7話「断崖の街」
がたごとと揺れる機関車の乗り心地は、お世辞にも良いとは言えなかった。あまり乗り物が得意ではない少年は疲れた様子で木の硬い座席にもたれている。それとは対照的に、隣に座る少女は窓の外の光景を見て目を輝かせていた。
「すごいね、弟くん! こんなおっきな車が馬も引いてないのに走ってるなんて」
60年以上前となると、機関車はまだ一部の都市でしか見ることができなかった。現代に目覚めたアルマの感覚では、ただの日常が驚きの連続である。
少年にしてみればそのアルマという少女が衝撃的だった。バダルサナ迷宮の主、金剛王の魔石から生じた存在である。自分の能力によって生み出したわけだが、まさか人間そっくりの形になって動きまわるとは思っていない。
だが、彼女がいなければ少年は生きて迷宮の深層から脱出することはできなかった。あれから気絶した少年は四日ほど目を覚まさなかったのだ。アルマが少年を背負って連れ出してくれたおかげで命拾いした。
意識が戻った後も骨折などの怪我のせいでしばらくは動けなかった。体外から魔力を取り入れて磨法を使うという荒業は、体に相当な無理がかかるようだった。全身の筋肉がズタズタに切り裂かれたかのような痛みに四六時中うなされた。
その容体が落ち着くまでアルマは献身的な看護をしてくれた。それについては感謝してもしきれないほどだ。しかし、こうして元気に動き回れるようになった今、彼女との今後の関係をどうするべきかという問題も一つの悩みどころだった。
「うっ……」
「大丈夫? まだ気分よくない?」
激しい揺れに酔った少年の背中をアルマがさすってくれる。それはありがたいのだが、少し気恥しくもあった。何というか、距離感が近い。
アルマの見た目の年頃は少年とさほど変わらないが、その年にして将来有望と思わせるくらいの美人である。それに加え美しい艶のある金髪に、左右で色の違う両眼は宝石のような輝きがある。
「大丈夫です、姐さん」
「弟くん、たまに口調がよそよそしくなるよね……それにお姉ちゃんの呼び方もなんかニュアンスが違う気がする……」
どういうわけかこの少女、少年のことを弟のように慕っていた。確かにドラジッドの姉であるため、弟子の少年からすれば姐御分と言えないこともない。そういうわけで、少年は姐さんと呼んでいる。
それも彼女の境遇を考えれば致し方ないことかもしれない。深い絆で結ばれた実の弟を失ったのだ。その穴埋めに、代わりの弟分を求めているのだと思えば無理に突き放すこともできなかった。
ドラジッドを助けられなかったことは今でも後悔している。もっと自分がうまく立ち回ることができればと幾度となく悔やんだ。結局、彼の功績は誰にも知られぬまま、遺体は弔うこともできず深層の水底に沈んでしまった。
少年がその悲しみから立ち直ることができたのは、アルマのおかげでもある。金剛王の魔石を破壊してしまうのではなく、少女にもう一度、新たな生を与えることができた。ドラジッドでさえこんな予想はしていなかっただろう。
ドラジッドが迷宮に潜り続けたその努力は報われたのだと、アルマは少年に深い感謝を伝えた。その言葉に少年もまた救われた。辛くとも前を向いて歩き続けることが、残された者の責任だと思うことができた。
前を向いて生きる。それは二人ともに言えることだ。少年はアルマにこれまで苦しんできた分も幸せになってほしいと思っている。彼女には彼女の人生がある。いつまでもこうして姉弟ごっこを続けているわけにもいかないだろう。
「姐さん、本当に良かったのか? 俺なんかについて来て」
「もちろん! お姉ちゃんはずっと一緒にいるよ!」
現在、少年たちが乗っている汽車はバダルサナ丘陵から遠く離れつつあった。様々な事情があって、あの街を去らなければならなかったのだ。
なぜかドラジッドは大量の借金を抱えていることにされていた。呪槍の購入に全財産をつぎ込んだと言っていたので金に余裕はなかったのだろうが、それにしてもひどい高利貸しの被害にあっていた。
