになり、キャンプの隅の方へと自然に退避していた。そこにはきのこがもさもさと生えた塚のような場所がいくつかあったのだが、よく見れば積み重なった人間の死体だった。

 

「うぅ……もう帰りたい」

 

 アルマが弱音を吐く。ピアがその背中をさすって励ました。言葉にこそしなかったが、少年も同じ気持ちだ。いつまでもこんな場所にいたくはなかった。

 

「お前たち、そこで何をしている。身分証を見せろ」

 

 誰かに通報されたのか、そこに衛兵までやって来た。このベースキャンプの秩序を保つ存在だ。これだけの採石隊が集まって暴力沙汰が起きないのも、国から遣わされた衛兵たちが見回っているからである。

 

 戦時においては重用される軍人も、戦争がなければ金食い虫と化す。そのため、平時の下級兵は迷宮の採石業に従事させられる。

 

 これは国ごとによって制度が異なり、ドゥマトンのやり方にも一長一短あった。いくら暇を持て余さないように仕事を与えると言っても採石業は過酷すぎる。実戦経験と実利を得られる反面、少なくない殉職者と不満を抱える兵士たちを生み出している。

 

 取り調べに来た衛兵は最初から気が立っているようだった。少年たちの中で採石者の証であるバッジをつけているのはピアだけだ。三人ともホトグレスの弟子だと説明したが、衛兵は胡散臭そうなものを見る目をしていた。

 

「ならばその師はどこだ? この場で証明できないのであれば二名は入場資格表示違反だ。中層以下の探索を禁ずる。また罰金を科す」

 

「いや、ごもっともですが、これも修行の一環とホトグレス様から仰せつかったことでして……」

 

 探索禁止命令はともかく罰金は困る。少年が平身低頭、揉み手で応対するが衛兵の態度が変わることはなかった。しばらく問答していると、新たな兵士までやって来た。さらに状況が悪化していくかに思われた。

 

「こ、これはロルレーク大尉殿」

  

「まあまあ、相手は子供です。そう目くじらを立てることもない」

 

 どうやら後から来た兵士は階級が高いらしい。身なりからして一般の兵士とは違う。指輪やらピアスやら腰に下げた宝飾剣やら、やたらと飾り立てた男だった。間違いなく平民ではないだろう。

 

 少し警戒したが、少年たちを処罰するつもりはないようだ。しかも、道がわからないと伝えると意外にもあっさり教えてもらえた。浅層の全体図を把握しているのか、少年が記録した地図をスムーズに添削してくれた。

 

「とはいえ、規則は規則。初回は大目に見ますが、次からは師匠同伴で来てくださいね」

 

「は、はい……あの人がまた置き去りにするようなことがなければ……」

 

「それはまあ、なんとも豪快な指導方針ですが、若い芽を枯らしてしまっては意味がない。この迷宮の治安を守る我々としては推奨できません。くれぐれも無茶はしないように。間違っても深層を目指そうだなんて思ってはいけませんよ」

 

 ロルレークは柔和にほほ笑む。これまで荒んだ話のやり取りばかりだったので、こういう気遣いをしてくれる人がいたことに三人は安堵した。

 

「でも、ホトグレスさんは深層の何とかっていう寄生炉を倒すんだーって言ってました」

 

「もしや『玻璃咬槌』のことですか?」

 

「あっ、そうです!」

 

「……はっはっは! なんとまあ! それはまあ!」

 

 これまでは落ち着いた様子だったロルレークが急に声をあげて笑い出す。そして、ぐいと少年たちの目線に顔を近づけた。

 

 

「絶対に不可能ですよ。それはそれは。ははは。

 かの権者にも、そうお伝えください」

 

 

 ロルレークの目は笑っていなかった。どこまで深く淀んだ沼のように底が見えない。どこか人間らしさを欠いた目をしていた。そのぞっとする気配を前にして後ずさる。

 

 彼はすぐに元の柔らかな表情にもどった。ごろごろとした宝石の指輪を愛おしそうに撫でている。

 

「私は常々、思うのです。天国と地獄はあると思いますか? 私はあると思っています。ですが、少しばかり皆さんが考えるものとは違う」

 

 唐突にわけのわからない話をされる。しかし異様な雰囲気に呑まれ。口を挟むことは憚られた。

 

「今、我々が生きているこの世こそが『天国』、そして死者の向かうところが『地獄』です。だからね、一つしかない大切な命を粗末にしてはいけませんよ。どうぞ束の間の生を謳歌してください。小さな採石者諸君」

 

 

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