「よく聞けよ、戦闘が始まったら俺はもうお前のことを気にしていられる余裕はねぇ」
敵は大天災と同列に並べられる特大型である。たとえドラジッドが全盛期の若さを持っていたとしてもこれを抑え込めるような力はない。
金剛王の特徴は鉄壁の防御力だ。他に何か特別な能力というものはないが、ただひたすらに強固。そして巨大。その体躯を震わせるだけで人間など塵芥のようにすり潰される。
はっきり言って、ドラジッドがどれだけ体を張ったところで肝心の攻撃役である少年が付け入る余地がまずない。ちっぽけな魔法の炎を食らわせる前にひき肉と化す。
もとより強敵であることは承知していた少年だったが、ドラジッドの話を聞かされるうちに勝ち目なんてあるのかと思えてきた。
「そこで俺が今まで貯めてきた全財産をつぎ込んでコイツを用意した。ヒヒヒヒ、鍛晶蔵・名工機『閑牢歔歌大槍』だ」
ドラジッドが槍の石突を地に着ける。これまで彼がこの武器を使ったところを少年は見たことがなかった。大型寄生炉の中でも格別の強さを持つ上位個体から採取された魔石を名工が鍛えた傑作だと言う。
その能力は、槍に内蔵されたスロットに敵対象の血を入れることで発動する。槍の所有者は覚めることのない眠りに誘われ、槍に肉体を操られる。敵を殺すまで止まることなく、肉体の限界をも超えた力を発揮する傀儡となる。
どう考えてもまともな代物ではない。呪物の類としか思えなかった。
「ヒヒヒヒ! 違ぇねぇ! 使ったが最後、無意識状態だ。目は開いてるが、血を吸った相手のことしか見えてねぇ。そして敵を完全に殺すまで眠りから覚めることはない」
しかし、武器としては欠陥品の呪物だからこそ貴族が死蔵していたこの鍛晶蔵を買い取ることができた。本来なら名工機は望んだからと言って、どれだけ金を積んでも買えるものではない。
それでも少年は、そこまでして使う価値がある武器なのかと疑問に感じた。身体能力の限界を超えられると言うが、既に限界に達しているものを無理に引き出したところで高が知れている。デメリットの方が明らかに大きいように思えてならない。
「これを使う本当の狙いは別にある。鍵は、覚めることのない呪いの眠りだ」
ドラジッドと、金剛王の元となった姉は眼球を交換し、そこから呪術的な強いつながりを得ている。彼が眠っているとき、彼の記憶にない光景が夢の中に現れた。それはおそらく、姉が過去に目にした記憶だったのだろう。
ドラジッドと金剛王は互いに眠っている時間帯が重なっていた。どちらかが目覚めれば、もう片方も自然と覚醒する。ならば強制的に眠り続ける呪いを自分にかければ、金剛王も眠り続けるのではないかと予想していた。
「絶対に成功するとまでは断言できない。だが、きっとうまくいくはずだ!」
呪いの強制力がどの程度まで及ぶか、勝負の行方はそこにかかっていると言えた。こればかりは試してみなければわからない。そして一度試せば後には退けない。ドラジッドは対象を殺し切るまで眠り続ける。金剛王に呪いが効かなかったとしてもだ。
理想を言えば、戦いの最中ずっと金剛王が眠り続け、少年の攻撃を受けても目を覚まさないことが望ましい。と言うより、それ以外に勝算はない。だが、果たしてそう都合よく事が運ぶだろうか。
「だから保険としてこれも持って来た。遠隔起動ができる魔石爆弾だ。その起動スイッチをお前に渡しておく」
そう言って取り出したホルダーを槍を持つ手に巻き付けていく。槍を簡単に手放すことがないようにしっかりと固定している。それはわかるが、爆弾とはどういうことか。
「もし作戦が失敗したと判断したときは、俺の手ごと爆弾で槍を吹っ飛ばせ。槍を手放せば呪いは止まる。そうすりゃ目が覚める」
ドラジッドが自分の意思で呪いを解くことができない以上、その役目は少年が担わなければならなかった。しかし、当然快諾できるものではない。手がなくなるのだ。左脚、右腕に続いて左手まで失ってしまう。