家から土地から家財道具の全てに至るまで差し押さえられ、終いには弟子のところまで取り立てにくる始末である。アルマがドラジッドの親族であると知られ、色町に売り飛ばされる話まで出ていた。
金を借りたにしてもドラジッドがこんな始末の悪い契約を結んでいたとは考えられなかった。だが、今となっては契約書を見せろと言っても改竄されたものしか出てこないだろう。こちらが子供だからと見くびられ、やりたい放題にされてしまった。
相手は縁さえあればケツの毛まで毟り取ろうとしてくるやくざ者たちだ。お世話になっていた酒場にも迷惑がかかるため、部屋を引き払って夜逃げするしかなかった。
そういうわけで、アルマを置いていくわけにもいかなかった。アルマ本人が少年の旅に同行することを強く希望し、現状に至る。
出発の際、酒場の女店主から路銀を渡されていた。聞けば、ドラジッドの弟子が困っていることを聞きつけて、彼の世話になった採石者たちが少しずつカンパしてくれた金らしい。
本当にありがたかった。最後まで師匠に助けられた。誰かに施した恩は巡り巡って返ってくる。少年も、いつかこの恩を返しに帰ってくると誓い、バダルサナの街を後にした。
* * *
汽車は『断崖の街へゼニュー』に到着した。東部迷宮群横断鉄道の終着地点である。迷宮の影響による活断層の隆起が作り上げたこの断崖絶壁は、『背砂三国』に数えられる列強ドゥマトンの国境として天然の要害にもなっている。
「た、滝が……崖を昇ってる!?」
交易の要所として発展したこの街の名物は、世にも珍しい“逆流滝”である。高さ800メートルもの高低差がある岩壁を、黒く濁った流動体がゆっくりと上昇していく。
これは特殊な魔石を含有した低温マグマで、周囲に点在する迷宮の影響により、地底と地上の間を対流し続けている。この溶岩運河は崖によって分断された国境を迂回することなく物資を輸送できる経路として重宝されていた。
少年とアルマの二人組は、しばらく阿呆のように口を開けて滝を眺めていたが、気を取り直して今後の予定を確認した。
「まず俺たちの目標は、採石者になることだ」
「そうだね」
ドラジッドと出会う前の少年は、採石者という仕事を金稼ぎの方法の一つとしか見ていなかった。だが、その認識は変わっている。
過酷な職業であることは確かだ。迷宮病や寄生炉といった脅威と隣り合わせの仕事である。大金を稼げるようになるには、いくつものステップアップが必要だ。
しかし、大きなやりがいとロマンがある。様々な役立つ資源を発見し、未開の洞窟を探検し、強大な敵を倒していく。少年はドラジッドと同じ、採石権者となることを夢見るようになっていた。
採石者たちの憧れの座である。地位を得て認められ、その時こそ師の本当の功績を人々に語ろうと思っていた。ドラジッドは金剛王に負けて死んだと、人々は認識している。
何の物証もなく、今の少年がいくら声を大きくして異を唱えても、誰も耳を貸してはくれない。ドラジッドは名誉ある最期を遂げたのだと、いつか証明してみせると弟子として誓いを立てていた。
一方、アルマも採石者となる決心をしていた。少年の覚悟を聞き、自分もそれを傍で支えたいと言ってきた。
この大胆な告白ともとれる発言に動揺しまくった少年の一幕はさておき、採石者になるという選択自体はそう悪いものとは思えなかった。
アルマは身体能力の適性だけで言えば、少年の男としての矜持がへし折られるほどの超人的な腕っぷしを持っていた。実際、バダルサナ迷宮の深層から少年をおぶって脱出した実績がある。
そういうわけで、ひとまずは二人そろって採石者となるため資格を取ることを第一の目標としていた。そのためにはクリアしなければならない問題がいくつかある。
やはり最大のネックは資金だ。当面の生活費ですらそれほど余裕がない状況で、試験費用を捻出することなどできるわけがなかった。
