調査当日の朝、軍による出立式が開かれた。楽隊が高らかにラッパを吹き鳴らし、勲章をつけた身なりは立派な軍人が壇上から調査隊に言葉をかける。ロルレークの上官である。
大したことは言っていなかったので全員が話を適当に聞き流していた。要するに、成果をあげろ、褒美はくれてやるという本音を貴族らしい雅な言葉で包み隠しているだけだ。
調査隊が発足してからわずか三日、その短い時間のうちに各々の立場を越えた結束は見込めなかった。元より利害以上の関係は望むべくもない。その立場は主に三つに分けられる。一つがホトグレス、一つがルハズド、一つがロルレークだ。
しかし、大物狩りの際に複数の採石隊が協力して討伐に当たることも稀にある。一端の採石者であれば、迷宮の深部探索において、自分が生き延びて手柄を立てるために何が必要であるか承知している。
利他の精神だ。欲望に忠実であるからこそ、極限の状況下で生死の境を分かつ要因が人同士の関係にある。信用ならない希薄な関係だろうと、それを理由に探索の質が下がるようでは、命がいくつあっても足りない。この場に集まった熟練の採石者たちはいずれもそれを理解していた。
「そろそろ深層か……カラヒム、祓魔の用意を」
「あいよ」
通い慣れた中層を突破し、深層に入るというところでルハズドが仲間に指示を出した。ルハズドの採石隊からは今回、カラヒムという隊員が一人同行していた。鼻が削がれたように無くなった男だった。人相は悪いが、性格は特に悪くない。
今は全員がガスマスクをしているので気にもならないことだ。見てくれよりも実力である。カラヒムは貴重な全仙覚の使い手だった。彼が祈るように手を合わせて集中すると、その全身から血管が張り巡らされるように仙覚が伸び、ルハズドの体とつながった。
これは『成魂』と呼ばれる現象で、個人によって差はあるが、概ね肉塊のような形状をしている。より高度な仙覚になるとこの形が分化し、臓器のような形を取り始める。
主に自分自身の肉体を中心として発現するが、近くにある他の物体に付着させて固定することもできる。これにより、全仙覚を使えない者の体を包み込むことで変質魔力の脅威から守る。深層でも危険域の探索のために編み出された『祓魔』という技だ。
戦闘に長けた前衛と、魔を祓う後衛に役割を分担することで戦闘効率を上げ、より探索可能な時間を増やすことができる。深層を攻略する上では必要となる技術だ。
通常の迷宮であれば必要最低限の範囲で使う戦闘形態であるが、菌根坑道では常にこの状態でなければ深層に踏み入ることさえできない。少年も、カラヒムに続いて仙覚を発動し、ピアに祓魔の術を施した。
ピアの仙覚も着実に成長しているが、まだ剣の表面を覆うに留まる段階である。肉体の保護は少年が手伝う必要があった。それを見ていたカラヒムが羨ましそうな声をあげる。
「いいなあ。俺も若くて綺麗なネーちゃんに祓魔したかったぜ」
「悪かったな、相棒がこんなおっさんで」
仙覚で他人の体を包むということは、五感全てを用いて最も近い場所でその人間を感じ取ることと同義である。ピアの丸裸を見る以上の情報が少年には入ってきていることになる。
ピアはそれを全て承知の上で、少年に保護を任せていた。最初こそ少年も動揺はあったが、今では一切気にすることはなかった。採石者に男も女も関係ない。迷宮に一たび入れば死がつきまとう世界が広がっている。仕事に雑念を持ち込む余裕などないのだ。
「下郎、今日はちょっとこそばゆい」
「す、すまん」
ただ、祓魔の出来についてはピアも注文をつける。害意はないにしても自分の周囲に他人の仙覚が取り巻いている状態ではいつもと勝手が違ってくる。祓魔の術者は、なるべく保護する対象の感覚を阻害しない技術が求められる。
今日の少年はいつもより緊張していることもあってかパフォーマンスに影響が出ていた。その点では、年季の違うルハズドとカラヒムのコンビは安定していた。これならば戦闘に入っても消耗も少なく済むだろう。さすがは二等級まで上り詰めるだけはある採石者たちだと少年は感心していた。