「気にすんな! いいか、その時が来たら遠慮なんかするんじゃねぇぞ! 判断が遅れれば手がなくなるどころじゃ済まねぇんだ、二人とも死ぬ!」
金剛王に呪いが効かないときはドラジッドの手を爆破して眠りから覚ます。そして、討伐は諦めて二人で逃げ帰る。最悪のシナリオだが、考えておかなければならない。
「特大型相手に楽勝できる作戦なんてものがあったら苦労しねぇ! もうこれしかねぇんだ、俺たちにやれることは」
ドラジッドは左手を失う覚悟まで負っている。少年に泣き言は許されなかった。それだけの重い想定をしていても、挽回は不可能な事態に陥るかもしれない。災害が襲い掛かる。それでも、やるしかない。信じるしかない。
「本当はこの槍を使って死ぬつもりだった。死ぬまで全力で戦って、それで駄目なら諦めもつく。そう考えていた」
ドラジッドは、隣に立つ少年の頭に手を置いた。
「だけど、お前がついてきてくれた。俺は死ぬわけにはいかなくなった」
大槍のスロットを開く。そこへ金色の液体が注ぎ込まれる。少年が溶かした金剛王の装甲の欠片だ。スロットを閉じる。
「俺は死なん! お前を必ず連れて帰る! ハハハハハハ!!」
大槍が不気味に光り始めた。高笑いを続けていたドラジッドの声が次第に弱くなっていく。その顔から笑みが消えていく。
これまで笑っていない時はなかった。どんな時でも、泣いている時でさえ笑い続けたその表情が消えていく。
「師匠……」
しんと静まり返った空気を絶つように痩躯は突然走った。一直線に駆け上がり、山ほどもある敵の巨体に槍の一撃を突きつけた。
槍だけではない。彼が持つ全ての鍛晶蔵を駆使し、よどみなく連撃を浴びせていく。眠っていても攻撃が単調になるということはない。呪槍に深層心理を汲み取られ、己になし得る極限の技を披露し続ける。
だが、その全ての攻撃が弾かれていた。金剛王の装甲にわずかな傷すらつけることも叶わない。彼が有する最高威力の鍛晶蔵『崩巌嵐』でさえ歯が立たない。
それは予想の範疇だった。ひとまず第一段階の攻略に成功する。いかに温厚な金剛王でもこれだけの猛攻を浴びせられれば、過去に戦ったドラジッドの経験からして暴れ出すはず。それが何の反応も示していない。
眠っているのだ。次は少年が行動を起こす番だった。今もドラジッドは命を削って戦っている。目覚めさせてやるためにも、一刻も早く金剛王を仕留めなければならない。
しかし、そこで次の問題が立ちふさがる。敵は、これだけの巨体だ。肝心の核はどこか体内の奥深くに隠されているだろう。それを探し出すまでとにかく溶かしまくらなければならない。
果たしてその間ずっと眠ったままいてくれるだろうか。今、金剛王が目を覚ましていないのはドラジッドの攻撃が効いていないからであって、身体に穴を空けられるような攻撃を受ければさすがに起きて暴れ出すという可能性は考えられた。
これもまた、試してみなければわからない。ようやく薄氷を踏むような賭けに勝ったというのに、降りることも許されず次の賭けに臨まなければならない。
恐怖で身がすくむ。その躊躇を懸命に抑え込んだ。もはや選択肢はない。やらなければどのみち死ぬ。決意のもとに挑みかかった少年の足取りが、にわかによろめいた。
後ろから何かがぶつかってきた。その衝撃を受けてたたらを踏む。何事かと振り返ると、自分の肩に矢が刺さっていた。
どういうことなのか、激痛に思考を遮られ理解が遅れた。攻撃を受けたのだと、ただそれだけの状況を把握するために数秒を要した。
この周辺の索敵は事前にドラジッドがしていたはずだった。索敵をすり抜けた寄生炉がいたというのか。矢に毒が塗られていてはまずいと解毒剤を飲み干したが、急速に体の感覚が奪われていく。案の定、強力な毒が使われていたようだ。
「ひょおお! 案山子男の野郎、本当にドンパチやってるぜ」
