「では、次の課題を出す」
迷宮から帰還した日。意識を取り戻した少年と仲間たちは、疲れを癒す間もなく師に招集される。ホトグレスが使った茨状の仙覚らしきものについて少年は尋ねたが、まだ教えることではないと取り合ってもらえなかった。
ホトグレスは一つの魔石を放り投げてきた。ピアが受け止める。
「そいつはケルマース碧晶帯岩。菌根坑道で産出される魔石の一種だ。明日、お前たちにこの石を中層で採掘してもらう」
依頼された魔石を求めて迷宮を探索し、採石する。採石者として最も基本的な業務である。
「期限は1日。魔石の純度は3以上のものを1キロ持ってくるように。無論、私の付き添いはない」
「先生がいないと中層探索の許可が下りないんですが……」
「それについては街の顔役に話を通しておいた。軍に止められることはないだろう。私に喧嘩を売るような盗石者もいないはずだ。もし出た時は遠慮なくブッ殺しておけ」
「期限は1日とのことですが、それを過ぎた場合は?」
「また同じ課題を出す。クリアできるまで毎日、何度でも、だ」
「……そんなに入手困難な魔石なんですか?」
「探せばある。現物の見本まで渡したんだ。これで見つけられないようなら採石者なんて辞めちまいな」
難易度は魔石の見つけやすさによって大きく変わるだろう。厳しい条件ではあるが、ホトグレスならもっと死に迫るような恐ろしい修行を命じてくるのではないかと身構えていたので、正直ほっとしていた。
「そうそう、別に魔石を採って来れなくても罰はないが、必ず1日の終わりに結果報告のためこの場所に集合してもらう。それができなかった者は破門だ」
「ええっと、魔石が手に入らなくても期限を越えて迷宮内に留まり続けてはいけないということですか?」
「だからそう言ってるだろう。話は以上だ」
それだけ告げるとホトグレスは鼻を一つ鳴らして立ち去った。明日の探索に向けて、道具の用意などに取り掛かる。やることは目白押しだ。最も重要な準備は、飯をたらふく食ってしっかり睡眠をとることだ。少しでも体力を回復しておかなければ日帰りの強行軍を乗り切れない。
探索準備については少年が率先して行った。こういった基礎的な知識や技術について、アルマはまだ勉強中だ。ピアは戦闘やサバイバル関連に強いが、総括的な採石業を網羅しているとは言い難い。
買い出しを終えて一通り消耗品を揃え、工房に戻ってきた少年はマルティナを探した。迷宮中層の情報を少しでも仕入れておくためだ。ちょうど休憩中のマルティナを呼び止めることができた。
迷宮のことは採石者でもない一般人はほとんど知らず、なかなか情報を集めにくい。何の伝手もない他の採石者から聞き出すことも難しいし、情報の確度に不安が残る。仕事柄採石業と馴染み深いマルティナの情報は信頼がおけた。だが、当の彼女は少年に対して少し困り顔をしていた。
「ごめんねー。教えてあげたいのは山々なんだけど、助言するなってホトグレス様から釘をさされちゃったんだよ」
「あ、そうでしたか。こちらこそ無理を言ってすみません」
「迷宮関係のことは言えないけど、他のことなら相談に乗るからね」
今のところ、チップベル工房には寝るところを貸してもらっているだけで十分すぎるほど世話になっている。特に困っていることはない。
「いや、あるでしょ。例えば、そう……君って今年の採能春杯で優勝したんだってね。引く手あまたなんじゃないの?」
「何しろまだ無名ですからスカウトなんて全くないですよ。まあ、優勝したと言っても自分自身、納得のいく結果は出せませんでしたから」
「何の話してるの? さぞや女の子にモテモテで大変でしょうねって話よ!」
それこそ何の話をしていると言いたい気分だった。
「酒場とかで女の子に自慢とかしてないの? 確か新聞にも載ったんだよね。証拠もばっちりあるし。なら、入れ食いじゃん」
「まさかぁ。切った張ったの真剣勝負ですよ? 女はそういうの興味ないでしょう。それを得意げに自慢するのも格好悪いと思いますけど」
