鋳造の採石者   作:放出系能力者

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13話「第六感」

 

 少年たちはいまいちロルレークのことを信用できなかった。軍のお偉いさんらしいし、客観的には信用のおける人物なのかもしれないが、人としてどこか疑わしく感じた。

 

「そもそもの話、これだけの採石者が地上とここを行き来してるんだ。正規ルートに近い順路が隠されてるはずもない」

 

 人が通れば痕跡が残る。よく使われる道ならなおさらだ。人の流れを注意深く観察すれば特定することはそう難しくなかった。後は踏み固められた地面などの痕跡を辿りながら地上を目指せばいい。

 

 道の入口はすぐにわかった。さっきロルレークに地図を添削してもらったが、それはホトグレスがわざと選んだ回りくどいルートなので、正規ルートがあるのならもちろんそっちを進んだ方がいいに決まっている。

 

「修行は?」

 

「堅実なルートを調査し、見極めることも採石者に必要なスキルだ。この迷宮で道に迷ったら修行どころじゃなくなるぞ」

 

 携帯用の発光溶液を使って灯りを取りながら洞窟を進む。通常の迷宮であれば浅層だろうと視界を確保するために十分な光量があるのだけに、採石者はこの手の準備を普通はしない。少年はマルティナからある程度事前に情報を得ていたので用心のため準備していた。工房の元気娘に感謝する。

 

 壁伝いに鎖が張られており、それを辿れば道に迷う心配もない。これだけ迷いやすい迷宮なのだから当然と言えば当然、その程度の整備はされているはずだった。思ったよりも簡単に脱出できそうで、少し拍子抜けしたくらいだ。

 

「バダルサナ迷宮とは整備のされ方が全然違うね……」

 

 広大で探索しやすいバダルサナ迷宮は人流も物量もこことは桁違いである。マルティナの話では軍が介入してベースキャンプが公的に運営されるようになったのも最近のことらしい。降灰山脈には有名どころの大迷宮が他にいくつかあるので、このきのこ迷宮は知る人ぞ知る秘境のような扱いだった。

 

 確かに上質な魔石が産出されているが、その極悪な探索難度のせいで割に合わない。歴史はそれなりに古いが開拓の進んでいない迷宮だった。

 

「……」

 

「どうかしたか、お嬢?」

 

 順調に進んでいたところでピアが立ち止まった。かと思えばまた歩き出す。どこか神経を尖らせているようだった。やがて小声で少年につぶやく。

 

「尾行されてる」

 

「……確かか?」

 

「確証はないけど」

 

 悪態をつきたい気持ちを堪えて平静を装った。ここは浅層だが、既に死んだ迷宮だ。寄生炉は活動できない。必然的に、敵は人間ということになる。

 

 一文無しの子供だから襲われないという道理はない。可能性は考慮しておくべきだった。賊は用心深いのか様子見に留まり、まだ近づいてくる気配はない。ひとまずすぐには反応せず、気づいていないふりをして先へ行く。すると、道先を示していた鎖が途切れた。

 

「どういうことだ……道が間違ってたのか?」

 

「空気が流れてる」

 

 ピアが手を前にかざす。少年も同じようにすると、確かに微細な風の流れを感じた。まだ地表からは遠い場所だ。外から風が吹き込んできているとは考えにくい。警戒しながら鎖の途切れた先の道を進むと、行く手を阻むように巨大な縦穴が現れた。

 

 穴は深く、手元の頼りない灯りでは底が見えない。壁にはいくつもの横穴が開いていた。これまで見てきた浅層の構造とは明確に異なっている。

 

「おそらく俺たちが来た道は、もう使われていない旧道だ」

 

 最近までこのルートは生きていたのかもしれないが、目の前の縦穴によって使えなくなったのだ。少年は心当たりがあった。これが話に聞く『玻璃咬鎚』の潜り道である。

 

