明朝5時、ルガット社の迷宮採石隊が集合していた。その編成は正規の資格を持つ採石者が3名、その下につく採石研修生が4名、そして労働力の奴隷が5名からなる。
探索に必要な道具は会社が用意してくれるとの話だったが、それらは鉱夫時代によく目にした採掘道具だった。研修生と奴隷は全て同じ装備品を支給される。
正規採石者たちは何やら複雑な機器を所持していた。もし迷宮内で寄生炉と遭遇した際は、彼らが戦闘を担う。残りの隊員は採石と運搬作業を担当する。
奴隷が5名だけというのは少ない気がしたが、これはコストを削るためだ。奴隷は入手が容易な反面、維持費が高い。使役税や迷宮入場税などの関係で大勢連れてきても採算が合わないようだ。
だからこそ人を集めるために研修生という名目が必要だったのだろうが、所有物である奴隷はともかく、研修生は非正規採石者に該当し、本来なら迷宮への入場は認められない。そのはずだが、会社が裏から手を回して強引にねじ込んでいるらしい。
そのあたりの本音と建て前の調整は、採石権を持つ会社とそこに出資している貴族の仕事だ。ただの従業員はあずかり知らない世界である。
それは少年も理解できたが、一つ気になったのは研修生と奴隷の全員が子供しかいないことだった。単純な労働力を考えれば大人の奴隷を用意した方がいいに決まっている。ナイルに聞けば、下働きの雇用条件が16歳以下と決まっているかららしい。
「俺もよく理由はわからないけど、子供は寄生炉に食われても新たな寄生炉になりにくいんだと」
寄生炉の増殖リスクを下げるための規則のようだ。色々と裏の事情はあるようだが、実際に優秀な若手を育成するための制度という側面もある。試験対策だけしかせず資格を取る者より、実践的な経験を先んじて学ぶことができる。
ナイルと話していると、今回同行する採石者の一人であるカシムートから注意を受けた。採石隊の一行は迷宮直行便の汽車に乗って長いトンネルを進む。煙が車内にまで充満し、皆が咳込んだ。
丘陵群の中心部に位置するバダルサナ迷宮は、周囲に巨大なカルデラを形成している。円形に隆起した外郭の一部に街が作られ、そこから内部に向けて掘られたトンネルを抜けると湿地帯が広がっている。
汽車は湿地の中に作られた橋の上を走った。次第に湿地は湖へと変わっていく。迷宮へ向けて一直線に伸びるその橋は、魔法科学の粋を集めた建築技術によって作られていた。行きも帰りも一本道だ。検問の目を掻い潜る余地はない。
「すげぇ……」
少年は、朝の冷たい空気に震えることも忘れて窓の外に見える光景に圧倒されていた。せいぜい河川しか知らない彼は、こんなに大量の水たまりを見たことがなかった。この地の農業を支える大水源だ。
「おいおい、こんなところで驚いてちゃ身が持たないぞ」
朝日が夜の帳を払っていく。赤と黄色のまだらに染まった空が、カルデラ湖を囲む山々の影を湖面に映していた。名残惜しくも汽車は駅に到着する。
湖の中心に浮かぶ小島である。バダルサナ迷宮の入口だ。駅のプラットホームは、そのまま広場として使われていた。ここで迷宮の入場手続きを行う。早朝から既に何名かの採石者らしき人の姿があった。
カシムートたちが手続きを終え、一行はついに迷宮へと足を踏み入れた。まず大きく口を開く大坑道が待ち受ける。ひとたび入れば空気が変わった。そこは洞窟の中とは思えないほど明るく照らし出されていた。
「おい、ナイル。なんか壁がぴかぴか光ってるぞ」
「そりゃ魔石は光るさ」
「これが全部魔石か!? めちゃくちゃいっぱいあるぞ!」
「この辺りはクズ石だけどな」
「光ってるのにか?」
「迷宮内の魔石は光るんだよ。外に持ち出すと鮮度が落ちて光らなくなるんだ」
少年は見るものすべてに興奮していたが、他の全員は飽きるほど見た光景である。ナイル以外は鬱陶しそうにしていた。
「遊びに来たんじゃねぇんだぞ。次、私語したら寄生炉の餌にしてやるからな」