ありえない声が聞こえた。その声を少年は知っていた。カシムートである。浅層で中型相手になすすべなく逃げ惑っていたはずの雑魚採石者がどうしてこんなところにいるというのか。
「いやぁ、まさかこうして深層を拝む日が来るとは、これも先生のおかげですよ」
「俺は一刻も早くおさらばしたい。こんなところについて来てまで手柄が欲しいか?」
「そりゃそうですよ。俺みたいなしがない採石者が会社に貢献するためにはね」
カシムートの他にもう一人、見知らぬ男がいた。顔の半分をマスクで隠し、大きな弓を持っている。ルガット社に雇われた採石者だろう。それも深層域を探索できるほどの凄腕だ。
なるほど、採石者の卵である少年でもドラジッドの付き添いのもと、ここまで来ることができた。ならば、カシムートがここに来ることも不可能とまでは言えない。磨法も多少は使えるのかもしれない。
ドラジッドだけが特別ではない。過去にも深層到達者は大勢いた。しかし、それにしてもここに辿りつくまでの時間が早すぎる。
ドラジッドは事前に最短ルートを知っていたため一日とかからずここへ来られたが、他の採石者ではそうはいかない。未知の領域を慎重に手探りで進んで来なければならない。行き止まりもあれば寄生炉もいる。何倍もの時間がかかるはずだった。
そして盗石者の尾行は当然警戒していた。採石権者の耳を欺き、後をつけてくることができたというのか。この弓使いは、それほどまでの手練れなのか。
「どんな世界にもその道のプロはいるもんだ。盗石者のプロだっているさ」
カシムートは得意げに話し始める。弓使いの男は専門の追跡術を身につけた凄腕の盗石者だった。特定の魔石に含まれる魔力を記録して位置情報を遠方から探ることができる魔道具を使ったのだという。
目印にされたのは『閑牢歔歌大槍』に使われている魔石だった。この武器をドラジッドが買い求めていることを知ったカシムートは、ドラジッドの手に渡る前に会社の伝手を使って売り主の貴族にコンタクトを取り、魔力を記録していたのだ。
これらは決して表沙汰にされることのない闇の情報である。それをぺらぺら喋っているということが、少年の行く末を示唆していた。真相を聞かされ、絶望したその表情を見物するためだけに生かされていた。
ドラジッドの作戦は見透かされていたのだ。詳細まで全て知れ渡っていたわけではないが、何らかの形で利用する計画だったのだろう。
「さすがは採石権者、それが呪槍を用いて全力を出せば金剛王すら黙らせるか」
「いや、あれは相手にされてないだけじゃねぇですか? ノミみたいに飛び回るばかりで、てんで攻撃が効いてねぇ。金剛王の首を取るとはよくも大口を叩けたもんだ!」
「……確かに!」
盗石者たちがあざ笑う。しかし、ドラジッドはそれに気づくこともできないのだ。自分が何とかしなければと少年は必死にもがくが、毒により体が麻痺していく。意識が朦朧とし始めていた。
「しかし、あの調子では金剛王を倒せそうにないな。予想はしていたが」
「ちぃっ、せめて鱗の一枚ぐらい剥がせってんだよ。役に立たねぇジジイだ」
「そう言うな。あれはもはや人の手が及ぶ相手ではない。俺も秘蔵の『雷鎚矢』を用意してきたが、使ったところで無駄射ちにしかならないだろう」
そう言うと、弓使いの男は矢をつがえて金剛王に狙いを定める。言っていることと行動が一致していない。
「これ以上、権者に暴れられて寝た子を起こされては事だ。ここは欲をかかず堅実に、奴の鍛晶蔵を奪って退散するか」
狙いは金剛王ではなかった。ドラジッドを撃ち抜こうとしている。弓の射程を考えれば遠く離れたこの距離から、不可視の鞭を用いて縦横無尽に飛び回る人間を狙い撃つことができるはずはない。
しかし、採石者の技を常識の範囲で捉えてはならなかった。磨法によって磨き上げられた感覚力は、常人の数倍にも及ぶ。そこに経験によって培われた先見の明が加われば、ドラジッドの動きを予測することすら可能だった。
