鋳造の採石者   作:放出系能力者

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5話「深層」

 

 始まりは、ドラジッドが採石者となるよりも前にさかのぼる。彼は幼い頃、姉と共に奴隷として売られた。引き取られた先は、当時のバダルサナ自治区政府が管轄していた魔法技術開発局だった。

 

 その頃、開発局が力を入れていた研究が映像情報の送受信技術である。現在では魔石を用いた通信装置が普及しているが、当時は国家機密に相当する新技術だった。

 

 その実験のために奴隷が集められた。片方の眼球を摘出し、呪術的処理を施した後、別の人間に移植する。こうすることで、目玉の元の持ち主が見た情報を遠く離れた別の人物に見せる実験に成功していた。

 

 通信装置を作り上げる技術がなかったので、人体を代用した。眼球を片方ずつ相互に移植する必要があるため、肉体の拒絶反応が出にくいように近親者の奴隷がセットで集められた。

 

 こうしてドラジッドとその姉は互いの左目を入れ替えられた。実験の成功率は3割ほどである。また、成功しても長くはもたない。異なる視界の映像が一度に頭に入ってくるのだ。脳に重度の障害が発生し、錯乱する者が後を絶たなかった。

 

 それでも開発局にとっては別に構わなかったのだろう。そこまでして通信技術を欲する目的は、バダルサナ迷宮深層域の解明のためであった。

 

 当時のバダルサナ迷宮は衰退期を迎えて間もない時期にあり、地下を満たす水位は今よりもっと高かった。未探索域には、手つかずの膨大な希少資源が眠っていると考えられていた。

 

 その調査のために、眼球手術に成功した奴隷たちは潜水服を着せられて送り込まれた。ドラジッドの姉も、そうだった。

 

 その光景は今でも記憶に焼き付いて離れない。水底は、夢でも見ているかのようにきらきらと輝いていた。姉は懸命に潜り、資源を探した。

 

 そうすることが姉弟ともども奴隷から解放される条件だったからだ。陸にいたドラジッドも目から入ってくる情報を、開発局の人間に事細かに報告した。未探索域の情報を一つでも多く集めるためだ。

 

 しばらくして、姉の前に寄生炉が現れた。水中環境に適応した中型寄生炉である。皮肉なことに、繰り返された無謀な調査によって多くの奴隷が水中の寄生炉に食われ、新たな寄生炉を大量に生み出していた。

 

 深い水の底で一人、小さな子供に何ができるというのだろう。ドラジッドは姉に代わって助けを求めた。その声が誰に届くというのだろう。

 

 そして、彼の左目は何も映さなくなった。半身をもがれたかのような喪失感がそれからずっと消えなかった。

 

 時を同じくして大規模な政争が勃発し、自治区は新政権に取って代わった。それにより危険な実験を繰り返していた従来の技術開発局は解体され、収容されていた奴隷たちも解放された。

 

 何の補償もなく、自由だけを与えられたドラジッドに生きる理由は見当たらなかった。自ら命を絶とうと考えていた、そのときのことだ。彼の左目は、再び光を取り戻したのである。

 

 そこには迷宮の光景が映し出されていた。薄緑の光に照らされた鉱石の水槽を自由奔放に泳ぎ回る寄生炉たちの姿があった。そのどれもが桁外れの大きさだった。

 

 

「その場所に至る。それだけが俺の生きる目的となった、ヒヒ。そこに行けばあの子がいると思った。そんなわけねぇといくら思っても止まらなかった」

 

 

 以来、彼は深層を目指す採石者となった。ただの奴隷だった子供が歩むには、あまりにも過酷な道のりだ。しかし、姉を助け出したいという一心が、全てを投げうつ覚悟となり彼を突き動かした。気がつけば、採石権者となるまでに強くなっていた。

 

 そして到達する。彼の視界と、彼女の視界が重なった。そこに待ち受けていた者こそが『金剛王』だった。

 

 寄生炉に食われた人間は寄生炉になる。それが迷宮の掟だ。もはやそれは人ではない。人の心は宿していない。だが、ドラジッドはどうしてもその姿に生きていた頃の姉を重ねてしまう。互いを見つめる視線の揺らぎに胸を焼かれる。

 

 

「人は口々に、炉禍を起こさぬように神様が金剛王の怒りを鎮めているのだと言う。あるいは王者の威厳が弱者をいたぶることを許さないのだと言う。クカカカカ! なんにもわかっちゃいねぇ! あの子はなぁ、あの子は困っている奴がいれば誰にだって手を差し伸べる優しい子だった!」

 

 

