玻璃咬鎚の討伐に成功したが、それで終わりとはならない。胴体を真っ二つに切り離され、魔石を失ったにもかかわらず寄生炉の活動は停止しなかった。最期のあがきとばかりに暴れ狂い、一時退避を余儀なくされる。
また、菌床蟻も別に処理する必要があった。小型とはいえ、数は膨大。統率を失った蟻の大群が玻璃咬鎚の体から流れ出るように周辺を埋め尽くす。討伐の証拠である魔石がその群れの中に紛れ込んでしまったため、無視して帰るわけにもいかなかった。
隊員が総出で抑え込みにかかる。その中にはルハズドとカラヒムの姿もあった。肝心の討伐に貢献できなかったためか、むしろ彼らが率先して前に立った。
大技を使った直後だが、少年も休んでいるわけにはいかない。ひとまず気絶していたアルマを回収し、無事を確認してから蟻の処理に向かおうとした。それをアルマが引き留める。
「弟くん、それは他のみんながやってくれるから、少し休もう?」
「どうしたよ、姐さん。俺の体の心配か? まあ、ちょっと疲れはしてるが、見ての通り大丈夫だ。師匠が張り切ってるのに弟子の俺が休んでるわけにもな」
しかし、アルマは少年の手を放さなかった。彼女は普段、あまり自分の意見を押し通そうとすることはない。だが、それが他人の身を案じることにつながると途端に頑固だ。そして鋭い。
「まいった。姐さんの目はごまかせねぇか」
少年の体は確かに疲弊しているが、動けなくなるほどではない。むしろ、感覚のキレはいつにも増しているとさえ言える。だが、それは正常な状態とはまた違った。少年は普段通りの自分を演じ切れているつもりだったが、アルマは違和感に気づいていた。
『無残掌』を使った代償だ。体の感覚がズレてきている。自分という存在がわからなくなりつつある。その副作用については鍛練の中で気づいていたが、ここまで大規模な範囲に及ぶ技の行使は初めてのことであり、予想していた以上の反動を受けていた。
アルマは仙覚が使えない。にもかかわらず、少年の変化を見逃さなかった。強く、軽い痛みを覚えるほどに強く、アルマは手を握る。少しずつ、ゆっくりとだが、凍えた手先が温められていくように少年は自分の感覚を取り戻していた。
既に目的の討伐を終え、掃討戦に入っている。少年が少しくらい休んだところで文句を言う者はいなかった。ピアの祓魔はホトグレスが引き受けている。それからほどなくしてロルレークが喜びをあらわに叫んだ。
「あった! 魔石だ!」
魔石に対する彼の熱意は凄まじく、単身で群れの一翼を押し返す勢いだった。前に出過ぎだと忠告されようと聞く耳を持たない。その執念が天に通じたのか、ついに玻璃咬鎚の魔石を発見したようだった。
「よぉし、もうこんなところに用はない! 帰るぞ!」
魔石さえ手に入れば残りの蟻を破壊する意味はない。前線に立っていたルハズドが撤退の隙を作ろうと力を振り絞って攻撃を加速させる。その時、自分の肉体を包んでいた祓魔に異常を感じ取った。急速に祓魔の力が弱まっている。何事かとパートナーであるカラヒムの方を見た。
「なに、してんだ……“喉笛”!」
ノサンがカラヒムに向けて楽器を振り下ろしていた。祓魔に集中していたため背後の警戒を怠ったカラヒムは、仲間であるはずのノサンの襲撃に対応できなかった。頭部を強打され、即死する。
そのどさくさに紛れて少年たちへも攻撃が仕掛けられていた。数本の液状弦がのたうつ蛇のように迫る。だが、こちらは少年が察知して迎え撃った。ただ炎で溶かしたが、元が液状なので一部を失っても破壊したことにはならない。
ノサンの裏切り、その目的とは何か。まさか玻璃咬鎚の魔石を奪おうと言うのか。それはあまりにも無謀である。不意を突いてカラヒムを殺害したノサンだが、残りの隊員を全て殺し切るのは不可能と断言できる。