矢を放つ音は石を打ちつけたかのように硬質だった。意識のある状態であればそれでも彼なら避けられただろう。ただ目の前の敵にのみに集中していたドラジッドに回避はままならなかった。
「むっ、急所を外れた……いや、外されたのか? 呪槍に操られていながらこの反応、やはり只者ではない……」
少年の目では何が起きているのか捉えきれない。弓使いは立て続けに矢を放つ。
もはや猶予はなかった。ようやく少年の手が爆弾の起爆スイッチに届いた。これだけの異常事態が発生してしまえば当初の作戦を続行することはできない。ドラジッドを目覚めさせるべきだ。
しかし、迷う。本当にこのタイミングで爆破していいのか。ドラジッドが目覚めるということは、金剛王も目を覚ますだろう。それに加えて盗石者たちもいる。少年は体が痺れて動けない。ドラジッドは負傷した体でどこまで動けるのか。
様々な思考が巡り、スイッチを押そうとする指に力が入らない。後少しのところで躊躇する。その無為に過ぎ去る逡巡の間に、敵が放つ一矢がドラジッドの体勢を崩した。
それはちょうど『崩巌嵐』の一撃を放とうとしていた直前のことだった。衝撃波の反動を抑え込むために精密な磨法の同時行使を必要とするこの技の最中に起きた妨害。蹴りの威力が暴発する。
その反動により、ドラジッドが吹き飛んだ。地面に叩きつけられる。そこに至り、ようやく少年にも目視できた。体には何本もの矢が刺さり、暴発のために下半身がひしゃげた師の姿を見た。
「うああああああああ!!」
舌にまでも痺れが回っていた少年は、ただうめき声にも似た慟哭をあげることしかできなかった。
「こいつ、まだ動きやがるのか」
「なんと憐れ。おぞましい呪いよ」
しかし、彼の手にはまだ槍が握られている。動けるはずもない体をねじり、のたうち、這ってでも前に進もうとしている。金剛王のもとへ、姉のもとへ向かっている。
助けなければならない。彼の人生を、生涯の目的を知らず、平然とその命を摘み取ろうとする悪党どもの好きにさせてはならない。
爆弾で師を目覚めさせ、助けてもらおうというその甘えた思考がそもそもの間違いだった。判断が鈍り、時間を無駄にしてしまった。もうこれ以上、過ちを重ねてはならない。
そのためには動かなければならない。毒に冒された身体を元の調子に戻すだけでは到底足りない。敵を打倒するだけの力を発揮しなければならない。
少年は、目の前に転がっていた石を掴んだ。浅層であれば一級の品質とされる魔石がごろごろと転がっている。それを胸に抱え込み、気づかれないように溶かし始める。
敵は油断している。少年のことを何の脅威とも感じていない。その隙を突くのだ。溶けた魔石はすぐに液化した。だが、これでは不十分だ。
少年は物を溶かす時、特に魔石を溶かす時、そこから微細な何かが発生している気がしていた。磨法の訓練を行い、体内の魔力感覚を掴む練習を繰り返したことでその正体に気づく。
それは魔力だった。魔石を溶かすと、その中に含まれる魔力が外にこぼれ出るのだ。しかし、それはほんの微量に過ぎない。ただ漫然と溶かすだけでは駄目だ。
魔力を取り出すという明確な意思のもとに溶かす。その他の不純物を除去していく。魔力感覚を身につけた、この1カ月の訓練は決して無駄ではなかったのだ。極限の状態にまで追い込まれた彼はついに成し遂げる。
取り出された魔力らしきものは、じわじわと彼の体に染みこんでいった。焼けるような熱さが全身を駆け巡る。自分がもともと持つ魔力の何十倍、何百倍もの魔力が入ってくる。
そこから先をどうすればいいのかまだ教わっていなかったが、肉体は自然と強化されていた。内臓機能が活性化され、毒が分解されていく。四肢の末端に感覚が戻ってきた。
機を見計らう。痺れをほぼ感じなくなったと同時に、うずくまっていた姿勢から跳ね起きた。それは肉食獣が獲物を目指して走り出す直前、全身の筋肉を撓ませて爆発的な速度を得るかのごとき発進だった。