 今もまだ、彼女は戦っているのだ。暴れ出そうとする本能を抑え込み、迷宮の底でじっと堪え忍んでいる。彼女を苦しみから解き放つことができる者は自分しかいないと信じていた。

 

 眼球を交換することで彼らの精神はつながっていた。最初は視覚を共有するだけでしかなかったが、次第にその感覚は広がっている。金剛王の魔石の力だ。

 

 特大型寄生炉が持つ魔石は『純粋結晶』である。それらが地上に出て炉禍を発生させるのは、植物が種を風に乗せて飛ばすのと同じ。迷宮の種を遠くの地へ運ぶためである。

 

 人智を超えた理を宿す石。そこに姉の魂は囚われている。もしドラジッド以外の誰かが金剛王の討伐に成功したとしても、魔石を持ち帰られてしまうだろう。それでは駄目だ。魔石もろとも完全に破壊しなければならない。

 

 どんなに勝ち目がなかろうと、ドラジッドには金剛王を倒さなければならない理由があった。

 

 

「だがなぁ……俺も老いた。どんなに気持ちが昂っても、かか体がついてこねぇ。ヒヒヒ! 情けねぇ! 権者を名乗れる実力なんかなくなっちまった! もう自分でも、あいつを楽にしてやることはできないと諦めかけていた!」

 

 

 そんなときに少年と出会ったのだ。その力を見たドラジッドは、藁にもすがる思いで期待した。なんとかその鍛晶蔵を自分のものにしたいと、つながりを作るため弟子に取った。

 

 弟子なんて取ったことのないドラジッドは手探りで指導し始めた。少年はその教えを受けて育った。あまりにも素直で、無垢なその姿に、騙すつもりでいたはずの彼の良心は堪えられなくなった。

 

 本当の弟子のように思えてしまった。

 

 

「すまねぇ、俺は師匠失格だ! 本当はこの話もするまいと思ってたのに全部話しちまった! 情けねぇ、情けねぇ……ヒヒヒヒヒヒィーッ!!」

 

 

 少年の力があれば金剛王にも対抗できるかもしれない。最後の光明だった。だが、それは愛弟子を死地へと引きずり込むようなものだ。妄執に憑りつかれた老いぼれ一人の命ならともかく、前途ある若者までも自分勝手な理由で道ずれにするつもりか。

 

 それでも、どうしても姉を助け出したいという思いを捨てきれなかった。その葛藤の狭間で苦しんでいた。ドラジッドは笑いながら泣いていた。その姿は権者と称えられる採石者ではなく、年相応のしわがれた老人だった。

 

 

「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ」

 

 

 ドラジッドの話の途中から既に、少年の心は決まっていた。

 

 親元で過ごしていた時期もろくな思い出はない。奴隷として売られてからは輪をかけて悲惨な毎日だった。その地獄から逃げ出し、この街に来て、師匠と出会い、彼は初めて人並みの扱いを受けた。

 

 ドラジッドは少年を一個の人間として見てくれた。清潔な服と、うまい食事と、温かい寝床を与えてくれた。ただそれだけのことに、どれだけ感謝したことだろう。さらに弟子としての教育まで施してくれた。

 

 どんな事情があろうと少年にとってドラジッドは紛れもなく、尊敬する師匠だった。

 

 

「俺は師匠について行くよ。俺の力が役に立つと言うのなら、いくらでも協力するよ。でも一つだけ約束してくれ」

 

 

 ドラジッドは言った。『道具を使い、知恵を使い、使えるものは何でも使って“生き残る”のが真の採石者』だと。

 

 二人で金剛王を討伐し、必ず生きて迷宮を出るのだと約束した。60年もの間、孤独に立ち向かい続けた男の悲願はこの日、師弟の悲願となった。

 

 

 * * *

 

 

 それから1か月が過ぎた。少年は勉強を止め、ひたすらに寄生炉との戦闘訓練に専念した。来る日に備え、少しでも技を磨くためだ。

 

 既に大引水の時期は半ばに差し掛かっている。足踏みをしていれば最後の好機を失うことになるだろう。ついに決戦の日は訪れた。

 

 師弟が迷宮の入口へと進む。その光景を見た他の採石者たちは息を飲んだ。ドラジッドの装備がいつもと違う。身の丈ほどの長さもある漆黒の大槍を携えていた。

 

 一目見て業物とわかる『鍛晶蔵』だった。そして、その身に纏う気迫が告げている。最後の大勝負が始まるのだと誰もが悟った。金剛王へ挑むつもりなのだと。

 