 討伐目標である大型寄生炉、玻璃咬鎚は迷宮岩盤の内部を移動する。菌根坑道は他の迷宮と違って菌類と共生する若齢の小迷宮群であるためか岩盤の組成が脆く、こうして大型寄生炉によて地形を変えられてしまうことがあるという。

 

 しかし、それはもっぱら深層部で起きることだと聞いていた。ここは地表にほど近い浅層である。しかも通常は寄生炉が活動することのできない停止期に入った部分だ。こんなところまで活動の範囲を広げているとなると、ただの『大型』とは言い難い。通りで軍が警戒し、監視を置くわけだ。

 

「こんな大穴開けるような化け物を倒すだと? 何考えてんだよ、あの婆さん」

 

 縦穴の壁面を観察すると、子供くらいの大きさの不気味な繭が数多く張り付いていた。ピアが近くの石を拾って投げつける。布団を叩いたような音がして、目に見えるほど大量の胞子が宙を舞った。きのこの一種なのだろうか。

 

 すると、破れた繭の中から小さな動くものが姿を見せた。昆虫型の小型寄生炉だ。一つの繭に三匹くらい入っているようだ。動きはしたが、すぐに挙動は鈍くなって停止した。

 

 ここには寄生炉の活動に必要な大気中の魔力が少ないためだろう。生物で言えば酸素がない状態のようなものだ。だが、逆に言えばそんな環境にどうやってたどり着いたのか疑問に思えてしかたなかった。

 

「風が下から吹いてる」

 

 空気の流れがおかしい。注視していると、穴の底がぼんやりと光った。徐々に、いや急速に光がこちらへと向かってくる。

 

「なんか……まずい!」

 

「逃げよう!」

 

 本能的に危険を感じ、退避するが遅かった。強風と共に光る胞子が押し寄せる。幻想的な光景だった。胞子を運ぶ風が吹き抜けると、息を吹き返したように迷宮の壁全体が淡く光り始める。

 

 縦穴の繭が一斉にうごめき、獲物を求める虫たちが騒いでいる。三人はその場から一心不乱に逃げ去った。幸いにも強風が届いた範囲は縦穴に近い部分に留まり、少し奥へ引き返すと発光現象は落ち着いていた。

 

 しかし、脅威は完全に過ぎ去ったわけではない。安全圏まで逃れたところで少年はバランスを崩して転びかけた。全力疾走でもこの程度の距離でバテるような鍛え方はしていないはずだったが、頭を揺さぶられるようなめまいに襲われ、膝をついてしまった。

 

 変質魔力の急性中毒症状の一つだった。視界が歪み、足元が沈み込むかのような平衡感覚の異常に陥る。酩酊した状態に近い。ホトグレスに計測器を取り上げられていたので詳しい数値はわからないが、あの胞子の風には高濃度の変質魔力が含まれていたものと思われる。

 

 ピアも魔力に中てられたのか壁に体を預けていた。アルマは平気そうだった。

 

「どうしたの、二人とも!?」

 

「大丈夫だ、心配しなくていい。少し休めば……」

 

「そうそう何も心配はいらねぇよ。俺たちがすぐに楽にしてやるからよぉ」

 

 最悪のタイミングで人間の敵が現れた。薄汚い身なりをした三人組の採石者、いや盗石者だ。迷宮内における賊はまとめてそう呼ばれる。少年はその男たちの姿に見覚えがあった。

 

 ベースキャンプからこの道を選ぶとき人通りの有無を確認したのだが、その時に目にかかった者たちだった。無用な接触を避けるため近づくことはなかったが、その時から逆にこちらが目をつけられていたようだ。

 

 少年たちを旧道へと誘い込み、内部で潜伏し、後ろから回り込んで尾行していた。潜り道から不定期に吹き上げる瘴気の強風を利用して獲物を弱らせ、そこでようやく姿を見せたというわけだ。

 