「なにっ!?」
しかし、敵も一筋縄ではいかない。弓使いは即座に反応してきた。後方へ飛び退りながら、弓を構えるや否や一矢を放つ。それは闇雲に射られた矢ではない。寸分たがわず標的へと向かう。
その矢の軌道を少年は見抜いた。強化された動体視力が目に映る光景をつぶさに捉える。最小限の動きで回避する。
それを見た弓使いは、驚愕しつつも足は止めない。なんと後ろ向きの状態で疾走する。少年と距離を取ったまま、体の向きはぴたりと敵を見据えていた。
背中の円筒から矢を取り出す。その形状は、これまで使っていたものと異なっていた。矢じりに魔石のものと思われる光が灯っている。
少年は直前に交わされていた会話を思い出した。敵は金剛王との戦闘に備え『雷槌矢』という強力な武器を用意しているようだった。それを使われたとすればまずい。
ただの毒矢とは比較にならない威力を持っているはずだ。しかも、今度は少年を直接射抜こうとはしておらず、足元の地面を狙っていた。当てずとも広範囲に爆発が及ぶ攻撃かもしれない。
回避してはならないと直感的に判断した。臆せず飛び込む。爆発する矢というのなら、その前に止めればいい。自ら矢の軌道に身を割り込ませ、魔法の炎をもってこれを溶かしきった。
「馬鹿な!?」
今度こそ弓使いは驚きを隠せなかった。仕留めたと確信していたのだろう。彼の背後には壁が立ちふさがっている。逃げ場はない。とうとう追い詰められた。
「舐めるな、小僧!」
しかし、まだ終わらない。弓使いは壁を駆けあがった。垂直の壁を平然と走っている。これには少年も追いつけない。靴か何かに魔石を使った装置を組み込んでいるのだろう。人間にできる動きではない。
そのまま落下することもなく、天井を走りながら弓を構えていた。目にもとまらぬ速射を繰り出してくる。一息の内に三連射だ。
そのうち二本は毒矢、一本は雷槌矢を織り交ぜた攻撃である。雷槌矢は必ず掴み取らなければならない。しかし、そうすると他の二本の毒矢に当たる。三矢が完璧に計算された軌道を飛んでくる。
実際これが、三本とも雷槌矢であれば対処は不可能だった。敵がそれをしなかったのは、少年が持つ鍛晶蔵を破壊したくなかったからだろう。
少年が雷槌矢を掴んで溶かす。もう一本の矢を空いている方の手で防ぐ。しかし、やはり最後の一本はかわしきれない。脚に突き刺さった。
このままでは負けるとわかった。天井に張り付く相手まで攻撃を届かせる手段が必要だった。しかも敵はその状態で逃げ回る。生半可な攻撃では仕留めきれない。
だから“取り出した”。つかみ取った雷槌矢から破壊のエネルギーだけを抽出する。魔石から魔力だけを取り出すことに成功した今ならできる気がした。
その試みは彼の手中で実を結ぶ。確かに取り出すことができた。しかし、その魔力が特殊だったためか、先ほどとは異なり荒れ狂う力の奔流が巻き起こった。
グローブをつけていなければ危なかった。ドラジッドはただの防刃グローブだと言っていたが、きっとそれ以上の性能がある装備だったのだ。
「おらああああああ!!」
このままでは手の中で爆発してしまう。不安定なエネルギーの塊を、すぐさま敵へ向けて投げ返した。
その瞬間、雷が轟いた。電光石火の一撃が天井の敵に炸裂する。そしてさらに巨大な雷の大放電が発生した。弓使いが持っていた残りの雷槌矢を巻き込んで爆発したのだ。
視界が白く染まり、耳が聞こえなくなるほどの爆発だった。弓使いはもういない。焦げた装備品や骨肉の欠片を残して焼滅した。
強敵を破ったが休む間はない。視界が正常に戻るとすぐにカシムートの姿を探した。奴はドラジッドの近くにいた。その装備品を剥ぎ取っていた。仲間が戦っている隙に得る物を得て逃げる算段だったのだろう。