カシムートから叱責を受けて少年を口を閉じた。大人たちは神経を尖らせているようだった。入口とはいえもうここは迷宮の中だ。外と同じ感覚でいれば命を落としかねない危険で溢れている。
探索済みの整備された坑道なら寄生炉は滅多に出ないと聞いていた少年も、だんだん不安になってきた。しかし、喋ることもできず黙って後をついていく。
脅威は寄生炉だけではなかった。大坑道では人とすれ違うこともあるが、そのたびに緊張した。基本的に安全地帯は共同で使う通路だけで、他の場所で別の採石隊とかち合えば戦闘に発展する恐れもあった。
迷宮内にはあらかじめ、採石権を持つ各社が協議の上で決められたテリトリーが存在する。それは明確に区分されており、勝手に余所者が入ってはならない。侵入者が見つかれば、まず話し合いで解決することはない。
そのせいで寄生炉の出現などの緊急時に行動範囲が制限されることも少なくない。境界線の齟齬や盗石者の誤認殺害などの事故や故意の事件までも多発している。
とはいえ、無法地帯でもない。迷宮の中だろうと犯罪は犯罪だ。舐めた真似をすれば損害を被った会社が黙っているはずもなく、盗石者は徹底的に調べ上げられ糾弾される。
そもそもこのテリトリー制度が作られる以前は、もっとひどい血で血を洗う抗争が繰り広げられていたらしい。一応の秩序は成り立っていた。
やがて大坑道から分岐した、ルガット社の縄張りにたどり着く。引率の採石者たちはしきりに懐中時計のような機器を確認しながら慎重に進む。穴の奥に行くにつれ、だんだんと光量が増し、むしろ視界が奪われるほどだった。
少年はまぶしさに目を細めているが、他の面々は遮光性のあるゴーグルを装着していた。慌ててそれに倣う。きらきらと輝く採石場は地上とは別世界だった。
「今日の堀場はアローⅣだ。この前、“出た”からな。狩り残しが湧いてるかもしれん。心しておけ」
何が出たのかと少年がナイルに目で訴えるが、適当に頷いてごまかされた。それ以上の会話はなく、各々が支給されたピッケルを黙々と振るい続けた。
奴隷鉱夫だった時でさえ魔導式掘削機を使っていたというのにこの現場ではつるはししかない。説明されなかったが、だいだいの察しはついた。大きな音を出せないからだ。
大人組は事前に伝えられていた通り、採石作業を手伝うことはなかった。常に周囲を警戒している。その様子がつまり、寄生炉が出る可能性を物語っている。
危険と隣り合わせの現場の中、採掘作業を続ける少年の胸中には沸々と感情が湧きおこっていた。
「どうした新入り! 純度の高い魔石は奥にあるんだ! もっと気合入れて掘れ!」
奴隷時代と何も変わっていない。これが採石者の現実だというのか。苦労して採掘した魔石も全て会社に没収され、安い賃金に取り替えられる。
これは一般の採石者も同じことだが、迷宮研修生の場合は若輩者が経験を積む機会を与えられる代わりとしてさらに薄給だ。それだけではとても食っていけない。
確かに、どんな成功を収めた採石者だろうと下積み時代はあるだろう。迷宮研修生とは採石者の卵だ。誰もが通る苦しい道なのだと言われれば、その時は納得するしかなかった。
しかし、見たこともない光景に目を奪われた興奮は、そのまま怒りへと転化されていく。
なぜ自分はまたしても、こんな目に遭わなければならないのか。自分は、ただの人間ではない。特別な力がある。それを使えば認めてもらえるはずだ。
不満、鬱屈、もどかしさ。彼自身も感情をうまく整理できず、やり場のない気持ちをピッケルに乗せて振り下ろすことしかできずにいた。
「待て、フラム! 一旦、止めだ……!」
まるで歯が立たない鉱石の壁を相手に奮闘していた少年を、ナイルが制する。何か様子がおかしかった。大人組が慌ただしく動いている。採石者の一人が巨大な聴診器のような装置を地面に当てて音を聞いているようだった。