「女、女ァアア! ガスマスクなんざ取って顔見せてくれよぉ!」

 

 敵の目的を察した少年は舌打ちして立ち上がるが、めまいのせいで及び腰になっていた。ピアも剣を杖替わりにして立っている。アルマは正常だが慌てふためいている。

 

「お嬢、一人は任せた」

 

「うん」

 

「姐さんは後ろから来る敵を少しの間止めてくれ」

 

「後ろ!?」

 

 少年たちの後方から小型寄生炉が何体か追ってきていた。潜り道の壁面で見かけた寄生炉だ。

 

「まだ活きがいいじゃねぇか。もっと弱らせなきゃ、暴れられちゃあ楽しめないぜ」

 

「男は殺せ!」

 

 敵が武骨なメイスを手にして迫り来る。メイスなどの打撃武器は多くの採石者が装備している。硬い装甲を持つ寄生炉を相手にする際は、鍛晶蔵のような特殊な武器でもなければ刃物の切れ味など期待できないからだ。

 

 剣は人同士の戦いで使われるべきものであり、ゆえに騎士道につながる儀礼的な一面を持つ。あるいは真逆に、人を襲うことを前提としていることから非道な人殺しのレッテルを張られることもある。“剣士”という言葉には複雑な印象が込められる。

 

 ピアの武器のように鈍器としての性能に特化した剣を使う採石者もいるが、それを見て剣士というだけで嘲る採石者もいる。命がけで寄生炉という人外の怪物を相手取る採石者にとって、“人の武器”である剣にこだわる人種は見栄を張っているように見えるのかもしれない。

 

「そらっ! もっと良い俺の“剣”をくれてやるからよぉ! おとなしく眠ってろ!」

 

 だが、戦いの本質を少しでも理解している者からすれば意味のない思い込みである。駆け寄ってきた男に対して、ピアの『弾鋼剣』が閃いた。そのしなやかな刀身は直撃の瞬間に戦慄き、ピアの技量によって爆発するように威力を増す。

 

 片手ではなく両手で振り抜いたその一閃は、まさに破裂と表するべき衝撃だった。ひとたまりもなく人体を破壊する。一撃必殺の殴打により敵を絶命させた。それを見ていた賊の仲間は思わず立ち止まっていた。

 

 わざわざ子供相手に用心を重ね、変質魔力を浴びせて弱らせて万全を期したはずだった。まさか中毒になっていなかったのかと疑う賊だったが、ピアは確かに弱っていた。弱った上で、この程度の賊を相手に後れを取るようなことはなかった。

 

 そして仲間の死を前にして、残された男が取るべき行動は“逃げ”の一択。そう判断するには、少し遅すぎた。

 

 ピアの戦闘に気を取られていた男は、我が身に迫る青炎の一撃を避けられなかった。自分の戦う相手から目を離してはいけなかった。とっさに体内の気を操り、磨法によって肉体を強化する。

 

「ぎいいおおおおお!!」

 

 だが、炎を宿す少年の手は泥を掻き捨てるように防具もろとも男の体を抉った。猛獣に襲われたかのようだった。爪痕から大量の血が流れる。

 

 本当はその一撃で殺すつもりだったのだが、相手も浅層でくすぶっているとはいえプロの採石者。致命傷にはなっていない。

 

「避けんじゃねぇ!」

 

 少年の貫き手が賊の胸に突き刺さる。殺すつもりなら頭を狙えばよかっただろう。少年の殺しに対する躊躇が、敵を生きながらえさせて苦痛を与えていた。

 

「なんで……なんで、こんなこどもが……」

 

 鍛晶蔵を持っているなんて思いもしなかった。返り討ちに遭うなど思いもしなかった。ただひたすらになぜ、と何の意味もない疑問で頭を埋め尽くしながら男は死んでいった。

 