力なく横たわる老人から矜持すら奪おうとしている。ただ、槍だけは奪われていなかった。カシムートの剣が半分ほどまで腕に食い込んでいるが、磨法により鍛え上げられた筋肉が刃を食い止めている。無意識にして覚悟を物語っていた。
それを見た少年は抑えきれない激情に駆られた。カシムートは少年に気づいたのか、慌てて抱えていた装備を放り出した。何をするのかと思いきや、ドラジッドの体の前に剣をかざす。
「おい! 下手なことを考えるんじゃねぇぞ! こいつの命がどうなってもいいのか!」
もはや少年は、怒りという言葉では到底表しきれない感情を覚えていた。一歩、二歩とカシムートへ近づいていく。
「命だと? お前はその人の命が救えるのか?」
今もまだドラジッドが生きていたとしても、手遅れだった。これだけの傷を負い、血を流し、どうして生きていられようか。地上まで連れ帰り、治療を受けさせるまで命がもつはずもない。
とっくに気づいていた。しかし、考えないようにしていた。もっと早く自分が力をつかいこなせていれば助けられたかもしれない。そう後悔したところで結果は何も変えられない。
ドラジッドは間もなく死ぬ。その現実を受け入れなければならない。
その事実から目を背けた。今はただ、悪を葬る。この生かしてはおけない醜悪に報いを受けさせる。他のことは全て頭から抜け落ちた。
今だけは、名もなき復讐の鬼に成り下がる。自分のうちに眠る暴虐の感情に、人間ではない何かに身を委ねた。
「あ、ああ! 助けられるさ! 怪我人を治療できる鍛晶蔵があるんだ!」
子供でもわかる嘘だった。両手の炎が、これまでになく燃え盛る。少年が歩みを止めることはなかった。その気迫に押されたカシムートは、もはやドラジッドに人質としての価値はないと気づき、後ずさる。
「俺を殺せばルガット社が黙っちゃいねぇぞ! 必ず仲間が報復しに来る!」
深層に取り残された採石者が一人や二人死んだところで調べに来るわけがない。ここにテリトリーなんてものはないのだ。
「わかった! 俺が悪かった! お前はすげぇ! 俺は最初からこうなるとわかってた! 一目見た時からやるヤツだと思ってた! 今度こそ俺が会社に紹介してやるよ! 研修生じゃなくて正規雇用だ! だから、えーっと……」
カシムートが言い淀む。少年の名前を思い出そうとしたようだ。そこで少年は足を止めた。
「俺の名前はなんて言うんだ? 教えてくれよ」
必死に頭を働かせる。汗をかき、目を泳がせる。それでもカシムートにその名を答えることはできなかった。
足元が爆ぜる。踏み込みから瞬時に接近した。全く反応が追い付かないカシムートの全身に、師が受けた矢の数だけ拳打を叩き込む。
腕を千切り、腹を抉り、胸を穿つ。虫に食われたような穴が全身に開けられていく。短い断末魔をあげたカシムートはその場にしゃがみ込み、血を流して動かなくなった。
何の感慨もなくそれを放置し、ドラジッドのもとへ向かった。辛うじて息はあるが、眠ったように動かない。槍を壊し呪いを解いて、今わの際にある師の最期を看取ろうとした。
しかし、それは思いとどまった。何のためにここへ来たというのか。金剛王を倒すためだ。まだやり残していることがある。いまだ死なず眠り続けることで、ドラジッドは金剛王を封じ込めているのだ。
「師匠、もう少しだけ待っててくれ」
最後の務めを果たさなければならない。少年は立ち上がった。外から取り入れた魔力によって酷使したその体は、磨法を解けば指一本動かせないほど疲弊していた。無理な動きをしたせいで筋肉を傷め、骨が折れている箇所もある。
その痛みを無視して金剛王へと近づいていく。近くで見れば見るほどに、どこまでも大きく荘厳だった。掌を押し当て、分厚い装甲を溶かしていく。
すると、その内側に空洞があった。中に入る。あれだけの堅固な防御力がありながら、その内側は驚くほど中身がなかった。穴だらけだ。
奥へ進んでいく。次第に狭くなっていく管の中を溶かしながら道を拡げて進んだ。その先に、一つの部屋が現れる。