「ここを越えてドゥマトンに入ったら、そのまま首都ガロアパルを目指そう。汽車で行きたいところだけど……懐具合を考えれば歩いた方がいいかもな……」
少年たちの目的は、近々ガロアパルで開催される武闘大会『採能春杯』に出場することだった。
これは土豊浄水の主神ミシエヒに捧げる春訪神祭の一環として毎年ガロアパルで開かれる有名な大会だった。各地から腕に自信のある採石者たちが集い、技を競い合う。
メインは正規の資格を持つ採石者たちの戦いなのだが、資格無しの一般部門も催されており、ここで大会優勝の実績を残せば、資格試験において実技科目の免除が認められるのである。
優勝しただけで資格取得とはいかないが、後の試験費用を大幅にカットすることができる。さらに優勝賞金も手に入る。
そう簡単に優勝できるのかという疑問は当然あったが、一般部門の参加者は鍛晶蔵なんて持っていないし、強くともせいぜい磨法が使える程度のものだろう。アルマの身体能力と、少年の“奥の手”があればどうにかいけるのではないかと予想している。
「地道に稼いで試験費用を貯めようと思ったら何年かかるかわからないからな。これが採石者になる最速プランだ!」
「やったね、弟くん!」
アルマは採石者のことを何も知らず、また常識自体が今の時代に追いついていないところがあるため、少年の方針に意見することはなかった。
滝つぼに来た二人は、どこまでも高く垂直に切り立った崖を見上げる。その壁を、どろどろの黒い塊が逆さ向きに落ちていく。
この溶岩の表面温度は常温に近いため、触っても熱くはない。運河の渡し手は特殊な魔道具のアンカーを使って輸送船を滝に固定し、荷物や人を上へと運んでいた。途中で落ちないのだろうかとはらはらする。
運賃を聞くとぼったくりのような値段だったので、階段を使って登ることにした。下から見上げれば遥か彼方まで続いているように見えるが、直線距離にして1キロにも満たない。
壁沿いに土を掘り、石を積み上げて頑丈な階段が作られていた。壁をくりぬいて作った住居がいくつも並び、その横の細道を注意して進んでいく。
「な、なんだか階段の造りが荒くなってきてない?」
最初のうちは雄大な景色を楽しみながら和気あいあいと登っていたのだが、次第に雲行きが怪しくなってきた。道幅が狭くなり、落下防止の柵がないところが出てくる。
上に登るにつれてその傾向は高まり、急造した工事現場の足場のような有様になっていく。高所に慣れていない人間がまともな神経で登っていける道ではなかった。
図ったかのように、道の途中に輸送船の乗り合い所が設けられていた。滝つぼから乗っても、滝の途中から乗っても料金は一律である。阿漕な商売と言うほかない。
運賃は今の少年たちでも払えないことはない金額だったが、ここまで来て乗ったら負けたような気がしたので自分の足で登ることに決まる。この程度の試練でへこたれていては採石者になどなれない。
だが、そこで新たな問題が発生した。壁に刺した鉄杭に板をかけただけの粗末な足場は、アルマが足をかけた途端、ギシギシと軋み始めた。
「ごめんね、お姉ちゃん重くてごめんね……」
アルマの外見は普通の女の子だが、その体重は成人男性を優に超える。本人が計測を嫌がったため正確な数値はわからないが、座っただけで酒場の椅子を破壊するくらいの重さがあった。
ものすごく悲しそうな顔になってしまったアルマに、少年は引き返して船に乗ろうかと提案するも、自分のせいで迷惑はかけられないとアルマが断った。
不安極まりない強度の足場を、生まれたての子ヤギのような足取りで進んでいくアルマ。今までは我慢していたようだが、高いところが怖いらしい。
「へ、平気だって、現地民だって普通に使ってる道みたいだし、そう簡単に壊れ……」
少年が励まそうと声をかけていると、眼下から凄まじい速度で近づいてくる何かを見た。ほぼ垂直に切り立った壁を人間が駆けあがってくる。