仮にうまく奪い取って逃げることができたとしても軍を敵に回すことになる。いかに希少な魔石といえども、そこまでのリスクを冒してまで自分のものにするメリットはない。しかし、相手は迷宮病にかかりかけた半狂人だ。常識が通じないことも考えられた。
「大尉! ノサンが裏切りました! 気をつけて!」
ロルレークはガスマスクの下へと魔石を忍ばせた。なぜそんな場所にと疑問を挟む暇もない。
「おごっ! おっ! うっ! ……っ……ぁ……ぼ……!!」
何が起きているのかとっさに理解できなかったが、どうやら嚥下しているようだ。拳大はある魔石を苦しみながら必死に呑み込もうとしている。まともな人間の所業ではない。何がしたいのかさっぱりわからなかった。まさかこの差し迫った状況下で頭が狂ったのか。
「ひとまずあれは放っておけ。ノサンを先に叩く。ピア、お前がやるんだ」
「はい」
ホトグレスが指示を出した。少年とルハズドは菌床蟻をどかしながらロルレークの方へ確認に向かっている。身内を殺されたルハズドも取り乱すことなく自分の役割を理解していた。今は敵討ちにこだわっている場合ではない。
ノサンの相手はホトグレスがしても良かったが、生憎と彼女の新鍛晶蔵は故障中だ。これは試作機の構造上の問題で、連続使用によって過度の負荷がかかると熱暴走を起こして機能が停止してしまう。工房に持ち帰って修理しなければ使えない。
武器の魔法が使えずとも戦いようはあったが、彼女が出しゃばらずとも戦える者は他にいる。これも修行だとピアに行かせることにした。
「神、かみ、かみ神神神かみ神かみ神神神神神ぃぃぃいいい!!」
狂態を晒す敵を前にして、ピアは対照的に構えを崩さない。唯一、落ち着かないことがあるとすれば、ホトグレスの祓魔がぶっきらぼうなところか。守ってもらっている身で贅沢は言えないが、少年の祓魔と比べると圧力がある。技術的な違いというより真心の差だ。
そんな雑念もすぐに捨て、一戦に集中する。仙覚を剣に集めて敵へと斬りかかる。ノサンは迫り来るピアを前にして立ち尽くす。彼もまた一流の戦士ではあるが、一対一で正面から生粋の剣士と闘うには相性が悪すぎる。楽器を奏でている隙はない。
「助けて……助けてくれ!」
人を殺しておきながら命乞いをするその浅ましさ。狂っているからと言って許されることではない。ピアは怒りも哀れみもしなかった。振るう剣に乗せるべきは感情ではなく覚悟だと教わった。
炸裂するような勢いで振り下ろされた袈裟斬りをノサンは楽器で防いだ。しかし、剣の一撃を防げるほど頑丈な武器ではない。弦は断ち切れ、断末魔のような音をかき鳴らす。脆い盾では防ぎきれず、暴力の刃はノサンの体へと叩き込まれる。
「助けて……」
結局、ノサンは何がしたかったのか、ピアにはわからない。狂ってしまった彼の心中を読み解くことは困難だ。万策尽き、ただ死の恐怖におびえているだけにしか見えない。
ノサンは自らの腕を盾にした。あっさりと砕け散った鍛晶蔵とは異なり、ピアの剣を受けきる。剣は肉を裂き、骨まで食い込んだが、そこで止まった。
磨法には二つの分類がある。少年やピアのような柔磨法と、ノサンのような剛磨法の使い手とでは強さの質が全く異なる。自身の感覚を強化し、さらには敵の感覚までも惑わせる柔磨法は確かに強い。それに対する剛磨法の強さの一つが肉体の再生力だ。
筋肉が発達するために欠かせない超再生を高めることにより、筋肉の強度も密度も無論のこと発揮される力も全てが超人的に成長する。骨の強度は鋼に匹敵する。たとえ細身に見えたとしても筋肉の構造が常人とはかけ離れているのだ。
