ネラニカの街は活気づいている。物資調達のため表を歩いていた少年は、ここ最近は特にそう感じる。採石者が集まってきているようだった。
一般的に採石者は資格さえあれば迷宮に入ることが可能となるが、諸々の法的な手続きやリスク管理の点から会社に雇われて使われる者がほぼ全てだ。採石者個人が魔石を売却することはできず、会社を通して利益が分配される形で収入を得る。
この雇用契約にも色々あり、一つの会社に長年勤める者もいるし、短期間だけ働いて会社を転々とする者もいる。事情は人それぞれだが、フリーランスの採石者は腕に自信のある者が多く、結果さえ出せるのならば会社もそれほど文句をつけることができない。
ゆえに“脂の乗った”迷宮の噂が広まれば、自然とその近くに採石者は集まってくる。ネラニカはまさに今、その状況にあった。菌根坑道の『玻璃咬鎚』が、ついにドゥマトンから正式に“準特大”寄生炉として認定され、莫大な報奨金が懸けられたのだ。
未だ特大には至らずとも、それに次ぐ脅威と推定された準特大型寄生炉は、早期の討伐が求められる。我こそはと名乗りをあげる採石者たちは屍の山を築き上げようと歩みを止めることなく、敵の
「ここがネラニカか。ようやく着いたな……だが、休んでいる暇はない。さっそく有力な会社を探して売り込みにいこう」
「ああ、他の連中に先を越されるわけにはいかないからな」
少年は街についたばかりと思われる採石者たちとすれ違った。優良業者に雇ってもらい、探索のサポートを受ける腹積もりのようだが、生憎と菌根坑道はそんなセオリーが通用する迷宮ではない。
最近は他所から来た流れ者が増えたせいか、それを材料として中型と小型寄生炉の数も増えている。意気揚々と挑みにくる採石者に最初は忠告することもあった少年だったが、何を言っても無駄だとわかってからは関わらないようにしていた。
目的を済ませて工房へと帰る途中、近道をして普段通らない路地に入ると、どこからか歌声が聞こえてきた。旅芸人が歌っているようだ。
―― 雪はいずこに 雪はいずこに ――
その歌には聞き覚えがあった。豊穣の神ミシエヒと錬金の神ジェナウの子である、明星の神ビウェデーサの神話の一つだ。
錬金の神ジェナウは迷宮鉱脈の化身とされ、恵みと共に脅威をもたらすことから荒ぶる気性の神とされる。その怒りを鎮めようと、ビウェデーサは星々の力を借りてこの地に永遠に溶けることのない美しい雪を降らせた。
砂漠に囲まれた乾燥地帯においては雪というものはごく限られた霊峰の一部でしか見られず、古来より神聖なものとされている。神話では星の瞬きが天から降り注いだ名残とされていた。
と言っても、降灰山脈の銀世界は雪ではなく灰の産物だ。厳しい自然に対する崇拝から生じた美化とも言える。少年はそれを鵜呑みにするほど熱心な信徒というわけではなかった。ただ、命懸けの職業である採石者は神頼みのために信仰の厚い者も多く、それを表立って否定する気もない。
宗教は難しい問題であり、決して採石業と無関係ではない。今でこそ統一されているが、ミシエヒとジェナウはもともと別の宗派の神だった。かつては絶大な権力を有していたミシエヒ教の庇護を得て、採石者が今の地位を築くため迎合したことが宗派統一の根底にある。神の後ろ盾があるからこそ、国家の枠組みを越えて採石者の権利は守られているのだ。
「げ……」
考え事をして歩いていたせいか、前をよく見ていなかった。旅芸人が歌うその前に、一人の見物人がいる。その身なりは、薄汚れた旅芸人とは対照的に煌びやかだ。一目で高貴な身分の人間だとわかる。
酷使され続けた喉から紡がれる歌声は、艶を失い掠れながらも、だからこそ哀愁をそそる。楽奏と共に歌が終わると見物人の男は貨幣を一枚、手渡した。旅芸人は平服して何度も頭を下げると、急ぎ懐に金を忍ばせて逃げるようにどこかへ立ち去って行った。
「おや、奇遇ですね。権者の弟子君」
「これはロルレーク様、ご、ご機嫌うるわしゅう……」