真っ先に思い浮かんだのが、バダルサナ迷宮の深層で遭遇した弓使いの盗石者だ。あの男は魔道具を使って壁に張り付いていたようだったが、今回はそれとは異なる。
岩壁のわずかな足がかりを頼りとして、鹿のように跳躍しながら登ってくる。時々、脆い足場に当たってしまったためか体勢を崩すところもあったが、空中で身を翻しすぐに立て直す。二つに結んだ長い髪をはためかせていた。
磨法は使っているのだろうが、道具に頼っているような小細工は感じない。命が惜しくはないのかと度肝を抜かれる光景だった。さらに驚かされたのは、その人物の容姿だ。
自分たちとさして変わらぬほどの年頃の少女である。子供はよほどの才能がなければ磨法を使えるようにならないと聞いていた。その認識が容易く覆される。
みるみるうちに少年たちがいる高度まで駆け上がってきた少女と一瞬だけ目が合った。だが、そこで向こうが立ち止まるということもなく、すらすらと上に登って行ってしまった。
その思わぬ遭遇に気を取られていたためだろう。のんきに眺めていたアルマの足元の板がいきなり割れた。
「もぎっ!?」
穴から下に落ちかけたアルマはとっさに足場を支えていた鉄杭を掴んだが、それも老朽化により錆びついていた。めきめきと曲がり下を向いていく。少年が慌ててアルマの手を掴んだ。
「姐さん! 今、引き上げる!」
とは言ったものの、少年の力ではとても無理だ。アルマが自力で上に戻ろうにも、頼りの鉄杭は少しでも力を加えればへし折れる限界まで来ていた。他に掴まれそうなものは周りにない。
「お姉ちゃんは頑丈だから下に落ちても大丈夫だよ!」
少年を心配させまいとしたアルマは笑顔を向ける。その直後、無情にも鉄杭がねじ切れる。
「もああああああああああああああっ!」
気丈に振舞おうとしたアルマだったが内心ではやはり怖かったのか、絶叫しながら落下していった。そのすぐ下に道があったのだが、落下するアルマの体重を支え切れず崩壊。勢いは止まらず、どんどん下へ滑り落ちていく。
まさかその後を追って少年も落ちていくというわけにはいかなかった。すぐに来た道を引き返そうとしたその時、頭上から人間が降ってきた。
先ほど壁を駆け上っていった少女である。なぜかそれが今度は反対に駆け下りていくではないか。しかし、今はそんなことに気を取られている場合ではない。自分もすぐに階段を降りていく。
アルマは一番下の地上まで落ちてしまったようだった。アルマの体なら大丈夫だろうと思いつつも、心配はあった。息を切らして落下地点まで向かった少年は、そこに横たえられたアルマの姿を見た。
その傍らに一足早く駆けつけていた少女がいた。彼女はアルマの悲鳴を聞きつけ、助けようとしたのだ。その腕の中でアルマは動くことなく目を閉じている。少女は顔をうつむかせていた。
「う、嘘だろ……?」
まさかと思った。アルマなら大丈夫なはずだと思っていた。何の根拠もない過信である。この高さから生身の人間が落ちれば死ぬ。その事実がどうして彼女には当てはまらないと思ったのか。
「アルマーッ!」
こんな別れ方があってたまるかと少年は否定するように叫んだ。その声のおかげかどうかわからないが、アルマは目覚めた。
「もあっ!?」
「生きてんのかよーッ! よかったけどーッ!」
少年は走り寄ろうとした体勢からがっくりと肩を落とし滑り転ぶ。アルマは恐怖のため気を失っていただけだった。無傷である。
それを見届けた謎の少女は立ち上がった。そもそも少年が勘違いしてしまった要因の一つがこの少女だ。まるで死人を見送るかのような気配を漂わせるから。
だが、そんな文句はすぐに引っ込んだ。少女の腕があり得ない方向に曲がっていた。アルマを助けようとして負った傷だとわかった。
この少女はアルマの能力を知るはずもない。きっと彼女を死なせるまいと、怪我をしてまで全力で助けに向かってくれたのだ。
改めてよく見ると、非常に整った容姿をしていた。この辺りでは見かけない、黄昏のようなオレンジの髪色をしている。探索服の胸元にはピッケルの意匠が刻まれたバッジがつけられていた。採石者資格を有する証である。