「来てるな。小型寄生炉だ。数は10体ほどか」
「ちいっとばかし多いが、うむ……よし、迎え撃つぞ」
ついに不安は現実のものとなった。採石作業は中断され、集めた魔石をまとめて搬送する準備に入る。撤退も視野に入れた行動だった。
採石作業を脅かす寄生炉の存在は厄介だが、必ずしも嫌悪ばかりはされない。寄生炉の体内からしか採取できない貴重な魔石があるからだ。そのため弱い寄生炉は狩りの対象である。
少年たちが荷物をまとめていると早くも敵が近づいていた。カサカサと不気味な音が洞窟の壁に反響し、産毛が逆立つような怖気がこみ上げてくる。
それに続いて姿を見せた敵影は、サソリに似ていた。大きさも虫程度である。しかし、その体は角ばった石を連結したように直線的だった。体の中央にひと際強く光る結晶が見える。
寄生炉の分類は基本的に『小型』『中型』『大型』の三つに分けられる。大きくなるほど出現率は下がり、脅威度は跳ね上がる。小型は個体の弱さの代わりに自己増殖能力を有し、群れを成して行動することが多い。
小型寄生炉は個人でも討伐可能な強さとされるが、見た目はただの虫でも頑丈極まりない。踏みつぶした程度では全くの無傷である。さらに毒を持つ種類が多く、群がられれば身動きが取れなくなる。
「なぁに、心配ねぇ。『
そう言うとカシムートが大きな筒を構えた。最近、開発されたばかりの新型兵器らしい。別の工業都市で作られたものを輸入してまで手に入れた逸品だと自慢していた。
大筒から光弾が発射される。高速で接近していたサソリの群れの真ん中に着弾すると、爆発した。着弾地点にいたサソリは木っ端みじんに弾け飛ぶ。その周辺にいた虫たちも吹っ飛ばされて壁に叩きつけられ、破損していた。
大言壮語するだけのことはあった。まさにこれぞ魔法。採石者が魔法を使うという話は本当だったのだ。しかも、少年の両手を燃やす魔法とは比べ物にならないほど有用である。その圧巻の威力に少年はショックを隠し切れずにいた。
「しかしこれ、寄生炉の魔石までぶっ壊してねぇか?」
「それに一発で雷焼鍛鋼300グラムも使うんだろ……大赤字だぞ」
「ま、まぁ今日は試し撃ちだ。これで威力の確認はできた。強力な武器があるとないのとでは探索の安全度が段違いだ。採石も捗るってもんよ」
大人組が倒した寄生炉の魔石回収に向かう。その時のことだった。坑道の奥から何かが姿を現す。人間ではない何かが動いている。その大きさは馬車ほどもあった。音で索敵していた採石者がしくじったのだ。敵は小型寄生炉だけではなかった。
血の気が引く。少年は事前に聞いていた情報を思い出した。おそらく大型の寄生炉と思われる。一採石隊による対処は不可能。不慮の遭遇は死を意味すると伝えられていた。
「中型だ!」
しかし少年の予想に反し、大型ではなかった。これでもまだ中型なのだ。その形は奇妙だった。巨大な球根にカニの脚が生えたような不格好である。
それが恐ろしい速さで脚を動かして走ってくる。撤退の合図が発せられるまでもなく、全員がその場から駆け出していた。
「フラム! 荷物貸せ!」
「いや、いい! このくらい持てる!」
「この辺りは染み出した地下水で滑りやすい! 素人は逃げることだけに専念しろ!」
そう言うとナイルは少年の荷物を肩代わりした。まだ採石作業の途中だったのでそれほど魔石は集めていなかったが、それでも生死を分けるこの逃走の局面で、わずかな重荷も負担となることだろう。その気遣いに感謝する。
「食らいやがれぇ!」
カシムートが魔法兵器を化け物に向けて発射する。直撃し、爆発した光弾によって寄生炉が足を止めた。先ほど見た威力を考えれば当然の結果と思えた。これで倒せはせずとも、大きな損傷を与えることができたはずだと確信する。
だが、それは希望的観測だった。炸裂した攻撃は、寄生炉の分厚い装甲を凹ませるのみにとどまった。化け物は何事もなかったかのようにまた走り寄ってくる。