ドゥマトンの尉官、ロルレーク・エボスターレ。少年が菌根坑道に潜った初日に会った軍人である。それから何度か顔を合わせる機会はあり、別に何かよからぬことをされたわけではないのだが、第一印象のせいかあまり仲良くなりたいとも思わない人物だった。
「そう他人行儀にせずともよいのですよ。あなた方には私も一目置いているのです。たった一年で見違えるほど成長しましたね。さすがは権者殿に見込まれた逸材だ。私の部下にも見習わせたいくらいですよ」
「それはありがとうございます……では、これで」
立ち去ろうとした少年だったが、ロルレークは全く気にするそぶりもなく笑顔で少年の後をついて来た。身分の違いがあるため、これ以上邪険にもできない。まさか最初からここで待ち伏せしていたのではないかと疑うくらい胡散臭かった。
その男は軍人であるが、それ以上に
特に寄生炉の核から入手できる魔石は表面に独特の紋様があり、その筋の好事家には需要が高い。これは寄生炉の機能上備わった天然回路と呼ばれる魔力の伝導接続部であり、人工的に再現することは不可能とされている。
コレクターは魔石をためつすがめつ眺め、同類に自慢するためだけに蒐集する。主に貴族の道楽であり、少年にはあまり理解できない世界だった。
「これは先日、深層の大型寄生炉から私が取り出した魔石なのですが……どうです、この芸術的なマシナリーカッティング。ここまで見事な無閉鎖双波紋144軌導配列系回路はそうそうお目にかかれませんよ」
対して親しくもない少年に対してさえ自分の趣味を押し付ける様子からもわかる通り、ロルレークの入れ込みようは半端ではない。彼は貴族や軍人である以前に、まず蒐集家なのだ。もはや狂人と言って差し支えない執念を持っている。
元は大して名前も知られていない文官の家の出だったらしいが、あまりの奇人ぶりに持て余されて軍に放り込まれ、実働部隊の指揮官としては最高位に当たる大尉にまでなっている。先ほど大型寄生炉から魔石を得たと言っていたが、それは文字通り、大型を仕留められるだけの実力があることを示している。
商人から買い漁るだけでは満足できず、自らの手で魔石を集めたいがためだけに己を鍛えたのだ。動機からして狂っていると言えよう。だが、その強さは本物だ。功績だけを見るなら今の地位でも不足と言えた。
しかし、その輝かしい功績さえ曇らせる有名な話がある。国の宝物庫より支給された鍛晶蔵を、我慢できず勝手に分解して魔石を取り出しコレクションに加えてしまったのだ。場合によっては極刑すらあり得る愚行である。しかもその魔石を返還する際、まるで我が子を手放す母親のように号泣したという。
(ヤバイ奴に絡まれてしまった……)
以前、少年はロルレークと会った時、彼の魔石談義を聞かされて条件反射のようにいつものおべっかを使って誉めそやしたのだ。それがいけなかった。完全に趣味の理解者として捕捉されているようだった。放っておくとしゃべり続けるので無理やり話題を変える。
「そう言えば最近は流れの採石者が増えましたね。軍の方々も大変でしょう」
「全くですよ。できることなら叩き返してやりたいところなんですがねぇ……」
それまで上機嫌だったロルレークが忌々しげに吐き捨てる。この国でも屈指の実力を持つロルレークを配置してでもドゥマトンは軍による玻璃咬鎚の独占討伐を敢行したかったはずだ。それが現実的に難しいと判断され、寄生炉のこれ以上の成長を見過ごせなくなったのだ。
採石者協会からの圧力もあったものと推測できた。今回のような場合は万が一にも新たな特大型寄生炉を発生させないためにも採石者の介入が必要である。列強といえどもミシエヒ教とつながる協会の意向を無視することはできない。
また、討伐に必要なだけの兵士を投入しようとすれば当然ながら甚大な損害が生じる。兵士を一人育てるだけでも平民が驚嘆するほどの金がかかっているのだ。それを無駄死にさせるくらいなら虫のように集まってくる採石者に先陣を切らせ、後で魔石を買い取った方が遥かに安くあがる。