無表情で切れ長の目は射抜くように少年を見据えていた。
「あの人は、あなたの姉?」
「えっ、えっとそう、というか、まあ、その、そんなものです」
「……そんなもの?」
わずかに少女の眉が動く。少年は言葉に詰まり、何も言えない。
「大事な家族なら、つないだ手は千切れても放すな」
「すっ……すみません……」
色々と言いたいことが喉元までせりあがってきたが、それは全部飲み込んでひとまず頭を下げた。そこへ放心状態から立ち直ったアルマがやって来て、少年と一緒に頭を下げた。
「ありがとうございます! それとごめんなさい! 私のせいで腕を怪我させてしまって……」
アルマは気絶する寸前、猛スピードで壁を蹴って自分のところに駆けつけてくる少女の姿を目にしていた。
「気にしなくていい。私が未熟だっただけのこと」
少女は特に見返りを求めるようなこともなく立ち去ろうとする。しかし、このまま黙って行かせるわけにもいかないだろう。アルマが引き留め、怪我の具合を確かめた。涼しい顔をしているため大したことがなさそうに見えるが、普通に大人でも悶絶するレベルの重傷である。
「この程度の怪我……『採能春杯』までには治る」
「いや無理だよ!? 完全に折れてるよ!?」
ガロアパルで開かれる採能春杯まであと一週間だ。それまでに折れた骨がくっつくはずはない。少女の口ぶりからして大会に出場するものと思われた。余計に気の毒である。
「どうしよう……大会には私たちも出場する予定だったけど、何か手助けはできないかな」
「手助けって言っても、俺たちが代わりに戦うわけにもいかないしな……」
できるお礼と言えば金銭を渡すくらいのことしかなかった。少ない旅費がさらに差し引かれることになる。はっきり言って、少年は嫌だった。
善意で助けてくれようとしたことについては感謝するが、アルマは別に助けを借りずとも無傷で乗り切れた。言い方は悪いが、少女が勝手に怪我をしただけだ。
金は生きていくために必要なものだ。懐に余裕があるのならともかく、かつかつの状況で予定外の出費は避けたいというのが本音だった。
「あなたたちも大会に出るの? なら……」
一方、少女は何やら考えるそぶりを見せる。傷のことは別に構わないが、他に困っていることがあるそうだ。大会が行われるガロアパルまでの道案内をしてもらえないかと頼まれた。
「ちょうど私たちも行くところだったし、一緒に行こうよ!」
「まあ、道案内くらいお安い御用ですよ」
首都までの街道は整備されているので道なりに進んでいけば迷うことはないはずだ。わざわざ道案内など頼む必要はないので若干不審に感じたが、断るのは気が引けたため同行することになった。
「自己紹介が遅れた。私はピア=オラ……」
「おら?」
「ピアだオラ」
「急に口調が粗暴に……」
謎の少女改め、採石者ピアが旅の仲間になった。
* * *
この絶壁を徒歩で登り切るのは困難と判断し、諦めて輸送船に乗って進んだ。ピアは腕が折れた状態でも平気で崖を飛び跳ねて登った。彼女いわく、修行らしい。
そして、その修行は崖を越えた先でも続いた。走り込みである。それも同行者の存在などお構いなしに自分のペースで進んでいく。
少年たちは、なぜ道案内が必要だったのか理解した。走りに没頭したピアは糸が切れた凧のように道を外れていく。自ら険しい地形の方へと飛び込んでいくのだ。
「ピアちゃん!? そっちは違うよ!」
この調子ではあと一週間で首都までたどり着けるのかも怪しかった。とにかくピアの後を追いかけ、軌道修正してやるしかない。
しかし、この走りがべらぼうに速い。せめて磨法は使わないでくれと頼んだが、修行にならないので磨法は使っていないと言われた。素の脚力である。
アルマでもこの速さには追い付けなかった。彼女はパワーはあるが体重のせいかそこまで速く走れない。だが、抜群のスタミナがあるため持久力でピアの後ろを何とか追いかけていた。