「それを言ったらお前さんらだって普通じゃねぇよ。正直、いくら権者の弟子と言っても半人前の採石者が本当に役に立つのかと疑問に思ってたんだが、余計な心配だったぜ」
少年の仙覚を見たカラヒムは、その分化の進み具合から仙覚の質自体は自分より上の位階にあるとすぐにわかった。ピアにしてもただ守られるだけの対象ではない。中層を突破する過程で、かなりの鍛錬を積んだ剣士だと察していた。
ある意味でそれ以上に驚いたのが荷運び人として参加しているアルマの存在だ。菌根坑道の深層では長居できないので持ち込む荷物も少なくはあるが、それでもこの大所帯で行動するとなれば相応の荷物が生じる。その全員分の荷物をアルマは一手に引き受けていた。
探索において居ても困るが、居なければもっと困るのがこの運び人である。迷宮に持ち込む荷物もそうだが、中で魔石を採掘すれば荷物はもっと増える。戦闘に携わる者は少しでも身軽にしておかなければならず、かといって大事な荷物を毎回放り出すわけにもいかず、確かに運び人が必要な場面は多い。
大抵は戦闘力の低い役立たずに押し付けられることの多い役回りだが、深い層の探索になればなるほどその実力も相応に求められてくる。アルマの場合は祓魔の補助が必要ない水準の全巌殻を使えるというのだから、むしろなぜ荷運び人などやっているのかとルハズドたちは疑問に思ったくらいだ。
「世界は広いな。俺たちもそれなりに名を上げてきたが、こんなところで満足しちゃいられないと思えてくるぜ」
「おう、若ぇのに負けてられるか」
軽口混じりに奮起するルハズドたちを見て、少年は場違いながら嬉しく感じていた。ホトグレスの付き添いとしてではなく、一人の採石者として彼らと肩を並べて探索できることが誇らしかった。
深層は異常成長した菌類の子実体が足の踏み場もないほど蔓延っていた。見渡す限り、きのこしかない。色とりどりの菌糸が作り出す造形が、この世のものとは思えない景色を構成している。この領域になるとガスマスクだけでは菌の感染を防ぎきれない。肌を完全に覆う防護装備が必要となる。
隊列の前を歩いているのはルハズドとピアだ。その後に少年とカラヒムが続く。残りの四人はそのさらに後方だ。ホトグレス、ロルレーク、ノサン、アルマは各自で変質魔力から身を守っている。無防備になりやすい祓魔の術者を隊の中心に据える布陣だ。
逆に言えばそれは、ルハズドとピアの二人だけで大型程度の対処はできるということでもある。倒すことを目的とするなら相当な苦戦を強いられるだろうが、その必要はない。
大型寄生炉は人間を捕食するために襲い掛かってくるが、奴らの主食は同族の寄生炉だ。是が非でも食べたいと思っているわけではない。むしろ人間に対する執着は中層の寄生炉の方が強いだろう。適度に痛めつければ自分から逃げ出すことも多い。人間が蜂を相手にするようなものである。
ただ、その“適度に痛めつける”ということが常人には命懸けだ。採石者の中でも群を抜いた強者にしかできない戦いであることに変わりはない。それだけの力をピアは身につけたのだ。
玻璃咬鎚の行動圏に入る前に、他の大型寄生炉との交戦はなるべく回避したいところだが、避けられない事態は必ず発生する。その場合の対処は前衛の二人に任せられていた。消耗戦に強いのが祓魔の利点だ。後衛は体力を温存し、警戒と援護に専念する。
「む……敵が近いな」
索敵能力に長けたホトグレスが最初に気づいた。彼女ほどの使い手であっても、この高濃度の魔力地帯ではいつものように鼻が利かない。仙覚は変質魔力を祓う力があるが、あまりに量が多すぎる場所では効果範囲が抑えられてしまう。
「道を変えますか」
「いや、これは幸先が良い。そのまま行くぞ。耳栓はしておけよ」