 命が惜しくないのかなどとは、たとえそれが親切心から出た言葉であったとしても口にできない。そんなことができるのは、無粋な愚か者だけだろう。

 

 少年は人ごみの中に見知った顔を見つけた。ルガット社のカシムートである。何も今日会わずとも良いものを、こういう時に限って、見たくもない手合いと顔を突き合わせることになる。

 

「おやこれは『案山子(スケアク)……」

 

 何か軽口を言おうとしていたカシムートの鼻先に、槍の切っ先が突きつけられた。ドラジッドは片手で大槍を振るっていた。老人の細腕になしうる筋力とは思えない。

 

 槍は微動だにせず宙に縫い留められている。体格だけなら上回っているはずのカシムートは、その風圧だけで腰を抜かして尻もちをついてしまった。

 

「ギャハハハハハハァ!! 今日こそ俺は金剛王の首を取る!!」

 

 異を唱える者は一人としていなかった。誰よりも長く、バダルサナ迷宮に潜り続けた男の決意に水を差す者はいない。迷宮の中でどんな結果に終わったとしても、それは採石者の自己責任だ。連れ立つ弟子も帰っては来ないだろうと察していた。

 

 二人は寄せられる哀れみの視線をよそに駆け抜けた。浅層を過ぎ、中層に入り、それでも速度を落とさずに潜り続ける。それは事前に熟知していたルートだ。この日のために、最速で深層に至る経路を選び取っていた。

 

 彼らの後を追ってくる者たちもいた。ハイエナのように他人の戦果を掠め取り、死人から宝を剥ぎ取る盗石者たちだ。しかし、奥へ奥へと進むほどに迷宮の環境は人の支配から遠ざかる。ハイエナ程度の未熟者には手に負えない怪物が、徐々にその手を伸ばし始める。

 

「来るぞ、フラ坊! 構えろ!」

 

 研ぎ澄まされた聴覚で寄生炉の発生場所を回避していたドラジッドも、道を塞ぐ敵の全てを無視して進むことはできない。

 

 それはヤドカリ型の寄生炉だった。大きな巻貝状の装甲を背負っているにもかかわらず、速度は俊敏。そして、両手に丸鋸をいくつも並べたかのような一対の大鋏を持つ。挟まれた岩石は一瞬にして粉砕され、粉微塵となる。

 

 さらに装甲の上部には、イソギンチャク型の別の寄生炉がくっついていた。寄生炉同士が合体した結果だ。小型寄生炉が合体して中型となるように、成熟した中型寄生炉は合体を経て大型へと変貌していく。

 

 イソギンチャクの触手の中から大きな黒いシャボン玉が空中に放たれた。これは空気とほぼ変わらない比重を持つ油の塊で、ふわふわと宙に浮かぶ。

 

 それを包み込む油膜は外から触れれば簡単に壊れるのに対し、内部には凄まじい圧力が閉じ込められている。壁や床に触れた瞬間に爆発、中に仕込まれた大量の毒針が四方八方へ飛び出す。毒針は、人体など容易く貫通する速度で飛ぶ。

 

 もはや人間の力が及ぶ敵ではなかった。こんなものと渡り合える戦士がいるとは思えない。想像を絶する世界。それが採石者だった。

 

「ヒイイイイイヤハァッ!」

 

 いくつもの黒いシャボン玉を前にして、ドラジッドは何もない空中に向け蹴りを放った。生身の片脚を軸にして、義足を突き出すように蹴る。その直後、発生した轟音と暴風が全てのシャボン玉を叩き割り、内部の針もまとめて弾き返す。

 

 採石者の武器は魔石を利用した魔法兵器『鍛晶蔵』の他に、もう一つあった。『磨法』と呼ばれる身体強化術である。

 

 『魔法』が体外における魔力の働きであるのに対し、『磨法』は体内における魔力の作用を指す。魔力とは魔石に込められたエネルギーのことだ。迷宮の恩恵を受け、育てられた食物には微量の魔力が含まれている。それを食べた人間の体内にも魔力は蓄積される。

 

 通常はこの力を意図して使うことはできないが、特殊な訓練を積むことで生命活動の全般を強化する力へと変換することができるようになる。

 

 極限まで磨き上げられた肉体が発揮する活命術『磨法』と、魔石の力を取り入れた技術の結晶『魔法』、この二つを使いこなすことで採石者は迷宮という人外魔境を生き抜いている。

 

 ドラジッドの義足の先端に取り付けられた鍛晶蔵『崩巌嵐』は、掌に収まる大きさでありながら寄生炉の攻撃を蹴散らすほどの衝撃波を発生させた。

 