 少年は後味の悪い殺し方をしてしまったことを悔いる。殺したこと自体に後悔はない。死んで当然の下衆だったと思う。問題は魔法を使ってしまったことだ。

 

 物を溶かす感覚と、人を溶かす感覚には明確な違いがあった。舌先が料理に触れればその味を判別するように“美味い”と感じてしまう。それが嫌で中途半端な攻撃をしてしまった。中毒症状によって余裕のない状態だったので魔法を使わざるを得なかったが、もっと使い方を考えるべきだった。

 

 反省は後回しにして、アルマの加勢に向かう。寄生炉の方は楽勝だった。動いていると言ってもゼンマイの切れかけた玩具のような有様だ。さっさと倒して装甲を溶かし、魔石を回収する。

 

 そこまではまだよかった。中毒症状も落ち着き、ベースキャンプへ戻るため道を引き返そうとした。しかし、あの朽ちた鎖がどこにも見当たらない。

 

「この近くにあるはずなんだ……探せばきっとある!」

 

 一度旧道から離れはしたが、短い距離だったし道のりはしっかり記憶していたはずだった。だが、一向に道しるべの鎖は見つからず、探せば探すほど本来の道から外れていく。

 

「迷宮が見せる幻覚の恐ろしいところは、感覚を狂わせることだけじゃない。現実ではないものを、あたかも現実であるかのように思わせてしまうところにある」

 

 人間の脳は、自身の認識と現実との齟齬を擦り合わせ、勝手に補完してしまうことがある。特に、意識の外に生じる自覚のない錯覚は危険だ。自分の感覚や記憶が当てにならなくなることを意味する。

 

 この暗く景色も変わり映えしない洞窟の中を延々と歩いていれば方向感覚は当然麻痺する。いくら目印があろうと、それを一たび見失えば簡単に自分の居場所もわからなくなる。頼りにしていた鎖はまるで幻のように消えてなくなってしまった。

 

「すまん、俺のせいだ」

 

 こんなことなら下手に知恵を回そうとせず、ホトグレスと来た遠回りの道のりを戻った方が良かったのではないかと思えた。ロルレークのことが信用できずとも、今この状況に陥るくらいなら信じた方がマシだった。

 

「違うよ。弟くんに頼ってばかりで、任せきりになってた私だって悪いよ」

 

「これも修行。仮に何の障害もなく脱出できたとしても、ホトグレスは認めないと思う。また迷宮の中に突き返されるだけ」

 

「さすがにあの人もそこまで鬼畜じゃないと思うが」

 

「甘い。最初からホトグレスは私たちを迷わせるつもりだった。つまり、今ここからが本当の修行ということ」

 

 ピアは少しだけ語気を強める。道に迷ったことに関して少年を責めるつもりは全くなかったが、その覚悟の足りなさだけは咎めた。

 

 この迷宮で子供が三人、道に迷うことが何を意味するか。全滅である。死ぬよりほかにない。少なくともホトグレスは死んでも構わないという気持ちで少年たちを置き去りにしたのだ。

 

 厳しくはない。それが迷宮の常識である。死ぬ気で挑まなければ死ぬ世界だ。先ほどの戦闘も勝利はできたが、もし敵が少年たちより強ければ当然のように殺され、凌辱されていた。一流の採石者になるということは迷宮において襲い掛かるあらゆる困難を打ち砕く力を身につけることにある。

 

「……そうだな。お嬢の言う通りだ」

 

 今にして思えば彼が師と仰ぐドラジッドは甘かった。迷宮を探索するとき、少年は常に師から気遣われていた。彼も初めての弟子を相手に非情になり切れないところがあったのだろう。

 

 それをありがたく思いつつも、今は忘れなければならない。ホトグレスの下についた以上は、彼女の教育方針に従うべきだ。『権者の弟子』という称号があるだけで、ただの見習い採石者よりも格段に保障された地位にあることは間違いない。見限られないように食らいつく必要がある。

 