どういう意味かわからなかったが、進路に変更はなく予想通りに接敵した。これまで通ってきた狭い通路に比べれば、不自然に広い空間だった。壁面はまだ菌類に覆われる途中で、剥き出しの岩盤が見える。
玻璃咬鎚が掘り抜いて作った空間の一つだと予測できた。そこにいたのは鋼鉄の羽を広げる巨大な虫だ。小屋の一軒はありそうなきのこを頭から生やしている。調査隊を見つけたその寄生炉は、ジジジと腹を震わせ始めた。
一言で表すならセミだ。玻璃咬鎚ではなかった。しかし、それを残念に思う余裕はない。少年はマスクの内側で一筋の汗を流す。ホトグレスが耳栓をするよう指示を出したことの意味を悟った。準備はしていたが、深層で使う機会はないだろうと思っていたものだった。
確かに聴覚破壊を狙って騒音による攻撃を仕掛けてくる敵はいる。あるいは仲間を集めるための信号として大きな音を発するものもいる。だが、そう言った寄生炉は浅層や中層でのみ見かける種だ。
深層の大型寄生炉にとって、最たる脅威となる敵は他の寄生炉であり、騒音のような人間を標的とした攻撃はしない。同型種だろうと互いを食い潰し合うので、居合わせることはあっても群れで狩りをすることもない。音を立てて自らの存在を誇示する行為は狩りにおいて役に立たないだろう。
現に少年はこれまでの深層探索において、その手の寄生炉と遭遇したことはなかった。だが、絶対にいないと断じることもできないのが迷宮だ。多種多様な自然淘汰の過程がこの環境には凝縮されている。
少年はすぐに撤退すべきと判断した。だが何か言葉を発するよりも先に、容赦ない音の洗礼が大気を震わせる。骨まで響く振動だ。耳栓をしていなければ一瞬で鼓膜が破れていただろう。磨法による身体強化で何とか堪える。
そこで真っ先に飛び出したのは前衛ではなく、後方にいたノサンだった。何か思惑があっての行動かと思ったが、その表情を見て違うと悟る。これまでのおどおどとした態度を一変させ、鬼のような形相で敵に向かって独断専行する。とても理知的な行動とは思えない。
何が彼の逆鱗に触れたのか知らないが、とにかく怒り狂っている。何事か叫んでいるようだが、音がうるさ過ぎて聞き取れない。当然、彼もこちらの制止の声など聞こえていないだろう。
ノサンが鍛晶蔵を振るった。その武器の形状は何とも特徴的だ。まるで弦楽器のようだった。実際に、彼が路上で歌を披露していた時にも演奏に使っていたものだ。その弦は金属製だが、水銀のような特殊な形態をしていた。
楽器から伸びた弦が敵の体に付着すると、わずかに巨体の動きが鈍った。ノサンに向けて振り下ろされようとしていた脚の一本が見当違いの場所を貫き、ぐらりと体勢を崩す。その隙を突いて接近したノサンが楽器の本体を敵の装甲に叩きつけていた。
正気を失っても問題なく戦えているようだった。だが、いくら善戦しようとすぐに倒せるような相手ではない。放っておけば周囲の敵も寄ってくるだろう。
ホトグレスがノサンの方を指さしてロルレークを睨む。ロルレークは首を横に振って“お手上げ”のジェスチャーを返していた。それからホトグレスが皆に離脱の手信号を出す。ひとまずこの爆音地帯から離れなければまともな索敵もままならない。つまり、ノサンをここに残したまま捨て置くということだ。
気の毒ではあるが、勝手な行動を取る者に合わせるわけにはいかない。ノサンを雇っているロルレークも文句はないようだった。助けなくていいのかと心配そうにしているアルマの手を引き、少年たちはその場を後にする。
「やっぱり私、心配だから残る!」
アルマは少年の手を振りほどいて戻っていく。
「荷物持ちが戻ったところで何になるんだよ!?」
ルハズドが慌てているが、少年は後を追わなかった。隊の判断に逆らうと言うのならアルマもノサンと同罪だ。かばい立てする気もないし、その必要もないと思っている。
だが、そもそもこの事態は回避できたはずだと少年は感じていた。ホトグレスは事前に敵の大まかな種別まで判別できていたのだ。わざわざ敵の目の前まで行く必要はなかった。