「わかってないわね。将来有望な採石者は競争倍率高いのよ。既成事実でも何でも作って玉の輿に乗ろうとするもんなの。早死にするのが前提だし、うまいこと取り入ってポックリ逝ったら乗り換える。それが理想よね」
「あんた、そういうこと言うキャラだったのか」
ベルネオーレが娘のことを『純情可憐』と評していたが、今や少年のマルティナに対する印象は急落していた。
「男の方もそれをわかってて、もうとっかえひっかえ種馬のごとくよ。それが普通の採石者なの」
「へぇ。俺はそんな採石者にはなりたくねぇ」
迷宮で襲ってきた盗石者のことを思い出す。くだらない欲望に負けて命を落とすことになった連中だ。あの男たちも最初からあそこまでひどかったわけではあるまい。仮にも菌根迷宮に挑んで生き残った手合いなのだ。だが、人間は易きに流れ堕落する。
今の少年に女のことでうつつを抜かしている余裕なんてなかった。興味がないとは言わないが、そんな浮ついた気持ちを持っていてはホトグレスの修行を堪え抜くことはできないだろう。
「なるほどね。まあ、ピアちゃんとアルマちゃんがいるもんね。あんな綺麗どころが近くにいれば目移りなんてしないか」
「どうしてそっちの方向にもっていこうとするんだ。お嬢と姐さんはなぁ……戦友だ。あんたが考えてるような薄っぺらい関係じゃなく、もっとこう、固い絆でだな」
「それでどっちが本命なの? どっちもなの? その気持ちはわからなくもないけど、はっきりさせとかないと後が怖いわよ。痴情のもつれは割と採石者の死因に食い込んでくるから」
「俺の話、聞く気ないだろ」
マルティナは変なスイッチが入ってしまったのか延々と話し始めた。面倒なことになったと思ったその時、近くをアルマが通りかかった。
「おう、姐さん! ちょうど良かった。マルティナがなんか話があるそうなんだ。聞いてやってくれないか」
「うん、いいよ!」
屈託ない笑顔で快く了承するアルマを見て後ろめたさを感じる。だが、少年はまだ道具類のチェックやメンテナンスなど明日の準備が残っている。ここは適材適所だと、マルティナを押し付けることにした。
足早にその場を去る少年の背中にマルティナが声をかける。
「おーい、少年! 修行もいいけど人生もっと謳歌しなよ! 今この瞬間は、今しかないんだからさ!」
例えば、ノルバーは女にだらしない奴ではあったが、悪い奴ではなかった。何事も自分が見える視野でしか物事を考えないようでは殻は破れない。一概に否定するばかりが成長ではないのかもしれないと思うところもあった。
その翌朝、迷宮へ向け日の出前に出立する。一夜明けて体力も大分回復した。そのはずだが、アルマの様子が少しおかしかった。何か言いたいことでもあるかのようにチラチラと少年の方を何度も見てくる。どうかしたのかと尋ねると。
「昨日マルティナさんに聞いたんだけど、弟くん、しょ……娼館に行きたくてたまらないって、本当なの!?」
「……マルティナァアア!!」
意を決したアルマがとんでもないことを口走る。ろくでもないことを吹き込まれたらしい。少年は即座に疑惑を否定した。ピアは何のことかわかっていないようだった。
「しょーかんってなに?」
「えっと、お、女の人の裸を見に行くところ、なんだよね?」
「違、いや。そういうことにしておこうか」
「……」
「なんでちょっと行きたそうな顔してんだよ、お嬢」
「今度三人で行こう」
「行かねぇよ! 娼館のことは忘れろ! これから迷宮に潜るんだから気持ちを引き締めてくれ!」
前途多難だが、緊張しすぎるよりはいいのかもしれない。そう思うことにして一行は、いざ中層を目指して歩を進めた。
* * *
今回は順路を通って難なく浅層を突破し、ベースキャンプまでたどり着けた。軍の検問も無事に抜け、ようやく“生きた迷宮”へと足を踏み入れる。
「きのこだらけだ~!」
「好きなの?」
「きのこって、なんかかわいいよね」