 決意を新たに地上を目指す。しかし、いくらやる気が有ろうとただ闇雲に歩き回るだけで脱出できはしない。ひとまず旧道探しを続行し、ベースキャンプに戻ることを目標としたが、そこでピアが待ったをかけた。

 

「ホトグレスは私たちに“触覚”の鍛錬を課している」

 

「わかっちゃいるが、肌の感覚が鋭くなったところで道はわからないしな……今は探索を優先しよう」

 

「そうじゃない。触覚を鍛えることが脱出にもつながる」

 

 ピアが言うには、採石者が鍛える感覚強化の修行には段階があるらしい。一つ目が“視覚”。当たり前だが見ること、視覚的に観察することが全ての前提となる。二つ目が“聴覚”、三つ目が“嗅覚”。どちらも視覚から得られない情報を拾い上げ、より深く現実を再認識する手段だ。

 

 そして、四つ目が“触覚”。ここまで来ると達人の域に差し掛かってくる。空気や地表を伝わる微弱な振動を感知する能力は、実際に野生動物などにも見られる。それと同じく研ぎ澄まされた達人の肌感覚は、触れずして離れた場所にいる対象の情報を読み取ることができるのだ。

 

 そこまでは少年もドラジッドから習っていた。だが、ピアはその触覚のさらに先、五つ目の段階があるという。

 

「それが最後の段階、“仙覚強化”」

 

 極限まで感覚を高めることで到達する奥義。感覚器の強化はどこまで行っても肉体に依存するが、仙覚は肉体というくびきから脱した精神そのものの強化である。少年は聞いたこともなかった。採石者資格の教科書にも載っていなかった。

 

 にわかには信じがたい。だが、言われてみれば納得できる部分もある。古今東西、名を遺した採石者たちは超人的な数々の逸話を残してきた。その全てを誇張された噂に過ぎないと断じることはできない。

 

 実際に何人かの権者と出会ってきたが、いずれも超人と言って過言ではない傑物ばかりだった。たとえ武器を持たずとも、ただの磨法だけで圧倒的な力を発揮する存在だ。仙覚なんて馬鹿げた感覚を持っていても不思議ではないと思えてくる。

 

「ちょっと待て、じゃあホトグレスはその奥義を俺たちに自力で覚えさせようってのか?」

 

「うん」

 

 いくら何でも修行初日から要求されるハードルが高すぎる。ピアでもまだ触覚強化にさしかかった段階らしく、仙覚については全くの未知だと言う。できる気がしない。

 

「ちくしょうが。やってやろうじゃねぇか」

 

 半ば自棄気味のやる気がわいてきた。そんな空回りができるのも、最初の内だけだった。

 

 

 * * *

 

 

 探索、四日目。未だ脱出の見通しは立たず。暗闇の中に三人はいた。

 

 念のために用意してきた携帯食料を分割して飢えを凌いでいるが、空腹には抗えない。体力面は元より、精神面の衰弱は著しかった。

 

 少年たちはどれだけの時間が経過しているのか知ることもできない。時計はホトグレスに取り上げられていた。今にしてその意味を理解する。

 

 客観的には誰しも平等に享受する時間も、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、苦しい時間はその何倍にも長く感じる。昼夜の感覚すら狂い始め、無限の時の牢獄へと放り込まれた気分だった。ただ、少なくなっていく水と食料が命の期限を示していた。

 

 会話はとうに絶え、歩く気力もなくなっている。もう散々に歩き回ったのだ。今日はもう休むことにして体力の温存と回復に努めていた。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 幸い、明りには困らなかった。魔法の炎がある。少年の命がある限り燃え尽きることはない。揺れる青い光に照らされながら、三人は座り込んでいた。精神統一である。本当にあるかどうかもわからない仙覚の習得、そのために触覚強化の鍛錬をしていた。

 