これは鍛練における効果の話である。戦闘時はその超人的筋力を基礎として、さらに磨法による一時的な身体強化が加算される。ピアの剣でもノサンの腕を一太刀で切り捨てることはできなかった。
「どうか、お導きを!」
腕を犠牲にすることで得た一瞬の隙に、ノサンは腰に佩いていた短剣を抜いていた。その動きに迷いはない。彼はこうなることを見越していた。
彼は助けを求めていた。だが、それは命惜しさから出た言葉ではない。むしろ逆だ。この狂気に染まった世界から一刻も早く解放されたい。そのための死という安息を望んでいた。
ノサンもロルレークも同じ組織に属する身だ。ロルレークの命令に逆らうことはできなかった。その結果、迷宮深部で変質魔力を浴びることにより彼の迷宮病は悪化し、精神に致命的な異常をきたし始めている。
もはや地上に帰ったところで治ることはない。玻璃咬鎚の討伐という目的を達成した今、ノサンは用済みだった。後は一人でも多くの“異教徒”を道連れにして死ぬだけだ。
ここでピアを殺して自分も殺される。形振り構わぬ捨て身の反撃だ。全力の斬撃を放ったピアの体勢からノサンの短剣を回避することはできない。毒の刃は防護服を破り、肉に届くはずだ。
かすり傷でも十分だ。毒ならこの空間に満ち溢れている。傷口から胞子が入り込み、血流に乗って全身に菌が回る。できる限りの処置を施して地上に帰還したところで数日後には全身に黴が生えていることだろう。いっそ死なせた方が慈悲と言える病態となる。
もし、ピアがノサンのことをただの狂人と軽視していれば、この反撃に対処することはできなかったかもしれない。
ピアの剣はノサンを二度斬り裂いた。ノサンが反撃を挟む余地も与えない、神速の連撃。鈍重な大剣とは思えない速度で、しかも一撃目とは真逆の位置から斬り上げる。つまり、袈裟斬りを仕掛けてからの、間髪入れぬ逆袈裟斬りである。
体勢的に、つながるとは思えない連撃だ。斬られたノサン自身も何が起きたのかとっさに理解できなかった。ピアの剣は一度、ノサンの腕に阻まれた。その硬い骨にぶち当たる衝撃を利用して『弾鋼剣』は跳ねた。爆発的な反動の加速を得て、その場でぐるりと一回転したピアは逆袈裟を仕掛けたのである。
敵の手の内が読めなければ成功しない連撃だろう。ピアにはそれがわかった。彼女の剣を覆う仙覚がノサンの心情を読み取った。
思考の全てを覗き見るようなことは当然できない。仙覚は敵の微細な動作の変化を感じ取る力を高めるだけだ。だが、精神の在り方は肉体の動きに現れる。ノサンが反撃を仕掛けてようとしていることくらいは察知できた。
ノサンが吹き飛ぶ。ピアの剣に切れ味はあまりないが、その威力によってノサンの体内はかき混ぜられていた。致命傷である。追い打ちをかけるように周囲にいた菌床蟻がワイヤー付きの毒針を撃ち込む。
それでもノサンは立ち上がった。マスクの下から血と一緒に歌声を吐き出しながら。ピアは聞いたこともない歌だったが、神に捧げる讃美歌のようだった。歌いながら、血を吐きながら、体中に鉄線を撃ち込まれてなお、それを引きずりながら前進する。その手には、まだ短剣が握られていた。
ノサンの心境は、仙覚を使ってもうかがい知ることはできない。人間は様々な思いを抱えて生きている。それは悪人も善人も変わらない。剣を手に取り、振るうことに悪も善も有りはしない。ただ剥き出しの、寒気を伴うほどの覚悟があるのみだ。
自らの生き死にの様は、自らが決めるという覚悟。ピアはそれに応える。
歌声は止んだ。
* * *
「以前、私は君に問うたことがありましたね。天国と地獄について」
少年は嫌な予感がしていた。菌床蟻の残党の動きが鈍っている。ロルレークがいる場所に近づくと、その周囲だけ広々とした空間が確保されていた。なぜか蟻たちはその場所を避けるように移動している。