無数の管が部屋の中央にある水槽に集まっていた。緑色に光る溶液の中を小さな魚が泳いでいる。機械の部品でできた魚たちだった。
少年が手を近づけると一斉に水槽の端へと逃げていく。その中に、一匹だけ近づいてくる魚がいた。金色に光る魔石が埋め込まれている。
水槽を溶かす。ゼリー状の溶液が大量にこぼれ出た。手の中に、金色の魚を掬い上げる。
これを溶かせば終わるのだろうか。ドラジッドの悲願は叶うのだろうか。彼の姉の魂は解放されるのだろうか。
本当にそれでいいのか。
少年は溶かし始めた。手の中にいた小さな機械魚から膨大な力があふれ出す。気を抜けば、魔法の炎の方が振り払われてしまいそうになる。
形のない、力そのものがそこにあった。しかし、それはあらゆる物質を超えた圧倒的な存在だった。きっとそれは想像もつかない可能性を秘めている。
少年はこれまでの戦いの中で気づいた。彼の炎は、ただ物を溶かすだけの力ではない。それは物質に与える影響の一つに過ぎない。その真価は、溶かす対象を選別し、望むものだけを取り出せるということにこそある。
ならば、この魔石の中にある魂という存在すら取り出すことができるのではないか。それができるのか、その結果どうなるのかはわからない。だが、試してみたかった。
しかし、それには選び取るための手がかりが必要だ。少年は、ドラジッドの姉のことを何も知らない。会ったこともない。ただ話として伝え聞いただけだ。
それでも一つだけ、彼女という存在を証明する言葉を知っていた。
「『アルマ』」
その名前が、茫洋たる力の中に『型』を生み出した。その型の中へと、全ての力が収束していった。
* * *
ドラジッドは夢を見ていた。何か恐ろしい夢だった。彼は怖がりでよく泣いた。そんな彼を、いつも姉が慰めた。
アルマのことが大好きだった。泣き虫の自分とは違い、彼女はよく笑った。その笑顔を見るだけで彼の不安はどこかへ消え去り、温かな気持ちで満たされた。
早く目を覚ましたい。こんな夢の中にいたくない。目覚めればきっと、そこにいるはずだ。大好きな姉が待ってくれている。
目を開けたその先に、待ち望んだ笑顔があった。記憶の中にある、そのままの彼女が微笑みかけていた。
「ああ、おねぇちゃん……」
おかしなことに、自分の声は老人のようにしわがれていた。彼はまだ、夢の中にいるのだろうか。何も心配はいらないと、姉は優しく寝かしつける。
「さあ、おやすみ……ありがとう、ドラジッド」
心穏やかだった。もう怖い夢を見ることはないだろう。静かに目を閉じた。
* * *
案山子男のドラジッド。金剛王を討伐せんと迷宮に挑んだが、行方は知れず。その翌日、忽然と弟子だけが地上に戻ってきた。
少年は気を失ったまま目を覚まさない。それを運んできたのは、ぼろきれを纏った一人の少女だった。
家に帰ろうにも、ドラジッドの家の周りにはやくざ者たちが目を光らせていた。家が抵当に入っていたらしい。少年を医者に診せようと方々回ったようだが相手にされず、途方に暮れていたところを保護された。
迎え入れたのはドラジッドが贔屓にしていた酒場の店主だった。弟子の顔を覚えていたのだ。師の人望に助けられ、少年と少女は部屋を一つ貸してもらえた。
「アルマ、ちょっとお使いに行ってくれるかい」
「はい、女将さん!」
ただで居候し続けるのも気が引けたので、少女は看病の傍ら店の手伝いもしていた。これが大変に器量が良く、美しい黄金の髪色をしていた。また愛嬌の良さもあり、この短い間に店の看板娘になる勢いだった。
お使いの帰り道、物かなしい色をした空を見て、懐からお守りを取り出した。それは弟の形見である『崩巌嵐』だ。重体の少年を深層から運びだすため、持って来られたのはこの小さな鍛晶蔵だけだった。