 もし一人でこんな場所に取り残されていれば頭がおかしくなっていたかもしれない。人は闇を恐れる。見通すことのない未知の恐怖に何時間も浸り続ければ、ありもしない脅威に精神を蝕まれていく。

 

 頭の中で想像した敵がそこかしこを這いまわり、自分たちを取り囲んでいるかのようだった。少しでも物音がすれば振り返り、闇の中へと注意が向く。己自身の精神に埋没する感覚には程遠い。

 

 この場所にもごく微量ながら変質魔力が漂っている。活動していれば気にならない程度のものだが、こうしてじっと動かず精神を研ぎ澄ませていると、じわじわと闇が肌の中へと沁み込んでいるような不快感に襲われる。集中が乱される。

 

(こんなんじゃダメだ)

 

 少年は考えていた。この迷宮に入った時、先導するホトグレスは地図も持たずにわざと入り組んだ道のりをすいすい通ってベースキャンプまでたどり着いた。その時はあまり気にしなかったが、異常である。不可能に思えてくる。

 

 いくら記憶力が良くても視覚的に覚えた光景と現実は、見る角度によって全然違う。それも特徴的な目印の一切ない道のりの、何十あるかもわからない分岐を一つ一つ覚えていくなんて正気の沙汰ではない。

 

 思えばドラジッドもそうだった。菌根坑道ほどではないにしても、バダルサナ迷宮も広大なその構造の一部には迷いやすい箇所がいくつもある。彼はその道筋を迷いなく進み、時には見えもしない位置の敵を感知し、その種別すら看破した。

 

 ただ感覚を強化しただけで為せる技とは思えない。その秘密こそが仙覚に違いない。きっとドラジッドは使っていた。何かヒントはなかったかと、彼と迷宮を探索した記憶を掘り起こす。

 

 少年は魔石を手に取って瞑想する。三日前に倒した小型寄生炉から得たものだ。火に燃料をくべるように溶かし、魔力を体へと取り込む。感覚強化の精度を上げていく。

 

『師匠、金剛王は迷宮の深層にいるんですよね? 深層はどこも変質魔力の溜まり場ばかりだと聞きますが……そんなところに普通の人間が入って無事で済むんですか?』

 

『ま、賭けだな、ひひっ。感知力を高めて回避するのも限界がある。知らぬ間に前も後ろも魔力溜まりに挟まれていたなんてことはざらだ。その時は運が悪かったと諦めるしかねぇ、ひひゃひゃひゃ!』

 

『笑い事じゃないですよ。どうにかする方法はないんですか?』

 

『あるんだなこれが』

 

 少年はまた一つ、魔石を溶かす。意識を深く沈めていく。

 

『ここで問題だ! 迷宮病は変質魔力の毒素を原因として発症する。では、その毒素は何を蝕むのか。いち、心。に、体。さあ、どっちだ?』

 

『確か教科書に同じ問題がありましたね。変質魔力から放射される毒素によって神経系に異常をきたしていく、でしたっけ。昔は魂を魔力に汚されていくからと信じられていたようですが』

 

『今でも大勢信じてるさ。本当の答えを教えてやろう』

 

 一に心、二に体。心弱くば闇に呑まれ、体だけが残される。心を食われたその様こそが迷宮病だと彼は言った。

 

 教科書とは違う答えだったが、その時の少年はこれを教訓と受け取った。どんなに体を鍛えようと弱い心しか持たなければ命取りだ。肝心な時に判断を見誤る。いわば精神論のようなものだと思った。

 

 だが結局あの時、深層の変質魔力をどうにかする方法については教えてもらえなかった。話を濁されたものと思っていたが、もしそうではなかったとしたら。

 

 金剛王との勝負のため、深層に潜った日のことを思い出す。中層域を抜けたあたりから、まだ経験の乏しい少年にさえ感じ取れるほど濃度の高い魔力溜まりが現れ始めた。その如何とも形容しがたい独特の臭気に気圧されてしまった。