「相変わらずお行儀の良い思考回路だ。だからお前はいつまで経っても小僧なのさ」
「ノサン氏のことならお気になさらず。彼の実力なら切り抜けるでしょう。これでいいのです。我々は“尋常な探索”ならこれまで飽きるほどやってきました。その結果、玻璃咬鎚の発見には至っていない。ならば次は“尋常でない探索”を試すべきでしょう」
騒音をばら撒く寄生炉と交戦し、静まり返った水面を波立たせようというのだ。これまで尻尾もつかめなかった玻璃咬鎚をあぶりだすためには、試せる手は何でも試さなければならない。だが、それは思いついたとしても誰も試そうとしかった手である。ルハズドは首をすくめていた。
「いや、さすが権者様だぜ。とても正気の沙汰とは思えねぇ。せめて一言でいいから前もって説明してくれよ……」
ノサンの行動についてはホトグレスも予想外だったが、結果的に功を奏した。凄まじい騒音が洞窟全体に鳴り響いている。時折、苦し気に歪むような雑音が混ざるのでノサンは善戦しているのだろう。果たして彼の頭の中に今回の作戦は残っているのだろうか。
徐々に弱りゆく寄生炉の断末魔、それは上質なエサの存在を示す信号となる。地上にまで影響が出るほど活発になり始めていた玻璃咬鎚の異常行動と合わさり、セミの寄生炉は獲物をおびき寄せる釣り餌となった。
「……かかったぞ! 奴だ!」
ホトグレスが真っ先に異質な振動を感知する。やがて複雑に張り巡らされた洞窟の一本を行進する無数の足音が全員の耳に届くまでになった。
玻璃咬鎚の情報については軍がこれまでの調査結果をまとめていた。極秘情報ではあるが、この場にいる者たちには伝えられている。それは『
中型寄生炉の分類として『歩行種』と『生産種』があるが、基本的に大型寄生炉へと成長する個体は『歩行種』に限定される。生産種は小型寄生炉や中型の幼生体を生み出すことに特化しており、それ自体に戦闘力はなく移動することもない。工場のような存在である。
しかし、極めて稀にこれが自立して大型にまで成長する場合がある。玻璃咬鎚の全容については謎が多かったが、その活動の痕跡を軍は地道に解析していた。
「ですが、これはその想定を明らかに超えていますね」
ついに移動中の討伐対象と接触する。思っていたよりも遥かに静かな移動だった。新たに道を掘り進んでいるわけではなく、以前に作った道を通っているだけだからか。その通路の脇道から一行は敵の姿を確認できた。
何が元となった生物なのか判然としないが、無理やり当てはめるならミミズだろうか。細長い体で地中を掘って移動する生態はよく似ている。しかし、その見た目は毛虫のようでもあった。
その毛に相当する部分が『菌床蟻』だ。体表を埋め尽くすように配列された蟻たちの数は、数千匹は下らないだろう。万の数にも及ぶかもしれない。それらが群を成し、一つの個体として機能している。
ワイヤーのついた毒針を伸ばし、周囲の壁に引っ掛けている。数万の蟻たちが一糸乱れぬ統率のもと玻璃咬鎚の巨体を運んでいる。おびただしい数のワイヤーがその重さを分散しながら巨体を吊り下げ、揺らし、前方へとワイヤーを張り直しながら進んでいる。
「こんなもの……どうやって立ち向かえばいいんだ……!?」
ルハズドが絞り出すような声をあげる。蟻の一つ一つが玻璃咬鎚の目だ。近づけば容易に発見され、毒針を浴びせられる。一撃でも防ぎきれなければ菌の感染は免れない。天から降り注ぐ雨を濡れずに避けて歩ける者がいるだろうか。立ち向かう手段を問うた彼自身、そんな方法はないと既に自己完結していた。
撤退以外に選択肢はあり得ない。調査はここで終わる。すぐに地上へ戻り、手に入れた情報を軍に伝えてお役御免だ。それが調査隊の本来の任務である。ここで全滅してしまっては何の意味もない。後のことはドゥマトン本国が用意した精鋭部隊とやらが何とかしてくれるだろう。