魔石の発光現象は他の迷宮にも共通する光景だが、菌根坑道では魔石の成分を吸って成長したきのこが一面に群生し、色とりどりに光る。まるで夢の中に迷い込んだような光景が広がっていた。
これらのきのこは肉眼でも確認できるほど大量の胞子を放つ。層が深くなるほどその危険性は増していく。単純な毒ではなく、生物兵器のようなものだった。
この胞子を吸い込むと肺が黴る。その恐ろしいほどの増殖力は人間の免疫機能を凌駕する。身体強化による免疫の向上によってある程度は防げるが、それも少量の吸引時に限る。ただ、粒子が大きいのでガスマスクで容易に防げることが救いだろう。
発症が確認された場合は速やかに迷宮外へ搬送することで菌の増殖を抑えられるが、それ意外の治療法は存在しない。息苦しさにもがき苦しみ、やがて体中に菌が広がり、至るところからきのこが生えてくる。これは“茸葬”と呼ばれ、この迷宮に挑む採石者の最たる死因だった。
やはりその壮絶な環境もあって探索に当たる採石者は少なかった。道も数え切れないほど分岐しているので意図しなければ遭遇することもないだろう。
中層は人間の支配域と迷宮の自然が混ざり合う地点だ。多くの採石者が容易には踏み込めず、ベースキャンプを基点として何かあればすぐに安全地帯へ引き返せるよう、細心の注意を払って探索していた。
「別の採石者とかち合う心配があまりないのは良かったけどな。利権で区分けされてない中層からは無法地帯だ。盗石者じゃなくても、どちらが先に採掘場を見つけたとか、とにかく顔を合わせただけで色々ともめ事が起きやすい」
「襲撃を受けるとすれば、相手は人間以外ということ」
そう言ってピアが剣を抜いた。仙覚を使った状態でなければピアの索敵感覚の方が少年より遥かに優れている。全身の皮膚感覚を研ぎ澄まし、聴覚と合わせて振動を感じ取ることで敵の接近を予測する。確実にわかるとまでは言えないが、わずかな変調を“虫の知らせ”として察知している。
「小型が三体か」
体長50センチほどの苔むした装甲のアリ型寄生炉。別名『菌床蟻』だ。これは浅層で見たことがあり、倒したこともある種類だった。だが、あの時とは違って動きは俊敏である。これが本来の性能だとわかる。
「くれぐれも怪我はするなよ!」
「こっちのセリフ」
小型と言っても侮ることはできない。目鼻もないずんぐりとした頭部からはひゅるひゅると音を立てて細長い針が伸び縮みしている。毒針を持つ小型は多いが、菌根坑道の場合は少し特殊である。刺されると同時に、胞子まで植え付けられてしまう。
小型の強さ自体は大したことはないが、たった一撃でも体内に直接胞子を埋め込まれればそこで終わりだ。手足の一本や二本は腐り落ちることを覚悟して地上まで逃げ帰るしかない。
敵はこちらを察知して襲い掛かって来たと言うより、巡回ルートを通って来ただけのようだ。やり過ごすこともできたが、試しに戦ってみることにした。小型程度に臆しているようでは話にならない。
だが、当然油断はしなかった。出し惜しみはせず、少年は両手に炎を灯す。それが敵の目に留まったのか、三体が少年の方へと向かってくる。
菌床蟻の毒針が伸びる。その頭部には巻き取られたワイヤーのような口吻がぎっしりと詰まっていた。実は、この頭のように見える部分は昆虫で言うところの腹部に該当する。つまり、常に後ろ向きに移動していることになる。
予想を超える長射程から攻撃が迫る。口吻の長鞭は一定の方向から触れるとささくれ立った繊維が肉に食い込む構造になっている。刺されば抜けない“返し”付きだ。先端の毒針だけが脅威ではなかった。
何とか両手で受け止めようと身構えた少年の前にピアが剣を差し入れた。毒針を弾き飛ばし、すかさず本体を斬り伏せる。結局、ピアが先頭に立って一人で片づけてしまった。少年が手を出す隙もなく、アルマはメイス(この前の戦利品)を握りしめたまま棒立ち状態だ。