中型は熟練の採石隊であれば討伐可能と聞いていたのに話が違う。カシムートたちに勝てる相手ではない。少年が心中で悪態を吐いていると、敵に変化が現れた。
球根の皮のように何枚にも重なった装甲が開いていく。花開くように露出した上部をこちらへ傾けてきた。その中を見て誰もが絶句する。
滴り落ちるオイルに浸かり、蓮の花のような台座の中にぷりぷりとうごめくエビがぎっしり詰まっていた。ロブスターほどの大きさのそれが凄まじい跳躍力を発揮し、一斉に飛び出してきた。小型寄生炉の群れを体内に飼っていたのだ。
絶望的な光景だった。こんなもの、少年の魔法でもどうしようもない。エビの一匹二匹なら対処できるだろうが、そんな隙をさらしているうちに中型に追いつかれる。あの巨体と速度で体当たりを食らえば撥ね飛ばされて死ぬ。
力さえあれば採石者として大金を稼げるという考えはあまりに浅はかだった。今さら後悔したところで遅い。とにかく逃げるしかない。逃げて、生き延びて、もう金輪際、迷宮には関わらない。金は別の方法で稼ぐべきだと固く誓う。
「フラム! やべぇ、あれ見ろ!」
がむしゃらに走っていた少年はナイルの呼びかけを受けて弾かれたように後ろを見た。中型はさらに距離を縮めてきており、それに先行する形で発射されたエビの群れがぴょんぴょんと跳んでくる。
確かにこれ以上ないほどの窮地だった。しかし、何を指してナイルが驚いているのかわからない。その直後、少年の後頭部に衝撃が走った。
視界が揺らぐ。体が崩れ落ちる。ひどい耳鳴り。辛うじて気絶は免れた意識が必死に現状を理解しようとしている。後ろから頭を強打されたのだ。その場所にいた人物は一人しかいない。
ナイルだ。なぜ、という疑問が真っ先に湧く。その答えは自然と導き出された。
囮である。少年をこの場に残し、敵を釘付けにしているうちに残りの全員が逃げる。その理屈はわかるが、問題はナイルに決定打を下されたことだった。
仲良くなれたと思っていた。昨晩、夢を語り合ったあの二人の時間は嘘だったのか。
金をひったくり、それをカシムートに渡している現場を押さえた時、ナイルは見下したような性根の曲がった笑顔をしていた。結局は、それが本性だったのだ。
ついさっき敵から逃げるとき、わざわざ荷物を肩代わりしてくれたが、それも別に親切ではなかった。これから見殺しにする人間に、商品が入った荷物を持たせる必要はない。
囮役は、少年が適切だった。奴隷は金がかかっている。切り捨てられるのに誰が一番ふさわしいかと言えば、昨日雇われたばかりの身元もわからない孤児の研修生だった。
この場において少年の価値は奴隷以下だった。そればかりか、魔石が入った荷物以下だ。ただ敵の目を集めるためだけの障害物でしかない。
「な、い、る……!」
少年は完全に取り残された。この状態からの逃走は不可能だった。生き延びるためには戦うしかない。ぐらぐらと揺れる視界の中で、決死の覚悟を決める。
飛びかかって来る小型寄生炉の群れに炎を灯した手を向けた。しかし、まっすぐ地面を走ってくるわけではなく、飛び跳ねながら急接近するエビの挙動を予測することは難しかった。手を振り払い、数体のエビを溶かしたが、仕留め損ねた敵が少年の体にへばりつく。
刺すような痛みが走った。口吻を肌に突き刺している。慌てて握りつぶしたが、刺し傷にずきずきと鈍痛が走った。毒を送り込まれたのだと気づく。小型は、その多くが即効性の麻痺毒を持っていると聞いていた。
そうしているうちにも次々に小型寄生炉が少年を襲った。エビの群れ全てを一度に溶かし尽くすことはできない。その攻撃はエビというよりもノミだった。くっつくと同時に口吻を差し込んでくる。
毒のせいか体の動きが鈍っている気がした。そのためさらに毒攻撃を食らうという悪循環に陥る。そこへ影が差す。ついに中型寄生炉が少年の目の前まで来ていた。