「どうやってだと? こいつに頼る以外に何がある?」
ホトグレスが両の拳をかち合わせた。ロルレークが武器の杖を手に立ち上がる。ピアが剣の切っ先を敵に向けて構え、それに続いて少年も頭を掻きながら仕方なさそうに腰を上げた。
ルハズドとカラヒムは、まさかと思った。どう見てもこれから逃げようとする人間の立ち居振る舞いではない。
「無理に戦えとは言いません。ですが、戦意のある方はどうか最後まで食らいついてください。ここで逃がせば次に姿を見せるのがいつになるかわかりません。では、参りましょう」
ルハズドとカラヒムを除く全員が横穴から飛び出した。敵の脚を止めるべく、蠅のようにちっぽけな人間たちが躍り出る。案の定、蟻たちの目はごまかせなかった。毒針付きワイヤーの雨が降り注ぐ。
「まずはその操り人形の糸を断ち切らせてもらいましょうか」
ロルレークの鍛晶蔵『雪編錫杖』が変形する。長杖の石突で地面を打てば、美しい雪の結晶を思わせる頭が砕けて宙を舞った。壊れたわけではない。ばらばらに分解された杖頭部の意匠は空中で魔力によって繋ぎ止められ制止する。
その一つ一つが無数に降りしきる毒針を迎撃した。ロルレークの頭上を守り、空白地帯を作り上げる。雪片に反射する残光を引き連れ、ロルレークは敵の体表目がけて地を蹴り飛び上がった。破片を足場に空中を走り抜ける。
「やるねぇ、さすが大尉様だ」
「よそ見しない」
ピアと少年のコンビが後を追う。祓魔の術者は後方で施術に専念することが定石だが、今はピアだけに任せていられる状況ではない。少年も共に前線に立つ。並外れた仙覚の適性を持つ者であれば、消耗は大きいがこういった荒技も可能だ。
元より、これが玻璃咬鎚との戦いに向けて考案していた二人の戦闘スタイルだった。ピアが剣を振るい、危険な軌道を通る毒針を弾き返す。派手な攻撃だが、ワイヤーの先端にある毒針に気をつけていれば手傷を負う心配はない。
問題はその攻撃の手数だ。休む暇なく打ち出される毒針に対処するためには常にその場から動き続け、剣を振るい続けなければならない。その障害となるのが周囲に打ち込まれたワイヤーだ。強固な鋼線で編み込まれた糸の檻はピアの剣でも容易に断ち切れるものではない。
それを炎で溶かして道を作り、ピアが十全に剣を振るう場を整えるのが少年の役目だった。仙覚でピアの動きを完全に把握しているからこそできる連携である。二人は敵の攻撃を凌ぎつつ、本体へと切りこむ隙を伺う。
「ジャラアアアアアアッ!!」
ホトグレスが気合と共に鍛晶蔵を起動させる。それは両手にはめられた手甲だった。『引斥型試作機改五号』と仮の名前を与えられているその武器は、ノルバーの槍から機構を取り出してチップベル工房が作り出した新型機である。
これは綿密な研究の末に完成したというより、ノルバーの槍を分解して式拓盤を取り出した際、そのプロテクトの解除に失敗して誕生した偶然の産物だった。
式拓盤には分解されても内部の構造がわからないように封印が施されており、これを解こうとすれば機構が自壊する仕掛けになっているものが多い。技術の漏洩を防ぐためだ。しかし、少年の炎を使えばこの封印を簡単に解けるのではないかという実験がなされた。
結果として半分成功と言えるかどうか。基本的にこの封印は開発元にさえ解かれることを前提としておらず、触れれば中身が壊れるようになっている。故障した場合は新品の式拓盤と交換するしかない。危うく式拓盤が自壊しかけたところ、間一髪でつなぎ止めはしたが、式拓盤の一部が溶解してしまった。
その結果、呪術式が変質して以前とは異なる魔法が発現したのである。それをベルネオールが解析し、改良を重ねることでようやく完成した武器が『引斥型試作機改五号』である。
「オオオラアアアアアア!!」
ホトグレスが拳を振るう。その腕は血管が浮き出るほど筋肉が隆起していた。何もない空中を殴る仕草をしただけだ。それなのに、彼女は雄たけびをあげて気合を込めていた。