小型寄生炉相手に手こずるとは思っていなかったが、その戦闘であまり得るものもなかった。三人も人手がいながら互いを活かす連携が出来上がっていない。
ピアの戦い方は仲間との連携を想定していなかった。むしろ少年に気を使っているせいで動きに無駄ができている。これまで彼女は一人で迷宮を探索するか、採石隊を組んでも戦闘を一人で受け持っていたようだ。
今はまだいいがピアの実力を上回るような強敵と遭遇した場合、一気に隊が瓦解する危険がある。互いの力を引き出す連携もまた寄生炉を相手とする上で重要な武器だが、その前に個々の実力を最低限高める必要があった。
「危なっかしい」
「悪かったな」
ピアの一言に少年は図星を刺される。これが普通の迷宮なら小型を相手にここまで神経を尖らせる必要はないのだが、ここでは一撃でも食らえば場合によっては命取りになりかねない。ピアの目から見て、少年の挙動は安心できるものではかった。
魔法の力はあっても、武術の心得はない戦闘の素人だ。採石者のスキルは少しずつ身についてきたが、逆に言えばそれで手いっぱいだった。
この点についてはホトグレスからも指摘されており、今後は拳法の手ほどきも修行の一つとして受けることになっている。今は自分にできる範囲でやれることをやるしかない。寄生炉の魔石を回収しながら探索の予定を考えていた。
「話は変わるが、課題の魔石について少し調べておいた。やはり希少なものらしい」
買い物のついでに店で魔石を見てもらったのだ。無資格での原石の売買はおろか所持も禁じられているため、事情を話して少し見せただけだったが、その時の店側の反応からしてかなり高価なものだと思われる。
「おそらくこの課題、一発でクリアできるようなものじゃない。魔石が見つからなくても特にペナルティがないことを考えれば、何回も失敗することを前提とした難易度になっているはずだ」
報告の集合時間に到着が間に合わなければ破門という条件は少し気になったが、綿密な探索行程の管理は常に心掛けなければならないことだ。たとえ余裕があろうと欲をかかず、事前の行程を遵守する感覚を身につけさせようとしているものと思われた。
「多分お嬢は今日中に見つけようと思ってるだろうけど、帰る時間が来たら大人しく引き返してくれよ。明日に回せばいいんだから」
「……」
「不満そうな顔してもダメだ」
とはいえ、できればさっさと見つけてホトグレスを驚かせてやりたいと思う気持ちは少年もあった。採掘地を目指して足早に進む。ほぼ一本道のような狭い通路が無数に伸びているため“坑道”と呼ばれていた。
これらの道は迷宮鉱脈の空洞化によって生じる。道が狭いということはそれだけ細く脆弱な鉱脈の部分であることを示しており、必然的に採れる魔石の質は下がる。ゆえに採掘地は大きく開けた空間であることが相場だ。
「よし、見えてきたな。『立ち枯れ茸原』」
坑道を抜けると、うっそうと茂る枯れた草原が現れた。近くで見れば細長いきのこの群生地帯であることがわかる。天上から降り注ぐ魔石の光を浴びて一面が黄金色に輝いていた。
絶景であるが、喜ばしいことではない。きのこの背丈は葦ほどもあり、草原の中に踏み込めば全く先を見通せなくなる。おまけに強く押した程度では倒れない。
ピアが剣で払おうとしたが、ぐにゃぐにゃと柔らかい繊維質で歯が立たなかった。アルマが力任せに地面から引っこ抜くと、どこまで続いているのかわからないくらい深く根を張っているようだった。
魔法の炎で溶かして道を造ろうかと思ったがやめておいた。迷宮内ではできるだけ探索の痕跡を残さないことが個人の採石者の心得だ。採掘やマーキングなど環境に手を加える行為は必要最小限にとどめなければ争いのもとになる。
仙覚があれば迷うことはないので草原を掻き分けて進むことにした。視界が悪いので敵の接近に注意が必要だが、音による索敵はむしろやりやすいと言えた。