最初は体当たりされることを恐れていたが、敵の狙いは少年を轢き殺すことではない。新たな寄生炉を作るための材料を得ることだ。中型の球根が真ん中から割れるように押し開かれた。
その中に人間が一人、ようやく入れるほどのスペースがあった。オイルに濡れた無数の触手が蠢いている。何をされるのか察した少年は絶叫した。
「じょっ、じょうだんじゃねぇ!」
群がってくるエビを懸命に振り払う。そこへ触手が恐ろしい速さで伸びて来た。一本や二本ではない。硬いケーブルのような触手が少年の四肢に絡みつき、身動きを封じる。
「まて!」
引きずり込まれる。踏みとどまろうにも、掴まろうにも、その手足の自由が利かない。連れ込まれようとしている小さな空間の奥に何かあった。機械の部品を組み合わせて作った人間の顔のようだった。
「まてまてまてええええええ! まてっ、まっ、あっ」
言葉が通じるわけがない。有無を言わさず呑み込まれた。球根の装甲が閉まる。体中を這いまわる触手の感覚と、むせかえるような油の臭いだけを残し、外の景色は見えなくなった。
「ああああああああああああああああああああ!!」
半狂乱だ。死に物狂いとはこのことだった。滅茶苦茶に手を振り回す。手あたり次第に溶かしていく。腹の中から溶壊していく寄生炉は痙攣するように震えて暴れ回った。
どちらが上か下かもわからない。体に絡みついたケーブルが少年を絞め殺さんばかりに巻き上げられる。両手に灯る炎だけが照らす狭い空間の中に、淡い光を放つ球体がぶら下がった。溶かされた天井から垂れ下がってきた。
寄生炉の核だ。ここに動力源となる魔石が入っている。最後の力を振り絞って裸電球のような剥き出しの核に手を伸ばした。握りつぶす。
寄生炉は、がたんと一際大きく震えたかと思うと、それきり動かなくなった。ケーブルの拘束を溶かし、装甲を破って脱出する。
這う這うの体だ。体に毒の痺れが回ってきていた。しかし、そこへ容赦なく小型寄生炉が殺到してくる。
今はまだ幾分か体の自由が利くが、時間が経てば経つほどに身動きが取れなくなるだろう。その前に小型を殺し尽くさなければまずい。休んでいる暇はなかった。
もし少年が全く動けなくなるまで小型たちが逃げ回り、獲物の衰弱を待つような行動を取られていれば危なかった。馬鹿正直に群がってくるエビに刺されながらも、何とか全滅させることに成功する。
満身創痍だった。全身が痺れて立つことができない。のろのろと這うのがやっとの状態である。だが、生き残った。生還の心地を噛みしめる。その余韻をあざ笑うかのような哄笑が響いた。
「ヒヒイッ! 子供の悲鳴が聞こえたと思って来てみたが、とんでもねぇもん見ちまったぜヒヤハハハハハ!!」
誰かいる。戦闘に集中しきっていた少年は全く気づけなかった。魔法を使うところも見られてしまったものと思われる。何とかしたくとも、体が動かない。
声がする方に目をやると、ひょろりと背の高い男がいた。体はやせ細り髪は白い、老人だった。それより目立つのが身体の欠損だ。左脚は義足、右腕は義手、左目は眼帯で覆われている。
どう見ても迷宮探索ができるような体ではないが、少年はその人物に心当たりがあった。ナイルから聞かされた情報と酷似している。
「……『
「ヒャアハハハ!! 喧嘩売ってんのかクソガキが! 二度とその名で呼ぶんじゃねぇウィヒヒイ! 俺の名はドラジッドだ!」
名前については否定されたが、話に聞いていた当人と見て間違いない。採石権を持つ採石者、『採石権者』だ。
これは並大抵のことではない。迷宮事業には一国の趨勢すら左右する利権が絡んでくる。甘い汁を吸っている権力者たちが新規に採石権を得ようとする者たちを簡単に認めることはない。
その上からの押さえつけをものともせず、誰もが認めざるを得ない輝かしい功績を打ち立てた者のみに与えられる栄冠だった。計り知れない経験の深さと、強大な寄生炉を討伐する強さを併せ持つ、採石者の中の採石者。