少年はもう駄目だ。アルマ以下の速度でしか走れず、完全に引き離される。これでも同世代の標準以上の体力を持っているはずだが、まるで勝負にならない。
序盤は気合で食らいついていたが早々に体力が尽きる。大丈夫?おんぶする?と言ってくるアルマの優しさにプライドを引き裂かれつつも、採石者の卵の意地を見せ、自分の足で走り切った。
「今日はこの辺りで野営するオラ」
ピアもなんだかんだで少年の走りに気を配っていたのだろう。置き去りにしないように着かず離れずの距離を保って走っていたようだ。
拷問である。野営地にたどり着いた少年は全身汗まみれで冷たい土の上に倒れ込んだ。一歩も動けないほど疲労している。
まさか明日もこれと同じことを繰り返すのだろうか。道案内を安請け合いしたことを心底後悔するが、今更なかったことにはできない。女二人が涼しい顔で走っているというのに、男の自分が真っ先に根をあげるわけにはいかなかった。
きっと正規の採石者にとってはこの程度のトレーニングは日常的に行われているものなのだろう。それをただきついからという理由で止めていては、採石権者など夢のまた夢だ。
少年がへばっているうちに野営の準備はピアがほとんど進めていた。旅慣れしているのか手慣れた様子だ。アルマは色々と教えてもらっているようだった。
街道から少し離れた雑木林で休むことに決まる。季節は春となり空気は温かくなってきたが、風はまだ強いため木々の中で凌ぐ。
晴れた空から十分な月明かりが確保できた。火は熾さず、食事は保存食で済ます。街道沿いに宿場がいくつかあるようなので食料や水の補充に困ることはないだろう。
それよりもこういった場所は夜盗が出る危険がある。全員そろって眠るのは良くない。
ピアは普段一人旅をしているようだが、彼女の場合は寝ていても感覚を尖らせておけば不意討ちは受けないという。野生の獣だ。今回は怪我をしていることもあり、休ませるためにも交代で見張りを受け持つことになった。
「まだちょっと寒いけど、こうやってくっつけばあったかいよ」
「ぬくぬく」
アルマとピアが仲睦まじく身を寄せ合わせている。さすがにその美少女二人の間に加わる勇気は少年になかった。
「弟くんもこっちに来る?」
「男は入ってきたらだめ」
「わかってますよ」
短い付き合いだが二人は親密になったようだ。しかし、同年代で打ち解けやすかったとはいえ急にここまで仲良くなるものだろうか。
「大丈夫、女の子同士で間違いは起きない」
女の子同士で間違いは起きないという発想が飛び出してくるあたり大丈夫ではなさそうだったが、仮に間違いが起きたとしても少年は困らないので放置することにした。
最初の見張りは少年が買って出た。二人の少女は目を閉じて休む。ストレスの多い野宿ではすぐに眠れたものではないが、目を閉じているだけでも頭と体は休まる。
暇を持て余した少年は、音を立てないように筋トレし始めた。体力のなさを自覚したためだ。本当は疲労困憊しているのでやりたくはなかったが、何もしていないと疲れのため寝てしまいそうだった。
しばらくしてアルマが先に寝たようだ。その横で、ピアが自分の上着をアルマにかけて立ち上がった。まだ交代の時間ではないはずだがと、少年は訝しむ。
それに対し、ピアは目線で場所を移すように指示を出した。面を貸せということらしい。少年は嫌な予感がしながらもそれに従った。
「はじめに言っておく。意外に思うかもしれないけど、私は人付き合いが苦手」
「……そうでしたか!」
別に意外ではなかったが話を合わせておく。
「思ったことは口にしないと気が済まない時がある。私はアルマのことが好きだけど、あなたのことは嫌い」
好かれているとは思っていなかったので特に驚きはしなかった。それを言うなら少年だってピアのことを良くは思っていない。
そんなこと普通は思っていても口には出さないものだ。人付き合いが苦手というか、壊滅的なレベルである。