やがて壁面にたどり着いた。移動に手間取ったため広大に感じたが、これでも小規模な空間だ。このように大小さまざまな“茸原”と呼ばれる場所が中層では散見される。目当ての魔石もそのいずれかで採取可能であると思われた。
「よーし、採石だねっ! いっぱい掘るぞー!」
「……落ち着いて、慎重にな」
今回はピアが警戒に当たり、他の二人で採石する。つるはしは二本持ち込んだ。こういった採掘道具も帰路を考えれば大きな荷物だ。どんな物資をどれだけ持ち込むかという判断も全ての採石者の悩みの種である。足りない物を上げればきりがなくなる。
つるはしは採石者の代名詞ともいえる伝統的な採掘道具だ。採石作業一つとっても様々な危険と隣り合わせであり、それを回避するためにも必要な道具だった。つるはしにもグレードがあり、良いものは鍛晶蔵の価値に匹敵するとか。
非効率的のようだが、そうでもない。寄生炉を寄せ付けないように極力音を立てないこと、そして必要以上に壁を削らないことが求められるからだ。
低品質の魔石採集が目的なら神経質になることもないが、高品質の魔石は迷宮鉱脈に近い場所にある。それだけに掘り出すことが難しい。岩層は非常に強固で、さらに変異魔力の漏出にも細心の注意を払わなければならない。
磨法による身体強化がなければ作業は遅々として進まず、同時に針の穴に糸を通すような繊細さも要求される。断層に沿って最適な力を加えなければ削り取れない。中層以降の岩盤に発破採掘は無意味である。
魔法の炎なら岩盤も溶かせるが、変質魔力の脅威があっておいそれとは使えない。鉱脈のわずかな断層に圧縮された変質魔力が亀裂から勢いよく噴出してくることがよくある。
この時、瞬間的にだが変質魔力は深層域に匹敵する濃度にまで達する。仙覚による防御にも限界はあり、毒素を浴びれば仙覚があろうと中毒を起こす。
「えいやっ! えいやっ!」
「慎重につったろ」
一方でアルマは何も感じないゆえの蛮勇からか、その膂力で遠慮なく壁面を削っていた。変質魔力も漏れ出ているのだが、何の影響も受けていない。
「かなり“臭ってる”けど、大丈夫?」
「ああ、心配ない。姐さんは特別だからな」
念のため仙覚で調べたがアルマの体に異常はなさそうだった。仙覚で触れると、改めてアルマの肉体の凄さがわかる。凄まじい生命力が強固な殻によって作られた器の中に満たされている。
普通の人間が相手ならホトグレスが少年に対してやったように仙覚による干渉が可能なのだが、アルマの器にその隙はなかった。守りの硬さがわかるだけで、それ以上の情報は入ってこない。
ウルキスと戦った時は、侮りから仙覚を使われていなかったのだろうと思われた。最初から彼がアルマに対して仙覚を使っていれば対応は違ったはずだ。
まるで迷宮の壁を相手にしているかのようだった。迷宮鉱脈も人知を超えた巨大な生命だ。いくら仙覚を飛ばしても、その内部にある魔石の位置など感知することはできない。それと同じような隔たりがアルマから感じ取れる。
ただ、仙覚を使わなければ滅茶苦茶につるはしを振り回しているだけにしか見えない。ピアは変質魔力を浴びるアルマの姿を見てもそれほど動揺してはいなかった。少年よりも採石者としての経験は豊富であり、“そういう事例”があることも知っている様子だ。
少年が仙覚を使って変質魔力を退けたように、上級の採石者になれば変質魔力への対抗策がいくつかあるようだった。逆に、対抗手段がなければ深層など探索できる場所ではないと言える。
今度ホトグレスにも聞いてみようと考えつつ、少年は開けた場所に荷物を拡げていた。アルマは採石作業に向いているとわかったのでそこは任せて、少年は採石された屑石の破片を集めて乳鉢ですり潰していく。
「それなに?」
「いや、お嬢は知っとけよ。成分調査器材だよ」
砕いた粉末を試験管に入れ、薬品と混ぜ合わせる。その反応から特徴的な成分を調べ、付近の魔石の生成帯を推測するのだ。少年が持ち込んだものは簡易的な器材であり、あまり精密な調査はできないが、それでも手掛かりとして重要な情報を得られる。