「と、将官方はお考えのようですが、まるで現場を把握していないと言わざるを得ません。こんなやり方では寄生炉のエサを次々に迷宮へ放り込むようなものです。菌根坑道深層の危険性は再三に渡って説明してきたはずなんですが」
やれやれとロルレークは首を振る。現場の事情と上からの命令の板挟みとなって彼も身動きが取れない状況のようだった。採石者たちが悲壮な現実と向き合うまでにはまだ時間がかかる。しばらくは迷宮も賑やかなままだろうと思われた。
「おっと、すみません。ここで愚痴などこぼしても栓のないことですね。それよりも魔石の造詣について語り合う方が遥かに有意義です」
「いえ、俺は愚痴でも聞いていた方が全然――」
それは唐突に、地の底から響いた。突き上げるような揺れが足から頭の先まで伝わる。自然に起きた地震ではないことは、揺れの特徴からすぐにわかった。怪物が地底をのたうつ音だった。
「馬鹿な……これほど早く炉禍の兆候が表れるとは……」
たとえ大型寄生炉だろうと迷宮内から人間の生活圏にまで影響を及ぼすような行動を取ることはない。地上に近づくほど寄生炉の活動に必要な魔力が薄くなるためだ。その原則を破る玻璃咬鎚の異常行動は予測よりも数段階早く表れた。
「炉禍が起きるんですか!?」
「落ち着いてください。今すぐにというわけではありません。しかし、悠長にしている暇もない。近々、ホトグレス殿にも軍より協力の要請がかかるものと思われますので、よろしくお伝えください」
ロルレークの顔は兵を預かる身として上に立つ者の表情をしていなかった。ヘドロのように粘つく笑みは、抑えきれない欲望を表している。炉禍などまるで恐れていない。むしろ待ち望んでいたかのようでさえあった。
玻璃咬鎚を狩ることを切望しているのだ。軍人としての功績を求めてのことではない。ただ、その魔石を欲するがゆえである。いくら強かろうと、もう少しまともな人間を他にも用意すべきではないかと少年は軍に対して思うのだった。
* * *
ロルレークが言った通り、その日のうちにホトグレスへと招集がかかった。無視することもできるが、得にならないので従うことになる。
少年は雑用としてホトグレスに同行することになった。あまりぞろぞろと連れてもいけないので、他の二人は来ていない。普段は近づくこともない、郊外の軍駐屯地へ向かった。
駐屯地では張り詰めた空気の中、兵士たちが忙しなく駆け回っている。厳重な警備の中を案内され、庁舎の一室に通された。既に何人かが着席しており、ホトグレスが到着したところでロルレークから本題の説明がなされる。
「事態は一刻を争います。そこで討伐対象寄生炉の情報収集のため、菌根坑道第一次調査隊を結成します。これは我が国のみならず、採石業界にも深く関わる案件です。どうぞご協力ください」
しかしその大仰な作戦に反して、集められた人員は少なかった。作戦の詳細を打ち合わせる前に軽く自己紹介していくことになる。
「ルハズドだ。よろしく頼む」
少年の隣に座っていた男が立ち上がる。鳥の巣のような癖毛の頭をした長身の男だった。“墓荒らしルハズド”と呼ばれるその男の名は少年も聞き及んでいた。
噂になるほどの実力を持つ採石者は二つ名で呼ばれるようになるのだが、その大抵がやっかみを込められてひどい名前にされる。ドラジッドも“案山子男”と不名誉な名前が付けられていた。
半分罵倒のような渾名であり、本名よりも覚えやすいものだから口伝に広まってしまうのだ。人の口に戸は立てられず、一度広まれば汚名返上は難しい。有名税と思って諦めるしかない。そのため二つ名を本人に対して使うことはご法度である。
実際に少年が会ってみた感想としては、墓荒らしと呼ばれるような要素はどこにもない普通の男だった。そして、二等級採石者の資格を持つ確かな実力者である。
採石者の資格には五つの等級がある。この段階によって迷宮で採集した魔石の利益給付率に大きな差があり、最下級の五等級では稼ぎの一割しか会社からもらえない。これが二等級になると最低給付率が五割まで引き上げられる。