「この世は天国だ。これに勝る楽園が死後の世界にあるのですか? なぜ死後も安泰だと断言できるのですか? 神が仰られたからですか? その声は誰が聞いたのですか?」
ロルレークは無事だった。これを無事と言っていいか疑問の余地は残るところだが。魔石を一つ呑み込んだにしては平気そうに振舞っている。いくら魔石が好きでも丸呑みにする必要はない。企みがあることは明白だった。
「誰もが死を恐れている。その先に何が待ち受けているのかわからないからです。そのわからないものを、理解した気になるために神という存在を利用しているだけです」
「異端審問にかけられても知りませんよ」
「そんなもの、未知に対する恐怖に比べれば如何ほどのこともない。あなた方にも真理を教えて差し上げましょう。我ら『拝鉱教』がね」
彼の周囲に展開されていた仙覚に変化が現れた。肉の触手が、機械のような無機質な甲殻で覆われていく。少年もルハズドも見たことのない形態だ。そして、ロルレークが杖を掲げると、菌床蟻たちは一斉にそちらを向いて首を垂れた。
「菌床蟻を手懐けたのか!? 鍛晶蔵の魔法、としか考えられねぇが……」
「違いますよ。そんなちゃちなものと一緒にされては困ります。私のヒトとしての位階が上がることで手にした能力……すなわち『鍛人蔵』の魔法です」
「何を言ってんだ!?」
「魔石の結晶を鍛えて作るから『鍛晶蔵』。人を鍛えて器を作り、そこに魔石を収めれば『鍛人蔵』の出来上がりというわけです」
拝鉱教といい、鍛人蔵といい、全く耳にしたことのない言葉だった。新造の異教団のようだが、ミシエヒ教が聞けば即座に弾圧に乗り出すだろう。ドゥマトン軍とは関係なく、ロルレークが個人的に入信しているらしい。そうだとすれば、どこで鍛人蔵のような技術を開発しているのかという疑問も出てくる。
「我らの主神はミシエヒではく、錬金の神ジェナウです。迷宮鉱脈とは、偉大なる神の魂の結晶。我らの第一の教義は、神の魂とより深く結びつくことです」
神の魂と結びつくとは、端的に言えば“魔石”となることだという。人間という存在は迷宮と同じく神に作り出された存在で、その魂をより完全な状態に近づけるためには魂を魔石化させる必要がある。
「普通に死んでも体内の魔力は自然に還りますが、これでは不完全なのです。魂をより高度に魔石として結晶化させることで、我々は神から賜ったこの命を神の座へとお返しする。すなわち、神と一体となるのです」
「命を魔石に変えるなんてできるわけ……」
そこでルハズドは思い至る。“迷宮の怪物に食われた人間は怪物になる”。寄生炉に作り替えられた人間は、その機体の内部に魔石を生み出す。
「寄生炉に食われろっていうのか!? 逝かれてやがる!」
「ご安心ください。選択肢は他にもあります。私のような“導師”であれば、より安らかにあなた方の魂を導いて差し上げることが可能です。恐れることはありません。私の中で、あなた方の魂は保護されるのです」
少年にとって、魔石に魂が宿っているという考え方は少しだけ理解できる面もあった。アルマは魔石から生み出された存在だ。もし元となった金剛王の純粋結晶にアルマの魂が欠片も残っていなければ、彼女はここにいなかっただろう。
しかし、だからと言ってロルレークの言葉を全て信じるわけもない。ロルレークはここで調査隊を全員殺し、その力を吸収するつもりのようだ。わざわざ殺されてやる筋合いはない。
「どうせ死ぬのですから、無駄に苦しむ必要はありません。これはこの一戦を指して言っているのではありません。人はいつか死ぬ。ならば、より良い死を迎えるべきだ」