次の瞬間、ホトグレスに向けて放たれていた毒針の群れが爆散した。その威力は止まることなくワイヤーを破壊し、本体にまで届く。体表の一部が抉れて蟻の残骸剥げ落ちた。
ノルバーが使っていた引斥力の効果は周辺の魔力を用いて実現されていた。少年にも詳しい理論はわからなかったが、ベルネオールの見立てでは魔力に磁力のような性質を与えて操作しているものと考えられる。
この磁界ならぬ“魔界”に干渉することができる能力が新型機に備わっていた。先ほどホトグレスは、この魔界を殴ったのだ。その余波だけで敵を粉砕するほどの攻撃力が生じたのである。
ただし、名前に試作機と入っている通り、この武器はまだ実用性に大きな課題が残されている。並の人間が使おうとすれば逆に自分の腕がもぎ取られてしまうだろう。それだけ魔界に干渉する際の負荷は大きい。
ホトグレスだから何とか使えているのだ。また使用するエネルギーも膨大であり、高品質の魔石を贅沢に溶かし込んだ専用の燃料が必要となる。その精製魔石は今のところ少年の炎をもってしか製作できないものだった。
三者三様、いや四者三様の活躍により敵の巨体にかじりつく。だが、敵に痛痒を感じている様子はない。表皮に群がる蟻は、その下にも無数に蠢いていた。表面の蟻が何匹殺されようとダメージにはならない。走る勢いに衰えはなく、このままでは引き離されてしまいそうだった。
「おぉ~い! こっちだよぉ~!」
その敵の前方で待ち構えていたのはノサンとアルマだ。セミの寄生炉を倒して気が晴れたのか、ノサンはいつもの調子に戻っている。しかし、敵を前にして臆している様子はなかった。
「『痼伽羅有棹』……この曲があなたに届くかどうか……」
玻璃咬鎚の頭部は、岩盤を掘削するためドリルのような形状をしている。そこへノサンが持つ楽器型の鍛晶蔵から液状弦が伸びた。この弦をかき鳴らし、音を信号として寄生炉の装甲に伝わせることで敵の動きを鈍らせる能力を持つ。
だが、有象無象の敵ならばまだしも今回は特別な大物だ。ノサンがどれだけ懸命に演奏しようと、その音は玻璃咬鎚を止めるには至らない。それを見たアルマはすぐさま行動に出た。
アルマはホトグレスから戦士としての教育を受けたわけではない。彼女にはその才能はなかった。だが、採石者の一人であるという自負はある。戦士でなければ戦いに加わることができないなんてことはない。
「ひっさつ! 姉弟拳!」
アルマが飛び上がって玻璃咬鎚の頭にパンチを打ち込む。その拳には細工がしてある。手の中にドラジッドが遺した鍛晶蔵『崩巌嵐』が握りこまれていた。
掌に収まる大きさしかない武器だが、その性能はまさしく名工機と呼ぶにふさわしい。一撃放てば怒涛のように衝撃波が押し寄せる。だが、同時に危険でもあった。嵐のような攻撃の威力に最もさらされる対象は自分自身だ。使用者の身を守る安全装置は一切付いていない。
この扱いが難しい武器を、ドラジッドは体術の技巧によって制御していた。自分が受けるダメージを最小限に抑える磨法の技術があった。長年の鍛錬の賜物と言えるだろう。アルマにはそれがない。
正確に言えば、彼女の肉体の強度があれば技術など必要ない。ドラジッドでさえ出力を抑えてしか使用できなかった崩巌嵐を、アルマは全開の威力で玻璃咬鎚にぶつけた。
下から突き上げられた拳を受けて玻璃咬鎚の頭が天井に激突する。これにはさすがに驚いたのか、ようやく敵の進行が止まった。しかし、今度は陸に打ち上げられた鮮魚のように暴れ始めた。怒りをぶつけるかの如く、アルマは振り下ろされた頭部の下敷きになった。
巨体がのたうち回り、壁を叩く。表皮の蟻たちはその煽りを受けて壁に叩きつけられ、鱗のようにボロボロと剥がれ落ちた。これには隊員たち全員が肝を冷やす。蟻たちと同様に挟み込まれて潰されれば一たまりもない。