「アルマは強い。高度な剛磨法を無意識に使いこなしてる。それに美人で性格も素直でかわいい」
本人に言ってやればすごく喜ぶと思った。
「でも、あなたは違う。弱いのは別にいいけど、本音を隠して取り繕おうとするのはなぜ? 私が『千切れても手を放すな』と言った時、あなたは何か言いたげだったけど結局何も言い返さなかった」
「それは――」
「私に謝る必要なんてなかったはず。言いたければ言えば良かった。『手が千切れたら痛いから嫌だ』と」
「そういう話じゃないですよね!?」
どうやらピアは、少年が見え透いた媚を売ってきたことに不満があるようだ。実際、少年はここまで来る道中でも、なるべくピアの機嫌を損ねないように気を使っていた。
おそらく彼女が貴族か何かの子女だと予想したからだ。言動はぶっ飛んでいるが、容姿や立ち振る舞いが庶民とは根本から違う。『フラム』のような没落貴族の薄汚れた生まれではない、高貴な身分を感じさせた。
本人が貴族であると明かしていないのでそこまで勘繰る必要はなかったかもしれないが、もしものことがある。下手なことを言って立場を危うくするよりは無難に媚でも売っておいた方が得だろうと思っていた。
「私は損得勘定でしか人を見ようとしない奴が一番嫌い」
しかし、ピアに対しては逆効果だったようだ。どう言い訳したものかと少年は頭をかき、この際、腹を割って話してしまうことにした。
「媚を売るのがそんなに悪いことか?」
少年は小さい頃よく可愛がってもらった、おやっさんの話をした。
大工の棟梁をしていたおやっさんは少年に「何はなくとも媚は売れ」とよく言って聞かせた。それは決して、後ろ向きな言葉ではなかった。
おやっさんが大工の下積みとして修行していた頃、彼は毎朝欠かさず、誰よりも早く作業所に来ては隅々まで掃除をして回った。誰かから指示されたわけではない。率先してだ。
掃除だけではなく、雑用は何でも自分から進んでやった。同僚たちはそれが面白くない。おべっかを使って点数稼ぎばかりするいけ好かない野郎だと罵られた。
だが、職場の先輩たちはおやっさんを目にかけ、自分の技術を丁寧に教え込んだ。誰にだって贔屓はある。可愛い後輩を優先するのは当たり前だ。おやっさんは一番の腕利きに成長し、他の弟子たちを差し置いて棟梁の地位にまで上り詰めた。
嘘偽りない真意だけが人の心を打つわけではない。媚だろうと人に尽くせば何かしらの報いはある。それがどうして、居丈高に振舞うよりも遥かに難しいのだ。たとえ形ばかりであろうと、人は容易に他人には頭を下げられない生き物なのだ。
「だからさ、俺もおやっさんの言う通りに試してみたけどなかなかうまくいかないんだ」
媚を売るのは難しい。やはり心の中で邪魔する気持ちがある。少年は媚の売り方が下手だった。それでも世間の荒波に呑まれる中で、おやっさんの言葉がどこか支えになっていた。
「……そんなこと今まで考えたことがなかった。私の方が間違ってた。嫌いなんて言ってごめん」
ピアの表情は相変わらずほとんど変化がなかったが、どこか申し訳なさそうにしているように見えた。少年は苦笑する。
「いいって。俺のおべっかが気持ち悪いって言われるのはいつものことだからな。でも、ピアの気持ちもわかったし、これからは普通に接して……」
「それほどの覚悟で媚びへつらおうとしていたとは思わなかった。なら、私も相応の覚悟をもって媚びへつらわせなければならない」
「え? ちょ、ピアさん?」
「ピアではない……お嬢様と呼べ。この下郎」
「ゲロッ!?」
少年は思った。こいつの頭の中、変質魔力でも詰まってんのかよ、と。
6話の最後のシーンを変更し、ナイルがお守りを捨てて逃げたことになりました。現在、お守りはアルマが持ってます。これでナイルの悪さが、5%くらいは和らいだかも。
このシーンは後の物語の展開次第で変更したりカットすることがあるかもしれません。