ロルレークが蟻たちを操作し、洞窟の脇道を塞ぐ。ぎっしりと穴に蟻を詰め込んで逃げ道を閉ざした。さらに残った蟻たちを全て、ホトグレスとピアの方向へと向かわせる。
「俺たちだけで逝かれ宣教師と戦うしかねぇようだな……俺が前衛を引き受ける。サポートを頼むぜ」
新鍛晶蔵が使えない状態ではホトグレスでも手に余る数の敵だ。だがその分、ロルレークの近くから菌床蟻はいなくなった。蟻の援護がなくても少年たち程度なら倒せると思われているようだ。
「いえ……ルハズドさんだけに行かせるわけにはいきません」
「舐めんじゃねぇ。玻璃咬鎚戦ではそりゃ役に立たなかったが、これでも二等級だ。ベテランの戦い方ってやつを見せてやるぜ」
ルハズドは少年の実力を低く見ているわけではない。むしろ、その能力こそ戦いを制する鍵だと思っている。だからこそ、無策のままロルレークに突撃させるわけにはいかない。
敵の実力をある程度見極めるまではルハズドが前に出て戦うつもりだった。時間を稼げば蟻を処理したホトグレスたちも加勢してくる。玻璃咬鎚を一撃で屠ったという少年の技を使うチャンスもあるだろう。
「あなた方の考えることは手に取るようにわかります。確かに今の私にとって脅威と呼べるものはその青い炎だけです。『無残掌』でしたか? それを使えば私に勝てるかもしれません」
「一度見せた技が通用するとは思えませんけどね。あんな隙のデカい大技、達人相手に当たるわけがない」
無残掌の欠点は修行中に何度も検証している。敵が寄生炉ならばともかく、その技だけで人間を相手取るには限界があった。どんなに威力があっても当たらなければ意味がない。挑発に乗って使ったところで返り討ちに遭うだけだ。
「利口ですね。ならば、すぐに理解できるはずです。どんな手を使おうと私に勝つことはできないとね」
ロルレークは再び錫杖を掲げた。よく見ると、防護服から伸びたケーブルによって連結されている。その線を通してロルレークの力が鍛晶蔵へと注ぎ込まれる。
周囲に転がっていた蟻の残骸が動き始めた。重力が消えたかのように浮遊し、無数の残骸が錫杖の方へと集まっていく。それら一つ一つが部品となり、歪で巨大な戦斧を形作った。ルハズドはその光景を見て言葉を失った。かすかな希望すらすり潰されていく。
「これが純粋結晶の力です。絶望しましたか? であれば、降伏してください。私はあなた方を不必要に苦しめる気なんてありません。安らかなる死を与えると約束しましょう」
本物の純粋結晶に触れたことのある少年から見れば、玻璃咬鎚の魔石はそれに劣る。純粋結晶はただの魔石とは格の違う代物である。だが、それを別にしてもロルレークが人智を越えた力を手に入れたことは事実だった。
ロルレークが何気なく杖を振るう。特に術の制御に神経を使っているようには見えない。当たり前のように使える程度の技なのだ。杖の動きに合わせて空中の戦斧が傾く。当たれば更地になる威力だ。それだけの質量の塊が襲い掛かる。
「だから言っただろ。そんな隙のデカい大技、当たるわけがないって」
その声はロルレークの背後から聞こえた。反射的にその場から飛び退く。何が起きたというのか。彼は一瞬のうちに目まぐるしく思考していた。鍛え抜かれた戦士だからこそ成せる瞬間的な戦闘状態への移行だ。その極度の集中状態が、逆に根本的な見落としを生んでいた。
着地と同時に腹の痛みに気づく。何事かと腹を抑えたロルレークの手が血に染まった。穴が空いている。臓腑に収めていた玻璃咬鎚の魔石は、少年の手に渡っていた。制御を失った蟻の戦斧が地に落ちて瓦解する。
「え? なぜ? 私の魔石が……」
「お前のじゃないだろ」