悲しみはたくさんあったが、このお守りを見ていると少し気持ちが和らいだ。そんな気分に浸っていたからだろう。周りが見えていなかった。後ろから素早く近づいてきた何者かが、お守りを掠め取っていった。
ひったくりだ。目立つ容姿をしていた少女は標的にされてしまった。たちどころに逃げ去った犯人は、狭い路地に入り行方をくらませる。
「こいつは……もしや鍛晶蔵か!? いいもんが手に入った!」
ナイルは下卑た笑い声をあげる。彼はとても気分が良かった。どうやらドラジッドが死んだらしい。その弟子も一緒に死んだだろうと思っていた。
「何が採石権者だ! 見栄っ張りの老いぼれが! 弟子ともどもいなくなってせいせいしたぜ!」
さらにナイルの上司であるカシムートも迷宮から帰ってきていない。死んだとすれば万々歳だ。これほど嬉しい知らせはなかった。
「みんな死ね、みんな死ね! 呪われろ、呪われろ!」
笑い交じりに呪詛を吐き、たどり着いた路地裏の先に、先ほど見た少女が立っていた。
「他人をいくら呪っても、幸せにはなれないよ」
どうして先回りができたのか。気味の悪さにたじろぐ。
「それは私の大事な弟の形見なの。返して」
形見だろうが知ったことではない。ナイルはバタフライナイフを素早く取り出し、脅すように見せつけた。しかし、少女はものおじもせず近づいてくる。
「このアマァ、手出しされねぇとでも思ったか!」
その態度に逆上したナイルはついに切りつけた。その手を少女にナイフごと掴まれる。
「刃物を人に向けたらだめ」
万力のような力で指を握られたナイルは悲鳴をあげた。女の力ではない。振りほどこうと殴りかかったが、その手ごたえは鉄の塊でも打ち付けたかのようだった。
「返して」
何か得体の知れないものを相手にしているようだ。早いところ盗んだ物は放り出して、その隙に逃げた方がいい。だが、頭ではそう思っていても口から飛び出た言葉は違った。
「誰が返すか! これは俺のだああ!! 俺が拾った! 俺のもんだ!! 幸せになれないだと!? 知ったような口をきくなああああ!!」
憎しみに満ちた瞳をしていた。その目を少女に向けるのはお門違いというものだ。彼自身、どこに向けていいのかわからないのだろう。この世に対する行き場のない恨みである。
「じゃあ、それは君にあげる」
そう言うと、少女は手を放した。どうして急に諦めたのか。形見というのは嘘だったのか。ナイルはすぐには逃げ出さず、怪訝そうに様子をうかがっていた。
「私は今、とても幸せだよ。こんなふうにまた過ごせる時間が来るなんて夢みたい。でも、それは助けてくれた人たちがいたからなんだ。だから、そのお守りが今度は君の助けになるというのなら……」
自分はもう十分幸せだから、形見のお守りは譲ると言う。その代わり、もう誰かを呪ってはいけないと諭された。それは自分を貶めていることと一緒だと。
誰かを妬むくらいなら努力すべきだ。理不尽な苦難があろうとも乗り越えるべきだ。誇り高く志を抱き、そして同じ苦しみに嘆く者たちに手を差し伸べるべきだ。
反吐が出るような偽善者の言葉である。普段のナイルであれば耳を貸しもしなかった。
だが、少女の顔を見て思った。彼女は懸命に、涙を見せまいと笑っていた。きっとそのお守りはとても価値のあるもので、本当に大切な形見の品なのだろう。
ナイルは誰からも責められてはいないというのに、お守りを投げ捨てて怯えるように逃げ出した。彼を責める者がいたとすれば、それは彼自身だったのだ。少女の言葉はそれからも、深く刺さった棘のように彼の心に残り続けた。
水の迷宮バダルサナ。二十年に一度あらわれる大引水が終わろうとしていた。再び深層は水底に沈む。それは案山子男と笑われた、愉快な老人が深層に潜った次の日のことだった。
この奇妙な偶然は語り草となる。負けども負けども諦めず、何十年と炉禍に挑み続けた男がいた。それを認めた金剛王が、その死を悼み流した涙があふれたのだと、採石者の誰かは言った。