一等級なら十割を自分のものにできる。つまり、これが採石権者の地位だ。二等級採石者とは、権者に次ぐ実力者ということになる。
「ここしばらく、菌根坑道は権者ホトグレス殿の縄張りと存じていますが、我々も軍からの要請を蔑ろにはできません。ここは一つ、皆で協力して事に当たりましょう」
ホトグレスが玻璃咬鎚を狙っていることは知られており、彼女が睨みを利かせていたため大手の採石者はこの地に寄りつかなかった。だが、さすがに手をこまねきすぎた。ここまで事態が急変すれば、権者の威厳をもってしても突っぱねることはできない。
この場所に来る前からホトグレスは不機嫌だったのだが、会議が始まってますます機嫌が悪くなっているようだった。眉間のしわがいつにも増して深い。少年が慌てて取り繕う。
「はい! こちらこそよろしくお願いします」
「キミが噂の弟子君か。若いのに大したもんだ」
少年は手短に自己紹介を済ませ、ルハズドと握手を交わした。残る人物はロルレークを除けば、あと一人だ。離れた席にくたびれた様子の男が座っている。それとなく皆が視線を向けたが、もごもごと何か独り言を呑み込むばかりで喋ろうとしなかった。見かねたロルレークが代わって紹介する。
「彼は元二等級採石者のノサン氏です。引退した身でありながら、今回の特別作戦に参加していただけることとなりました」
軍が交渉を取り付けてきた人材のようだが、その様子からして大丈夫かと疑問がわく。よく観察すると、少年はノサンという男に見覚えがあった。それもそのはず、つい先ほど路地裏で歌っていた旅芸人である。
紹介を受けても男はうつむいたままだった。相変わらず何を言っているのかわからない独り言を囁いている。歌なのか、旋律だけがわずかに聞き取れた。それを見てルハズドが声を潜める。
「“喉笛ノサン”じゃないか……」
「ご存じで?」
「一、二年くらい前までは名のある採石者だったんだが、見ての通り迷宮病で頭が半分逝かれて引退したんだ」
「半分……で済んでますかね?」
「あれくらいならまだマシな方だ」
話し合いによって最終的に調査隊の人員は、隊長をロルレークとしてホトグレス率いる弟子三人とルハズドの採石隊から二人が加わり、そこにノサンを合わせた計8名となった。
深層の環境からして実力を伴わない人間をいくら連れて行ったところで足手まといにしかならない。たった8人だが、これでも集まった方だと言える。二等級以上の採石者は簡単に呼び寄せられるものではない。
だが、ここに集まった戦力だけで調査するに足るわけでもない。少数精鋭と言えば聞こえはいいが、実際はこれだけしか集められなかったと言えた。
「我々の目的はあくまでも情報収集です。玻璃咬鎚の活動域を調べ、居所を突き止める。その調査が終わる頃には本格的な討伐を視野に入れた部隊が編制されていることでしょう」
要するに露払いだ。軍にとっては使い潰したところで痛くもない採石者に最も危険な任務を負わせるつもりである。調査隊長となるロルレークは軍人だが、上からよく思われていないのか、それとも自分から志願したのか。いずれにしても軍が今回の作戦で主導権を握るためにも必要な立ち位置にあった。
「その調査とやらのついでに敵を倒せるようなら始末していいんだろう?」
「はい! もちろんです、権者殿。わざわざ危険の排除を先延ばしにする必要はありません。その場合、玻璃咬鎚の魔石は軍が引き取ることになりますが、後ほど相応の報酬を調査隊の全員に賞与いたします」
ロルレークはホトグレスの言及に嫌な顔一つせず答えた。そもそも彼は情報収集が目的だと口で言いながらも、内心では違うことを考えている。ホトグレスと同じく、敵の討伐だ。
それはルハズドにも言えることだった。たかが情報を集めるだけで手柄を後続に譲り渡す気はなかった。二等級からさらに昇格し、権者の地位を得るためには尋常ではない功績が必要となる。仮に玻璃咬鎚の討伐に成功したとしてもそれだけで昇格が認められることはない。このレベルの功績をいくつも積み上げて初めて一等級の頂は見えてくる。