真相を言えば、魔石を鋳つぶして取り出した魔力によって少年は身体強化していた。その強化された肉体を駆使してロルレークの背後から接近。敵は仙覚を展開していたため完全な奇襲はできなかったが、声をかけることで動揺して振り返ったロルレークの隙を突き、その腹部を魔法の炎で溶かして魔石を摘出した。
少年はホトグレスから一人前の採石者となるよう指導を受けてきた。彼女にとって一人前の基準とは“いかなる敵とも対等に戦う力を持つ者”だ。玻璃咬鎚を倒した。そこで気を緩ませ、次なる一難に備えておけないような未熟者には育てていない。
魔石による強化は少年にとって最後の切り札だ。副作用は健在で、使えば体に無理が生じる。ゆえに玻璃咬鎚との戦いでは使わずに乗り切った。ロルレークの裏切りなど想定はしていないが、不測の事態に備えていた。
闘技大会で優勝した後、疲弊しきった少年たちはウルキスに手も足も出せなかった。もうあんな目には遭いたくないと、三人は必死で鍛練を積んだのだ。たとえウルキスのような強者が立ちはだかろうと戦えるように。
ホトグレスから本格的な磨法の修行をつけられるようになったのは半年ほどの短い期間だったが、少年は確実に、急激に成長していた。魔石を使わずとも普段からできる身体強化の技術も上がっている。それは二段階強化の大幅な底上げになっていた。
「返せえええええええ!!」
腹に大穴を開ける致命傷を負いながら、ロルレークは少年に斬りかかる。鍛人蔵の能力は失ったようだが、彼本来の実力は損なわれていない。分解されて宙を舞う『雪編錫杖』の猛攻は四方八方から予測不能の軌道を描いて少年に殺到する。
少年は防戦一方だった。魔石による二段階強化を解除したわけではない。全力を振り絞った上での戦況だ。それだけロルレークは強かった。最初から彼が慢心せず戦っていれば、少年の勝算は低かった。
確かに今の少年の実力があれば善戦はできる。しかし、一度も攻撃を食らわずに完封勝利することはさすがに不可能だ。それを考えれば、最も厄介な敵はこの深層の環境と言えるだろう。一度でも傷を負えばそこから菌に感染してしまう。
ロルレークがまだ少年の実力の底を知らず、油断している初撃で仕留めることが最も勝算の高い攻略法だった。新たに得た力に溺れ、それを誇示することに気を取られ過ぎていた。鍛晶蔵と鍛人蔵、二つの力を同時に使って攻められれば苦戦を強いられていただろう。
六つの雪片による包囲攻撃と、そこに合わさるロルレークの杖術によって少年は押されていた。凌ぐことが精一杯で反撃に打って出る隙がない。鬼気迫る勢いでロルレークは攻め立てる。腹から大量出血している人間の動きではなかった。
やがてその腹の傷が塞がり始めた。いよいよ化け物じみてきたと思いきや、それはロルレークの能力ではなかった。傷から入り込み、増殖した菌が生い茂って傷を塞いだかのように見えたのだ。
地面には血が滴り落ちた跡からもきのこが生えていた。このわずかな時間のうちに生物を食らい尽くす恐るべき菌類だ。ついにロルレークが膝をついた。もはや彼の全身は隈なく菌に冒されてしまっている。それでもまだ少年の持つ魔石を目指して地を這って来る。
「ア、ア、ア、嫌だ、こんな死に方はイヤダ――!」
絶対に許せない。憎悪が彼の心に渦巻く。自分を窮地に追い込んだ仇敵を睨みつける。その名を、その名を、その名を。
「ア? ナマエ?」
当然のように知っている気になっていたが、ロルレークは少年の名を覚えていなかった。思い出そうとする。その思考の処理に追われて恨みは頭の片隅に追いやられ、消滅した。今や菌にまみれた彼の脳細胞は徐々に機能を停止しつつある。
死の間際、最期の瞬間、彼は心底どうでもいい人間の名前を思い出そうとしていた。そして、その答えに辿り着くこともなく一生を終えた。
* * *