 

『大丈夫だ。俺がついてる』

 

 思わず足を止めかけた少年の隣にドラジッドが立つ。それだけで勇気をもらえた。まとわりつくような瘴気の気配が消えていくようだった。気のせいではない。少年は“再認識”する。あれこそがドラジッドの仙覚だった。

 

 最後の問いと共に、少年の手中から魔石が解け落ちた。そして、青い炎からぼこぼこと泡が噴き出す。水を沸かしたような勢いで無数の泡が生じ、天井へと昇っていく。

 

 初めて起きた現象に驚くが、体は全く動かなかった。意識は明確であるにもかかわらず、金縛りにあったかのように動かないのだ。

 

 濁った泡沫は、やがて少年の鼻や口からも噴き始めた。ぶくぶくと立ち昇り、天井付近を舐めるように広がっていく。ここに至り、ようやく少年は理解する。その“泡”こそが少年の精神だった。

 

 これが味覚を除く五感の完全強化状態、第六感『仙覚』である。泡の一つ一つが目となり、少年は自分自身の肉体を俯瞰していた。大小さまざまな眼球の集合体が天井一面に蠢いていた。肉体から飛び出した仮想感覚器である。

 

 気持ち悪いにもほどがある。だが、ピアもアルマも何の反応も示さない。見えていないのだと気づく。眼球泡沫は、ある程度肉体から吐き出されたところで放出が止まった。その塊は少年の頭部から完全に切り離されることはなく、つながった状態で大部分が天井に張り付いている。

 

 泡沫は意識すれば動かすことができた。入って来る情報の多さに圧倒される。空気中を漂う粒子までも感じ取ることができた。一番驚いたのは、変質魔力を目視できることだった。

 

 変質魔力はぴりぴりと焦げ付くような気配を発している。しかし、その毒素は仙覚の表面に触れると弾き返された。毒素を放つその粒子は、泡沫が近づくと逃げるように移動する。

 

 まるで意思をもって仙覚を避けているかのように動いていた。この性質を利用してドラジッドは自身と少年を守りながら深層の探索を可能としていたのだと思い至る。

 

 弱き心は闇に呑まれる。その逆に、強き心は闇を弾く。あながち否定はできない。最新の研究では変質魔力を細菌の寄生炉『微小型』と考える学説もある。変質魔力に意思がないとは言い切れない。教科書に答えが乗っていなくて当然だった。確かなことは誰も知らないのだ。

 

 アルマの近くに仙覚を伸ばす。瞑想していると思ったが寝ているだけのようだ。ピアの方は真面目に触覚強化の鍛錬に打ち込んでいた。張り詰めた気配が彼女の周囲を取り巻いている。

 

 もっとよく観察すると、ガスマスクをしているはずの装備の内側まで透けるように見えてきた。これは視覚だけでなく全ての感覚を総動員して情報を得ているためだ。包帯の下の顔の火傷痕まで手で触れているかのように感じ取れる。衣服の下の素肌まで透視できてしまう。

 

「?」

 

 ピアは何か違和感を覚えたのか周囲をきょろきょろと見回し始めた。慌てて仙覚を引っ込める。これは異性に対して使ってはいけない技かもしれない。

 

 次に、自分の体を動かしてみることにした。ドラジッドも仙覚を使いながら普通に行動していたはずだ。しかし感覚はかつてないほどに鮮明になっているが、依然として肉体の方は金縛り状態だった。

 

 外に飛び出した感覚を少し肉体の中へと戻すと体を動かせたのだが、どうにもぎこちない。まるで人形を手で動かしているかのようだった。自分の体であるという実感が消え失せている。

 

「下郎……?」

 

 うまくいかずに身体がのたうつ。異常に気づいたピアが駆け寄ってきた。心配しなくていいと伝えようとした。

 

「うあ゛っ、あっ、あああ、う……」

 