 しかし、敵は鋼鉄の装甲に全身を覆われた怪物である。爆風を物ともせず、大鋏を振り回して直進してくる。そこへドラジッドは自ら踏み込むと同時に、次の攻撃を放っていた。

 

 寄生炉が見えない壁にぶち当たったかのように足止めされていた。事実、不可視の障害物によって身動きを封じられたのだ。ドラジッドのもう一つの鍛晶蔵『偽糸糾縄』の効果である。

 

 この見えざる金属繊維を束ねた縄は、彼の義手から発射される。かつては鞭として使用していたものだが、現在では魔法技術を駆使し、失った右腕の神経と直接つなげる改造手術によって、意思一つで自由自在に動かせるようになった。

 

 蜘蛛の巣にからめとられたかのように動きを止めた寄生炉に、ドラジッドは素早く接近し、義足の蹴りを叩き込む。至近距離から『崩巌嵐』の一撃を受けた寄生炉の装甲は、卵の殻のように砕け散った。

 

 桁外れの攻撃威力もさることながら、ドラジッドはその反動を完全に抑え込む磨法力も卓越している。並の採石者が同じことをしようとすれば、脚は骨盤から砕け散り、反動で自分自身が吹き飛んで壁に激突していることだろう。

 

 だが、まだ敵は死なない。核を壊すには至らなかったのか、潰れた体を奮わせ大鋏の挟撃を繰り出した。蹴りの直後、空中で身動きの取れないドラジッドはこれをかわすことができない。

 

 ここで無様に屍をさらしてしまうようなら彼は権者の地位にまで上り詰めることはできなかっただろう。ドラジッドの体が動く。『偽糸糾縄』を巧みに操り、自身を引っ張ることで空中を難なく移動したのである。

 

 片脚、片腕を失いながらも彼が今なお現役を続けている理由が、この不可視の鞭を使った空中機動力にあった。いかなる状況であろうと隙をさらすことなく体勢を立て直せる。

 

 素早く寄生炉の死角へと移動したドラジッドは二発目の蹴撃を決めた。今度こそ息の根を止める。熟練の採石隊であっても遭遇すれば死を覚悟する中型上位寄生炉を、ものの数十秒でスクラップに変えてしまった。

 

「どんなもんじゃい! クカカカカ!!」

 

 確かに凄い。弟子の少年にしてみれば感服するしかない技量である。だが、息はあがり肩が上下していることをごまかし切れていなかった。

 

 どんな強者であろうと老いには勝てない。八十にも迫ろうという高齢である。体力の消耗は避けられなかった。少年は、傍にいながらわずかなりとも支えることができない自分の未熟さを痛感する。

 

 少年の魔法は強力だが、それを使いこなせるだけの体ができていない。『磨法』が使えない採石者に、本来なら中層を探索する能力はないのだ。ドラジッドがいるから何とかなっているだけにすぎない。

 

 それも仕方ないことだった。この一か月、少年は死ぬ気で訓練に励んだが、その程度の付け焼刃で習得できるほど生易しい技術ではない。体内の魔力感覚をどうにか掴むことができただけで実質的な実力の向上はゼロに等しかった。

 

 磨法は何年も修行を重ね、鋼の肉体を作り上げる過程で覚えていく技なのだ。仮に覚えられたとしても子供の未成熟な肉体では十分な効果は期待できない。

 

「そんな顔すんじゃねぇよ! お前には一番大事な役目を預けてるんだ! それまでは俺に任せてついて来い!」

 

 何度かの戦闘を経て、中層を突破する。いよいよ深層が見えてきた。ここから先は少年も見たことのない世界である。

 

 肌寒い空気が漂っていた。緑色の藻のような何かがびっしりと壁を覆い尽くし、その向こう側から強烈に差し込む魔石の光を和らげている。地面はさくさくとした細い繊維質の石筍で埋め尽くされている。

 

 岩石なのか寄生炉なのか、はっきりしない海綿状の物体があちらこちらに見られた。どこが安全なのか、見ただけではわからない。ドラジッドの歩いた後を外れないように追いかける。

 

 いくつもの大空洞を通り過ぎた。壁一枚を隔てた先には水が残っている地帯があるのか、魔石の光の向こう側に何かが泳ぎまわる影が見えた。何本もの触手をなびかせて泳ぐクラゲのようなそれは途轍もない大きさだった。

 

「心配すんな! 俺を誰だと思ってやがる、クハハハ! この世で誰よりもバダルサナ迷宮を知り尽くした男じゃぞ!」

 