迷宮を脱出した調査隊はドゥマトン軍に成果を報告した。玻璃咬鎚の討伐達成、魔石の獲得、隊長のロルレーク大尉と隊員二名の死亡を伝える。
ロルレークの死亡については報告書にて提出した以外の事情は何も聞かれなかった。どうやら身内からもよく思われていなかったらしい。彼の上官は魔石を渡すと上機嫌で隊員たちを労い、特別報酬を即日支給してくれた。
ちなみに拝鉱教や裏切りのことについては何も言わなかった。正直に話したところで面倒事を巻き起こすだけだ。
一段落ついたところで報酬を分けて解散する。少年たち弟子三人組の取り分はない。三人の分は全てホトグレスのものだ。これは弟子ならば当然のことで文句も不満もなかった。ちょっとくらい分けてやれよとルハズドが言ったが、ホトグレスに睨まれるとすぐに口を閉ざした。
「それじゃ、名残惜しいが俺はここらで失礼するぜ」
死闘を共にした仲間でも別れの時はあっさりしたものだ。ルハズドは今後も採石業を続けるようだ。それが殺されたカラヒムに対する彼なりの供養だと信じている。悲しみは抱えているはずだが、それを皆の前で見せることはなかった。
「拝鉱教のことについては……」
「誰にも言わねーよ。まあ、喋るのは“未来の権者の英雄譚”だけにしとくぜ」
「それもやめてください」
「あん? 未来の権者ってのはもちろん俺様のことだが、誰と勘違いしてるんだ?」
「……」
軽口を叩いてルハズドは自分の拠点に帰っていった。ホトグレス一行もチップベル工房に帰る。探索はどうだったかとベルネオールらに聞かれたが、少年は疲労も限界に近かったので話をおざなりに済ませて泥のように眠った。
その翌日、ホトグレスの姿は工房になかった。弟子の三人とも行先は知らない。そのようなことはこれまで何度もあったが、何となくもう二度と彼女がこの場所に戻ってくることはないような気がした。それから数日待ったが、やはり帰ってくることはなかった。
「“師匠”、今までお世話になりました」
弟子になりたての頃、少年はホトグレスのことを“先生”と呼んでいた。彼にとって師匠と呼べる存在はドラジッドただ一人だという気持ちがあったからだ。そのこだわりもいつしか消え去り、自然と呼び名は変わっていた。
別れの言葉もない、卒業だ。しかし、師匠らしいと言えばらしかった。少年たちもチップベル工房を出ていくことを決める。もともと、弟子の間だけの滞在の予定だった。
「引き留めたい気持ちは山々なんだが、すぐにこの街を出ていくことが賢明だろう」
ベルネオールは真剣な口調だった。どうやら少年の鍛晶蔵に目を付けた連中がいるらしい。闘技大会で使うところを見られてしまったので予想はしていたことだった。今まではホトグレスの庇護があったが、これからはそうもいかない。
「暴力でねじ伏せてくるような奴らだけなら何とかできるんだけどね。世の中にはもっと性根がねじ曲がった連中がいるから」
「権謀術数ってやつですか」
ベルネオールはよく調べているようだった。これでも貴族の端くれだから情報は耳に入るのだと嘯くが、首を突っ込んで調べようとしなければ得られない情報だろう。その気遣いに感謝する。
「本当にすまない、プラム君。まだまだ君には教えることがたくさんあったのに、こんな中途半端なところで送り出すことになってしまうとは……」
ベルネオールは少年のことを工房の一員として扱ってきた。もし少年が本気で職人を目指すつもりであれば、被害を覚悟してでもこの街で安心して暮らせるように手を打つつもりだった。
「俺ばっかり贔屓するわけにはいかないでしょう。工房で働くみんなにも迷惑がかかります」
「贔屓するだけの能力が君にはあるんだけどね。おかげで新事業も軌道に乗るところまで来た。いくら礼を言っても足りないくらいだ」