そんな大物が一体何の用でやって来たのかと警戒している少年に、ドラジッドが小瓶を放り投げた。少年の前に転がってくる。
「解毒剤だヒヒッ! それを飲めば歩ける程度に痺れも引くじゃろう」
これまでさんざん騙された経験から人間不信に陥りかけていた少年は、ドラジッドの言葉を疑わずにはいられない。
「飲みたくなきゃそれでもいいが、一週間は痺れが取れねぇぞイイヒヒヒイッ!」
しかし、ドラジッドに嘘をつく理由はない。もし少年に危害を加える気ならとっくにやっているだろう。おぼつかない手つきで瓶の蓋を開けて何とか薬を飲む。
「ヒヒヒイーヒヒィ!」
この笑い方、最初は少年の無様な姿を見て笑っているのかと思ったが、そうではないと気づく。異常をきたした感情表現。それは迷宮病の症状の一つだった。
笑いが止められないのだ。少年は、三日三晩笑い通して終いには息が詰まって死んだ男の話を思い出す。その時はただの笑い話で済んだが、実物を前にするとぞっとするものを感じる。
なにせこの老人は、60年も前から採石者をやっているという。むしろ、それだけ迷宮に潜ってこの程度の症状で済んでいることがおかしいくらいだ。
「こいつぁ……たまげた! コモチガザミの装甲を粘土みてぇに千切るとは、いや、これは溶かしたのか? イヒヒ、いったいどんな鍛晶蔵を使ったんだ?」
ドラジッドは少年が破壊した中型寄生炉を見分していた。あまり詮索されたくはないが、痺れた体では止めることもできない。
「なあ、その鍛晶蔵、俺に売ってくれねぇか? 今ちょっと金欠気味なんだが……そうだ、俺の家をやろう! ヒャハハ、土地も建物も市中永住権もまとめてつけるぞ! もちろん、現金で欲しいってんならそれでもいい!」
疑わしくはあったが、今の少年を殺して所持品を奪い取ることくらいやろうと思えばできるはずだ。それをせず、こうして取引を持ち掛けてくること自体が誠意であると捉えることもできた。
「いや……これはちょっと……」
大金が手に入るなら願ってもないことだが、そもそも練晶蔵なんて物は持っていないのだから売るも売らないもない。
「悪いことは言わねぇ、それは手放した方が身のためじゃて。それとも何か、その力で採石者にでもなるつもりか?」
迷宮に来ている理由は金が欲しかっただけであり、別に採石者にこだわる気はなかった。だが、何となくその場をごまかすために少年はうなずく。ドラジッドは考え込んでいる様子だった。
「ヒヒヒ! お前さんがなぜ、ここに連れて来られたか、その理由がわかるか?」
「なぜも何も、働き手として雇われただけじゃ……」
「それだけじゃない。どうして子供ばかり集められているのか気にならんかったか?」
そう規則で定められていると説明された。子供は寄生炉に捕まっても寄生炉にされにくい。寄生炉の数を増やさないための措置である。
「間違ってはおらんな。肉体が成熟していない子供では、寄生炉に食われても改造が不完全なまま終わり失敗する」
どのみち死ぬことには変わりない。だが、たまにその改造が成功する個体も現れるという。それは手も足もない箱型の寄生炉で、採石者たちは『宝箱』と呼んでいる。
「イイヒヒッ、そいつは何の危険もないし、そこそこ貴重な魔石が手に入る。採石者に見つかったが最後、こじ開けられ、中のモツごと核を抜き取られる」
ルガット社は常習的に子供の労働者をテリトリー内で使い潰しているようだった。それは、やむを得ずというわけではない。メリットがあってやっていることだった。
『宝箱』は外敵に対する抵抗手段を持たない。だが、一つだけある反応を示すという。採石者がその箱を開けるとき、苦しげに鳴くのだ。何かを訴えるかのように、きゅうきゅうと声をあげる。
「なぁ坊主、おもしれぇよ。採石者って仕事はよ! ウハハハハハハハハハハハハハ!!」