「下郎!」

 

 うまく喋れず状況は悪化。ピアからしっかりしろと体を揺さぶられる。そこでアルマも目を覚ました。

 

「どうしたの!?」

 

「下郎が変……迷宮病かもしれない」

 

「ええっ!?」

 

 ピアが少年の頬に平手を打つ。正気に戻そうとしているようだ。

 

「うあっ、うあっ、あばっ!」

 

 容赦ない平手打ちが繰り返し少年に叩き込まれる。さすがにまずいと思い、仙覚を解除しようとした。だが、出る時はすんなりと体の外に吐き出された感覚だったが、戻る時はそうはいかなかった。小さな肉の器に精神の塊を無理やり押し込んでいく。

 

「あぐっ、まっ、まてっ! まてって!」

 

「下郎!? 治った?」

 

「治るかァ! 顔がパンパンじゃねぇか!」

 

 ピアに首根っこを掴まれ、追加の平手打ちが来そうになる。

 

「あっ、すんません! 治りました! もう完全に治りました!」

 

 ようやく解放されて一息つく。仙覚を使っていた時は何ともなかったが、肉体に感覚を戻すとひどく頬が痛んだ。ピアも悪気があってしたことではなく、それだけ心配されていたとわかるだけに責めることもできない。

 

「ホントに大丈夫なの!?」

 

「ああ、迷宮病じゃないからそこは大丈夫だ。それより朗報がある」

 

 仙覚を使うことで周囲の情報を得た。目で見た映像だけでなく、通路に流れ込む空気や音から立体的な地理情報が頭に入っている。まるで天から見下ろすように周辺の洞窟の構造がわかった。ホトグレスが迷わないわけだ。

 

 さらに迷宮の外から入り込むわずかな外気の道筋までも感じ取ることができた。移動しながら仙覚を使えば脱出経路を割り出せるだろう。

 

「すごいよ、弟くん!」

 

「……」

 

 ピアは仙覚習得の先を越されたことが悔しいのかちょっと拗ねていた。しきりにコツを聞いてきたので考察を話したりしながら先を急ぐ。仙覚を使うと少年は足元もおぼつかなくなるので、アルマに負ぶわれながら移動した。

 

「おっ、当たりだ。ここが正規の順路か」

 

 そして多くの人間が通った痕跡のある道を発見する。今度こそ地上へとつながる生きたルートだった。あとはこれを辿るだけで脱出できる。意気揚々と進む三人の前に、ホトグレスが現れた。

 

「おや、もうそろそろ音を上げる頃合いかと思って見に来てみれば、まだ元気そうじゃないか」

 

 まさかまだ何か試練でも課す気かと身構えたが、どうやら本当に様子を見にきただけのようだった。ホトグレスもさすがに弟子たちが行き倒れるまで放置するつもりはなかった。

 

「四日も迷ってたんだ。相当行き詰っていたはずだが、どうやって抜け出したんだい?」

 

「それはもちろん、仙覚です」

 

「……はあ? 何言ってんだい小僧」

 

 少年は論より証拠と仙覚を使う。これまでの使用でかなり精神力を消耗していたが、成果を披露しようと力を振り絞った。と、言ってもこれは他人の目から見てとれるものなのだろうかという疑問がわく。試しにホトグレスの方へと仙覚を伸ばしてみた。

 

「誰がそこまでやれと言った」

 

 その直後、彼女の体から幾重もの肉の蔓が噴き出した。茨のような鋭い棘が組み合わさり、巨大な顎となって少年の眼球泡沫を噛み砕く。泡がはじけ、精神が霧散する。少年の意識が遠のいていく。

 

「カカカカカ! まさか本当に覚えてくるとは思わなんだ。やるじゃないか」

 

 ピアとアルマは何もわからない。彼女たちにはまだ、何も見えない。ただ、崩れ落ちる少年の体を支えていた。

 

 

 

 

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