「こちらこそ多くのことを学ばせてもらいました。この御恩は忘れません」
今の少年は技師として半人前の実力もいいところだが、半年前の自分ならその半人前にすら到底届くとは思わなかった。採石者と蔵技師の両立など、自分で言い出したことだができっこないと思っていた。
一人の力では絶対にできなかった努力だ。ホトグレスと同じくベルネオールも少年にとっての師匠だった。
「おーい、ちょっとみんな私のこと忘れてない!?」
そこに慌ただしくマルティナが姿を現す。はいこれ、と少年に手甲を一つ渡した。
「え、これ『改五号』じゃないですか」
ホトグレスが使っていた新鍛晶蔵である。帰還して工房に修理を頼んだ後、彼女はそのまま行方をくらませてしまった。
「いや、俺に渡されても……」
「もらっときなよ。ホトグレス様だってそのつもりで置いていったんでしょ」
「知っての通り、その武器はまだ未完成だ。だが、君ならそれをうまく作り直すことができるだろう」
難しいことは百も承知だ。自信はない。しかし、無理だとは言わなかった。遠慮なく受け取って、工房を出立した。
「さて、汽車に乗ったらしばらくはこの街にも戻ってこれない。準備はいいか?」
少年がわざわざ確認を取ったのはアルマがここ数日、慌ただしく奔走していたからだ。彼女はこの街を離れる前に会っておこうと、鍛冶屋のダンを探していた。それが一向に見つからない。店も閉まったままだった。
だが、そのことを少年とピアには言っていない。これだけ探して見つからないということは向こうが会いたくないのかもしれないと諦めることした。別れの言葉は手紙に書いてベルネオールに預けている。これ以上、仲間を待たせるつもりはなかった。
だが、駅へと向かう道すがら、その当人とばったり出くわした。ダンとベネシュ農家のモンヤンが灰降る道に立ち、アルマたちが来るのを待っていた。
「親方! モンさん!」
アルマは急いで駆け寄ろうとしたところ、ぬかるんだ地面に足を取られて転倒した。どじなところは相変わらずだとダンはため息をついてアルマを引っ張り起こす。その重さが腰に響いたことは黙っておいた。
「持って行け」
ダンがアルマに荷物を渡す。それはつるはしだった。彼が採石者をやっていた頃に使っていたものだ。これまで店の商品にさえアルマに触らせることのなかったダンからの贈り物に、アルマは戸惑う。
「受け取ってあげなよ~。ダンさん、この日のために丹精込めて打ち直してたんだよ~」
「余計なこと言うんじゃねぇ!」
ダンが現役時代に使っていただけあって優れた品質の逸品だが、物置にしまい込んでいたので鍛え直す必要があった。ここ数日はその作業に没頭していたのだ。
「修行とはいえ、畑の補修を手伝ってきたお前を手ぶらで行かせるわけにもいかねぇだろう。俺はもう使うこともない代物だ。お前が持って行け」
つるはしには、とうの昔に捨て置いた夢の残滓がこもっていた。それをアルマにぶっきらぼうに押し付けるとダンはそれ以上、何も言わずに帰っていく。号泣しながら何度も礼を言うアルマを見ていると、自分もつられそうになったからだ。
「また遊びに来てね~!」
モンヤンに見送られて駅へと向かう。お土産にと一つずつもらったベネシュをかじりながら歩く。
「今だから言うけど……これってあんまりおいしくないよな」
「うん」
「そ、そうかなー?」
皮は硬いし、身は酸っぱくて渋い。一度にたくさん食べると舌が変になりそうだ。
「でも、“良い味”だ」
「うん」
「そうだねっ!」
きっとその青い味わいは灰の街の情景と結びつき、忘れられない記憶となって残ることだろう。いつかまた食べたいと思えるその日まで、さようならと心の中でつぶやいた。