 その言葉に偽りはない。彼はこの光景を毎日のように見てきた。金剛王の目を通し、数十年の歳月をかけて深層の地形と危険性を把握していた。

 

 金剛王は深層で深い眠りについていると一般には考えられている。確かに記録されている他の特大型と比べれば非常に大人しいのだが、実際は活動していた。

 

 深層域全体をゆっくりと徘徊し、たまに上層を目指して浮上することがあるものの、思い直したかのように沈下していくという行動を繰り返している。

 

 金剛王と視界を共有するドラジッドは、深層の全てを目にしていた。金剛王がどこにいるのか、その場所に向かうためにどのルートを通れば最も早く安全か、熟知している。

 

 それでもなお、この場所は人が踏み込んでいい領域ではなかった。少年は初めて大型寄生炉を目の当たりにする。それは二十メートルはあろうかという大きさのミジンコだった。

 

 透明の甲殻の中に歯車やチューブなどが蠢いている。両腕の水かきは鋭い棘が何十本と生えている。そんな怪物の群れがごろごろと転がっていた。

 

 もし周囲に水があればドラジッドだろうと命はない。水中生活に適応しきった寄生炉であるためこれでも危険度は低い部類だったが、その深層最底辺に位置する寄生炉ですら逃げに徹する他ない強さを持つ。

 

 奴らは泳ぐ水もない陸上で必死に手をばたつかせていた。その棘に覆われた水かきが地面をえぐる。人間の技術では掘削困難な魔鉱岩盤までも砕き、その奥にある『迷宮鉱脈』を露出させてしまう。

 

 迷宮の血管と呼ばれるこの鉱脈が洞窟中に張り巡らされている。ここからにじみ出るように魔石が生み出され、洞窟内の壁に結晶化していく。だが、決してこれを露出させてはならない。まるで血が噴き出すように高濃度の変質魔力が放出されるからだ。

 

 一息でも吸えば心が砕け散る狂気の霧が充満する。ガスマスクをしているが気休めのようなものだった。この変質魔力は付着した場所から放射線のように防備を通過する毒素をまき散らす。

 

 触れてはならないのだ。しかし、狂霧で満ちた洞窟を突破するしか先に進む道はない。息を止めて駆け抜けるしかない。

 

 一歩進めば視界が歪む。ありもしない音が聞こえる。後ろから誰かに捕まれ、どこか暗く冷たい場所に引きずり込まれるかのような幻覚に囚われる。少年は気を失った。それをドラジッドが抱えてひた走る。

 

 

「もうこんなところまで来ちまった。この子一人じゃ帰れない……なんてことだ……俺の頭もとうとうイカれちまったんだ」

 

 

 やがて少年が目を覚ました時、そこはこれまで見た中で一番大きな空洞だった。七色に輝く光のカーテンが降ろされる。揺れ動く水の反射が魔石の光を拡散して作られた光景だった。

 

 その中心に、金色の山がある。半球状のその物体の表面は、正六角形の鱗が隙間なく組み合わされてできていた。複雑な鱗模様はよく見れば、一枚数メートルはあろうかという巨大な電子回路基板だった。

 

 金剛王は微動だにせず鎮座していた。その姿は亀というより貝のようだ。少年は事前に話を聞いていたため、焦りはしなかった。金剛王は、こちらから手を出すまで動かない。

 

 決戦の時だ。気絶していた分を取り戻そうと気合を入れる。ここからが本当の勝負である。しかし、少年が目を覚ましたというのにドラジッドは座り込んだまま動かない。じっと、金剛王の方を見つめたままだった。

 

「帰るか」

 

 何を言い出すのかと思った。ここまで来て何もせず、来た道を引き返すというのか。彼が生涯を懸けて臨んだ悲願を捨て置くというのか。

 

「一度手を出してしまえば、ハハハ、それまでだ。今なら生きて二人で地上に戻れる、ハハハ……またこれまでと同じように、お前を弟子として育ててやれる……」

 

 そんな幸せを少年も、望まなかったわけではない。できることなら今の暮らしを続けたいと何度も思った。

 

「甘ったれるんじゃねぇぞ!」

 

 だが、それはドラジッドの人生を無に帰す道だ。彼はこの日のために採石者となった。姉をここに残していけば、後悔するだろう。それはあまりにも深い後悔だろう。そんな思いをさせたくなかった。

 

 金剛王と戦うからそれが何だと言うのだ。戦って、勝って、二人で帰ればいいだけだ。そう約束したはずだ。

 

「そうじゃな。その通りじゃ。ハハハハハ」

 

 ドラジッドは静かに笑いながら立ち上がった。

 

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