ドラジッドは常に笑っていた。だから、本当はどんな表情をしているのかわからない。それは顔のない人形をのぞき込んでいるかのような薄ら寒さを感じさせる笑いだった。
* * *
解毒剤を飲んだ少年はしばらく休み、何とか行動できるまでに回復した。それでも体調は万全とは程遠かったので、ドラジッドに出口まで同伴してもらうことになった。
世話になりっぱなしである。怖い話で脅されもしたが、それは採石者の現実を教えるためでもある。悪い人間とは思えない。
しかし、鍛晶蔵の件はまだ諦めていないようで、しつこく少年に取引を持ち掛けてきた。助けてもらった恩があるだけに邪険にもできず、かといって本当のことも話せず、やんわりと断り続けるしかない。
迷宮で過ごした時間はたった3時間程度だったが、一日以上経過したかのごとく疲弊している。ようやく外に出た時は、辺りが暗くなっているかのように錯覚した。地上よりも迷宮内の方が明るいせいだ。目の感覚がおかしくなりそうだった。
検問所を抜けて広場まで来ると、ちょうどいい朝の頃合いだったのか人が集まっていた。採石者向けの道具や携帯食料を扱う露店が賑わっている。
そこにルガット社の採石隊がいた。見なければよかった。見つけなければ嫌な思いをせずに済んだ。しかし、気づいてしまったものをなかったことにはできない。
そこでナイルと目が合った。彼は全くの無表情だった。驚くとか、悪びれるとか、取り繕うとか、そういう気持ちは一切ない。赤の他人を見るかのような目を向けていた。
頭に血がのぼる。痺れが抜けきっていないことも忘れて殴りかかろうとしたほどだ。この人前で魔法を使おうとは思わないが、せめてその顔面に拳を一発、いや二発三発、いや前歯が全部折れるまで、叩き込んでやらなければ鎮まらない。
だが、飛びかかろうとした少年の肩をドラジッドがつかんて止める。今にも折れそうな体つきの老人のくせに、少年にその手を振りほどくことはできなかった。そこでカシムートがこちらに気づく。
「おや、これは『
「ウヒャヒャ! 抜かせ小僧、朝からどころか徹夜じゃわい!」
少年はカシムートを睨みつけるがどこ吹く風と言った様子だった。たとえ少年が迷宮内での犯罪行為を訴え出たとしても聞き入れてはもらえないだろう。相手は採石業を営む大企業だ。その程度のことはいくらでも裏からもみ消せる。
「この坊主、お前さんのところで雇った研修生じゃろ?」
「はて、何のことかわかりかねます。そんな子供に見覚えはありませんが」
「ヒャハハハ! わからない? そうかそうか、ならば結構! 引き抜く手間が省けた。こいつは今日から俺が弟子に取る」
苛立っていた少年は、急なことに理解が追い付かず首を傾げた。弟子の話なんて一言も聞いていない。いきなり何を言い出すのかと困惑する。
「ふふ、はははははは! これは驚いた! バダルサナの生ける伝説がついに弟子を取られるとは! 末はさぞや立派な採石権者となるに違いない!」
カシムートが大声で喧伝するものだから、周囲はざわつき始めた。少年に注目が集まる。弟子の話題一つで大衆が湧くほど、ドラジッドとは影響力のある採石者なのだ。
もはや少年の怒りはどこかへ消え失せた。目を白黒させていると、こちらを見ているナイルの顔が変わっていることに気づく。それは羨望だった。
ナイルと同じ、ただの研修生だった孤児が名高い師を得た。降ってわいたような幸運だ。切り捨てたはずの仲間がそれをつかみ取った。羨ましさは容易に憎しみと結びつく。祝福などできるわけがない。なぜ自分ではないのか。
少年は、昨晩の語らいが嘘ではなかったことを知った。ナイルの夢は採石者だった。ただ、ただの身寄りのない子供がその夢を叶えるためには、あまりにも辛く厳しい現実がある。彼もまた被害者なのだ。
被害者であり、加害者だ。どんな境遇があったとしても、少年を陥れようとしたことに変わりはない。同情はしなかった。互いに逸らした視線が、二度と交わることはない決裂を表していた。