覚悟、意地、野心が渦巻く。目指すところは互いに違えども、行き着く答えはそろっていた。皆が玻璃咬鎚を倒すことを望んでいる。
その日は打ち合わせを済ませて解散となった。調査の出立は三日後と決まる。それまでにホトグレスが使う鍛晶蔵の最終調整を済ませなければならない。少年もその調整に携わっているため、迷宮に潜っている暇はなさそうだと見通しを立てていた。
「すみません……俺たちがもっと強くなっていればこうなる前に玻璃咬鎚の魔石を得られたかもしれないのに……」
軍が本腰を入れたことで魔石の入手は不可能となった。ホトグレスの故障した鍛晶蔵を直すことが当初の目的だったはずだが、そのために必要な魔石はもうここでは手に入らない。調査隊に参加する意味も薄れている気がしていた。
「今、お前は私に謝ったのか?」
打ち合わせを終えた帰り道、終始不機嫌そうにしていたホトグレスに対して少年は何気なく話しかけてしまった。気を使ったつもりのその言葉が、逆に彼女の癇に障ったようだと肌で感じ取れた。
「謝罪とは、許しを乞うことだ。お前は他人から許しを得ることで自分を慰めようとした」
そんなつもりはないと言いたかったが、その気がなくとも無意識に考えていたからこその発言だと言われれば否定もできない。
「謝ることはない。ただ己の弱さを憎め。これはとても難しいことだ。誰だって我が身がかわいいもんさ。では、本気で自分を憎むために必要なものとは何だ?」
「……気合? 心頭滅却して修行に打ち込むこととか……」
「欲望だ。それも星に手を伸ばすような、滑稽なほど遠い理想だ。本当にそれを“欲しい”と思えるようになったとき、人は初めて己のみじめさを知る。ようやく自分を憎悪できるようになる」
理想は高ければ高いほど良いとホトグレスは言った。大抵の人間はそれを直視できずに自分を騙す。現状に満足しているかのように振舞う。そして自らが苦労して手に入れたちっぽけな幸福を、誰かに認めてもらえればそれでいいと考えるのだ。
「お前はこう考えている。調査隊とは名ばかりの自分勝手な隊員ばかり。統率も取れるかわからないこんな部隊で本当に戦えるのか。魔石も手に入らないのに、と」
「は、はい、そうです」
「そんなことは全員が承知している。少なくとも今の腑抜けたお前より役に立たない人間はいないから安心しろ。敵を倒すというただ一点においては、誰もが本気で望んでいる。それだけあれば上等だろう」
魔石についてはそれほど惜しくもないとホトグレスは言った。少年たちに修行をつける理由付けとして適当に言いはしたが、彼女が“欲しい”と思う核心は最初からそこにはなかった。
「お前たちを弟子に取った以上、私には一人前に育て上げる責任がある。何をもって一人前とするかと考えた時、玻璃咬鎚の討伐がちょうどいいと思ったんだ」
一人の自立した採石者としてふさわしい実力の基準をそこに定めた。普通の採石者からしてみれば馬鹿げた理想と言わざるを得ない。だが、そうでなくてはならないのだ。決して手が届かないと思えるほどの絵空事でなければ意味がない。
欲することを諦めた時、人間の成長はそこで止まる。強大な寄生炉を前にしてホトグレスは逃走することを否定しなかった。勝利が欲しくなければ別に逃げても構わない。だが、もし勝利を本気で欲するのであれば、何度逃走しようと決して諦めることだけはしてはならない。
欲望を失えば、そこに心の隙間ができる。見て見ぬふりをしようと決して塞がることのない穴だ。そうなってしまえば一刻も早く採石者なんて辞めるべきだ。迷宮の魔力は容易にその隙間へと入り込み、気を狂わせてしまうだろう。
「私は欲深いんだ。お前たち三人には、必ずこの戦いに臨んでもらう。それが私の決めた、私の望みだからだ。お前はどうだ、小僧? この戦いに何を望む?」
少年は、自分がまだ本気で勝つことを望んでいなかったことに気づかされた。自分自身を憎めと言われても、そこまで酔狂になれそうにない。それでも師の言葉によって緩んでいた覚悟は少しずつ固まりつつあった。