中層域の採掘依頼を受けた際のセオリーがこの調査だ。安定した岩盤構造が確認されている浅層ならともかく、変質魔力漏出の危険が格段に高まる中層からは無暗な採掘は死を招く。
地道な調査を繰り返してあたりをつけ、ようやく本格的な採掘に取り掛かるものだ。普通はアルマのように大胆な試し掘りなんてできないのだ。
「この辺りは多分出ない。場所を変えよう」
成分調査だけで明確な位置を突き止めることは難しい。場合によっては調査だけで1カ月単位を費やす作業である。そこまでしても目当ての魔石を採取できる保証はない。最終的にものを言うのは勘と運だと言うのだから笑えない。
この“勘”こそが理論化できない採石者の職人技である。これを鍛える方法はただ一つ。とにかく掘ってその時の感覚を体に染みこませるしかない。アルマにばかり任せていてはいられないと、少年もピッケルを握った。
採掘は緊張する作業の連続だ。アルマの真似はできない。疲れが蓄積していたためか、数回壁を叩いただけで息が上がってしまった。まだ今日の採石行程の半分も過ぎていないというのにこの体たらく。しっかりしろと自分に言い聞かせる。
だが、そこで何かがおかしいことに気づいた。脈拍が上がっている。運動のせいではない。そして、わずかにだが意識が鮮明ではない気がした。真っ先に毒を疑ったが、仙覚にそれらしき反応はない。
ピアに話したところ、彼女は何か考え込んでから深呼吸した。
「ここ、ちょっとだけ空気が薄い」
「……『眠り道』か!」
特殊な毒素などを除けば、迷宮内の空気は地上と変わらない。これは魔石の恩恵である。『気石層』と呼ばれる迷宮鉱脈の基本的な構成石層により、酸素や二酸化炭素などの大気中の成分に変化があると均質に保とうとする性質がある。
魔石中から成分が溶けだしたり、反対に過剰分を吸い取ったりしている。地上に持ち出してもあまり役に立たない魔石だが、迷宮内においてはなくてはならない存在である。
この気石層の性質が狂った場所、『眠り道』というものが迷宮内では稀に見られることを知識としては知っていた。ピアは実際に体験したこともあるらしい。
調べて回ると、きのこの草原全体で同じ異常を察知することができた。この草原が原因なのかもしれなかった。
「ちょっと待て、じゃあ菌根坑道の中層は大部分が『眠り道』化してるってことか!?」
「まだ息ができるだけここは有情」
酸素濃度が呼気中の値を下回った空気は毒ガスに等しい。呼吸すればするほど体内の酸素までもが奪われる。このわずかに足りない空気というものは、変質魔力のようなわかりやすい脅威よりもある意味で遥かに恐ろしい。
洞窟内では比重のある二酸化炭素などが低い場所に溜まることもある。気づかずにいれば中毒を引き起こし、逃げることもできず昏睡する。人間は気石層という環境に生かされているだけであり、本来であれば行動できる範囲は限りなく狭いということを思い知らされる。
「ホトグレスは“心肺強化の行”をさせようとしてる」
ピアいわく眠り道を使った修行は昔からあるらしく、それは最も過酷な修行の一つとされる。彼女も自己流で挑戦してみたが死にかけたという。
今にしてホトグレスが1日という期間を区切った理由がわかった。長居するだけで命の危険が増していくからだ。報告のためというより、生存確認のための取り決めだった。
頭痛、嘔吐、眩暈。低酸素環境下での採掘作業という激しい運動により体調は悪化していく。より深い層に下るほど酸素濃度は低下していくようだった。慣れるまでは中層の浅いところしか探索できそうにない。
初日の探索で中型寄生炉との遭遇がなかったのは僥倖だった。無論、目的の魔石は発見できず、少年とピアは這う這うの体で帰路につく。仙覚を習得し、採石者としての自信をつけ始めていた少年は、まだ自分の実力がこの迷宮に挑むに足りないことを思い知らされる結果となった。