さらにヒビの入った岩盤から高濃度の変質魔力まで漏れ始め、潰されたきのこの胞子が煙幕のように舞い上がり、上を下への大騒ぎとなる。少年は生きた心地がしなかった。だが、自分が諦めれば隣にいるピアまでその巻き添えとなる。仙覚を高めて押し寄せる魔力を押し返し、感覚領域を広げていく。
「おい小僧! 何をぐずぐずしてんだい! そら、心臓を見つけたぞ!」
他の隊員たちは無事だろうかと気を回していた少年だったが、ホトグレスは一枚も二枚も上手だった。彼女は潰されないように立ち回ると同時に敵の弱点である魔石核の場所の特定までこなしていた。
磨法には剛磨法と柔磨法の二種類があるが、採石権者のような一握りの強者になるとそのどちらにも長けてくる。それでもやはり才能には偏りが生じ、どちらか一方の類型に落ち着くものだ。ホトグレスの場合は柔磨法が得意だった。
すなわち、仙覚の達人だ。牙の棘を持つ触手の茨が玻璃咬鎚の体にまとわりつく。編み込まれた筋繊維の触手は枝分かれし、“鼻”を咲かせながら広がっていく。その弱点の場所を少年に教えた。
「お嬢、少しの間、堪えてくれるか」
「当然」
少年は両手から炎を消した。そして拡げていた仙覚を小さく絞っていく。疲れたからでも戦意を失ったわけでもない。これから放つ大技のため、精神を統一する必要があった。戦闘に意識を割いている余裕もないほどの集中を強いられる。
ピアの祓魔までは解かないが、これまでのようなサポートはできなくなる。その間、無防備になる少年をピアには自力で守ってもらわなければならない。だが、それは最初から想定していた作戦だった。
ピアの剣にまとわりついていた彼女自身の仙覚が拡大する。まだ全仙覚を使えないピアだが、剣に対する思い入れの強さゆえか、こと一極集中した仙覚の使い方には少年に勝るとも劣らない適性がある。
1メートル程度の剣の周囲に巨大な指が何本も生え、刀身を包み込むように規則正しく並ぶ。舞い飛ぶ大量の胞子によって視界は何も見えないが、剣から伝わる空気の振動を読み取った。
胞子の影響は蟻たちにも及んでいるのか、先ほどと比べれば毒針射撃の正確性はかなり落ちている。だが、数が数だけに狙いなど定めずとも撃てば当たる状況だ。ピアは少年の前に立ち、その攻撃を打ち払っていく。
少年は焦りを捨てる。早く準備を整えなければならないという雑念は、余計に精神を乱すことをこれまでの経験で理解していた。ピアを信じ、守りを任せる。それが最良の行動であると知っている。
そこまでしてやろうとしていることは、“手の感覚”の強化だった。仙覚を使えば現実にある手の感覚を肉体を超えて拡大することができる。それによって両手にのみ灯せる“魔法の炎”の範囲を拡大する。
修行を重ねてようやく使えるようになった技だった。だが、あまり実戦向きとは言い難い。自分自身の感覚を騙して無理やり使用範囲を広げるようなものだ。その準備のために精神統一を行わなければならず、精神力も極度に消耗する。連続して使えるようなものではない。
ゆえにその一発で確実に敵を仕留めなければならない。例えば玻璃咬鎚の頭にこの技を叩き込む案もあったが、その場所に魔石核がある保証はなかった。現に、ホトグレスが発見した魔石の場所は胴体の中ほどである。
仕留め損なえば、敵は全力で抵抗し始める。逃げるか、それとも暴れるか。今も暴れてはいるが、それも煩わしい虫を払おうとする程度の行動だ。本気でこちらを殺そうとしてくれば、ホトグレスたちとてただでは済まない。
だからこそ、一撃必殺だ。他の全ての感覚を殺し、ただ片方の手のみに意識を集中する。そこに集まった眼塊が青い炎に包まれ、急速に燃え広がる。
『無残掌』
少年はこの技に名前を付けたわけではなかったがホトグレスはそう呼んだ。その掌が通った後には何も残らないことから付けられた名の通り、手刀の一閃が玻璃咬鎚を両断した。
ただし、魔石核はきっちり溶かさずに残している。敵を倒したという感慨よりも、技名がしっくりこないことが気になる少年だった。